Amour et haine
亡き叔父の部屋を訪ねるなり、殺してやる、と壁に体を押し付けられてシンタローはなんだかおかしい気持ちになった。
ぎらぎらとした殺意を浮かべながらも対峙している男が長い指で掴んでいるのは喉元ではなく何故だかシンタローの髪だ。
ぎゅっと掴む感触に軽い痛みを浮かべながらも殺意を口にしてくる口が近づいてくるのを間近で見て笑いをこらえるのに必死だった。
*
初めて会ったときの髪を振り乱した血に飢えた獣のような印象はない。
髪を切った所為か幼くすら見える。それにスーツをきっちりと着こなしている。
パプワ島でひととき邂逅した亡き叔父によく似ていると思ったが、口には出さなかった。
触れるか触れないかぎりぎりまで近づいた新しい従兄弟に手を伸ばすと僅かに彼が後ずさる。
彼の面倒を見ていたハーレム、心を許した高松と従兄弟だと認めたグンマ以外が不意に触れたのが驚いたのだろう。
キンタローの戸惑いはそのままに、シンタローは伸ばした指で短い金色の髪をそっと撫でた。
「なにを……」
する、と紡ごうとした口唇を指で撫でると髪を撫でたときとは違ってキンタローは何の反応も見せなかった。
「俺は、おまえとやりあいたくないぜ」
手合わせ程度ならいいけれど、と口唇の輪郭をなぞるとようやくキンタローが僅かに身じろぐ。
戦慄いたように戸惑う従兄弟にシンタローは無性に愛しい気持ちと後ろめたい気持ちとが込み上げてきた。
キンタローが殺意を抱く気持ちは分かる。けれども。
「俺はおまえのことが嫌いじゃないぜ、キンタロー」
掠めるようにくちづけを落とすとキンタローの目が見開く。
どうしていいのか分からないといった表情で、髪を掴んだ指先の力を緩める彼に微笑み、体を引き寄せる。
抱きとめて、頬が触れ合う。
困ったように眉根を寄せるキンタローにシンタローは耳朶へと熱い息を吹きかけた。
「キンタロー、本当に俺を殺したいか?」
俺はおまえが嫌いじゃないのに、好きなのにと揶揄い交じりに囁くとキンタローの体がびくりと震える。
「殺し……たい?」
開いた眼には戸惑いの色が揺らめいている。
自分にはない青い瞳に微かな羨望を抱きながらシンタローはキンタローの髪を指で梳った。
幼子をあやす様に髪を梳くとキンタローの青い戸惑いの色が広がる。
「殺すなんていうなよ。俺たちは誰よりも一番近い存在なんだぜ」
ずっと一緒にいただろう、と熱い息を吐いて説くとキンタローはぼんやりとした顔で頷いた。
*
向かいの壁に掛けられた鏡の中で父が笑っている。
体は不思議と高揚していた。ふわふわとした気持ちでいっぱいで喩えようもなく幸せな気持ちだった。
主が生存していた頃から何も敷かれていなかった冷たい床に熱を奪い取られても体は冷えることがない。
脱がされ放り捨てられたスーツと、思いきりよく脱ぎ捨てた総帥服とが床の上で皺を寄せ合っている。
繰り返し繰り返しビデオのように再生されていたシンタローの過去の行動とは若干違っている。
彼の体に在った頃に目の前で行われていた行為はシンタローが彼の相手の立場であったはずだ。
抱かれることをシンタローが選択したことは分からない。彼はいつだって攻め立てる側だったはずだ。
それなのにシンタローは彼がかつて享受していたように、シンタローはキンタローのものに奉仕をしている。
舌が這う感触に息を吐くと唾液に濡れた口唇をシンタローは満足そうに歪めた。
「分かるか?おまえの味……」
くくっと悪戯な笑みを吐いてシンタローがキンタローの体に乗り上げる。
首に手を回し、舌を絡めたに止めたキスを彼は従兄弟に与える。
与えられたキンタローが「よく、わからない」と返すとシンタローは破顔した。
笑う従兄弟のことがよく分からなくて、そのうえ乗り上げた従兄弟の背に手を添えていいものかよく分からなくて彼の腰の辺りで手を持て余す。
困ったようにため息を吐き、どうすればいいか、と伺いたてるとシンタローは「俺がリードしてやるから」とキスをキンタローの額に落とした。
吐き出した体液はどろりとしていて、纏わりつく感触もあまりよいものではなかった。
シンタローの口腔に含まれていたときとは違い、空気に晒された自身が酷く据わりの悪い気分にさせる。
鏡の中の父がくすりと笑ったのを見て、ますますキンタローは途方に暮れた。
「ちゃんとそれで慣らせよ。じゃねえと俺もおまえもキツいんだからな」
前に急いでヤったとき食いちぎられそうになったことがあるの知ってるだろ、と過去を振り返るシンタローになんとはなしに頷く。
「次の日、いろんなものを投げつけられていたな」
体の痛みを盛大に詰った従兄弟の当時のお相手を思い返すとシンタローはキンタローの耳翼を噛んだ。
「おまえだって明日、眼魔砲撃たれたくないだろ」
乗り上げた姿勢のままの従兄弟に本当は彼が下になってくれればやり易いんだが、とキンタローは思った。
だが、肩口に甘い歯の感触が当たるのを感じて、高まる熱にそんなことはどうでもよくなった。
*
熱が過ぎ去った後は床の冷たさが身に沁みた。
互いの残滓を拭い取るものが何もなくて仕方なくそのまま身仕舞いを整える。
気だるげに総帥服を着込んだ後、寄りかかるシンタローにキンタローはグンマと会ったときのことを思い出した。
不思議とグンマに会ったときのように殺意が芽生えない。
「……なあ」
まだ熱が孕む声で呼ばれて、キンタローは返事の変わりに従兄弟の髪をやさしく触れた。
「まだ、俺を殺したいか?」
その問いにはくちづけで答えて、キンタローは向かいの鏡に微笑んだ。
父に肯定された執着はいまだ冷めてはいない。けれども。
今は、ただ愛しさで胸がいっぱいだった。
初出:2005/09/23
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