(――目が痛え)
正確には、眼球ではなく目の奥に疼痛を感じた。
前日からずっと座ったまま書類と首っ引き状態で、日付がかわってからもかなりな時間が経過しており、シンタローは思わずため息が出そうであった。
もしため息をついたとしても、それに対して何か言葉をかけるものは現在ここには誰もいない。すでに、秘書達については強引に帰らせていた。
静かな部屋の中、メールの受信を知らせる音声が響いた。シンタローはパソコンに向かい、送られてきた戦況報告書を読みはじめたが、立ち上がると先ほどまで目を通していた書類をつかんで廃棄処分の書類箱にすてた。
ドサリ、と体を投げ出すように椅子に座り、背もたれに身を預けてシンタローは目を閉じた。
どれほどの間そうしていたのかさだかではなかったが、突然ドアが開く音が聞こえ、
「失礼致します。総帥」
声がした。
シンタローが目を開けると、デスクの前には大荷物を背負った男が立っていた。
「し、シンタローはん、今からわてと一緒にきてくれはりまへん?」
「夜逃げか?」
アラシヤマの格好をいちべつし、目を眇めてそう問うと、
「ちゃいますって!もしかしてオーバーワークで寝ぼけてはるんどすか?……ああ、もう時間があまりあらしまへんっ!」
腕時計を確認したアラシヤマは、ずかずかとシンタローの座る椅子へと近づき、
「失礼しますえ!」
と、めずらしく強引にシンタローの腕をとると、ひっぱって立ち上がらせた。
「おい、手ぇ放せ!」
廊下をしばらく歩いた頃、我にかえったシンタローが語気強くそういうと、前を歩くアラシヤマは立ち止まり、
「手、放しても一緒に来てくれはります?」
疑い深そうに振り返った。シンタローは手を振り払おうとしたが、アラシヤマはどうあっても放そうとする様子はない。
(眼魔砲決定、だな)
いつもと違った種類のしつこさに腹を立てたシンタローが決意したとき、アラシヤマは手を放し、
「――今から、屋上へ行きたいんどす。お願いどすから、あんさんも来ておくんなはれ」
ぼそぼそと聞き取りにくい声でそう言った。
「うっわ、寒っみー!」
普段立ち入り禁止となっており閉ざされていた屋上のドアから一歩外へ出た瞬間、シンタローは顔をしかめた。後ろから続いて出てきたアラシヤマは、
「間に合いましたえー!」
と、群青色の一面に白い星が散らばる夜明け前の空を見上げた。
「シンタローはん、こっちどすえー!こっち!!」
嬉しそうなアラシヤマの後からついて歩きながら
「何が?超寒いんだけど?」
不機嫌そうに言葉少なく答えるシンタローの方へアラシヤマは向き直り、
「ちょっと待っておくんなはれ」
と、背負ったザックの中から取り出した毛布を手渡した。シンタローが体に毛布をはおりながら
「テメーにしては、まぁまぁ気が利く方なんじゃねーの?」
と言うと、
「ししししシンタローはんッ!あの、毛布はひ・と・つvどすえ?これって何か気ぃつかはりません??」
薄明かりの中、アラシヤマは小首をかしげ何やら期待しているもようである。
「別に。じゃ、これ返すから俺戻るわ」
「……待っておくんなはれー!こんな数秒だけやったら、せっかくのシンタローはんのぬくもりがチャージされてまへんやん!って問題はそこやのうて、わてが計画してたんは、“二人で一緒に毛布にくるまって日の出をながめる濃密☆バーニング・ラブv心友プラン”どすえー!」
「眼魔砲」
屋上が一瞬青白く輝き、すぐに光はおさまった。
「あのー、シンタローはん。いくらわてでも、ここの高さから落とされたら助からんような気がするんどすが……?」
襟首を掴まれ、ずるずると屋上のふちへと引きずられていく途中に目を覚ましたらしいアラシヤマがおそるおそるそう問うと、舌打ちをしたシンタローはいきなり手を放した。支えを失った彼はそのまま仰向けに倒れた。
「わて、もしかして、ほんのついさっきまで死の瀬戸際におりました?いや、そんなことよりも、まだお日さん顔だしてまへんやろな!?」
慌てて起き上がったアラシヤマは、まだ日が昇っていないことを確認すると肩で息をついた。空は群青からスミレ色に変化し、空の星も数えられるほどになっている。
「毛布、もう一枚予備を持ってきてるんどす。せやから、シンタローはんも日の出を一緒に拝んでいかはりまへんか?」
「半径50メートル以内には近寄らなかったら、まぁ考えてやってもいいけど」
「それって、一緒にとはいえへんように思うんやけど気のせいでっしゃろか?」
「気のせいなんじゃねーの?」
「……せめて、1メートルにまけておくれやす~」
アラシヤマは情けなさそうな顔つきをして毛布を取りに行った。
シンタローとアラシヤマは1メートルほどの間隔をあけて座っていた。アラシヤマがポットに温かいほうじ茶を入れて持ってきていたので、どうやらシンタローが譲歩したらしい。
ほうじ茶をすすりながら、東の方角を見ていると少しずつ空の色が薄いピンク色から黄みのまさったオレンジへと変化してきた。そして、太陽が上縁を地平線にのぞかせた瞬間、空の色が一瞬輝くような朱色となった。
(なんかこいつの炎の色みてーだナ)
シンタローが目を瞬かせると、アラシヤマが、
「シンタローはん、何か願っといたら叶うかもしれまへんえ?」
と言った。
(別に、そんなの信じる気にはなれねーけど……)
そう考えつつ、シンタローは目を閉じた。
しばらく経って目を開け、アラシヤマの方を見ると彼も目を閉じていた。
「てめーにも、願いごとなんてあんのか?」
と、シンタローは目を開けたアラシヤマに声をかけた。
「ぎょうさんありますえ~!でも、とりあえずは今ここであんさんとの距離が1mから1cmぐらいに縮まらへんかなぁというんが望みどす。本音をいいますと0cmが理想なんどすが」
「そりゃ、ぜってーかないっこねーナ!」
「あんさんが協力してくれさえすれば、簡単なことなはずなんやけど……」
小声でアラシヤマはブツブツ言っていたが、それを無視したシンタローは伸びをして朝の大気をすいこんだ。
いつの間にか、太陽の位置は高くなり青空が広がっていた。
あけましておめでとうございます。年賀SSなど書いてはみましたが、
どうも、年明けからいろいろまことにすみません…(汗)
フリーですので、もしお入用なお方はご自由にお持ちくださいまし~。
今年もよろしくお願いいたしますvvv
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「好き、嫌い、好き…。あっ、また好きになりましたえー!100パーセントの確率どすぅ~vvv」
真っ青に晴れた空の下、トットリが海へと続く道をのんびりと歩いていると、ふと数十メートル先の方から何やら叫ぶ声と見覚えのある気配がした。
(これは…、あいつだわナ)
今来た道をひきかえそうとすると、
「あっ、忍者はんやおまへんか!」
どうやら相手も気づいていたようで、なんだか嬉しげにこちらにやってきたのでトットリは思わず舌打ちをした。
「なんどすの?その露骨に嫌そーな顔」
「……根暗男が、一人で叫んでいるのを耳にしたら、だれだってえっらい引くわナ」
「ああさっきのあれ。お花でわてとシンタローはんの相性を占ってたんどすv」
何やら含み笑いをしながら、頬を染めてモジモジとしているアラシヤマを眇めた目でみて、
「占うまでもなく、わかりきったこととちがうんか?」
と、トットリはいった。
トットリのそっけない様子にも気づかず、アラシヤマは浮かれた様子で得たりとばかりにうなづいた。
「マヌケな忍者はんもごくごくたまにはええこといいますやん!まぁ、薄っぺらーいベストフレンドとかのたまう顔だけ阿呆とあんさんの場合とちごうて、わてとシンタローはんがバーニング・ラヴvな親友同士なのはまぎれもない事実どすケド!」
無表情のままトットリはポケットに手をやり、いきなりアラシヤマに手裏剣を投げつけた。
「あぶなっ!あんさん、いきなり何しはるんどすかー!?危のうおますやんッ!!」
ギリギリのところで避けたアラシヤマがそう怒鳴ると、
「―――何で避けるんや、根暗。お前ってほんっと、空気の読めないやっちゃね~?」
トットリは貼りついたような笑顔で答えた。アラシヤマは不機嫌そうであったが、
「……まぁ、今日は気分がええ日やさかい、一応燃やすのは堪忍してやりますわ」
といった。
トットリは、少し辺りを見まわし何かに目をとめると、一瞬姿を消した。すぐに戻ってきた彼はアラシヤマに一輪の花を差し出した。
「アラシヤマ、さっきまでのことは水に流して、この花でシンタローとの相性を占ってみるといいっちゃ」
そういってにっこりと微笑んだ。
「トットリはんッ…!あんさんの友情に感謝どす~vvv」
「そんな、アラシヤマ、僕達の間には友情なんて一ミリたりとも存在しないから、全然気にしなくっていいっちゃよ!」
アラシヤマは聞いていない。
「シンタローはんは、わてのことを好き、嫌い、好き、嫌い、好き、嫌い、好き、嫌い、好き、きら…」
「どがしただらぁか、アラシヤマ?」
「ききききき、きらっ…!」
「もうその花びらしか残ってないけど、はやく千切るっちゃ」
笑顔のままトットリがそう言うと、アラシヤマは手に持っていた花を握りつぶし、
「そんなはずはッ、あらしまへんー!!!」
花が、炎につつまれ一瞬で炭屑になった。
「シンタローはんはっ、わてのことが大好きなハズどすー!!なんてったって心友どすからッツ!!なんや、占いなんてそないな非科学的なもん、わては信じまへんえっ!? わては今からシンタローはんと海でイチャイチャするんどすっ!シンタローはんの肌に優しくサンオイルを塗ってあげるんはこのわてどすえッツ!!」
シンタローはーん!と叫びながら、アラシヤマはものすごい勢いでパプワハウスのある方角へ走っていった。その場に一人とりのこされたトットリは、
「―――それにしても、とことんイタイ野郎っちゃね…」
と呆れたように呟いた。
「まぁ、あげな阿呆、どーでもええわ。あっ、早くしないとミヤギくんとの待ち合わせに遅れるだわや☆」
にっこりと笑顔になると、トットリは駆け出した。
「シンタローはーんッ!今からわてと浜辺でアバンチュールを楽しみまへんかッ!?」
「眼魔砲ッツ!!」
六芒星の中心にGのアルファベットが印象的なガンマ団の旗がいくつもひるがえるなか、出迎えの団員達に混じってアラシヤマはぼんやりと飛空艦の方向を眺めていた。
飛空艦のタラップから、紅い色に身を包んだ人物が降りてくる。
(アレ?金色やなくて……黒?ああ、総帥はシンタローはんに交代したんや)
それだけの答えをはじきだすのに、昨日までの戦闘状況の読取りに順応していた頭脳では数秒かかった。日常は、ひどく遠いものになっていたようである。
(紅い総帥服に黒い髪。よう映えますなぁ……)
アラシヤマは瞬きもせず、団内へと歩んでいく新総帥の後姿をみていた。
「……キモイんだよオマエ。コソコソしてねぇで出てくんならとっとと出て来いッツ!」
大またに、床を蹴る靴音がきこえ、それにつられアラシヤマの動悸も早くなった。
(絶対、見つからへんはずやったのに!3秒、2秒、1秒、ああもうあかん。心臓が破裂しそうや。逃げるしかおまへん)
ダッシュで紅い色のわきをすり抜けようとしたが、伸びてきた手に襟首をつかまれた。観念したアラシヤマはおそるおそる振り向いた。
「―――えーと、えらいおっとろしい顔どすナ。新総帥」
一瞬、虚をつかれたような顔をしたシンタローは、すぐにアラシヤマをつき放した。
「テメェ、ここ数日、もの陰からさんざん人のことジロジロみてストーキングしてやがったうえ、まともに顔を合わせて最初に言うことがそれか?」
「わぁ、ますます険しいお顔になってはりますえー!」
「眼魔……」
「え、ちょっと待っておくんなはれ、これには続きが」
アラシヤマはあわてて言葉を補おうとしたが、シンタローの掌の中の光球は大きさと明るさを増すばかりである。
「砲ッツ!!」
シンタローはアラシヤマの状態を確認することも無く、その場を去っていった。
瓦礫の山からひとかけらコンクリート片が転がり落ち、そのまま数十センチ先の床の上で止まった。ついでその山が一気に崩れ、白く舞い上がる粉塵の中から頭の先からずっと灰色っぽくなった人影がゆっくりと身を起こした。
「イタタ……。頭は、うん、大丈夫どすな。でも全身打撲は確実やわ」
ぶつぶつとそうぼやきながら瓦礫の中から抜け出し、立ち上がると服に付着したほこりをはらった。
(――ああ、そういうことなんや)
何が腑におちたものか、アラシヤマの顔にゆるゆると笑みがひろがった。
「シンタローはん、かいらしおす」
(ああ、もうコーヒー切れだったのか。ついてねぇナ)
シンタローはデカンタを取り出し、紙製フィルタごとコーヒー殻をゴミ入れに棄てた。
給水し、ふたたびドリッパーに挽いたコーヒー豆をセットし終え、執務室へ戻ろうとすると、
「シンタローはーんッ!おかえりなさいっvどすえー!」
と、突然何者かがシンタローに飛びついた。せまい場所で不意のことであったので、シンタローはうまく受身をとれず、背中を後ろにあった冷蔵庫にぶつけ、ずるずると座り込んだ。
「痛ってえ……」
と唸りながら目をあけると、眼前にはしまりのない笑顔のアラシヤマがいた。
「テメー、何しやがんだ!?もう一回眼魔法くらうかコラ?」
(何でコイツがここに!?ティラミスかチョコレートロマンスが入れたのか?……どっちにせよ、あいつら2人とも今月は減給決定、だな)
「し、シンタローはんッツ!わてには全てお・見・通・し☆どすvあんさんにさみしい思いをさせてすみまへん。このままやとわて、心友失格どすー!」
「いや、はなっから心友じゃねえけど。つーか、離れろ!うぜぇ」
「またまた、そんなに照れはらんでも大丈夫どすえ?かげからこっそり視るのも奥ゆかしくてひかえめなわてとしてはけっこう好きなんどすけど。でもこれからは正面から堂々と行きますさかいに!安心しておくんなはれッツ!」
(何で俺、給湯室の床に座って根暗な野郎に抱きしめられてんだ……?何かの呪いか?それとも、今年って厄年だっけか?)
遠い目をして現実から逃避していたシンタローであったが、
「やっぱり、至近距離のシンタローはんはええもんどすvわて、何か思い違いをしてたみたいやわ」
能天気な顔をして幸せそうに自分を見ているアラシヤマを見ると、シンタローの内にはあらためて怒りがわいてきた。アラシヤマに少し違和感を感じたが、目があうと、
(ああ、そうか)
と、思った。
「――オマエさぁ、やっぱ、その髪型しっくりこねぇナ」
シンタローがそう言うと、アラシヤマは思いがけない言葉をきいておどろいたようであった。
「えっ、そうどすかぁ!?わて、最近自分では慣れはじめてたんどすが」
「まだ、前のがマシ」
「しっ、シンタローはんがそう言わはるんやったら、伸ばしますけど……」
少し長めの前髪を指先でをつまんで、アラシヤマは難しい顔をしていた。
「髪が伸びたら伸びたでうっとーしいけど、しばらくテメーのツラなんざ見たくもねぇナ」
シンタローはアラシヤマの肩を片手で押しのけ、
「ま、これ幸いってとこか」
と、小声でつぶやいた。無意識だったらしく、ほとんど声にはならなかったがアラシヤマには聞き取れたらしい。
(また遠征へ行かはるつもりなんか?今、苦戦してるのは……、F国の内乱制圧しかおまへんな。総帥が動かずとも解決がのぞめる事態へこのお人がのりだすことに、マジック様が賛意を示すとも思えまへんけど。わても、シンタローはんに無茶されたら心臓にわるうおます)
アラシヤマは肩を押しのけているシンタローの手をとり、そっと外した。
「わかりました。わて、明日からF国へ行ってきますさかい、大船に乗ったつもりで待ってておくんなはれッツ!数ヵ月後には前髪も伸びてますやろ」
「はぁ?何でいきなり話がそうなるんだよ!?」
「せやかて、あんさんF国へ行かはるつもりやったんやろ?でも、マジック様から止められているはずどす。だから、わてが行きます」
シンタローは図星をさされたらしく、渋い顔をした。
「オマエ、この前遠征から還ってきたばかりだろ?」
「あんさんがおらへんのに休みをたくさんもろても仕方おまへんし、有効利用なんどすv指揮官は、2人もいりまへん。わて一人で充分どすえ」
シンタローは嬉しそうなアラシヤマから目をそらし、
「テメー、馬鹿か?」
と、ちぎり捨てるように言葉を繋いだ。
「へ?なんでどすの?シンタローはんに必要やて思われたらうれしゅうおますえ?それだけのことどす」
アラシヤマは、そっぽを向いているシンタローから目をそらさず、
「絶対、 還ってきますさかいに」
気負いもなく、ただ明確な事実を告げるような口調でそう告げた。
不意に口調が変わり、
「これは、新総帥やなくてシンタローはんとの個人的な約束ということにしといておくんなはれ」
冗談のようにいって立ち上がった。
そのまま素直に帰るかとシンタローは思ったが、何故だかアラシヤマはドアの前でもじもじしていた。何度もシンタローの方に視線を送るので、
「用がねーなら、さっさと帰れ。いつまでもそこに立ちふさがってるとすんげー邪魔だ」
と、シンタローが声をかけると、
「ああああのっ、シンタローはん!もしわてが戻ってきたら、一つだけお願いがあるんどすケド……v」
アラシヤマは壁に指で“の”の字を書いている。
「……何だ」
(どうせ、ロクなことじゃねーよナ。どんな無理難題をいいやがんだ?)
と、シンタローは身構えた。
「――おかえり、って言うてくれはります?」
「おかえり?」
あまりにもアラシヤマの要求が意外だったのか、シンタローは怪訝そうに聞き返した。
「わて、心友にそう言うて迎えてもらうのが夢なんどす」
「――まぁ、いいけど。ただし、死体にゃ言わねーぞ?言ってもどうせ聞こえねーし」
「そこんとこはまかしておくんなはれvほな、行ってきますさかいに」
数秒後、アラシヤマの気配が完全に消えると、シンタローはシンクにもたれ息を吐いた。
「アイツ、とんでもねぇ馬鹿だナ」
ふと、ほろ苦い香りがあたりにただよっていることに気づき、シンタローが目線をあげると、コーヒーメーカーのランプがオレンジ色を点し保温を知らせていた。
木々が色づきはじめたガンマ団内の公園を横切っている最中、シンタローは突然の驟雨に見舞われた。
(ったく、ついてねぇッ!)
と、シンタローは思わず舌打ちをした。
空を見上げると、雲の向こう側が明るく日が照っているもようである。しかし、頬に当たる雨粒は冷えていた。
雨は総帥服の服地にしみこみ、ひとつぶごとに赤の色を濃くしてゆく。
(仕方ねーか)
どうも全身ぬれねずみ状態になってしまうと、総帥室へ戻ったのち、秘書や従兄弟から小言をいわれることが予想できた。
シンタローは、近くに生えている黄葉が目立つ大木のもとへと走った。切れ込みの入った葉が上の梢で密に重なり合っているらしく、雨は落ちてこなかった。
雨勢はますます強くなったが、雨の向こう側から、誰か人影が走ってくる。
(マヌケな野郎だナ、一体どんな面してやがんだ?)
自分のことを棚に上げ、シンタローが内心面白がっていると、相手が樹の下へ飛び込んできた。その気配は、見知った男のものであった。
「あれ、どなたはんかいはるんどすな。すんまへん、わてもちょっと雨宿りを」
と、相手はいいながら目に雨が入ったようで腕で顔を拭ったが、シンタローを見て非常に驚いたようであった。
「しっ、シンタローはんー!?」
アラシヤマは軽くパニック状態に陥ったらしく、固まっていた。
「ついてねぇ……」
シンタローは、気分転換にと、この道を通ってみようと思ったことが今更ながらに悔やまれた。
「シンタローはん、これどうぞ」
と、アラシヤマは制服のポケットからハンカチを取り出しシンタローに差し出した。アイロンをあてたものか、ハンカチにはきれいに折り目がついていた。
「いらねぇ。どうせすぐ乾くし」
「秋の雨って体の芯まで冷えて厄介どすえ?万一、あんさんが風邪でも引いたらわて心配で心配で遠征先でも眠れなくなりそうどす~…」
どうもゆずる気配はないらしく、シンタローが睨んでもめずらしくアラシヤマは視線をそらさなかった。
ふと、なんだか意地を張り通すのも面倒な気がしたので、シンタローがハンカチを受け取ると、アラシヤマは嬉しそうな表情を浮かべた。
シンタローが髪など軽く拭いている間、アラシヤマが挙動不審であったので、
「何だ?」
と、聞くと、ちらっとシンタローを見たアラシヤマは、
「―――あの、ここから出てけっていいまへんの?」
俯いた。
「―――テメェ、俺を何だと思ってやがんだ?」
「それってひょっとして、一緒に雨宿りしててもええってことどすか!?」
驚いたようにアラシヤマはシンタローをみたが、シンタローは淡々と、
「いっとくけど、半径50センチ以内に近寄ったら眼魔砲な」
と言った。
「いつもより、距離が縮まってますえ~vvvシンタローはんとドキドキ☆急接近どす!」
それでも、アラシヤマは全くめげないらしかった。
「ほんの涙雨かと思うたのに、中々やみまへんなぁ……」
シンタローの言いつけを守ってか、距離をとり、オークの幹にもたれたアラシヤマが呟いた。
「晴れてたのに、急に雨ってムカツクよな」
「わては、シンタローはんとずっと雨宿りができてうれしおすけどv」
「……なんつーか、寒気がする」
「ええッ!大丈夫どすかー!?風邪のひきはじめやおまへんの!?!?」
アラシヤマは慌てて、シンタローの熱を測ろうと手を伸ばしたが、シンタローはその手を払いのけ、
「いや、そーいうんじゃねーから」
と、ひきつった笑顔でこたえた。
雨の筋は先程より細くなり、黄色い葉先から落ちる雫の間隔もゆっくりとしたものとなった。
手を払われてからずっとアラシヤマはだまっており、シンタローも特に話すこともなく雨音のみがあたりに満ちていた。
不意に、アラシヤマの声がした。ずっと黙っていたからなのか、少し声がかすれていた。
「シンタローはん、わてなぁ、いつかシンタローはんのdestinationの1つになってみせますえ?」
雨音のせいで、アラシヤマの声は聞き取りにくかった。
「はぁ?何いってんのオマエ?」
「つまり、新総帥が遠征から帰ってきはりますやろ?そして『会いたかったぜ、アラシヤマ…!』とわての腕の中に飛び込むという寸法どす!」
さきほどまでとは違う、笑いを含んだ声音であった。
「……百億年たってもありえねぇナ、それ」
そっけなく、シンタローがそう返すと、
「ひどうおます~!」
と、アラシヤマはしばらくぶつぶつ言っていたが、
「あの、シンタローはん!」
真面目な声でシンタローに呼びかけたきり、言葉がとだえた。
「何?何かあんならとっとと言えヨ!」
シンタローが、少しいらだった調子で続きを促すと、思いもかけず真摯な声が返ってきた。
「わて、明日から遠征行ってきますけど、誰も死なせまへんから。大船に乗ったつもりで待ってておくれやす」
「……んな約束、」
「無理やおまへん」
大人が子どもをさとすように、きっぱりとアラシヤマは断言した。シンタローが何も言わいままでいると、慌てたように、
「ホラ、わてってガンマ団ナンバー2どすさかい!」
と、道化たように言った。
(コイツは大馬鹿で、……嫌いだ)
シンタローは、また強くなった雨の中へ、踏み出した。
「あの、濡れますえ?」
背後から慌てたような声がと気配がしたが、無視した。
「気を付け!!」
と、厳しい掛け声が士官候補生達へと向けて放たれた。
疲労の色が濃く顔に滲んだ若者達は慌てて背筋を伸ばす。彼らは皆、戦闘服に身を包み、踵をくっつけた両足を少し開いた型で立っていた。
「整列、休め!」
の声に、いっせいに彼らは両腕を後ろへと回した。前に立った教官が鋭い目つきで一瞥したが、まずまず、といった評価だったのか口を開いた。
「今のままでは、全員が任務偵察や後方撹乱において生き残れない。こちらが無手で敵は武装している中、たとえ一人になっても任務は完遂しなければならないことはわかっているな?各自今回の訓練を反省し、次の訓練までに反省点を改善しておくように」
そう言って、全体を見渡した。
先程まで、ガンマ団内の林の中では徒手格闘訓練が行われていた。射撃や野戦訓練、レンジャー訓練は体験済みの士官候補生達であったが、教官が仮想敵となる格闘訓練はまだ経験していなかった。生徒同士での型稽古とは格段に違って脱臼や骨折などの怪我も多く、何より精神的なダメージが大きかった。
特に、野外における格闘実践訓練の教官は一切の容赦がないことで有名である。その中でも、この教官に当たったものは相当に運が悪いと生徒達の間ではささやかれていた。
「敬礼!」
いっせいに、生徒達の右腕が上がった。
「直れ!!」
号令の後、教官が訓練の終了を告げその場を立ち去ると、皆ほっと息を吐いた。緊張の糸が切れたのか、その場にへたり込む生徒もいた。
(おかしおす……)
先程の野外格闘訓練実習の担当教官であったアラシヤマはゆっくりとした足取りで歩いていた。
(どうして、誰ッ一人!「アラシヤマ教官ー!お誕生日おめでとうございまーすv」って追いかけて来ぉへんのどすか!?なんでッツ!!
わての予定どしたら、
『どうしたんだ、お前ら!?』
「俺達生徒一同、尊敬する強くてカッコイイアラシヤマ教官のお誕生日をお祝いしたくって!あっちでパーティーの準備をしているんです!」
『お前らの気持ちは嬉しいが……』
「わかりました。今から大切な方と過ごされるんですね。お気になさらないでください」
『いや、やはりせっかく準備をしてくれた可愛い教え子達の気持ちは無下にはできん!』
「ええっ、でも……なぁ?」
「そうですよ!俺達のことはかまいません!待っているお方の所へ行ってあげてください!」
『心配ない、約束は夜からだ』
「「「「「教官ッ……!!!!」」」」
『お前らッ…!!』
って、こうなるはずどしたのに……!!)
アラシヤマはしばらくその場に立ち止まってみたが、しかしいっこうに誰もやってくる気配はない。数分後、何やら陰気な様子でブツブツとつぶやき始めた。
「――もしかして、あえてわざと無視!?ほぉ、ええ根性してますナ?あいつら全員、藁人形確定どす。いや、それよりも次から体力づくりの訓練メニューを強化して共通語レポートの提出分量を2倍にすれば一石二鳥どすー!わてって、なんて生徒想いの先生でっしゃろv」
アラシヤマがほくそ笑んでいると、背後から
「アラシヤマ教官」
と、呼びかけられた。その、よくとおる聞きなじんだ声に、
(きたッ!って、ええっ?この声って、もしかしなくても……、でっしゃろ?)
おそるおそる、アラシヤマが振り返ると、そこには戦闘服姿のシンタローが立っていた。
「なぁーに、間抜けなツラしてやがんだ、テメェ?バっカみてぇ!それに、一人で根暗にブツブツ言いながら歩いてっとすげぇキモイ」
腕組みをしてそっけなくそう言うシンタローに向かって、
「シンタローはーん!わての大切な人は誓ってあんさんだけどすえー!!」
と、叫んだアラシヤマはものすごい勢いで駆け寄り、抱きつこうとしたが、かるくかわされた。
「シンタローはーん……」
「うるせぇ」
「――そない、不機嫌そうな顔をしはらんでもええですやん」
恨めしそうにシンタローを見たアラシヤマであったが、シンタローに睨まれ、肩をおとしてうつむいた。
「テメェがうぜぇからだ」
「さっきのは心友同士の軽いスキンシップをはかろうとしただけどすえ……!?さけるやなんてひどうおす~!!」
顔を上げたアラシヤマと片方のみ視線がぶつかったシンタローは、手のひらの上に光球を形成しはじめた。
「ええっ!?いきなり眼魔砲どすかぁ!?シンタローはんったら愛情表現が過激なんやからぁvそういや、何であんさん、総帥服やおまへんの…?」
今まさに眼魔砲を撃とうとしていたシンタローであったが、真顔で自分を見ているアラシヤマを見て、
「――ああ、これ。別にテメェには関係ねぇし、どーでもいいダロ?」
面白くなさそうに答えると、手の中の光球を瞬時に消した。
「――あんさん、わてが教官に不適格かどうか視察に来てはった、というわけやナ。どうりで全然気配が感じられへんかったわけや。流石はシンタローはんどす」
アラシヤマの顔から波が引くように感情が失せ、低くそう言った。
「どこの老いぼれネズミが足掻いているんか、は分かってます」
「殺すんじゃねーぞ?あれだって、一応ガンマ団の人間なんだし」
「いやどすなぁ、シンタローはん。殺すつもりならとっくの昔に殺してますえ?ただ、わてが許せへんのは、あんなネズミごときが、わざわざシンタローはんを煩わせたことどす」
「お前は、教官からははずさせねぇ」
シンタローはため息をつくと、片手を伸ばし、アラシヤマの頬を思いっきり引っ張った。
「物騒な顔してんじゃねーヨ」
「いひゃい!いひょうおひゃすえー!ひんはろーはん!」
「勘違いすんな、お前の訓練を見に来たのは偶々気が向いたからだ」
すぐに手を離したシンタローをちらっと見たアラシヤマは、
「シンタローはん、えっらい嘘が下手どすナ……」
と言って溜息をついて肩を落としてしゃがみ込んだ。
「わて、めちゃくちゃ格好悪うおます~」
「安心しろ!俺はテメェを格好いいと思ったことは一度もねーから」
「ひどうおます、ひどうおます~…。わてはシンタローはんのことを1日50回は格好ええと思うてますえー!あ、ちなみにあと50回は可愛ええなぁと。実は他にもいろいろあるんどすけど……」
シンタローは片足を上げると、しゃがんだままのアラシヤマを蹴り飛ばした。
「超ウゼぇ。やっぱやめっかな……」
「何をどすか?」
地面に転がったままアラシヤマがそう聞くと、
「体がなまってもなんだし、久々にテメーと格闘訓練をしようかと思ったんだけど、やっぱ、キンタローにつきあってもらうわ」
シンタローはあっさりと踵を返し、歩き出した。
「し、シンタローはんッツ!待っておくんなはれッ!わてがやりますー!!」
慌ててアラシヤマは飛び起き、シンタローの後を追った。
「別に、俺は外でもよかったんだけど……」
「外やったら人目につきますやん?ここやったら邪魔は入らへんかと思いまして。わて、勝負に水をさされるんが大嫌いなんどす」
「まぁ、何でもいいけどよ」
シンタローは、長い髪をまとめながら板張りの道場の床を見渡した。
「ルールはどないしはります?」
「んー、技・武器の使用はナシ、徒手のみっつーことで。あとは、どっちかが3秒以上床に倒れたらその時点で終了」
「了解どす」
先程から数十分以上攻防を演じているが、なかなか決着がつかなかった。
シンタローもアラシヤマも、少なからず体の各所にダメージをうけ、息も乱れがちになっていた。
「そろそろ白黒着けよーぜ?」
シンタローがそう言うと、アラシヤマは上着を脱ぎ捨て、両手を軽く握り、構え直した。シンタローも上着を脱ぎ捨て、床を蹴った。
シンタローは、後ろ足の踵を上げ、腰を押し出した上げ蹴りをはなった。しかし、アラシヤマはわずかに身を引きながら、足を左掌ですくい上げた。バランスを崩したシンタローをそのまま床に押さえ込もうとしたが、シンタローは数度転がって避け、体勢を立て直した。
「ほな、こっちから行きますえ」
と、アラシヤマは直突きに転じ、シンタローの右面から攻撃を仕掛けたが、シンタローは左掌で拳を上方へと受け流しながら左方に体をさばき、右胴に直突きを入れた。
「てめぇ、わざと避けなかったのかよ?」
手ごたえは充分あったものの、背後からアラシヤマに組み付かれた。アラシヤマはシンタローの首に腕を巻きつけ、そのまま足を蹴り落として床に叩きつけるつもりらしい。
「シンタローはんと密着どす~vvv」
と、ふざけた調子で言うアラシヤマの脇腹めがけてヒジ打ちを叩き込み、少し体が離れた瞬間、後ろに踵を蹴りあげ金的を狙った。
が、すんでのところで、アラシヤマはシンタローから腕を放し、飛び退った。
「……あんさん、えげつない攻撃しはりますなぁ」
「実戦にえげつないもクソもあっかよ?」
「そらそうどすナ」
「しゃべり過ぎだ」
シンタローは一気に間合いを詰めると、左からの横打ちと見せかけ、突き蹴りを見舞った。
次の瞬間、アラシヤマの体は道場の端まで吹き飛んだ。
「1、2、3、……終了ッ!テメェ、とっとと起きろヨ!」
シンタローがそう声を書けたが、アラシヤマの体はピクリとも動かない。
(――まさか、気ぃ失ってんのか?)
アラシヤマの傍まで行き、足に蹴りを入れてみたがやはり目を閉じたままであった。
もしや打ち所でも悪かったのか、と傍らに屈んで呼吸を確かめようとすると、いきなり腕を引かれ、シンタローはアラシヤマの上に倒れこんだ。
「てっめぇ……」
至近距離から、アラシヤマを睨みつけると、
「せやかて、戦ってるときのシンタローはん、綺麗で色っぽうおますもん」
アラシヤマは片腕でシンタローの頭を引き寄せ、口付けた。
「昔は、全然色っぽいとは思わへんかったのになぁ……。わても大人になったんでっしゃろか?」
「死ね」
口を拭って立ち上がろうとしているシンタローを寝転がったまま目で追いながら、アラシヤマは、
「シンタローはん、今日はわて、誕生日なんどす」
と言った。
「え?オマエ、今日って誕生日なの?」
シンタローは目を丸くして、アラシヤマを見下ろした。
「へぇ、今日どす」
アラシヤマは身を起こし、座った。
「ふーん、そうなんだ」
「ええっ!?大心友の誕生日を忘れてはって、それだけどすかー!?」
「忘れる以前に、そもそもテメェの誕生日なんざ知らねぇし……」
「わっ、わては、シンタローはんのスリーサイズ、身長・体重・血液型、チャームポイント、夜の寝言までバッチリどすのにー!!」
「眼魔砲ッツ!!」
道場の壁に大きく穴が開き、アラシヤマの姿も見えなくなった。
シンタローは、髪を結んでいる紐をほどき、
「あー、あの野郎、すっげぇムカツク!」
と言った。