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少し休憩を取ったらどうだ、と勧めてみても従兄弟はペンを動かす手を止めなかった。
一緒に報告書を携えてきたグンマが
「ダメだよ!シンちゃん!!休まないと!!ね!」
と無理やりペンを奪い取り、お茶の時間を促してくれて本当によかった。
最近のシンタローは少し根を詰めすぎだった。
総帥位を継いでからというものの彼はがむしゃらに改革を推し進めていた。
俺やグンマ、前総帥である伯父は勿論のこと、彼の気の置けない友人達もサポートはしている。
けれども、シンタローはひたすら仕事に打ち込んでいた。
もう少し頼れと言っても聞かない。
そればかりか、率先してこなし、そして「ここはいいからおまえらはこっちをやってくれ」と体よくかわされるばかりだった。
彼が抱え込む重責は明らかに体に多大な負担を強いている。
絶大な力によって統率されていた伯父の時とは違い、年若く、秘石眼を持たない彼には反発も多い。
それだけではなく、百八十度転換したガンマ団の方針が大きな反駁を及んでいたりもする。
シンタローは疲れていた。
毎日の激務だけではなく、明らかに批正した表情には心の疲れも見え隠れしている。
だが、彼は弱音を吐いたりすることはなかった。
ただ、コタローの寝顔を見ているときだけ、穏やかな表情を浮かべていた。
グンマがティラミスに持ってこさせた菓子は酷く甘くシンタローを顰めさせるものだった。
うげ、と一口齧った途端に呻き声を漏らすとシンタローはぼかりとグンマを殴る。
「シンちゃん!ひどいよ!!なにすんの~」と喚くグンマに蹴りを入れながらシンタローは
「キンタロー、おまえだってそう思うだろ!?」
とピンク色のクリームが挟まれたロールケーキを突きつけた。
がぶり、とシンタローが持つケーキにかぶりつくと確かに甘い。
グンマが持ってこさせただけあって歯が浮くような甘さと濃厚なイチゴの香りとが口腔を渦巻いている。
一瞬、正直な意見を述べようかとも思ったが、疲れた体に糖分の摂取はとてもよいというのを思い出した。
少しどころでなく糖が多すぎる気もしたが……。
「たしかに甘いと思うが普通だろう。少し、疲れ気味だから甘く感じるんじゃないか?」
と、口内の甘さに耐えながらも必死に装うとグンマがよせばいいのに
「ほらね!シンちゃんがおかしいの!!」
と言う。ここで余計な一言を言わなければシンタローも折れてくれたというのに……。まったく。
「グンマ!おまえ、キンタローを味方にしただろ!!明らかにおかしい!!」
とシンタローは喚き、それに対してグンマが年甲斐もなく子どものように「おかしくないもん!!」と言い返す光景が始まってしまった。
いつものことだ。
だが、グンマと言い合いしているシンタローの表情はじゃれあいながらも疲労の色が濃く滲み出ている。
目元には隈こそできていないが、言い合う口調は歯切れが悪かった。
「いいかげんにしろ。嫌なら残せばいいだろう」
「キンちゃん!」
「キンタロー!」
「子どもじゃあるまいし、たかがケーキでケンカはやめろ」
「「だって!!」」
コイツが、シンちゃんがと口々に訴えてくる彼らに思わずため息が出る。
従兄弟同士、仲がいいのはいい。それはいいのだが……。
「コーヒーを入れてくる。シンタローは砂糖はなしでいいな?グンマのは甘いカフェ・オ・レにしてやる。だから、ケンカはやめろ」
大人しく待っていろ、とため息混じりに提案するとようやく彼らは黙った。
ぴたり、と同時に言いかけていた言葉をやめる彼らがおかしい。
だが、従兄弟というよりも兄弟みたいだなと言う言葉は仕舞っておいた。
***
コーヒーは総帥室の近くの給湯室で淹れることにした。
自室か研究室へ戻れば、とっておきの豆があったがそうすると時間が押してシンタローの機嫌が悪くなる。
できるなら休憩の時間を引き延ばしておきたいがそうもいかない。
インスタントで仕方がないが、二人とも許してくれるだろう。
シンタローの分はうすめに淹れよう、胃が荒れたらいけないだろうとティースプーンを紺色の蓋の瓶に突っ込む。
ざ、ざ、と適当に3人分の分量をフィルタに入れ、コーヒーメーカーをセットするとじきに水滴が落ち始めた。
透明なソーサーは徐々に嵩を増していた。
ぽたり、ぽたりと雫を零すものでしかなかったコーヒーメーカは湯気を立て、室内に香気を漂わせている。
カップを温めなくては、と戸棚にあった適当なマグカップを用意するとふと背後に視線を感じた。
「そこでなにをしている?」
空のカップに湯を注ぎ、給湯室のドアへと視線を向けるとそこにいた人物は躊躇いもなく姿を現した。
季節柄ふさわしくないトレンチコートを羽織った男はにいっと口角を上げた。
「そないに尖らんでもええやろ」
ええにおいやね、と言いながらアラシヤマは給湯室へと足を踏み入れた。
「俺に何か用か?シンタローは休憩中だ。報告ならあとにしろ」
素っ気無く、カップの湯を打ち捨てながら言うと忍び笑いが聞こえた。
「なにがおかしい」
「そないなことわかってるわ。相変わらず、シンタローはんに甘い思うてな」
「甘い、だと?」
アラシヤマは含み笑いをしながら近づいてくる。
常ならば炎の蝶を生み出す指を、ただ伸ばして彼は俺の頤へと手をかけた。
「休憩、とる暇なんてないやろ。××国との調停が拗れたんいうのはわての遠征先でも噂になっとったよ」
「……確かに情勢は逼迫しているがあまり根を詰めてても仕方がないだろう」
「……どうやろね」
アラシヤマは指を上へと滑らした。
彼が己の師につけた炎の爪痕、頬への醜いケロイドを思い出すかのように指先で俺の頬を撫でる。
その仕草とは裏腹に彼の纏う気は穏やかなものではない。
「先頃はハーレム様が離脱したばかりやのに」
アラシヤマの暗い瞳はシンタローと同じで黒く深い色をしている。
気ィ緩めすぎやないの、とその瞳を細め、アラシヤマは頬に当てていた指で前髪を掻き上げた。
少しだけはらはらと髪が彼の指先から落ちていくがそれでも視界はいつもよりクリアーになっている。
露になった俺の目元を軽く押さえ、アラシヤマは秘石眼へと人差し指を突きつけた。
「相変わらずきれいな眼やね。ハーレム様とはちぃっとばかし色が違うてるけど……宝の持ち腐れや」
「やめろ」
鋭く、一言で制すると彼は肩を竦め、指先を離した。
しかし、互いの距離は変わってはいない。嫌味ったらしく細められた目も毒を吐く忌々しい口唇もすぐ目の前にある。
「シンタローはんを心配するのもええけど、あの人は曲がりなりにも総帥やろ。
今はお従兄弟はんらと馴れ合ってる暇があったら仕事せんとガンマ団は立ち行かなくなりますわ。
そら、わてやてシンタローはんは親友や。なんだかんだ言うたって心配しとります。そんでも、その前にあの人は総帥や。
たまには息抜きくらい必要やろうけど、今あの人はやる気んなってはるんやろ?ほんなら横でごちゃごちゃ言わんと仕事させとけばよろしいんや」
「……アラシヤマ」
「こないな時間にあんさんが茶ァ淹れてるんじゃ休憩いうたかて無理やりに決まっとるわ。
従兄弟のアンタが用意する言うたら、シンタローはん断らへんやろ」
「それは……」
問われると歯切れの悪い答えしか返せない。
口ごもるとアラシヤマは大仰に肩をすくめながら口を開いた。
「根詰めすぎてぶっ倒れたらさすがにあの人かて自制するわ。それまでほっとき。
どのみち、ガンマ団がしっかりするまでは仕事が立て込むのは当たり前やさかい。
休憩なんか後からいくらでもとれるやろ」
「おまえはシンタローがワーカーホリックになってもいいというのか。
アイツは少し働きすぎだ。率先して行うのはいいことだが体を壊したら元も子もないだろう」
「そうは言うとらへんわ」
じゃあ、どういうことだと睨むとアラシヤマはふ、と息を吐いた。
いささか嘲りを含んだため息は神経を逆なでにする。
「鈍い人やね。
わてはこんくらいのことで倒れる方が総帥には向いてへんと思うわ。
マジック様が総帥になりはったのは10代の頃やて聞いております。
親が出来はったこと、とうに成人してはる息子が出来ん方がおかしいわ。
あんさんらみたいに甘やかす方向間違うてはるよりは倒れたほうがましやと思うけどね。
ほんでもそれが納得できひんかったらシンタローはんが倒れるのがいややったらアンタが倒れるくらい働けばよろしいがな。
アンタ、自分の研究やりながらでも茶ァ淹れてシンタローはんの世話やく時間があるんやから、その分あの人の仕事肩代わりすればよろしいやろ。
そしたら、わざわざ他に皺寄せさせんでもあの人が休憩する時間くらいできるわ」
「そんなことくらいとっくに提案している。だが、シンタローは俺に頼れと言っても聞かないからこういうことになっているんだ。
今、少しでも休ませておかないとシンタローは明後日には確実に倒れるぞ。
着任したばかりの総帥が床についたなんてデマが広がったら……」
「クーデターが起きる?キンタロー。アンタ、意外と阿呆やね」
アラシヤマは鼻で笑った。
思わずムッとして彼を見る。
するとそんな俺の表情にアラシヤマがくすりと笑みを漏らした。
「なにがおかしい」
じろりと睨むとアラシヤマが髪をかき上げて笑う。
「意外とガキやなあて。シンタローはんのこととなるとちっとも冷静な博士じゃあらへんね。
マジック様が健在なのは士官学校生かて重々承知のことやのに」
「うるさい」
こらえきれずにアラシヤマが身を屈めて笑う。
耳障りなその声を聞くたびに腹の底に重い澱が溜まっていく感じがした。
「お前はシンタローがどうなってもいいんだ!」
「そんなことはあらへんよ。ただ……わての認めた男がこんなことで躓くはずもない、とは思うとるけどね」
くだらないことを聞く、と侮蔑したように俺を見るアラシヤマに感情が堰を切ったように溢れ出す。
「……おまえはシンタローの家族じゃない」
「そうやね」
「おまえなんかアイツの親友じゃない」
「それを決めるのはアンタやなくてシンタローはんや」
「シンタローを総帥に押し込めるな!アイツは俺の大事な従兄弟だ!」
「団員が聞いたらどう思うやろ」
なんのかんの言うたかて、あの人は総帥や、と淀みない口調でアラシヤマが言う。
「おまえなんかがアイツの傍にいていいはずがない!!」
掴みかかりたい気持ちを抑え、手のひらをぐっと握り締める。爪が食い込む感触が己の感情の昂ぶりを突きつけるようで酷く厭わしかった。
ぎりっと歯軋りの音が二人だけの空間に響く。
「傍にねぇ……つかの間の休息と勝手でもあの人の望みを叶えたわてとどっちが側近に向いてるんやろうね」
嘲る笑みを浮かべたまま、アラシヤマがひらりと一枚の紙を寄越した。
「なんも見えてへんあんさんよりわての方がシンタローはんの役に立ってるやろ?」
アラシヤマに与えられた任務の報告書ではない。
先頃、拗れた調停に介入してきた大国の軍事情報がそこに神経質な文字で記されていた。
それは休憩に入る前までにシンタローが頭を悩ませていたひとつでもあった。
「……仲違いしてたアンタとシンタローはんが仲良ぅなったのはええことやろうけどね。従兄弟ごっこはもうええ加減にしなはれ」
現実を見ろ、とアラシヤマは暗い目を瞬かせて俺を見据えた。
特戦部隊が離脱した。民間人どころか軍人をも殺すことを許さないという団規に不満を持つ輩も少なからずいる。
それから代替わりした組織の屋台骨に不安を持つ中立国も、隙を窺う軍事国家や商売敵とでもいうべき暗殺集団やマフィアの多くも……。
「休憩が終わった頃、報告にあがるわ」
それまでせいぜい仲良ぅね、とアラシヤマは棘を含んだ口調で手を振った。
炎の蝶を生み出すように優雅に指先をひらひらと動かして。
コーヒーの高貴が部屋中に漂っている。
けれどもその香りは少しも気分をスッキリとさせるものではなかった。
従兄弟ごっこは終わりにしろ、という暗い声が胸の中に浮き上がってきて忌々しさのあまり俺はカップのひとつをシンクへと叩きつけた。
初出:2005/09/28
いしたけいこ様に捧げます。
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