■SSS.4「shampoo hat」 キンタロー×シンタローバスタブには湯がなみなみと張っている。
従兄弟が浸かると湯は溢れ、俺の足や服を濡らした。
「腕は濡らすなよ」
「分かっている」
従兄弟は目を瞑りながら答えた。温かい湯が心地よいようだ。
従兄弟の長い髪をひとまずゴムで括る。
遠征先で廃墟から崩れ落ちてきた瓦礫が左腕を直撃し、従兄弟は負傷した。
感染を避けるためしばらく濡らしてはいけないらしい。
風呂に浸かるには手当てをし、ビニールで腕を包まなくてはいけない。
利き腕ではないのでとくに支障はないと思っていたが、洗髪には不自由だと気付いた。
髪を洗うのにはどうするんだ?と聞くと従兄弟は一瞬考え込んで、俺を指名してきた。
親父にバレると毎日うるさい。ただでさえ、メシの時間に食べさせてあげるってしつこいんだ。
マジック伯父の従兄弟への溺愛ぶりは珍しくない。しかし、従兄弟は照れくさいのか拒絶する。
食事のときの伯父と従兄弟の騒ぎを思い出すと苦笑してしまう。
従兄弟に睨まれ、悪かったなと口にした後、俺は従兄弟の髪を洗うことを承諾した。
とくに異存はなかったのだ。
勝手が分かる俺の部屋で行うことにした。
熱すぎずぬるすぎない程度の湯をバスタブに溜め、従兄弟が温まっているうちに洗ってしまうという方法だ。
最期にシャワーを浴びればいいし、風邪をひかなくてよい。
従兄弟はただバスタブに浸かっていれさえすればいいのだ。
あったかいなぁ、と従兄弟はくつろいでいた。足も手も力を抜いて伸ばしている。
遠征に行くとゆっくり風呂に入ることもできない。こんなにリラックスしている従兄弟ははじめてだ。
「髪、結ぶからな」
「ああ」
眼を閉じて、俺が髪をまとめやすいように従兄弟は顔を下に向ける。
長い髪。黒い糸のような髪の奔流。裸の背とあらわになったうなじは白。
コントラストのような美しさ。
従兄弟の髪は長い。背を流れる髪は滝のようだ。
括っていくらかすっきりとした髪に引っかからないように慎重にシャンプーハットを被せる。
「おまえ、そんなもん使ってんのか?」
被せた途端に見上げるように聞いてきた。
「便利だからな。眼に沁みなくていい」
括っていたゴムを解きながら答える。シャワーの湯をかけると黒い髪はしっとりと濡れた。
子どもが使うもの、といった先入観があるのだろう。そうだなぁ、と従兄弟は呟いている。
意外と便利なんだぞ、コレは。
そう思いつつ、掌にシャンプーを出す。
とろりとした乳白色の冷たい液。従兄弟の髪にもみこむように泡立てていく。
爪を立てないように指の腹で擦っていく。あまり力を入れていないのと他人に弄られる感触がくすぐったいらしい。
従兄弟は身を捩る。
「大人しくしろ」
くすぐったいのならば、と今度は指先に力を込めた。
がしがしと泡立てると、小さな飛沫とともに泡が浮かんだ。
ふわりふわり。
ふわりふわり。
まるい乳白色のような虹色のような泡。
ふわふわと浮かんではバスルームの壁に消えていく。
「シャボン玉みたいだな」
飛んできたまるい泡をつつきながら従兄弟が言う。
「ああ、そうだな」
ふわりふわり。
ふわりふわり。
はじけて消えるシャボンの泡は、ふわりふわりと飛んでは宙に消えていく。
従兄弟は泡に夢中で。
俺は従兄弟に夢中で。
シャボンの香りに包まれながら俺たちは束の間のやすらぎを得る。
従兄弟の傍はたとえ戦場でも心地よいけれども、こんなふうに穏やかに過ごすのも悪くないと思った。
■SSS.2「嫉妬」 キンタロー×シンタロー+マーカー×アラシヤマ叔父が訪れるたびに従兄弟は彼と派手な喧嘩をする。
掴みあいは勿論のこと、ときには眼魔砲を繰り出して建物を破損することもある。
そのたびに自分と四人組と叔父の部下達とで二人をなだめすかすのだ。
今日も久しぶりに訪れた叔父と従兄弟はやりあっていた。総帥室の扉は半壊。調度品も荒らされている。
(窓が吹き飛ばなかっただけましか…)
後片付けをしなければと考えているときに、室内にきんきんとした声が響いた。
従兄弟の方を見やると、彼のところにアラシヤマがいた。
怪我は無いのかと聞く彼に従兄弟はぞんざいな口調で答えている。
あの島から帰ってきて、従兄弟の一番近くにいるのは俺だ。
だが、従兄弟はときに俺よりもアラシヤマといる時がある。
もっとも、それは今のように従兄弟がしつこく纏わりつくアラシヤマに怒鳴り返している関係でしかないが。
不愉快なのだ。アラシヤマの存在が。
向こうは向こうでシンタローに一番近い俺を煙たがっている。
俺は俺でシンタローに近づくヤツが気に入らない。
大体にして方便でも友人関係をシンタローが結んだのが悪い。その事実がアラシヤマを調子付かせている。
「随分と不機嫌そうですね」
気配を感じさせない足取りで近づくなり声をかけてくる。
この男はマーカーだ。アラシヤマの師匠。叔父の部下だ。あの島では行動を共にしていたこともある。
「ああ」
不機嫌なんてものじゃない。
憮然とした表情で答えると彼は少し笑った。
「貴方がそのような表情をしているのは珍しい。まるで隊長のようですよ」
細い目をより細めて彼は言う。口には笑みが浮かんだままだ。
叔父に似ているといわれたのは初めてだ。
俺が不愉快そうな表情をしているとき、たいてい高松やマジック伯父は父に似ていると言う。
細い目と同じように細い指で彼は煙草を取り出していた。
器用に指先に小さな炎を灯し、火を点けている。
「お前の弟子は不愉快だ」
どうにかしろ、と言外に滲ませて訴えかけると、彼は「馬鹿弟子が…」と低く呟いた。
まったくそのとおりだ。師匠なら何とかしてほしい。
「アイツがシンタロー以外に執着するのならかまわない。
誰か他に友達になりそうなのはいなかったのか」
この男がアラシヤマを育てていたと聞いている。アラシヤマを一番知っているのはこの男だろう。
口に咥えていた煙草を外すなり、彼はそんなもの…と吐き捨てる。
そして、彼は歪んだ愛情を瞳に宿しながら言葉を続けた。
「いませんよ」
あれを友人にしたい人間なんていません。いるわけがないのです。
あれに友人ができないように躾けたのは他ならぬこの私なのですから。
キンタロー様には申し訳ありませんが、新総帥をしっかり掴まえていただくしかありませんね。
紫色の煙を吐き出しながら彼は嘲笑った。
「なら、おまえはシンタローがヤツの友達になるのは認めていないんだな」
この中国人がヤツにどう躾けたのかなんて興味はない。
俺の興味はシンタローだけだ。俺のものだ。他のヤツに手出しは許さない。
「ええ。私はそもそもあれに近しい人間は私だけでいいと思っているのですから」
ガンマ団にいるのも許せないくらいなのです。士官学校に入るまでは、あれは私と二人だけでいたのですから。
二人だけ、と口にしたときこの男は懐かしむように一瞬目を細めた。
「私のあれに対する感情は独占欲で占められているのですよ。貴方もお分かりでしょう」
独占欲と目の前の中国人は言った。
ああ、そんな感情くらい分かっている。
「あれが私以外の誰かに目を向けるのは我慢がならないのですよ」
貴方もお分かりでしょうと再び彼は口にする。
ああ、分かるさ。俺は分かっている。
俺もこいつと同じように相手に独占欲を感じていることも。
俺がアラシヤマに嫉妬を抱いたように、マーカーもまたシンタローに嫉妬を抱いていることなど。
そんなこと分かっている。
だけど、どうしようもないじゃないか。この苛立たしい気持ちは。■SSS.6「a secret operation room」 キンタロー×シンタロー「口唇が荒れている」
軍用艦のコックピットで顔を合わせるなりヤツはそう言った。
しばらくは安全な空域であることと乗組員の疲労を取るために自動操縦にしてある。
エマージェンシーコールが響かない限り此処には誰も来ない。
ゆっくりと休養をとって新たな戦場に行くために室内は快適な温度に保たれている。
決して乾燥しているわけじゃない。
「痛くはないのか」
手を伸ばして触れてきた。
ささくれだった下唇をなぞられると少し痛い。
目の前の男が触れたところがジンジンとする。
俺の体温よりも低いひやりとした指先。
口唇の輪郭をなぞるような動きに思わず昨晩のことを思い出してしまう。
口唇が荒れてるのなんてあたりまえだろ。お前が昨日舐めてばかりいたからじゃねぇか。
あちこち痕つけやがって。ブレザーの下のシャツ、きっちり釦留めるハメになっちまったんだぞ。
ったく、体が重てぇ。
休むどころかかえって疲れちまっただろうが。しつこくしやがって。
じっと睨むとどうしたと聞かれる。
どうしたじゃねぇよ、おまえが悪いんだよ。
涼しい顔しやがって。
だいたい、ヤってる最中もその表情はねぇだろうよ。俺だけ気持ちよくなってるみたいじゃねぇか。
考えるな。
思い出すな。
火照ってくる頬を冷まさせようと必死に違うことを考えようとする。
考えるな。
思い出すな。
頭の中で言い聞かせるようにしても、それでも目の前の男が、情事の最中が甦ってくる。
だいたい、二人だけでいるのがいけねぇんだ。
へんに意識しちまうじゃないか。
明け方に部屋に戻ったんなら、時間ずらして来いよな。
もっとも、それはあと何分かで破られる。
そろそろ依頼された893国の領空内に近づくのだ。
あと少しで集合時間になるからどん太たちもここに来るだろう。
あーはやく来ねぇかな。
ぐしゃぐしゃと髪をかき回すと、キンタローが眉を顰めた。
すぐさま絡まった髪を手櫛で梳きはじめる。
「ずいぶんと機嫌が悪いようだな」
至近距離で話しかけてくる。
ああ、もうお前は口を開くなよ。
髪の毛いじんのはかまわねぇけど、息が当たるんだよ。
「お前がこんなに早くに集合するのは珍しいな」
だが、五分前ならともかくまだ時間には早いぞ。当分、他のヤツラも来ない。
「じゃ、なんでお前は来てるんだよ」
お前が時間にうるさいのは知ってるけどよ。お前こそ五分前に来ればいいじゃねぇか。
「俺は、自動操縦を切り替えたり本部で起こったことをチェックしなくてはならないからな」
ああ、そうですか。俺が早く来すぎたのがいけなかったわけね。
しばらく互いに無言のままでいる。
絡まった長い髪を梳くのにキンタローは夢中になっていた。
いったん、集中すると手に負えない。
やめろといってもやめない。昨夜がそうだ。嫌だといっているのに口唇ばかり舐めやがって。
ああ、もう考えるなと思ってても駄目だ。
こんな近くにいたらついつい考えちまう。
くすぐったい。熱い息が耳朶をかすめる。
「できたぞ」
ふっと息をついてキンタローが言った。
俺は絡まっててもかまわなかったんだがな。
ある意味拷問だったぞ。
一応、ああと答えるとキンタローが感嘆したように続ける。
「やっぱりお前の髪は綺麗だな。綺麗だし指に吸いつくようだ。
俺は自分の髪よりもお前の髪を触っているのが好きだな」
本当に綺麗だ、とキンタローは繰り返す。
「そういうことは今じゃなくて夜言え。夜だ!今は朝だろーが」
「綺麗なものを綺麗と言って何が悪い」
ああ、こいつは。そういう問題じゃねぇんだよ。
恥ずかしいだろうが。
真っ赤になって怒鳴ってやると、キンタローはさらに俺の怒りに油を注ぐようなことを言い出した。
「ああ、そうか。昨夜言い足りなかったのか」
悪かったな。次はもっとちゃんとおまえのこと褒めてやるから。
「っば、馬鹿!ちげぇよ。どうしたらそういう考えになるんだよ」
言うな。あれ以上、ヤりながらなんか言うのは止めろ。
大体、お前はヤってるとき人のことグダグダ言うなよ。
ぎゃあぎゃあ喚いて訴えると、こいつは目を見開いた。
「それは集中しろ、ということか」
だから違うって言ってんだろーが!!
精神的に疲労を感じて脱力してしまう。
なんでわかんねぇんだよ。頭いいわりに馬鹿じゃねぇのか、おまえ。
はぁっと深く溜息をつくと、
「シンタロー」
と呼ばれる。はいはい、今度はなんだよ。
視線を合わせると思ったよりもずっと近くにキンタローがいた。
あ、と思った瞬間にはするりとヤツの舌が入ってくる。
口腔内を探るようになぞり、逃げようとする俺の舌を絡めとる。
互いに相手の首に手を回して角度を変えて何度も舌を絡めた。
気持ちいい。
夢中になって続けていると耳に電子音が短く響いた。
キンタローの腕時計だ。セットしていたのかと思っていたが、はっと気がつく。
集合の五分前かよ!
瞑っていた眼を開いて我に返る。こんなことしてる場合じゃない。
急いで口を離すとつぅっと唾液が糸のように引いた。
それを断ち切るように今度はちゅっと音を立てて啄ばむようにキスされる。
昨夜のように濃密な口づけをされて頭がどこかぼぉっとする。
ああ、まだ朝だっていうのに。
今日一日、お前のことで頭いっぱいになっちまうじゃねぇか。
なんてことしてくれたんだよと思っていると、キンタローはまた余計な一言を口にした。
「機嫌は直ったか」
「お、おまえな!他のヤツラに見られたらどうするんだよ」
一気に眼が覚めるような感じがする。
「こんなこと誰かに見せる必要なんてないだろう」
お前が見られたいのなら別だが?
口角を上げて言うコイツが憎らしい。
ああ、むかつく。少しはその表情くずせよ。
■SSS.8「おいしい生活」 キンタロー×シンタローブラインドを上げると朝の光が目にしみた。
昨夜一緒に過ごした相手はいくつも取り寄せている新聞をめくっていた。
「もう起きていたのかよ」
起こしてくれればよかったのに、口を尖らせて文句を言うと、
「よく眠っていたようだったからな」
と返ってくる。
そりゃそうだ。お前がなかなか離さねぇからぐっすり眠っていたんだ。
「コーヒー入っているぞ」
活字に目を向けたまま、コーヒーメーカーの方角を指差す。
こいつはコーヒーが好きだ。朝は当然飲むし、研究の合間やおやつの時間にも飲んでいる。
そんなに飲んで胃が痛くなんねぇのかな。
わずかに飲み残して冷め切ったキンタローのカップを取り上げると嫌そうに眉を顰めた。
時計の針は10時を過ぎていた。
朝食というより昼に近い。
「なんか作るけどおまえも食うだろ」
「トーストだけでいい」
間髪いれずに答えが返ってくる。相変わらず目は活字を見ているままだ。
冷蔵庫を開けるとそこそこ食材は入っている。
パンや出来合いのつまみ、飲料類以外は全部俺が入れておいたものだ。
朝はコーヒーとトーストだけ、自炊するよりも外食で済ませがちな生活を心配して勝手に入れたのだったが。
まったく手付かずの状態で入れっぱなしの食材を一つずつ賞味期限を確かめていく。
卵とベーコンとレタス、トマト、ヨーグルト、使えそうなものをどんどんテーブルに出していく。
一瞬、活字を追っていた視線がこっちを見たが気にせずに調理に取り掛かる。
***
「できたぞ」
テーブルに湯気の立つ皿を置く。
俺専用のマグカップに熱い液体を注ぎ、ついでに空になっていたキンタローのカップにも注ぐ。
六分目程度に注いで、小鍋に沸かしておいたホットミルクを足した。
向かい合わせに席に着くと、ばさりと紙をたたむ音がした。
「シンタロー」
いただきますと箸を持ったとたんに、不可解な顔をしているキンタローが尋ねてきた。
「なんだよ」
冷めるから早く食えよ。
テーブルの上には、しゃきしゃきのサラダが置かれ、ベーコンエッグとインスタントのスープが湯気を立てている。
皿の上のトーストにはバターがすでに塗られていた。それを眺めながら、
「俺は朝はコーヒーとトーストだけでいいんだが…」
聞いていなかったのかという表情で問う。無視したに決まってるだろ。健康に悪い。
「もうブランチだけど、朝はしっかり食えよ」
「コーヒーがブラックじゃないのはどういうことなんだ」
「牛乳も飲め」
「…スープは必要ないんじゃないのか」
「賞味期限ぎりぎりだったんだよ」
「…そうか」
カチャカチャと食器が鳴る音と互いに咀嚼する音しか聞こえない。
この男は食事中はそれほど話さない。
黙々と口に運ぶ様子を見ながら、少しはうまいとかなんとか言えよと思う。
「シンタロー」
今度はなんだよ。またなんか文句つけるのか。
そりゃ、俺が勝手に作ったのが悪いんだろうけど、癪に障る。
食事中もベッドの中と同じくらい口を動かせっつうの。
「おいしかったぞ。ごちそうさま」
従兄弟が浸かると湯は溢れ、俺の足や服を濡らした。
「腕は濡らすなよ」
「分かっている」
従兄弟は目を瞑りながら答えた。温かい湯が心地よいようだ。
従兄弟の長い髪をひとまずゴムで括る。
遠征先で廃墟から崩れ落ちてきた瓦礫が左腕を直撃し、従兄弟は負傷した。
感染を避けるためしばらく濡らしてはいけないらしい。
風呂に浸かるには手当てをし、ビニールで腕を包まなくてはいけない。
利き腕ではないのでとくに支障はないと思っていたが、洗髪には不自由だと気付いた。
髪を洗うのにはどうするんだ?と聞くと従兄弟は一瞬考え込んで、俺を指名してきた。
親父にバレると毎日うるさい。ただでさえ、メシの時間に食べさせてあげるってしつこいんだ。
マジック伯父の従兄弟への溺愛ぶりは珍しくない。しかし、従兄弟は照れくさいのか拒絶する。
食事のときの伯父と従兄弟の騒ぎを思い出すと苦笑してしまう。
従兄弟に睨まれ、悪かったなと口にした後、俺は従兄弟の髪を洗うことを承諾した。
とくに異存はなかったのだ。
勝手が分かる俺の部屋で行うことにした。
熱すぎずぬるすぎない程度の湯をバスタブに溜め、従兄弟が温まっているうちに洗ってしまうという方法だ。
最期にシャワーを浴びればいいし、風邪をひかなくてよい。
従兄弟はただバスタブに浸かっていれさえすればいいのだ。
あったかいなぁ、と従兄弟はくつろいでいた。足も手も力を抜いて伸ばしている。
遠征に行くとゆっくり風呂に入ることもできない。こんなにリラックスしている従兄弟ははじめてだ。
「髪、結ぶからな」
「ああ」
眼を閉じて、俺が髪をまとめやすいように従兄弟は顔を下に向ける。
長い髪。黒い糸のような髪の奔流。裸の背とあらわになったうなじは白。
コントラストのような美しさ。
従兄弟の髪は長い。背を流れる髪は滝のようだ。
括っていくらかすっきりとした髪に引っかからないように慎重にシャンプーハットを被せる。
「おまえ、そんなもん使ってんのか?」
被せた途端に見上げるように聞いてきた。
「便利だからな。眼に沁みなくていい」
括っていたゴムを解きながら答える。シャワーの湯をかけると黒い髪はしっとりと濡れた。
子どもが使うもの、といった先入観があるのだろう。そうだなぁ、と従兄弟は呟いている。
意外と便利なんだぞ、コレは。
そう思いつつ、掌にシャンプーを出す。
とろりとした乳白色の冷たい液。従兄弟の髪にもみこむように泡立てていく。
爪を立てないように指の腹で擦っていく。あまり力を入れていないのと他人に弄られる感触がくすぐったいらしい。
従兄弟は身を捩る。
「大人しくしろ」
くすぐったいのならば、と今度は指先に力を込めた。
がしがしと泡立てると、小さな飛沫とともに泡が浮かんだ。
ふわりふわり。
ふわりふわり。
まるい乳白色のような虹色のような泡。
ふわふわと浮かんではバスルームの壁に消えていく。
「シャボン玉みたいだな」
飛んできたまるい泡をつつきながら従兄弟が言う。
「ああ、そうだな」
ふわりふわり。
ふわりふわり。
はじけて消えるシャボンの泡は、ふわりふわりと飛んでは宙に消えていく。
従兄弟は泡に夢中で。
俺は従兄弟に夢中で。
シャボンの香りに包まれながら俺たちは束の間のやすらぎを得る。
従兄弟の傍はたとえ戦場でも心地よいけれども、こんなふうに穏やかに過ごすのも悪くないと思った。
■SSS.2「嫉妬」 キンタロー×シンタロー+マーカー×アラシヤマ叔父が訪れるたびに従兄弟は彼と派手な喧嘩をする。
掴みあいは勿論のこと、ときには眼魔砲を繰り出して建物を破損することもある。
そのたびに自分と四人組と叔父の部下達とで二人をなだめすかすのだ。
今日も久しぶりに訪れた叔父と従兄弟はやりあっていた。総帥室の扉は半壊。調度品も荒らされている。
(窓が吹き飛ばなかっただけましか…)
後片付けをしなければと考えているときに、室内にきんきんとした声が響いた。
従兄弟の方を見やると、彼のところにアラシヤマがいた。
怪我は無いのかと聞く彼に従兄弟はぞんざいな口調で答えている。
あの島から帰ってきて、従兄弟の一番近くにいるのは俺だ。
だが、従兄弟はときに俺よりもアラシヤマといる時がある。
もっとも、それは今のように従兄弟がしつこく纏わりつくアラシヤマに怒鳴り返している関係でしかないが。
不愉快なのだ。アラシヤマの存在が。
向こうは向こうでシンタローに一番近い俺を煙たがっている。
俺は俺でシンタローに近づくヤツが気に入らない。
大体にして方便でも友人関係をシンタローが結んだのが悪い。その事実がアラシヤマを調子付かせている。
「随分と不機嫌そうですね」
気配を感じさせない足取りで近づくなり声をかけてくる。
この男はマーカーだ。アラシヤマの師匠。叔父の部下だ。あの島では行動を共にしていたこともある。
「ああ」
不機嫌なんてものじゃない。
憮然とした表情で答えると彼は少し笑った。
「貴方がそのような表情をしているのは珍しい。まるで隊長のようですよ」
細い目をより細めて彼は言う。口には笑みが浮かんだままだ。
叔父に似ているといわれたのは初めてだ。
俺が不愉快そうな表情をしているとき、たいてい高松やマジック伯父は父に似ていると言う。
細い目と同じように細い指で彼は煙草を取り出していた。
器用に指先に小さな炎を灯し、火を点けている。
「お前の弟子は不愉快だ」
どうにかしろ、と言外に滲ませて訴えかけると、彼は「馬鹿弟子が…」と低く呟いた。
まったくそのとおりだ。師匠なら何とかしてほしい。
「アイツがシンタロー以外に執着するのならかまわない。
誰か他に友達になりそうなのはいなかったのか」
この男がアラシヤマを育てていたと聞いている。アラシヤマを一番知っているのはこの男だろう。
口に咥えていた煙草を外すなり、彼はそんなもの…と吐き捨てる。
そして、彼は歪んだ愛情を瞳に宿しながら言葉を続けた。
「いませんよ」
あれを友人にしたい人間なんていません。いるわけがないのです。
あれに友人ができないように躾けたのは他ならぬこの私なのですから。
キンタロー様には申し訳ありませんが、新総帥をしっかり掴まえていただくしかありませんね。
紫色の煙を吐き出しながら彼は嘲笑った。
「なら、おまえはシンタローがヤツの友達になるのは認めていないんだな」
この中国人がヤツにどう躾けたのかなんて興味はない。
俺の興味はシンタローだけだ。俺のものだ。他のヤツに手出しは許さない。
「ええ。私はそもそもあれに近しい人間は私だけでいいと思っているのですから」
ガンマ団にいるのも許せないくらいなのです。士官学校に入るまでは、あれは私と二人だけでいたのですから。
二人だけ、と口にしたときこの男は懐かしむように一瞬目を細めた。
「私のあれに対する感情は独占欲で占められているのですよ。貴方もお分かりでしょう」
独占欲と目の前の中国人は言った。
ああ、そんな感情くらい分かっている。
「あれが私以外の誰かに目を向けるのは我慢がならないのですよ」
貴方もお分かりでしょうと再び彼は口にする。
ああ、分かるさ。俺は分かっている。
俺もこいつと同じように相手に独占欲を感じていることも。
俺がアラシヤマに嫉妬を抱いたように、マーカーもまたシンタローに嫉妬を抱いていることなど。
そんなこと分かっている。
だけど、どうしようもないじゃないか。この苛立たしい気持ちは。■SSS.6「a secret operation room」 キンタロー×シンタロー「口唇が荒れている」
軍用艦のコックピットで顔を合わせるなりヤツはそう言った。
しばらくは安全な空域であることと乗組員の疲労を取るために自動操縦にしてある。
エマージェンシーコールが響かない限り此処には誰も来ない。
ゆっくりと休養をとって新たな戦場に行くために室内は快適な温度に保たれている。
決して乾燥しているわけじゃない。
「痛くはないのか」
手を伸ばして触れてきた。
ささくれだった下唇をなぞられると少し痛い。
目の前の男が触れたところがジンジンとする。
俺の体温よりも低いひやりとした指先。
口唇の輪郭をなぞるような動きに思わず昨晩のことを思い出してしまう。
口唇が荒れてるのなんてあたりまえだろ。お前が昨日舐めてばかりいたからじゃねぇか。
あちこち痕つけやがって。ブレザーの下のシャツ、きっちり釦留めるハメになっちまったんだぞ。
ったく、体が重てぇ。
休むどころかかえって疲れちまっただろうが。しつこくしやがって。
じっと睨むとどうしたと聞かれる。
どうしたじゃねぇよ、おまえが悪いんだよ。
涼しい顔しやがって。
だいたい、ヤってる最中もその表情はねぇだろうよ。俺だけ気持ちよくなってるみたいじゃねぇか。
考えるな。
思い出すな。
火照ってくる頬を冷まさせようと必死に違うことを考えようとする。
考えるな。
思い出すな。
頭の中で言い聞かせるようにしても、それでも目の前の男が、情事の最中が甦ってくる。
だいたい、二人だけでいるのがいけねぇんだ。
へんに意識しちまうじゃないか。
明け方に部屋に戻ったんなら、時間ずらして来いよな。
もっとも、それはあと何分かで破られる。
そろそろ依頼された893国の領空内に近づくのだ。
あと少しで集合時間になるからどん太たちもここに来るだろう。
あーはやく来ねぇかな。
ぐしゃぐしゃと髪をかき回すと、キンタローが眉を顰めた。
すぐさま絡まった髪を手櫛で梳きはじめる。
「ずいぶんと機嫌が悪いようだな」
至近距離で話しかけてくる。
ああ、もうお前は口を開くなよ。
髪の毛いじんのはかまわねぇけど、息が当たるんだよ。
「お前がこんなに早くに集合するのは珍しいな」
だが、五分前ならともかくまだ時間には早いぞ。当分、他のヤツラも来ない。
「じゃ、なんでお前は来てるんだよ」
お前が時間にうるさいのは知ってるけどよ。お前こそ五分前に来ればいいじゃねぇか。
「俺は、自動操縦を切り替えたり本部で起こったことをチェックしなくてはならないからな」
ああ、そうですか。俺が早く来すぎたのがいけなかったわけね。
しばらく互いに無言のままでいる。
絡まった長い髪を梳くのにキンタローは夢中になっていた。
いったん、集中すると手に負えない。
やめろといってもやめない。昨夜がそうだ。嫌だといっているのに口唇ばかり舐めやがって。
ああ、もう考えるなと思ってても駄目だ。
こんな近くにいたらついつい考えちまう。
くすぐったい。熱い息が耳朶をかすめる。
「できたぞ」
ふっと息をついてキンタローが言った。
俺は絡まっててもかまわなかったんだがな。
ある意味拷問だったぞ。
一応、ああと答えるとキンタローが感嘆したように続ける。
「やっぱりお前の髪は綺麗だな。綺麗だし指に吸いつくようだ。
俺は自分の髪よりもお前の髪を触っているのが好きだな」
本当に綺麗だ、とキンタローは繰り返す。
「そういうことは今じゃなくて夜言え。夜だ!今は朝だろーが」
「綺麗なものを綺麗と言って何が悪い」
ああ、こいつは。そういう問題じゃねぇんだよ。
恥ずかしいだろうが。
真っ赤になって怒鳴ってやると、キンタローはさらに俺の怒りに油を注ぐようなことを言い出した。
「ああ、そうか。昨夜言い足りなかったのか」
悪かったな。次はもっとちゃんとおまえのこと褒めてやるから。
「っば、馬鹿!ちげぇよ。どうしたらそういう考えになるんだよ」
言うな。あれ以上、ヤりながらなんか言うのは止めろ。
大体、お前はヤってるとき人のことグダグダ言うなよ。
ぎゃあぎゃあ喚いて訴えると、こいつは目を見開いた。
「それは集中しろ、ということか」
だから違うって言ってんだろーが!!
精神的に疲労を感じて脱力してしまう。
なんでわかんねぇんだよ。頭いいわりに馬鹿じゃねぇのか、おまえ。
はぁっと深く溜息をつくと、
「シンタロー」
と呼ばれる。はいはい、今度はなんだよ。
視線を合わせると思ったよりもずっと近くにキンタローがいた。
あ、と思った瞬間にはするりとヤツの舌が入ってくる。
口腔内を探るようになぞり、逃げようとする俺の舌を絡めとる。
互いに相手の首に手を回して角度を変えて何度も舌を絡めた。
気持ちいい。
夢中になって続けていると耳に電子音が短く響いた。
キンタローの腕時計だ。セットしていたのかと思っていたが、はっと気がつく。
集合の五分前かよ!
瞑っていた眼を開いて我に返る。こんなことしてる場合じゃない。
急いで口を離すとつぅっと唾液が糸のように引いた。
それを断ち切るように今度はちゅっと音を立てて啄ばむようにキスされる。
昨夜のように濃密な口づけをされて頭がどこかぼぉっとする。
ああ、まだ朝だっていうのに。
今日一日、お前のことで頭いっぱいになっちまうじゃねぇか。
なんてことしてくれたんだよと思っていると、キンタローはまた余計な一言を口にした。
「機嫌は直ったか」
「お、おまえな!他のヤツラに見られたらどうするんだよ」
一気に眼が覚めるような感じがする。
「こんなこと誰かに見せる必要なんてないだろう」
お前が見られたいのなら別だが?
口角を上げて言うコイツが憎らしい。
ああ、むかつく。少しはその表情くずせよ。
■SSS.8「おいしい生活」 キンタロー×シンタローブラインドを上げると朝の光が目にしみた。
昨夜一緒に過ごした相手はいくつも取り寄せている新聞をめくっていた。
「もう起きていたのかよ」
起こしてくれればよかったのに、口を尖らせて文句を言うと、
「よく眠っていたようだったからな」
と返ってくる。
そりゃそうだ。お前がなかなか離さねぇからぐっすり眠っていたんだ。
「コーヒー入っているぞ」
活字に目を向けたまま、コーヒーメーカーの方角を指差す。
こいつはコーヒーが好きだ。朝は当然飲むし、研究の合間やおやつの時間にも飲んでいる。
そんなに飲んで胃が痛くなんねぇのかな。
わずかに飲み残して冷め切ったキンタローのカップを取り上げると嫌そうに眉を顰めた。
時計の針は10時を過ぎていた。
朝食というより昼に近い。
「なんか作るけどおまえも食うだろ」
「トーストだけでいい」
間髪いれずに答えが返ってくる。相変わらず目は活字を見ているままだ。
冷蔵庫を開けるとそこそこ食材は入っている。
パンや出来合いのつまみ、飲料類以外は全部俺が入れておいたものだ。
朝はコーヒーとトーストだけ、自炊するよりも外食で済ませがちな生活を心配して勝手に入れたのだったが。
まったく手付かずの状態で入れっぱなしの食材を一つずつ賞味期限を確かめていく。
卵とベーコンとレタス、トマト、ヨーグルト、使えそうなものをどんどんテーブルに出していく。
一瞬、活字を追っていた視線がこっちを見たが気にせずに調理に取り掛かる。
***
「できたぞ」
テーブルに湯気の立つ皿を置く。
俺専用のマグカップに熱い液体を注ぎ、ついでに空になっていたキンタローのカップにも注ぐ。
六分目程度に注いで、小鍋に沸かしておいたホットミルクを足した。
向かい合わせに席に着くと、ばさりと紙をたたむ音がした。
「シンタロー」
いただきますと箸を持ったとたんに、不可解な顔をしているキンタローが尋ねてきた。
「なんだよ」
冷めるから早く食えよ。
テーブルの上には、しゃきしゃきのサラダが置かれ、ベーコンエッグとインスタントのスープが湯気を立てている。
皿の上のトーストにはバターがすでに塗られていた。それを眺めながら、
「俺は朝はコーヒーとトーストだけでいいんだが…」
聞いていなかったのかという表情で問う。無視したに決まってるだろ。健康に悪い。
「もうブランチだけど、朝はしっかり食えよ」
「コーヒーがブラックじゃないのはどういうことなんだ」
「牛乳も飲め」
「…スープは必要ないんじゃないのか」
「賞味期限ぎりぎりだったんだよ」
「…そうか」
カチャカチャと食器が鳴る音と互いに咀嚼する音しか聞こえない。
この男は食事中はそれほど話さない。
黙々と口に運ぶ様子を見ながら、少しはうまいとかなんとか言えよと思う。
「シンタロー」
今度はなんだよ。またなんか文句つけるのか。
そりゃ、俺が勝手に作ったのが悪いんだろうけど、癪に障る。
食事中もベッドの中と同じくらい口を動かせっつうの。
「おいしかったぞ。ごちそうさま」
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