作・斯波
風のような僕の恋人
君を見るたびに
僕の心は青く染まる
どうかずっと 側にいて
STAY WITH ME
読んでいた論文に栞を挟んで時計を見上げる。
(あいつがバスルームに行ってから三十分)
「おい、シンタロー!」
慌てて扉を開けて覗いてみると、案の定シンタローはバスタブの中で水死体になりかけていた。
「―――だからもう少し待っていろと言っただろう」
「悪い・・・」
俺の肩に頭をもたせかけてシンタローは盛大な欠伸をした。
「後十分気づかなければ、ガンマ団は次の総帥候補を捜さなければならないところだったぞ」
「んなもんおまえがなりゃあいいじゃねえか」
「馬鹿なことを言うな!」
声を荒げた俺にシンタローがひょいと首をすくめる。
「だっておまえを待ってたらいつになるか分かんねーだろ。眠かったしとにかく早く風呂入りたかったんだよ」
確かに論文を読み終えるまで待っていてくれと言ったのは俺だ。
しかし二十八歳にもなって風呂で溺れかけるというのは如何なものかと思う。
それも今回が初めてではないのだ。シンタローは疲れているとすぐ風呂の中で眠りこんでしまう。子供の頃からそうだったといつかマジック伯父貴が笑っていた。
大抵は顔が湯の中に沈んだ時点で目を覚ますのだが、時々ぶくぶくと泡を立てながら沈んでいることがあって、だから俺の用事が済むまで待っていろと言ったのだ。
そんなに眠いのなら風呂に入らず寝てしまえばいいと思うのだが、シンタローは一日の終わりには風呂に入って疲れを癒すものだと言って譲らない。
俺は溜息をついて濡れてしまった髪をすくいあげた。
「・・・待たせて悪かった」
(何故にいつもいつも俺が謝らねばならんのだ)
たまにはそう思うが、分かりゃいーんだよ、と得意そうに笑うシンタローを見るとつい甘やかしたくなってしまうから不思議だ。
―――キンちゃんはシンちゃんに甘いよね。ゲロ甘だよ。
そう言ってご丁寧にえろろろろ、と砂まで吐いてみせたグンマの言葉を思い出す。
「あー・・動きたくねえ」
シンタローの部屋の風呂は広い。風呂好きの息子のためにマジック伯父貴が作ったバスタブは、190cmを超える男二人が一緒に入ってなお楽々手足を伸ばせる大きさなのだ。
「誰か俺の代わりに服着て歯ァ磨いて寝てくんねーかな・・・」
言っている意味がまるで分からない。
背後から俺に抱かれる形で湯に浸かっているシンタローは、いつになく疲れて見えた。
仕事が終わった後ざっとシャワーを浴びていたから、身体はそこそこ綺麗になっているはずだが、髪の方はそうもいかないだろう。
面倒くせェ、とぶつぶつ呟いているシンタローに、
「俺が洗ってやろうか」
と言ってみると、ぱっと目を輝かせた。
「マジで!? マジで洗ってくれんの? や、言ってみるもんだなー!」
―――またノセられたか。
「バスタブの中でいいか? 出ると寒いし」
「いいいい、全然いい」
さっきまで湯の中に沈んでいたせいで、長い黒髪はもうすっかり濡れている。
棚からシャンプーを取り、掌に垂らすとぱっといい香りが広がった。
「シャンプーを変えたのか?」
「ああ、グンマがくれた。ブルガリアの薔薇のエキスが入ってんだってさ」
「ふうん・・」
甘酸っぱい香りは薔薇のものか。しつこくなくて気に入った。
後で俺もグンマにねだってみようと思いながらシンタローの髪に指を差し入れる。
ごしごし洗い出すと、シンタローは猫のようにうっとり目を細めた。
喉がごろごろ言うのが聞こえるような気さえする。
「気持ちいいか?」
「すっげー気持ちいい・・・」
「力の入れ方が違うからだ。腕のいい美容師はカットだけじゃなくてシャンプーも上手い」
「まあな。だけどやっぱりおまえだからじゃねえかな」
「うん?」
「きっとおまえの手だから、こんなに気持ちいいんだよ」
無防備な顔でさらりとそんなことを言うおまえが、可愛くて仕方が無い。
そう思う俺はきっと、もう取り返しがつかないほどおまえに病んでいるんだろう。
生え際から旋毛。
耳の後ろからうなじまで。
きっとシンタロー自身の手によってさえ、これほど丁寧に扱われたことはないだろう。
そう思えるほど、俺は優しくシンタローの髪を洗った。
するすると指の間を滑っていく髪の手触りが気持ちいい。
「綺麗な髪だ」
「あん、そうか? 長いから面倒なんだよな」
「切るなよ」
シャワーで泡を流しながら俺はその髪をすくいあげて口づけた。
薔薇の甘い香りが鼻先をくすぐる。
「勿体ないから、切るな」
「んだよキンタロー、てめー髪フェチか?」
そうじゃない。
おまえの髪だから好きなんだ。
閉じこめられて過ごした長い年月の後、まるで一陣の風のように俺の前に突如現れた。
(一族でただ一人の黒い瞳と黒い髪)
互いが互いを愛しすぎ憎みすぎてもうどうしようもないところまできていた青の一族を、正しい道へと導いてくれたおまえの周りで揺れていた、その髪だから。
―――シンタロー。
おまえのすべてが愛おしくてたまらない。―――
「お客様、かゆいところはございませんか?」
「生え際がちょっとまだかゆいんですけど」
「かしこまりました」
真面目くさった俺の声が可笑しいとシンタローがげらげら笑い出す。
「動くな、目に沁みるぞ」
子供みたいに身をよじって笑う恋人をたしなめながら髪を洗う。
「はい、終了」
すっかり流して綺麗になった紙を、湯に浸からないようにくるりとまとめてタオルで束ねる。
「あー気持ちよかった! キンタロー、おまえ美容師の才能あるんじゃねえ?」
さっきまでの疲れなどどこかへ飛んでいってしまったような上機嫌に俺は嬉しくなった。
「他の奴の髪なんか洗いたくないな」
おまえだけのスペシャルサービスだ。
そう囁いてやるとシンタローはくすぐったそうに首をちぢめて笑った。
「当たり前だろ。俺以外の奴にこんなことしてみろ、もう口利いてやらないからな」
「それは困る」
「んじゃ俺だけにしとけ。そしたら一生おまえの側にいてやる」
悪戯っぽい瞳でくれたキスは、仄かな薔薇の香りがした。
ともすれば論理という鎖に囚われて迷路に迷う俺の心に、おまえは風を運んでくる。
幸せな気持ちになった時にも、今までの俺はいろんなことを考えて考えすぎてそのために幸せを逃すことが多かった。
おまえは俺の内側までは踏み込んでこない。
ただ笑って、俺の隣にいる。
猫の目のようにくるくる変わる機嫌とその表情で、手当たり次第に俺を振り回す。
(偉そうで俺様で)
我が儘で不器用で、そして優しい俺の恋人。
(誰よりもたくさんの涙を流したのに)
何もなかった顔で笑っている、そんな恋人。
伝えたいことは、たくさんあるんだ。
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えろろろろ。
シンちゃんの部屋の風呂はどんだけデカイんだろう。
キンちゃんはきっとメイクも着付けも完璧です。後のお手入れまでしてくれそうです。
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