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zvc


 

 闇の中に淡色の絵の具をほんの少し混ぜたような仄暗い廊下に、硬い革靴の音が響く。
 重くもなく軽くもなく廊下に反響するその音は、機械的なまでに規則正しいリズムを刻む。それは歩く人間が特殊な訓練を受けている証拠だ。
 等間隔に配置された非常灯の緑色の光だけが、白銀色の床にぼんやりと浮かぶ。
 地下にあるこのフロアに外光を採り入れるための窓はない。もっとも窓があったところで、時刻はすでに午前二時を回っている。明るさはさして変わらないだろう。















『seawall』
















 大小合わせれば団内に無数にある資料室。地下三階の片隅にあるここは、利用する者すら滅多にいない。ほとんど無用と化しながら捨てることだけはできないという類の資料が積まれ、資料室とは名ばかりの単なる保管庫に、半ばなりつつある。
 そこにあるのはデータベース化さえされないようなものばかりだった。かなりの昔、ほんの小さな依頼の事前調査で使用した写真資料や、それらに僅か関与した民間人の個人情報。旧態依然とした手書きの資料と紙焼きの写真が多く収められているのも、この部屋の特徴だ。そのせいか、ほぼオートメーション化が完了しているこの団内にあって、ここには古い図書館のような埃の匂いと、微かな湿気を帯びた空気がある。
 アラシヤマがその部屋に向かっていたのは、そういった空気の中に無性に身を置きたい気分だったからだった。他と隔絶された空間で、一人考え事をしたいときなどに、こっそりと作っておいた合鍵を胸ポケットに忍ばせて、アラシヤマはここを訪れる。
 しかし今、目的の部屋の前で鍵穴に鍵を差し込んだアラシヤマは、少なからぬ戸惑いを感じていた。

(鍵が、かかってへん……)

 一応、名目上は資料室であるのだから利用者がいたとしてもありえない話ではない。しかし時刻が時刻であるし、それ以上にアラシヤマはここに自分以外の人間が訪れているのを見たことがなかった。
 引き返そうか、と一瞬ためらってから、しかし一抹の好奇心がその背を押して。あまりに使われないため電動にすらなっていない扉を、音を立てないようにゆっくりと開ける。奥に並ぶ無数の書架と、その手前にあるいくつかのアルミ製の机。常ならば完全な闇に閉ざされているはずの室内は、今はほんの少しだけ明るい。片隅にあるひとつの卓上スタンドに、小さな光が点っている。
 その灯りの元で古い机にうつ伏せに眠っているのは、団内にただ一人、真紅の制服をその身にまとう資格を持つ男だった。

(―――シンタローはん?!)

 季節はもう十一月。いくら冷暖房の完備された団内とはいえ、日中に光が射しこまず人気もないこの資料室の、夜の冷え込みは上層階のそれとは比較にならない。そんな場所で、しかもこのように不自然な体勢で眠ったまま一夜を過ごせば、風邪をひくとまで行かなくとも、体に変調を来たすのは必至だろう。
 なぜこんなところに、という疑問はとりあえず後回しにして、夢の中にいるときでさえ眉間に皺を寄せたままのその表情を若干痛ましく思いながらも、アラシヤマはシンタローを起こそうとした。だがその手が、シンタローの突っ伏している机の上に散乱している書類を目にした瞬間、ぴたりと止まる。
 何十枚と散らばっている紙の、一番上に置かれていたのは、今日の日付の任務報告書。正しくはその中の最後の一ページ―――団員の戦死者リストだった。

(――― Total 27)

 リストに羅列されているのは英字で書かれたフルネーム。それらの最後に引かれた一本の線の下にある無機質な二桁の数字は、シンタローが総帥になってからの新生ガンマ団では、初めて見る多さだった。

(F国の内乱制圧……そないに被害が出たんか……)

 今朝方に全てを終えたその任務自体の結果は、成功。拠点をことごとく破壊され一つ残らず武器を押収された反政府組織は、もはや徒党を組める状況にはなく。政府はガンマ団の任務完了報告と同時に、反体制への勝利を宣言した。だがそれだけをとっても素直に喜べるほど、シンタローは割り切れていたわけではなかったのだろうと、アラシヤマは推測している。
 当初、今回の任務を受けることを、シンタローは強硬に反対していた。理由は諸々あれど、そのもっとも大きなところは、正義の所在があまりに不明瞭だったからだ。それは、いまやこの団を支える最大の行動理念であるというのに。
 更に言えば、おそらくシンタローが自らの感覚として共感していたのは、体制を打破する側だった。
 一国内の同じ制度の中に生きる者でも、その環境に感じることは千差万別。そこに外部のものが介入しようとするとき、正当な理由として信じられるものは「民の声の多数決」という笑いたくなるほど「ロジカル」な統計しかない。
 今回の件ではそれすらも明確ではなかった。就任以来徐々に張り付いていく絶対者としての鉄面皮の内側に、どうしても拭いきれない疑問が残っていたことを、アラシヤマは知っている。
 シンタローは最後まで迷っていた。だがそれでもこの件を受けざるをえなかったのは、前総帥時代から残る数少ない幹部のほぼ全員が参入を強く主張したからだ。GDPこそ低いとはいえ莫大な天然資源を所有する一国を味方につけ多額の報酬を得るのと、迷いを残した判断で敵と為すのと、外交としてどちらが正しいというのか。その言葉に理論的な齟齬はなく、そして代替わりして日が浅いシンタローに、彼らを振り切る力はなかった。
 成功しても失敗しても後味の悪いものだということは、依頼を受けたときからわかりきっていたことだったのに。

(しかも、その代償がコレ、ちゅうわけや)

 名前の横には、ごく簡単な一文でその死亡状況が書かれている。アルファベット順に並べられたその名前の大多数の横に書かれた理由は同じだった。自らの正義を狂信的に遂行した人間一人が賭した命は、同じく自らの任務の正しさを信じる多くの団員の命を、一斉に、奪った。
 内乱における犠牲者の数として、二十七というそれが多いのか少ないのかは評価が分かれるところだろう。戦場に身をおかない人間がテレビのニュースで、或いは新聞の活字でそれを目にすれば、そんなものかと納得も理解もすることなく、ただ思うだけの数字だ。そしてそれはまた、以前の体制に慣れきっていたアラシヤマや他の多数の団員にとっても、正直に言ってしまえばさほど大きな意味は持たない。
 せやけど、こんお人はきっと、とアラシヤマは確信以上の思いを抱えながら、ほとんど憐れみにも近い眼差しでシンタローに目をやる。

(その数の重さと、その後ろにある悲しみのほんまの数を、ぜんぶ、背負い込む)

 個人差はあれど、その根底に絶対的な冷酷さを持つ青の一族の中にあって、唯一それを徹底できない人間。

(正義の味方、標榜するなんて、ほんまは……)

 その後に続く言葉を、アラシヤマはしかし思考の中ですら形にはしない。そんなことは、シンタローにだってきっと、嫌というほどわかりきっていることだ。
 シンタローは机の上に突っ伏しながら、微動だにしない。よほど深い眠りについているのか、呼吸音すらほとんど聞こえなかった。馬鹿げたことだとは思いながら、アラシヤマはその生存を確認したい気分に駆られる。だが、彼が何を思ってここを訪れ、この墓碑にも似た紙を前に眠っているのかを思うと、安易に手を触れることも憚られるような気がして。
 しばらくの間、室内の薄闇に溶け込むようにその場に佇む。そうしている内にふと肌寒さを感じ、とりあえず脱いだ上着を以前より少し痩せたように思える肩にそっと掛けた。
 深まる冷え込みにもう一度、起こそうかどうかを考えながらシンタローの俯けられた顔を覗く。そのとき彼の顔に表れた、全く予想もしていなかった変化に、アラシヤマはぎくり、と前髪の隙間から覗いている片目を見開いた。

 シンタローの眉根はもう顰められてはいなかった。そしてその代わりにその顔に現れたのは、頬に一筋の軌跡を残す、涙。
 そして同時に、ようやくアラシヤマは気付いたのだ。卓上にあるシンタローの手の下に置かれている、一枚の写真の存在に。





 それは、蒼の写真だった。どこまでも続く青い空と、その遥か彼方にたなびく真白な雲。そして太陽の日差しに水面を輝かせる、澄明な青い海の、写真。
 たとえば海と題されたものであればどんな写真集にでも載っていそうなその一片の風景を、シンタローは大事に守るように、またどこか隠すように、その節の目立つ手の下に置いており。その仕草が彼の心の内を何より強く訴えているような気がして、アラシヤマはゆっくりと上げた片手で目を覆った。



(―――ああ、あんさんは)

 閉じた瞼の裏に、あの溢れるほどの黄金色の陽光が甦る。

(ほんまは、そないに帰りたいんやな―――)



 もしかすると、シンタローはあの島にたどり着くまで、その感覚すら知らなかったのかもしれない。たとえば自分が士官学校で、師と過ごしたあの山荘を苦しいほど思い焦がれたように。己の力ではどうすることもできない胸を灼かれるような切なさを、シンタローが知ったのは、あの少年を残し島を離れたときが、初めてだったのではないか。
 愛する弟と引き離されていた辛さ、憤りは確かに彼の身を引き裂かんばかりであっただろうけれど、シンタローには常にマジックという「家族」がそばにいて。振り返ればそこにはいつでも、彼にとって帰るべき家があった。もちろん、今でもその状況は変わらない。現役を退いた元総帥は相変わらず黒髪の息子を溺愛しているし、マジックのみならず彼の周りには彼を心から愛し、補助しようとする家族がいる。そこは間違いなく、シンタローにとってかけがえのない「家」だろう。
 それでも、きっともう彼は知っている。泣きたくなるほど甘く狂おしく、胸を締め付ける望郷の念。それを向ける対象は、言葉の定義どおりの故郷だけではないのだと。

「わてらみぃんな足しても、まだ……敵わん、か……」

 否、自分たちだからこそ、敵わないのだと。抑えられたその声はほとんど、アラシヤマにとっての自嘲だった。本当はそんな問題ではないことは知っている。彼がどちらをより大事に思っているのかを比較するなど、考えようとすることすら愚かだ。
 それはただ純粋に、本当に単純に。彼にとってあの楽園にも似た南国での生活が、それだけ鮮やかで幸せに満ちたものであったというだけの話。
 彼が今の立場から逃げ出そうとしているなどとは、アラシヤマは微塵も思わない。それでも、もし彼が時として何もかもを置き去りにして無性にそこに帰りたいと願ってしまうことがあったとしても。彼があの島でどれほど満ち足りた笑顔を浮かべることがあったかを知る者であれば、それをアラシヤマも他の誰であっても、責めることなど出来はしない。
 あの南国を、彼の友人を愛したからこそ、そこに結ばれた約束をシンタローが違える筈もなく。彼がそんなことを、何があっても口にしないことを知っているから、なおさら。

 ―――堪忍な、とアラシヤマは、シンタローの顔に触れないように、そこにかかる長い前髪をゆっくりと指先でかきのけながら呟く。

「行ってもええて――背中は押せへんのや……」

 それは彼の決断であり、自分の思考や行動で何かが左右されるような問題ではないことも知っている。彼は彼の思うままにそれを行い、そして自らの意思で、己を縛り付けてすらも、ここで生きると決めた。
 その心の底でどれほど望んでいようと、解放は救いと同義語にはならないと理解しているから。アラシヤマたちにできるのは、ただそんな彼を見守り、少しでもその心を推し量ることだけだ。

「あんさんが背負うとる荷物の肩代わりもできへん。ほんまはできることなんて、なんもあらへんのかもしれん。それでも」
 
 どれほど重い枷を与えられ、邪険に扱われても。自分は、自分らは決して彼の傍らを離れはしないから。そのことが彼自身にしか解決の出来ない多くの問題に、どれだけの助けとなるのかはアラシヤマにはわからなかったが。もし信頼を与えてさえくれるのならば、それを裏切ることだけは絶対にしないから。
 だから、どうか。
 その強い光を持つ瞳を曇らせることなく、強がりでも毅然と前を向いていて欲しいと、心から願う。



 ホンマ、頼むわ……と投げかけた声は音にならず、懇願と励ましを含んだはずのその言葉は、まるで贖罪のように己の内に響いて。
 アラシヤマはシンタローの頬に残るその水跡を、まるで淡雪に触れるかのように、そっと指先で辿った。

































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新4巻であの台詞を言えるようになるまでには、
どれだけの葛藤があったんだろう、と、勝手に考えて切なくなる。





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