ことり、とテーブルから聞こえてきた音に、シンタローは顔をあげた。
「ああ、ありがとう。キンタロー」
テーブルの上には、湯気が立ち上るティーカップが置かれていた。中には琥珀色の液体が入っている。それを持って来てくれたのは、ガンマ団総帥である自分の補佐を務めてくれているキンタローであった。
一息つくようにふぅ、と息を強く吐いてから、書類から目を放し、両手を上に持ち上げ伸ばす。軽く肩を回してから、ようやくティーカップへと手を伸ばした。
こくりと一口飲んで、シンタローは、驚いたように顔を上げた。
「酒?」
その言葉に、見つめられた相手は、こくりと頷いた。
「蜂蜜を混ぜたカリン酒を温めた。今日は朝から喉の調子が悪そうだったからな」
その言葉に、ぱちくりと瞬きをする。
気がついていたのか。
朝から、喉がいがらっぽく、痛みも伴っていたが、たいしたことはないだろうと放っておいていた。だが、他のものに知られれば煩いから、なるべく声は出さないように仕事をしていたのだ。今日の予定がデスクワーク中心であったために、大丈夫だと思っていたが、しかし、今日は一日中傍で仕事をしていたキンタローには、しっかり気付かれていたようである。
「ありがとう」
もう一度感謝の気持ちを伝え、甘い芳香をくゆらせるカップに口をつけた。
「そう言えば………」
喉だけでなく身体を全体も温めてくれたカリン酒を飲み干したシンタローは、ふっと思い出したように、窓へ視線を向けた。
「そろそろ、花梨の花咲く頃だな」
「そうなのか?」
つられるようにキンタローも外を眺めるが、あいにく見える範囲にカリンの木はない。カリンを植えてあるのは、ここではないのだ。
「ああ、親父が果実酒作るために三本くらい植えてあるからさ、子供の頃収穫も手伝ったこともあるし、覚えている」
カリンの花は、ピンク色をした愛らしい花である。小さいながらも、くっきりとしたピンク色が瑞々しい若葉の上へ咲き誇り、遠くからでも目立つほどである。それは、庭に植えられていた。花が咲けば実がなることを知っているから、子供ながら、花が咲けばその周りで、咲いた咲いたとはしゃいでいた。秋には大きな実となり、マジックと一緒に収穫するのだ。
「酒だったから、出来上がってもあまり飲ましてくれなかったけどさ。喉が痛い時は、決まって出してくれていた」
「そうか」
笑みを浮かべて相槌を打ってくれるキンタローに、けれど、ハッとシンタローは気付いたように表情を固まらせた。
(しまった……)
キンタローには、こんな風に小さな頃の思い出はないのだ。そのために、なるべくそういう過去は、語らないでいたのだが、カリン酒を出されて、つい思い出話をしてしまった。
もちろん、キンタロー自身が気を悪くしている様子は見えない。それでも、シンタローは、ばつが悪かった。気にしすぎだと言われそうだが、後ろめたさは消えてはくれない。やっかいだと思うけれど、こればかりは仕方がなかった。
出来うることならば、今からでも思い出を作りたい。
(ああ、そうか―――)
「どうした?」
きっとはたから見れば百面相をしているようだろう。コロコロ表情を変えるシンタローに、キンタローが怪訝な声をかければ、先ほど思いついた案を口にのせた。
「えっと………今年は、俺たちも作るか?」
「カリン酒をか?」
「ああ、そうだ―――嫌か?」
新たにカリンで思い出を作ればいいと思ったのだ。固いあの実を収穫して、一緒に果実酒を作って、二人で飲む。
「いいや。それはいいな」
そういってくれたことにホッとひと安心し、シンタローは中断していた作業に戻ることにした。
「じゃあ、もうひと頑張りしますか!」
「シンタロー」
声をかけられ、顔を上げる。
「ん? って、何を!」
急接近する顔に、思わずギュッと目をつぶる。
ちゅっ。
「…………」
目を開けてじろりと睨む。
「行き成り何をするんだ?」
「頑張ってくれ、という意味のつもりだったが?」
さらりと告げてくれるその言葉に、唇がへの字に曲がる。
「で、なんで頬なわけ?」
そう。あの時、唇に来ると思っていたキスは、けれど予想に反して、頬への軽いキスだった。
唇に来ると思っていたために、慌てた自分に恥かしくなる。そんな自分に、キンタローはニッと笑って見せた。
「それは、だな。唇では、我慢できなくなるからだ。いいか、お前の唇にキスするだけで、俺は満足など全然しないからしなかったのだ」
「なるほど」
納得である。
それに関しては、自分も同感である。その先が、もっと欲しくなるというものだ。
「んじゃ、これを全て片付けますか」
そうすれば、好きな場所にキスができる。かすかに甘いカリンの香りが漂う部屋で、シンタローはペンを取った。
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