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aiu



 聞こえるは遥か――久遠の音色。




 
 乾いた大地。
 黄土色の荒野が広がるそこには、まだらに赤が混じっていた。
 鼻に纏わりつくように漂うその匂い。嗅ぎ取った瞬間、不快を示すシワを寄せるよりも先に、シンタローは嘔吐していた。
(なんで今頃…)
 黄褐色に混じる赤。そこから立ち上る匂いは、もう随分と前から噎せ返るほどの濃密さで、そこにあった。それなのに、それに反応しているのは、今である。
「……ぐッ」
 胃がひっくり返るような感触。 傍にあった岩に、とっさに縋るように手をのばした。
 屈みこむ身体を支えるために、無意識にそれに手をつけば、手袋のないそれを熱せられた石が焼く。それに意識を向ける余裕もなく、腰を屈めて、喉を開いた。そこから吐き出されるゲル状の物質。
 傍にいた壮年の兵士が、呆れた顔をわずかに見せた後、思い切りそれをしかめて、ツバを吐き捨てた。
 もどしたばかりの汚物の上に、それが混ざる。視界に入り込み、再びこみ上げる嘔吐感。
 生理的にこみ上げる涙は、頬を伝うこともできずに、目尻の上で乾いていく。
 日差しが容赦なく上から降り注いでいるのだ。
 黒い髪。熱をよく吸収するのか、頭の奥の方から鈍い痛みとなって鳴り響く。
 グラグラする。
 目を開けることも辛く、固く瞑られた瞼の上を、涙と汗が混じる液体に濡れる。
 座り込むことはできなかった。そうすれば、楽だとわかっていても、その後、自分が立てる自身がなかった。
 今、かろうじてこうして立っていられるのは、自分が総帥の息子であるというプライド。そうしてプレッシャー。背中にかかる重みを支えようと、それだけに意識を向けるだけに立っていられる。
 それに屈して座り込んだ時は、自分は二度とこの場所には―――戦場には立てないという恐れがあった。否、自分自身がどこにも存在できぬだろう絶望に駆られた。
 そう、ここは戦場だった。
 今は――そうではない。
 戦いは、数分前に終えた。否、あれが戦いと呼べればだが……。
 初の実践的な戦闘。参加したシンタロー側は、圧倒的な人数と武力を誇っていた。命の心配などするヒマなどないほどに、予定通りの地区を制圧し終えた。
 最後に残ったのは、赤く染まった物体。そこから漏れ出す嘔吐を誘う臭気。
 戦闘中は、それすら気にする余裕などなかったのに、敵側を殲滅し、一応の終結を迎え、辺りが静かになったとたん、それは鼻にきた。
 それを自覚したとたん、堪え切れなかった。
 血の香をかぐのが初めてなわけではない。だが、辺りの大気を赤く染め上げるほどの血の匂いは、初めてだった。何よりも目の前に横たわるぬくもりのない人の身体。それを与えたのが自分でもあるという事実。
 一気に背筋が震え、冷水を浴びたように身体が冷え、胃が縮まり、そうして吐き気を覚えた。
 人の命を奪うという初めての行為。それに目を背けるようにして、こみ上げる嘔吐感とともにシンタローは、腰を深く折り曲げていた。
(それでも…俺は間違ってない)
 必死でいい聞かさなければ、自分を保てぬほど疲労している心。そうだとしても……だからこそ、強く自分に言い聞かせる。
(間違ってない)
 これは、必然の出来事である。
 自分の手で、人を殺す。
 それは自分の人生には、避けて通ることのできないことなのだ。少なくとも―――あの親父の背中を追うのだと決意した時から。
 辺りは、静かだった。 
 物音がしない。いや、遠くの方では人の声がちらほらと聞こえてくる。たぶん引き上げていっているのだ。総帥の息子である自分をここにおいていくことはありえないが、それでも、最後に合流するのは、彼らの好奇の視線にさらされることとなる。
 早く行かなければ。
 そう思うものの、岩にかけられた手がはずせない。足が思うように動かない。
(情けねぇ――――ん?)
 自分の情けなさに、先ほどの生理的な涙とは違うものが、目尻にこみ上げてきだしたその時、耳元で柔らかな音色が聞こえてきた。
「さくら~さくら~…」
 それは日本の歌。
 春を代表する優しい曲調の唄。
 遠く久しく聞いてない音。
 誰が歌っている?
(――アラシヤマ)
 それを口ずさんでいたのは、同じ部隊に配属されていた、アラシヤマだった。
 自分と同じように、今日が実践としての初の戦場にもかかわらず、見た目は平然としている。同じ体験をしたはずなのに、この違い。
 不意に羞恥を覚え、シンタローは、胃液で濡れた口元をすぐさま拭った。
 アラシヤマは、東の方へと顔を向け、こちらには背を見せていた。振り返ることなく、アラシヤマは、唄を止めると声をかける。
「行きますえ、シンタローはん。はよう帰らんと、桜の花を見逃しますわ」
 そう言えば、日本は丁度桜の花咲く時期だ。
 日本にある士官学校にも桜並木がある。そこでよくこっそり酒を持ち合い花見をやった。もっとも目の前の男は、その性格ゆえに、その仲間に加わったことはないが。それでも、一人桜の下で佇み、花見をしている姿は何度もみかけていた。
(ああ、そうだな)
 アラシヤマの言葉で思い出す。
 ここへ来たのはまだようやく梅が綻ぶころだった。けれど、もう日本では春爛漫の季節が訪れているのだ。
(見たいな……桜)
 あの淡い薄紅色の艶やかな姿。盛りを過ぎれば、ひらりと舞い散るその潔くも儚げな姿。
 思い出せば出すほど、その目で見たくなる。
(帰らないとな…)
 帰ると誓ったことを思い出す。
 戦場へ赴くと決まった時から、この結末は予期していたことのはずだった。それなのに、今の自分の醜態はどうだろうか。
 風が吹く、赤く濡れた大地を覆い隠すように、黄土色の風が巻き起こる。そこに含まれる匂いが、鼻腔をくすぐった。けれど、もう嘔吐することはなかった。
 目の前の現実から逃れるために、吐き出されたそれは、けれど自分が飲み込んでいかなければいけないことだと気付いたからだ。
「さくら~さくら~…」
 またアラシヤマが、歌いだす。けれど、その唄は、徐々に遠く遥かから聞こえてきだす。
 自分を置いて、部隊の方へと戻っていっているのだ。ただ、一言声をかけただけで、また戻っていく。
 だが、それでありがたかった。
 下手に手を出されれば、自分はその手にすがっていたかもしれない。一時ではなく、ずっとだ。
 そんなことは、自分は望まない。そして、相手も望んでいないのだろう。
「……行くか」
 嘔吐のおかげですっぱくなってしまった喉をいやすように、何度もツバを呑みこみ、シンタローは立ち上がった。
 立ち篭る血の香も、吹き荒ぶ風に薄れ、赤く染められた大地も巻き上がる砂煙によって消えかかっている。
 けれど、自分の手にはまだ、べったりとこびりついた血が残っていた。
 シンタローは、それを握り締める。
 恐れ、それを拭おうとした自分はもういない。
(これは、俺の血だ)
 その赤い血とともに、自分は生きていくと決めたのだ。それならば、もう目をそむけることはない。
「帰ったら、まずは花見に行こうか」
 日本へと続く青空をみあげ、シンタローは一歩前に歩きだした。
  
   
 



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