独り言
ぱさりと音を立てて書類が落ちた。
思わず、その報告をもたらした従兄弟を睨んでしまうほど、それは強烈だった。
しかしキンタローはそんな視線をものともせずに、平然と落ちた書類を拾い上げるとシンタローに手渡す。
「少し落ち着け」
低い声は常ならばシンタローに冷静さを取り戻させてくれるのだが、今回はそうもいかない。
移動中の戦艦内で本部から送られてきた書類を裁いている最中で、概ね指示を出し終えほっと一息を着いた際にまるでついでのように告げられたこと。
「…落ち着いて、いられるかよ」
渇望していた、片時も忘れたことなど無い、願い。
キンタローもそのことを知っているはずだ。
徐々に感情が湧き上がって来た。
4年間。
その間、一体どれだけ弟が眼を覚ますことを望んでいたか…
遠征で離れることが多くとも、いつも弟の様子に気配っていたというのに、こんな報告を聞いて落ち着いてなどいられるわけが無い。
「どこに行ったんだよ!」
机を叩く鈍い音が部屋に響く。
最近の本部から届くコタローの様態は安定しているというものばかりで安心していたのだが、まさか数ヶ月前に眼を覚ましていて、クルーザーに乗ってどこかに行ってしまったという。
調査隊としてコタローが眠りについた原因を知り、尚且つ信用の置ける伊達衆が選ばれたというがそれもずいぶん前のことだという。
4人揃って向かったというのに、こんなに時間が掛かるというのはいくらなんでもおかしいはずだ。
「…くそっ!」
「八つ当たりはそろそろ辞めておけ」
机を叩いた振動で転げ落ちそうになったコップを拾うと、キンタローは伝えていなかったもう一つの事実を告げた。
「コタローがの居場所はわかっている」
「どこだ!」
どこまでも冷静な声は、珍しく口に出すことを躊躇う。
しかし、早く知りたいという思いに駆られているシンタローに隠しておくわけには行かないと思い、その重い口を開いた。
「クルーザーは大渦に飲まれたが、その際に追跡したヘリがこんなものを見ている」
胸ポケットから一枚の写真を提示する。それは、本部が必死になって隠そうとしたものをなんとか入手したものだ。
黒い魚の群れ。それは色は違えとシンタローにとってなじみの深い種類だった。
「足が…」
「ああ。これが伊達衆が選ばれた本当の理由だろう」
黒い魚ならば世界中に存在するだろうが、足の生えた魚などあの島を除いて存在するわけが無い。ご丁寧にもどの魚も網タイツを履いていて、思わず何の知識も無くこの魚が群れている光景を眼にした団員達に同情してしまう。
「コタローは大渦に飲まれたらしいが、アラシヤマ達につけたカメラによるとその大渦を抜けたところに島があるらしい」
何かを近づかせないかのように広がる大渦。
そしてその中へ向かったっきり戻ってこない仲間と、大切な者。
まるで、それは。
いつかの自分。
「シンタロー?」
肩を掴む手に思考の海から意識を引き戻す。
顔を上げれば、心配そうに覗き込むキンタローの顔があった。
説明を続けていたが、何も反応を返さないことを不可解に思い、ふと見やればいつの間にか椅子に座り込んでいた。ただじぃっと床を見つめる姿が、小刻みに震える肩が、シンタローの心情を表していた。
見上げる顔には不安と哀しみが浮かんでいる。
「言え」
そのまま肩を引き寄せて抱きしめると背中をゆっくりと撫ぜてやる。
遅かれ早かれ、この話をしないわけにはいけなかったと言い聞かせたが、それでもシンタローにこんな顔をさせるつもりはなかった。
「…何をだよ」
安定している声は、今のシンタローを表しているようだった。
未だ震えの収まらぬ体に、はっきりとした声。
何もかも隠してしまうつもりなのだ。いつものように。
「一人で抱えるな。何のために俺がここにいる」
すこし力を込められて、背中に手を回すがそのまま、戸惑うかのように彷徨う。
言いたい言葉はたくさんあった。
この四年間の思いは、あの島への気持ちはどんなに言葉を尽くしても語れない。
どれだけの時間、そうしていたのかわからない。
震えが止まり、何も語るつもりが無いのかとキンタローが離れようとしたときだった。
物凄い力が背中に掛かった。
それは抱き締めるではなく、逃がさぬように捕らえられているようだ。
「お前は、俺だよな」
力強い、どこか切羽詰ったような声に思わず首を縦に振る。必死に何かに縋るような声。
「だから、これを聞いているのは俺だけだよな」
「…ずいぶん大きな独り言だな」
抱き締められた意図を正しく理解して、もう一度その背中に手を回す。茶化して見せるが、それでも真剣に受け止めた。
「うっせぇよ」
幾分、力を弱めたシンタローはそれでも相手がわかってくれたことに安堵する。
息を整えながら、どの言葉を紡ごうかと必死に逡巡する。
「俺は、怖いんだ」
力が弱まった分、声も弱弱しくなった気がした。
「コタローは昔のことを、怒ってんのか」
助けることが出来ずに、挙句この4年間眠っていた。
誰もいない、あの部屋で目覚めたコタローが何を思って飛び出したのか。
「迎えに行ったやつらも、俺から離反するのかもしれない」
かつてあの島で、シンタローとマジックが敵対したように。
何よりも、怖いことがある。
「パプワに、逢えるのか」
シンタローはその言葉を最後に黙り込んだ。
キンタローも何も言わずにその体を抱き締める。
二つの意味を持ったその言葉に、シンタローは揺れている。
パプワに逢ってよいものか思い悩む気持ちと、逢ってくれるのだろうかという恐怖。
もう一度、力強く抱き締められたかと思うと、同じように唐突に離された。
「早く帰って、詳しい事情を確かめる」
もう、そこには不安の色は無い。
「いいんだな」
「当たり前だろ?うだうだ言っても、仕方がねぇんだからな」
向かうかどうかは、まだ踏ん切りはつかないが。
「また、あの島が舞台だってことは変わらないんだからな」
覚悟を決めたシンタローにキンタローは黙って頷く。
記念にと、先程提示した写真を机の上に置いていくとあの島へと向かうための理論を組み立てるために自室へと向かった。
盛大に響く紙を破る音を聞きながら。
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