「新たに技術課の生物分野からバイオ部門と製薬部門を独立させ、製薬部門の責任者は――ウィローに任せたいと思う」
その言葉に、会議室に集まった幹部達の中からどよめきが上がった。一気に部屋の空気が硬質なものへと変わっていくのが、手に取るように分かる。予想通りの反応だ。諸手をあげて賛同を得られるなど、元より考えてもいない。古参の幹部連中が総帥職を継いだばかりの自分を軽んじているのも、今の状態を居心地良く感じているのも知っている。
だが、組織には改革が必要なのだ。
「独立について反対意見があるなら言ってみろ。他に責任者に適任と思う人間がいれば推薦しろ。異議がないようなら、この案のまま、次回の幹部会で決定する」
今日の会議はこれで終わりだ、と言い置いて席を立つ。帰って、部門独立に必要な準備をしなくてはならない。反対派がどれだけごねようとも、両部門の独立は既に決定している。後は外堀をどう埋めるかだ。
補佐役に就任したばかりの従兄弟を促して、廊下へ出た。振り返りもせず足早に歩く後ろから、駆けてくる足音が二人分。何ごとかと思ってみれば、ティラミスに連れられたウィローの姿があった。いつもの魔法使いのような黒マントではなく、幹部会にふさわしい、ブレザーにきちんとタイを締めた正装だったが、頭にかぶった帽子は相変わらずだ。
「シンタロー総帥!」
叫ぶ声はひっくり返っている。明らかに運動不足だ。技術系の職員にも適度な運動を義務づける必要があるだろう、と隣で従兄弟が呟くのは、聞かなかったことにした。
「あんだよ、うるせぇな」
役職名に名前を付けた呼び方をされて、むっとする。どこぞの古狸どものようなマネをしてくれるな。にらみつけた視線に気づかないのか気にする余裕もないのか、ウィローは早口でまくし立てた。いつものしつこいくらいの名古屋弁に加速が付いて、もはやネイティヴスピーカーでもなければ聞き取れないレベルに達していた。
面倒だが、もう一度はじめから聞く以外に理解する方法はないだろう。それなりに方言を理解できるはずの従兄弟も、困惑顔だ。
「ああ、分かったよ。――分かったから、もういっぺん言ってみろ」
俺に分かる言葉で、と猫の鳴き声を思わせる言葉の波が収まるのを待って告げれば、ウィローは見事な緑色の髪を振り乱してがっくりと肩を落とした。
「総帥…フツーここまで喋らせてその反応はあれせんぎゃあ…」
「オメーが最初ッからまともに喋ってりゃ聞き返しもしねぇよ」
恨みがましく睨め付ける視線はしっかり無視した。いちいち気にしていては精神衛生上よろしくない。
「聞きてゃあのは製薬部門の件だぎゃあ。勝手にワシを責任者にせんとってちょー」
少しばかり譲歩した口調で呟くのを聞いて、思い出した。ウィローにこのことを全く話していなかったことを。それをそのまま口に出せば、父親の側近と従兄弟は頭を抱え、部下はぽかんと口を開けた。
「このたーけッ! おみゃー、なに考えとるんきゃあ?」
「……シンタロー様、そういうことは発表より先に本人に打診するものです」
片方には怒鳴られ、もう片方には心底呆れた顔で嘆かれ、言葉に詰まった。何も考えていなかった、などと口にすれば、今度は何を言われるのか。
「とにかく、ワシはそんな大層なもん任される気もにゃーで、誰か他を当たってちょ」
若い魔法使いは、面倒な肩書きをつけられるのは真っ平だと膨れたが、はいそうですかと簡単に引き下がるわけにはいかない。
製薬部門が独立して本格的に薬品の開発と精製に取り組むようになれば、この部門だけで団の年間経費の2割以上をまかなうことができる、という試算が出ている。新薬でも開発すれば、その利益率は飛躍的にのびるだろう。そうなったとき、製薬部門の責任者は大きな発言力を持つことになる。その人間が外部と通じていたり、上層部にたてついたりされては厄介だ。
どうしても責任者は信頼できる手駒の中から出す必要があったし、薬学の知識があって信用できる人間、という条件を満たす人間は、ウィローしかいなかった。
「さっきも言ったろ。お前じゃダメだって言うなら理由を示してみろよ。他に推したい人間がいるって言うなら話を聞いてやってもいいぜ」
そうでなければ、自動的にこの役職はお前のものになる、と言ってやれば、名古屋弁の魔法使いはうえぇ、とあからさまな不満の声をあげた。
奇特な人間だな、と隣で従兄弟が呟くのを、もっともだと思う。少しでも良い役職を手に入れようと、権力のある人間にごまをすりおべっかを使い追従する連中の中にあって、与えられようとしている役職を固辞しようとする人間は希少だ。しかしそういう人間に限って、その役職を与えられるにふさわしい能力を持ち得た人間だと言うことを、その本人が認識しておらず、それがますます苛立ちを募らせる。
せっかく役職をやるというのだ、ありがたくもらっておけばいいものを。
「ま、いーや。とりあえず第一候補者はお前ってことで進めるから」
そういうことでよろしく、と伝えると、ふざけないで話を聞けと怒鳴られた。きっと総帥にたてついて処分を受ける可能性なんて考えてもいないのだろう、頬を真っ赤に染めた名古屋人が荒く息をつくのに、ふざける気があるんだったら人事なんか全部あの古狸どもに任せてる、と返すと、やっと言っていることを理解できたのか、驚愕の表情を顔に貼り付けたまま固まった。
その混乱に乗じて、従兄弟に目配せして場を立ち去ることにする。去り際にも、馴染みの深い秘書官が一言も発さないのを不審に思ってのぞき込むと、彼もやはり、隣に並ぶ魔法使いと同様の表情で固まっていたのだった。
その言葉に、会議室に集まった幹部達の中からどよめきが上がった。一気に部屋の空気が硬質なものへと変わっていくのが、手に取るように分かる。予想通りの反応だ。諸手をあげて賛同を得られるなど、元より考えてもいない。古参の幹部連中が総帥職を継いだばかりの自分を軽んじているのも、今の状態を居心地良く感じているのも知っている。
だが、組織には改革が必要なのだ。
「独立について反対意見があるなら言ってみろ。他に責任者に適任と思う人間がいれば推薦しろ。異議がないようなら、この案のまま、次回の幹部会で決定する」
今日の会議はこれで終わりだ、と言い置いて席を立つ。帰って、部門独立に必要な準備をしなくてはならない。反対派がどれだけごねようとも、両部門の独立は既に決定している。後は外堀をどう埋めるかだ。
補佐役に就任したばかりの従兄弟を促して、廊下へ出た。振り返りもせず足早に歩く後ろから、駆けてくる足音が二人分。何ごとかと思ってみれば、ティラミスに連れられたウィローの姿があった。いつもの魔法使いのような黒マントではなく、幹部会にふさわしい、ブレザーにきちんとタイを締めた正装だったが、頭にかぶった帽子は相変わらずだ。
「シンタロー総帥!」
叫ぶ声はひっくり返っている。明らかに運動不足だ。技術系の職員にも適度な運動を義務づける必要があるだろう、と隣で従兄弟が呟くのは、聞かなかったことにした。
「あんだよ、うるせぇな」
役職名に名前を付けた呼び方をされて、むっとする。どこぞの古狸どものようなマネをしてくれるな。にらみつけた視線に気づかないのか気にする余裕もないのか、ウィローは早口でまくし立てた。いつものしつこいくらいの名古屋弁に加速が付いて、もはやネイティヴスピーカーでもなければ聞き取れないレベルに達していた。
面倒だが、もう一度はじめから聞く以外に理解する方法はないだろう。それなりに方言を理解できるはずの従兄弟も、困惑顔だ。
「ああ、分かったよ。――分かったから、もういっぺん言ってみろ」
俺に分かる言葉で、と猫の鳴き声を思わせる言葉の波が収まるのを待って告げれば、ウィローは見事な緑色の髪を振り乱してがっくりと肩を落とした。
「総帥…フツーここまで喋らせてその反応はあれせんぎゃあ…」
「オメーが最初ッからまともに喋ってりゃ聞き返しもしねぇよ」
恨みがましく睨め付ける視線はしっかり無視した。いちいち気にしていては精神衛生上よろしくない。
「聞きてゃあのは製薬部門の件だぎゃあ。勝手にワシを責任者にせんとってちょー」
少しばかり譲歩した口調で呟くのを聞いて、思い出した。ウィローにこのことを全く話していなかったことを。それをそのまま口に出せば、父親の側近と従兄弟は頭を抱え、部下はぽかんと口を開けた。
「このたーけッ! おみゃー、なに考えとるんきゃあ?」
「……シンタロー様、そういうことは発表より先に本人に打診するものです」
片方には怒鳴られ、もう片方には心底呆れた顔で嘆かれ、言葉に詰まった。何も考えていなかった、などと口にすれば、今度は何を言われるのか。
「とにかく、ワシはそんな大層なもん任される気もにゃーで、誰か他を当たってちょ」
若い魔法使いは、面倒な肩書きをつけられるのは真っ平だと膨れたが、はいそうですかと簡単に引き下がるわけにはいかない。
製薬部門が独立して本格的に薬品の開発と精製に取り組むようになれば、この部門だけで団の年間経費の2割以上をまかなうことができる、という試算が出ている。新薬でも開発すれば、その利益率は飛躍的にのびるだろう。そうなったとき、製薬部門の責任者は大きな発言力を持つことになる。その人間が外部と通じていたり、上層部にたてついたりされては厄介だ。
どうしても責任者は信頼できる手駒の中から出す必要があったし、薬学の知識があって信用できる人間、という条件を満たす人間は、ウィローしかいなかった。
「さっきも言ったろ。お前じゃダメだって言うなら理由を示してみろよ。他に推したい人間がいるって言うなら話を聞いてやってもいいぜ」
そうでなければ、自動的にこの役職はお前のものになる、と言ってやれば、名古屋弁の魔法使いはうえぇ、とあからさまな不満の声をあげた。
奇特な人間だな、と隣で従兄弟が呟くのを、もっともだと思う。少しでも良い役職を手に入れようと、権力のある人間にごまをすりおべっかを使い追従する連中の中にあって、与えられようとしている役職を固辞しようとする人間は希少だ。しかしそういう人間に限って、その役職を与えられるにふさわしい能力を持ち得た人間だと言うことを、その本人が認識しておらず、それがますます苛立ちを募らせる。
せっかく役職をやるというのだ、ありがたくもらっておけばいいものを。
「ま、いーや。とりあえず第一候補者はお前ってことで進めるから」
そういうことでよろしく、と伝えると、ふざけないで話を聞けと怒鳴られた。きっと総帥にたてついて処分を受ける可能性なんて考えてもいないのだろう、頬を真っ赤に染めた名古屋人が荒く息をつくのに、ふざける気があるんだったら人事なんか全部あの古狸どもに任せてる、と返すと、やっと言っていることを理解できたのか、驚愕の表情を顔に貼り付けたまま固まった。
その混乱に乗じて、従兄弟に目配せして場を立ち去ることにする。去り際にも、馴染みの深い秘書官が一言も発さないのを不審に思ってのぞき込むと、彼もやはり、隣に並ぶ魔法使いと同様の表情で固まっていたのだった。
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