純粋に意外だ、と思ってしまった。
***
「……――,Lastly, I wish to ―― for his kind invitation.
Thank you for your atentions.」
低すぎず高すぎず、抑揚は控えめだがけして平板ではないその声が途切れて一呼吸の後、会場内には一斉に拍手が沸き起こった。
朗々と、普段の会話からは想像もつかないほど淀みなくスピーチを終えたのは、今は団の幹部の一員となっているアラシヤマ。かっちりとした黒いスーツに身を包んだ男は、割れんばかりの拍手に対して簡単な礼を返し、演台の前から舞台上に設置されたガンマ団幹部用の席へと戻ってくる。
公的な場への一応の配慮からか、常に顔半分を覆っている鬱陶しい黒髪はきれいに後ろに撫で付けられており。隠しようもなくその身に染み付いている陰気な雰囲気すら無視すれば、男の姿はいかにも有能そうな美丈夫と言ってよかった。
そう、普段の極端な挙動不審さえなければ、コイツもそこそこ見られる外見をしていたのだ。そんな腹立たしくも否定できない事実を、シンタローは思い出させられていた。
いつもの素っ頓狂な祇園言葉が、英語になると余計なものを削ぎ落としきったような理路整然たる話し方になる。英国よりは米国に近い発音だが、父親からクイーンズイングリッシュを叩き込まれたシンタローが聞いても、その発音や文脈はきれいなものだった。
会議はアラシヤマが行ったガンマ団の報告が最後の演目で。
アラシヤマと入れ替わりに演台に立ったのは開催国であるアメリカの大統領。彼がいつもながらにまっすぐで力強い言葉で閉会の辞をくくり、第六十七回八カ国定例会議はつつがなく、幕を下ろした。
『 声 』
ことの始まりは、ほんの軽い諍いからだった……と思う。
確か総帥室にきたアラシヤマが自分の仕事について何か小言のようなことを言って。たまたま不機嫌だった自分がそれにやたらムカついて。で、気付けば自分の抱えている仕事をひたすら羅列して、それらがいかに面倒くさくて厄介なものかということをぶちまけていた。
ただ、それら全部をアラシヤマはほんの少し片目を眇めながら聞いていて。何も口にはしなかったがそれが「せやけど、それがあんさんの仕事やないの」とでも言っているような表情だったので。
じゃあオマエ、今度の年末の世界会議でオレが挨拶したあとの団の報告全部やれよ。
と、その時抱えていた仕事の中で最も面倒と思われるものをアラシヤマに回したのだった。
本気が少しも混じっていなかったかと問われると断言はできないが、半ば以上、単なる嫌がらせとして言ったことだった。
それほど重要な場での報告、しかも現在微妙な端境期にある団の広報的な意味を含めたスピーチなど、純粋な英米人ですら難しいだろう。曲がりなりにも英国人の父親を持つシンタロー自身がやるか、もしくは英語圏に生まれ育ち専門の訓練を受けた人間に原稿を読ませるかの二者択一が当然の流れだった。
が、アラシヤマは一瞬だけ逡巡はしたものの。
存外気軽に、仕方のうおすなあ、と応じたのだ。そのあまりにあっさりとした対応に、かえってシンタローのほうが心配になった。
「は?え?って、オマエ……大丈夫なのかよ?」
「あんさんがゆうたんやないどすか。まあ、なんとかなりますやろ」
「……人前で話すんだぞ。それも、百人単位の」
「ナスやらカボチャやらが並んどると思たらええんどすやろ。……それに……フフ……知らんお人と一対一で人と話すほうが、よっぽど緊張しますわ・・・・・・」
背後に人魂を一つ二つ浮かばせながらそう呟くアラシヤマに、本当にいいのか、と一抹の不安はあったものの、シンタローはそれ以上突っ込んだ質問はしなかった。どんな仕事であれ、アラシヤマが一度引き受けたものを反故にしたことは、とりあえず今までにはなかったので。
そして今日のアラシヤマのスピーチに至ったのだ。非常にムカつくことながら、及第点を遥かに超えた出来、と認めざるを得ないスピーチに。
***
用意された貴賓室は黒と焦げ茶でまとめられた非常にシックな造りだ。ぐしゃぐしゃと長い黒髪を掻きながら、紅い服の総帥は本革製の高級そうな椅子にどさりと掛ける。
秘書たちにはすでに下がっていいという許可を与えてあるため、室内にいるのはシンタローとアラシヤマの幹部二人だけだった。
室内のミニバーで入れられたブラックのコーヒーをアラシヤマから受け取り、ず、と一口すする。
「おつかれさんどした。あとは二時間後に始まる懇親会さえやり過ごせば、今回の出張は無事終了どすな」
ぱらぱらと今日の日程表をめくりながら、アラシヤマもまたコーヒーを口にしつつシンタローに労わりの言葉をかける。
だがそれに対するシンタローの返答はない。椅子の上にふんぞり返り、肘掛に片肘をついた姿勢で、胡散臭そうにアラシヤマのその姿を眺めている。
両目が現れているアラシヤマというのも非常に違和感があるのだが、それ以上にシンタローが気にかかっていたのが先ほどの流暢な英語だ。
やがて、なんとも形容しがたい表情で、ぼそりと呟いた。
「オマエが英語得意って、なんかすっげー違和感あるんだけど。しかも発音」
確かに、ある意味では多国籍企業とも言えるガンマ団で、ある程度の英語が使えることは必須である。だが、それでも割り当てられた役職に応じ、事務に必要なだけ、或いは戦場で必要な分、覚えていれば仕事に支障はない。ネイティブの団員も少なくはないが、完全な日本びいきのマジックが引き抜いた人材が多数を占めるガンマ団では、正直それほど堪能な人間が多いというわけではない。
いまだ信じられないというその顔を見て、アラシヤマは一つため息をつき、そして持っていた今日の日程表をシンタローの前の机の上にパン、と置いた。
「そら授業全部寝呆けてても、トリプルA以外もろたことないあんさんには敵いまへんけどなあ。これでも士官学校時代からのナンバー2どすえ」
もっともサボリ居眠り常習犯のあんさんは授業中のわての発表なんて聞いたことあらへんのどっしゃろな、と表情も変えずにのたまう。
確かに、英語の授業など退屈もいいところだったため、シンタローはほとんどまともに聞いていた覚えはない。グループでプレゼンテーションなどがあった場合にも、自分の義務はきちんと果たしたものの(それはもちろんリーダーとしてほぼ全てをこなしたということだ)、他のグループの発表なんて全く記憶に残っていない。
だがまあ、今思えば聞けばそれなりに面白いものもあったのだろう。今より更に人見知りの酷かったコイツが一体どんな顔をして発表などしていたのかと思うと、それを見ておかなかったのは少しだけ惜しかったような気もする。
そんなことを考えながら、シンタローは机の上に置かれている煙草入れからいかにも高級そうな紙巻煙草を一本取り出し、火をつける。
「いや……」
そして、ふう、と一筋紫煙を吐き出しながら、比較的真面目な顔で言った。
「思ってたよりは、うまかったな」
「へぇ、そらおおきに」
「オマエ、普段から英語で会話すれば少しはマトモそうに見えんじゃねーの」
「酷ッ、わてはいつでもマトモどすえ!」
ああ、本物の変人こそ自覚がないというのは正にコイツのことを指して言っているんだなあと、シンタローは最早呆れるまでもなく、ひきつったように唇の片端を上げる。
ん?とそこまで冗談半分で話したところでふと、あることを思い出した。
そういうえばコイツ、あの島でバーニング・ラブとか叫んでなかったっけ?いや、ライクの最上級がラブなんだし欧米じゃふつーに友人間でも使うし……ただ普通そのフレーズだと燃え上がる愛……
と、そこまで考えたところでシンタローは思考を止めた。もし奴が正しい用法でそれを使っていたのだとすれば、そこには更に最悪な結論が待っているだけだ。
「ま、まぁとにかく、オマエの場合性格はどうしようもねえとしても、その話し方にもかなり問題があるよナ、きっと」
京都弁というだけではなくほぼ完全な祇園言葉。それも、アラシヤマの場合かなり独自のアレンジがほどこしてある。今時、祇園の本業の舞妓ですらこれほどどすえどすえと連呼はしないだろう。
だがその言葉を聞いたアラシヤマはほんの少しだけ片眉を上げて。
そして、コーヒーを片手に持ったまま、つかつかとシンタローのそばに近づいた。
「・・・・・・へえ、せやったら…・・・」
す、と身をかがめて、シンタローの耳元に唇を寄せる。
「こんな風に話したら、いつもきちんと聞いてくれるんですか?」
関西風のイントネーションは全くなく、ただそのややゆっくりとした話し方だけが、ほのかにいつものアラシヤマの口調の俤だけを残している。静かで、穏やかな低音。
その声が耳に触れた瞬間、自分でもそれとわかるほど、血液が顔に集中するのをシンタローは感じた。
馬鹿なこと言ってんじゃねェ、と一笑してやりたいのに、唇がこわばって言葉が出ない。一体何が起こったのか自分でも理解ができない。
ただ、その声が。声そのものはいつもとほとんど変わらないはずなのに、ただ本当に普通に、囁かれただけなのに。
シンタローは僅かも動けずにいる。
その緊張を破ったのは、他でもないアラシヤマの行動だった。
自身の反応にとまどっていたシンタローの沈黙をどう解したのか、いきなりクッと噴き出したかと思うと、シンタローのそばから身を引いて笑い出す。
「あかん……自分でおもろなってまう」
そして、やっぱ東京弁はこそばゆうて性に合わんわあ、などと言いながら、なおもケラケラと笑う。
シンタローは通常の話し方に戻ったアラシヤマに一瞬あっけにとられたような表情をして、―――それからおもむろに机につっぷした。
アラシヤマに相槌も突っ込みもいれず、シンタローはその体勢のまましばらく動かない。どうしたのかとアラシヤマが訝しみ始めた頃に、くつくつとその肩が震え始める。
ふと机に上体を伏せたままの総帥服の襟元に目をやると、そこから覗くシンタローの首筋には見事な鳥肌が立っていて。
それに気づいた瞬間、さすがにアラシヤマも眉を下げ、情けない表情になった。
「そない、サブイボ出すほど気味悪がらんかって……」
だが、ため息とともにこぼれた本音は、言い終わる前に無理やり途切れさせられた。
アラシヤマの目の前を真っ白な光が覆ったかと思うと、避ける間もなく、新総帥の手から放たれた光弾が直撃したからだ。
他国の持ち物である貴賓室に大穴を開けないよう手加減はしたが、至近距離から受ければ常人なら三日は生死の境をさまよう威力の眼魔砲。ただ日ごろの免疫があるアラシヤマなら、おそらく二―三時間で目を覚ますだろう。
たとえパーティーに間に合わないようであっても、どうせこいつは壁の花でいるしかないんだから問題はない、とあながち間違っていないだろう解釈の元に自己正当化を図る。
焦げくさい匂いを立ちのぼらせながら床にのびたアラシヤマをあえて視野に入れないようにして、シンタローは机の上でまだ火照りの収まらない頭を抱えた。
「キモいにも程があんだよ……阿呆」
耳朶に触れそうなほど近くで囁かれた、いつもと違う低音に。
鳥肌が立つほどゾクゾクしたなんて、死んでも言えない。
了
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普段おちゃらけてる人が急に真面目な声出したりするとドキッとしませんか、という話。
(元アラシンお題15「自業自得」.)
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