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『on the wild world』  act.10 











 一瞬の空白の時間の後、マーカーを地面に縫いとめているその両腕から、ふっと炎が消えた。
 同時に、アラシヤマの表れている片目が師の姿をそこに映し出し、丸くなる。

「……―――?…お……師匠、はん……?」

 途切れがちに、呆けたように発される声。そのアラシヤマの目の色に、マーカーは知らず苦笑を返す。

 ―――暗示が、解けた。

「この、馬鹿弟子、が……」

 その言葉が耳に入ったかどうか、ぷつりと糸が切れたかのようにアラシヤマの全身から力が抜けた。
 ゆっくりと、マーカーの上に、その身が覆いかぶさるように崩れ落ちる。マーカーはその身体を、跳ね除けるのも面倒というように受け止めて、ようやく張り詰めていた気を緩め、短く息を吐く。
 そしてアラシヤマを抱えたまま半身を起こし、駆け寄ってきたシンタローに、まだ動く右手で男を渡した。
 アラシヤマの呼吸は微かで、その体温も、極炎舞の反動からか、通常に比べればかなり低い。それでも、確かにそれは生きているという実感を伴った重みだった。
 シンタローが支えるアラシヤマを、左手首を抑えて見上げながら、マーカーは呆れたように言う。

「まったく、本能の勝利というか、煩悩の勝利というか……。新総帥、貴方は大分厄介なものを抱え込んでいるようですよ」
「……アンタでも、シャレ言うことがあるんだな」

 むしろそちらのほうに驚きつつ、シンタローはリュックの中から高松謹製という傷薬と包帯を取り出し、マーカーに放った。
 受け取ったマーカーは地に腰を下ろしたまま器用に膏薬の蓋を口を使って開けると、人差し指に取った分を軽く舐め、成分を確認した上で(非常に賢明な判断だとシンタローは思った)左手首の火傷に塗りこむ。
 シンタローの目にちらと入ったその火傷は、つかまれた指の跡そのままに赤黒く染まっていた。だがそんな痛みなど全くと言っていいほど表情には出さず、マーカーはまた口と片手を使って、手早く包帯を巻いていく。
 その作業が終わった後も、シンタローの腕の中にいる男には、微塵も目覚める気配はなかった。
 マーカーは火傷を負った腕を、わざとらしいまでにいつまでももう片方の腕で抑えつつ、憮然とした表情のシンタローを眺めている。

「……当分。起きそうにねえよな、コイツ」
「極炎舞は元より自爆技。臨界まで達せずとも、発動すれば術者の命を削るだけの体力を消耗します。拷問と監禁に加えてのそれでは、さすがにこの馬鹿弟子でも、そう簡単には目覚めないかと」

 立ち上がりながら、あまりに冷静に言うその口調に、シンタローの顔があからさまに歪んだ。

「……~~~っ!俺に、このクソ重い馬鹿男、背負っていけってか?!」

 様々な感情が入り混じり、結果としてふざけんじゃねぇという心境に達しているのだろうシンタローのその思いなど、おそらく全て見透かしながら、マーカーはしらっと微笑を投げてよこす。

「申し訳ありませんが、この腕では私にその役目は無理なようです。先行し敵の攻撃や罠への対処はいたします。その愚か者への仕置きは、どうぞ戻ってからゆっくりと」



***


 アラシヤマをその肩に抱えたシンタローとマーカーは、砦のさらに奥を目指して進んだ。あともう一つ、確認すべきは、「この馬鹿が一体何をそれほどまでに気にしていたか」だ。
 だがそうして疾駆していくうちに、あることに二人は気づいた。

「おい、マーカー」
「……ええ」

 兵の気配が、消えている。それはどこかに潜んでいるとかそういったレベルの話ではなく、人そのものの存在する気配がない。
 そうした空気をやや不気味に思いながらも、しかし二人に引き返すという選択肢はない。そして入り組んだ道の奥、一つの階段を下りた場所で、二人は眼前に広がるそれを見つけた。
 まだ薄く煙の燻る、一面の瓦礫の山。 おそらくは何かの研究施設であったのだろうということは、割れた試験管や、融けながらも微かにその形をとどめている金属製の机の残骸によって推測できた。

「コイツが、深入りした理由は、コレか……」

 その荒涼とした風景を前にして、シンタローが低声で呟く。後ろに控えているマーカーがその背に向かって声をかけた。

「それ以上、近づくのはおやめください。ここで一体何を行っていたのかは、戻ってから馬鹿弟子に尋けばすむことです。大抵の細菌兵器や毒であればもはや滅しているでしょうが、万が一ということもある」
「あぁ、わかってる」

 そのとき、背後からカタッという微かな音が聞こえた。シンタローとマーカーがゆっくりと振り向く。
 階上の小部屋から、逃げ出さんと這い出しているのは、ほんの半日前にモニターの中で悠然と葉巻を咥えていたあの男だった。

「アンタ……」

 もはや足腰すら立たない状況で、それでももう逃げられないと悟ったのか、スーツ姿の男はそこに腰を据えたままシンタローたちを睨み付ける。その周囲に、本来あるべき警邏兵の姿はない。

「取り巻きは、どうしたんだよ。―――勝ち目がねぇと悟って、置いてけぼりか」

 男は答えない。それは肯定と同義だった。この上ない憎しみを込めた視線も、シンタローにはもう憐れみを誘うものでしかない。

「惨めだな……。同情は、できそうにねーけどよ」

 そのあまりに孤独な姿を完全に蔑んだ目で見下ろしたあと、シンタローは男を放置して引き返そうとする。だが、そんなシンタローの後ろを、マーカーは追おうとはしなかった。その場に佇み、冷涼な眼差しで男を見ている。
 そして、何かを口にしようとしたシンタローを制するように、マーカーは言った。

「貴方との"契約"は、アラシヤマ救出までという話でした」

 脅えきった男を前に、マーカーが歩みを進める。その右腕に、絡みつく美しい蛇にも似た青白い炎が生み出される。
 シンタローは、止めなかった。目をそむけることも、しなかった。
 それが一瞬の出来事だったのは、マーカーのせめてもの慈悲というよりは、新総帥の目前であるということを慮った結果だったのだろう。
 蒼い炎の蛇は一息に男を呑み込み、そして後にはただ、真白な石灰石にも似た骨片のみが残った。


 
 入り組んだ通路を二人は駆ける。
 そして先刻アラシヤマと対峙したホールまで戻ってきたとき、一つの人影が目に入った。
 それは砂色の髪をした年若い男で。あちこちに激しい戦いの痕跡を残したホールの中央で、ただ独り、立っている。
 もはや生き物の気配を完全になくした砦の中で佇む男に、シンタローとマーカーは怪訝な顔をしながら歩み寄った。
 そして、二人がその近くまできたとき。
 男が穏やかな声で問いかけた。

「あの方は、逝かれましたか」
「―――ああ」

 そうですか―――と、男は痛みを堪えるような、しかしどこか安心したような表情で言う。それはこの状況にはとてもそぐわないような静かな顔だった。
 潮騒のような風の音が聞こえる。表はもう夜が明けかけている頃だろうか。
 男はシンタローとマーカーに、微笑を向ける。

「人もおらず、施設も破壊された。―――もはや、この砦の存在する理由が無い」

 そして、その表情のまま、二人に戦慄を覚えさせる事実を告げた。

「この砦は、あと十分足らずで消滅します」

 淡々と口にされたその言葉に、シンタローとマーカーの眉間に皺が刻まれる。

「構造は単純ですが、半径一キロメートルを巻き込む大規模な気化爆弾です。今からでは脱出は不可能でしょうね」
「―――クソッ……マジか……?!」

 火薬ではなく酸化エチレンなどの燃料を空気と撹拌させて爆発させるその爆弾は、通常は仕掛ける側が巻き込まれることを恐れて、高高度のヘリコプターや音速のジェット機から落とすものだ。爆鳴気の爆発は強大な衝撃波を発生させ、十二気圧に達する圧力と三千度近い高温を発生させる。
 シンタローは、手のひらにじっとりと嫌な汗をかくのを感じた。
 だが、どうせ自分たちを巻き込むつもりならば、どうしてそんなことを親切に教えるのかという疑念も同時に湧く。敵わぬ敵を追い払うためのハッタリというには、男の目はあまりに真摯だ。ただ単に、死の間際にその恐怖を煽ろうとするような馬鹿馬鹿しい理由とも思えない。
 その時、ようやくシンタローの頭の中で、書類の中で見た顔とその男の顔が一致した。

「そうか、お前……アラシヤマの」
「いえ、私はυ国前首脳部の秘書ですよ」

 もう二十年も前からのね、とどう見てもまだ三十前にしか見えない男は微笑う。そして、シンタローの肩に担がれているかつての上官の姿を見遣り、ゆっくりと歩みを進める。

「もし……もしも」

 シンタローとマーカーの横をすれ違いながら、男は淡々と言葉を繋ぐ。なぜかシンタローは男を止めることができなかった。

「あなた方が生きてこの島を出、そしてその方が目覚められたら……」

 ―――自分にはもう、かつて目指した場所は遠すぎて見えないけれど。

「『あなたの仰っていたことが、少しだけ理解できました』と。不肖の部下が申し上げておりましたと、お伝えください。―――その方は、最後まで一人も殺めはしなかった」
「ちょッ……オイ待てコラぁっ!」

 周囲の空気を一切動かさないような静かな歩みで、男はそれまでシンタローたちが来た方向、今やあの男の骨しか残っていない階下へと向かう扉をくぐった。隠された操作盤でもあったのか、その直後に扉は閉められる。
 閉ざされた扉は、二度と開こうとはしなかった。


 今からそれを破壊し、追っている時間はない。
 何が原因かもわからなかったが、どうしようもないやりきれなさにシンタローは拳を堅く握り締め。だが、すぐにキッとその眼差しを前に向けた。

「とりあえず地上に出んぞ。こんなまどろっこしい道、通ってらんねーからな」

 言いながら、右手に意識を集中させ、蒼い光球を作り上げる。背後でマーカーが身構えるような姿勢をとった。
 シンタローが手に集めた高密度のエネルギーの塊を、頭上に向かって放つ。

「眼魔砲――――ッ!!」

 岩と煉瓦によって組み上げられた遺跡は、その衝撃にはとても耐え切れず、頭上に巨大な穴が空く。邪魔となる部分をすべて眼魔砲で撃ち崩し、落ちてきた瓦礫の山をちょうどよく足場代わりにしながら、二人は地上を目指す。そのやり方を見ながら、後方を追うマーカーが笑ったような気がした。

「……あンだよ」
「いえ、血は争えない、と思いまして」
「?」
「派手好きの」
「あのオッサンどもと一緒にすんな……よッ!」

 絶え間なく落ちてくる石礫を手の甲で払いながら、まったくこの状況でも軽口が叩けるというのは、どういう神経をしているのだと、シンタローは呆れたような、しかし反面心強いような気分になる。
 置かれている立場としては、けして笑って済む類のものではない。どれほど最短の道を選んでも、砦を脱出し、島端にたどり着くまで最低でも七分はかかる。そこからボートを呼び寄せ、一キロ以上先まで逃げ出すのは奇跡でも起こらない限り不可能だ。

(―――チクショウ。ここまで、来たってのに)
 
 どうすることもできねーのか、とシンタローは歯噛みする。


 だが、二人が最後の外壁を破り、その頭上を見上げたとき。
 朝焼けの薄明の空に見えたのは二艇の巨大な戦闘艦だった。



***



 一方は円の中に五芳星とGのマークをつけた、楕円形の白銀の艦。もう片方は、どう見てもアレの趣味としか思えない、白鳥かアヒルかもわからないような外形の、得体の知れない浮遊物。
 後者のほうから、拡声器を通した声がシンタローたちの元に届く。

「助けに来たよぉ~、シンちゃんv」
「グンマぁっ?!」
「俺らもいるぜェv」

 シンタローたちの切迫した状況などお構いナシに発されるその能天気な声たちは、まごうことなき兄弟と、おそらく今もアルコールの匂いにまみれているのだろう叔父のものだった。
 その時になって、シンタローはハッと気付き、腰紐に付けられた小さな錦の袋に目を向ける。太い楷書体で「家内安全」と表書きされたその存在を、シンタローは今になってようやく思い出した。
 作法も何もかなぐり捨てて袋の口を開いてみれば、中から小さな集音マイクのような機器が転がり落ちる。

(お守りって……どー見たって発信機じゃねーか!)

「シンちゃんたちがアラシヤマ助けたあたりから、この辺のレーダーが乱れ始めたってキンちゃんから報告が入ってね。なんかおかしいな、と思ったから近くで待機してたんだ~」

 あ、叔父さまたちは連れてきたんじゃないよ、来たらもういたんだよ、と言い訳のようにグンマの声は言う。

「おとーさまが、どーしても、って」
「あのヤロー……俺がなんのために……それに費用は……」
「だいじょーぶ、ぜーんぶ、おとーさまのポケットマネーだから」

 その言葉を聞いた瞬間、シンタローの口が顎が外れるかと思うほど大きくカクンと開いた。これだけの戦闘艦をこれだけの短期間で整備し、動かすには一体何億、何十億かかると思っているのか。

「アラシヤマのためだったら絶対やだけど、シンちゃんのためだったら仕方ないってー」
「あンッのクソ親父……!」

 どこまで親馬鹿なんだ、と顔が赤くなる思いでシンタローは拳を握りしめる。そのせいで実際救われているという現状にも、もはや感謝より怒りのほうが先立っていた。
 だがそんな感情に今は左右されている場合ではない。艦から身を乗り出すようにこちらを見下ろしているグンマに向かって大声で叫ぶ。

「って、ンなこと言ってる場合じゃねぇ!さっさと縄梯子下ろせ!あと三分もねーぞ!」

 さすがにその状況は把握しているのか、すぐさま艦から梯子が投げ下ろされた。拡声器の雑音に混じって、くだんの酔いどれオヤジの残念そうな声が聞こえる。

「ンだよ、暴れらんねーのか。つまんねぇナ」
「オッサン暴れんならほかでやれーーー!」

 シンタローの掛け値なしの怒声に、だがハーレムは咥えタバコのままにやりと笑って、部下の一人の背を叩いた。

「そんじゃま、俺様の可愛い部下返してもらうぜぇ~、甥っ子」

 その言葉と同時に、白銀色の艦からロープ一本に腕と片脚を絡めたロッドが降下してくる。そして、まるでどこぞの姫でも迎えにきたかのように、恭しくその片手をマーカーに差し出した。
 マーカーはうんざりといった表情で腕組みをしながらそんな男の様子を眺めている。

「……なぜ貴様が降りてくる必要がある。ロッド」
「え~~。いーじゃんコレくらい。どんだけオレが心配したと思ってンの」

 せっかくの演出にも予想通り冷たい反応しか返ってこなかったことに、金髪の男はややスネたような顔する。だが、そのいつもどおりのマーカーの表情を確認し、悪戯っぽく笑いかけた。

「それにさ、カッコよくね?アジアンビューティー抱えてロープで退場なんて、007みてーじゃんv」
「イタリア男が何抜かす。くだらんことを言っている暇があればさっさと引き上げろ」

 不承不承ではあったが、片腕の怪我もあり、マーカーがやむなく男の手を取る。そして引き上げを待っていたそのとき、ふと何かを思い出したようにシンタローに声をかけた。

「新総帥」
「ん?」

 アラシヤマを背負ったまま、同じく下ろされた縄梯子に足を掛けたシンタローが振り返った。

「報酬の振込みは、後ほど連絡いたします私の口座まで。―――それと」

 去り際にまであくまで現実問題を忘れずに、ただ一瞬だけちらりとその弟子に視線を流し。
 そしてマーカーは見蕩れるほど艶やかに口の端を上げる。

「その馬鹿弟子が目覚めたら、私の分まで、どうぞ入念な仕置きを宜しくお願いいたします」
「―――あぁ、まかせとけ」
 
 交わした視線は、その質こそ違え、確かに同じ思いを抱いていた。
 シンタローは不敵に笑い、そして小声で、ありがとな、と言った。






 ロッドを含めた三人が艦に収容され、そして二艇の艦は全速力でその場を離脱する。
 艦がぎりぎりで爆風に巻き込まれないだけの場所に着いたとき。
 その後方で閃光と轟音が、黎明の大気を劈いた。





『on the wild world』  -epilogue- 












―――瞼を開いて、まず感じたのは、白色の光だった。
 まぶしさにやや目を眇めると、その視界の片隅に長い黒髪が入ってきた。

「……よォ、やっと目ぇ覚ましやがったか」
「…へ……?あ……シシ、シンタローはん?!」

 思わず飛び起きそうになって、瞬間的に走った全身の痛みに表情を顰める。
 それは団の医務室でも、重傷者が収容される個室だった。白い部屋の中央に置かれたパイプ製のベッドの上にアラシヤマは横たわり、その腕には数本の点滴の針が刺さっている。
 シンタローはベッドの横に置かれた簡素な椅子の上に腰掛けて、アラシヤマを見下ろしていた。
 現状の把握すら出来ていないアラシヤマに、オマエ、五日間眠りっぱなしだったんだぜ、とシンタローは言う。「まさか、ずっとついててくれはったんどすか?!」と目を輝かせるアラシヤマに、シンタローはたまに、仕事の合間に時間が出来たときに、気が向いたら寄っていた程度だと答えた。
 そして、当人が眠っていた間のことはさておいて(その期間にもアラシヤマが危篤状態に陥ったりそのせいで高松が急遽呼び出されたり、キンタローが逃げ出した残党の処理に奔走したりとごたごたはあったのだが)、砦で起こったことをシンタローは簡単に解説する。
 思わぬマーカーとの共闘や、グンマやマジックによる援助、内部で起こった出来事。瓦礫の山と化していた研究所を発見したことと、首謀者の死。脱出時のあまりの派手さを聞いた時には、さすがにアラシヤマも目を剥いた。

 アラシヤマもまた枕を丸めて背もたれのようにし、砦の中で起こっていた事実のみを淡々と報告した。見抜くことができなかった副官の裏切りと、前政権が目論んだ陰謀。そして、あの研究施設で行われていたことの詳細。
 もっとも、暗示をかけられてからのことはさっぱり覚えていないらしい。
 かろうじて一瞬だけシンタローの声が聞こえ、師匠の顔が目に入ったことしか記憶にはないという。それすらも、今の今まで夢かと思っていた、と正直に白状した。
 
 起き抜けでやや掠れがちのその声の報告が済んだあと、アラシヤマはへらりと情けない笑みを浮かべて言った。 

「シンタローはん、なんやおとぎ話の王子様みたいどすなぁ」
「で、助け出した姫がコレって。そんな報われねー王子がいてたまるか」

 掛け値なしの本音を言いながらシンタローは立ち上がり、近くの棚に置かれている果物カゴから林檎を一つ取り出す。この見舞い、グンマ達からだけど貰うゼ、と言いながら、ナイフで器用にその皮を剥いていく。
 そして、綺麗に切り分けたその一つをシャクッと齧りながら、思い出したように言った。

「ああ、そーだ。あともうひとつ」
「?」
「オマエの『副官』から、伝言」

 シンタローはあのホールで聞かされた言葉を、一言一句違わずアラシヤマに伝える。
 それを聞いたアラシヤマはしばらく黙ったままでいて。やがてゆっくりと天井を見上げた。

「あの男……ホンマは、誰かに壊してもらいたかったんやないかと思うんどすわ」
「結局、ていよく利用された、ってワケか」
「どうでっしゃろな。壊したないゆう気持ちもほんもんで、せやから―――わてらに賭けたんかもしれまへん」

 言いながらアラシヤマは、けして短くはない期間、己の下にいた男のことを少しだけ思い出す。
 頭の回転が速く腕が立ち、誠実で、軍人の鑑のようだった男。そして、あまりにも真面目で―――それがゆえに、哀れなほど弱くなってしまった男。
 せめてその終焉を共にしたことで、あの男は己の良心と、最後の忠誠のどちらをも全うすることができたのだろうか。

 そんなことをやや感傷めいて考えていたアラシヤマを現実に引き戻したのは、シンタローの完全に呆れ返った声だった。

「しっかし、オマエ、今回ほんっとマヌケだったな。マーカーへの報酬と親父への借金で、この先二年はほとんどタダ働き決定だぜ」
「えええッ?!せ、せめて生活費くらいは残しといておくれやす」

 けして冗談ではない総帥の言葉に、アラシヤマは本気で焦る。そんな様子を面白そうに眺めながら、―――ただ、とシンタローが言った。
 
「最後まで……団の方針守ったその根性は、褒めてやる」
「……ハハ。あんさんに褒められたん、初めてかもしれんどすな」

 その言葉にアラシヤマは、おろおろと挙動不審だった動きを止め、短く息を吐きながら顔を仰向けた。
 ―――せやけど、今だけ堪忍な、と前置いて。
 身を起こしたアラシヤマは、キッ、とシンタローに向かって眦を吊り上げる。

「……どこの世界に、たかが一団員助けるために一人で敵陣突っ込む総帥がおるんや、こん阿呆!」

 そのいきなりの剣幕に、一瞬だけシンタローの目が丸くなった。
 そしてむくれたような表情で視線を横に流す。他の人間(それはティラミスが最も強かったが)が口にしたくてたまらない、という顔をしながらそれでも抑えていたその説教を、ああコイツは言うんだな、とぼんやりと考えながら。
 ったく、鬱陶しいと片眉を顰めながら、シンタローはぼそりと呟く。

「……一人じゃねーだろ。マーカーもいた」
「し、師匠は……師匠にも色々思うことはあんねんけど、今はあんさんのことどす!」

 その台詞に出された唯一の鬼門に瞬間怯みながらも、アラシヤマはシンタローへの面責を止めようとはしない。

「あんさんの情が深いんは嫌てほど知っとるわ。せやけど団員の一人や十人、いざっちゅう時には平然と切り捨てはるのが総帥ちゅうもんどっしゃろ。そないなことすらわかっとらんほど、あんさんの頭が悪いとは思うとりまへんどしたえ。ましてこんな―――つッッ」
「オラ、暴れんなよ。テメーアバラ二本折った上に全身火傷と打撲だらけで、全治三ヶ月の重体患者だろーが」

 うんざりしながら、それでも一応最後までその小言を聞いていたシンタローは、胸のあたりを押さえて言葉を詰まらせたアラシヤマの口に、小さく切り分けた林檎を放り込んだ。
 それ以上何も言えなくなったアラシヤマは、微妙な表情でなんとかその果実を嚥下する。そして、あてつけがましく長いため息をついた。

「……わての言いたいのは、そんだけどす」

 起こしていた身を、どさりとまたベッドに沈める。身体への衝撃をできるだけ和らげるためなのか、分厚い枕は羽毛入りのようで柔らかく、アラシヤマの上体を包み込むように沈めた。
 そんなアラシヤマを横目で見ながら、シンタローもまた、抑えた声でそれを口にする。

「俺も、一つ。どうしても言っておきたかったことがある」
「なんどす?」
「―――泣かねーよ。テメーが死んだくらいじゃ」

 はじめは何を言われたのかわからずきょとんという表情をしたアラシヤマが、やがて記憶と合点がいき、苦笑しながら静かに答えた。

「そうどすか」
「あぁ」

 真白な病室に、静謐な空気が流れる。いくら換気しても消しきれない薬の匂いの中に、林檎のほんの少しだけ甘酸っぱい薫りが漂っている。
 アラシヤマは何も言わない。シンタローは二切れめの林檎を口に入れた。シャクシャクとささやかな音をたてながら、薄く切られたそれを二口で食べ終える。
 そして、ぼそりと言った。

「泣かねーけど。でも、その間抜け面蹴っ飛ばしに行く」

 アラシヤマが俯かせていた顔を上げて、シンタローを見る。

「どうせテメーのことだから、前線で英雄的に華々しく散るってよりは、なんか色々裏工作やって、そこでしょーがねぇって自分の命使うタイプだろ」
「……はは」

 むかつくことに、この男は困ったように笑うだけでシンタローの言葉を否定もしない。

「たとえそれがどんだけ団のためになって―――俺のためになったとしても。俺はそんなのは認めねぇ。特進どころか団員資格剥奪。遺体だって白骨になるまで放置だ」
「酷おすなぁ……」

 まるで叱られた子犬―――否、大型犬のような表情で、それでもアラシヤマは口元の苦い笑いを消そうとはしなかった。
 その表情は、それも仕方ないとどこか諦めているかのようで。
 そういった顔がどれほどシンタローを苛つかせるのかなど、きっと百回言ったところで、この男には理解できないに違いない。

「いいか、もし死んだら。一番にその死体蹴っ飛ばすのは、俺だ」
「へぇへ、そんな念押さんでも……」

 耳にタコができる、とでもいうかのようにアラシヤマは視線を逸らそうとする。そんなアラシヤマの胸倉を、シンタローは何の遠慮もない力で掴んで引き寄せた。
 怪我の痛みを訴えるその眉間の皺も何もかもを無視して、シンタローはアラシヤマと二十センチと離れていない間際で、その目を真っ直ぐに睨み付けて、言う。

「それが戦場のど真ん中でも、どんなヤバい組織の最深部でも。だから―――もし俺を心配しようって気があんなら、少なくとも、俺の目の届かないところで、死ぬな」
「……―――」

 吐き出すようにそれだけ告げて、シンタローはそのままベッドにアラシヤマを突き倒す。
 骨に響くその行為に一瞬だけ顔を顰めながらも、アラシヤマは思わず込みあがってくる笑いを噛み殺すのに苦労した。

「……シンタローはん。それって、えらい愛の告白みたいどすえ」
「ばーか、深読みすんな」
「せやけど」
「それ以上なんか言ったら、トドメ刺すぞ」
 
 シンタローはけしてアラシヤマに顔を向けようとはしない。だが、その反らした首筋に朱が上っているのは、アラシヤマの目にもはっきりとわかった。そんなものを見せ付けられて、どうしてこらえきれるというのだろう。
 アラシヤマは、ぐい、と紅い総帥服の袖を引く。
 そして包帯だらけのその腕で、シンタローを強くかき抱いた。


「―――愛してますえ、シンタローはん」


 笑みを含みながら、しかしこの上なく真摯な響きをもって告げられたその声に。
 憮然とした表情のシンタローはやがて薄く目を閉じて―――知ってる、と呟いた。





 微かな医療機器の作動音だけが聞こえる白い部屋の中で、その時確かに、自分にとっての時間が再び流れ出したのをシンタローは感じた。

 これからもきっとこの馬鹿は、無謀な戦場に赴き、そして自分のために何度でも命を懸ける。時には大怪我をすることもあるだろう。
 だが、それでも、こうして共にいられる今を。
 悔しいと歯噛みしながらも、シンタローは幸せだと認めるしかなかった。














 そしてまた、いつもの「日常」が始まる。

















Fin.
















==========================================================



BGM(順不同):Cocco, 椎名林檎(東京事変), Aerosmith, The Stone Roses,
Cornershop,Thee michelle gun elephant, RADWIMPS, スキマスイッチ,
BUMP OF CHICKEN, jamiroquai, Sarah Brightman, Underworld





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