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ms

 昨夜は帰ることができなかった。
 前もって遅くなると世話を頼んでおいた秘書は、朝も様子を見に来ただろう。
 その上で私の帰宅がなかったことを見て取れば食事を用意しているに違いない。
 一日の大半を寝て過ごす彼にとって、私の不在はそう大したことでもあるまい。
 少なくとも秘書とは顔見知りだし、彼の食事が住むまではその部屋に居てやるようにと指示はしているから、おそらくのんびりと食後の昼寝の時間を楽しんでいる彼の元に戻ることになる、と予想して部屋の扉を開くと…。
 扉の前で不機嫌に座り込んだ彼の姿があった。

「あ゛……シンちゃん。ただいま」
『…………』
 無言。
 大きな丸い黒目がちな瞳が上目遣いにこちらを見上げている。その形は下に弧を描く半月形だ。
 いつもなら真ん丸に見開いた目をまっすぐに私の顔へと向けてくるのに、眉間に皺まで寄せられてMの文字になってしまっている。
 少し長めのふさふさとした毛は寝癖で乱れることなく身体に沿って滑り落ちており、寝起きという風でもなさそうだった。

「ご、ごめんね。遅くなっちゃって」
 目つきに気圧されながらも、掌を彼の頬へと伸ばす。
 機嫌がよければその手に擦りよってくれるものなのに、触れる手を避けるように頭を引くと視線も合わせずに踵を返されてしまった。
 後姿が語る。
『さっさと部屋へ入れば?』
 その後姿について扉を閉めて、私と彼だけしか居ない室内の空気は非常に気まずい。

 外出から戻ればいつでも周囲に纏わり着いて、外でつけてきた匂いを全て自分のそれと置き換えようと必死になるのに、今日は数歩前をどんどんと歩いていく。
 いつも私が休息に腰を下ろす椅子から2メートルほど離れた場所で立ち止まると振り返る。その目つきはまだまだ半円のままで、眉間もMの字のままだ。
「シンちゃん、怒ってるのかい?」
 そんなの見ればわかるだろう、という素振りで伸ばした手の分だけ後ろへと下がられた。目線はこちらに向けたまま。
 こういうときの彼は何を言っても聞いてくれない。
 溜息を吐くと何事もなかったように、いつもの椅子に腰を下ろし、わざと彼から視線を外してみる。
 視線が痛い。
 まったく、私から言い訳を切り出せば、聞く耳は持たないとばかりにどこかへ隠れてしまうくせに、実はその言い訳が聞きたくて仕方がないくせに、気のない顔をして。
 ちらりと横目でその様子を伺えば、眉間は顰められたまま皺を寄せているけれど、こちらへ向けられる視線はまっすぐだ。
 いつもとは違う場所で風呂を使ってきた匂いの違いに気付かれたか。こういう時は例え言葉は通じなくとも、先に謝っておくに限る。
「ごめんね。いつもと匂いが違うかもしれないけど、パパだよ。」
 横目に様子を伺ったまま静かに告げると小さく首を傾けるが、一歩を踏み出してくる気配はない。
『ふーん?実は偽者だったりすんじゃねーの?』
 ああっ。そんな疑いの目で見るのかい…哀しくなるじゃないか。
 苦しさに胸を締め付けられてハンカチを噛み締めて身悶えてしまうじゃないか。

「あれ?シンちゃん、御飯は?」
 ハンカチを噛んで彼から目を外すと、その先に映ったのは彼の食事。
 いつもなら全て食べ終えて、皿も片付けられているであろうそこには、手をつけた痕跡は僅かにあるものの、半分以上はそのまま残っていた。
 留守を任せている部下が食事の時間を間違える筈はないのだが…と首を捻る。
 目を据わらせたままこちらを睨んでいた彼は「御飯」という言葉にぴくりと耳を震わせ、急ぎ足でその皿へと走っていく。
『別にあんたを待ってたわけじゃないからなっ!』
 私に背中を見せて皿の食事を一息にたいらげようとしている様に目を細める。
「実は私の帰りを待っていたら食事も喉を通らなかったとか?」
『そんなことあるか!』
 くるりと背中越しに振り返る目は相変わらず冷たかったが、尻尾の先だけが小さく揺れていて、思わず笑顔を返す。
 長いふさふさとした尻尾を軽く立てて先の方だけを小さく揺らして見せるのは、大抵嬉しい時だからこの目つきも照れ隠しの一つだってバレバレだよ。
 本当はとても素直なのに、何でこうストレートな表現が苦手なんだろうね。
 喉を震わせて笑い続けていると、食事を終えた彼は水を少し飲んだ。少し高い位置にあるお気に入りの場所を陣取るとそこに寝そべって。視線だけはこっそりとこちらに向けるけれど、表情は無関心。
 私は寂しさに胸を締め付けられながらも、視線に気付かない振りをして帰宅してから片付けるべき事柄へと目を通すことにした。

 書類に目を通し、ふと視線を上げた先が、彼のお気に入りの場所だ。
 いつもなら、そこで作業が終わるのを待ち、あるいは待ちきれずにそこから降りてきて『早く構え』と私にプレッシャーをかけてくるのが常の状態で、私の方も常に視界の端にそこを留めるようになってしまっている。
 今も何気なく上げた先で、ゆったりと優雅に身体を伸べて寝そべる彼の姿が映り、動くものへ無意識に向いてしまったと思える視線とまっすぐにかちあった。
 一瞬大きく見開かれた瞳は、即座に背けられる。
『あんたを見てたわけじゃない』
「わかってるよ。シンちゃんはパパが帰ってこなかったら、怒ってるんだよ、ね?」
 少し芝居掛かっていると承知した上で、大袈裟に情けない声を上げて視線を外して見せる。無造作に垂らされた長い尾が葛藤を示してぱたぱたと小刻みに揺れるのが気配で伝わってきて、思わず内心笑いながら、しおらしく更に続けてみる。
「いいんだよ。もうシンちゃんに許してもらえるわけないんだよね。今度から御飯もお世話も全部私ではない者に任せることにしようか…」
 ちらりと横目で棚の上を見上げると背けた頭の耳だけがぴくりと大きく動いた。尾の先が伝える葛藤は更に大きくなってきていて動揺を隠しきれていない。
 徐に椅子を立って、深く溜息をついて卓を離れようとする。

 ちりん、と柔らかな音が響いて、床へ降り立つ軽い気配。そのままするりと暖かなものが触れてきた。
 そっと頬へ手を伸ばすといつもよりは大分遠慮がちに、それでもしっかりと押し付けるようにして摺り寄せてくる。そのまま親指で耳の後ろを撫でてやり、軽く顔を上向かせてこちらを向かせる。
 あ、まだ目は半月だね…。
「シンちゃんはもうパパじゃなくってもいいんじゃなかったのかな~?」
 思わず目を細めて見詰めると、眉間の皺をそのままに目を細くして強く頬を押し付けてくる。
 高く垂直に伸ばされた尻尾も足に絡みつくように纏わりついてきて、言葉以上に雄弁な感情。
 この不器用な伝え方が愛しくて仕方なくて、思わず腋に手を入れて抱き上げて私からも頬を擦り寄せる。
「本当にシンちゃんは、パパ大好きなんだねぇ」
『……そうかもしれねーけど……でも、そんなんじゃねぇよ。』
 いつもならこんなに長時間抱き締めさせてくれないのに、今は必死で我慢しているんだろう。
 抱き締めた暖かい体がひくりと小さく強張り、垂れ下がった尾が忙しく揺れる。
 まったく…感情表現が下手だと思われがちなお前だけれど、愛しくて仕方がないよ。
 言葉や表情での表現こそ苦手だろうけれど、それ以上に大切なことだけは温もりで伝えてくれるじゃないか。

 いつも癒してくれてありがとう。
 だけど、三日くらいは朝帰りしたことは許してくれないんだろうね…。

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