(「家族冩眞」の写真を撮った側の人の話)
ファインダーをのぞいた先の「黒」は、異質に見えた。
長兄の第二子が誕生した、と男は戦場で連絡を受けた。最近めっきり甥の顔をみていないので甥が何歳になるのかとっさに思い出せなかったが、随分離れた兄弟になるんだな、と最初はどうでも良いような感想を抱いた。
次に来たのは、漠然とした恐怖のような感情で、それを抱いた自らに嫌悪感が湧いた。そんな男の自己嫌悪は、もしもまた「黒」だったら、と言う危機感、あるいは恐怖感に追われてどこかに身を潜めてしまった。その混沌とした感情をどうにか鎮めたくて、男は当事者である長兄に連絡を入れようか迷ったが、何事も自分の目で確認することを好む自身の性格が、珍しく本部への道のりを歩ませた。
甥が、男が最も憎悪する「あの男」に似てきてから、男は本部へと足を踏み入れることをやめた。甥と直接顔を合わすとろくでもないことになるであろう予感はつねに付き纏い、それを否定する要素も覚悟もなく、ただ兄や弟からの連絡で近状を知るのみにとどめている。
似ている甥に罪は無い。それは男も良く解っている。悪いのはその面影を重ねてしまう自分自身であり、過去のことを許せない、また許すつもりも毛頭無い自らの許容の狭さだと、男は理解していた。だが感情と理性は別物であり、それを擦り合わせて生きていくには、この場合特殊すぎた。
寄りによって自分の甥が、寄りによって「あの男」と似ている。
男にとって悪夢のような事実は、甥が年齢を重ねる嘲笑うかのように顕著になり、どうにも身動きがとれなくなってしまった。双子の弟が甥の修行に同行したとの連絡も受けてはいたが、弟が「あの男」に似た甥と二人でいて何を思うかと考えると双方を哀れに思った。何に対する哀れみか、は男も解っていない。方向性はまるで逆だが、恐らく同じように「あの男」の面影をみているであろう弟の心境にか。それとも何も知らず弟を慕う甥にか。
どちらにせよ、哀れむのはどこか間違っている。男は自分達兄弟を壊した「あの男」に関することで、哀れみなど覚えたくなかった。
長兄の第一子に対する溢れんばかりの愛情をみていると、第二子に対しても似たようなものだろう。「青」であれ「黒」であれ、子煩悩な長兄はきっと今ごろ鼻血でもたらしながら、生まれたばかりの我が子をあやしているに違いない。そう考えて男は総帥室には向かわなかった。
願わくば、仕官学校に通っているはずの甥が帰ってきていませんようにと願いながら、まっすぐに一族のプライベートエリアに足を踏み入れて、さてどこにいるの思案していると、ある程度防音効果が施されている扉からも漏れてくる賑やかな笑い声が耳に入った。願いは叶わなかったようである。変声期を経た甥は、声までも「あの男」を髣髴とさせるものであり、そのあまりの相似に鳥肌が立った。もう一人、次兄の子供の方の甥も遊びに来ているようで、その甲高い声もまた扉の向こうから伝わってきた。
さて、どうするか。ここまで来て踵を返すことは、どこか負けたような気がして男のプライドが許さなかった。だが顔を合わせたくないのも本音である。思案した挙句、男は扉を開けた。
金と黒の子供達が、光溢れる部屋で和やかに笑っていた。
数年ぶりにまともに顔を合わせた二人の甥達は、年齢の割りには子供っぽく、無邪気に映った。だからこそ、益々許せなかった。「あの男」ではないと理性は否定するのに、「あの男」と良く似たその顔で屈託なく笑うな、と男は思った。
だが感情に任せて激昂するほど、男は短慮ではなかった。部屋には子供達から少し離れてその様子を見守っている兄の姿があり、そして甥の成長を目の当たりにした衝撃をとりあえず腹の中に納められる程度に男は歳を重ねていた。
「げ、獅子舞」
「わぁ、ハーレムおじ様」
そんな男の複雑に渦を巻く感情にお構い無しに、甥達は至って呑気に男の登場を受け入れた。黒髪の甥の腕の中には産着に包まれた小さな赤ん坊がおり、すやすやと大人しく寝息を立てているようだった。
「ハーレムか」
何しに来た、と兄に言われる前に男は「新しい甥っ子を見に来たんだよ」と鼻先で笑うようにして本日の目的を告げる。
破天荒な弟の来訪をあまり嬉しそうとは言えない様子で歓迎した長兄は、何か言いたげに眉根を寄せたが、結局何も言わずに再び子供達の方へ視線を向けた。
そんな長兄の態度に腑に落ちないものを感じたが、それも確認すれば分かるだろうと、男はつかつかと子供達の方へ歩み寄る。
「アンタみたいな怖い顔の大人が覗き込んだら、コタローが泣くだろ」
そんな相変わらず可愛くない甥の言葉も、真剣に捉えるとそのままずるずると感情が爆発する危険性があったので、故意に無視した。無視された甥が一瞬奇妙な顔になったのを視界の端で確認し、甥を傷つけたことに対する罪悪感と「あの男」を不快にさせた優越感のような錯覚を覚え、ますます酷くなる感情の混沌に、男は耐えた。
大切に、まるで壊れ物のように甥に抱かれた赤ん坊を、男は覗き込む。
青か、と最初に安堵して、それからその両目が一族特有の力を有していることに気付いて、抱いていた危惧とは別物の危機感が背筋を伝った。
「ふうん。兄貴に似てんな」
どうにでも取れるような感想を一応呟いて、男は子供達から離れて長兄のそばに向かった。「それでアニキはそんな面してたのか」と男が声を潜めて囁くと、兄は「ああ。まさか両目ともそうだとは思わなかった」と眉間の辺りに険しさを漂わせて唇の隙間から困惑を吐き出した。
「あのガキにコントロール出来るのか?」
「まだ分からん。分からんが…」
珍しく言葉を濁す兄は、長子を眺める目とは全く異なる、探るような目で自らの赤子をじっと見つめていた。それはとても親が子供に向けるものではなく、子煩悩とばかり思っていた兄の一面を目の前に、男はその子供の未来に何か不穏なものを感じ取った。
そんな親の視線に気付かずに、子供達は赤ん坊の写真を撮ろうとやっきになってカメラをいじっていた。お互いに交代で赤子を抱いて写真を撮りあい、はしゃいだ声を上げながらシャッターを切っている。
「おい、親父。獅子舞でも良いや。コタローと俺らで写真撮ってくれよ」
カメラを渡された兄が、無言で椅子から立ち上がった。長子の時は自らの手で鼻血をたらしながら何度もシャッターを切っていた兄が、今度は頼まれないと写真を撮ろうとしない。それが何よりも雄弁に、兄の赤子に対する感情を表しているように、男には思えた。
「ちっ、しょうがねーから俺が撮ってやるよ。ついでに兄貴も入れ」
ほら早く、と兄を急き立てて、半ばひったくるようにその手からカメラを奪ったのは、新しい甥への憐憫だったのかも知れない。その目をコントロールする難しさは身を持って知っていた。だからこそ男は兄の危惧も良く分かる。そして黒髪の甥に憎しみを向ける自らを省みると、兄に意見することは出来なかった。
きゃぁきゃぁ騒ぎながら窓辺に立ち並ぶ四人を、ファインダーに納める。
三人の「青」に囲まれた「黒」は異質だったが、それでも大切そうに弟を抱く甥は、このときばかりは男の目にも家族に映った。
「兄貴もガキ共もじっとして笑えって。よし撮るぞ」
この家族が行く末にはどんなものがあるのかと、そう遠くないであろう未来を憂いながら男はシャッターを切った。
(2006.10.19)
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