「うわぁ~」
零れる愛らしい歓声に、その小さな身体を背中から抱き上げていたマジックは、すでに大量の鼻血を垂らしていた……。
本日、マジック・シンタロー親子が訪れた場所は、ガンマ団の敷地の中でも一族のものにしか入ることが許されていない、プライベートエリアである。誰にも邪魔されない、二人っきりの世界を築ける場所に、それはあった。
満開の桜の木々。
「パパ~! ピンク色がとってもきれぇ~」
「そうだね、シンちゃんv」
艶やかな薄紅色が視界を埋め尽くすほど広がっている姿は、まさに壮観である。
(でも、君のほっぺのピンク色の方が綺麗だよ。その艶やかさにパパはクラクラさ!)
そんな目の前の美しい光景を純粋に喜ぶ息子を前に、父親は相変わらず腐れた思考をめぐらせていた。
しかし、同時につまらなくも感じているマジックであった。なぜなら、愛しい我が息子は、先ほどから桜の木ばかりに視線を向けているのである。自分がこんなにも傍にいるにも拘らず、先ほどから見ているのは、桜ばかり。こちらには、見向きもしてくれないのだ。
(キィーーッ! 桜ごときがッ)
本気で桜の嫉妬しているのだから、嫉妬される桜もいい迷惑である。
大体、ここへ来たのも息子がせがんだせいであった。
そろそろ桜が見頃だと、使用人に聞いたらしく、久しぶりの休日にシンちゃんと二人っきりでラブラブしてすごそう★と計画していたマジックに、桜を見に行こうとねだったのだ。
その仕草があまりにも可愛くて…可愛くて…可愛くて(以下エンドレス)仕方なかったので、つい聞き届けてしまったのは失敗だった。
(シンちゃん……パパちょっぴり寂しいよ)
哀愁漂う背中。寂寥感漂うかすかに虚ろな表情。
その程度で寂しがるのは人としてどうなのだろうか? と疑問を抱かないわけにはいかないが、そんなことを気にする相手ではない。
どうすれば、その視線を自分に向けさせることが出来るのか。まったくもって大人気ないマジックは、愛息を肩の上に置きながら、そんなくだらないことをしばし思案し、そうしてイイコトを思いついた。
「あのね、シンちゃん。知ってるかい?」
「なぁに、パパ?」
どこまでも可愛らしく尋ねかえす息子に、うっかり止まりかけていた鼻血を流しかけたが、ずずいっと吸い込んでそれを押さえつつ、マジックは愛息をそっと地面へと降ろした。それでも、シンタローの視線は桜に注がれたままである。
(クゥ~~~~~! 桜メッ!!)
と、相変わらずの桜へのひがみは、どこからともなく取り出したハンカチの角をそっと食むことで押し流し、そうして再び何事もなかったかのように語りだした。
「この木がこんなに美しく咲くのは、人の血を吸い上げているからなんだよ」
「…ち?」
その単語にピンとこなかったのだろう。きょとんとした顔を向けてきた息子に、マジックはにっこりと微笑んで頷いて見せた。
目の前にある鮮やかな薄紅色に染まった花。その色に染まるのは、理由がある。
「そう、人の流した血を吸い上げることで、こんなにも綺麗なピンク色に染まるんだよ。だから桜の木にあまり傍に行ってはいけないよ。シンちゃんの血も吸われてしまうからね」
「……う、そ?」
ようやく言葉の意味がわかったようである。先ほどまでうっとりと見つめていた桜の木を、今は不気味なものを見るように、表情を歪ませた。ちらりと桜に視線を向けるが、怖いものをみてしまったかのように、慌ててその視線を逸らし、父親へと大きな瞳を向ける。
(くすっ。もう一息だのようだな)
怯える息子に対して、マジックは内心ほくそえみながら、腰を軽くかがめて、その耳元に囁いた。
「ホントだよ、シンちゃん。桜は、人に血を流させて、その血を吸って養分にしちゃうからね。シンちゃんは、大丈夫かなぁ?」
「やッ!」
そういい終わった瞬間、ギュッと息子が足にすがりついてきた。そのままズボンをキツく握り締め、顔をそこに埋める。その手がぷるぷると小刻みに震えていた。
(……すっごく可愛い! OK! OK! シンちゃん★)
思惑通りである。
怯えながら自分に必死に縋り付く息子の愛らしさに、ますますマジックはヒートアップし、調子に乗った。
いつもの笑顔をすっと消して、思いつめたような表情に、低めの声で息子に語る。
「だからね。そんなに桜の木を見つめていたら、シンちゃんも桜に魅入られて血を――」
「やぁ~!!」
その言葉に、シンタローは、とたんに地面からび跳ねると、父親へとますますすがりついた。
「パパ! パパ、抱っこ、抱っこ!!」
そうして普段は、あまり自分から抱っこをせがまないシンタローは、両腕を万歳するように持ち上げて、ぴょんぴょんと飛び跳ねる。そこにいれば、桜の木の根元から死体が這い出し、足を引っ張られるのだと信じ込んでいるようで、必死である。
「抱っこなんて赤ちゃんみたいだよ? シンちゃん」
それをわかっていても、意地悪げにそう問い返せば、シンタローの瞳には、父親だけを映していた。
「ヤダヤダ! パパぁ~~抱っこ~~~!!」
先ほどの話がよほど怖かったのだろう。すでに大きな眼には、涙がいっぱいに浮かんでいる。うるうると潤んだ眼は、かろうじて泣く一歩手前といったところだ。ほっぺはすでに真っ赤に紅潮しており、売れた果実のような唇がへの字に曲げられていた。
(可愛い! すっごく可愛いよ、シンちゃんッッ!!!)
すっかりこちらの思ったとおりの反応と行動してくれた愛息子に、とってもご満悦のパパである。もちろんやってることは、かなりサイテーだ。
(もうそろそろこの辺でいいかな)
後は、ぎゅぅっと抱きしめて、「危ないから、パパからぜーッたいに離れちゃダメだよv」と教訓を付け加えれば、完璧である。もちろん、一番危険なのはその本人だが―――。
しかし、世の中完璧には物事は進まないものである。
「大丈夫だよ、シンちゃん。パパが、ちゃんとシンちゃんを抱っこして、守って――」
「うっ……わぁ~~~~~~~ん。パパが桜に食べられてるぅ~~~~」
しかし、行き成り息子が暴れだした。
その手を伸ばし、抱き上げようとしたのだが、その瞬間思い切り泣き出し、その場から逃走してしまったのである。
「ええッ!? シ…シンちゃん、まって!!」
(いったいどうしたんだい、シンちゃん!………あっ)
そこでようやくマジックは気がついた。自分の足元に溜まっている大量の血を。
あまりの息子の可愛さに涙腺ならぬ鼻血腺が決壊してしまい、大量出血をしてしまったようである。いつものことなので、うっかり気付き損ねたのがまずかった。
「しまった……」
先ほどの話のせいで、鼻血を流しまくるマジックを、どうやら桜に食べられていると勘違いしたようである。
「違うんだよ、シンちゃん! これはッ」
君の愛らしさから流れ出た鼻血だよ!――と、どうしようもない最低な真実を叫んでは見たものの、それを聞いてくれる息子の姿は、そこにはなかった。
策士策におぼれるとはまさにこのことか――。
愛息の視線奪回はこうして大失敗のまま幕を下ろしたのだった。
その後。
五体満足で戻ってきた父親を、ゾンビだと勘違いした息子は数日間必死で逃げ回り、今度は大量の涙を流すはめになったマジックであった。
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