駅
男は、一枚の切符をくれた。
行き先のところに何も書かれていない。
“あなたの、行きたいところを書いてください”
礼だと言って渡したその男はどこかに消えた。
「どこに行っていたんだ」
気がついたら傍にキンタローが立っていた。
「いや。ちょっと人助けをな」
「まったく、ほいほいとどこかに行くな」
「ああ、気をつける」
見つからないように、シンタローは男からもらった切符をしまう。大きさは封筒よりも一回りか二回り小さいほど。
「行きたいところ、ね」
「どうかしたのか?」
小さく呟いたつもりが聞こえていたことに慌てて首を振る。
「いや、なんでもねぇよ」
「ならいいが…」
不審な顔をするキンタローにシンタローは笑ってみせる。
「急いでんだろ、早く行こうぜ」
「お前がいなくならなければこんなことにはならなかったんだぞ」
なおもぶつぶつというキンタローに気がつかれない様に後ろを振り返ったがそこには誰もいなかった。
帰ってきてから、隠した切符を出す。それは先ほどと同じように行き先の所には何も書かれていない。
しかし、出発駅に変化があった。
今、シンタローがいるホテルの一室の名前が書いてある。
慌てて裏返すが何があるわけではなく。ただ注意書きが書いてある。
もう一度表に返し、まじまじと読んでみる。
出発駅はこのホテル。行き先は無記名。期限は無期限。そして、その他のことは何も書かれていない。
今度は裏の注意書きを読む。
曰く、期限は無期限だが早めに使えとのこと。
曰く、行き先を書いた後、その場所から動いた瞬間に望んだ場所に行けるとのこと。
曰く、
「片道切符か」
もう、二度と帰ってこれないとのこと。
行きたいところ、と聞いて思い出すのはあの島。
目を閉じればあの常夏の島が思い出される。
感傷的な自分に笑ってしまうがどうしようもない。
ふと、あの島の名前を書いてしまおうかと考える。
名前はジャンから聞いた。
シンタローは第二のパプワ島とはそのままではないかと、感じたことを思い出した。
あの島に行ってそのまま帰ってこない。
それは、きっと自分にとって幸せなことであろうと、思った。
しかし…
思考は、ドアをたたく音によって中断される。
「俺だ」
短いその一言で誰の訪問かわかったシンタローはドアを開ける。
「なんかあったのか?」
「いや、ただ昼間のお前の反応が気になったからな」
開けたと同時に部屋に入ってくる相手に呆れながらも、苦笑した。
「いや、たいしたことねぇよ」
「そうか?」
そのまま椅子に座るキンタローに備え付けの冷蔵庫から取り出したビールを渡す。
自分も向かい合うように置いてある椅子に座ると取り出したもう一缶の開け、そのまま口をつける。
同じように口をつけたキンタローだが、やはり心配であった。
「本当に、なんでもないんだな」
念を押すその言葉にシンタローはまた苦笑する。
「ああ、なんでもねぇよ」
到底騙せない相手だが、こちらが喋る気がないことに関しては深く聞きだそうとしないため、大抵の場合はなんとかなる。
その相手がここまで気にするとは、そんなに顔に出ているのかとシンタローはまた笑った。
「俺ってそんなに信用されてねぇ?」
この一言にがキンタローに良く効くことをシンタローは知っている。
「そういうわけではないが…」
こちらを思いやる、キンタローの優しさをシンタローは度々利用する。
24年傍にいた分、こうした場合は放っておいて欲しいのだというシグナルを受け取ってくれると知っているからだ。
しかし、さらにこういった場合、あの島について考えているということまでわかっているということをシンタローは知らない。
そのせいでキンタローがどれだけ苦しんでいるのかも。
「…今日みたいに、どこかに行くなよ」
「気をつけるよ」
「本当だろうな」
そう念を押され、ふと頭に困らせてやれ、という考えが浮かぶ。
「なあ、もし好きなところにずっといられるとしたら、どこにいたい?」
一気に話題を変え、しかもイタズラわ仕掛ける子供のような顔をするシンタローにあっけにとられた。
「なあ、どこに行きたい?」
しかし、その眼は真剣で。
「お前は、あの島、か?」
逆に聞き返すがそれに答えはない。
「お前は?」
答えがない、ということは肯定であり。
仕方がなく、自分が行きたい場所を考えるが彼の人のように決まるわけでく。
その間、シンタローはこちらをじぃと見つめていた。
「…場所でなくてもいいのか?」
「は?」
どこに、と聞いたのに場所ではないとはこれいかに。
「もし、そうなら」
その一言を言うのに、少し勇気が要った。
「お前の隣だ」
これは場所ではなく、居場所。
でも、ずっといられるのなら、そこがいい。
それがキンタローの出した結論。
「それは、ありか?」
「お前が出した問題だ。自分で考えろ」
身を乗り出していたシンタローの体を自分の所に引き寄せるとキンタローはその耳元でそっと囁く。
「俺は、お前の傍がいいんだ」
その日の晩、シンタローは黒いインクで行き先を書いた。
そして、その紙をそばに置いてあった灰皿にちぎって入れるとマッチで火をつける。
行き先は決まっている。
でも、きっとこの手を離すことは出来ないから。
振り切ってその島に行くことはきっと一生ないから。
どこかで、ベルが鳴る
その音に静かに涙を流した
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