「だいたい、本部にいること自体珍しいじゃねぇか」
「だからって叔父様の顔見て挨拶なしに逃げるか?普通」
「逃げたんじゃねぇよ」
廊下から聞こえたそのやりとりに、薄く瞼を開ける。
(……うるさい)
そう思ったが口には出さない。
声の一つは上司のものだからだ。
言ったが最後何をされるか分かったもんじゃない。
まあ当分の給料査定にマイナス値がつくだろう。
しかし、あの獅子舞と言い争えるとは、たいしたものだと感心する。
(隊長が「叔父様」……ってことは甥っ子がいたのか……)
声が言うように、本部に来ることは滅多になく、せいぜい上司の兄がトップを務めていることくらいしか知らない。
「とにかく、俺は忙しいんだよ!」
「何だよ、つまんねぇガキだな」
「っるせぇ。アル中」
暴言と軽口のやりとりに良い加減飽きてきたのか、再度目をつむる。
戦場から帰還したばかりの身だ。
少しでも多く休息を取りたい。
どうせすぐ、また新たな戦場へと駆り出されるのだから。
「ったく、隊長はまぁたシンタロー様?」
「相当気に入っているのだろうな」
同僚のそんな会話が耳に入った。
甥子の名は『シンタロー』と言うらしい。
(まぁ関係ないだろうけど)
隊長が気に入っていると言うのなら、尚更に関わりたくない。
「あらら、リキッドちゃんはお眠でちゅか~」
「てめ、ロッド! うるせぇんだよ!」
「はっ、怖い怖い」
暇なのか絡んで来るロッドを払いのけ、寝返りを打つ。
外の声は段々と遠くなって行く。
そもそも総帥に報告に行くはずだったのだから、そのまま向かったのだろう。
「……ちっ、目ェ覚めちまった」
声たちが完全に聞こえなくなってから起き上がる。
結局、くだらない口ゲンカは、ありがたくもない目覚まし代わりになってくれた。
はた迷惑なものだ。
仕方なしにその辺を散歩でもしようとドアをくぐる。
「…………外出か?」
「迷子になるなよ、ボーヤ」
廊下に出ようとして聞こえた言葉に、言い返そうと振り向くともう扉は閉じていた。
「っ~、なるかっ!」
態度で示すように、近くの壁を殴りつける。
自分自身、物にあたる子供のようだと思った。
(どいつもこいつもっ……!)
行く当てなどなかったが、とにかく廊下を歩く。
ひどく、イラついていた。
何もかも気に入らない。
「くそっ!」
壁を殴った拳が痛い。
「……?」
不意に、柔らかい風が顔に吹きつけた。
このあたりの窓は開いていない。
不審に思って見渡すと、突き当たりのガラス張りのドアが閉まるところだった。
どうやら、外に出るためのものらしい。
(こんなとこに……?)
はたしてこんなにも高い場所で、外に出てもいいのだろうか。
誤って落ちたらどうするのだ。
柵はそれなりに高くなっているが、越えられない高さではない。
まあ、わざわざ越えるもの好きもいないだろう。
何となくドアノブに手をかける。
外の方が気分が落ち着きそうだ、と思ったのかもしれない。
ただ、風を感じたということは、
(誰か、いるのか?)
彼の前に、誰かが外に出たということ。
団の制服を着た、長身。
少なくとも、知っている人物ではない。
束ねた長い黒髪が、風に吹かれて流れている。
人殺しの集団に属するとは思えない、綺麗な後姿だった。
「……アンタ団員か?」
思わずそんな言葉が口に出た。
相手はこちらを少し見て、また視線を空に戻す。
振り向く気はないようだ。
「団員じゃなけりゃ、ここにいねぇよ」
ふてぶてしい言い方に、少し不快になる。
自分が特戦だと気付いていないのだろうか。
「特戦だな。お前」
分かってはいるらしい。それでこの言い様なのか。
「わかってんなら、口のきき方には気を付けんだな」
お前呼ばわりかよと不機嫌を口で示すと、
「ああ、そうか――――。悪ィ」
意外にも、嫌味ではなく、素直な答えが返って来た。
反発されるものとばかり思い込んでいたために、それでいくらか気が緩む。
久々の人らしい会話である。
途端、目の前の人物に興味が湧いた。
「アンタは?」
「一戦闘員」
「へぇ」
特戦部隊が、どれほどの位置に属するのか知らないが、ただの戦闘員よりは上、ということになるのだろう。
しかし、彼の喋り方にそんなことは感じられない。
考えてみれば、ついこの間まで一般人だった(電撃を出せることを除く)自分には、そのくらいで丁度いいのかもしれない。
「特戦はまたすぐ行くんだろ? いいのか、こんなとこにいて」
どこに、とは言わない。
そんなことは分かりきっているのだ。
自分が、行かなければならないところ。
「だから休みたいんだ。……部屋は同僚がうるさすぎるんだよ」
「ああ、あいつら」
「知ってんのかよ?」
「一応だけどな」
顔だけならまだしも、面識があるということだろうか。
一戦闘員が……特戦部隊と……?
(何モンだよコイツ……)
ますます分からなくなる。
本当に単なる団員なのか?
「……なぁ」
「あ?」
「……アンタさ、戦場、行ったことあるのか?」
気が緩んでいたせいか、そんな言葉がふいに口にでた。
「…………」
返事はない。
その沈黙は肯定なのか、否定なのか、分かるはずもなかったが、リキッドは続ける。
「やらなきゃやられるだけなんて、当たり前だけど……嫌なもんだよな……」
同僚や隊長にこんなところを見せられはしない。
(どうせ馬鹿にされるのがオチだろうから)
それを言って、どうなるわけでもないのだけれど。
ただ、吐き出したかっただけなのかもしれない。
誰かに話すことで、少しでも楽になりたかった。
弱音だと笑われるだろうか。
「……今は、そうするしかなくても……、変われるかもしれないだろ」
返ってきたのは、同意でも嘲笑でもない答えだった。
「はぁ?」
「俺が変えてやるってんだよ。文句あるのか?」
そう言い切る彼は、どこか自分の隊の隊長に似ている気がした。
あの獅子舞と一緒にしては、失礼かもしれないが。
「変えるって……総帥にでもなる気か?」
体制を変えるとなると、大元からということになる。
冗談めいて言ったその言葉に、相手はふと黙り込んだ。
「……そう、なっちまうのかな……」
「?」
まるで独り言のように呟いた声は、リキッドには届かなかった。
「……そろそろ行かねぇとな」
しばらく何か考えるように黙った後、ずっと空を見ていた彼が、振り向いた。
長い黒髪に、灰色の目。
日系なのだろうか。一瞬見とれてしまった。
(……って、アホか俺。男だっての)
「あ、――――なぁ」
「ああ?」
引き止めたものの、何を言いたかったのか、よく分からなかった。
ただ、自分の話を聞いてくれたのが嬉しくて。
「何つーか、あんがとな」
「そうか」
それは素っ気ない返事だったのだけれど、リキッドにとっては充分だった。
「それじゃな」
「ああ」
柔らかく風が吹いて、その場には自分以外、誰もいなくなる。
イラつきもいつの間にか消えていて、妙に気分が落ち着いている。
「そーいや、名前も知らねぇなー……」
通り過ぎていった黒髪と灰の眼を思い出す。
……この時、まさか数年後に、実は獅子舞以上のこの天然俺様人間に、振り回されるはめになるとは……。
思うはずもない。
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