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「シンタローはぁぁんッッ、見とくれやすっ!」 
「眼魔砲」

 師走に入り、団内の忙しさは加速度的に増している。
 各部署は各部署なりの年末進行に喘いでいるし、その過程で生じたトラブルはすべて総帥であるシンタローの下に集約される。前線に赴く前後にそれらをなんとか処理しながら、スケジュールの合間合間には、なぜかこの時期にやたらと開催される懇親会の数々が詰め込まれていて。
 いくつかは元総帥であるマジックや幹部連中に代わりに行ってもらっているが、総帥に就任してから初の顔見せとなる会も多い。大部分は直接顔を出さないわけにはいかなかった。
 もちろんそんな殺人的スケジュールの中でも、シンタローが愚痴など吐くことはない。たださすがに、全く疲れていないと強がってみせるにもごまかせない顔色には、なりつつあった。休憩時間に秘書課のティラミスが、す、と最高級の栄養ドリンクを差し出すほどには。
 そんな疲労のさなか、奇声を上げつつ総帥室に駆け込んできた闖入者が一人。重厚な書卓の上に頬杖をついたシンタローは、その声を聞くや否やほとんど無意識のまま必殺の一撃を放っていた。
 抜く手も見せず、と自画自賛したいほどにきれいに決まった眼魔砲は、しかし食らった男の息の根を止めるにはいたらなかったらしい。深緑の制服のところどころから香ばしい匂いをたてつつも、ずるずると地を這うように、その男は総帥室の中に入り込んでくる。

「ひ、ひど・・・用事があって来ましたのに・・・」
「悪いな、条件反射だ。で、なんだって?」

 表情も変えずに言ってのけるシンタローに、ぼろぼろの手から差し出されたのは、小さな橙色の実をつけた木の枝だった。どうやら、眼魔砲からは身をもってかばったらしい。

「なんだァ、ソレ。金柑か?」
「へえv」

 シンタローの前までなんとか這ってたどりつき、机を杖代わりに立ち上がると、嬉しそうに満面の笑顔を作って、アラシヤマはうなずいた。

「実をつけましたんや。半年前に植えた、わてとシンタローはんの友情の木十二号が」
「お前、まだ団内に勝手に植栽してやがったのか・・・」

 チッとひとつ舌打ちをして、シンタローは渋面を作る。
 アラシヤマがことあるごとに植えたがる本人曰くの「友情の記念樹」。木の種類こそ毎回違うが、本人が律儀に横に看板を立てておくので、見つけ次第すぐに眼魔砲で吹っ飛ばしてきたはずなのに。どうやらシンタローの目の届かないところで、じわじわと増殖していたらしい。
 団内緑地の一斉点検が必要か・・・などと考えているシンタローの表情などどこ吹く風で、アラシヤマはいくつもの実をつけた枝を頬擦りせんばかりに愛撫する。

「三年生苗どしたさかい、上手くいけば思うとりましたけど。はじめての冬でこれだけ実がつくなんて、ホンマ縁起がよろしおすなあ。友達百人できる前触れでっしゃろか、それともわてとシンタローはんの仲のより一層の深まりを暗示しとるんどすやろか・・・」
「安心しろ、どっちも確実にない」

 うっとりと遠くを見るような目つきで語るアラシヤマの言葉を、シンタローは引きつった笑顔で瞬時に否定する。ひどおすなあ、と悲しそうな顔をしつつ、アラシヤマは手に持つ枝をす、と差し出した。

「せやかて、金柑に罪はあらしまへんからな。よかったら食べてみておくれやす。わてもさっき一つ摘みましたけど、けっこう甘くていけますえ。無農薬有機栽培はわてが保障しますよって」
「・・・・・・オマエ、もしかしてそれだけのために、来たわけ?」
「へえ。そうどすけど」

 ごく当たり前のことのように肯定する幹部に、シンタローはハァァ、と脱力しきったため息を吐く。

「その根性に免じて、コレはもらってやるけどな。さっさと仕事もどれ、アホ」

 それとももう一発食らっていくか?と右手に光球を集め始めれば、アラシヤマはあわててきびすを返す。それでもまだいくらかの余裕は残っているらしく、退室の際には「ビタミンCも豊富どすし、疲労回復にも効きますえー」などとのたまってはいたが。
 アラシヤマの足音がすっかり聞こえなくなってから、シンタローは金柑の枝を机の上に置いた。友情の木、などという得体の知れない名称を勝手につけられた金柑には、同情を覚えつつも気色悪いと思うしかない。
 だがたしかに柑橘系の酸味は疲れた体に効きそうな気がして。アラシヤマがすっかり遠ざかったこと確認してから、一粒つまんで口の中に放り込んだ。
 癪ではあったが、男の言うとおり、ほのかな甘さと酸っぱさは、過度の疲労で膜がかかったような頭を少しすっきりとさせてくれる。シンタローは先刻までに比べれば明瞭となった意識で、いつ果てるともない未決済の書類に、再び対峙し始めた。











   『この長い道行きを。』   











 シンタローに果実を渡してからすぐに自分の部署へと戻ったアラシヤマは、ほんの二十分程度席をはずした間にまた増えた書類仕事を、的確に――ある意味では極めて機械的に――片付けていった。
 アラシヤマの仕事の速さには、団内でも定評がある。良くも悪くも、廻される仕事に対し私情を全くと言っていいほど挟まないからだ。だが乗数的に襲い掛かってくる書類を処理し、さらにその後に、自分の「ある任務」に関する計画を練っていると、ふと時計に目をやったときには短針はすでに午前二時を指し示していた。
 上司を残して自分たちだけ戻るわけには、と渋る部下たちは日付が変わった時点で睨みつけて帰したため、部署内に人気はない。アラシヤマも、通常業務だけだったらなんとか日中には終わらせていたのだ。それ以降も残って仕事をしているのは、云い様によっては私的な理由からだった。
 正しく言葉通りの意味で不夜城といえるこの団内には、まだまだ大勢の人間が働き続けている。
 ただ連日の三時間睡眠と終わりの見えない今後のスケジュールを思うと、さすがに今日はこれ以上の作業を続ける気にはなれなくて。机の上を整理してからパソコンの電源を落とし、椅子の上で伸びを一つ。そしてアラシヤマは立ち上がり、もはや自宅よりよほど長い時間を過ごしている部屋を後にした。


 新生ガンマ団が誕生して一年。
 新体制への移行は反対派を御しつつなんとか順調に進んでいるが、その変化の度合いが大きいだけに、まだまだ先は見えない状態だ。
 座ったままの仕事は性に合わない、などという不満は新総帥の就任初日で、思うだけ虚しいものと理解した。表面上皆無となった殺しの仕事の代わりに、まわされるのは膨大な数の調査要請と任務の計画書。これまでのように相手の頭を潰せば終わり、というやり方ならさほど必要ではなかった事前調査の、資料やら計画書やらに目を通してダメ出しをするのが今のアラシヤマの平時の仕事だった。前線に詰めるのとほぼ同程度か、あるいはそれ以上の時間を、紙やパソコンとの睨み合いに費やしている。
 好きではないが、他の幹部連中に比べれば苦手でもない。それだけに、新総帥からの要求は高く。通常の業務に加え、他の部署で難航して放り出された案件など、あからさまに誰もが敬遠するような仕事が積み増されて回されているのは気のせいではないだろう。
 それでも、こき使われているという心境よりは、とりあえずどういった形であれ心友の役に立てている、と嬉しい気持ちのほうが強い。ほぼすべての戦場で先陣に立つ総帥が、自身をどれほど酷使しているか。それを知っているだけに、ほんのわずかでも力になれればというのは、アラシヤマだけでなく彼と共に戦った仲間の誰もが同じ気持ちだった。
 たださすがに、人間の体力には限度というものがあるようで。
 通常業務に加え、自分には「別口」からの仕事に対する準備の時間もある。たまに取る代休は、実際にはその仕事に費やしていた。そのためここ二ヶ月ほどまともな休みをとった記憶がなく、なおかつ四時間以上眠った記憶も遠い。そうした現状においてはさすがのアラシヤマも、寮の自室にたどり着いた頃には意識が朦朧となっていた。


 だから自室であるはずのそこのリビングで、足を組み漫然と深夜のニュース番組を眺めているその姿を見たときも、咄嗟に状況を認識することができずに。
 呆けた表情で一瞬棒立ちになれば、彼の人の手元にあったらしきテレビのリモコンがアラシヤマの額に刺さりそうな勢いで激突した。






「遅いぞ、アラシヤマ」

 激しい痛みが、その存在がけして幻などではないことを主張する。
 一言の連絡もなく家宅侵入しておきながら、家主の帰宅が遅いと苛立ちを隠そうともしない。労いの言葉など欠片も期待したわけではないが、あくまでいつも通りな己が師匠の言葉に、さすがに切ないため息が出た。
 なんでこんなところに、という疑問は寸でで飲み込んで。ズキズキと痛む額を涙目で押さえながら、「すんまへん、とりあえず着替えてきますわ・・・」と小声で告げる。当然のごとくマーカーからの返答はない。
 自室で楽な部屋着に着替え、リビングの隅にある簡易キッチンの冷蔵庫からビールを取り出し師の元に戻る。ビールはもちろん、こういうときのために買い置きしてある青島ビールである。
 皮製の、部屋に一つしかないソファの中央で足を組み、反り返るように座っているマーカーにグラスの一つを渡すと、アラシヤマはソファと向かい合う形でフローリングの床に直に座った。テレビの音がなんとなく落ち着かなくて、消してもええどすやろか、と尋ねるとマーカーは無言でうなずく。先ほど飛ばされたリモコンは無視して、主電源を落とした。

「いつ、戻ってきはったんどすか」

 マーカーがグラスに口をつけたのを確認してから、アラシヤマも一口目を喉に流す。地雷を踏む可能性があるWHATとHOWの疑問はさて置いて、とりあえず無難な話題を振った。

「実際に団に帰着したのは今日の夕刻だ」
「それから、ずっとここにいてはりましたん?」
「いや、隊長たちと街に出ていた。来たのは三十分ほど前か」

 その言葉を聞き、疲れを感じたことが原因とはいえ、いつもよりは早く引き上げてよかったとほっとする。そして同時に浮かんだ「だったらそれほど待たせてへんやないどすか」という思いは、心の中で呟くだけにとどめた。

「鍵とかセキュリティーとかゆうんは・・・・・・聞くだけ無駄なんどすやろなぁ」
「当然だ」

 ただでさえこの団員寮は、幹部用の貸し家に比べれば警備は驚くほど手薄だ。仕事上のデータは自宅に持ち帰らないことが原則であるし、団の敷地内にあり、なおかつ腕に自信のある男ばかりの寮に保安上の必要性を感じないのは誰もが同じだった。この師匠であれば、公共施設に入る程度の心持で容易に侵入が可能だろう。
 別に現実問題として入られて困ることもないのだが、心臓には悪い。せめて侵入者があったときにはできるだけ早くそれを自分に知らせてくれるようなシステムは作れないものか、とぼんやりと本末転倒なことを考えてしまう。
 ふと見ると、師匠のグラスは早くも空になっていた。
 一本目の小瓶は、二人分を注いだ時点で空になってしまっている。手元に用意しておいた新しい瓶の栓を抜き、かすかに傾けられた師匠のグラスに近づける。
 だがそのとき不意に、軽いめまいがアラシヤマを襲った。否、正しく言えば、襲ったようだった。というのも、はっと気づいたのは、床にビールを(わずかだが)こぼした後だったからだ。ほんの一瞬、気を失うようにぼうっとしたらしい。どうやら睡眠不足に加え、夕食をとる間もなくアルコールを流し込んだのがまずかったようだ。

「あ・・・・・・、すいまへんっ」

 急いで拭くものを取りに立ち上がろうとする。
 だが、その腕をマーカーが押さえつけた。叱責される、と反射的に身を硬くしたアラシヤマだったが、意外にもマーカーはすぐに何かをするわけでなく。ただ、アラシヤマの腕を掴んだまま、鈍く光る蛇にも似た眼光でじっとこちらを見据えてくる。
 そのほんの数秒の沈黙を、アラシヤマは何より恐ろしく感じた。
 薄い唇がゆっくりと開く。

「――連日、戻りは遅いようだな」

 声の質そのものは普通の男よりも高いくらいだろう。なのに、こういうときに発するマーカーの声は、まるで地の底から響くように思えてくるから不思議だ。
 ただ、問われている内容そのものは予想外に普通のことだったので、アラシヤマは多少拍子抜けしたように答えた。

「へ、へえ、まあ・・・・・・」
「なぜだ」
「・・・・・・単純に、ただ仕事が終わりまへんのや。団内も今こんな状況どすし、それに一応わても責任者の一人ですよって、いろんなチェックやらなんやらありますしなあ」
「すべてに目を通さねばならんほど、貴様の手駒は信用が置けんのか?――使えん人間を手下に置いておくのは、無能の証拠だぞ」
「ちゃいますて。そういうわけやあらしまへん」

 実際、部下を信用していないのかと問われれば、案外そんなこともないのだ。
 手前味噌でも、自分の下には有能な団員が揃っていると思う。新総帥から今の立場を任せると聞いたとき、承諾する条件として部下の人選だけは自分の手で行わせてくれと頼みこんだ。それなりの付き合いをするためだけでも、対象にかなりの条件がつくだろう自分の性質には、一応自覚がある。人選はガンマ団内の全団員のリストと首っ引きで行った。手間も時間も、相当かかっている。
 だから彼らに対する信頼は自分としては破格なほど高いし、よほどのことでもない限り、仕事を割り振る際にも逡巡はない。ただ、どうしても――最後のチェックだけは自分でしないと気が済まない。それはアラシヤマの性格的なものもあるのかもしれないが。
 どれほど部下の仕事を信頼しようと。
 それ以上に、些細なミスで彼への負担を増やしてしまうことが、怖い。

「でもまあ、万が一のことでもあって、心友に迷惑かけるわけにはいきまへんし」

「心友、か・・・・・・」

 指の跡がつくほどにきつく掴んでいたアラシヤマの手首を離し、マーカーは酒を一口あおる。

「お前が見境もなくシンタロー様を追い回しているというのは、団内でもずいぶんと噂になっているようだな」
「ええっ、師匠の耳にも入らはるほどなんどすの?!」

 新総帥の名前が出ただけで、アラシヤマはあからさまに挙措を失す。驚くべき自制心を発揮して、マーカーは手のひらで燻りかけた火種を消した。

「いややわあ、いくらわてとシンタローはんが親密な仲やからゆうて。そない噂になるほどなんて、照れますえ~」
「新総帥のほうは、あからさまに疎んじているとも聞いたがな」
「照れてはるんどすっ。シンタローはんはシャイなお方どすさかい」

 とうに成人を過ぎた男が、頬を染めて話す。弟子ならずとも灰にしてやりたいほどの鬱陶しさだ。
 だがマーカーが真に腹を立てている理由は、そのことではなかった。ソファの前にあるガラス製の卓に、音を立てずにグラスを置き。
 
「もう一度聞く――連日遅く帰る理由は、新総帥から命じられる仕事のせいか?」
「――・・・・・・」

 そしてほとんど抑揚を持たない、それなのにどこまでも響くような独特の声音で、尋ねる。
 アラシヤマにとって、そうだ、と言い切ってしまうことは容易かった。実際、アラシヤマがそう答えたとすれば、マーカーは本意はどうあれ、それ以上の追求はしないだろう。
 しかし、幼い頃からこの師匠には、嘘だけはつかぬようにと教え込まれてきた。そして、現実にどんな些細な嘘でも見抜かれてきた経緯がある。そのため、答えるまでに数秒の間があいてしまった。
 そのほんのわずかなアラシヤマの動揺を見過ごすはずもなく、マーカーは口元に、まさしく冷笑と呼ぶにふさわしい氷点下の笑みを刻む。

「・・・・・・フン、やはり、な」
「やはり、てなんですの・・・・・・――ッ?!」

 その言葉を吐き出しきる前に、唐突に襟首をつかまれ、無理やりに顔を引き寄せられた。
 師の思いがけない行動に反応することさえ出来ず、アラシヤマはがくりと膝を折る。
 間近に見るマーカーの黒曜の眼は、いつもどおり冴え冴えと冷たい。だが真っ直ぐに己が弟子を見据えるその視線は、まるでアラシヤマの奥底にある「何か」を見極めようとしているかのようだった。

「どこまで『本気』なのだ?――お前は」
「・・・・・・・」

 マーカーの質問が意図するものが、やっとアラシヤマにも理解できた。
 シャツの襟を持ち上げていた手が喉元に移動し、綺麗に整えられた爪が、アラシヤマの肌に食い込む。気管も頚動脈も押さえつけられているわけではない。だが。

「あの島で、お前は変わったと言ったな。あの時は確かに私もそう思った。だが・・・」
 
 その視線と、長い五本の指から発される圧迫感に、知らず息が止まる。

「牙を抜かれて腑抜けたふりをしようとも、虎は虎だ。猫にはなれんぞ」








 夜の室内は、恐ろしいほど静かだ。先刻テレビを消したのは失敗だった、とアラシヤマは頭の片隅で思う。
 はぁ、と意識して息を吐き、同時に苦労して上げた口の端は、なんとも不自然にゆがんでいた。わかっていても、それ以外の表情を作るすべを、今のアラシヤマは知らない。

「・・・・・・虎かて一応、猫科どすえ」
「茶化すな馬鹿弟子」
「師匠は、わてを買いかぶっとるんやないどすか」
「阿呆が。お前こそ、己の師を見くびるのも大概にしろ――いいか」 

 鍛えられた首筋を掴むマーカーの指の強さは緩まない。不穏な笑みを浮かべたアラシヤマにわずかも表情を変えず、マーカーはゆっくりと言葉を舌に乗せる。

「いまだ血の匂いを撒き散らしながら猫を装う、お前の」

 間近で囁くように紡がれるその声の、あまりの冷涼さに、知らず肌が粟立った。

「その厚顔さに呆れている、と、私は言っているのだ」

 アラシヤマの髪の隙間からのぞく片目がほんの一瞬だけだが見開かれ、同時に室内の空気が静止する。
 マーカーの声は穏やかな声音ながら、明らかな怒気を含んでいた。
 続く沈黙。
 やがて何かを諦めたように重いため息を一つ吐いたあと、アラシヤマは師の黒曜の双眸からふ、と視線をそらした。ゆっくりと身を引き、マーカーの指を首元からはずす。

「・・・・・・ほんま、敵いまへんなあ。師匠には」

 口元には苦い笑みが浮かべられている。
 それは先ほどまでの、その場凌ぎに作られたものとは明らかに違った。マーカーの腕に浮かされるように、ずっとひざ立ちになっていた姿勢からようやく腰を下ろすことができたアラシヤマは、ガラスの卓に軽く背をもたせ掛ける。

「――確かに、師匠の言うとおり、わてはまだ刺客どすわ」

 それは、アラシヤマと、前総帥であるマジックだけが知っている真実。

「シンタローはんのガンマ団には、いるはずのない人間どす」

 言って、苦笑したまま伸びかけの前髪をぐしゃ、と掻く。
 一年で、全てを変えられるわけはない。いや、五年、十年でもこれだけの組織の全てを変えるにはまだ足りない。
 だけど、それでも、あの人は変えたいと欲していて。そして、変えなくてはならないと強く信じていて。
 ならばせめて、不要となる部分の中でも、もっとも冥い部分だけは彼の目に見えぬところで消し去っていこうと。そう考えたのがシンタローを溺愛する元総帥であり、その意を酌み、同意したのが自分だったと言う話。
 必要なことはわかりきっていた。ありとあらゆる手を使って、負の遺産の処理をする人間が。かつて、団内でおそらく最も多くそうした仕事に手を染めた一人であった自分と、それを命じていた元総帥だから、わかる。ある意味では最も接点をもとうとしない二人ではあったが、その部分に関する認識だけは共通だった。

「醜い部分は見せたくない、とでも言うつもりか?すべてを背負ってこその総帥だろう」
「ちゃいますわ。あんお人はもう十分背負うてはる、ゆうことどす」

 ただでさえ、普通の人間だったら壊れてもおかしくないほどのものを、シンタローは抱えているのだ。彼の少年との約束に、偉大なるカリスマの後継としての重圧。己の出生にまつわる秘密を受容するための時間すら与えられずに、彼の運命は回り続ける。最愛の弟を、いつ覚めるともわからない眠りの中に残したまま。
 それでもシンタローはただ、前を向いて。常人には不可能としか思えないようなことをやり遂げようと必死に両足を踏みしめているのだ。そんな姿を見ていれば、せめてこれ以上、余計なものを背負わせたくないと考えてしまうのは当たり前のことで。

「わてらのしとることは、完全にお節介どすけどな・・・」
「わかっていながら、わざと、あの男の前では道化て?馬鹿馬鹿しいにもほどがある」
「わざと、てわけでもないんどすわ。あれはあれで、全部本音どす」

 怪訝そうな表情をするマーカーに、慣れっちゅうんは怖いどすなあ、と、ひっそりと笑う。  

「正直、自分でもようわかりまへんのや。どっちもわてや、としか言いようがないんどす」 
「・・・・・・詭弁、だな」
「かもしれまへんなぁ・・・・・・、せやけど、嘘やありまへんで」

 そんな弟子の顔を見て、マーカーは先ほどとはまた異なる理由で手の内が燻るような気がした。あえてその手をぐ、と握り、弟子のこめかみから頬の中間を、ほとんど手加減なしに殴ってやる。

「でっ!何しますのん、師匠!」
「もういい――。その間抜け面を見たら、何を言うのも惜しくなった」 
 
 そうしてどさり、と始めのようにソファに反り返る姿勢で深く腰掛け、ビールがまだこぼれているぞ、さっさと台拭きなりなんなり取ってこい、と犬でも追い払うように手を振る。アラシヤマはずきずきと痛む頬を押さえながら立ち上がり、ようやく当初の目的であった簡易キッチンに向かった。
 マーカーはほんの数秒だけその背に目をやった後、視線を正面に戻して、声だけでアラシヤマに呼びかける。

「アラシヤマ」
「へえ?」

「そう遠くなく、特戦は団を離れる」

 淡々と。いつもどおり、遠征に出てくる、と告げるのと全く同じ口調でマーカーはそれを言った。だがその内容はアラシヤマの手を止めるには十分で。いかに簡単そうに言われたところで、それがどれほど重い決定かということは、アラシヤマにもわかる。
 団内でも最も多く屍を踏み越えてきた特戦部隊。
 団を離れて辿る道は、これまでにも増して険しいものとなるだろう。もとより安穏を望む彼らではないけれど。
 布巾を水に濡らしながら、そうどすか、と答えた声は、諦観を含みながらも、いつもよりもやや低く落ち込んでいるように響いた。
                                                あんお人
「痛いとこ、ほとんど持ってってくれはるんどすな。――ハーレムはんは」
「別に、新総帥のためだけを思って、そうするわけではないだろうがな」

 濡れ布巾をもったままソファの元に戻れば、マーカーは手酌で残ったビールを自分のグラスに注ぎ入れていた。

「そして、残った部分はお前とマジック元総帥が請け負うのだろう?甘やかしすぎではないか?」
「シンタローはんにはなんとのお、周りの人間を動かすようなもんがあるんどすやろな。まあ、それでも今、誰よりキツい思いしとるんはあんお人やと思いますえ」

 ためらいもなく言い放つ。その言い方を忌々しく思いつつ、マーカーはグラスの中身を一気に飲み干した。
 本当は、少しだけ思っていたのだ。アラシヤマを、共に連れて行こうかと。
 性根を一から叩き直してやりたいという気持ちもなくはなかったし、少なくとも、ここに一人残すよりは、そのほうがまだこの馬鹿弟子にとっても幸せなのではないかと思っていた。
 だが、先刻の話を聞いて、そのような気は一切、消散した。どんな修羅道に堕ちようと、本人が幸福だと思い込んでるのなら仕方がない。そういえば昔から、思い込みは激しい性格だった。
 空いたグラスをたん、と卓に置き、不機嫌そうな顔つきでマーカーは、「帰るぞ」と唐突に言う。

「へ・・・、これから、艦に戻らはるんですか」

 日が短くなっているせいで夜明けはまだ遠いが、時計は既に四時を回っている。

「馬鹿弟子とくだらん話をしたせいで、せっかくの酔いが覚めた。ロッドかGあたりを捕まえて飲みなおす」

 そうゆうたかて、ビール四本は空けてはるやないですか、これだけの時間で。そんな弟子の抗議の呟きは完全に無視して、マーカーは立ち上がり、ソファの肘掛に置いておいた皮のジャケットを羽織った。
 そうして部屋から出て行こうとしたとき、見送りに出ていたアラシヤマが不意に、マーカーを呼びとめる。

「師匠」
「なんだ」

 振り向いた瞬間、アラシヤマが浅く、それでも正式な作法に則った形で、頭を下げた。

「すみませんどした・・・色々と」

 その言葉をアラシヤマが口にし終えた瞬間、マーカーの眉間に深い縦皺が刻まれる。

「安い謝罪の言葉を口にするな。行いを正すつもりもないくせに」
「せやから、これからわてがすることも含めて、どすな」
「はなから貴様を許す気などない」
「そうでっしゃろなぁ・・・・・・」

 にべもない己が師匠の言葉に、アラシヤマは苦笑する。髪に覆われていない半面に見せる笑顔に、迷いの影は見えない。だがその顔はなぜか、かつて幾度となく見た幼い弟子の泣く寸前の表情に重なって。
 当時の面影などほとんど残していないのに、これはいったいどちらの感傷なのかと不思議に思いつつ、マーカーは男にしては細く骨ばった手でアラシヤマの髪をくしゃりと撫でる。撫でるというよりは掴むといったほうが近いような行為だったが、それでも思わず伸ばした手は――きっと。
 お互いに変わったと言いながらも、本質的なところで変わることなどできはしない、無駄に器用で、どこまでも不器用な男。そんな不肖の弟子に、嘲りとわずかな憐憫を抱いたからだろう、とマーカーは思った。


















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ある意味、前提(言い訳)作りの一本・・・。
ちなみにこの時点でアラシンはまだお付き合いはしていないという設定です。
アラシヤマはもう自分のことすらきっと、わかってるふりしてよくわからなくなってると思う。
それで師匠は、そんなアラシヤマのことを結構わかっちゃうのがいやだなあと思ってるといいなあと。

(元アラシンお題12.「変態的」)
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