作・斯波
さて何とせうぞ
一目見し面影が
胸を離れぬ
誘 惑
―――本当は、最初からおまえが欲しかったんだ。
シンタローは黒い瞳でリキッドをひたと見据えている。
まるでリキッドの背中を撃ち抜くかのように、真っ直ぐ凝視めている。
その視線に気づいたリキッドが振り返った。
唇がかすかに開く。
その唇から自分の名が零れる直前、シンタローはふいと背中を向けていた。
今度はリキッドがシンタローの背中を凝視める。
それを痛いほど意識しながら歩き去るシンタローの唇には、かすかな笑みが浮かんでいた。
(そろそろ、だな)
リキッドの臨界点はとっくに超えている。
あと一歩で、己を失って崖から飛び降りる。
その時あの男はどんな顔を見せてくれるんだろうと思うと、楽しくてたまらなくなった。
思えば一目惚れだった。
己の力量も知らずにガンマ団総帥に楯突くこの男を、自分のものにしたいと思った。
はからずも島に残る羽目になりパプワハウスで同居することになってから、シンタローのその気持ちは日々強くなっていった。
シンタローさん、と無邪気に呼びかけてくる笑顔。
その笑顔と、一途なひたむきさに惹かれた。
ずっとリキッドを見ていた。
見ていて、気がついた。
その笑顔は、自分だけに向けられている訳ではないということに。
だから、自分から仕掛けることにしたのだ。
シンタローがその気になれば、リキッドを落とすなど容易いことだった。
十六歳で特戦部隊に入り、その後この島に一人残ったリキッドは、まるで子供と同じだ。
どうせ本気の恋などしたことがないと、シンタローはいち早く見抜いている。
皿を洗いながら、何気ない会話を交わしていたシンタローの眼がリキッドを捉える。
触れあいそうな距離で凝視められ、それまで笑っていたリキッドが狼狽える。
「シ・・シンタローさん・・」
「んー? 何?」
あと1センチ近ければ。
あと1秒長ければ。
泣き出してしまいそうな―――逃げ出してしまいそうな、ギリギリの均衡。
(間違いねェ)
シンタローの自信はすでに確信に変わっている。
(あいつは俺を好きになってる)
リキッドは思ったことがそのまま顔に出る。
青い瞳に浮かぶきらきらした慕情と憧れをシンタローが見逃す筈が無い。
(あと、ひと押し)
向けられる好意にどうしようもなく無防備なリキッド。
シンタローの優しい微笑に眼が眩んでしまったリキッド。
その影に潜む企みにも、邪な劣情にもまるで気づかない。
少しだけ触れた肩がちりちりするほどに熱く思える。
リキッドが目の前にある笑みを浮かべたままの形の良い唇から目を離せないでいることなど、シンタローにはとっくに分かっている。
「・・・何見てんの?」
「べべべ別に何にも見てませんよ!! 早く皿、洗っちまいましょう!」
真っ赤な顔で皿を洗い出したリキッドの体温を感じながらシンタローはこっそり笑った。
差し伸べられた手を疑わずに取ろうとする、可愛い可愛いリキッド。
もう片方の手に何を持ってるかなんて、おまえは全然考えないんだな。
だから最近シンタローは殊更リキッドに優しくしてやっていた。
まだ恋を知らない男の幼い心に、自分だけを刻みつけたいと思っている。
(そうすればきっと)
―――あいつは俺にハマる。
リキッドが洗濯をしている。
その姿を眺めながら、シンタローは膝の上に置いた本をぱたんと閉じた。
もともと一行だって頭に入ってはいないのだ。
(リキッド)
声に出さずに呼んでみる。
おまえが欲しい。
いつでも真っ直ぐに人を見るその綺麗な眼を、俺だけに向けさせたい。
それでもシンタローは何も言わない。
恋の告白など、死んだってするつもりは無かった。
好きだと言うのは、リキッドからでなければならない。
このもつれたパズルを完成させるのは、あいつの言葉でなくては。
(なあ、もう分かってるんだろ?)
俺への想いで爆発しそうになってるじゃないか。
自分の心を持て余して、何が何だか解らなくなって。
とっくに、俺しか見えなくなってんだろ?
ちゃんと俺を見て言えよ、リキッド。
あなたが欲しいと。
だからあなたを、俺にくれ、と―――。
その時、シンタローの声が聞こえたかのように、リキッドが振り向いた。
「・・・シンタローさん」
泡だらけの手のまま、シンタローの前に立つ。
思い詰めたようなその瞳を見上げてシンタローは待っている。
(さあ飛び降りろ、リキッド)
見れば握りしめた手はかすかに震えていて。
白くなるほど噛みしめた唇を、奪って噛みついて吸いつくしてやりたいと思う。
(そして俺におまえの全てを引き渡せ)
「話が、・・・あるんですけど」
最後のピースがかちりとはまる。
シンタローの口角が、にいっと上がった。
「いいぜ。―――何?」
誘われたようにリキッドが、ふらりと一歩踏み出す。
長い雨がやっと上がった、静かな午後のことだった。
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リキシンです。シンリキではなく誘い受でお願いします。
リッちゃんに優しいシンタローさんが想像できない私は鬼ですか。
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