*** Tricksy ***
頼んでいた機械が完成したとの連絡を受け研究課を訪れたアラシヤマは、先刻から部屋の一隅にある椅子に腰を掛けて、ぼんやりと目の前の博士の行動を眺めている。
ピンクのリボンに淡い金髪をまとめた博士の、常に紙一重の奇矯な振る舞いには慣れている。傍目にどう映ろうと、きっと彼の行動には彼なりの根拠があるのだろう。このつま先のとがった靴にぎざぎざつきのマント、右手に握られている星が先端に付けられた棒などにも―――きっと。
そんなアラシヤマの思惑など知る由もなく、グンマはその格好のまま、歌でも歌いだしそうな上機嫌だった。ひらひらとマントを翻しつつ、部屋の一角から三十センチ四方の箱を取り出してきて、マニュアルと共にそれをアラシヤマに渡し。
「はい、これが頼まれてた新型暗視スコープ。で、ね」
手に持つ星付きの棒をえいっと一振りして、にっこりと笑う。
「アラシヤマ、とりっく・おあ・とりーと」
「へぇ?」
「て、わかんない?んーと、じゃあ、お菓子ちょうだい」
仮装姿の二十五歳は無邪気に両手を伸ばし、思わず引き込まれそうになるほどつぶらな瞳でこちらをじっと見つめてくる。アラシヤマはそれに渋い顔を返し、小さくため息を一つ吐いた。
「あんさん……ええ年した成人男子がいつもポケットの中に菓子類詰め込んでる思とったら大間違いどすえ」
「えぇーー。だって高松もキンちゃんも、いっつも持ってるのに……」
それはあんさん仕様や、犬用クッキーとおんなじや…と内心では思ったがもちろん口にはしないアラシヤマだった。グンマは唇を尖らせて不満げな表情を隠そうともせず、上目遣いにアラシヤマを見る。
「それにしても、今日くらいはさぁ……」
「今日が、どうかしはったんどすか?あんさんはなんやらけったいな格好してはりますし。そのどこぞの魔女っ子みたいな格好、ドクターが用意しはったもんどっしゃろ」
「すごーい、なんでわかるの」
「そのやたら短いギリギリのキュロットの裾が何よりの証拠や……」
げんなりとその折り目正しい短パンの裾に目をやると、何を勘違いしたのかグンマはくるり、とその場で回ってみせた。そうした仕草が正しく似合ってしまうのが、この博士の怖いところでもある。
「かわいいでしょー。でもアラシヤマ、今日が何の日かほんとに知らないの?だって士官学校出だったら、一年のときに、学校行事で」
「士官学校……」
その単語を耳にした瞬間、背後に人魂が二つ三つ見えそうなほどアラシヤマの気配が一気に重くなる。
「わての一年生はトガワ君との語り合いと師匠の鬼のような再訓練で終わりましたさかいな……学校行事……フフ……ええ響きどすなあ……」
(うわあー言っちゃいけないこと言っちゃったよ……)とさすがのグンマも笑顔のまま表情を強張らした。
「……うん、でも、お菓子くれなかったから、アラシヤマはTrick決定」
「は?」
「ううん、なんでもない。ただ、最近は欧米以外でも世界的な行事になりつつあるんだからさ。アラシヤマも一応知っておいたほうがいいと思うんだ」
「はぁ……」
「今日はハロウィンて言ってね、キリスト教のお祭りなんだよ。お化けの格好して、それで大事な人にTrick or Treatって言うの」
にこにこと微笑みながら話し続けるグンマ。はじめはいつものようにほとんど聞き流していたアラシヤマだが、世界の常識と断言されたその行事を知らないというのも問題な気がして、つい耳を傾けてしまう。そして、
「その合言葉の意訳はね、『いたずらさせるか――もしくは「あなた」をください』v」
その発言を耳にした途端、ガタッ、とそれまで腰掛けていた椅子を蹴倒さんばかりに勢いよく立ち上がった。
「な、なな、なんどすってえええ?!」
「バレンタインデーのちょっと大人版、てトコかな。まあ、そのフレーズに含ませる意味の深さは人それぞれだけど……アラシヤマの言う『いい年』の人だったら、察してねって話だよね?」
「そっ……そないな行事があらはったなんて……やっぱりラテンの血が入っとる人たちの考えは違いますな……アラシヤマ一生の不覚やわ……ッ」
冷静に考えれば初めにグンマがアラシヤマに対してそれを言っている時点で、グンマの説明など大概嘘だとわかるはずなのだが。完全に頭に血が上っているアラシヤマはそんなことにすら気付かない。
グンマの言葉に一度はがくり、と肩を落としたアラシヤマだったが、おそらく床のキズか何かに対して、何かをぶつぶつと呟いていたかと思うと、急にがばりと起き上がり。グンマの両手をぐっと握った。
「グンマはん、教えてくれはってありがとさんどす。ほなわて、これから今すぐにでもわての王子様のところに行ってきますわ!」
「え、シンちゃんとこ?」
「当たり前どすッ。心友のシンタローはん以外に、わてのこの熱い願いを聞いてほしいお人はおりまへん!」
「あー…うん、がんばってね」
そしてまさに猛進といった勢いで総帥室に向かって走り出す。
その後姿を見ながら
(あ、しまった。これってシンちゃんにとってのTrickになっちゃうかも……)
そんなことにふと考えが至ったグンマだったが、持ち前の前向きさで、ま、いっか、と思い。後も見ないで走り去るアラシヤマを笑顔で手を振りながら見送った。
***
研究課を出て中庭に出ると、太陽はすでにかなり西のほうに傾いている。時刻は五時を回ったというところだろうか。総帥室へとわき目も振らず突進するアラシヤマだったが、本部棟の地階に入った瞬間、前方を歩いている童顔忍者と顔だけ書道家の姿が目に入り、歩く速さをやや落とした。
どれほど忙しかろうと周りの状況が緊迫していようと、この二人は互いがそばにさえいればいつも楽しそうに二人きりの世界を作り出している。妬み半分嫉み三分の一興味六分の一でその様子をじっとりとした目線で追いかけていれば、ふとミヤギの明るい声が耳に入った。
「そだ。トットリ、Trick or Treatだべ!」
その一言に、アラシヤマの全身のセンサーが一斉にそちらを向く。
一体この自称ベストフレンド他称バカップルは今日という日をどのように過ごすのか。これまで培ってきた刺客技術の全てを駆使して二人の会話を盗み聞く。後姿からはよく確認できないが、ほんの少しだけ見えたトットリの横顔は、満開の笑みを浮かべていて。
「言われなくても、ちゃーんとわかってるっちゃよvでも今日は、夜が本番だわいや。だけぇ、ミヤギくん、仕事が終わったら僕ん部屋きて欲しいっちゃ」
「わかったべ。今年はどんなの用意してくれてっか、楽しみだべなあ……」
そうして二人して笑いさざめきながら、廊下の角を曲がっていった。
アラシヤマはと言えば、よろよろと壁に肩を預けると、目を血走らせて今の会話を反芻する。
(夜……夜が本番て……あんお人らナニこんな公共の場で堂々といかがわしい話しとるんーー?!)
そんなことを考えて貧血にでも陥りそうになっていたアラシヤマは、背後から寄ってきた気配にすら気付かずに。無防備だった背中を、バンッと思い切り叩かれる。
「どうしたアラシヤマ!こがぁなとこでうずくまって、気分でも悪いんかぁ」
廊下中に響き渡りそうな声で問いかけてきたのは、日本だったら確実に銃刀法違反で連行される長刀を引っさげたコート姿の大男。アラシヤマはひりひりと痛む背中を押さえながら振り返ると、極めて陰険な目つきで大男――コージをにらみつける。
「コージはん、あんさん気分悪い人間の背中、そないに遠慮なく叩きはったら倒れますえ。しかも相変わらず無駄に声でかいどすし……」
「はっはっはっ、周り気にして小声で喋るんはわしの性に合わんけんのう!」
まあ平気そうならええんじゃ、と人好きのする笑みを満面に浮かべながら言う。その笑顔を見るとさすがのアラシヤマも毒気を抜かれてしまい、仕方ないどすなあ、と苦笑した。
「ま、確かに小声で内気に喋るあんさんなんか目にした日には、熱出して寝込みそうどすしな…」
いつもの癖で皮肉を交えて言った台詞にも、コージはほうじゃろうほうじゃろう、と一人でうなずいている。だがそれから、ふと何かに気付いたように真面目な表情を作って、少しの間視線を中空に彷徨わせた。
「と、そうじゃ、アラシヤマ。なんじゃったかのぉ…ホレ、あれじゃ、あれ」
どうやら何かを思い出そうとしているらしい。アラシヤマは眉を顰めながら、小首をかしげるようにして二十センチ近い身長差のある男を見上げる。
あれでもないこれでもない、と珍しく悩んでいた大男は十五秒ほどしてからようやく目的のフレーズが浮かんだようで、そうそう、と言いながら、ぽん、と手を打った。そして、アラシヤマに向かってにっと笑う。
「Trick or Treat、じゃ」
「はいぃい?!」
目を丸くして直立不動の姿勢になったアラシヤマの途轍もない動揺など、よく言えばおおらかな、悪く言えばこの上なく大雑把なコージは全く気付かない。
ニヤニヤと笑いながら、自分よりいくらか細身の(とはいえ一般的に見ればかなり筋肉質な)アラシヤマの肩に手を回して、耳元で囁く。
「いくら吝嗇なぬしでも、今日くらいはええじゃろう……な?」
「な?て……」
それはコージにとってみればほんの軽い茶目っ気で、食べ物の一つでも貰えれば儲けもの、という考えでやったことでしかない。
だがアラシヤマは、表情を陰にするように俯きしばらく黙ったままでいて。それからやおら、ふ、ふふ、と不気味な笑い声をたててコージに組まれた肩を震えさせ始めたかと思うと、
「今日も明日も明後日も、あんさんにやれる日なんて未来永劫来んわボケェっ!」
「ほぉじゃらけえーーー!」
両手を掲げ、ごおっと全身から容赦ない炎を噴き出した。全くの不意打ちに勢いよく燃え上がらされた大男は、やがてぶすぶすと燻りつつ、ゆっくりと前方へ倒れる。ずうん、と響く鈍い音。周囲にいた一般団員は顔面を蒼白にさせながら、遠巻きにその様子を眺めていた。
だが事件を起こした当の火元は、そんな恐れおののいた団員たちの視線などものともせず。
コージはんまでわての美貌を狙うてはったとは、まったく油断も隙もあらへんわ、と制服についた煤を払いつつ、歩き出す。
な、なんでじゃあ……というコージの最後の力を振り絞った至極まっとうな抗議の呟きは、アラシヤマの耳には届かなかった。
***
総帥室のある階にエレベーターが到着する。ココまで来れば目的の人までは後もう少しだ。
だがそこには思いがけない伏兵が待ち構えていた。
廊下の向こう側から歩いてくるのは、おそらく今しがたシンタローの部屋から出てきたらしきキンタロー。顔を上気させ動悸息切れの状態にあるアラシヤマの姿を見るなり、その端正な顔をゆっくりと、しかし顕著に顰める。
顔を見たくのなんてお互い様どすえ、と思いながら鬼気迫る表情でアラシヤマは問いかけた。
「キンタロー!総帥は中にいはるんどすな」
その質問にどう答えたものかと逡巡しつつ、キンタローはほとんど無意識の防衛本能というか、シンタローへの世話意識というかで、そのしっかりとした体躯で総帥室への道をふさいでいた。
「いることはいるが……」
「ほな、さっさとどきなはれ。わてはシンタローはんに用があるんどす」
「……今、シンタローは機嫌が悪い。更にこれまでの統計を見る限り、お前の顔を見てアイツの機嫌が悪くなることはあれ、良くなることはない。一刻を争うような用事でなければ後に……」
「一刻、一秒を争う用事どす。この上なく深刻な、デッドオアアライブゆう問題どす!」
そのあまりの気迫に押されてか、さすがのキンタローも、む……と言葉を呑み込んでしまい。仕方なく体を開いてアラシヤマに総帥室への道を開ける。
その意外とあっさりとした反応にほんの少しだけ違和感を感じつつも、アラシヤマはキンタローの脇をすり抜け、総帥室の前までたどり着いた。
急ぎ足でどこかへ向かうキンタローの背がエレベーターの中に消えていったのを確認してから、誰もいなくなった廊下で、二、三度ほど深呼吸を繰り返し。逸る鼓動を必死で抑えつつ、アラシヤマは総帥室の扉をノックする。
「シンタローはん、ア、アラシヤマどす」
少しの間の何かを我慢しているような沈黙の後(これはアラシヤマが総帥室を訪れたときは毎度のことだ)、げんなりしたような声で、入れ、とシンタローが答えた。
この上なく性能のいい換気装置をつけておきながら、室内には仄かに煙草の匂いがする。飾り気はないが豪奢な部屋で、目当ての紅い服の総帥は、何故かふてくされたような表情をしながら、重厚な机の上に両手を組み合わせていた。
「なんや……ありましたん?シンタローはん」
機嫌損ねてはるいうのはキンタローの方便やなかったんかい、と心の中でそっと呟きながら、眉間に二重の皺を寄せているシンタローに、アラシヤマは問いかける。
だが予想通りというべきかシンタローから返されたのはギラリ、と効果音が聞こえてきそうなほど凶悪な視線で。
「なんでもねーよ。それよりなんだ、用件は。くだんねーことだったらブッ飛ばす」
「い、いや、その、あの、どすな」
意気込みだけは十分。シンタローの険悪な目つきにも慣れきっている。だが、いざ本題を口に出そうとすると緊張が先立って、舌が強張ってしまうアラシヤマだった。
あかん、リラックスやアラシヤマ。冗談ぽく言ってしもたらええやないどすの。このチャンス逃したらあと一年待たなあかんのやで。シンタローはんをトガワくんやと思って勇気を出すんや――とシンタローが聞いたら眼魔砲で即滅されそうなことを思いつつ、冷たい汗をだらだらと流しながら荒い呼吸を繰り返す。
一方シンタローはといえば、キンタローの言うとおり、またアラシヤマが見て取ったとおり、いつも以上に不機嫌だった。よほど心にゆとりがあるときでなければ(そしてそんな日は一年に二日とないのだが)まず見たくない顔の唐突な来訪もさることながら、今日は昼に急なネット会議が入ってしまったため、昼食をとり損ねたのだ。
しかも、そういう日に限って朝食すら抜いて慌てて執務室に来ていたという経緯がある。立て続けに飛び込んでくる突発事項に次ぐ突発事項で、秘書に頼んで簡単なものを買ってきてもらう暇すらなかった。やっと先ほどたまたま打ち合わせのために訪れていたキンタローが今日は比較的手がすいていると言ったので、好意に甘えて、急ぎで何か軽食を買ってきてもらうよう頼んだばかりである。
そこにのこのこと現れたのが、常を超えて挙動不審極まりないアラシヤマだったというわけだ。
空きっ腹と苛立つ存在の両方を抱えて上体を机の上に突っ伏すと、片隅においてある多機能電子時計の緑の文字盤が目に入った。その日付を見て、ああそうか、今日はあの日だったかとシンタローは思い出す。
「おい、アラシヤマ」
「ななな、なんどす?」
明らかにいつも以上に奇怪な動きを見せるアラシヤマに目を眇めながらも、シンタローは机の上に両腕と首を放り出したまま言葉を投げかける。
「Trick or Treat」
とりあえず、小腹を満たせるものならなんでもいい。年間行事にかこつけて下心つきのプレゼントを常に用意しているアラシヤマである。何かしら食物にありつけるかもしれないし、もしなかったら(あるいはそれがおたべだったら)トリックと称して眼魔砲の一発も食らわせて憂さ晴らしをしてやろう……。
そんなことをぼんやりと考えていたシンタローは、次の瞬間アラシヤマの表情を見て心底ぎょっとした。
これでもかというほど顔を真っ赤にしたアラシヤマは、口元に手の甲を当てたたまま、ぼたぼたと鼻血をたらしながらシンタローを見ているのだった。
「い、いたずらくらいまでどしたら……ああっ、でもやっぱりあきまへん!!シンタローはんの希望には出来る限り添いたいどすけど、せやけど、わてが下になるんだけは……でけまへんッッ」
「………は?」
そうして少女マンガの主人公よろしく大粒の涙をこぼしながら総帥室を出て行こうとする。ただ部屋から外に出る間際にふと足を止め、演出過剰に扉のフチに手を掛けると、ぼろぼろと泣きながら無理やりに笑顔を作ってシンタローを振り返り。
「ホンマは……わてが言いたかったんどすえ。シンタローはん……」
それだけを言うと、今にも倒れんばかりの哀愁を背負いつつ、ふらつく足取りで退出していった。
シンタローはその一連の行動の最初から最後まで、言葉もなくひたすらに怪訝な表情で眺めているしかなく。
「なんだぁ、アイツ…」と呆然と呟く総帥のその頭の上には、無数のクエスチョンマークが浮かんでいた。
***
コトの元凶となったグンマ博士は結局、予想通り高松とキンタローから贈られた甘い菓子の山に囲まれて非常に幸せな一日を過ごしたため、アラシヤマに言ったことなどは、きれいさっぱり頭から消え去っており。
とにかくその日以来、アラシヤマはケチで挙動不審でわけがわからない、という団内の定説が、よりいっそう深まったのであった。
Fin.
===============================================
アラシン祭開催おめでとうございますv
矢島えいじ / 『さしもぐさ』
頼んでいた機械が完成したとの連絡を受け研究課を訪れたアラシヤマは、先刻から部屋の一隅にある椅子に腰を掛けて、ぼんやりと目の前の博士の行動を眺めている。
ピンクのリボンに淡い金髪をまとめた博士の、常に紙一重の奇矯な振る舞いには慣れている。傍目にどう映ろうと、きっと彼の行動には彼なりの根拠があるのだろう。このつま先のとがった靴にぎざぎざつきのマント、右手に握られている星が先端に付けられた棒などにも―――きっと。
そんなアラシヤマの思惑など知る由もなく、グンマはその格好のまま、歌でも歌いだしそうな上機嫌だった。ひらひらとマントを翻しつつ、部屋の一角から三十センチ四方の箱を取り出してきて、マニュアルと共にそれをアラシヤマに渡し。
「はい、これが頼まれてた新型暗視スコープ。で、ね」
手に持つ星付きの棒をえいっと一振りして、にっこりと笑う。
「アラシヤマ、とりっく・おあ・とりーと」
「へぇ?」
「て、わかんない?んーと、じゃあ、お菓子ちょうだい」
仮装姿の二十五歳は無邪気に両手を伸ばし、思わず引き込まれそうになるほどつぶらな瞳でこちらをじっと見つめてくる。アラシヤマはそれに渋い顔を返し、小さくため息を一つ吐いた。
「あんさん……ええ年した成人男子がいつもポケットの中に菓子類詰め込んでる思とったら大間違いどすえ」
「えぇーー。だって高松もキンちゃんも、いっつも持ってるのに……」
それはあんさん仕様や、犬用クッキーとおんなじや…と内心では思ったがもちろん口にはしないアラシヤマだった。グンマは唇を尖らせて不満げな表情を隠そうともせず、上目遣いにアラシヤマを見る。
「それにしても、今日くらいはさぁ……」
「今日が、どうかしはったんどすか?あんさんはなんやらけったいな格好してはりますし。そのどこぞの魔女っ子みたいな格好、ドクターが用意しはったもんどっしゃろ」
「すごーい、なんでわかるの」
「そのやたら短いギリギリのキュロットの裾が何よりの証拠や……」
げんなりとその折り目正しい短パンの裾に目をやると、何を勘違いしたのかグンマはくるり、とその場で回ってみせた。そうした仕草が正しく似合ってしまうのが、この博士の怖いところでもある。
「かわいいでしょー。でもアラシヤマ、今日が何の日かほんとに知らないの?だって士官学校出だったら、一年のときに、学校行事で」
「士官学校……」
その単語を耳にした瞬間、背後に人魂が二つ三つ見えそうなほどアラシヤマの気配が一気に重くなる。
「わての一年生はトガワ君との語り合いと師匠の鬼のような再訓練で終わりましたさかいな……学校行事……フフ……ええ響きどすなあ……」
(うわあー言っちゃいけないこと言っちゃったよ……)とさすがのグンマも笑顔のまま表情を強張らした。
「……うん、でも、お菓子くれなかったから、アラシヤマはTrick決定」
「は?」
「ううん、なんでもない。ただ、最近は欧米以外でも世界的な行事になりつつあるんだからさ。アラシヤマも一応知っておいたほうがいいと思うんだ」
「はぁ……」
「今日はハロウィンて言ってね、キリスト教のお祭りなんだよ。お化けの格好して、それで大事な人にTrick or Treatって言うの」
にこにこと微笑みながら話し続けるグンマ。はじめはいつものようにほとんど聞き流していたアラシヤマだが、世界の常識と断言されたその行事を知らないというのも問題な気がして、つい耳を傾けてしまう。そして、
「その合言葉の意訳はね、『いたずらさせるか――もしくは「あなた」をください』v」
その発言を耳にした途端、ガタッ、とそれまで腰掛けていた椅子を蹴倒さんばかりに勢いよく立ち上がった。
「な、なな、なんどすってえええ?!」
「バレンタインデーのちょっと大人版、てトコかな。まあ、そのフレーズに含ませる意味の深さは人それぞれだけど……アラシヤマの言う『いい年』の人だったら、察してねって話だよね?」
「そっ……そないな行事があらはったなんて……やっぱりラテンの血が入っとる人たちの考えは違いますな……アラシヤマ一生の不覚やわ……ッ」
冷静に考えれば初めにグンマがアラシヤマに対してそれを言っている時点で、グンマの説明など大概嘘だとわかるはずなのだが。完全に頭に血が上っているアラシヤマはそんなことにすら気付かない。
グンマの言葉に一度はがくり、と肩を落としたアラシヤマだったが、おそらく床のキズか何かに対して、何かをぶつぶつと呟いていたかと思うと、急にがばりと起き上がり。グンマの両手をぐっと握った。
「グンマはん、教えてくれはってありがとさんどす。ほなわて、これから今すぐにでもわての王子様のところに行ってきますわ!」
「え、シンちゃんとこ?」
「当たり前どすッ。心友のシンタローはん以外に、わてのこの熱い願いを聞いてほしいお人はおりまへん!」
「あー…うん、がんばってね」
そしてまさに猛進といった勢いで総帥室に向かって走り出す。
その後姿を見ながら
(あ、しまった。これってシンちゃんにとってのTrickになっちゃうかも……)
そんなことにふと考えが至ったグンマだったが、持ち前の前向きさで、ま、いっか、と思い。後も見ないで走り去るアラシヤマを笑顔で手を振りながら見送った。
***
研究課を出て中庭に出ると、太陽はすでにかなり西のほうに傾いている。時刻は五時を回ったというところだろうか。総帥室へとわき目も振らず突進するアラシヤマだったが、本部棟の地階に入った瞬間、前方を歩いている童顔忍者と顔だけ書道家の姿が目に入り、歩く速さをやや落とした。
どれほど忙しかろうと周りの状況が緊迫していようと、この二人は互いがそばにさえいればいつも楽しそうに二人きりの世界を作り出している。妬み半分嫉み三分の一興味六分の一でその様子をじっとりとした目線で追いかけていれば、ふとミヤギの明るい声が耳に入った。
「そだ。トットリ、Trick or Treatだべ!」
その一言に、アラシヤマの全身のセンサーが一斉にそちらを向く。
一体この自称ベストフレンド他称バカップルは今日という日をどのように過ごすのか。これまで培ってきた刺客技術の全てを駆使して二人の会話を盗み聞く。後姿からはよく確認できないが、ほんの少しだけ見えたトットリの横顔は、満開の笑みを浮かべていて。
「言われなくても、ちゃーんとわかってるっちゃよvでも今日は、夜が本番だわいや。だけぇ、ミヤギくん、仕事が終わったら僕ん部屋きて欲しいっちゃ」
「わかったべ。今年はどんなの用意してくれてっか、楽しみだべなあ……」
そうして二人して笑いさざめきながら、廊下の角を曲がっていった。
アラシヤマはと言えば、よろよろと壁に肩を預けると、目を血走らせて今の会話を反芻する。
(夜……夜が本番て……あんお人らナニこんな公共の場で堂々といかがわしい話しとるんーー?!)
そんなことを考えて貧血にでも陥りそうになっていたアラシヤマは、背後から寄ってきた気配にすら気付かずに。無防備だった背中を、バンッと思い切り叩かれる。
「どうしたアラシヤマ!こがぁなとこでうずくまって、気分でも悪いんかぁ」
廊下中に響き渡りそうな声で問いかけてきたのは、日本だったら確実に銃刀法違反で連行される長刀を引っさげたコート姿の大男。アラシヤマはひりひりと痛む背中を押さえながら振り返ると、極めて陰険な目つきで大男――コージをにらみつける。
「コージはん、あんさん気分悪い人間の背中、そないに遠慮なく叩きはったら倒れますえ。しかも相変わらず無駄に声でかいどすし……」
「はっはっはっ、周り気にして小声で喋るんはわしの性に合わんけんのう!」
まあ平気そうならええんじゃ、と人好きのする笑みを満面に浮かべながら言う。その笑顔を見るとさすがのアラシヤマも毒気を抜かれてしまい、仕方ないどすなあ、と苦笑した。
「ま、確かに小声で内気に喋るあんさんなんか目にした日には、熱出して寝込みそうどすしな…」
いつもの癖で皮肉を交えて言った台詞にも、コージはほうじゃろうほうじゃろう、と一人でうなずいている。だがそれから、ふと何かに気付いたように真面目な表情を作って、少しの間視線を中空に彷徨わせた。
「と、そうじゃ、アラシヤマ。なんじゃったかのぉ…ホレ、あれじゃ、あれ」
どうやら何かを思い出そうとしているらしい。アラシヤマは眉を顰めながら、小首をかしげるようにして二十センチ近い身長差のある男を見上げる。
あれでもないこれでもない、と珍しく悩んでいた大男は十五秒ほどしてからようやく目的のフレーズが浮かんだようで、そうそう、と言いながら、ぽん、と手を打った。そして、アラシヤマに向かってにっと笑う。
「Trick or Treat、じゃ」
「はいぃい?!」
目を丸くして直立不動の姿勢になったアラシヤマの途轍もない動揺など、よく言えばおおらかな、悪く言えばこの上なく大雑把なコージは全く気付かない。
ニヤニヤと笑いながら、自分よりいくらか細身の(とはいえ一般的に見ればかなり筋肉質な)アラシヤマの肩に手を回して、耳元で囁く。
「いくら吝嗇なぬしでも、今日くらいはええじゃろう……な?」
「な?て……」
それはコージにとってみればほんの軽い茶目っ気で、食べ物の一つでも貰えれば儲けもの、という考えでやったことでしかない。
だがアラシヤマは、表情を陰にするように俯きしばらく黙ったままでいて。それからやおら、ふ、ふふ、と不気味な笑い声をたててコージに組まれた肩を震えさせ始めたかと思うと、
「今日も明日も明後日も、あんさんにやれる日なんて未来永劫来んわボケェっ!」
「ほぉじゃらけえーーー!」
両手を掲げ、ごおっと全身から容赦ない炎を噴き出した。全くの不意打ちに勢いよく燃え上がらされた大男は、やがてぶすぶすと燻りつつ、ゆっくりと前方へ倒れる。ずうん、と響く鈍い音。周囲にいた一般団員は顔面を蒼白にさせながら、遠巻きにその様子を眺めていた。
だが事件を起こした当の火元は、そんな恐れおののいた団員たちの視線などものともせず。
コージはんまでわての美貌を狙うてはったとは、まったく油断も隙もあらへんわ、と制服についた煤を払いつつ、歩き出す。
な、なんでじゃあ……というコージの最後の力を振り絞った至極まっとうな抗議の呟きは、アラシヤマの耳には届かなかった。
***
総帥室のある階にエレベーターが到着する。ココまで来れば目的の人までは後もう少しだ。
だがそこには思いがけない伏兵が待ち構えていた。
廊下の向こう側から歩いてくるのは、おそらく今しがたシンタローの部屋から出てきたらしきキンタロー。顔を上気させ動悸息切れの状態にあるアラシヤマの姿を見るなり、その端正な顔をゆっくりと、しかし顕著に顰める。
顔を見たくのなんてお互い様どすえ、と思いながら鬼気迫る表情でアラシヤマは問いかけた。
「キンタロー!総帥は中にいはるんどすな」
その質問にどう答えたものかと逡巡しつつ、キンタローはほとんど無意識の防衛本能というか、シンタローへの世話意識というかで、そのしっかりとした体躯で総帥室への道をふさいでいた。
「いることはいるが……」
「ほな、さっさとどきなはれ。わてはシンタローはんに用があるんどす」
「……今、シンタローは機嫌が悪い。更にこれまでの統計を見る限り、お前の顔を見てアイツの機嫌が悪くなることはあれ、良くなることはない。一刻を争うような用事でなければ後に……」
「一刻、一秒を争う用事どす。この上なく深刻な、デッドオアアライブゆう問題どす!」
そのあまりの気迫に押されてか、さすがのキンタローも、む……と言葉を呑み込んでしまい。仕方なく体を開いてアラシヤマに総帥室への道を開ける。
その意外とあっさりとした反応にほんの少しだけ違和感を感じつつも、アラシヤマはキンタローの脇をすり抜け、総帥室の前までたどり着いた。
急ぎ足でどこかへ向かうキンタローの背がエレベーターの中に消えていったのを確認してから、誰もいなくなった廊下で、二、三度ほど深呼吸を繰り返し。逸る鼓動を必死で抑えつつ、アラシヤマは総帥室の扉をノックする。
「シンタローはん、ア、アラシヤマどす」
少しの間の何かを我慢しているような沈黙の後(これはアラシヤマが総帥室を訪れたときは毎度のことだ)、げんなりしたような声で、入れ、とシンタローが答えた。
この上なく性能のいい換気装置をつけておきながら、室内には仄かに煙草の匂いがする。飾り気はないが豪奢な部屋で、目当ての紅い服の総帥は、何故かふてくされたような表情をしながら、重厚な机の上に両手を組み合わせていた。
「なんや……ありましたん?シンタローはん」
機嫌損ねてはるいうのはキンタローの方便やなかったんかい、と心の中でそっと呟きながら、眉間に二重の皺を寄せているシンタローに、アラシヤマは問いかける。
だが予想通りというべきかシンタローから返されたのはギラリ、と効果音が聞こえてきそうなほど凶悪な視線で。
「なんでもねーよ。それよりなんだ、用件は。くだんねーことだったらブッ飛ばす」
「い、いや、その、あの、どすな」
意気込みだけは十分。シンタローの険悪な目つきにも慣れきっている。だが、いざ本題を口に出そうとすると緊張が先立って、舌が強張ってしまうアラシヤマだった。
あかん、リラックスやアラシヤマ。冗談ぽく言ってしもたらええやないどすの。このチャンス逃したらあと一年待たなあかんのやで。シンタローはんをトガワくんやと思って勇気を出すんや――とシンタローが聞いたら眼魔砲で即滅されそうなことを思いつつ、冷たい汗をだらだらと流しながら荒い呼吸を繰り返す。
一方シンタローはといえば、キンタローの言うとおり、またアラシヤマが見て取ったとおり、いつも以上に不機嫌だった。よほど心にゆとりがあるときでなければ(そしてそんな日は一年に二日とないのだが)まず見たくない顔の唐突な来訪もさることながら、今日は昼に急なネット会議が入ってしまったため、昼食をとり損ねたのだ。
しかも、そういう日に限って朝食すら抜いて慌てて執務室に来ていたという経緯がある。立て続けに飛び込んでくる突発事項に次ぐ突発事項で、秘書に頼んで簡単なものを買ってきてもらう暇すらなかった。やっと先ほどたまたま打ち合わせのために訪れていたキンタローが今日は比較的手がすいていると言ったので、好意に甘えて、急ぎで何か軽食を買ってきてもらうよう頼んだばかりである。
そこにのこのこと現れたのが、常を超えて挙動不審極まりないアラシヤマだったというわけだ。
空きっ腹と苛立つ存在の両方を抱えて上体を机の上に突っ伏すと、片隅においてある多機能電子時計の緑の文字盤が目に入った。その日付を見て、ああそうか、今日はあの日だったかとシンタローは思い出す。
「おい、アラシヤマ」
「ななな、なんどす?」
明らかにいつも以上に奇怪な動きを見せるアラシヤマに目を眇めながらも、シンタローは机の上に両腕と首を放り出したまま言葉を投げかける。
「Trick or Treat」
とりあえず、小腹を満たせるものならなんでもいい。年間行事にかこつけて下心つきのプレゼントを常に用意しているアラシヤマである。何かしら食物にありつけるかもしれないし、もしなかったら(あるいはそれがおたべだったら)トリックと称して眼魔砲の一発も食らわせて憂さ晴らしをしてやろう……。
そんなことをぼんやりと考えていたシンタローは、次の瞬間アラシヤマの表情を見て心底ぎょっとした。
これでもかというほど顔を真っ赤にしたアラシヤマは、口元に手の甲を当てたたまま、ぼたぼたと鼻血をたらしながらシンタローを見ているのだった。
「い、いたずらくらいまでどしたら……ああっ、でもやっぱりあきまへん!!シンタローはんの希望には出来る限り添いたいどすけど、せやけど、わてが下になるんだけは……でけまへんッッ」
「………は?」
そうして少女マンガの主人公よろしく大粒の涙をこぼしながら総帥室を出て行こうとする。ただ部屋から外に出る間際にふと足を止め、演出過剰に扉のフチに手を掛けると、ぼろぼろと泣きながら無理やりに笑顔を作ってシンタローを振り返り。
「ホンマは……わてが言いたかったんどすえ。シンタローはん……」
それだけを言うと、今にも倒れんばかりの哀愁を背負いつつ、ふらつく足取りで退出していった。
シンタローはその一連の行動の最初から最後まで、言葉もなくひたすらに怪訝な表情で眺めているしかなく。
「なんだぁ、アイツ…」と呆然と呟く総帥のその頭の上には、無数のクエスチョンマークが浮かんでいた。
***
コトの元凶となったグンマ博士は結局、予想通り高松とキンタローから贈られた甘い菓子の山に囲まれて非常に幸せな一日を過ごしたため、アラシヤマに言ったことなどは、きれいさっぱり頭から消え去っており。
とにかくその日以来、アラシヤマはケチで挙動不審でわけがわからない、という団内の定説が、よりいっそう深まったのであった。
Fin.
===============================================
アラシン祭開催おめでとうございますv
矢島えいじ / 『さしもぐさ』
PR