◆SSS1頁目
Click! 4:キンシン
5:キンシン
6:キンシン
8:キンシン
10:キン+ハレ
13:キンシン
18:キン+コタ
19:コタリキ
21:サビ+シン
22:キンシンTop■SSS.4「shampoo hat」 キンタロー×シンタローバスタブには湯がなみなみと張っている。
従兄弟が浸かると湯は溢れ、俺の足や服を濡らした。
「腕は濡らすなよ」
「分かっている」
従兄弟は目を瞑りながら答えた。温かい湯が心地よいようだ。
従兄弟の長い髪をひとまずゴムで括る。
遠征先で廃墟から崩れ落ちてきた瓦礫が左腕を直撃し、従兄弟は負傷した。
感染を避けるためしばらく濡らしてはいけないらしい。
風呂に浸かるには手当てをし、ビニールで腕を包まなくてはいけない。
利き腕ではないのでとくに支障はないと思っていたが、洗髪には不自由だと気付いた。
髪を洗うのにはどうするんだ?と聞くと従兄弟は一瞬考え込んで、俺を指名してきた。
親父にバレると毎日うるさい。ただでさえ、メシの時間に食べさせてあげるってしつこいんだ。
マジック伯父の従兄弟への溺愛ぶりは珍しくない。しかし、従兄弟は照れくさいのか拒絶する。
食事のときの伯父と従兄弟の騒ぎを思い出すと苦笑してしまう。
従兄弟に睨まれ、悪かったなと口にした後、俺は従兄弟の髪を洗うことを承諾した。
とくに異存はなかったのだ。
勝手が分かる俺の部屋で行うことにした。
熱すぎずぬるすぎない程度の湯をバスタブに溜め、従兄弟が温まっているうちに洗ってしまうという方法だ。
最期にシャワーを浴びればいいし、風邪をひかなくてよい。
従兄弟はただバスタブに浸かっていれさえすればいいのだ。
あったかいなぁ、と従兄弟はくつろいでいた。足も手も力を抜いて伸ばしている。
遠征に行くとゆっくり風呂に入ることもできない。こんなにリラックスしている従兄弟ははじめてだ。
「髪、結ぶからな」
「ああ」
眼を閉じて、俺が髪をまとめやすいように従兄弟は顔を下に向ける。
長い髪。黒い糸のような髪の奔流。裸の背とあらわになったうなじは白。
コントラストのような美しさ。
従兄弟の髪は長い。背を流れる髪は滝のようだ。
括っていくらかすっきりとした髪に引っかからないように慎重にシャンプーハットを被せる。
「おまえ、そんなもん使ってんのか?」
被せた途端に見上げるように聞いてきた。
「便利だからな。眼に沁みなくていい」
括っていたゴムを解きながら答える。シャワーの湯をかけると黒い髪はしっとりと濡れた。
子どもが使うもの、といった先入観があるのだろう。そうだなぁ、と従兄弟は呟いている。
意外と便利なんだぞ、コレは。
そう思いつつ、掌にシャンプーを出す。
とろりとした乳白色の冷たい液。従兄弟の髪にもみこむように泡立てていく。
爪を立てないように指の腹で擦っていく。あまり力を入れていないのと他人に弄られる感触がくすぐったいらしい。
従兄弟は身を捩る。
「大人しくしろ」
くすぐったいのならば、と今度は指先に力を込めた。
がしがしと泡立てると、小さな飛沫とともに泡が浮かんだ。
ふわりふわり。
ふわりふわり。
まるい乳白色のような虹色のような泡。
ふわふわと浮かんではバスルームの壁に消えていく。
「シャボン玉みたいだな」
飛んできたまるい泡をつつきながら従兄弟が言う。
「ああ、そうだな」
ふわりふわり。
ふわりふわり。
はじけて消えるシャボンの泡は、ふわりふわりと飛んでは宙に消えていく。
従兄弟は泡に夢中で。
俺は従兄弟に夢中で。
シャボンの香りに包まれながら俺たちは束の間のやすらぎを得る。
従兄弟の傍はたとえ戦場でも心地よいけれども、こんなふうに穏やかに過ごすのも悪くないと思った。
■SSS.2「嫉妬」 キンタロー×シンタロー+マーカー×アラシヤマ叔父が訪れるたびに従兄弟は彼と派手な喧嘩をする。
掴みあいは勿論のこと、ときには眼魔砲を繰り出して建物を破損することもある。
そのたびに自分と四人組と叔父の部下達とで二人をなだめすかすのだ。
今日も久しぶりに訪れた叔父と従兄弟はやりあっていた。総帥室の扉は半壊。調度品も荒らされている。
(窓が吹き飛ばなかっただけましか…)
後片付けをしなければと考えているときに、室内にきんきんとした声が響いた。
従兄弟の方を見やると、彼のところにアラシヤマがいた。
怪我は無いのかと聞く彼に従兄弟はぞんざいな口調で答えている。
あの島から帰ってきて、従兄弟の一番近くにいるのは俺だ。
だが、従兄弟はときに俺よりもアラシヤマといる時がある。
もっとも、それは今のように従兄弟がしつこく纏わりつくアラシヤマに怒鳴り返している関係でしかないが。
不愉快なのだ。アラシヤマの存在が。
向こうは向こうでシンタローに一番近い俺を煙たがっている。
俺は俺でシンタローに近づくヤツが気に入らない。
大体にして方便でも友人関係をシンタローが結んだのが悪い。その事実がアラシヤマを調子付かせている。
「随分と不機嫌そうですね」
気配を感じさせない足取りで近づくなり声をかけてくる。
この男はマーカーだ。アラシヤマの師匠。叔父の部下だ。あの島では行動を共にしていたこともある。
「ああ」
不機嫌なんてものじゃない。
憮然とした表情で答えると彼は少し笑った。
「貴方がそのような表情をしているのは珍しい。まるで隊長のようですよ」
細い目をより細めて彼は言う。口には笑みが浮かんだままだ。
叔父に似ているといわれたのは初めてだ。
俺が不愉快そうな表情をしているとき、たいてい高松やマジック伯父は父に似ていると言う。
細い目と同じように細い指で彼は煙草を取り出していた。
器用に指先に小さな炎を灯し、火を点けている。
「お前の弟子は不愉快だ」
どうにかしろ、と言外に滲ませて訴えかけると、彼は「馬鹿弟子が…」と低く呟いた。
まったくそのとおりだ。師匠なら何とかしてほしい。
「アイツがシンタロー以外に執着するのならかまわない。
誰か他に友達になりそうなのはいなかったのか」
この男がアラシヤマを育てていたと聞いている。アラシヤマを一番知っているのはこの男だろう。
口に咥えていた煙草を外すなり、彼はそんなもの…と吐き捨てる。
そして、彼は歪んだ愛情を瞳に宿しながら言葉を続けた。
「いませんよ」
あれを友人にしたい人間なんていません。いるわけがないのです。
あれに友人ができないように躾けたのは他ならぬこの私なのですから。
キンタロー様には申し訳ありませんが、新総帥をしっかり掴まえていただくしかありませんね。
紫色の煙を吐き出しながら彼は嘲笑った。
「なら、おまえはシンタローがヤツの友達になるのは認めていないんだな」
この中国人がヤツにどう躾けたのかなんて興味はない。
俺の興味はシンタローだけだ。俺のものだ。他のヤツに手出しは許さない。
「ええ。私はそもそもあれに近しい人間は私だけでいいと思っているのですから」
ガンマ団にいるのも許せないくらいなのです。士官学校に入るまでは、あれは私と二人だけでいたのですから。
二人だけ、と口にしたときこの男は懐かしむように一瞬目を細めた。
「私のあれに対する感情は独占欲で占められているのですよ。貴方もお分かりでしょう」
独占欲と目の前の中国人は言った。
ああ、そんな感情くらい分かっている。
「あれが私以外の誰かに目を向けるのは我慢がならないのですよ」
貴方もお分かりでしょうと再び彼は口にする。
ああ、分かるさ。俺は分かっている。
俺もこいつと同じように相手に独占欲を感じていることも。
俺がアラシヤマに嫉妬を抱いたように、マーカーもまたシンタローに嫉妬を抱いていることなど。
そんなこと分かっている。
だけど、どうしようもないじゃないか。この苛立たしい気持ちは。■SSS.6「a secret operation room」 キンタロー×シンタロー「口唇が荒れている」
軍用艦のコックピットで顔を合わせるなりヤツはそう言った。
しばらくは安全な空域であることと乗組員の疲労を取るために自動操縦にしてある。
エマージェンシーコールが響かない限り此処には誰も来ない。
ゆっくりと休養をとって新たな戦場に行くために室内は快適な温度に保たれている。
決して乾燥しているわけじゃない。
「痛くはないのか」
手を伸ばして触れてきた。
ささくれだった下唇をなぞられると少し痛い。
目の前の男が触れたところがジンジンとする。
俺の体温よりも低いひやりとした指先。
口唇の輪郭をなぞるような動きに思わず昨晩のことを思い出してしまう。
口唇が荒れてるのなんてあたりまえだろ。お前が昨日舐めてばかりいたからじゃねぇか。
あちこち痕つけやがって。ブレザーの下のシャツ、きっちり釦留めるハメになっちまったんだぞ。
ったく、体が重てぇ。
休むどころかかえって疲れちまっただろうが。しつこくしやがって。
じっと睨むとどうしたと聞かれる。
どうしたじゃねぇよ、おまえが悪いんだよ。
涼しい顔しやがって。
だいたい、ヤってる最中もその表情はねぇだろうよ。俺だけ気持ちよくなってるみたいじゃねぇか。
考えるな。
思い出すな。
火照ってくる頬を冷まさせようと必死に違うことを考えようとする。
考えるな。
思い出すな。
頭の中で言い聞かせるようにしても、それでも目の前の男が、情事の最中が甦ってくる。
だいたい、二人だけでいるのがいけねぇんだ。
へんに意識しちまうじゃないか。
明け方に部屋に戻ったんなら、時間ずらして来いよな。
もっとも、それはあと何分かで破られる。
そろそろ依頼された893国の領空内に近づくのだ。
あと少しで集合時間になるからどん太たちもここに来るだろう。
あーはやく来ねぇかな。
ぐしゃぐしゃと髪をかき回すと、キンタローが眉を顰めた。
すぐさま絡まった髪を手櫛で梳きはじめる。
「ずいぶんと機嫌が悪いようだな」
至近距離で話しかけてくる。
ああ、もうお前は口を開くなよ。
髪の毛いじんのはかまわねぇけど、息が当たるんだよ。
「お前がこんなに早くに集合するのは珍しいな」
だが、五分前ならともかくまだ時間には早いぞ。当分、他のヤツラも来ない。
「じゃ、なんでお前は来てるんだよ」
お前が時間にうるさいのは知ってるけどよ。お前こそ五分前に来ればいいじゃねぇか。
「俺は、自動操縦を切り替えたり本部で起こったことをチェックしなくてはならないからな」
ああ、そうですか。俺が早く来すぎたのがいけなかったわけね。
しばらく互いに無言のままでいる。
絡まった長い髪を梳くのにキンタローは夢中になっていた。
いったん、集中すると手に負えない。
やめろといってもやめない。昨夜がそうだ。嫌だといっているのに口唇ばかり舐めやがって。
ああ、もう考えるなと思ってても駄目だ。
こんな近くにいたらついつい考えちまう。
くすぐったい。熱い息が耳朶をかすめる。
「できたぞ」
ふっと息をついてキンタローが言った。
俺は絡まっててもかまわなかったんだがな。
ある意味拷問だったぞ。
一応、ああと答えるとキンタローが感嘆したように続ける。
「やっぱりお前の髪は綺麗だな。綺麗だし指に吸いつくようだ。
俺は自分の髪よりもお前の髪を触っているのが好きだな」
本当に綺麗だ、とキンタローは繰り返す。
「そういうことは今じゃなくて夜言え。夜だ!今は朝だろーが」
「綺麗なものを綺麗と言って何が悪い」
ああ、こいつは。そういう問題じゃねぇんだよ。
恥ずかしいだろうが。
真っ赤になって怒鳴ってやると、キンタローはさらに俺の怒りに油を注ぐようなことを言い出した。
「ああ、そうか。昨夜言い足りなかったのか」
悪かったな。次はもっとちゃんとおまえのこと褒めてやるから。
「っば、馬鹿!ちげぇよ。どうしたらそういう考えになるんだよ」
言うな。あれ以上、ヤりながらなんか言うのは止めろ。
大体、お前はヤってるとき人のことグダグダ言うなよ。
ぎゃあぎゃあ喚いて訴えると、こいつは目を見開いた。
「それは集中しろ、ということか」
だから違うって言ってんだろーが!!
精神的に疲労を感じて脱力してしまう。
なんでわかんねぇんだよ。頭いいわりに馬鹿じゃねぇのか、おまえ。
はぁっと深く溜息をつくと、
「シンタロー」
と呼ばれる。はいはい、今度はなんだよ。
視線を合わせると思ったよりもずっと近くにキンタローがいた。
あ、と思った瞬間にはするりとヤツの舌が入ってくる。
口腔内を探るようになぞり、逃げようとする俺の舌を絡めとる。
互いに相手の首に手を回して角度を変えて何度も舌を絡めた。
気持ちいい。
夢中になって続けていると耳に電子音が短く響いた。
キンタローの腕時計だ。セットしていたのかと思っていたが、はっと気がつく。
集合の五分前かよ!
瞑っていた眼を開いて我に返る。こんなことしてる場合じゃない。
急いで口を離すとつぅっと唾液が糸のように引いた。
それを断ち切るように今度はちゅっと音を立てて啄ばむようにキスされる。
昨夜のように濃密な口づけをされて頭がどこかぼぉっとする。
ああ、まだ朝だっていうのに。
今日一日、お前のことで頭いっぱいになっちまうじゃねぇか。
なんてことしてくれたんだよと思っていると、キンタローはまた余計な一言を口にした。
「機嫌は直ったか」
「お、おまえな!他のヤツラに見られたらどうするんだよ」
一気に眼が覚めるような感じがする。
「こんなこと誰かに見せる必要なんてないだろう」
お前が見られたいのなら別だが?
口角を上げて言うコイツが憎らしい。
ああ、むかつく。少しはその表情くずせよ。
■SSS.8「おいしい生活」 キンタロー×シンタローブラインドを上げると朝の光が目にしみた。
昨夜一緒に過ごした相手はいくつも取り寄せている新聞をめくっていた。
「もう起きていたのかよ」
起こしてくれればよかったのに、口を尖らせて文句を言うと、
「よく眠っていたようだったからな」
と返ってくる。
そりゃそうだ。お前がなかなか離さねぇからぐっすり眠っていたんだ。
「コーヒー入っているぞ」
活字に目を向けたまま、コーヒーメーカーの方角を指差す。
こいつはコーヒーが好きだ。朝は当然飲むし、研究の合間やおやつの時間にも飲んでいる。
そんなに飲んで胃が痛くなんねぇのかな。
わずかに飲み残して冷め切ったキンタローのカップを取り上げると嫌そうに眉を顰めた。
時計の針は10時を過ぎていた。
朝食というより昼に近い。
「なんか作るけどおまえも食うだろ」
「トーストだけでいい」
間髪いれずに答えが返ってくる。相変わらず目は活字を見ているままだ。
冷蔵庫を開けるとそこそこ食材は入っている。
パンや出来合いのつまみ、飲料類以外は全部俺が入れておいたものだ。
朝はコーヒーとトーストだけ、自炊するよりも外食で済ませがちな生活を心配して勝手に入れたのだったが。
まったく手付かずの状態で入れっぱなしの食材を一つずつ賞味期限を確かめていく。
卵とベーコンとレタス、トマト、ヨーグルト、使えそうなものをどんどんテーブルに出していく。
一瞬、活字を追っていた視線がこっちを見たが気にせずに調理に取り掛かる。
***
「できたぞ」
テーブルに湯気の立つ皿を置く。
俺専用のマグカップに熱い液体を注ぎ、ついでに空になっていたキンタローのカップにも注ぐ。
六分目程度に注いで、小鍋に沸かしておいたホットミルクを足した。
向かい合わせに席に着くと、ばさりと紙をたたむ音がした。
「シンタロー」
いただきますと箸を持ったとたんに、不可解な顔をしているキンタローが尋ねてきた。
「なんだよ」
冷めるから早く食えよ。
テーブルの上には、しゃきしゃきのサラダが置かれ、ベーコンエッグとインスタントのスープが湯気を立てている。
皿の上のトーストにはバターがすでに塗られていた。それを眺めながら、
「俺は朝はコーヒーとトーストだけでいいんだが…」
聞いていなかったのかという表情で問う。無視したに決まってるだろ。健康に悪い。
「もうブランチだけど、朝はしっかり食えよ」
「コーヒーがブラックじゃないのはどういうことなんだ」
「牛乳も飲め」
「…スープは必要ないんじゃないのか」
「賞味期限ぎりぎりだったんだよ」
「…そうか」
カチャカチャと食器が鳴る音と互いに咀嚼する音しか聞こえない。
この男は食事中はそれほど話さない。
黙々と口に運ぶ様子を見ながら、少しはうまいとかなんとか言えよと思う。
「シンタロー」
今度はなんだよ。またなんか文句つけるのか。
そりゃ、俺が勝手に作ったのが悪いんだろうけど、癪に障る。
食事中もベッドの中と同じくらい口を動かせっつうの。
「おいしかったぞ。ごちそうさま」
……また作ってやるよ。お前がいらねぇって言っても。
トーストだけじゃ体に悪いしな。
甘いカフェオレがキンタローの喉を通っている。
二人の喉を甘く潤す。たまにはこういうのも悪くないだろ?■SSS.10「おさがり」 キンタロー+ハーレムもう秋だというのに降りしきる雨は温かい。
夏のものよりも幾分ぬるいとはいえ、やはり時間がたつと傘で防げなかった場所を徐々に熱を奪っていく。
うっかりとサンダルで外出してしまった所為か、足の先は冷えはじめている。
雨に降られるたびに買ってしまうビニール傘や隊員から奪い取った傘で玄関は溢れていた。
捨てるのもめんどくさくてそのままになっている。
切れた煙草とアルコール類を手に入れようと外まで買いに行くことにした。
ガンマ団の売店では踏み倒すことが多かった所為か最近では売ってくれないのだ。
たかる相手としてちょうどよい隊員達は帰省したり、島で受けた傷のために入院している。
仕方なしに適当に引き抜いた一本を手にコンビニに向かって、だらだらと時間をつぶしてガンマ団へと戻ってきたのだ。
小雨だった行きとは違い、帰りはシャワーのような雨へと変わっていた。
冷たく冷えた足はサンダルとの間がぐちゃぐちゃと濡れた感触がし、気持ちが悪かった。
部屋に帰ったらすぐに足を洗おうと、急いで歩みを進めると余計に足に雨や泥が入ってくる。
ちっと思わず舌を立てて、それまで足元ばかり見ていた視線をガンマ団の建物へと向けた。
(あと10メートルくらいか)
距離を測った後に金色のかたまりが目の中に飛び込んできた。
(あれは…)
金色のかたまりは、新しくできた甥だった。長兄の息子ではなく、真実は次兄の息子だった男。
シンタローと呼んでいたが、今は周囲にあわせてキンタローと呼んでいる青年。
ぼおっと立って雨を一心に浴びている。
目の前まで歩いていってもとくに反応を返さない。
「なにしてんだ」
声をかけても、しばらくは甥は空を一心に見つめていた。降り注ぐ雨をものともせず突っ立っている。
「…雨を見ていた」
「見るだけなら玄関でも部屋の窓でもいいだろう」
風邪引くぞ、もう中に入れと促しても甥は動こうとしない。
「はじめは窓から見ていたんだ」
だったらそのまま見てればいいじゃねぇか。雨なんて見ていてなにがおもしろいんだか、誰も止めるヤツいなかったのかよ。
「雨は知っていた。アイツの中でも見ていたし、もっと強い雨と風で揺れる日があることも知っている。
雨に濡れるのはどんな感じなのか興味があった」
シャワーとはちょっと違うんだな。
ああ、そうだ。
コイツは今までなにもかも自分自身で感じることがなかったのだ。
つまらないものやくだらないもの、あたりまえのものさえ新鮮なのだろう。
その事実に思い当たった時、少し胸が痛んだ。
甥は空に手をかざし、濡れたてのひらを見つめている。
地面と同じように小さな水たまりができていた。けれど、それはすぐに手首や、指の腹をつたって流れていく。
肌にはりついた金色の髪はじっとりと雨水を吸って、兄の薄い金髪よりも俺のような濃い色になってしまっていた。
こうして見ていると兄貴にあんま似てねぇな。
髪を切ったらどうかは分からないが、濡れる前の長い髪は獅子の鬣のようだ。
サービスのような流れる髪ではない。俺のように癖がある髪質をしている。
手を伸ばすと甥は目をまるくした。触るとすっかり冷たくなっている。
濡れそぼった髪をがしがしと掻き回してやると、嫌がって手を払ってきた。
ぶるぶると頭を振っている。犬のようだ。
おかしさをこらえて、傘に入れてやると不思議な顔をしていた。
「どうした、キンタロー」
「ハーレムが濡れる」
透明なビニールが雨を弾く様子はとくに興味がなかったようだ。
「これなら濡れねぇで雨が見れるだろ」
本当だ、と甥は呟いていた。
「傘はシンタローが貸してくれた」
甥の指差す方向、玄関にはモスグリーンの傘が立てかけてあった。Gのマークが入っているやつだろう。
雨が見れないから差すのを止めたのだ、と続ける。
そりゃそうだな、と返してやるとうすく笑う。その表情は次兄が幼い俺をなだめるときの表情と似ていた。
「あんま兄貴に似るんじゃねぇぞ」
「父さんにか?」
「ルーザー兄貴だけじゃなくて、一族のヤツラに似るなってことだ。不器用な男になるからな」
この傘はおまえにやるよ。好きなだけ雨を見ていろ。風邪引く前に入らねぇと高松に怒られっぞ。
ぽんぽんと頭を叩いて、甥のてのひらに傘を握らす。
甥は目を見開いていた。
「ハーレム?」
「おまえ、傘ねぇんだろ」
シンタローの傘を借りたくらいだから。この甥にはまだ私物というものはないのだ。
「俺は、んなもん部屋にいっぱい転がってるからよ」
おさがりにしてやる。俺も昔は兄貴達のおさがりをもらったもんだ。
「…おさがり」
不思議そうに甥は何度も確かめるように呟いていた。
「おさがりははじめてだろ?それはもうおまえのものだ」
じゃあな、と手をひらひらさせて玄関へと向かう。
礼を言う、という声が後ろから聞こえた。
そういうときはありがとうって言うもんだ。
まあ、俺にはどうだっていいけどよ。
おさがりだろうがなんだろうが、おまえはこれから自分のものを増やしていけばいい。
時間は取り戻せないけれど、思い出を積み立てていくことはできるだろ?■SSS.13「ガラスのシャワー」 キンタロー×シンタロー何かが頬を掠めた。その瞬間、焼け付くような熱と圧し掛かる力を感じた。
「シン…」
俺に圧し掛かかり床へと押さえつける従兄弟は名を呼ばせなかった。
「黙れよ」
起き上がるな、と声を潜めて言う。
頬はいまだ熱を持っている。じくじくとした熱とわずかな痒みに眉を顰めてしまう。
状況はまだつかめていない。
此処へは商談で赴いたのだ。
「大統領は所要で席を外している、しばらくそこでお待ちください」
と案内役の軍人に言われ、ガラス張りの執務室へと従兄弟と二人通されたのだ。
部下達は皆、此処に辿り着くまでに体よく追い払われている。
この部屋に通されるまでの様子もそもそもおかしかった。
ぎらついた殺気を隠しきれない軍人や不穏な目つきの秘書官たち。
人払いを望んでいると言われて、SPまでもが追い払われたのだ。
壁へと目を向けると蜘蛛の巣のように割れたガラスが目に付いた。
高層ビルが林立したこの地区においてガラス張りの部屋を狙い済ますことなど容易いことだろう。
クリーンな政治をアピールしたこの部屋が仇となった。
四方八方がガラス張りのこの部屋では俺と従兄弟は格好の標的だ。
折り重なって伏せたまま、神経を研ぎ澄ませ、敵の気配に集中する。
きらりと白いひかりが前方で光った。肩越しに従兄弟に「眼魔砲を撃つ」と囁く。
同意ととともに俺の上に乗る従兄弟も手を構えるのが見て取れた。
左右には敵の気配は感じられない。周囲をすべて囲むのではなく、挟み撃ちにしようと考えたのだろう。
俺と従兄弟の二人だけを始末すればいいのだから、その分待機している部下たちへと暗殺者が殺到しているに違いない。
再び、視界にきらめきが映った。
間髪いれずに意識を掌へと向ける。片方の瞳に力が漲るのを感じる。
「「眼魔砲」」
呼吸を合わせた訳でもないのに、声が重なる。
まるで双子のように、いや従兄弟は俺にとってそれ以上の絆を持った存在なのだ。
俺たち二人の体を包み込むように青白いひかりが辺りを照らす。
爆発音とともにガラスが盛大に割れる音が響いた。
ぱらぱらと天井のタイルが落ちてくる。室内の状況は惨々たる物だった。
同じタイミングで眼魔砲を撃ったこともあるのだろう。
あまりの衝撃に狙ってもいない左右のガラスまでもがひび割れている。
爆風によってガラスの破片もそこらじゅうに落ちていた。
上体を起こし、従兄弟を抱えなおす。
向かい合った形で俺の胸へともたれる姿勢になった従兄弟がそっと俺の頬を撫でた。
「弾、掠っただけだったな…」
銃弾は頬を掠めるだけで皮膚の下の血管までは切り裂かなかったようだ。
忘れていた頬の痛痒さが従兄弟の指によって甦ってくる。
手を伸ばし、指をそっとそこから外させる。
従兄弟の温かみが離れると、外気の冷たさを強く感じた。
「おまえに怪我がなければいい」
目の前の従兄弟の皮膚を裂いていたのなら、自分は眼魔砲の威力を容赦しなかっただろう。
隣のビルから狙った射撃犯の周囲だけでなく、ビルのすべてを瓦礫へと変えていただろうと思う。
温かな指を握り締めたまま、そう口にすると従兄弟は「馬鹿じゃねぇの」と言った。
「ガラス吹き飛んじまったな」
残念そうに従兄弟が呟いた。だが、それは仕方がないだろう。
襲撃されるまでの間、この部屋で従兄弟はしきりに展望台みたいだとはしゃいでいた。
よほどガラス張りの部屋が気に入っていたのだろうか。
「ガンマ団にも作るか?」
景色が一望できていい、と言っていた。そんなに気に入ったのならば、作らせればいいのにと思っていたのだ。
総帥である従兄弟が命じれば、すぐにでもそんな部屋はできるのだから。
「いらねぇよ」
狙われやすいし、こういうことできないだろ?
にやっと笑って従兄弟は俺の口を塞いできた。
いくらか長めのくちづけを楽しんでいると、ふいにジャケットの内側が震えた。
名残惜しげに離れ、携帯電話を取り出す。着信は部下からだった。
奇襲してきた敵は壊滅したと報告され、そちらはと振られたときには二人とも無事だとだけ言った。
従兄弟は立ち上がり、服の埃を払っていた。
部下からは、「すぐに車を回します。警察が動いたようですから」と電話越しに伝えられる。
短い通話を切り、俺も立ち上がる。
報告どおり警察が動いたようだ。遠くにサイレンとなにかをスピーカーで叫ぶ声が聞こえてくる。
「真下を歩いているヤツは何かと思っているだろうな~」
サイレンを耳にしながら従兄弟が言う。
大量のガラスが落ちてくるんだぜ?シャワーみたく。
きらきらして綺麗だっただろうな。
他愛のない彼の想像に俺は何も言わない。
ガラスのシャワーなど痛いだけだろうが、従兄弟が言うのならそれは綺麗な光景だったのだろう。
最後に部屋を振り返ると、ガラスがぽっかりとなくなってがらんどうの部屋が目についた。
どうかしたか?と怪訝そうに聞いてくる従兄弟にはなんでもないと答える。
「シンタロー、ガラスの破片に気をつけろ」
子ども扱いするなと、ふくれる従兄弟の前を俺は歩いていく。
俺が通った道ならば、安全だから。
部屋を出て、階段へと向かっていくと銃を構えた刺客が見えた。
狙うのなら、シンタローよりも俺を先に狙えばいい。俺は従兄弟のために傷つくことは厭わないのだから。■SSS.18「if」 キンタロー+コタロー「ボクでよかったの?」
会うなり、コタローはそう口にした。
いや、一族の人間だけで顔をあわせた時はそんなことをおくびにも出さなかった。
眠る前のひととき、俺が一人でいるのを見計らうようにこの子どもは話しかけてきたのだ。
「…よかったとは」
どういうことだ、と口にする前に子どもはまっすぐに見つめたままもう一度問いを発した。
「パパが助けたのがボクでよかったの?お兄ちゃんじゃなくてさ」
お兄ちゃんと、ここにはいない従兄弟のことを言及した時、子どもの瞳は揺れていた。
「シンタローは…よかったと思っているだろうな」
グンマも伯父も、とわずかに視線を落として口にするとコタローは些か強い口調で再び問うた。
「あなたはよかったの?」
「ああ」
シンタローがよかれと思ったことだから。
彼が選ばれていたのなら、きっと誰もが傷つくことになっただろうから。
伯父は後悔を、シンタローは罪悪感を、グンマは愛情のもたらす理不尽さによって。
「お前はどうなんだ」
「どうって?ボクは…パパがボクを優先したのは嬉しかったけれど、でも…」
お兄ちゃんはボクのせいで、と揺れた目で語った。
「シンタローは大丈夫だ。アイツは何度でも生き返る。島で仲良くやってるさ」
心にもない言葉を安心させるように口にするとコタローはほっとしたような顔をした。
「…ねえ」
「なんだ?」
「ボクの力が安定したら迎えに行こうね」
お兄ちゃんを、と少し照れた顔で口にすると「オヤスミっ」とぱたぱたと足音を立ててコタローは帰った。
よかったかだって?
そんなことを俺に聞かないでくれ。
どうしてそんな残酷な質問を口にするんだ。
あのとき、俺が先に行かなければシンタローではなく俺が島へと取り残されたかもしれない。
そうなっていれば、きっと皆幸せだった。単なる従兄弟の俺を迎えに行くのは焦らなくてもいい。
父と二人の兄に囲まれて、おまえはもっと幸せを感じたはずだ。
友との別れも消し飛ぶくらいに、家族から愛情をもらえただろう。
きっと、今頃幸せな家族ができていたんだ。あのとき、俺が先に行かなければ。
■SSS.19「ねえ、どうして?」 コタロー×リキッド今日もリキッドは肉料理を一品作る。
昨日もお肉だったのにな。
「ボク今日、お魚食べたい」と言うとちゃんと釣ってきてあると言われた。
じゃあ、それは?
アイツの分なの、と聞こうと思ったけどやめた。
鼻歌を歌いながら包丁を握るリキッドは楽しそうで。
ねえ、そんなにあのおじさんが来るのが待ち遠しいの?
あのヒト、ごはん食べに来るだけなのに。
なんか、やだなあ。
あ、いいにおいがしてきた。なんだろ?コーン?甘いにおいだ。
リキッドがカップを棚から出す。
そっか、今日はスープ作ったんだ。
コトコトと鍋の音が部屋に鳴る。
パプワくんとチャッピーとボクは大人しく席に着く。
食卓には部屋の人数分よりも多い食器が出ていた。
まだかなあ。
「お待ちどうさま~。ほらほら、できたぞ」
パプワもロタローも茶碗寄越せ、お盆に乗せていたおかず類と交換するべくリキッドが手を出した。
二人揃って茶碗を渡すとすぐによそって返してくれる。
リキッドがいつもの位置に座った。
「「「いただきます」」」
わぁう、とチャッピーの声も続く。
スープを一口飲むとコーンの甘さが口に広がった。クルトンはちょっぴり固くてしょっぱい。
でも、とってもおいしい。
おいしいな。リキッドのごはん。
「おいしいね、パプワくん」
「ん」
おいしいなあ。とっても幸せ。この時間が長く続けばいいのに。
でもダメ。さっきから遠くでどたどた響いてた音がどんどん近づいて来る。
アイツの足音だ。
いつもいつもごはん時にやってくる、あのおじさん。
リキッドが「ハーレム」って呼ばずに「隊長」って呼んでる人。
あ~あ。今日も来たのかよ。
「お~い。リッちゃん、メシ食わせろ」
「はいはい。隊長の分もできてますよ」
リキッドが立ち上がってさっき作っていた肉料理をコトっと食卓に置く。
ハーレムのための料理。レンズ豆とお肉のかたまりを煮込んだ料理。
なんか、やだなあ。このおじさんの食器もいつの間にか決まっていたし。
なんか、おもしろくない。
どうして毎日この人来るの?
どうして毎日リキッドはおじさんの分も作るの?
あ~あ。今日もやっぱり来たし。明日も来るんだろうな…。
やだなあ。なんで毎日来るんだよ。
あ、リキッドのヤツ…このお魚焦げてるじゃん。
おじさん用のお肉はほろほろ蕩けていて失敗なんてしていないのに。
「やっぱオマエのメシが一番だな」
そりゃそうだよ。リキッドのごはんはおいしいよ。
ボクのお魚だって焦げててもおいしいもん。
でも、なんでアンタ毎日来るの。
「ねえ?」
ん?なんだ、と肉にかぶりつきながらハーレムがボクを見る。
「ううん。なんでもない」
やっぱり言えない。
だって、ハーレムがおいしそうにご飯を食べているのを見るリキッドはうれしそうで…。
でも、やっぱり……。
ねえ?なんでアンタ毎日来るの。■SSS.21「ライオンと魔女」 サービス+シンタロー「それでね、おじさん」
私の愛しい甥っ子はハーレムから受けた手荒いスキンシップを一生懸命訴えてくる。
まったく、アイツも困ったヤツだ。子ども相手に本気になることもないだろうに。
「ホントやんなっちゃうよ!すぐぶつし。パパやおじさんと違って獅子舞みたいだしさ」
「獅子舞?」
「うん。そう思わない?ハーレムおじさんと一緒にいたお兄ちゃんたちがこっそり話してたよ。
獅子舞に似てるよね。髪の毛もぼわぼわだし、がーっと口開けるしさ」
くすくすと笑いながらシンタローが言う。
驚いた。
子どもの頃から双子の兄のことは「ナマハゲ」と呼んでからかったりしていたが。
獅子舞、ね。言いえて妙だな。
アイツの部下も面白いことを言う。
「たしかに似ているな」
紅茶に口をつけながら、同意すると甥はそうでしょ、と身を乗り出してきた。
「ああ、シンタロー。そんなに乗り出すんじゃない。お茶がこぼれてしまうよ」
「わ、ごめんなさい」
ぺこり、と首を下げて甥は再び大人しく席に着いた。
兄ではなくともその可愛らしい様子には思わず笑みがこぼれる。
「ふふ。それじゃあ、シンタローは獅子舞が嫌いかなのか?」
正月に見たんだろう、マジック兄さんが撮った写真を見せてもらったよ、と付け加えると彼はパッと顔を輝かせた。
「うん。パパがね。獅子舞呼んでくれたんだ。それでさ、おひねりあげたんだよ。獅子舞が口でくわえてくれた」
「ああ、写真で見たよ。グンマは泣き出していたね」
「グンマは泣き虫だから。僕は平気だったけどさ!」
得意げにシンタローは言った。
「獅子舞を見てハーレムを思い出したのかもしれないね。
グンマはこの前ハーレムにさんざんからかわれたと高松が言っていたよ」
十年来の友人は苦々しく私に話してくれた。
アナタからも言っておいてくださいよ、と眉間に皺を寄せていたが今更止められるような男でない。
甥っ子たちを苛めれば保護者が黙っていないのは重々承知だろうに帰るたびにちょっかいを出しているのだ。
シンタローは私の言葉に頷いた。
「うん。ハーレムおじさん、グンマの服が女みたいだって髪の毛引っ張ったりしたんだよ。
グンマのヤツびいびい泣いてさ、高松が飛んできたもん」
「ハーレムは高松に嫌味を言われただろうね」
「うん。ねちねちいろんなコト言われてたよ。あとさ、高松にヘンなお薬注射されてた 」
「ふ~ん」
なにを打ったんだ、高松のヤツ。
「でも次の日には相変わらず乱暴だったけどね。ホント、おじさんとは双子に見えないよ。ガサツだしさ」
「よく言われるよ」
「お正月だってお酒飲んでイビキかいててさ、パパに怒られたんだよ」
「マジック兄さんに?」
「うん。僕のお肉も勝手に食べたんだ」
「ああ、なるほどね」
長兄はこの子を溺愛しているし、どうせ酔ったアイツはこの子やグンマをさんざんからかったんだろう。
毎年毎年、懲りないヤツだ。
「まあ、楽しい正月だったならいいじゃないか」
「おじさんもいたらもっと楽しかったよ」
「そうは言われても私も都合があるからね」
あまりここには戻ってこないことにしている。
ここは、本部はあまりにも過去の記憶を意識させる。
兄弟の間に過去に起こったことを。
青春時代に起こったこと、死んだジャンのことを……。
「え~。う~ん。じゃあ、おじさん、お願い。来年はおじさんも来てよ!」
「考えておくよ」
ちぇ~、と甥は不満をこぼした。
私がこう口にするとき、たいてい望みが叶えられないのを分かってるからだろう。
ジュースの入ったコップから取り出したストローを小さく横に振りながら、甥は口を尖らせていた。
「そういえば、シンタロー」
「な~に?」
「シンタローはハーレムがライオンに似てると思うかい?」
「ライオン?」
「ああ、獅子舞…獅子はライオンだろう」
「う~ん。ハーレムおじさんは髪の毛もぼわぼわだし、大きい口でがーっと煩くするし、お肉も好きだけど…」
「似ていない、か」
「うん。ライオンとはちょっと違うかな」
「そうか」
ため息のような笑い声をこぼすとシンタローは怪訝そうに私を見る。
「どうかしたの?」
「ああ、実はね。おまえの死んだおじい様はライオンみたいな人だったんだよ」
笑いながらカップをソーサーに置く。
シンタローはストローを口にしたまま、目をまるくしていた。
「ライオンみたいだったの?それってハーレムおじさんよりおっきくて、うるさくて、怖かったの?」
「いや。怖くはなかったさ。
もっとも、私もハーレムも小さかったから叱られたことがなかっただけかもしれないけどね」
「え~。でもライオンみたいって……。パパは叱られたことあるのかなぁ」
ホントに怖くなかったの?とシンタローは尋ねる。
「マジック兄さんはどうだろうね。でも、怖くはなかったよ。滅多に帰ってこなかったから会うのがうれしかった。
大きくて、あたたかい腕で抱きしめてくれた。シンタローも兄さんが抱きしめてもらうだろう」
それと同じだよ、と言うとシンタローはよかったと口にした。
「よかった?」
「うん。パパもおじさんもおじいちゃんが怖い人だったらかわいそうだよ。
あ~あ。僕も会ってみたかったな。ライオンみたいだけどパパみたいに優しいひとなんだよね。」
「……そうだな」
この子を溺愛する長兄とは違った父親であったけれど。
父は、私たち4人を深く愛していた。
「ねえ、おじさん。おじいちゃんってパパみたいに遠くにお仕事しに行ってたの?」
「ああ、そうだよ。兄さんの方が本部にいるのが多いけどね。兄さんはシンタローといつも一緒にいるしね」
「うん!パパは今日も僕の好きなカレーを作ってくれるんだ」
「そうか。それはよかったね」
甥は満面の笑顔を浮かべた。
それから、「そうだ!」といいことを思いついたとばかりに私を見る。
「パパの作るカレーはおいしいんだよ。そうだ!おじさんも一緒に食べようよ。
いつもね、いっぱい作るとグンマと高松も呼ぶんだよ」
ねえ、いいでしょ、おじさん。
たまには皆でご飯食べたいんだ、とシンタローがねだる。
そのかわいらしい様子に、兄ではないが顔をほころばせながら、
「ああ、いいよ。たまには兄さんの料理も食べたいからね」
と言うと甥は歓声を上げた。
食事が終わり、しばらくするとシンタローは兄の膝で舟をこぎ始めた。
少し前にグンマは高松に連れられて帰ってしまっている。
グンマの前では、リードを取りたがり、背伸びをしているこの子もやはり子どもなのだ。
こっくりこっくり、揺れて、仕方がないといった表情の兄が抱きとめていた。
いつだったか、亡き父の部下は私達兄弟が父に抱きしめられている様を犬の親子に喩えていた。
いつだったか、兄は亡き父のことをライオンのようだったと評した。
目の前の兄と甥も同じ。
起きていたときは、甥はきゃんきゃんと吠える子犬のように私や兄に纏わりついていた。
兄と甥はじゃれ合い、駆け回る犬の親子のように仲良くしていた。
そして今。
部下の前ではライオンのように厳しい顔つきを見せる兄は目を細めている。
甥の黒髪をやさしく撫でて愛おしんでいる。
まるで、ライオンが仔をやさしく毛づくろいしているようだ。
シンタローがもぞもぞと兄の膝で動いた。
「眠いんだろう」と兄がやさしく囁く。
もぞもぞと動いていた甥は、目を擦り、こくりと頷いた。
「それじゃあ、もうオヤスミしようね」と兄が甥を抱き上げる。
シンタローを寝かしつけてくる、と私に言い、兄は抱っこしたまま部屋を出て行く。
立ち上がり、私の前を横切る時、の金色の髪がストーブの灯でちらちらと輝いた。
それは一瞬だけ揺らめいて、まるでライオンの鬣のように見えた。
ずいぶん甘いライオンだけれど、ね。■SSS.22「ホンネとタテマエ」 キンタロー×シンタロー DO本ネタです労働者の実情を知ることは、経営者にとって必要なことだ。
とくに従兄弟が後を継いでからは、ガンマ団の方針は百八十度転換している。
不満を持つ人間がいてもおかしくない。
ここらへんでガス抜きがてら調査することにした。
ここで出た意見を全部とはいえないものの参考にし、多少改善すればいいだろう。
シンタローを脅かすような輩が出てこられては困る。
早速、簡単な(3問しかないからどんな馬鹿でも飽きずに答えられるだろう)アンケートを作成し、各課に配布した。
表向きはガンマ団の現状を世間にアピールするためだ、と説明しておいた。
匿名だし、本音で書いてくれとも伝えてある。
どのような結果が出るのだろうか。楽しみだ。
***
あらかじめ期間は1週間とした。
遠征や出張に出ているものもいるし、すぐ書いて出せといったところで聞くようなやつはそんなにいない。
週の半ばからちらほらと提出されていたがそれらは机の上に放って置いた。
こういうのは一気に片付けた方がいい。
最終日の今日はすべての団員のものが揃っている。
さすがにガンマ団の団員全員だけあって量は多いが、徹夜すれば何とかなるだろう。
パソコンの画面は立ち上がった。はじめるか。
いつのまにか朝が明け、太陽のひかりが部屋に差し込んでくる。
一睡もしていない眼には、ちかちかと感じた。
淹れなおしたコーヒーに口をつけるものの、思考はクリアにならない。
戯れに叔父が置きっ放しにしていた煙草を手に取ったが、やめた。
ライターに火を灯した時、あの忌々しい根暗男を思い出したためだ。
いつのまにかスクリーンセーバーが作動していた画面を元に戻すとカラフルなグラフがパッと現れる。
その色とディスプレイのひかりも目にちかちかと沁みた。
設問は3つ設けた。円グラフが2つ、棒グラフが1つ結果として表示されている。
そしてそれらには無視できない回答があった。
改善すべきところ ……「総帥が全然本部にもどらない」12.7%
これは、まあいい。
組織の長たる総帥は本部でどっしりと構えることも必要だ。
シンタローの遠征は伯父貴よりも頻繁だから、そう感じる団員も多いのだろう。
ガンマ団についての見解 ……「総帥がカッコイイ」23.7%
……。
シンタローは仕官学校時代から目立っていた。
この結果は、腕っ節が強いだけでなく、友人も多いし、後輩の面倒を見ていたからだろう。
従兄弟の同窓も多くガンマ団で活躍している。
その積み重ねがこれなんだろう。
ガンマ団の美点 ……「総帥がシンタローさんであること」255人
……。
…………。
これも設問2と同じだろう。
だが……。
255人もの人間がシンタローに心酔してるのはいい。
組織が改革されていく中、彼を支える者は必要だ。
だが、あの根暗と同じ嗜好…いや思考の持ち主が潜在してることも言える。
そのうち、功を立てたら側近に取り立てるようアピールするものが出てくるに違いない。
昇進や待遇の要求は当然だが、これに関しては不快だ。
シンタロー直属のあの4人のように彼のすぐ傍で活躍できるのは名誉なことだろう。
そうなったら、あいつらのようにシンタローのために体を張って働いてくれるに違いない。
だが、それは喜ばしいことであると同時にあの根暗のように俺がシンタローに近づくのを邪魔をするヤツが増えるとも言える。
そうなったら、今より腹立たしく感じるだろう。
あの根暗一人ならあしらうのも簡単だが、徒党を組まれるとなると……。
ふむ。なるべく早めに手を打たないと。
シンタローに反旗を翻すような輩はいないようだが、これもある意味で困る。どうすればいいか…。
***
いくら考えてもいい案が思いつかない。
睡眠不足でクリアーでない思考では、ますます苛立ちが募るばかりだった。
おまけに部屋に差し込む明るい日差しも気に障る。
ディスプレイに反射して眼が痛くなった。
ちらつく窓からのひかりに焦れてカーテンを閉めようと立ち上がる。
すると、研究室の隅に貼られたガンマ団入団案内のポスターが目に入った。
白い歯を見せて笑うコージを真ん中にミヤギ、アラシヤマが写っている。
誰が貼ったんだ、と苛立ったが、ポスターに写っているのがシンタローでなくてよかった、と思いなおし剥がすのは自制した。
にっこり笑って手を差し出すシンタローが入団を呼びかけるようなものだったら世界各地から集まってしまっただろう。
それこそ彼の信奉者は255人できかなくなる。
カーテンを閉ざした後、ゆっくりと読んでみることにした。
そして、そこには俺の求めていた答えがあった。
◆勤務地/世界中:上司の胸一つで決まります。
これだ、と思った。
目障りなヤツは上司が遠征に召集すればいいのだ。
この場合の上司は俺だ。シンタローは細部は俺に任すことが多い。
シンタローに近づくヤツ、とくに根暗予備軍はこの手で行こう。
シンタローに信頼されていると思わせつつ、接触は低くすればいいのだ。
彼らはシンタローのため、ひいてはガンマ団のために働く。
シンタローはそれに満足する。
俺はシンタローの誰よりも傍で彼を支えることが出来る。
よし。この手で行こう。
それなら現時点での信奉者を確認しておく必要があるな。
まだ先のことだと思っているわけには行かない。
あの根暗男だってもともとはシンタローとは犬猿の中だったのだ。
備えあれば憂いなしだろう。
……。
しまった。匿名が仇となった。
提出日時と大まかな課しか分からない。
だが、まあいい。
それでもだいたいは把握できる。
これから台頭してきたらシンタローと俺にとって有益な人材か、シンタロー個人を崇拝するヤツかを見極めればいいだけだ。
よし、これでいこう。
ディスプレイの電源を落とし、朝食に向かうことにした。
爽やかな朝だ。 きっとシンタローが作るメシはいつもどおりうまい。←SSS Top
Click! 4:キンシン
5:キンシン
6:キンシン
8:キンシン
10:キン+ハレ
13:キンシン
18:キン+コタ
19:コタリキ
21:サビ+シン
22:キンシンTop■SSS.4「shampoo hat」 キンタロー×シンタローバスタブには湯がなみなみと張っている。
従兄弟が浸かると湯は溢れ、俺の足や服を濡らした。
「腕は濡らすなよ」
「分かっている」
従兄弟は目を瞑りながら答えた。温かい湯が心地よいようだ。
従兄弟の長い髪をひとまずゴムで括る。
遠征先で廃墟から崩れ落ちてきた瓦礫が左腕を直撃し、従兄弟は負傷した。
感染を避けるためしばらく濡らしてはいけないらしい。
風呂に浸かるには手当てをし、ビニールで腕を包まなくてはいけない。
利き腕ではないのでとくに支障はないと思っていたが、洗髪には不自由だと気付いた。
髪を洗うのにはどうするんだ?と聞くと従兄弟は一瞬考え込んで、俺を指名してきた。
親父にバレると毎日うるさい。ただでさえ、メシの時間に食べさせてあげるってしつこいんだ。
マジック伯父の従兄弟への溺愛ぶりは珍しくない。しかし、従兄弟は照れくさいのか拒絶する。
食事のときの伯父と従兄弟の騒ぎを思い出すと苦笑してしまう。
従兄弟に睨まれ、悪かったなと口にした後、俺は従兄弟の髪を洗うことを承諾した。
とくに異存はなかったのだ。
勝手が分かる俺の部屋で行うことにした。
熱すぎずぬるすぎない程度の湯をバスタブに溜め、従兄弟が温まっているうちに洗ってしまうという方法だ。
最期にシャワーを浴びればいいし、風邪をひかなくてよい。
従兄弟はただバスタブに浸かっていれさえすればいいのだ。
あったかいなぁ、と従兄弟はくつろいでいた。足も手も力を抜いて伸ばしている。
遠征に行くとゆっくり風呂に入ることもできない。こんなにリラックスしている従兄弟ははじめてだ。
「髪、結ぶからな」
「ああ」
眼を閉じて、俺が髪をまとめやすいように従兄弟は顔を下に向ける。
長い髪。黒い糸のような髪の奔流。裸の背とあらわになったうなじは白。
コントラストのような美しさ。
従兄弟の髪は長い。背を流れる髪は滝のようだ。
括っていくらかすっきりとした髪に引っかからないように慎重にシャンプーハットを被せる。
「おまえ、そんなもん使ってんのか?」
被せた途端に見上げるように聞いてきた。
「便利だからな。眼に沁みなくていい」
括っていたゴムを解きながら答える。シャワーの湯をかけると黒い髪はしっとりと濡れた。
子どもが使うもの、といった先入観があるのだろう。そうだなぁ、と従兄弟は呟いている。
意外と便利なんだぞ、コレは。
そう思いつつ、掌にシャンプーを出す。
とろりとした乳白色の冷たい液。従兄弟の髪にもみこむように泡立てていく。
爪を立てないように指の腹で擦っていく。あまり力を入れていないのと他人に弄られる感触がくすぐったいらしい。
従兄弟は身を捩る。
「大人しくしろ」
くすぐったいのならば、と今度は指先に力を込めた。
がしがしと泡立てると、小さな飛沫とともに泡が浮かんだ。
ふわりふわり。
ふわりふわり。
まるい乳白色のような虹色のような泡。
ふわふわと浮かんではバスルームの壁に消えていく。
「シャボン玉みたいだな」
飛んできたまるい泡をつつきながら従兄弟が言う。
「ああ、そうだな」
ふわりふわり。
ふわりふわり。
はじけて消えるシャボンの泡は、ふわりふわりと飛んでは宙に消えていく。
従兄弟は泡に夢中で。
俺は従兄弟に夢中で。
シャボンの香りに包まれながら俺たちは束の間のやすらぎを得る。
従兄弟の傍はたとえ戦場でも心地よいけれども、こんなふうに穏やかに過ごすのも悪くないと思った。
■SSS.2「嫉妬」 キンタロー×シンタロー+マーカー×アラシヤマ叔父が訪れるたびに従兄弟は彼と派手な喧嘩をする。
掴みあいは勿論のこと、ときには眼魔砲を繰り出して建物を破損することもある。
そのたびに自分と四人組と叔父の部下達とで二人をなだめすかすのだ。
今日も久しぶりに訪れた叔父と従兄弟はやりあっていた。総帥室の扉は半壊。調度品も荒らされている。
(窓が吹き飛ばなかっただけましか…)
後片付けをしなければと考えているときに、室内にきんきんとした声が響いた。
従兄弟の方を見やると、彼のところにアラシヤマがいた。
怪我は無いのかと聞く彼に従兄弟はぞんざいな口調で答えている。
あの島から帰ってきて、従兄弟の一番近くにいるのは俺だ。
だが、従兄弟はときに俺よりもアラシヤマといる時がある。
もっとも、それは今のように従兄弟がしつこく纏わりつくアラシヤマに怒鳴り返している関係でしかないが。
不愉快なのだ。アラシヤマの存在が。
向こうは向こうでシンタローに一番近い俺を煙たがっている。
俺は俺でシンタローに近づくヤツが気に入らない。
大体にして方便でも友人関係をシンタローが結んだのが悪い。その事実がアラシヤマを調子付かせている。
「随分と不機嫌そうですね」
気配を感じさせない足取りで近づくなり声をかけてくる。
この男はマーカーだ。アラシヤマの師匠。叔父の部下だ。あの島では行動を共にしていたこともある。
「ああ」
不機嫌なんてものじゃない。
憮然とした表情で答えると彼は少し笑った。
「貴方がそのような表情をしているのは珍しい。まるで隊長のようですよ」
細い目をより細めて彼は言う。口には笑みが浮かんだままだ。
叔父に似ているといわれたのは初めてだ。
俺が不愉快そうな表情をしているとき、たいてい高松やマジック伯父は父に似ていると言う。
細い目と同じように細い指で彼は煙草を取り出していた。
器用に指先に小さな炎を灯し、火を点けている。
「お前の弟子は不愉快だ」
どうにかしろ、と言外に滲ませて訴えかけると、彼は「馬鹿弟子が…」と低く呟いた。
まったくそのとおりだ。師匠なら何とかしてほしい。
「アイツがシンタロー以外に執着するのならかまわない。
誰か他に友達になりそうなのはいなかったのか」
この男がアラシヤマを育てていたと聞いている。アラシヤマを一番知っているのはこの男だろう。
口に咥えていた煙草を外すなり、彼はそんなもの…と吐き捨てる。
そして、彼は歪んだ愛情を瞳に宿しながら言葉を続けた。
「いませんよ」
あれを友人にしたい人間なんていません。いるわけがないのです。
あれに友人ができないように躾けたのは他ならぬこの私なのですから。
キンタロー様には申し訳ありませんが、新総帥をしっかり掴まえていただくしかありませんね。
紫色の煙を吐き出しながら彼は嘲笑った。
「なら、おまえはシンタローがヤツの友達になるのは認めていないんだな」
この中国人がヤツにどう躾けたのかなんて興味はない。
俺の興味はシンタローだけだ。俺のものだ。他のヤツに手出しは許さない。
「ええ。私はそもそもあれに近しい人間は私だけでいいと思っているのですから」
ガンマ団にいるのも許せないくらいなのです。士官学校に入るまでは、あれは私と二人だけでいたのですから。
二人だけ、と口にしたときこの男は懐かしむように一瞬目を細めた。
「私のあれに対する感情は独占欲で占められているのですよ。貴方もお分かりでしょう」
独占欲と目の前の中国人は言った。
ああ、そんな感情くらい分かっている。
「あれが私以外の誰かに目を向けるのは我慢がならないのですよ」
貴方もお分かりでしょうと再び彼は口にする。
ああ、分かるさ。俺は分かっている。
俺もこいつと同じように相手に独占欲を感じていることも。
俺がアラシヤマに嫉妬を抱いたように、マーカーもまたシンタローに嫉妬を抱いていることなど。
そんなこと分かっている。
だけど、どうしようもないじゃないか。この苛立たしい気持ちは。■SSS.6「a secret operation room」 キンタロー×シンタロー「口唇が荒れている」
軍用艦のコックピットで顔を合わせるなりヤツはそう言った。
しばらくは安全な空域であることと乗組員の疲労を取るために自動操縦にしてある。
エマージェンシーコールが響かない限り此処には誰も来ない。
ゆっくりと休養をとって新たな戦場に行くために室内は快適な温度に保たれている。
決して乾燥しているわけじゃない。
「痛くはないのか」
手を伸ばして触れてきた。
ささくれだった下唇をなぞられると少し痛い。
目の前の男が触れたところがジンジンとする。
俺の体温よりも低いひやりとした指先。
口唇の輪郭をなぞるような動きに思わず昨晩のことを思い出してしまう。
口唇が荒れてるのなんてあたりまえだろ。お前が昨日舐めてばかりいたからじゃねぇか。
あちこち痕つけやがって。ブレザーの下のシャツ、きっちり釦留めるハメになっちまったんだぞ。
ったく、体が重てぇ。
休むどころかかえって疲れちまっただろうが。しつこくしやがって。
じっと睨むとどうしたと聞かれる。
どうしたじゃねぇよ、おまえが悪いんだよ。
涼しい顔しやがって。
だいたい、ヤってる最中もその表情はねぇだろうよ。俺だけ気持ちよくなってるみたいじゃねぇか。
考えるな。
思い出すな。
火照ってくる頬を冷まさせようと必死に違うことを考えようとする。
考えるな。
思い出すな。
頭の中で言い聞かせるようにしても、それでも目の前の男が、情事の最中が甦ってくる。
だいたい、二人だけでいるのがいけねぇんだ。
へんに意識しちまうじゃないか。
明け方に部屋に戻ったんなら、時間ずらして来いよな。
もっとも、それはあと何分かで破られる。
そろそろ依頼された893国の領空内に近づくのだ。
あと少しで集合時間になるからどん太たちもここに来るだろう。
あーはやく来ねぇかな。
ぐしゃぐしゃと髪をかき回すと、キンタローが眉を顰めた。
すぐさま絡まった髪を手櫛で梳きはじめる。
「ずいぶんと機嫌が悪いようだな」
至近距離で話しかけてくる。
ああ、もうお前は口を開くなよ。
髪の毛いじんのはかまわねぇけど、息が当たるんだよ。
「お前がこんなに早くに集合するのは珍しいな」
だが、五分前ならともかくまだ時間には早いぞ。当分、他のヤツラも来ない。
「じゃ、なんでお前は来てるんだよ」
お前が時間にうるさいのは知ってるけどよ。お前こそ五分前に来ればいいじゃねぇか。
「俺は、自動操縦を切り替えたり本部で起こったことをチェックしなくてはならないからな」
ああ、そうですか。俺が早く来すぎたのがいけなかったわけね。
しばらく互いに無言のままでいる。
絡まった長い髪を梳くのにキンタローは夢中になっていた。
いったん、集中すると手に負えない。
やめろといってもやめない。昨夜がそうだ。嫌だといっているのに口唇ばかり舐めやがって。
ああ、もう考えるなと思ってても駄目だ。
こんな近くにいたらついつい考えちまう。
くすぐったい。熱い息が耳朶をかすめる。
「できたぞ」
ふっと息をついてキンタローが言った。
俺は絡まっててもかまわなかったんだがな。
ある意味拷問だったぞ。
一応、ああと答えるとキンタローが感嘆したように続ける。
「やっぱりお前の髪は綺麗だな。綺麗だし指に吸いつくようだ。
俺は自分の髪よりもお前の髪を触っているのが好きだな」
本当に綺麗だ、とキンタローは繰り返す。
「そういうことは今じゃなくて夜言え。夜だ!今は朝だろーが」
「綺麗なものを綺麗と言って何が悪い」
ああ、こいつは。そういう問題じゃねぇんだよ。
恥ずかしいだろうが。
真っ赤になって怒鳴ってやると、キンタローはさらに俺の怒りに油を注ぐようなことを言い出した。
「ああ、そうか。昨夜言い足りなかったのか」
悪かったな。次はもっとちゃんとおまえのこと褒めてやるから。
「っば、馬鹿!ちげぇよ。どうしたらそういう考えになるんだよ」
言うな。あれ以上、ヤりながらなんか言うのは止めろ。
大体、お前はヤってるとき人のことグダグダ言うなよ。
ぎゃあぎゃあ喚いて訴えると、こいつは目を見開いた。
「それは集中しろ、ということか」
だから違うって言ってんだろーが!!
精神的に疲労を感じて脱力してしまう。
なんでわかんねぇんだよ。頭いいわりに馬鹿じゃねぇのか、おまえ。
はぁっと深く溜息をつくと、
「シンタロー」
と呼ばれる。はいはい、今度はなんだよ。
視線を合わせると思ったよりもずっと近くにキンタローがいた。
あ、と思った瞬間にはするりとヤツの舌が入ってくる。
口腔内を探るようになぞり、逃げようとする俺の舌を絡めとる。
互いに相手の首に手を回して角度を変えて何度も舌を絡めた。
気持ちいい。
夢中になって続けていると耳に電子音が短く響いた。
キンタローの腕時計だ。セットしていたのかと思っていたが、はっと気がつく。
集合の五分前かよ!
瞑っていた眼を開いて我に返る。こんなことしてる場合じゃない。
急いで口を離すとつぅっと唾液が糸のように引いた。
それを断ち切るように今度はちゅっと音を立てて啄ばむようにキスされる。
昨夜のように濃密な口づけをされて頭がどこかぼぉっとする。
ああ、まだ朝だっていうのに。
今日一日、お前のことで頭いっぱいになっちまうじゃねぇか。
なんてことしてくれたんだよと思っていると、キンタローはまた余計な一言を口にした。
「機嫌は直ったか」
「お、おまえな!他のヤツラに見られたらどうするんだよ」
一気に眼が覚めるような感じがする。
「こんなこと誰かに見せる必要なんてないだろう」
お前が見られたいのなら別だが?
口角を上げて言うコイツが憎らしい。
ああ、むかつく。少しはその表情くずせよ。
■SSS.8「おいしい生活」 キンタロー×シンタローブラインドを上げると朝の光が目にしみた。
昨夜一緒に過ごした相手はいくつも取り寄せている新聞をめくっていた。
「もう起きていたのかよ」
起こしてくれればよかったのに、口を尖らせて文句を言うと、
「よく眠っていたようだったからな」
と返ってくる。
そりゃそうだ。お前がなかなか離さねぇからぐっすり眠っていたんだ。
「コーヒー入っているぞ」
活字に目を向けたまま、コーヒーメーカーの方角を指差す。
こいつはコーヒーが好きだ。朝は当然飲むし、研究の合間やおやつの時間にも飲んでいる。
そんなに飲んで胃が痛くなんねぇのかな。
わずかに飲み残して冷め切ったキンタローのカップを取り上げると嫌そうに眉を顰めた。
時計の針は10時を過ぎていた。
朝食というより昼に近い。
「なんか作るけどおまえも食うだろ」
「トーストだけでいい」
間髪いれずに答えが返ってくる。相変わらず目は活字を見ているままだ。
冷蔵庫を開けるとそこそこ食材は入っている。
パンや出来合いのつまみ、飲料類以外は全部俺が入れておいたものだ。
朝はコーヒーとトーストだけ、自炊するよりも外食で済ませがちな生活を心配して勝手に入れたのだったが。
まったく手付かずの状態で入れっぱなしの食材を一つずつ賞味期限を確かめていく。
卵とベーコンとレタス、トマト、ヨーグルト、使えそうなものをどんどんテーブルに出していく。
一瞬、活字を追っていた視線がこっちを見たが気にせずに調理に取り掛かる。
***
「できたぞ」
テーブルに湯気の立つ皿を置く。
俺専用のマグカップに熱い液体を注ぎ、ついでに空になっていたキンタローのカップにも注ぐ。
六分目程度に注いで、小鍋に沸かしておいたホットミルクを足した。
向かい合わせに席に着くと、ばさりと紙をたたむ音がした。
「シンタロー」
いただきますと箸を持ったとたんに、不可解な顔をしているキンタローが尋ねてきた。
「なんだよ」
冷めるから早く食えよ。
テーブルの上には、しゃきしゃきのサラダが置かれ、ベーコンエッグとインスタントのスープが湯気を立てている。
皿の上のトーストにはバターがすでに塗られていた。それを眺めながら、
「俺は朝はコーヒーとトーストだけでいいんだが…」
聞いていなかったのかという表情で問う。無視したに決まってるだろ。健康に悪い。
「もうブランチだけど、朝はしっかり食えよ」
「コーヒーがブラックじゃないのはどういうことなんだ」
「牛乳も飲め」
「…スープは必要ないんじゃないのか」
「賞味期限ぎりぎりだったんだよ」
「…そうか」
カチャカチャと食器が鳴る音と互いに咀嚼する音しか聞こえない。
この男は食事中はそれほど話さない。
黙々と口に運ぶ様子を見ながら、少しはうまいとかなんとか言えよと思う。
「シンタロー」
今度はなんだよ。またなんか文句つけるのか。
そりゃ、俺が勝手に作ったのが悪いんだろうけど、癪に障る。
食事中もベッドの中と同じくらい口を動かせっつうの。
「おいしかったぞ。ごちそうさま」
……また作ってやるよ。お前がいらねぇって言っても。
トーストだけじゃ体に悪いしな。
甘いカフェオレがキンタローの喉を通っている。
二人の喉を甘く潤す。たまにはこういうのも悪くないだろ?■SSS.10「おさがり」 キンタロー+ハーレムもう秋だというのに降りしきる雨は温かい。
夏のものよりも幾分ぬるいとはいえ、やはり時間がたつと傘で防げなかった場所を徐々に熱を奪っていく。
うっかりとサンダルで外出してしまった所為か、足の先は冷えはじめている。
雨に降られるたびに買ってしまうビニール傘や隊員から奪い取った傘で玄関は溢れていた。
捨てるのもめんどくさくてそのままになっている。
切れた煙草とアルコール類を手に入れようと外まで買いに行くことにした。
ガンマ団の売店では踏み倒すことが多かった所為か最近では売ってくれないのだ。
たかる相手としてちょうどよい隊員達は帰省したり、島で受けた傷のために入院している。
仕方なしに適当に引き抜いた一本を手にコンビニに向かって、だらだらと時間をつぶしてガンマ団へと戻ってきたのだ。
小雨だった行きとは違い、帰りはシャワーのような雨へと変わっていた。
冷たく冷えた足はサンダルとの間がぐちゃぐちゃと濡れた感触がし、気持ちが悪かった。
部屋に帰ったらすぐに足を洗おうと、急いで歩みを進めると余計に足に雨や泥が入ってくる。
ちっと思わず舌を立てて、それまで足元ばかり見ていた視線をガンマ団の建物へと向けた。
(あと10メートルくらいか)
距離を測った後に金色のかたまりが目の中に飛び込んできた。
(あれは…)
金色のかたまりは、新しくできた甥だった。長兄の息子ではなく、真実は次兄の息子だった男。
シンタローと呼んでいたが、今は周囲にあわせてキンタローと呼んでいる青年。
ぼおっと立って雨を一心に浴びている。
目の前まで歩いていってもとくに反応を返さない。
「なにしてんだ」
声をかけても、しばらくは甥は空を一心に見つめていた。降り注ぐ雨をものともせず突っ立っている。
「…雨を見ていた」
「見るだけなら玄関でも部屋の窓でもいいだろう」
風邪引くぞ、もう中に入れと促しても甥は動こうとしない。
「はじめは窓から見ていたんだ」
だったらそのまま見てればいいじゃねぇか。雨なんて見ていてなにがおもしろいんだか、誰も止めるヤツいなかったのかよ。
「雨は知っていた。アイツの中でも見ていたし、もっと強い雨と風で揺れる日があることも知っている。
雨に濡れるのはどんな感じなのか興味があった」
シャワーとはちょっと違うんだな。
ああ、そうだ。
コイツは今までなにもかも自分自身で感じることがなかったのだ。
つまらないものやくだらないもの、あたりまえのものさえ新鮮なのだろう。
その事実に思い当たった時、少し胸が痛んだ。
甥は空に手をかざし、濡れたてのひらを見つめている。
地面と同じように小さな水たまりができていた。けれど、それはすぐに手首や、指の腹をつたって流れていく。
肌にはりついた金色の髪はじっとりと雨水を吸って、兄の薄い金髪よりも俺のような濃い色になってしまっていた。
こうして見ていると兄貴にあんま似てねぇな。
髪を切ったらどうかは分からないが、濡れる前の長い髪は獅子の鬣のようだ。
サービスのような流れる髪ではない。俺のように癖がある髪質をしている。
手を伸ばすと甥は目をまるくした。触るとすっかり冷たくなっている。
濡れそぼった髪をがしがしと掻き回してやると、嫌がって手を払ってきた。
ぶるぶると頭を振っている。犬のようだ。
おかしさをこらえて、傘に入れてやると不思議な顔をしていた。
「どうした、キンタロー」
「ハーレムが濡れる」
透明なビニールが雨を弾く様子はとくに興味がなかったようだ。
「これなら濡れねぇで雨が見れるだろ」
本当だ、と甥は呟いていた。
「傘はシンタローが貸してくれた」
甥の指差す方向、玄関にはモスグリーンの傘が立てかけてあった。Gのマークが入っているやつだろう。
雨が見れないから差すのを止めたのだ、と続ける。
そりゃそうだな、と返してやるとうすく笑う。その表情は次兄が幼い俺をなだめるときの表情と似ていた。
「あんま兄貴に似るんじゃねぇぞ」
「父さんにか?」
「ルーザー兄貴だけじゃなくて、一族のヤツラに似るなってことだ。不器用な男になるからな」
この傘はおまえにやるよ。好きなだけ雨を見ていろ。風邪引く前に入らねぇと高松に怒られっぞ。
ぽんぽんと頭を叩いて、甥のてのひらに傘を握らす。
甥は目を見開いていた。
「ハーレム?」
「おまえ、傘ねぇんだろ」
シンタローの傘を借りたくらいだから。この甥にはまだ私物というものはないのだ。
「俺は、んなもん部屋にいっぱい転がってるからよ」
おさがりにしてやる。俺も昔は兄貴達のおさがりをもらったもんだ。
「…おさがり」
不思議そうに甥は何度も確かめるように呟いていた。
「おさがりははじめてだろ?それはもうおまえのものだ」
じゃあな、と手をひらひらさせて玄関へと向かう。
礼を言う、という声が後ろから聞こえた。
そういうときはありがとうって言うもんだ。
まあ、俺にはどうだっていいけどよ。
おさがりだろうがなんだろうが、おまえはこれから自分のものを増やしていけばいい。
時間は取り戻せないけれど、思い出を積み立てていくことはできるだろ?■SSS.13「ガラスのシャワー」 キンタロー×シンタロー何かが頬を掠めた。その瞬間、焼け付くような熱と圧し掛かる力を感じた。
「シン…」
俺に圧し掛かかり床へと押さえつける従兄弟は名を呼ばせなかった。
「黙れよ」
起き上がるな、と声を潜めて言う。
頬はいまだ熱を持っている。じくじくとした熱とわずかな痒みに眉を顰めてしまう。
状況はまだつかめていない。
此処へは商談で赴いたのだ。
「大統領は所要で席を外している、しばらくそこでお待ちください」
と案内役の軍人に言われ、ガラス張りの執務室へと従兄弟と二人通されたのだ。
部下達は皆、此処に辿り着くまでに体よく追い払われている。
この部屋に通されるまでの様子もそもそもおかしかった。
ぎらついた殺気を隠しきれない軍人や不穏な目つきの秘書官たち。
人払いを望んでいると言われて、SPまでもが追い払われたのだ。
壁へと目を向けると蜘蛛の巣のように割れたガラスが目に付いた。
高層ビルが林立したこの地区においてガラス張りの部屋を狙い済ますことなど容易いことだろう。
クリーンな政治をアピールしたこの部屋が仇となった。
四方八方がガラス張りのこの部屋では俺と従兄弟は格好の標的だ。
折り重なって伏せたまま、神経を研ぎ澄ませ、敵の気配に集中する。
きらりと白いひかりが前方で光った。肩越しに従兄弟に「眼魔砲を撃つ」と囁く。
同意ととともに俺の上に乗る従兄弟も手を構えるのが見て取れた。
左右には敵の気配は感じられない。周囲をすべて囲むのではなく、挟み撃ちにしようと考えたのだろう。
俺と従兄弟の二人だけを始末すればいいのだから、その分待機している部下たちへと暗殺者が殺到しているに違いない。
再び、視界にきらめきが映った。
間髪いれずに意識を掌へと向ける。片方の瞳に力が漲るのを感じる。
「「眼魔砲」」
呼吸を合わせた訳でもないのに、声が重なる。
まるで双子のように、いや従兄弟は俺にとってそれ以上の絆を持った存在なのだ。
俺たち二人の体を包み込むように青白いひかりが辺りを照らす。
爆発音とともにガラスが盛大に割れる音が響いた。
ぱらぱらと天井のタイルが落ちてくる。室内の状況は惨々たる物だった。
同じタイミングで眼魔砲を撃ったこともあるのだろう。
あまりの衝撃に狙ってもいない左右のガラスまでもがひび割れている。
爆風によってガラスの破片もそこらじゅうに落ちていた。
上体を起こし、従兄弟を抱えなおす。
向かい合った形で俺の胸へともたれる姿勢になった従兄弟がそっと俺の頬を撫でた。
「弾、掠っただけだったな…」
銃弾は頬を掠めるだけで皮膚の下の血管までは切り裂かなかったようだ。
忘れていた頬の痛痒さが従兄弟の指によって甦ってくる。
手を伸ばし、指をそっとそこから外させる。
従兄弟の温かみが離れると、外気の冷たさを強く感じた。
「おまえに怪我がなければいい」
目の前の従兄弟の皮膚を裂いていたのなら、自分は眼魔砲の威力を容赦しなかっただろう。
隣のビルから狙った射撃犯の周囲だけでなく、ビルのすべてを瓦礫へと変えていただろうと思う。
温かな指を握り締めたまま、そう口にすると従兄弟は「馬鹿じゃねぇの」と言った。
「ガラス吹き飛んじまったな」
残念そうに従兄弟が呟いた。だが、それは仕方がないだろう。
襲撃されるまでの間、この部屋で従兄弟はしきりに展望台みたいだとはしゃいでいた。
よほどガラス張りの部屋が気に入っていたのだろうか。
「ガンマ団にも作るか?」
景色が一望できていい、と言っていた。そんなに気に入ったのならば、作らせればいいのにと思っていたのだ。
総帥である従兄弟が命じれば、すぐにでもそんな部屋はできるのだから。
「いらねぇよ」
狙われやすいし、こういうことできないだろ?
にやっと笑って従兄弟は俺の口を塞いできた。
いくらか長めのくちづけを楽しんでいると、ふいにジャケットの内側が震えた。
名残惜しげに離れ、携帯電話を取り出す。着信は部下からだった。
奇襲してきた敵は壊滅したと報告され、そちらはと振られたときには二人とも無事だとだけ言った。
従兄弟は立ち上がり、服の埃を払っていた。
部下からは、「すぐに車を回します。警察が動いたようですから」と電話越しに伝えられる。
短い通話を切り、俺も立ち上がる。
報告どおり警察が動いたようだ。遠くにサイレンとなにかをスピーカーで叫ぶ声が聞こえてくる。
「真下を歩いているヤツは何かと思っているだろうな~」
サイレンを耳にしながら従兄弟が言う。
大量のガラスが落ちてくるんだぜ?シャワーみたく。
きらきらして綺麗だっただろうな。
他愛のない彼の想像に俺は何も言わない。
ガラスのシャワーなど痛いだけだろうが、従兄弟が言うのならそれは綺麗な光景だったのだろう。
最後に部屋を振り返ると、ガラスがぽっかりとなくなってがらんどうの部屋が目についた。
どうかしたか?と怪訝そうに聞いてくる従兄弟にはなんでもないと答える。
「シンタロー、ガラスの破片に気をつけろ」
子ども扱いするなと、ふくれる従兄弟の前を俺は歩いていく。
俺が通った道ならば、安全だから。
部屋を出て、階段へと向かっていくと銃を構えた刺客が見えた。
狙うのなら、シンタローよりも俺を先に狙えばいい。俺は従兄弟のために傷つくことは厭わないのだから。■SSS.18「if」 キンタロー+コタロー「ボクでよかったの?」
会うなり、コタローはそう口にした。
いや、一族の人間だけで顔をあわせた時はそんなことをおくびにも出さなかった。
眠る前のひととき、俺が一人でいるのを見計らうようにこの子どもは話しかけてきたのだ。
「…よかったとは」
どういうことだ、と口にする前に子どもはまっすぐに見つめたままもう一度問いを発した。
「パパが助けたのがボクでよかったの?お兄ちゃんじゃなくてさ」
お兄ちゃんと、ここにはいない従兄弟のことを言及した時、子どもの瞳は揺れていた。
「シンタローは…よかったと思っているだろうな」
グンマも伯父も、とわずかに視線を落として口にするとコタローは些か強い口調で再び問うた。
「あなたはよかったの?」
「ああ」
シンタローがよかれと思ったことだから。
彼が選ばれていたのなら、きっと誰もが傷つくことになっただろうから。
伯父は後悔を、シンタローは罪悪感を、グンマは愛情のもたらす理不尽さによって。
「お前はどうなんだ」
「どうって?ボクは…パパがボクを優先したのは嬉しかったけれど、でも…」
お兄ちゃんはボクのせいで、と揺れた目で語った。
「シンタローは大丈夫だ。アイツは何度でも生き返る。島で仲良くやってるさ」
心にもない言葉を安心させるように口にするとコタローはほっとしたような顔をした。
「…ねえ」
「なんだ?」
「ボクの力が安定したら迎えに行こうね」
お兄ちゃんを、と少し照れた顔で口にすると「オヤスミっ」とぱたぱたと足音を立ててコタローは帰った。
よかったかだって?
そんなことを俺に聞かないでくれ。
どうしてそんな残酷な質問を口にするんだ。
あのとき、俺が先に行かなければシンタローではなく俺が島へと取り残されたかもしれない。
そうなっていれば、きっと皆幸せだった。単なる従兄弟の俺を迎えに行くのは焦らなくてもいい。
父と二人の兄に囲まれて、おまえはもっと幸せを感じたはずだ。
友との別れも消し飛ぶくらいに、家族から愛情をもらえただろう。
きっと、今頃幸せな家族ができていたんだ。あのとき、俺が先に行かなければ。
■SSS.19「ねえ、どうして?」 コタロー×リキッド今日もリキッドは肉料理を一品作る。
昨日もお肉だったのにな。
「ボク今日、お魚食べたい」と言うとちゃんと釣ってきてあると言われた。
じゃあ、それは?
アイツの分なの、と聞こうと思ったけどやめた。
鼻歌を歌いながら包丁を握るリキッドは楽しそうで。
ねえ、そんなにあのおじさんが来るのが待ち遠しいの?
あのヒト、ごはん食べに来るだけなのに。
なんか、やだなあ。
あ、いいにおいがしてきた。なんだろ?コーン?甘いにおいだ。
リキッドがカップを棚から出す。
そっか、今日はスープ作ったんだ。
コトコトと鍋の音が部屋に鳴る。
パプワくんとチャッピーとボクは大人しく席に着く。
食卓には部屋の人数分よりも多い食器が出ていた。
まだかなあ。
「お待ちどうさま~。ほらほら、できたぞ」
パプワもロタローも茶碗寄越せ、お盆に乗せていたおかず類と交換するべくリキッドが手を出した。
二人揃って茶碗を渡すとすぐによそって返してくれる。
リキッドがいつもの位置に座った。
「「「いただきます」」」
わぁう、とチャッピーの声も続く。
スープを一口飲むとコーンの甘さが口に広がった。クルトンはちょっぴり固くてしょっぱい。
でも、とってもおいしい。
おいしいな。リキッドのごはん。
「おいしいね、パプワくん」
「ん」
おいしいなあ。とっても幸せ。この時間が長く続けばいいのに。
でもダメ。さっきから遠くでどたどた響いてた音がどんどん近づいて来る。
アイツの足音だ。
いつもいつもごはん時にやってくる、あのおじさん。
リキッドが「ハーレム」って呼ばずに「隊長」って呼んでる人。
あ~あ。今日も来たのかよ。
「お~い。リッちゃん、メシ食わせろ」
「はいはい。隊長の分もできてますよ」
リキッドが立ち上がってさっき作っていた肉料理をコトっと食卓に置く。
ハーレムのための料理。レンズ豆とお肉のかたまりを煮込んだ料理。
なんか、やだなあ。このおじさんの食器もいつの間にか決まっていたし。
なんか、おもしろくない。
どうして毎日この人来るの?
どうして毎日リキッドはおじさんの分も作るの?
あ~あ。今日もやっぱり来たし。明日も来るんだろうな…。
やだなあ。なんで毎日来るんだよ。
あ、リキッドのヤツ…このお魚焦げてるじゃん。
おじさん用のお肉はほろほろ蕩けていて失敗なんてしていないのに。
「やっぱオマエのメシが一番だな」
そりゃそうだよ。リキッドのごはんはおいしいよ。
ボクのお魚だって焦げててもおいしいもん。
でも、なんでアンタ毎日来るの。
「ねえ?」
ん?なんだ、と肉にかぶりつきながらハーレムがボクを見る。
「ううん。なんでもない」
やっぱり言えない。
だって、ハーレムがおいしそうにご飯を食べているのを見るリキッドはうれしそうで…。
でも、やっぱり……。
ねえ?なんでアンタ毎日来るの。■SSS.21「ライオンと魔女」 サービス+シンタロー「それでね、おじさん」
私の愛しい甥っ子はハーレムから受けた手荒いスキンシップを一生懸命訴えてくる。
まったく、アイツも困ったヤツだ。子ども相手に本気になることもないだろうに。
「ホントやんなっちゃうよ!すぐぶつし。パパやおじさんと違って獅子舞みたいだしさ」
「獅子舞?」
「うん。そう思わない?ハーレムおじさんと一緒にいたお兄ちゃんたちがこっそり話してたよ。
獅子舞に似てるよね。髪の毛もぼわぼわだし、がーっと口開けるしさ」
くすくすと笑いながらシンタローが言う。
驚いた。
子どもの頃から双子の兄のことは「ナマハゲ」と呼んでからかったりしていたが。
獅子舞、ね。言いえて妙だな。
アイツの部下も面白いことを言う。
「たしかに似ているな」
紅茶に口をつけながら、同意すると甥はそうでしょ、と身を乗り出してきた。
「ああ、シンタロー。そんなに乗り出すんじゃない。お茶がこぼれてしまうよ」
「わ、ごめんなさい」
ぺこり、と首を下げて甥は再び大人しく席に着いた。
兄ではなくともその可愛らしい様子には思わず笑みがこぼれる。
「ふふ。それじゃあ、シンタローは獅子舞が嫌いかなのか?」
正月に見たんだろう、マジック兄さんが撮った写真を見せてもらったよ、と付け加えると彼はパッと顔を輝かせた。
「うん。パパがね。獅子舞呼んでくれたんだ。それでさ、おひねりあげたんだよ。獅子舞が口でくわえてくれた」
「ああ、写真で見たよ。グンマは泣き出していたね」
「グンマは泣き虫だから。僕は平気だったけどさ!」
得意げにシンタローは言った。
「獅子舞を見てハーレムを思い出したのかもしれないね。
グンマはこの前ハーレムにさんざんからかわれたと高松が言っていたよ」
十年来の友人は苦々しく私に話してくれた。
アナタからも言っておいてくださいよ、と眉間に皺を寄せていたが今更止められるような男でない。
甥っ子たちを苛めれば保護者が黙っていないのは重々承知だろうに帰るたびにちょっかいを出しているのだ。
シンタローは私の言葉に頷いた。
「うん。ハーレムおじさん、グンマの服が女みたいだって髪の毛引っ張ったりしたんだよ。
グンマのヤツびいびい泣いてさ、高松が飛んできたもん」
「ハーレムは高松に嫌味を言われただろうね」
「うん。ねちねちいろんなコト言われてたよ。あとさ、高松にヘンなお薬注射されてた 」
「ふ~ん」
なにを打ったんだ、高松のヤツ。
「でも次の日には相変わらず乱暴だったけどね。ホント、おじさんとは双子に見えないよ。ガサツだしさ」
「よく言われるよ」
「お正月だってお酒飲んでイビキかいててさ、パパに怒られたんだよ」
「マジック兄さんに?」
「うん。僕のお肉も勝手に食べたんだ」
「ああ、なるほどね」
長兄はこの子を溺愛しているし、どうせ酔ったアイツはこの子やグンマをさんざんからかったんだろう。
毎年毎年、懲りないヤツだ。
「まあ、楽しい正月だったならいいじゃないか」
「おじさんもいたらもっと楽しかったよ」
「そうは言われても私も都合があるからね」
あまりここには戻ってこないことにしている。
ここは、本部はあまりにも過去の記憶を意識させる。
兄弟の間に過去に起こったことを。
青春時代に起こったこと、死んだジャンのことを……。
「え~。う~ん。じゃあ、おじさん、お願い。来年はおじさんも来てよ!」
「考えておくよ」
ちぇ~、と甥は不満をこぼした。
私がこう口にするとき、たいてい望みが叶えられないのを分かってるからだろう。
ジュースの入ったコップから取り出したストローを小さく横に振りながら、甥は口を尖らせていた。
「そういえば、シンタロー」
「な~に?」
「シンタローはハーレムがライオンに似てると思うかい?」
「ライオン?」
「ああ、獅子舞…獅子はライオンだろう」
「う~ん。ハーレムおじさんは髪の毛もぼわぼわだし、大きい口でがーっと煩くするし、お肉も好きだけど…」
「似ていない、か」
「うん。ライオンとはちょっと違うかな」
「そうか」
ため息のような笑い声をこぼすとシンタローは怪訝そうに私を見る。
「どうかしたの?」
「ああ、実はね。おまえの死んだおじい様はライオンみたいな人だったんだよ」
笑いながらカップをソーサーに置く。
シンタローはストローを口にしたまま、目をまるくしていた。
「ライオンみたいだったの?それってハーレムおじさんよりおっきくて、うるさくて、怖かったの?」
「いや。怖くはなかったさ。
もっとも、私もハーレムも小さかったから叱られたことがなかっただけかもしれないけどね」
「え~。でもライオンみたいって……。パパは叱られたことあるのかなぁ」
ホントに怖くなかったの?とシンタローは尋ねる。
「マジック兄さんはどうだろうね。でも、怖くはなかったよ。滅多に帰ってこなかったから会うのがうれしかった。
大きくて、あたたかい腕で抱きしめてくれた。シンタローも兄さんが抱きしめてもらうだろう」
それと同じだよ、と言うとシンタローはよかったと口にした。
「よかった?」
「うん。パパもおじさんもおじいちゃんが怖い人だったらかわいそうだよ。
あ~あ。僕も会ってみたかったな。ライオンみたいだけどパパみたいに優しいひとなんだよね。」
「……そうだな」
この子を溺愛する長兄とは違った父親であったけれど。
父は、私たち4人を深く愛していた。
「ねえ、おじさん。おじいちゃんってパパみたいに遠くにお仕事しに行ってたの?」
「ああ、そうだよ。兄さんの方が本部にいるのが多いけどね。兄さんはシンタローといつも一緒にいるしね」
「うん!パパは今日も僕の好きなカレーを作ってくれるんだ」
「そうか。それはよかったね」
甥は満面の笑顔を浮かべた。
それから、「そうだ!」といいことを思いついたとばかりに私を見る。
「パパの作るカレーはおいしいんだよ。そうだ!おじさんも一緒に食べようよ。
いつもね、いっぱい作るとグンマと高松も呼ぶんだよ」
ねえ、いいでしょ、おじさん。
たまには皆でご飯食べたいんだ、とシンタローがねだる。
そのかわいらしい様子に、兄ではないが顔をほころばせながら、
「ああ、いいよ。たまには兄さんの料理も食べたいからね」
と言うと甥は歓声を上げた。
食事が終わり、しばらくするとシンタローは兄の膝で舟をこぎ始めた。
少し前にグンマは高松に連れられて帰ってしまっている。
グンマの前では、リードを取りたがり、背伸びをしているこの子もやはり子どもなのだ。
こっくりこっくり、揺れて、仕方がないといった表情の兄が抱きとめていた。
いつだったか、亡き父の部下は私達兄弟が父に抱きしめられている様を犬の親子に喩えていた。
いつだったか、兄は亡き父のことをライオンのようだったと評した。
目の前の兄と甥も同じ。
起きていたときは、甥はきゃんきゃんと吠える子犬のように私や兄に纏わりついていた。
兄と甥はじゃれ合い、駆け回る犬の親子のように仲良くしていた。
そして今。
部下の前ではライオンのように厳しい顔つきを見せる兄は目を細めている。
甥の黒髪をやさしく撫でて愛おしんでいる。
まるで、ライオンが仔をやさしく毛づくろいしているようだ。
シンタローがもぞもぞと兄の膝で動いた。
「眠いんだろう」と兄がやさしく囁く。
もぞもぞと動いていた甥は、目を擦り、こくりと頷いた。
「それじゃあ、もうオヤスミしようね」と兄が甥を抱き上げる。
シンタローを寝かしつけてくる、と私に言い、兄は抱っこしたまま部屋を出て行く。
立ち上がり、私の前を横切る時、の金色の髪がストーブの灯でちらちらと輝いた。
それは一瞬だけ揺らめいて、まるでライオンの鬣のように見えた。
ずいぶん甘いライオンだけれど、ね。■SSS.22「ホンネとタテマエ」 キンタロー×シンタロー DO本ネタです労働者の実情を知ることは、経営者にとって必要なことだ。
とくに従兄弟が後を継いでからは、ガンマ団の方針は百八十度転換している。
不満を持つ人間がいてもおかしくない。
ここらへんでガス抜きがてら調査することにした。
ここで出た意見を全部とはいえないものの参考にし、多少改善すればいいだろう。
シンタローを脅かすような輩が出てこられては困る。
早速、簡単な(3問しかないからどんな馬鹿でも飽きずに答えられるだろう)アンケートを作成し、各課に配布した。
表向きはガンマ団の現状を世間にアピールするためだ、と説明しておいた。
匿名だし、本音で書いてくれとも伝えてある。
どのような結果が出るのだろうか。楽しみだ。
***
あらかじめ期間は1週間とした。
遠征や出張に出ているものもいるし、すぐ書いて出せといったところで聞くようなやつはそんなにいない。
週の半ばからちらほらと提出されていたがそれらは机の上に放って置いた。
こういうのは一気に片付けた方がいい。
最終日の今日はすべての団員のものが揃っている。
さすがにガンマ団の団員全員だけあって量は多いが、徹夜すれば何とかなるだろう。
パソコンの画面は立ち上がった。はじめるか。
いつのまにか朝が明け、太陽のひかりが部屋に差し込んでくる。
一睡もしていない眼には、ちかちかと感じた。
淹れなおしたコーヒーに口をつけるものの、思考はクリアにならない。
戯れに叔父が置きっ放しにしていた煙草を手に取ったが、やめた。
ライターに火を灯した時、あの忌々しい根暗男を思い出したためだ。
いつのまにかスクリーンセーバーが作動していた画面を元に戻すとカラフルなグラフがパッと現れる。
その色とディスプレイのひかりも目にちかちかと沁みた。
設問は3つ設けた。円グラフが2つ、棒グラフが1つ結果として表示されている。
そしてそれらには無視できない回答があった。
改善すべきところ ……「総帥が全然本部にもどらない」12.7%
これは、まあいい。
組織の長たる総帥は本部でどっしりと構えることも必要だ。
シンタローの遠征は伯父貴よりも頻繁だから、そう感じる団員も多いのだろう。
ガンマ団についての見解 ……「総帥がカッコイイ」23.7%
……。
シンタローは仕官学校時代から目立っていた。
この結果は、腕っ節が強いだけでなく、友人も多いし、後輩の面倒を見ていたからだろう。
従兄弟の同窓も多くガンマ団で活躍している。
その積み重ねがこれなんだろう。
ガンマ団の美点 ……「総帥がシンタローさんであること」255人
……。
…………。
これも設問2と同じだろう。
だが……。
255人もの人間がシンタローに心酔してるのはいい。
組織が改革されていく中、彼を支える者は必要だ。
だが、あの根暗と同じ嗜好…いや思考の持ち主が潜在してることも言える。
そのうち、功を立てたら側近に取り立てるようアピールするものが出てくるに違いない。
昇進や待遇の要求は当然だが、これに関しては不快だ。
シンタロー直属のあの4人のように彼のすぐ傍で活躍できるのは名誉なことだろう。
そうなったら、あいつらのようにシンタローのために体を張って働いてくれるに違いない。
だが、それは喜ばしいことであると同時にあの根暗のように俺がシンタローに近づくのを邪魔をするヤツが増えるとも言える。
そうなったら、今より腹立たしく感じるだろう。
あの根暗一人ならあしらうのも簡単だが、徒党を組まれるとなると……。
ふむ。なるべく早めに手を打たないと。
シンタローに反旗を翻すような輩はいないようだが、これもある意味で困る。どうすればいいか…。
***
いくら考えてもいい案が思いつかない。
睡眠不足でクリアーでない思考では、ますます苛立ちが募るばかりだった。
おまけに部屋に差し込む明るい日差しも気に障る。
ディスプレイに反射して眼が痛くなった。
ちらつく窓からのひかりに焦れてカーテンを閉めようと立ち上がる。
すると、研究室の隅に貼られたガンマ団入団案内のポスターが目に入った。
白い歯を見せて笑うコージを真ん中にミヤギ、アラシヤマが写っている。
誰が貼ったんだ、と苛立ったが、ポスターに写っているのがシンタローでなくてよかった、と思いなおし剥がすのは自制した。
にっこり笑って手を差し出すシンタローが入団を呼びかけるようなものだったら世界各地から集まってしまっただろう。
それこそ彼の信奉者は255人できかなくなる。
カーテンを閉ざした後、ゆっくりと読んでみることにした。
そして、そこには俺の求めていた答えがあった。
◆勤務地/世界中:上司の胸一つで決まります。
これだ、と思った。
目障りなヤツは上司が遠征に召集すればいいのだ。
この場合の上司は俺だ。シンタローは細部は俺に任すことが多い。
シンタローに近づくヤツ、とくに根暗予備軍はこの手で行こう。
シンタローに信頼されていると思わせつつ、接触は低くすればいいのだ。
彼らはシンタローのため、ひいてはガンマ団のために働く。
シンタローはそれに満足する。
俺はシンタローの誰よりも傍で彼を支えることが出来る。
よし。この手で行こう。
それなら現時点での信奉者を確認しておく必要があるな。
まだ先のことだと思っているわけには行かない。
あの根暗男だってもともとはシンタローとは犬猿の中だったのだ。
備えあれば憂いなしだろう。
……。
しまった。匿名が仇となった。
提出日時と大まかな課しか分からない。
だが、まあいい。
それでもだいたいは把握できる。
これから台頭してきたらシンタローと俺にとって有益な人材か、シンタロー個人を崇拝するヤツかを見極めればいいだけだ。
よし、これでいこう。
ディスプレイの電源を落とし、朝食に向かうことにした。
爽やかな朝だ。 きっとシンタローが作るメシはいつもどおりうまい。←SSS Top
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