『連敗記録』
「メーシ、メシメシ~~!」
「はーいはいはいはい!分かったからちょっと大人しくしてろよパプワ!」
言いながらも鍋を掻き混ぜる手を止める事はない男が、ガンマ団№1の殺し屋などと誰が信じられるだろうか。
少なくとも№2であるアラシヤマは己の目で見ているにも関らず信じられずにいた。
あれが長年越えられない男なのか。
いくら秘石眼を持つ少年が相手とはいえ、大の男があんなに振り回されるとは情け無い。
「で、テメェは何人様の家を堂々と覗いてやがんだよ」
不機嫌な声と共に額に突き刺さったお玉にアラシヤマは血を噴出しながら笑みを浮かべた。
「ふふふッ。よぉ見破りはりましたな!」
「そんだけ堂々と台所の窓から見てりゃ誰でも気付くわ!ナメとんのか!!」
眉間に皺を寄せて睨むシンタローを余裕の笑みで見返しながら、お玉の柄を抜き取り指を指した。
「勝負どす!」
「あんだけやってまぁだ懲りねぇのかよ。お前」
「今の所、勝負は五分五分や。今回こそはわてが勝つ!」
「ケッ。上等じゃねぇか、そこで待ってろよ」
エプロンを脱ぎ捨て踵を返した背中に不意打ちのサボテンを投げ付けてやろうとしていた目の前で、
茶色い犬に頭を噛み付かれて泣き叫びながら走り回るシンタローを見てアラシヤマは目を点にした。
「何を言う!まずは僕の昼御飯を作るのが先決だろう!!」
「売られた喧嘩を買ってるだけだろ!」
「む、まだ口ごたえする気なのか。チャッピー!」
少年の掛け声と共により深く食い込んだ牙にシンタローは更に涙を流している。
完全に手玉にとられている男にアラシヤマは少々同情すらしてしまった。
「ずわぁぁぁッ。申し訳ございません、御主人さまぁぁぁぁ!」
「分かればいい」
土下座する男からチャッピーが離れ、シンタローは頭から豪快に血を流しながらアラシヤマを指差した。
「テメーとの決着は飯の後だ」
「全く格好ついてまへんえ」
「喧しいわい!」
冷静な突っ込みにシンタローは涙を流しながらも料理の続きを始め、暇になったらしい少年は
わざわざ表に出て来るとアラシヤマのマントを引っ張った。
「お前、そんなにシンタローと勝負がしたいのか?」
「当然どす」
「だが万年№2という事は一度も勝った事がないんだろう?」
「万年言うなや!ええんどす、試合はよぅやっとりましたが今度は殺し合いどすからわてにも分がありまっさかい」
ふん、と鼻を鳴らせば少年は変わらない表情のままアラシヤマを見上げた。
「試合で勝てなくても殺し合いだと勝てるのか?」
「そうどす」
「妙な自信持ってんじゃねーぞアラシヤマぁ」
不敵に笑うシンタローだが、手元では葱を刻んでいる。
「せやから格好ついてへんって」
「うるせー!ほっとけよ!!」
自棄糞気味に叫んだ男から足元の少年に視線を戻せば、扇を広げて踊り始めていた。
この奇妙な踊りのせいで降り続いた雨で3日間も無駄にしてしまったのは苦い思い出だ。
「しかし何故お前は試合で負けてばかりいたんだ?」
「理由、どすか…」
試合は胴衣の着用が義務付けられており、どちらかが試合不可能になるまで続けられるデスマッチだった。
シンタローに勝てなかった理由はその胴衣にあるのだ。
日本の柔道や空手で着るのと同じ様に前合わせになっているそれは、功夫を使うシンタローにとっては動き易いのだろう
試合開始早々どんどん胸元が肌蹴ていくのだ。
そして厚みのある布の向こう側から迫出て来るのが鍛え上げられた美しい肢体である。
決勝だけあって、身体が温まりきっているので少し動いただけでも汗が浮かぶのだ。
普段は軍服の下に覆い隠されている肌は白い故に血行が盛んになっている試合中は薄っすらと色付いている。
更にそこに浮かぶ汗は若い肢体だけあって珠となり宙を舞うか肌を飾り立てる役割を果し、ライトの光を美しく反射しているのに
思わず見入ってしまったのは不可抗力だ。
楽しんでいるのだろう、普段は滅多に見られない笑みを浮かべ頬を紅潮させて攻撃する男の顔には時折長い髪が
汗で張り付き口は赤く色付いて半開きになっている事が多かった。
そんな表情の下、肌蹴過ぎた胴衣からは胸の突起がよく見えるのである。
日本人と英国人のハーフらしく薄い色をしているそこに何度手が伸びそうになった事か。
同性だと自分に言い聞かせても接近戦ともなれば否応無くそれは目に入り、更に時として肌が拳の先を掠める。
辛抱し過ぎて鼻血を噴出した瞬間に鳩尾に重たい拳を喰らって倒れてしまう事数回。
お陰でシンタローに勝った試しはない。
毎度思うのだが色仕掛けとは卑怯にも程がある。
本人が意識していようがいまいが、現に自分はそれに惑わされて負けたのだ。
「全てはシンタローの卑怯さからどす!」
「いーい度胸だテメェ!おら、飯が出来たから家ン中入って来いパプワ!俺はそいつをブチのめす!!」
「んばば!こりゃ見物だな、チャッピー!」
「わうわう!」
アラシヤマはパプワハウス玄関に周り込むと腕を組んで仁王立ちをした。
パプワに蛸がはみ出したスープの入った御椀を渡し、シンタローは出て来ると右手を構え左足を一歩引いて沈んだ体勢をとった。
「覚悟は出来てんだろーな」
「そっちがなぁ。ほな、いきまっせ!」
一足飛びに間合いを詰めたアラシヤマの目の前で、シンタローのシャツが顔を隠す程に捲れ上がり上半身が露になった。
露になった胸の先端にほぼ条件反射的に鼻血が噴出し、アラシヤマはその場に顔からスライディングをしたのだった。
「~ッ何だ…ってパプワぁ、邪魔すんなよ!」
「おかわり~~!」
「自分でやれば良いだろうが!俺は今忙しいの……って、何やってんだよアラシヤマ」
足元で鼻ばかりか額からも血を流す男を訝しげな目で見たシンタローは腕を組んで首を傾げた。
「お…己シンタロー!またしてもお色気を使うとは卑怯どすえ!!」
「いや、お前何訳分からねぇ事を口走ってんの?」
寝言は寝て言え、とアラシヤマの頭を踏みつけ地面にめり込ませて気絶させ、出てしまったシャツを帯の中にしまい込んだ。
「シンタロー早くおかわりだ!」
「わう!」
「はーいはいはい」
こうしてアラシヤマの連敗記録は更新されたのだった。
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雪原 湊 様
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