「シンタロー」
声をかけて気がついた。手にしている書類を渡す相手が、ぐっすりと寝入っていることに。
いつの間に寝たのだろうか。秘書課の方から、必要書類を受け取りにいってくると総帥室を留守にしたのは、ほんの10分そこらである。
決済が必要な書類と睨めっこをしつつ、こちらを送り出してくれたのは、覚えていた。その時は、確かに起きていたはずなのだが……。
「――無理もないか」
言葉というよりも溜息に近い声音で、キンタローは、ふっと肩の力を抜いた。シンタローを起そうかと思ったが、やめた。
もちろん、まだ、仕事は残っている。早急にやらなければいけないもので、明日には回せない。けれど―――。
(一時間ぐらいならば、こちらも手伝えば間に合うだろう)
そう結論が出た時点で、起す気はなくなった。
ぱさっ。
手にした書類が、ちょっとした動作で、軽い音を立てる。
「っと」
慌ててそれをしっかりと握り締め、出来る限り音を殺した。
起さないと決めたからには、決めた時間までに、起きることがないように、努力する。はたからみれば、馬鹿馬鹿しい行動かもしれないが、キンタローは真剣だった。
注意に注意を重ねて、そろりと部屋を移動する。外に出る方がいいかもしれないが、ドアが開く音で、起きるかもしれなかった。もっとも、こちらが部屋に入った時には、起きなかったのだから、大丈夫かもしれないが、やはり起きる可能性がある以上は、外へ出て行くこともできなかった。
故に、キンタローは、その場に座り込んだ。ソファーの上ではなく、絨毯の上だ。行儀は悪いかもしれないが、音を立てないようにするには、これが一番だった。
(さて、どうしようか)
座り込んで、はたと気付く。外にも出ずに、このままシンタローを寝かせるとなれば、自分はその間、何も出来ないまま、思うように動くことも出来ず、この部屋にいなければいけないのだ。
(ああ、そうか……)
数分考えてから、キンタローは目を閉じた。相手は、寝ているのだ。それならば、自分も時間まで寝ればいい。
簡単なことだ。
一時間だけ……そう、決めて。キンタローは、目を閉じた。
(やべっ!)
シンタローは、跳ね起きるようにして目覚めた。意識が覚醒した瞬間、じっとりと冷や汗がでる。寝てはいけない時間に眠り込んでしまったという自覚があった。
一体自分は、いつから寝ていたのだろうか。思い返してみれば、鈍いながらも回り出した頭が、寝る瞬間の出来事を掘り返してくれる。もちろん、その時の自分に、寝るつもりなどまったく無かった。
ただ、キンタローが、書類を取りにいってくると、部屋から出て行き、ひとりっきりになったとたん、張り詰めていた空気が少しだれてしまい、それに誘惑されるようにして、ちょっと休憩のつもりで、机の上に突っ伏すようにして目を閉じた。そこから―――意識がなかった。
要するに、そのままぐっすりと眠り込んでしまったのだ。
(って、キンタローは?)
時計を見れば、アレから一時間半も経過している。なぜ、そんな時間になるまで、自分は放置されていたのだろうか。いったい、自分の補佐であるキンタローはどこにいったのか。
机の上から立ち上がって、部屋を見渡したシンタローは、床にありえないものを見つけて、唖然とした。
「キ、キンタロー?」
そこに、小さく丸々ようにしているのは、自分の有能なる補佐であるはずのキンタローであった。ぐっすりと眠っているようで、こちらが呆れた様子で見下ろしているのにも、気付いてなかった。
「……なんで?」
どうして、キンタローが寝ているのだろうか。いや、それよりも、なぜ床に寝ているのか…すぐ横には、ソファーがあるというのに。
首を傾げて考え込むこと数秒。
簡単な答えがすぐに頭の中で、ひらめいて、納得した。
(俺のために、決まっているよな)
キンタローが寝ているのも、それが床の上であったのも、全部自分のためだ。
たぶん、ぐっすり寝ている自分を見つけて、彼は、起さないことを決めたのだろう。さらに、音を立てたらいけないと思いソファーではなく、床に座り、そして……きっと、音も立てずにすることなどなかったから、自分も寝たのだ。
「ぷっ…くくくくっ」
シンタローは零れる笑いを極力殺そうと、努力するが、それでも漏れるそれを抑え切れなかった。
なんていい奴、なんて可愛い奴なのだろう。
仕事はまだ終わってはいない。遠慮などせず、さっさと起せばいいものを、こちらに遠慮なくソファーに座ればいいものを、全部自分のために行動し、そして、その行動の結果がこれだ。
シンタローは、ゆっくりと移動した。
今度は自分が、寝ているキンタローを起さないように、極力音は立てずに動く。
幼い子のように、背中を丸めて寝ているキンタローの前までやってくると、その場で膝をついた。それでも、相手は目覚めない。随分と深い眠りの中にいるのだろう。
そう言えば、昨日も一昨日も、自分を寝室に無理やり押し込んだ後、キンタローの方は、何か作業していた。補佐官としての仕事以外にも、研究員として、ガンマ団開発部に出入りしているキンタローである。
どちらも疎かにせずに、務めようとすれば、かなりの睡眠時間が削られてしまうのは、容易に想像がつく。それでも、文句一つなく、自分の傍で働いてくれるのだ。
ありがたい――という感情よりも、それがとても愛しく思えるのは、きっと自分の中で、彼がとても大切な存在であり、失えない存在であるからだろう。
それでも、目元に深い隈ができているのが、少々痛ましく思った。
唯一、ほっとさせらるのは、いい夢を見ているのだろう、その口元に小さな笑みが浮かんでいることだった。
シンタローは、そっとそこへ向かって、頭を落としていく。目指すは、笑みを刻む唇。だが、それが触れる刹那、シンタローは動きを止めた。
「さんきゅ、キンタロー」
そうして、唇へ向かっていたそれは、行き成り軌道を変え、キンタローの額の上に移動し、そして、そこにチュッvと軽い音を立て、触れた。
パチリ。
その瞬間、キンタローの瞳が開き、そして、唇が少しだけ不服げに曲がった。
「よう! お目覚めだな」
じっと自分を見つめるその青い瞳を間近で覗き込み、シンタローは、ニヤリと笑った。しかし、相手の顔には、笑みはない。それどころか、かなり不満そうな表情が浮かんでいた。
「なぜ、キスの場所を変えたんだ」
じとりと恨みがましげな視線。その姿に、笑みを堪えることもできずにシンタローは、笑いながらいった。
「何のことだよ? 俺は最初から、お前の額にキスして起そうと思ってたんだぜ?」
もちろん、嘘である。キンタローが目覚めていたことを、シンタローは知っていた。知っていたからこそ、唇へのキスを直前に取りやめ、額にしたのだ。
それは当然照れ隠しで、自分からのキスなど起きている時には、恥かしくてできない。
額へのキスでさえも、ほんのりと頬を色づかせているシンタローに、キンタローは、ふっと悪戯っぽい光を瞳の中に瞬かせると、口をひらいた。
「シンタロー」
「ん? …っと、わッ!」
油断した。拗ねるキンタローの姿が可愛くて、それに気をとられていたために、後ろに回されていた手に気付くのが遅れてしまったのだ。
勢いよく、キンタローの方へと引き寄せられる頭。
(あっ!)
と、思った瞬間、コツンとぶつかる、デコとデコ。
「痛ッ……ん!」
だが、その痛みに、気をとられる間もなく、シンタローの唇は、キンタローのそれにしっかりと奪われ、そしてたっぷりと堪能されていた。
数分後
「………おデコが痛いんですけど、キンタローさん?」
ようやく解放されたシンタローが、そう訴えかければ、先ほどとは打って変わってご機嫌な表情をした相手が、にこやかな笑みとともに応えてくれた。
「お前のキスが、俺の唇からそれた時の痛みを考えれば、そんなものは痛みのうちにはいらん」
「……そんなものですか~?」
きっぱりと確信をもって告げてくれる相手に、こちらとしても、本当かどうか、確かめるすべはない。
それとも、今度はキンタローの方からやってもらえばいいだろうか? そんなことを考えつつ、まだ少しだけひりひり痛む額を、シンタローはそろりと撫でた。
声をかけて気がついた。手にしている書類を渡す相手が、ぐっすりと寝入っていることに。
いつの間に寝たのだろうか。秘書課の方から、必要書類を受け取りにいってくると総帥室を留守にしたのは、ほんの10分そこらである。
決済が必要な書類と睨めっこをしつつ、こちらを送り出してくれたのは、覚えていた。その時は、確かに起きていたはずなのだが……。
「――無理もないか」
言葉というよりも溜息に近い声音で、キンタローは、ふっと肩の力を抜いた。シンタローを起そうかと思ったが、やめた。
もちろん、まだ、仕事は残っている。早急にやらなければいけないもので、明日には回せない。けれど―――。
(一時間ぐらいならば、こちらも手伝えば間に合うだろう)
そう結論が出た時点で、起す気はなくなった。
ぱさっ。
手にした書類が、ちょっとした動作で、軽い音を立てる。
「っと」
慌ててそれをしっかりと握り締め、出来る限り音を殺した。
起さないと決めたからには、決めた時間までに、起きることがないように、努力する。はたからみれば、馬鹿馬鹿しい行動かもしれないが、キンタローは真剣だった。
注意に注意を重ねて、そろりと部屋を移動する。外に出る方がいいかもしれないが、ドアが開く音で、起きるかもしれなかった。もっとも、こちらが部屋に入った時には、起きなかったのだから、大丈夫かもしれないが、やはり起きる可能性がある以上は、外へ出て行くこともできなかった。
故に、キンタローは、その場に座り込んだ。ソファーの上ではなく、絨毯の上だ。行儀は悪いかもしれないが、音を立てないようにするには、これが一番だった。
(さて、どうしようか)
座り込んで、はたと気付く。外にも出ずに、このままシンタローを寝かせるとなれば、自分はその間、何も出来ないまま、思うように動くことも出来ず、この部屋にいなければいけないのだ。
(ああ、そうか……)
数分考えてから、キンタローは目を閉じた。相手は、寝ているのだ。それならば、自分も時間まで寝ればいい。
簡単なことだ。
一時間だけ……そう、決めて。キンタローは、目を閉じた。
(やべっ!)
シンタローは、跳ね起きるようにして目覚めた。意識が覚醒した瞬間、じっとりと冷や汗がでる。寝てはいけない時間に眠り込んでしまったという自覚があった。
一体自分は、いつから寝ていたのだろうか。思い返してみれば、鈍いながらも回り出した頭が、寝る瞬間の出来事を掘り返してくれる。もちろん、その時の自分に、寝るつもりなどまったく無かった。
ただ、キンタローが、書類を取りにいってくると、部屋から出て行き、ひとりっきりになったとたん、張り詰めていた空気が少しだれてしまい、それに誘惑されるようにして、ちょっと休憩のつもりで、机の上に突っ伏すようにして目を閉じた。そこから―――意識がなかった。
要するに、そのままぐっすりと眠り込んでしまったのだ。
(って、キンタローは?)
時計を見れば、アレから一時間半も経過している。なぜ、そんな時間になるまで、自分は放置されていたのだろうか。いったい、自分の補佐であるキンタローはどこにいったのか。
机の上から立ち上がって、部屋を見渡したシンタローは、床にありえないものを見つけて、唖然とした。
「キ、キンタロー?」
そこに、小さく丸々ようにしているのは、自分の有能なる補佐であるはずのキンタローであった。ぐっすりと眠っているようで、こちらが呆れた様子で見下ろしているのにも、気付いてなかった。
「……なんで?」
どうして、キンタローが寝ているのだろうか。いや、それよりも、なぜ床に寝ているのか…すぐ横には、ソファーがあるというのに。
首を傾げて考え込むこと数秒。
簡単な答えがすぐに頭の中で、ひらめいて、納得した。
(俺のために、決まっているよな)
キンタローが寝ているのも、それが床の上であったのも、全部自分のためだ。
たぶん、ぐっすり寝ている自分を見つけて、彼は、起さないことを決めたのだろう。さらに、音を立てたらいけないと思いソファーではなく、床に座り、そして……きっと、音も立てずにすることなどなかったから、自分も寝たのだ。
「ぷっ…くくくくっ」
シンタローは零れる笑いを極力殺そうと、努力するが、それでも漏れるそれを抑え切れなかった。
なんていい奴、なんて可愛い奴なのだろう。
仕事はまだ終わってはいない。遠慮などせず、さっさと起せばいいものを、こちらに遠慮なくソファーに座ればいいものを、全部自分のために行動し、そして、その行動の結果がこれだ。
シンタローは、ゆっくりと移動した。
今度は自分が、寝ているキンタローを起さないように、極力音は立てずに動く。
幼い子のように、背中を丸めて寝ているキンタローの前までやってくると、その場で膝をついた。それでも、相手は目覚めない。随分と深い眠りの中にいるのだろう。
そう言えば、昨日も一昨日も、自分を寝室に無理やり押し込んだ後、キンタローの方は、何か作業していた。補佐官としての仕事以外にも、研究員として、ガンマ団開発部に出入りしているキンタローである。
どちらも疎かにせずに、務めようとすれば、かなりの睡眠時間が削られてしまうのは、容易に想像がつく。それでも、文句一つなく、自分の傍で働いてくれるのだ。
ありがたい――という感情よりも、それがとても愛しく思えるのは、きっと自分の中で、彼がとても大切な存在であり、失えない存在であるからだろう。
それでも、目元に深い隈ができているのが、少々痛ましく思った。
唯一、ほっとさせらるのは、いい夢を見ているのだろう、その口元に小さな笑みが浮かんでいることだった。
シンタローは、そっとそこへ向かって、頭を落としていく。目指すは、笑みを刻む唇。だが、それが触れる刹那、シンタローは動きを止めた。
「さんきゅ、キンタロー」
そうして、唇へ向かっていたそれは、行き成り軌道を変え、キンタローの額の上に移動し、そして、そこにチュッvと軽い音を立て、触れた。
パチリ。
その瞬間、キンタローの瞳が開き、そして、唇が少しだけ不服げに曲がった。
「よう! お目覚めだな」
じっと自分を見つめるその青い瞳を間近で覗き込み、シンタローは、ニヤリと笑った。しかし、相手の顔には、笑みはない。それどころか、かなり不満そうな表情が浮かんでいた。
「なぜ、キスの場所を変えたんだ」
じとりと恨みがましげな視線。その姿に、笑みを堪えることもできずにシンタローは、笑いながらいった。
「何のことだよ? 俺は最初から、お前の額にキスして起そうと思ってたんだぜ?」
もちろん、嘘である。キンタローが目覚めていたことを、シンタローは知っていた。知っていたからこそ、唇へのキスを直前に取りやめ、額にしたのだ。
それは当然照れ隠しで、自分からのキスなど起きている時には、恥かしくてできない。
額へのキスでさえも、ほんのりと頬を色づかせているシンタローに、キンタローは、ふっと悪戯っぽい光を瞳の中に瞬かせると、口をひらいた。
「シンタロー」
「ん? …っと、わッ!」
油断した。拗ねるキンタローの姿が可愛くて、それに気をとられていたために、後ろに回されていた手に気付くのが遅れてしまったのだ。
勢いよく、キンタローの方へと引き寄せられる頭。
(あっ!)
と、思った瞬間、コツンとぶつかる、デコとデコ。
「痛ッ……ん!」
だが、その痛みに、気をとられる間もなく、シンタローの唇は、キンタローのそれにしっかりと奪われ、そしてたっぷりと堪能されていた。
数分後
「………おデコが痛いんですけど、キンタローさん?」
ようやく解放されたシンタローが、そう訴えかければ、先ほどとは打って変わってご機嫌な表情をした相手が、にこやかな笑みとともに応えてくれた。
「お前のキスが、俺の唇からそれた時の痛みを考えれば、そんなものは痛みのうちにはいらん」
「……そんなものですか~?」
きっぱりと確信をもって告げてくれる相手に、こちらとしても、本当かどうか、確かめるすべはない。
それとも、今度はキンタローの方からやってもらえばいいだろうか? そんなことを考えつつ、まだ少しだけひりひり痛む額を、シンタローはそろりと撫でた。
PR