さらり…。
梳いた指の合間から、滞ることなく流れる金糸の束に、唇がへの字に曲がる。
「何やってんだ、てめぇは」
何度目だろうか、不満が言葉となって溢れ出る。それに対する相手の言葉はない。表情を見れば、うんざりしたもので、何度も何度も似たような言葉を紡いだおかげで、無視することを選んだようだ。
「ッたく。馬鹿が」
そう告げて、シンタローは、立ち上がる。
まだ少し湿っているその髪に、ドライヤーよりも自然乾燥を選んで、暖かな日差しが差し込む窓を開けた。
さわり…。
心地よい南風が入り込み、シンタローの頬を撫ぜ、髪を書き上げ、後方へ向かう。パタパタ、と机の上に置きっぱなしの、未処理の書類が飛びそうになって、慌ててそれを押さえに走った。昼食後、彼是一時間は経ったが、午後から片付けるべき仕事は、まだひとつも片付いていない。
今日も徹夜か、と思うと胡乱な眼差しが宙を漂う。
その視線が、金色の輝きを目に留めて、そうしてやはり、また口を開いてしまった。
「助けるつもりなら、きちんと助けろ…。余計な仕事増やしてどうするんだ、キンタロー」
何度目かの文句に、とうとう今まで押し黙っていたキンタローも口を開いた。
「………煩い。こんなことなら助けなければよかった」
「ああ、そうだよ。あんなもん、俺は避けれたんだからな」
ことの起こりは、一時間前。昼食後、天気もいいし散歩しようと外へと出てきた。キンタローもついてきて、二人で歩いていたまではよかったのだが、ちょうど壁の塗り替えをしており、その真下を通った時、不運に出会った。
「うわぁッ!」
上空からのその叫びに顔をあげれば、真上からペンキ缶が降ってきて、右に避けようとしたその時だった。
「シンタローッ!」
その右側からキンタローが飛び出してきて、避ける間もなく、キンタローと激突したあげく、
バシャンッ!
見事ペンキを被ったのだった。
もっとも、シンタローの方は、服にわずかばかり白い水玉模様が出来ただけである。酷いのは、キンタローの方だった。
「……生きてるか?」
「ああ。生きてる」
思わずそう尋ねたくなるほど、頭の上から、きっちりペンキを被ってしまい、真っ白に染まったキンタローがそこにいた。
それから、急いで風呂に入り、ペンキを落とそうとしたが、中々落ちるものでもなく、何度もシャンプーをして、お湯ですすいで、と繰り返して、ようやくもとの金色の髪を取り戻したのだった。
「ったく、あんなに髪を洗って、かなり痛んだだろうな」
ペンキを落とすために、かなり強く洗ったのである。今のところ見た目は、それほど分からないが、せっかくの綺麗な髪が台無しだ。
「馬鹿が…」
また零れてしまった暴言に、けれどキンタローは、再び反論はしなかった。髪を拭いてもらうために座っていた椅子から立ち上がる。
窓の傍へ近寄ってくると、そうしてそこに立っていたシンタローの漆黒の髪をひと束手にとった。
「それでも、お前のこの髪がペンキで汚されるよりはよかった」
心底そう思い、告げてくれる言葉に、シンタローの唇はさらに折り曲がる。
自分の中にあるのは、理不尽な怒りだった。先ほどから出る文句も、そのためのもの。ただの八つ当たりでもあるのだ。
(……俺なんかどうだっていいだろうが)
あの時、キンタローのペンキまみれの髪を見たとたん、すぐに眉が顰められた。汚い、と思ったわけではなく、汚れたことに対する怒りがこみ上げたせいだ。綺麗な金色の髪が、なぜ汚されなければいけないのか、という。しかも、自分を助けたせいで。
もっと上手く避けていれば、そんなことにはならなかったのではないかと思ってしまうから、余計に悔しくて、苛立って、キンタローに八つ当たりまでしてしまうのだ。
「シンタロー」
名前を呼ばれて、顔を上げる。
日差しにキラキラと煌く金色の髪が揺れている。ペンキの白は、どこにも見つからなかった。執拗に洗い落としたのだから当然だろう。全ては元通りである。キンタローが、シンタローを庇ってペンキを被ったという過去さえなければ。
それが一番気に食わないことだけれど。
それでも、もう起こってしまったことに、どれほど怒りを覚えても仕方がないことだから。
「きちんと助けられずにすまなかったが、お前が無事でよかった」
そう告げる相手に、シンタローはかすかに目を見張り、それから視線をそらした。
(まったく、こいつは……)
本当にそう思ってくれているのだから、おめでたいというか、ありがたいというか。
―――心底、感謝すべきなのだろう。
自分をそこまで思ってくれる者が、傍らにいてくれることを。
ようやくその考えまでたどり着けて、曲げていた口も機嫌も直し、シンタローは照れくささを滲ませながらも、その言葉を紡いだ。
「………ありがとう」
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