通い慣れた道だというのに、曇り空の下にあるだけで、いつになく景色は色褪せて見え――偶然にしても天気のいい日にしかなかった道行きなのだと気付く――なにか姿のないものに前方を塞がれたような感覚に陥り、俺は何度目か足を止めた。
左の脚の、膝から下に鈍く痛みが走る。
「・・降ってくるな、こりゃ」
語尾に重なり頬を打った、初めの雨滴。
小さく舌を鳴らしたところで、雨雲が一気に割れるわけもないのだけれど、ずいぶんと激しい降りになりそうだった。
自宅に戻るにしても、目的地に向かうにしても、同じくらいの距離を行くことになる。
「どうするかな」
ため息を1つ、左足を庇うようにしながらも、結局は当初の予定通りに小走りに急ぐことにした。
雨の日は脚も気分も重い。
雨隠れ
門をくぐったところでか細く聞こえた、けんけんと不快な音を追って、玄関ではなく庭先に出る。
そんな気温でもないのに、そいつは薄物を引っ掛けただけの姿で縁側に座っていた。
肩を震わせて口許を押さえる様に、思わず寄った眉間の皺、を、指で延ばして。
「よお、元気そうじゃねーか」
「おかげさんで」
とっくに気配に気付いていたのか、アラシヤマは少しも驚くことなく、薄ら笑いを浮かべてみせた。
勧められるままに隣に腰を下ろし、俺は、とりあえず手に持っていたものを差し出した。
甘い香りが、湿った匂いを打ち消す。
アラシヤマがまた口唇に指をやり、おおきに、と囁く。
笑い出すのを堪えているのかもしれない。
「今夜あたり、雪にでも変わりそうどすな」
「昨日、親父が買って来たんだよ。見舞いにはちょうどいいだろ、・・この家、殺風景だからな」
まだ開ききっていない花びらには幾つか雫が乗っている。
周囲を取り巻く暗い色調の中、いやに鮮やかな紅が目に痛い。
「つーかお前、寝てたほうがいいんじゃねえの?」
奥に敷きっぱなしの布団を横目で見やった隙に、目前に迫っていたのは、ついさっき咳を口腔に押し込んでいた指で。
しとどに濡れ色濃くなった髪を掴まれ、垂れ落ちた冷たい雫が、やはり冷たいアラシヤマの腕を伝う。
「・・シンタローはんにはよう似合いますな」
「・・馬鹿が」
俺の漆黒の髪に差し込まれた、一輪の花。
真っ赤なそれに、急激に心臓が騒ぎ始める。
その鮮明な色を、最後に見たのは、ほんの少し昔のことだ。
白い指からこぼれる赤。
赤に濡れた薄い口唇。
「・・傷の舐めあいなんて堪忍してほしいわ」
馬鹿言うな、と怒鳴って、いつものように蹴り飛ばしてやることはできなかった。
「もうここに来たらあきまへんえ、シンタローはん」
アラシヤマの青白い喉が、引き攣るみたいに震えて、笑い声を作る。
(俺が今、なにを探しているのかなんて、知ろうともしないくせに)
会いに来るのに理由なんて必要あるかよと思いたいのに、それでも言い返せずに、必死に理由を考え倦ねている。
胡座をかいた膝の上の指先が、きつくきつく握られたせいで色を失くしている。
(・・脚が、痛え)
広くもない庭に降り注ぐ雨音が身体の中に響き、否が応にも記憶を、その時の痛みを呼び起こす。
途中で退いた男と、最初から退かざるをえなかった男。
どっちも幸運といえば幸運で、不幸といえば不幸に違いないけれど。
仕方なくといった感じで口をついた自嘲の笑いは、アラシヤマの声とまったく同じ調子に響き、しかし、すぐに雨滴に吸い込まれてあっけなく消えた。
左の脚の、膝から下に鈍く痛みが走る。
「・・降ってくるな、こりゃ」
語尾に重なり頬を打った、初めの雨滴。
小さく舌を鳴らしたところで、雨雲が一気に割れるわけもないのだけれど、ずいぶんと激しい降りになりそうだった。
自宅に戻るにしても、目的地に向かうにしても、同じくらいの距離を行くことになる。
「どうするかな」
ため息を1つ、左足を庇うようにしながらも、結局は当初の予定通りに小走りに急ぐことにした。
雨の日は脚も気分も重い。
雨隠れ
門をくぐったところでか細く聞こえた、けんけんと不快な音を追って、玄関ではなく庭先に出る。
そんな気温でもないのに、そいつは薄物を引っ掛けただけの姿で縁側に座っていた。
肩を震わせて口許を押さえる様に、思わず寄った眉間の皺、を、指で延ばして。
「よお、元気そうじゃねーか」
「おかげさんで」
とっくに気配に気付いていたのか、アラシヤマは少しも驚くことなく、薄ら笑いを浮かべてみせた。
勧められるままに隣に腰を下ろし、俺は、とりあえず手に持っていたものを差し出した。
甘い香りが、湿った匂いを打ち消す。
アラシヤマがまた口唇に指をやり、おおきに、と囁く。
笑い出すのを堪えているのかもしれない。
「今夜あたり、雪にでも変わりそうどすな」
「昨日、親父が買って来たんだよ。見舞いにはちょうどいいだろ、・・この家、殺風景だからな」
まだ開ききっていない花びらには幾つか雫が乗っている。
周囲を取り巻く暗い色調の中、いやに鮮やかな紅が目に痛い。
「つーかお前、寝てたほうがいいんじゃねえの?」
奥に敷きっぱなしの布団を横目で見やった隙に、目前に迫っていたのは、ついさっき咳を口腔に押し込んでいた指で。
しとどに濡れ色濃くなった髪を掴まれ、垂れ落ちた冷たい雫が、やはり冷たいアラシヤマの腕を伝う。
「・・シンタローはんにはよう似合いますな」
「・・馬鹿が」
俺の漆黒の髪に差し込まれた、一輪の花。
真っ赤なそれに、急激に心臓が騒ぎ始める。
その鮮明な色を、最後に見たのは、ほんの少し昔のことだ。
白い指からこぼれる赤。
赤に濡れた薄い口唇。
「・・傷の舐めあいなんて堪忍してほしいわ」
馬鹿言うな、と怒鳴って、いつものように蹴り飛ばしてやることはできなかった。
「もうここに来たらあきまへんえ、シンタローはん」
アラシヤマの青白い喉が、引き攣るみたいに震えて、笑い声を作る。
(俺が今、なにを探しているのかなんて、知ろうともしないくせに)
会いに来るのに理由なんて必要あるかよと思いたいのに、それでも言い返せずに、必死に理由を考え倦ねている。
胡座をかいた膝の上の指先が、きつくきつく握られたせいで色を失くしている。
(・・脚が、痛え)
広くもない庭に降り注ぐ雨音が身体の中に響き、否が応にも記憶を、その時の痛みを呼び起こす。
途中で退いた男と、最初から退かざるをえなかった男。
どっちも幸運といえば幸運で、不幸といえば不幸に違いないけれど。
仕方なくといった感じで口をついた自嘲の笑いは、アラシヤマの声とまったく同じ調子に響き、しかし、すぐに雨滴に吸い込まれてあっけなく消えた。
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