小さく音を立てて扉が閉まれば、部屋はまた元の暗さを取り戻す。
そのまま電気も点けずに革靴を脱いで、奥の部屋へと手探りで転がるように駆け込んだ。
アラシヤマに宛がわれた部屋は二間にキッチン、バストイレ付きで、それは団員の中でも優遇された環境だ。
その二つの部屋の奥の方、寝室として使っている六畳ほどの部屋のガンマ団開発のOSの入ったパソコンは、電源を入れればすぐに起動が完了する。ぼんやりとデスクトップ・ウィンドウに照らされて、壁一面に元の壁紙が見えないほどの数の写真が浮かんだ。
「…只今無事に帰りましたえ、シンタローはん」
一枚一枚に写る、それぞれの〝シンタロー〟にゆっくりと視線を向けて、嬉しそうに呟く。
マウスでカーソルを動かして目的のフォルダを開き、ダブルクリックすると、一秒程間を置いて音声が流れる。
「……アラシヤマ」
かちり、とまた別のファイルをいくつも開く。
「アラシヤマ」
「…アラシ、ヤマ…」
鼓膜を震わす愛しい声に熱い吐息を漏らして、それと同時に床の上に崩れ落ちる。
パソコンからは同じテンポで同じ声が、延々とアラシヤマを呼んでいた。
「アラシヤマ」
「シンタローはん」
「アラシヤマ」
「シンタローはん」
「アラシヤマ」
「シンタローはん…」
「アラシヤマ」
「アラシヤマ」
「アラシヤマ」
それに答えるようにぼんやりと声を返しながら、改めて部屋中を見渡す。
殆どの写真は横顔で、時折上からだったり下からだったり、怒っていたり笑っていたり、どれも目線はこちらに向いていない。
「……そろそろ、写真も張替え時どすなァ」
ふらふらと疲れきった体でまた立ち上がり、大きなアルバムを棚からいくつか取り出す。
青白い光に照らされたアラシヤマの顔はずっと穏やかに微笑んだままで、スピーカーから零れ続けるBGMを聞きながら、これはちと遠すぎるだとか、この目線が艶やかやだとか、独り言を呟きながら写真を選ぶ。
選り分けた写真の山の中に、一枚だけ真直ぐ視線を投げかけ、微笑むシンタローの姿があった。誰かと一緒に写っていた写真を失敬したもので、それを壊れ物でも扱うように優しく手に取る。
自分の名を呼ぶ声に優しくもう一度答えて、その笑顔をじっと見詰めた。
「…こないな、インクの配列やのうて」
座り込んだまま、何度も何度も繰り返し再生される声を眺めるように、光源へと視線を向ける。
「電子音でものうて」
ゆっくりと、もう一度部屋中に広がる〝シンタロー〟を見回す。
「生身の、シンタローはんが」
一本の細く黒い煙が、天井へと昇る。それが視界の隅に映り、アラシヤマは手元の写真に火が点き始めていたことにようやく気がついた。
「……あかん。気ィついたら部屋全焼なんて洒落にならんわ」
橙や黄や赤が、隅から侵食を始め、少しずつシンタローに近付いていく。
「わてはシンタローはんの一番使えるシンタローはんに一番近いシンタローはんに一番大事にされとる部下なんや…問題起こす訳にはいかへん」
ぱらぱらと墨と化した、シンタローの隣に写っていた人物の肩が床へ落ちていく。
「…シンタローはんに触れたい」
炎に嬲られるシンタローの笑顔にそっと口付けて、その唇の纏う火によって写真は燃え尽き崩れてしまった。
「アラシヤマ」
「アラシヤマ」
「アラシヤマ」
シンタローの、アラシヤマを呼ぶ──二ヶ月程前に、無理難題を押し付けようとしたときの──甘い声が、仄暗い空間に充満する。
アラシヤマは、一番求めているものの形を暗闇に投影して、その輪郭線を指先でなぞりながら、もう一度その声に答えた。
「シンタローはん」
(05/04/17)
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