「帰りたいのか?」
そう問われて、
「どこへ?」
分からぬ振りして、そう答えた。
今日は、冬の最中というのに、珍しく暖かな日だった。正午過ぎ、昼食を食べ終わった後の一服を、日差しが差し込む中庭で堪能しようと思ったのは、ただの気まぐれ。
実際それは正解で、風があまり入り込まない中庭では、燦々と差し込む冬の日差しに温められ、心地よさを感じさせてくれていた。
吐き出された紫煙が、真四角に切り取られた空へと昇る。
四方は団本部にぐるりと囲まれていて、南側だけは、日の差込も考え、二階までしかないのだけれど、それでもやはり四角く区切られてしまった空は、少しだけ寂しさを味あわせてくれる。
それはたぶん、空の本当の広さを知っているため。
どこまでも、地平線の彼方まで続く空を、自分は何度も見ていたから、窮屈げなその空が、少しだけ切なかった。
今の自分には、この空しかないことが、歯痒かった。
「シンタロー」
名を呼ばれた。
タバコを口の端に咥えたまま、振り返れば、金色の光が目に突き刺さった。少し目を細めれば、自分と同じ銘柄のタバコを咥えたキンタローの姿を確認できる。
「ん?」
言葉すくなに、自分を呼んだ理由を促せば、ともに休憩のためにここへいたキンタローは、まっすぐに自分へ視線を定め、言葉を紡いだ。
「帰りたいのか?」
問われた言葉は、唐突なもので、一瞬動作を全てとめ、それからパチクリと瞬きをして、シンタローはキンタローを見つめた。
頭の中で質問を反芻する。ゆっくりと時間をかけて、理解をし、理解したとたん、シンタローの口元は、苦くゆがんだ。
「どこへ?」
タバコを口から取り出し、吐き出される紫煙とともに、そう言う。けれどその言葉は、ただの意地悪でしかなかった。
『どこへ?』と尋ねながらも、自分が答えを知っているにもかかわらず、あえて相手に言わせようとしているのである。
それでも、問いかけたかった。
どこへ帰れというのだろうか。
あの楽園は、もうない。
今でもそのことについては、後悔はしていた。あの島を巻き込んでの戦いのことを。あの美しい島に、一族が生み出した狂ったような嵐を運びこんだことを。
起こったことで、明るみにでた事実には、後悔することはやめたけれど、それでも傷つけてしまったあの島のことを思うと胸がまだ痛む。
あそこは自分にとっては楽園で、楽園だからこそ、欠片も損なうことは許されない。いつまでもそこにあり続けなければいけないものであったのだ。けれど、もうそれはない。どこにもない。
いや、新たなパプワ島は、どこかで生まれているだろう。大切な友達が、楽園を再び築き上げているはずだ。
それは、あの島との別れの時に察することができた。けれど、失った楽園は、失ったまま。時分は、もう二度と、あの楽園を自分の手で触れることはできないのだ。
楽園は、本当の意味で永遠の楽園となり、消えてなくなったのである。
「帰るつもりなんだろう」
こちらの質問には答えずに、確信をもってそう言われても困ってしまう。
帰る場所はもうどこにもなく、彼らと再び出会えることは願っていても、どこに行けばいいのか分からない。
それなのに、キンタローは、すい終わったタバコを携帯灰皿の中に押し込んで、自分の二の腕へ手を伸ばし、掴んだ。
「お前がどこへ帰ろうともかまわないが、俺にとって帰る場所は、お前の元だからな。いいか、忘れるなよ。俺は、お前がどこへ行こうとも傍にいるからな」
そうきっぱりと宣言してくれる。
真剣な面差し。揺らぐことのない眼差し。決意を込められて告げられたそれに、どうしたんだ――とは、聞かなかった。
たぶん、この雰囲気のせいだろう。
常夏の島とは違いすぎる状況なのに、けれど、今、ここに流れる穏やかな空気は、とてもパプワ島に酷似していた。
そんな場所にいて、おそらく自分は、ガンマ団総帥としてのシンタローではなく、パプワ島にいたシンタローの顔をしていたに違いなかった。
確かにキンタローに話しかける前に思いを馳せていたのは、パプワ島のことで、だから、要らぬ不安を彼に抱かせてしまったのだろう。
いつか、自分を置いて、パプワ島へ一人で行ってしまうのではないかと、危惧させたのだ。
(しかし……キンタローの帰る場所が俺の傍ね)
薄々感づいてはいたけれど、改めてそう言葉にされれば、苦笑してしまう。24年間築かれた絆は、浅くはないということか。
確かに、彼はずっと自分の中にいて、自分の中に安らげる場所を見出していたのだ。
それは、肉体を得てからも変わりがないということなのだろう。
それならば、別にかまわなかった。キンタロー自身がそう決めたのならば、こちらに拒絶の意思はない。
しかし、キンタローの帰る場所は、どこかの地ではなく、人なのである。
その考えに、シンタローも、はたと気づいた。
「そっか――んじゃあ、俺の帰る場所も島ではないかもな…」
自分がたどり着いた楽園は、もうどこにもない。それは分かりきったこと。
けれど、自分自身は、確かにまた再び帰るのだという気持ちがあった。
もしかしたら、それはキンタローと同じ考えなのかもしれない。
(俺にとっての帰る場所は、確かにパプワ島という島だろうけれど、それ以上に―――パプワ達がいることなんだろうな)
それならば、納得がいく。
自分の中に、新たなパプワ島に行くという意識はあまりない。それよりも、また彼らの元へ戻るという方が強かった。
シンタローも手を伸ばし、掴まれていたキンタローの手を掴んだ。そのままお互い、手をつなぐような格好で、両隣に座り込む。
「次は、一緒に行こうか――あの島に」
また帰るために、あの島へ。あの者達の元へ。
握り締めた手が、強く握り返される。
「ああ、手土産は忘れずにもって行こう」
「……ぷっ。――そうだな」
数年前とはまったく違い、すっかり礼儀正しげな青年になったキンタローを、あの島のものは、きっと受け入れてくれるだろう。
だから、安心して帰れる―――彼らの元に。
(いつか……またな)
区切られた空から飛び出して、大海原を渡って、あの小さな楽園に戻ろう。
大切な人とともに、大事な友に会いに――。
「ただいま」
「おかえり」
その言葉を交わすために――――。
そう問われて、
「どこへ?」
分からぬ振りして、そう答えた。
今日は、冬の最中というのに、珍しく暖かな日だった。正午過ぎ、昼食を食べ終わった後の一服を、日差しが差し込む中庭で堪能しようと思ったのは、ただの気まぐれ。
実際それは正解で、風があまり入り込まない中庭では、燦々と差し込む冬の日差しに温められ、心地よさを感じさせてくれていた。
吐き出された紫煙が、真四角に切り取られた空へと昇る。
四方は団本部にぐるりと囲まれていて、南側だけは、日の差込も考え、二階までしかないのだけれど、それでもやはり四角く区切られてしまった空は、少しだけ寂しさを味あわせてくれる。
それはたぶん、空の本当の広さを知っているため。
どこまでも、地平線の彼方まで続く空を、自分は何度も見ていたから、窮屈げなその空が、少しだけ切なかった。
今の自分には、この空しかないことが、歯痒かった。
「シンタロー」
名を呼ばれた。
タバコを口の端に咥えたまま、振り返れば、金色の光が目に突き刺さった。少し目を細めれば、自分と同じ銘柄のタバコを咥えたキンタローの姿を確認できる。
「ん?」
言葉すくなに、自分を呼んだ理由を促せば、ともに休憩のためにここへいたキンタローは、まっすぐに自分へ視線を定め、言葉を紡いだ。
「帰りたいのか?」
問われた言葉は、唐突なもので、一瞬動作を全てとめ、それからパチクリと瞬きをして、シンタローはキンタローを見つめた。
頭の中で質問を反芻する。ゆっくりと時間をかけて、理解をし、理解したとたん、シンタローの口元は、苦くゆがんだ。
「どこへ?」
タバコを口から取り出し、吐き出される紫煙とともに、そう言う。けれどその言葉は、ただの意地悪でしかなかった。
『どこへ?』と尋ねながらも、自分が答えを知っているにもかかわらず、あえて相手に言わせようとしているのである。
それでも、問いかけたかった。
どこへ帰れというのだろうか。
あの楽園は、もうない。
今でもそのことについては、後悔はしていた。あの島を巻き込んでの戦いのことを。あの美しい島に、一族が生み出した狂ったような嵐を運びこんだことを。
起こったことで、明るみにでた事実には、後悔することはやめたけれど、それでも傷つけてしまったあの島のことを思うと胸がまだ痛む。
あそこは自分にとっては楽園で、楽園だからこそ、欠片も損なうことは許されない。いつまでもそこにあり続けなければいけないものであったのだ。けれど、もうそれはない。どこにもない。
いや、新たなパプワ島は、どこかで生まれているだろう。大切な友達が、楽園を再び築き上げているはずだ。
それは、あの島との別れの時に察することができた。けれど、失った楽園は、失ったまま。時分は、もう二度と、あの楽園を自分の手で触れることはできないのだ。
楽園は、本当の意味で永遠の楽園となり、消えてなくなったのである。
「帰るつもりなんだろう」
こちらの質問には答えずに、確信をもってそう言われても困ってしまう。
帰る場所はもうどこにもなく、彼らと再び出会えることは願っていても、どこに行けばいいのか分からない。
それなのに、キンタローは、すい終わったタバコを携帯灰皿の中に押し込んで、自分の二の腕へ手を伸ばし、掴んだ。
「お前がどこへ帰ろうともかまわないが、俺にとって帰る場所は、お前の元だからな。いいか、忘れるなよ。俺は、お前がどこへ行こうとも傍にいるからな」
そうきっぱりと宣言してくれる。
真剣な面差し。揺らぐことのない眼差し。決意を込められて告げられたそれに、どうしたんだ――とは、聞かなかった。
たぶん、この雰囲気のせいだろう。
常夏の島とは違いすぎる状況なのに、けれど、今、ここに流れる穏やかな空気は、とてもパプワ島に酷似していた。
そんな場所にいて、おそらく自分は、ガンマ団総帥としてのシンタローではなく、パプワ島にいたシンタローの顔をしていたに違いなかった。
確かにキンタローに話しかける前に思いを馳せていたのは、パプワ島のことで、だから、要らぬ不安を彼に抱かせてしまったのだろう。
いつか、自分を置いて、パプワ島へ一人で行ってしまうのではないかと、危惧させたのだ。
(しかし……キンタローの帰る場所が俺の傍ね)
薄々感づいてはいたけれど、改めてそう言葉にされれば、苦笑してしまう。24年間築かれた絆は、浅くはないということか。
確かに、彼はずっと自分の中にいて、自分の中に安らげる場所を見出していたのだ。
それは、肉体を得てからも変わりがないということなのだろう。
それならば、別にかまわなかった。キンタロー自身がそう決めたのならば、こちらに拒絶の意思はない。
しかし、キンタローの帰る場所は、どこかの地ではなく、人なのである。
その考えに、シンタローも、はたと気づいた。
「そっか――んじゃあ、俺の帰る場所も島ではないかもな…」
自分がたどり着いた楽園は、もうどこにもない。それは分かりきったこと。
けれど、自分自身は、確かにまた再び帰るのだという気持ちがあった。
もしかしたら、それはキンタローと同じ考えなのかもしれない。
(俺にとっての帰る場所は、確かにパプワ島という島だろうけれど、それ以上に―――パプワ達がいることなんだろうな)
それならば、納得がいく。
自分の中に、新たなパプワ島に行くという意識はあまりない。それよりも、また彼らの元へ戻るという方が強かった。
シンタローも手を伸ばし、掴まれていたキンタローの手を掴んだ。そのままお互い、手をつなぐような格好で、両隣に座り込む。
「次は、一緒に行こうか――あの島に」
また帰るために、あの島へ。あの者達の元へ。
握り締めた手が、強く握り返される。
「ああ、手土産は忘れずにもって行こう」
「……ぷっ。――そうだな」
数年前とはまったく違い、すっかり礼儀正しげな青年になったキンタローを、あの島のものは、きっと受け入れてくれるだろう。
だから、安心して帰れる―――彼らの元に。
(いつか……またな)
区切られた空から飛び出して、大海原を渡って、あの小さな楽園に戻ろう。
大切な人とともに、大事な友に会いに――。
「ただいま」
「おかえり」
その言葉を交わすために――――。
PR