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cv



(彼に) 

 見て欲しい。
 触れて欲しい。
 名を呼んで欲しい。
 頼って欲しい。
 縋って欲しい。




 受け入れて欲しい。








(彼を)

 触りたい。
 口付けたい。
 守りたい。
 壊したい。
 狂わせたい。




 手に入れたい。 











 この欲を、あえて呼ぶならば、きっと。










 Si on juge de l'amour par la plupart de ses effets,
 il ressemble plus a la haine qu'a l'amitie.

















『その名を』


















(――あ、シンタローはんや)

 長い廊下を移動する最中。眼下に見えた中庭に、珍しくシンタローの姿があった。いつもどおりの紅い総帥服に、鈍い光沢を持つ黒皮のロングコートを颯爽と羽織り。長身の彼はきっと意図せずに、しかし傍から見るといかにも悠々と、芝生の中を一直線に走る舗装された道を闊歩している。
 傍らには補佐役として頭角を現しつつあるキンタローがついて、手に持つファイルを時折覗き込みながら、シンタローと何かを話している。首を軽く動かすたびに、陽光を浴びた明るい色の金髪がさらりと揺れた。今の時期だから、次の期の予算編成あたりの草案を練っているといったところだろう。

(移動中にまで、熱心なことどすなぁ)

 やや皮肉めかしてそんなことを思う。その対象はもちろんシンタローではなく、彼のそばでかいがいしく世話を焼くキンタローだ。
 四六時中行動を共にしていてなお、移動の時間すら惜しまなくてはならない。それだけの分量の仕事を二人が抱えていることなど百も承知で。それでも、こうして見ていると本当に秘書ででもあるかのようなキンタローの影ぶりに、ついそう思わずにいられなかった。

 アラシヤマの視線の先、遥か下方で、キンタローがふとシンタローの耳元に口を寄せ、何かをささやく。
 それにシンタローは苦笑を返し。キンタローの持つファイルの一ページを指差しつつ何かの説明を始める。

 その光景を目にした瞬間、ほんの少しだけ、側頭部にずんとした重みが加わったような気がした。

(なんやの、これ。―――別に、いつものことやないの)

 その重さを、嫉妬などという幼い感情だとアラシヤマは思いたくなかった。
 キンタローは紛れもないシンタローの「家族」であり、そして過去の全てを共有した「もう一人のシンタロー」でもある。あの島から帰還した後、それなりの紆余曲折はあったが、いまやキンタローは時として一人で走り出すきらいのある新総帥の補佐役を、アラシヤマでも認めざるを得ないほど見事に務めていた。
 それでも、この世に現れてまだ数年という経験不足から時に出る疑問は、稚児にも似た無邪気さで。それがシンタローを和ませる役割を果たしていることも、知っている。
 青の一族の堅固な結束はアラシヤマも嫌と言うほど理解させられており、今更二人の間をどうこう言うほど、分別を失っているつもりもない。―――と、いつもは、そう思っていたのだ。確かに。
 
 紅い総帥服の男とダークグレーのスーツを着た男の二人は、明るい緑の中を子犬がじゃれあうように歩いていく。
 その姿が別棟の中に入り完全に見えなくなるまで、アラシヤマは言いようのない重みを頭に抱えたまま、リノリウム張りの廊下に佇んでいた。








***








「ひきこもり、おるだぁか?」
「……その呼び方、失礼ちゃいますん?忍者はん」

 午後一番の部署への来訪者に、アラシヤマは机の上に肘をつき、ペンを手にした態勢のまま顔を上げる。
 昼休みを返上して先ほどまで専念していた仕事にようやく片がつき、次の件に取り掛かろうとした矢先のことだ。集中力を途切れさせられたことに対し、明確な棘を含ませた声で来訪者に不快感を示す。だが手に何冊かのファイルを抱えた童顔の同僚は、そんな棘など一行に気にならない様子で、つかつかと部屋の再奥に位置するアラシヤマの机へ歩み寄ってきた。
 これからシンタローんとこに報告書持ってかんといかんのだけど、と前置きしてから、同僚は手に持つ書類の一束をバンッと音を立ててアラシヤマの机に置く。

「そん前に今日という今日はヒトコト言わせてもらうっちゃ――アラシヤマ、さっきよこしたこれぁ、一体どういうつもりなんだいや」
「質問の、意味がわかりまへんな」
「この、次の合同任務のおめぇんとこからまわされてきた事前調査書。特に、備考欄」

 アラシヤマはちら、とその書類を一瞥し。それからまた童顔の同僚に目を向ける。

「簡潔に、よぉまとまっとるやないの」
「簡潔すぎるんだっちゃ。普通の人間に読めるもんじゃないわいや」

 十センチの身長差から、時折口論をする際はいつも上目遣いに睨みつけてくるトットリは、今は冷ややかな視線でアラシヤマの顔を見下ろしている。すっと伸ばした指で卓上を示して、先ほどアラシヤマが打ち込んだばかりの書類に苦情を寄せる。

「ミヤギ君やコージに回す分には気色悪いくらい丁寧に書き込んどいて、なんで僕んとこだけこんなワケのわからん数字と記号の羅列なんだらぁか」
「あれはあんお人らの頭に合わせて書いとったらそうなっただけどす。――ああ、そうそう、あんさんは多少は見込みがあるってことでっせ」

 明らかな仏頂面をする年下の忍者に、アラシヤマは口の端だけを引き上げる独特の表情で返した。
 調査書の書き方自体は団内のセオリーから外れているわけではない。ただ一般的なそれよりも、間を補う言葉が少ないだけだ――ほんの少しばかり、極端に。
 多少は故意でしている部分はあるが、過失ではない。それが最も効率のよい書き方であることも、真理ではある。トットリの抗議はある程度は想定内ではあったが、お門違いの文句と言い張ることもできた。

「それにどすな」

 軽く弄んでいたペンを机の上に置き、組み合わせた指の上に顎を乗せて口元に薄っすらと低温の笑みを刻む。

「わんこの調教はまず記号から、て昔、士官学校でも習いましたやろ」
「……残念だっちゃね。今手持ちが少ないけ、そげな粗末なケンカを買うとる余裕はないっちゃ」

 もうすぐにでもシンタローの元へ行き、せめて自分のところの調査書の内容を説明しないといけない、とトットリは言う。それはトットリ自身の都合もあれば、シンタローの寸暇なく詰めこまれたスケジュールのせいでもあるということは明白で。あと五分足らずでぴったりと数字に短針を止める腕時計に視線を走らせてから、トットリはアラシヤマに向き直った。

「とにかく、おめぇんとこの部分の説明は後から改めて書面起こすなり何なりしてシンタローに渡しときいや。僕ぁそんな暗号の解読は出来ん」
「新総帥なら、これ見ればすぐ理解しはると思いますけど……まあええわ」
 
 最後通牒のように言い放ったトットリにほんの少しだけ眉を上げ。机の上に叩きつけられた書類を手にして、アラシヤマは椅子から立ち上がる。 

「後からやなんて二度手間や。丁度こっちのキリもええとこやし、わてがシンタローはんに直接説明します。もし必要だったら、どすけどな」
「……」
「なんどすの、その露骨に嫌そうなカオ」
「……アラシヤマなんて連れて行ったら、ただでさえぴりぴりしとるシンタローの機嫌が、余計悪くなるっちゃ」
「燃えとき――と言いたいところどすけど、紙無駄にしたら元も子もあらへんよって、後にしてあげますわ。ほな、行きまっせ」
 
 ブツブツと小声で文句を言い続ける忍者の抱えているファイルの上に、つき返された書類を改めて乗せる。そして自分は胸ポケットにペン一本だけを差し込んで、アラシヤマは本部最上階の総帥室へと足を向けた。








***








「あれ?ミヤギくーーんv」
「トットリぃ!……と、アラシヤマ?何でおめ、トットリと一緒に居るんだべ」
「あんさんの『べすとふれんど』が、調査書の読み方もわからへんて、わてに泣きついてきたんどす」

 総帥室の中に入るまでもなく、シンタローとキンタローは部屋の前の廊下で立ち話をしていた。
 そこにはもう一人意外な人物もいて、その姿を認めた瞬間、隣に居たはずのトットリが親鴨を見つけた小鴨のように彼の元に駆け出す。アラシヤマも、久々に顔を合わせる総帥に同じように駆けつけようかと一瞬考えたのだが、先を越されて出端をくじかれたこともあり、なんとなく無言でその後を追ってしまった。
 金髪と黒髪の自称ベストフレンド同士は、どうやら久々の邂逅だったらしく、TPOを完全に無視してきゃっきゃっとじゃれ合っている。二人のその様子を苦笑するように眺めていたシンタローが「オイ」と一声かけると、我に返ったようにミヤギがシンタローに向き合って、軽く手を振った。

「オラの用はもう終わりだべ。てことでシンタロー、あとはよろすぐな」
「ああ、ご苦労さん。で、次はトットリか。それ、資料だよな」
 
 シンタローが小脇に抱えるファイルを指差しつつ確認すると、トットリもようやくシンタローのほうに注意を向け、仕事中の表情に戻る。

「そうだっちゃ。こっちが終わった任務の報告書。で、こっちが次の任務の件、アラシヤマが調べた分と、僕んとこの合わせて渡すっちゃね」
「終わったほうは大体もう聞いてるからいいとして、次のヤツだけ、ここで確認していいか?悪ィけど、ちょっと時間なくてな……」
「僕ぁ構わんけど……」 

 正直、説明なしでわかるとは思えないっちゃ、とトットリはチラリと横に立つ同じ制服姿の男に目をやる。アラシヤマは涼しげな表情で、トットリのほうに視線すらよこさず、ぱらぱらと書類をめくるシンタローを見ていた。
 全部で十七枚に渡る上層部用の書類。その後半部分、つまりアラシヤマが担当した箇所を読んでいたときに若干眉を顰めたが、それでも最後のページまで目を通したらしいシンタローは、書類の表表紙をとん、と右手の甲で叩き、

「ん。そんじゃコレは受け取っとくぜ」

 さらり、と言った。

「ええ?!ほんとにわかったんだわいや?」
「と、思うぜ?――けど、根性悪い書き方してやがんな」

 まあアラシヤマの書く文章なんて大抵こんなもんだろ、とシンタローは平然と言う。その横ではミヤギが「オラんとこにくんのはえらいわかりやすいべ」と不可解そうな顔をしていた。アラシヤマはそら見たことか、とトットリを一瞥する。根性の悪い書き方という言われようには、多少の自覚があっただけ、ほんの少しバツの悪い思いをしたが。
 トットリは僕には理解できんっちゃ、とまだ納得のいかない表情をしていたが、すぐに思考の半分以上をミヤギに向けたために、それ以上蒸し返すこともしなかった。 

「そっでも、もし細かいとこで説明とか直しとか必要だったら、また連絡してほしいっちゃ」 
「おー……ま、多分大丈夫だろ」

 口元に笑みを浮かべながら、シンタローは答える。それを打ち合わせが速やかに終了した符号と認識してか、キンタローが仕立てのいいスーツの袖から覗く腕時計を、ちらりと見た。

「シンタロー」

 その呼びかけだけで、シンタローはキンタローの意図するところを察して頷く。
 そしてアラシヤマを一顧だにせず、次の移動場所へと向かう―――キンタローに促されるままに。
 無言でそれを見送るしかないアラシヤマの隣では、飽きもせず自称ベストフレンド同士がじゃれあいを続けており。

「ミヤギ君、この後仕事は一杯だかいや?」
「いや、十五分くらいなら空けられるべ」
「じゃあ、食堂でお茶でもすっだわいや」

 そんなことを楽しげに話し合いながら、エレベーターホールへと足を向けようとしている。

(―――いつもの、ことや)

 なのに今日はどうして、これほどまでにこの親友たちの声が、耳に障るのだろう。




 それは考えた行動ではなく。
 気付けばアラシヤマはトットリの襟元を掴み、強く引き寄せていた。










「んンッ……!?」

 その行動は、その場に居た者全員にとって、完全に予測がつかないものだったといっていい。
 当然のごとく油断しきっていた童顔の忍者の顔を、襟首を掴むという方法で力づくで引き寄せたアラシヤマは、噛み付くような強さでその唇に口付け、乱暴に口内に舌を挿し入れた。

 アラシヤマの行為は、あまりに常軌を逸していた。最初は何の冗談かと目を丸くしていたミヤギとキンタローだったが、やがてその口付けがあまりに長く、しかも冗談では済まないくらいに深いこと、トットリが本気で苦しそうな表情をしていることに気づき。
 まずミヤギが我に返り、顔色を変えた。
 アラシヤマの肩を、思わず手加減なしで掴む。それでもアラシヤマは、執拗にトットリの口内を荒らそうとするのをやめずに。

「…男同士のキスシーンを見るのは初めてだ」
「アホなこと言うとらんで手伝うべキンタロー!」

 相変わらず呆然と事の成り行きを見守っているキンタローに、いつもなら上層部に一応の礼儀を示しているミヤギの口調が、一瞬だけでもあの島に居た頃のように戻った。それにようやくすべきことを理解したキンタローが加勢に加わり、二人がかりの腕力にものをいわせ、やっとアラシヤマを引き剥がすことに成功する。
 
 シンタローは木偶のようにその場に突っ立ったまま、呆然とその光景を眺めるしかなかった。
 ぜえぜえと荒くなった呼吸をなんとか回復させたトットリが、口元をなんども拭いながら怒りに顔中を朱に染めて叫ぶ。

「な、なにするんだっちゃわいや!!」
「大丈夫け?トットリぃ」

 怒るべきなのか笑い飛ばすべきなのか、困惑した表情で親友を見るミヤギ。キンタローもまた、常時泰然としている表情を崩して、眉を顰めている。

「アラシヤマ、今のはなんだ?俺の認識が正しければ、それは冗談にしても随分悪質の類だ。いいか、冗談でも……」

 だが、それら自分を咎める声は耳にすら入っていないような様子で、アラシヤマの視線は、ただシンタローのみに向けられていた。
 シンタローは何も言うことができなかった。正直に言えば、わけがわからなかった。アラシヤマがいったい何を思って今の行為をして、そして何を考えてそれほど縋るような目で自分を見ているのか。
 わかるのはただ、やたら気分が悪いということ。
 苦いものを無理やり飲み込まされたような気分で、だが唇は強張って何を言葉にすることもできない。ふざけるのもいい加減にしろと怒鳴ってやればいいのだろうか。それとも、いつものように、無言で眼魔砲を?
 だが、どの対応も、この場にふさわしいものではないと思った。むしろこれは―――応じたら、負けだ。
 
 硬直した場の空気を読んでか読まずにか、はあ、とキンタローが呆れたようなため息をついた。

「タチの悪い冗談に付き合っている暇はないな……シンタロー、行くぞ」
「……あァ」
 
 直立したまま微動だにしないシンタローの背中を押すように、キンタローが歩みを促す。そして歩き出したシンタローの顔は、まるで非日常的なことなど何も起こりはしなかったと言うかのように、無表情だった。

 後に取り残されたの三人のうち一人は、悪ふざけを仕掛けた犯人に今となっては明らかな怒りを爆発させており、被害者であるもう一人は、一時の怒りをやり過ごした後は、むしろ親友を宥めていた。そして加害者である最後の一人は、この状況になってもまだ、消えていった紅い総帥服の背中を、視線で追うようなそぶりを見せており。そんな様子が、親友に悪趣味極まりない悪戯を仕掛けたと怒り心頭の男にとっては、火に油を注ぐ結果になる。

「アラシヤマぁっ!どういうつもりだべ!答え次第じゃ」
「いいんだっちゃ、ミヤギくんが怒ることはないわいや」 
「トットリぃ!おめ、悔しくないんか?あンな……」
「こげな妄想の世界にしか生きられん根性悪の悪ふざけに、いちいち怒ってなんてられんわいや」
 
 な?と、無理やりに明るい表情を作って、黒髪の童顔忍者は親友に笑いかける。

「だけぇ、ミヤギくんにも気にしてほしくないっちゃ」
 
 その親友の気遣いに、さすがに気付いたミヤギがなんとか怒りの矛先をおさめる。こんなところで幹部同士がケンカなどしていれば、確かにそれは大事になる可能性がある。しかも、原因が原因だ。理由を問われたところで報告書にも書けないだろう。

「おめが、そう言うんだったら……」

 ようやく落ち着いたらしいミヤギの姿にトットリは安堵の表情を見せる。そして同時に、何かを思い出したようにミヤギに問いかけた。

「ミヤギくん、随分長いことここにおるっちゃけど……時間、大丈夫だわいや?」
「あっ」

 ふと気付けば、時計の長針は丁度地面に垂直になっている。戻ろうと決めてから二十分近くをこの場で過ごしていた事になる。あたふたと書類を抱えなおすミヤギの様子を見て、トットリは苦笑しつつため息を吐く。

「お茶は、また今度だっちゃね」
「トットリぃ……」

 らしくもなく情けない表情をするミヤギに、トットリは今度こそ掛け値のない笑顔を見せ、悪戯っぽく指を一本立てる。

「そん代わり、せっかく珍しくミヤギくんが本部におるんだけぇ、よかったら晩御飯を一緒にするっちゃ。後の時間気にして急いでお茶するより、僕ぁそっちのほうがいいわいや」
「おう、それもそっだべな!」

 その善後策にぱっと明るい表情になり、ミヤギは、バンッと勢いよくトットリの背中を叩いてから自分の部署へと駆け出す。

「じゃ、連絡待っとるべ!」

 笑顔で手を振りながら、その場を去る。
 金糸のような髪を揺らしながら去っていく背が廊下の先の角を曲がって、見えなくなった、と思った刹那。
 アラシヤマの首筋にひやりとした質感が当たった。
 


 音もなく、トットリはアラシヤマの横から斜め後ろへと移動しており。その手に握られた苦無が、アラシヤマの頚動脈の上に薄紙一枚の隙間も残さず正確に置かれているのだった。

「……あんさん、また迅くならはりましたなあ」
「お褒めに預かって光栄だけぇ―――次、同じことしたら、今度は一瞬でこん首掻き切ってやるっちゃよ」

 トットリの視線とその口調は、それまでの彼と同一人物とすら思えないほどの明確な殺意を含んでおり。
 アラシヤマはホールドアップの姿勢をとり、珍しく素直に頷いた。

「ないと思いますけど……肝に銘じときますわ」

 その返答に、ようやく殺気を緩めた(それでも完全に消えたわけではなかったが)トットリは短い刃物を柄の部分でくるりと回して、腰元の隠しに収める。アラシヤマも胸元まで上げていた手の片方を下ろし、もう片方で、かり、と自分の頬の辺りを掻いた。

「……――なんちゅうか、すんまへん、な」
「謝るくらいだったらすなや、こンだらずがァ」

 衆目の手前、とりわけミヤギの前ということもありあの場では穏便に済ましたが、やはり内心は殺したいほど腸が煮えくり返っていたと言うことだろう。確かに、あれだけの侮辱を受けておいて穏やかにコトを収めるほど、この忍者の気質は柔弱ではないことは知っている。どこか違和感を、感じてはいたのだ。親友を巻き込むまいと、ここまで堪えていた忍耐力にむしろ感心する。
 まあ自分が同じ立場でも、きっと相手を殺したくなるだろうな、とまるで他人事のように思った。

「他人のストーカー行為の手伝い、勝手にさせられるほど不愉快なことはないわいや」

 吐き捨てるように言うその目に、先ほどの明るい表情は欠片も見えない。

「ストーカー、て。ほんのちょっと度がすぎた冗談どすやろ」
「サカリのついた野犬みたいなカオして、何言うとんだぁか」
「口が悪おすなぁ……。あの頭に金の花咲かせた飼い主はんが聞いたら仰天しますえ」
「僕かて、相手見て言うとる。あと、ミヤギ君とのことを揶揄すんのはやめぃや」
「別に、誰とは言うてまへんけど」 

 だまれ、とでも言うように、トットリは片眉を上げたままアラシヤマを睨みつける。こういった表情を、きっとあの金髪の美形は一生目にすることなどないのだろうな、とアラシヤマは内心でほんの少しだけおかしく思った。 

「僕が言いたいことは、それだけだっちゃ……やっぱり、アラシヤマ連れてくんじゃなかったわや」

 随分時間無駄にしたけぇ、はや戻らんと、と呟きながらトットリはアラシヤマを残して歩き出す。

「こげに自己中な男に好かれてるシンタローには、心底同情するわいや」

 その去り際の皮肉には珍しく毒を返すことなく、アラシヤマはただ苦く笑った。










 
***











 昼間にも訪れた、団でも最高クラスに厳重なセキュリティーが施された扉の前までは、あと十歩。
 団内の各所で回るサーチライトが窓ガラス越しに入り込み、ゆるやかに鈍色の廊下を舐める。
 過ぎ去った後にはまた、非常灯のみがかろうじて足元を照らす灰色の闇。 
 
 あと五歩。

 コツ、とゆっくり床を打つ軍靴の音は、闇とは確かに相容れないものとして、硬質な響きを残す。

 三歩。
 二歩
 一歩。
 
 ノックはあえてせずに、扉に片手を置いて、アラシヤマはその部屋の主に声をかけた。

「―――総帥」

 低く抑えた声は、それでも中にいる彼には届いたはずだ。扉の向こうで、微かに気配が揺らいだ気がした。
 いつものようにすぐに扉が開かないのは、予想の内だった。それでもアラシヤマは訥々と、言葉をつなぐ。

「昼間のこと、謝ろう思いましてん」
「……謝るんなら、トットリにだろ」

 部屋の内側から、シンタローの苦りきったような声が返された。なんとか声だけは聞けた、とそれだけのことにアラシヤマは酷く安堵する。

「総帥の前で、無礼な真似しましたわ。……廊下でする話やあらしまへんさかい、中に入れてもらえまへんやろか」
「……」

 シンタローからの返事はない。そのまま、二十秒近くが経過した。その沈黙から感じられるのは、躊躇いと戸惑い。それと―――怒りだろうか。
 やはり無理か、とアラシヤマが思いかけた時、シュン、と銀色に鈍く光る扉が開いた。振り返ろうとしたアラシヤマがそのままそこに体を滑り込ませると、扉は即座に閉められる。 
 室内には電灯がつけられていなかった。部屋の再奥、執務机の背後の窓から入る月明かりだけで、シンタローの外形がようやくわかる。
 非常灯が灯されていた廊下よりなお暗い室内の闇に目が慣れるまで、ちょうど光源を背にしたシンタローの表情はほとんど見えなかった。

「シンタロー、はん」
「……近寄んな。そこから一ミリでも近づいたら、殺す」

 執務机の向こう側から、入室した男を睨みつけつつ、シンタローは抑揚のない口調で言う。
 アラシヤマは扉の前から一歩も動かずに、俯きがちにその場で佇んでいる。鬱陶しい黒髪に顔の半分を覆われたその表情も、シンタローからはわからない。
 互いに言葉を発すことの出来ない張り詰めた空気が部屋中に充満する。その沈黙を破ったのは、ハッというシンタローの口先だけの嗤いだった。頑丈だが冷たい質感の机の上で、ほどよく日に灼けた長い指をゆっくりと組みかえる。

「なに、アレ。俺に、嫉妬でもさせようと思ったワケ?」

 残念だったなあ、ただ気色悪ぃだけだったぜ、と剣呑な目つきを崩さずに口元だけで笑みを象る。その唇に刻まれているのは、失笑でも苦笑でもなく、冷笑。
 そんなシンタローの様子に、アラシヤマは相変わらず淡々と言葉を紡いだ。
 
「そんなこと……考えてもみまへんどしたわ」

 そう、本当にそんなことを考えていたわけではないのだ、とアラシヤマは思う。もっと言えば、何かを意図して行ったことですらなかった。そんなことを考えている余裕なんて、あの時の自分には、きっとなかった。
 あえて言うならば、ただ。

「ただ、ほんのちょっとでも……あんさんが」

 キンタローのことも、トットリとミヤギのことも、何もかもがどうでもよくて。

「わてのこと、見てくれはるかなあ、思うて」


 それを口にした瞬間、薄々わかっていたことながら、あまりの情けなさに自分でも驚いた。
 それはシンタローも同様だったようで、扉の前で佇む男から告げられた信じがたいほど馬鹿げた理由に、呆けたような表情を見せる。
 再び満ちる沈黙。
 シンタローはどうして灯りをつけようとしないのだろう、とアラシヤマは今更に思う。だが、それはきっと、自分にとってはありがたいことなのだろうということも、なんとなく理解していた。
 月明かりに慣れた目はほとんど普段と変わりないほどに物の形を捉えはじめているが、間に距離を残す人物の表情の陰影までは読み取れない。きっとお互いにそんなものは、認めたくないと思っている。


「―――は、ハハ」

 そして、からからに渇いたシンタローの喉から、漏れたのは笑い声。それを、シンタローはまるで自分のものではないかのように感じた。

「それで、アレかよ」

 本当に、この男の思考回路は一体どうなっているのだろうとシンタローは思う。全くもって理解できない。この先も理解したいとも、できるとも思えない。
 
 それでいて。それだけのことをしておきながら。今きっと、この男は自分が傷つけられたような顔をしているのだ。勝手に不可解な行動をして、人を不快にさせておきながら、全く鉄面皮にもほどがある。
 組んだ手の甲に額を押し当てたまま、シンタローはくっくっと肩を震わせる。

「アラシヤマ」

 その呼びかけは、シンタロー自身の耳にもやけに冷たく届いた。
 自分は嗜虐的になっているのか、それとも被虐的になっているのか。どうしてアラシヤマを部屋に入れてしまったんだろう。どうしていつも、最後のところで突き放しきれないのだろう。受け入れるつもりなど、さらさらないのに。
 自分の一言を受けるたび、アラシヤマがほとんど苦痛を堪えるように眉根を寄せる。そんな様子など、見えなくてもシンタローには手にとるようにわかる。


「お前のソレは、親友とかそういうんじゃ、ねえ」


 その言葉に、男がびくりとその身を慄わせた気配が、粘度でも持っているかのような室内の空気を通して伝わってきた。
 そこにはいつもある、傲岸不遜とも呼べるふてぶてしさは微塵もなくて。それでも、シンタローはなおも言葉を止めようとはしなかった。――怒りたいのか、泣き喚いてやりたいのか、それとも目一杯殴りつけてでもやりたいのか。それすらもわからないのに、ただ身の内に渦巻く静かな激情は、少なくとも理性で止められるようなものではなく。


「てめーの、ソレは」
「言わんといて」


 光の届かないそこに佇む、アラシヤマの表情は相変わらず見えない。ただ、喘ぐような低声で、シンタローの言葉のその先を遮る。


「言わんといて……」


 そしてアラシヤマは片手で、表に出している半顔を覆う。節の目立つ長い指は、もしかしたらそのとき震えていたかもしれない。
 
 それはきっととても無駄な抵抗で。わかってはいたのだが、せずにはいられなかったのだ。

 わてな、ただ、と蚊の鳴くような声を絞り出して。






「あんさんのそばにいたいんや、シンタロー」










 呟いたその言葉は、あまりにも絶望的に濃藍の中に吸い込まれた。





































=====================================================





Si on juge de l'amour par la plupart de ses effets,
il ressemble plus a la haine qu'a l'amitie.
(恋はその作用の大部分から判断すると、友情よりも憎悪に似ている)

『ラ・ロシュフコー箴言集』より











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