++ New days ++
「は?」
間の抜けた声が知らずと口から漏れ出た。
何を言っているんだ、この人は。意味がわからない。
言葉をつむごうとしても唇だけがせわしなく動いて、そこからは音を上手く発することすらできなかった。
「就任式の時に正式に発表するつもりだ。」
そんな様子など見えていないかのように――視線は確かにこちらを向いていたが――彼は告げる。
「それはいいんですが、どげして僕らに先に告げんさるんですか?」
「わっかりきった事聞いてんでねーべ。つまりな、オラたつは特別って事だべ。な、シンタロー。」
黙れ、阿呆共。
「わしらに先頭切ってその方針を実践して団内に根付かせろっちゅー訳じゃな。」
やかましいわ。
「そーいう事だ。なんか質問はあるか?…ねェな。んじゃ下がっていいぜ。」
並んで立っていた同僚たちが一斉に敬礼をする。一瞬だけ遅れて慌てて指先を揃えて額に当てた。
頭の中がこんがらがっている。とりあえず帰ってトレーニングでもして気をまぎらわせよう。
軽い頭痛を覚えながら、同僚たちの後に続いて扉をくぐろうとする。
「アラシヤマ」
低い声が静かに呼び掛けてきた。
振り向くと彼は眉を寄せてつまらないものでも見るようにこちらを見ている。
「お前は残れ。」
威圧的な響きで絶対的な命令が下された。
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今、自分は彼の向かいのソファに座っている。
正直な話、彼が自分を誘ってくれるなどなかなかない機会だ。それが二人きりとなれば更にその割合は減る。
いつもの自分なら飛び上がって喜んだだろうが、今回ばかりは別だった。
「わてだけ呼び止めてなんの用事どすか?最近二人になる機会もあらしまへんかったさかい、わてやって嬉しおすけどぉ…一人だけ残すやなんて、ちぃと露骨どすえ。」
指で頬を掻きながら彼を見ると、彼は先ほどとは違い煙草をふかしながらゆったりとソファに寛いでいた。
「オメーだけだったんだよ。」
紫煙が顔に吹きかけられて目に染みた。
「納得いかねェって顔してやがった。」
非難をする暇も与えられず、また言葉が投げ掛けられる。
「…なんの事でっしゃろ?」
「トットリの奴も眉しかめてたけどな。まァアイツにはミヤギがいるからいいとして、問題は……お前。」
会話にならない。彼は自分の言葉など聞く気はないのだろう。
すらすらと告げながら、眼前に煙草の先端をつきつけてきた。
「言葉だけの忠誠ならいらねェ。」
彼の言葉が冷たく胸を浸食する。
新しいガンマ団の方針に反する奴はいらない。
文句があるようなら何処へなりとも消えろ。
言われていない筈の言葉が淡々と頭に響く。
「正直に言っていいぜ。お前は、この方針についてどう思ってる?」
視線に射抜かれる。
言える訳がないではないか。総帥命令に反する意見など。
「わ、わては…ええと思いますえ。時間はかかると思いますけど」
「嘘吐き」
間髪いれずに遮られる。
促すように向けられた視線は揺るがない。
言いたくないのに。貴方に背く言葉など。
「…………り、や。」
「あァ?」
「無理に決まっとりますやろ! 何が新しい方針やッ! ガンマ団が今までどれだけの時間をかけてここまでの規模になったと思うてはるのッ?! それを根本から否定する方針やなんて、まず団員がついてきまへんわ。阿呆ちゃいますのん?自惚れるんも大概にしなはれや!」
はっと口を押さえたが、もう遅い。
「あ……」
言ってしまった。彼の瞳がそれを聞いて細められる。
「…………ッ」
沈黙が痛い。彼の視線が痛い。
その空気が耐えがたく、絨毯がしかれた柔らかい床を蹴り扉へと走る。
声をかけることは叶わずに、せめてもと軽い会釈をして部屋を出た。
「………あ、あァ…」
言葉にならない声が口から漏れてその場に崩れ落ちる。涙が後から後から頬を伝っていく。
あんなことを言いたかったのではない。
確かに方針変えには反対だった。だけどその理由はあんなものじゃなくて―――
「今まで通りやったら、殺しやったら…誰より上手くやれたんや。あんさんの為に誰よりも優秀にこなせたんや。総帥にならはったあんさんに…わてが一番役に立てる筈やったんや……」
それ以外で貴方の役に立てる方法を自分は知らない。
「わては…あんさんの傍に……」
嗚咽ばかりがひたすらに漏れては消えた。
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貴方が言うと出来る気がしてしまう。
ついていきたくなってしまう。
本当は誰よりそれに貢献したかった。
「……せやけどな」
書き綴ったそれを封筒にいれる。表にはしっかりと『辞表届』と印刷されている。
「あんさんの邪魔にだけはなりとうないんどす…」
封をし、それをファイルにしまいこみ椅子から立ち上がる。
「堪忍な」
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「却下」
目の前でそれは封を切られることもなく、破り捨てられた。
「……つか、なんの冗談だよ。馬ッ鹿じゃねーの。」
冗談じゃないのはこっちだ。
なんのつもりか問いたいのはこっちだ。
「あんさんが…言うたんやないの。従えへんわてのことは必要ないて。わてが新しい方針に反対しとるさかい、せやったらいらんて。」
せめて、貴方が上に立つ前に去りたいのに。そうでなくては、きっと決意は揺らぐ。
「俺、んな事言ってねェよ。」
「言いましたやろ! ……わては新しい団の方針には向きませんさかいな。しょうがあらしまへんよな。」
彼の顔を見れない。声音から、辛うじて苛々してることはわかる。
「いい加減にしろよッツ!」
机を叩かれ、数枚の書類が足下に落ちた。
「お前は俺についてきたくないのかよ? それなら止めねェよ、勝手にしろ。だけどお前辞めたくねーんだろ? そんぐらい見りゃわかんだよ。」
「…や、辞めとうなくても『言葉だけの忠誠はいらない』て言われたら否定でけへんのやッ! せやから」
「今のお前は言葉だけじゃねェだろ。」
「はい?」
意味がわからずに反射的に顔を上げると視線がかち合った。
やはり、怒っている。
「お前にはお前の考えがあって、でも着いてくるんだろ?」
着いていきたいけど。
「俺はなぁ単にお前らの意志を確認したかったんだよ。お前らは部下になるけど、俺にとって…一番身近な仲間だ。だからちゃんと気持ちを聞いておきたかったんだ。」
「……仲間?」
「本音聞いた上で着いてきてくれる方がよっぽど信頼できる。…別にやめろ、なんざ言ってねェ。……やめんのかよ?」
確認するように視線を投げ掛けられた。
やはり貴方は意地悪だ。そんな事を言われたら自分の答えなんて決まっているではないか。
「わて…きっといっぱい失敗しますえ。」
「お前だけじゃねェよ。」
「一番の功績やって出せへんかも知れへん。」
「そこまで期待してねェ。」
「それやったら」
改めて姿勢を整え、ビシッと敬礼をして彼を見た。
「これからもよろしくお願いします、シンタロー総帥。」
ようやく浮かべられる笑みにじんわりと胸が侵される。温かな感情に目の奥が熱くなった。
「まだ総帥じゃねェよ、バーカ。」
団旗が肌寒い風に揺らめきながらも、そのマークをしっかりと主張してるのが窓から見える。
今日は彼の就任式だ。加えてあの方針も発表される日でもある。
どれ位のざわめきが起こるだろう。
彼はどんな顔でそれを聞くだろう。
考えるだけで胸が踊った。
戸惑いは未だ消えないし、自信だってない。
だけど彼なら、彼と自分たちがいればきっと大丈夫だと今は感じる。
最後の鋏をいれると視界がざあっと広がった。
「あんさんのお側で…見届けさせてもらいますな。」
遮るもののない両の瞳が、雄雄しく掲げられた真っ赤な団旗を映した。
end
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