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「どうだ?」
この上なく真剣にシンタローは問い掛けた。
久々のオフ。
そろそろ冬も近いが、南向きに窓のあるリビングは、いっぱいに日が差し込んでいて暖かだ。
テーブルを挟んで対面にいるのは従兄弟のキンタローだった。こちらも丁度良く、仕事はオフだ。
それぞれの前にはコーヒーカップが置かれ、温かい湯気と共に深い香りを立ち上らせている。
そして、それらの間、ちょうどテーブルの中央に、彼が判定を問い掛けたものが並んでいた。
就任したばかりの総帥業の合間を縫って、彼が日夜研究を重ね努力を重ねた結果であり、本人なりにこれこそはと思う出来ではあったのだが、眉間に皺を寄せた従兄弟の反応は今ひとつ芳しくなかった。
返ってきた答えはシンプルに一言。
「甘い。」
シンタローは、目の前の生のフルーツをふんだんに使ったタルトを睨み付けた。
「お前、それしか言わねーじゃねーか。じゃぁ、こっちならどーだ?」
一口しか手を付けられていないタルトを脇に寄せ、代わりに別の皿から切り取ったシフォンケーキ一切れを相手の目の前に押しやる。
「……………」
「…ダメか」
表情は変わらなかったが、一口飲み下したものの、後が続かない。
がっくりと頭を落としたシンタローに、キンタローはいささか申し訳なさそうな顔でブラックのコーヒーを飲み下した。
「何で最近、こんなに甘いものばっかりなんだ?」
目の前の皿を浮かない顔で見遣りながら、キンタローがため息を漏らした。
甘いモノが苦手な彼は、ここ連日の試食会にかなり参り気味だ。
シンタローは、ばつが悪そうな拗ねたような、曖昧な表情を浮かべた。
「…練習中なんだよ。コタローが目ぇ覚ましたら、おやつも作ってやりたいから」
成る程、分かりやすい。
だが、お菓子ずくめの理由は納得したが、根本問題として人選がおかしいと、キンタローは思う。
「おやつの試食は俺よりグンマにさせた方が適任だ」
「グンマにも意見は聞いてるよ。アイツお子さま味覚だから、丁度良いしナ」
返ってきたシンタローの答えに、キンタローは怪訝な顔で首を捻った。
「それだったら俺の意見は必要ないんじゃないのか?」
「ダメだ」
少しの期待を込めた正直な感想は、ものの見事に一蹴された。
その思いがけなく強い調子にキンタローは困惑する。
「だが、俺ではあまり参考にはならないだろう」
「そーじゃなくて、お前も食えないとダメなんだよ」
焦れたようにシンタローが言った。
「メシの時とかおやつの時とかさ…、なるべく家族みんなで集まりたいだろ。一緒にいるのにひとりだけ食わねえってのも嫌だし、だからって無理してまで食えとは言えねーし…」
ぶつぶつと半分独り言のように続けていたシンタローの言葉が、そこで止まった。
表情に乏しい従兄弟が、珍しいほどくっきりと顔を顰めていたからだ。
「………あんだよ、イヤなのかよ」
怯んだように、シンタローが問い掛ける。
「そうじゃない」
きっぱりした否定に少しだけほっとしながら、
「じゃぁ何だ」
首を傾げたシンタローに、キンタローが真面目な顔を向けた。
「それは俺も数に入っているのか?」
「…はぁ?」
言われたことの意味が分からず、シンタローはぽかんとした顔で聞き返した。
「とりあえず、俺は居ない方が良いんじゃないかと思うんだが」
「…ああ!?何言ってんの、お前」
突然ワケのわからないことを言い出した従兄弟に、シンタローが苛立ったような声を上げた。
それをどう思ったのか、当のキンタローは至極真剣な顔で勝手に喋り始めた。
「ああ、いや、お前の言ってることに反対しているワケじゃない。コタローのために家族団欒を心掛けるのは、俺も賛成だ。しかし、マジック叔父貴は父親だしお前やグンマは兄だから確かにコタローにとっては家族だが、俺はただの親戚だろう。そうすると俺までいては、せっかくの家族水入らずの邪魔を…
………シンタロー?」
「ンの…」
掠れた声が地を這った。
常にない無表情を湛えた従兄弟の顔を、キンタローが不思議そうに覗き込む。
次の瞬間、辺りを揺るがす大音声が響き渡った。
「頭ァ冷やして出直して来いッ!!!このバカヤロウがッ!!!」
きっちりと二度、どこか控えめに響いたノックの音に、どうぞとグンマは声を掛けた。
一拍遅れて睨んでいたパソコンの画面から目を離す。
振り返ると、部屋の入り口で所在なげに立ち尽くす、短い金髪の新しい従兄弟が視界に入った。
普段は来訪に先だって内線で連絡を寄越す律儀な彼の、珍しくも唐突な訪問にグンマはのんびり首を傾げた。
「どうしたの、キンちゃん?」
「…シンタローが怒った」
キンタローがぼそりと言う。
きょとんとグンマはキンタローの顔を見詰めた。
最初に端的に結論だけを言うのは彼の癖のようなものだ。
論文と同じで、まず結論を述べた後から、相手に必要なだけ説明が足されていく。
グンマはそうした彼の話し方に慣れているから、大抵の場合そう多くの説明は要らないのだが、それでも流石にこれだけでは言葉が足りなかった。
考えるように首を捻って、それから思い出したように従兄弟を手招く。…そう言えば彼は入り口近くに立ったままだったので。
素直に近くに寄ってきた従兄弟の顔は、一見いつもと変わらぬ無愛想な無表情だったが、微かに顰めた眉に困惑が見て取れた。
常には眼光鋭い眼差しも、どこかぼんやりとして精彩がない。
続く説明を促す視線に、キンタローはますます困ったように眉を寄せた。
「頭を冷やせと言われたんだが」
それには思い当たるものがあって、苦笑混じりにグンマは笑った。
「ああ、うん。ここまで声が聞こえたよ。あれじゃ沸騰してるのはシンちゃんだよねぇ。で?どーしたの」
おっとりした従兄弟のいつもと変わらぬ調子に促されて、キンタローも幾らか落ち着きを取り戻したようだった。
事ここに至るまでの過程を順を追って詳細かつ正確に話し出す。
そうして、あらかたの事情を聞き終えた頃には、グンマが頭を抱えていた。
「キンちゃーん…それはシンちゃんも怒るよぉ」
深い溜息混じりに言われて、キンタローが心外そうに眉を寄せた。
納得のいかない瞳があからさまに何故と問い掛けている。
グンマは説明に困ったように宙を見遣った。
うーんと、しばらく唸り、
「よーするに、キンちゃんは家族の範囲に自分は含まれないと思うんだね?」
全く違うことを問い掛ける。
キンタローは首を傾げつつも頷いた。
グンマとの会話の中では、こうやって話の途中で全然違う話題に飛躍するということがよくある。それは彼が周囲に天然お馬鹿さん扱いされる所以でもあるのだが、けれど、どれだけ脈絡がなさそうな話題に飛んでも、それはちゃんと最初の話題に繋がってくるのだ。途中で遮らなければ、彼はちゃんと元の場所まで繋がるように、きっちりと説明してくれる。
なので、とりあえず彼は素直に肯定した。
「うんうん、学者たるもの何を論じるにも、定義は最初にハッキリさせとかないとね~。てわけで…」
いやに最もらしいことを言って、おもむろにグンマは手を伸ばし、棚にある分厚い背拍子を掴んだ。
引っ張り出したのは何の変哲もない国語辞典である。
「えーと…」
「か」行で当たりをつけて引いたページを、行き過ぎた何枚か捲って項目を戻る。
ぱらぱらと紙が捲れる軽い音が響いた。
「か~か~~…あー、あったあった♪」
にっこりと笑って、相手側から見やすいように辞書をくるりとひっくり返し、グンマは開いたページの中の一行を指で示した。
「はい、ココ。家族とは~」
突きつけられた細かい字の並ぶページに、キンタローは目を落とした。
該当する項目には、端的にこう書かれていた。
『 夫婦とその血縁関係者を中心に構成され、共同生活の単位となる集団 』
「キンちゃんはうちの一族の血縁関係者だし、僕らと一緒に生活もしてるよね~。ほら、ばっちり範囲内v」
ね?と首を傾げて、グンマがにこにこと笑う。
その顔と辞典を見比べ、キンタローは冷静に疑問を口にした。
「だが、グンマ。家族という括りは、一般的に親兄弟ほどまでをさすのではないのか」
ついと指を伸ばし、更に続きの文章を指し示す。
『 近代家族では、夫婦とその未婚の子からなる核家族が一般的形態 』
「……」
「……」
「……キンちゃん」
「何だ」
勢いよく辞書を閉じ、それをゴミ箱に投げ捨てて、グンマはキンタローの顔面にびしっと人差し指を突きつけた。
「いくら一般的な定義がそうでも、世間は世間、ウチはウチだよ!」
いきなりひっくり返った主張に、キンタローが呆気にとられたようにその指を眺める。
「…………グン」
「それとも…」
展開に付いていけないキンタローを構うことなく、グンマは急に哀しげな顔になった。
「キンちゃんは僕らと一括りにされるのは、嫌?」
「……………」
捨てられた子犬のように項垂れてしまった従兄弟を見詰めて、彼は途方に暮れたように瞬いた。
「シンタロー」
先程追い出された居間に戻ってくると、意外にも彼は未だそこにいた。
テーブルを離れて窓際、外を向いて、こちらに背を向けている。
声は聞こえたはずだし、足音も消していない。
自分が居ることは分かっているはずだが、反応はなかった。
しかたなくキンタローは再度彼の名を呼んだ。
「シンタロー…?」
「…俺はコタローの兄だ」
ちらとも振り返らないまま、唐突にシンタローが口を開いた。
はっきりとした強い声音は、けれど感情を抑えているように低く平坦だ。
「遺憾だがクソ親父の息子だ。血が繋がってなくたって関係ねぇ。…そう思ってる」
「そうだな」
キンタローから見ても疑いもない事実に、彼は何気なく相槌を打った。
それに対しても取り立てて反応はなかったが、背を向けて立つ従兄弟の握り混んだ拳に力が籠もったのがわかった。
拙いことを、言っただろうか。
内心でひやりとしたけれど、頑なに振り向かない背中が拒絶されているようで、これ以上彼に近づくことも出来ない。
「サービス叔父さんや…一応、馬鹿ハーレムの…甥で。グンマやお前の従兄弟で。血が繋がってなくたって、俺は青の一族で…、俺は…」
低い低い、押し潰した声が響く。
深く俯く顔に長い黒髪が落ち掛かり、シンタローは視界を覆うその色を見詰めた。
自分の家族はコタローだけだと、グンマに向かってそう憎まれ口を叩いたこともある。
まだ血の繋がりがあると信じていた頃。
でも、本当は
「俺は…その全員、家族だと思ってる」
呟いて、強く堅く拳を握り締める。
振り返れば、紛れもなく一族特有の鮮やかな色を持つ従兄弟の姿。
その驚いたような、どこか呆然とした顔が胸を刺す。
自分にとっては自明のことでも彼にとってはそうではなかったのだと、今更、思い知らされて。
「思ってんのは、…俺だけかよ…っ」
苦しげに悔しげに、振り絞るように声を吐き出す。
遣り場のないやり切れない感情に耐えかねたように、顔を背けた。
その横顔を、キンタローは目を見張ったまま、ひたすらに見詰めていた。
「シンタロー…」
――キンちゃんは僕らが家族じゃ嫌?
グンマの問い掛けに、キンタローは困惑しながらも否と返した。
「嫌、とかじゃない。ただ何といえばいいのか」
続く言葉が見つからず口を噤みかけ、それではいけないと思い直す。
それでは、彼を怒らせた時と何も変わらない。
自分の中にあって上手く表現出来ないこの思いを、きちんと伝えなければならないのだ。
もどかしさに苛立ちながらも、何とか言葉にしようとする努力を、彼は始めた。
「…俺は24年間、マジック伯父貴を父だと思っていた。シンタローがそう思っていたと同じように、俺もそう思っていた。だけど、あの島で俺の本当の父がルーザーだとわかって、マジックは伯父になった」
「うん」
「コタローは、弟から従弟になった。関係そのものが変わったんだ」
「うん、それから?」
覚束ない言葉を、それでも相槌を打ちながら静かに聞いているグンマに、安堵したようにキンタローは言葉を続けた。
「関係が違うということは、繋がり方も違うということだろう」
「…キンちゃん?」
そこで初めて、グンマが訝しげな声を上げた。
キンタローが生真面目に首を傾げる。
「どう違うのか、俺には正直よくわからないが、それでも従兄弟より兄弟の方が繋がりが、何というか…近いのだろう?なるべく俺より、お前やシンタローと一緒にいる方がコタローにとって望ましいんじゃないかと思ったんだが」
「――……そういうの、気にすることなんかないよ」
キンタローの説明を聞き終えたグンマが、眉を顰めて怒っているような顔になった。
或いは哀しいようにも嬉しいようにも見える複雑な表情で、彼にしては珍しいほど強く言い募る。
「どう違うのかわからないって言ったよね。違いなんかないよ。だって従兄弟でも兄弟でもキンちゃんはキンちゃんじゃない。キンちゃん、コタローちゃんのために真剣に考えてくれたんでしょ。そのことはね、それで充分だよ。でも…」
グンマは深い溜息をついた。
「どう言ったら良いのかなぁ、…従兄弟だってやっぱり家族なんだよ。少なくとも僕らにとっては」
一向に納得していない不満げな表情のキンタローに、グンマは苦笑した。
卑下でもなく自虐でもなく、知識としてそう思い込んでいる彼だから、幾ら頑迷に否定しようとも、そこには負い目や影のような暗いものはない。
…だからこそ少し融通の利かないだけの行き違いは微笑ましくもあり、同時に厄介でもあるのだけれど。
「ねぇ、キンちゃん、シンちゃんはもう誰とも血が繋がってないんだよ」
「それは…」
「それだけでもう、『一般的』な『家族』の定義からは外れてる。…でもシンちゃんは僕らの家族だよ。お父様の息子で、コタローちゃんのお兄ちゃんで、僕らの従兄弟だ。そうでしょ?」
おおよその返ってくるだろう答えを先回りをして、確認するように訊ねる。
「…そう、だが」
会話の意図が掴めずに不思議そうに頷いたキンタローに、グンマは切り込んだ。
「それって何でか、わかる?」
「何故って…、……」
答えようと口を開きかけて、キンタローの動きが止まってしまう。
得たりとグンマは笑った。
「今、返答に困ったでしょ、すごく当たり前のこと聞かれたから。…だからだよ」
「グンマ?」
よくわからないと言いたげに、キンタローが戸惑った声を上げた。
幼子に教え諭すようにグンマは根気よく言葉を重ねた。
「――僕らもシンちゃんも、お互いにお互いが『家族』だって、当たり前にそう思ってるからだよ。理屈なんか要らないくらい」
理解出来ているのかいないのか、それでもキンタローは一言も聴き洩らさんとして食い入るように耳を傾けている。
「それと同じくらい、僕らはキンちゃんのことも、当たり前に『家族』だって思ってる。同じ家族なんだから、近いとか遠いとか、そんなの関係ないよ。コタローちゃんのことも、キンちゃんが遠慮することなんかないんだ。みんなで取り合いになるくらい、めいっぱい愛してあげれば良いんだから」
「…だが、さっきの辞典では…」
口籠もる彼は、もはや完全に混乱してしまっている様子で、グンマも少し気の毒になる。
一族で散々ごたごたした挙げ句の、やっと落ち着いたそれぞれの立場に対して、キンタローは非常にナーバスだ。
なかなか定まらなかった自分の存在の不安定さもあるのだろう。やっと安定したバランスを崩さないよう、己が得た場所以上の分を越えないように、ともすると自分たちにすら遠慮がちになる。
コタローのことも、シンタローやグンマを差し置いてはいけないという脅迫観念にかられてしまったのだろう。
「…しょーがないなぁ、もう」
辞典のように科学のように定義によって割り切れるものばかりではないのだと。
キンタローも頭ではわかっているが、それをどこで見分けてどう判断すれば良いのか、そこまでの基盤が出来ていない。
まだ多くのことを一般的な常識に照らし合わせて学んでいる真っ最中の彼に、いきなりそれを越えたところのものを理解せよと言っても酷だろう。
どうしたものかと考えて、グンマはふと名案を思いついたように、にっこりと笑った。
「じゃぁねぇ、キンちゃん。どうしてもそこが引っ掛かるならね、――こう考えてみれば良いんだよ」
「シンタロー、お前にとって俺は『家族』か?」
唐突にキンタローが問い掛けを口にした。
まるで確認するようなそれを聞いた途端に、シンタローの眦が屹と吊り上がった。
「テメェは…!」
一気に激昂しかかったシンタローを宥めるように、キンタローは素早く掌を翳した。
また叩き出されては敵わない。
「怒るな。…何故、さっき怒ったのかは何となくわかった」
真っ直ぐ相手の瞳を見詰め、心からの謝罪を口にする。
「悪かった」
きっぱりとした誠実な態度に、謝られたシンタローの方がたじろいだ。
それまでの怒りも忘れるほど慌てて、居心地悪そうに視線を逸らす。
「だったら、いちいち当たり前のこと、訊いてんじゃねぇよ!」
ぶっきらぼうなそれがさっきの問の答えだと気付いて、キンタローは口端を緩めた。
「当たり前か。グンマもそう言っていた」
茶化すなど思いも寄らない生真面目な従兄弟の受け答えに、シンタローが仕方なさそうにため息をついた。
いちいち怒るのも照れるのも、馬鹿らしくなったらしい。
ふて腐れたように問い掛ける。
「お前自身はどうなんだよ?」
「そういう捉え方で良いなら、俺もお前と同意見だ」
その答えでは今ひとつ不満だったらしく、シンタローが試すように片眉を上げた。
「つまり?」
重ねて訊かれて、キンタローは頭の中で今の曖昧な答えを明確に言語化した形に作り直す。
「――お前は俺の『家族』だ。コタローも『家族』だ。伯父貴達もグンマも、お前の『家族』で、同時に俺の『家族』だ」
あっさりと当初の馬鹿な意見を翻した従兄弟の顔を、シンタローは不審げに睨み付けた。
本やテレビを鵜呑みにするほど、変に素直なところのある従兄弟は、しかし一度こうと思い込んだらとにかく頑固なのだ。
「本当にそう思ってんだろうな」
「ああ」
しつこいほどの確認にも気負いなく頷く彼の、常に強い意志を湛える青い瞳を、シンタローが覗き込む。
そこに今も少しも揺るがない本気の色を認めて、偽りを赦さない黒い瞳がやっと和らいだ。
「…なら、みんなで集まってメシ食ってお茶したって、何もおかしくねーよな?」
納得したように目を細め、ようやく笑顔になったかと思えば、一転して彼は悪戯っぽく問うた。
「ああ、おかしくない」
「俺が作るメシやおやつにも文句はねぇだろーな」
「勿論だ」
キンタローが間髪入れずに答える。
…本当のところ、あんまり甘ったるいお菓子は勘弁して欲しいのだけれど。
そんな心の声を見抜いたように、彼は盛大に笑った。
「ちゃんとお前が食えそうなもんも作ってやるよ。俺もどうせならそんなに甘ったるくない方が良いしナ。けど、グンマとコタローは甘いモンの方が良いだろうし」
親父は…まぁどっちでもイイや、と付け加えて、あれはどうだろう、これならどうだ、と生き生きと考え始めるシンタローの姿を、キンタローは見詰めた。
どうやら完全に機嫌は治ったらしい。
嬉しそうに楽しそうに笑っている従兄弟の笑顔は好きだ。
こっちまで嬉しくなってくるし、何というかほっとする。
詰めていた息を大きく吐いて肩の力を抜いて、キンタローは初めて緊張していたらしい自分を自覚して驚いた。
些細なことで従兄弟が怒るのなんてしょっちゅうなのに、いまさら何をそんなに恐れることがあるのだろう。
彼が怒るのは別に怖くはない。
そう、ただ怒るのなら、怖くはないのだ。
従兄弟がよく怒るのは、彼がそれだけ真っ直ぐで真剣だからだ。怒り方まで真っ直ぐで、いっそ小気味が良いとすら思う。
けれど今回は、いつもと少し違った。
彼の言葉、態度、表情を思い返す。
怒らせもしたが、それだけではなかった。
傷付けたと思う。それも他ならぬ自分が。
どうしてだか、それが言い難いほど苦痛だったのだ。
傷ついた彼を見た瞬間、自分も確かに痛いと感じた。
不思議だと思う。
確かに彼と共にあった頃は、彼の感じる痛みはそのまま自分の痛みだった。
けれど今はもう別々の人間になって、何一つ感覚を共有してはいないというのに。
彼が痛んでいると思うと、痛いと思う。
あの頃とは全く違う、もっとずっと耐え難い痛みだった。
何故、と問い掛ける心にふと先程の応えが甦る。
答えを求める部分に、それはすっぽりと収まった。
「…ああ、そうか」
それは多分
「『家族』だから、…か」
彼が『家族』だから。
彼が笑っていると嬉しいのも
彼が傷つくと痛いのも
それならば
「――悪くは、ないな」
――こう置き換えてご覧よ。
『家族』って言うのはね、『大切な人』ってコト。
後書き。
喧嘩とも言えない、一方的ブチ切れ…。
何だろう、今回も題名に偽りアリ。
毎度、微妙に則してなくてスンマセン。
でも他に思い浮かばなかったんス…。
なんつーか普通に仲良い家族ネタです(またか)。
そして仲良し従兄弟ネタ。
更に、がっちり良いトコ取りグンちゃん(趣味)。
時間軸で言えば間違いなく南国後初期の頃。
家族以上になるのはまだ先の話ってことで。
4年間の時間軸の場所によって、彼らの関係も変わりますので。
…年表こさえた方がいいんだろうか…。
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「どうだ?」
この上なく真剣にシンタローは問い掛けた。
久々のオフ。
そろそろ冬も近いが、南向きに窓のあるリビングは、いっぱいに日が差し込んでいて暖かだ。
テーブルを挟んで対面にいるのは従兄弟のキンタローだった。こちらも丁度良く、仕事はオフだ。
それぞれの前にはコーヒーカップが置かれ、温かい湯気と共に深い香りを立ち上らせている。
そして、それらの間、ちょうどテーブルの中央に、彼が判定を問い掛けたものが並んでいた。
就任したばかりの総帥業の合間を縫って、彼が日夜研究を重ね努力を重ねた結果であり、本人なりにこれこそはと思う出来ではあったのだが、眉間に皺を寄せた従兄弟の反応は今ひとつ芳しくなかった。
返ってきた答えはシンプルに一言。
「甘い。」
シンタローは、目の前の生のフルーツをふんだんに使ったタルトを睨み付けた。
「お前、それしか言わねーじゃねーか。じゃぁ、こっちならどーだ?」
一口しか手を付けられていないタルトを脇に寄せ、代わりに別の皿から切り取ったシフォンケーキ一切れを相手の目の前に押しやる。
「……………」
「…ダメか」
表情は変わらなかったが、一口飲み下したものの、後が続かない。
がっくりと頭を落としたシンタローに、キンタローはいささか申し訳なさそうな顔でブラックのコーヒーを飲み下した。
「何で最近、こんなに甘いものばっかりなんだ?」
目の前の皿を浮かない顔で見遣りながら、キンタローがため息を漏らした。
甘いモノが苦手な彼は、ここ連日の試食会にかなり参り気味だ。
シンタローは、ばつが悪そうな拗ねたような、曖昧な表情を浮かべた。
「…練習中なんだよ。コタローが目ぇ覚ましたら、おやつも作ってやりたいから」
成る程、分かりやすい。
だが、お菓子ずくめの理由は納得したが、根本問題として人選がおかしいと、キンタローは思う。
「おやつの試食は俺よりグンマにさせた方が適任だ」
「グンマにも意見は聞いてるよ。アイツお子さま味覚だから、丁度良いしナ」
返ってきたシンタローの答えに、キンタローは怪訝な顔で首を捻った。
「それだったら俺の意見は必要ないんじゃないのか?」
「ダメだ」
少しの期待を込めた正直な感想は、ものの見事に一蹴された。
その思いがけなく強い調子にキンタローは困惑する。
「だが、俺ではあまり参考にはならないだろう」
「そーじゃなくて、お前も食えないとダメなんだよ」
焦れたようにシンタローが言った。
「メシの時とかおやつの時とかさ…、なるべく家族みんなで集まりたいだろ。一緒にいるのにひとりだけ食わねえってのも嫌だし、だからって無理してまで食えとは言えねーし…」
ぶつぶつと半分独り言のように続けていたシンタローの言葉が、そこで止まった。
表情に乏しい従兄弟が、珍しいほどくっきりと顔を顰めていたからだ。
「………あんだよ、イヤなのかよ」
怯んだように、シンタローが問い掛ける。
「そうじゃない」
きっぱりした否定に少しだけほっとしながら、
「じゃぁ何だ」
首を傾げたシンタローに、キンタローが真面目な顔を向けた。
「それは俺も数に入っているのか?」
「…はぁ?」
言われたことの意味が分からず、シンタローはぽかんとした顔で聞き返した。
「とりあえず、俺は居ない方が良いんじゃないかと思うんだが」
「…ああ!?何言ってんの、お前」
突然ワケのわからないことを言い出した従兄弟に、シンタローが苛立ったような声を上げた。
それをどう思ったのか、当のキンタローは至極真剣な顔で勝手に喋り始めた。
「ああ、いや、お前の言ってることに反対しているワケじゃない。コタローのために家族団欒を心掛けるのは、俺も賛成だ。しかし、マジック叔父貴は父親だしお前やグンマは兄だから確かにコタローにとっては家族だが、俺はただの親戚だろう。そうすると俺までいては、せっかくの家族水入らずの邪魔を…
………シンタロー?」
「ンの…」
掠れた声が地を這った。
常にない無表情を湛えた従兄弟の顔を、キンタローが不思議そうに覗き込む。
次の瞬間、辺りを揺るがす大音声が響き渡った。
「頭ァ冷やして出直して来いッ!!!このバカヤロウがッ!!!」
きっちりと二度、どこか控えめに響いたノックの音に、どうぞとグンマは声を掛けた。
一拍遅れて睨んでいたパソコンの画面から目を離す。
振り返ると、部屋の入り口で所在なげに立ち尽くす、短い金髪の新しい従兄弟が視界に入った。
普段は来訪に先だって内線で連絡を寄越す律儀な彼の、珍しくも唐突な訪問にグンマはのんびり首を傾げた。
「どうしたの、キンちゃん?」
「…シンタローが怒った」
キンタローがぼそりと言う。
きょとんとグンマはキンタローの顔を見詰めた。
最初に端的に結論だけを言うのは彼の癖のようなものだ。
論文と同じで、まず結論を述べた後から、相手に必要なだけ説明が足されていく。
グンマはそうした彼の話し方に慣れているから、大抵の場合そう多くの説明は要らないのだが、それでも流石にこれだけでは言葉が足りなかった。
考えるように首を捻って、それから思い出したように従兄弟を手招く。…そう言えば彼は入り口近くに立ったままだったので。
素直に近くに寄ってきた従兄弟の顔は、一見いつもと変わらぬ無愛想な無表情だったが、微かに顰めた眉に困惑が見て取れた。
常には眼光鋭い眼差しも、どこかぼんやりとして精彩がない。
続く説明を促す視線に、キンタローはますます困ったように眉を寄せた。
「頭を冷やせと言われたんだが」
それには思い当たるものがあって、苦笑混じりにグンマは笑った。
「ああ、うん。ここまで声が聞こえたよ。あれじゃ沸騰してるのはシンちゃんだよねぇ。で?どーしたの」
おっとりした従兄弟のいつもと変わらぬ調子に促されて、キンタローも幾らか落ち着きを取り戻したようだった。
事ここに至るまでの過程を順を追って詳細かつ正確に話し出す。
そうして、あらかたの事情を聞き終えた頃には、グンマが頭を抱えていた。
「キンちゃーん…それはシンちゃんも怒るよぉ」
深い溜息混じりに言われて、キンタローが心外そうに眉を寄せた。
納得のいかない瞳があからさまに何故と問い掛けている。
グンマは説明に困ったように宙を見遣った。
うーんと、しばらく唸り、
「よーするに、キンちゃんは家族の範囲に自分は含まれないと思うんだね?」
全く違うことを問い掛ける。
キンタローは首を傾げつつも頷いた。
グンマとの会話の中では、こうやって話の途中で全然違う話題に飛躍するということがよくある。それは彼が周囲に天然お馬鹿さん扱いされる所以でもあるのだが、けれど、どれだけ脈絡がなさそうな話題に飛んでも、それはちゃんと最初の話題に繋がってくるのだ。途中で遮らなければ、彼はちゃんと元の場所まで繋がるように、きっちりと説明してくれる。
なので、とりあえず彼は素直に肯定した。
「うんうん、学者たるもの何を論じるにも、定義は最初にハッキリさせとかないとね~。てわけで…」
いやに最もらしいことを言って、おもむろにグンマは手を伸ばし、棚にある分厚い背拍子を掴んだ。
引っ張り出したのは何の変哲もない国語辞典である。
「えーと…」
「か」行で当たりをつけて引いたページを、行き過ぎた何枚か捲って項目を戻る。
ぱらぱらと紙が捲れる軽い音が響いた。
「か~か~~…あー、あったあった♪」
にっこりと笑って、相手側から見やすいように辞書をくるりとひっくり返し、グンマは開いたページの中の一行を指で示した。
「はい、ココ。家族とは~」
突きつけられた細かい字の並ぶページに、キンタローは目を落とした。
該当する項目には、端的にこう書かれていた。
『 夫婦とその血縁関係者を中心に構成され、共同生活の単位となる集団 』
「キンちゃんはうちの一族の血縁関係者だし、僕らと一緒に生活もしてるよね~。ほら、ばっちり範囲内v」
ね?と首を傾げて、グンマがにこにこと笑う。
その顔と辞典を見比べ、キンタローは冷静に疑問を口にした。
「だが、グンマ。家族という括りは、一般的に親兄弟ほどまでをさすのではないのか」
ついと指を伸ばし、更に続きの文章を指し示す。
『 近代家族では、夫婦とその未婚の子からなる核家族が一般的形態 』
「……」
「……」
「……キンちゃん」
「何だ」
勢いよく辞書を閉じ、それをゴミ箱に投げ捨てて、グンマはキンタローの顔面にびしっと人差し指を突きつけた。
「いくら一般的な定義がそうでも、世間は世間、ウチはウチだよ!」
いきなりひっくり返った主張に、キンタローが呆気にとられたようにその指を眺める。
「…………グン」
「それとも…」
展開に付いていけないキンタローを構うことなく、グンマは急に哀しげな顔になった。
「キンちゃんは僕らと一括りにされるのは、嫌?」
「……………」
捨てられた子犬のように項垂れてしまった従兄弟を見詰めて、彼は途方に暮れたように瞬いた。
「シンタロー」
先程追い出された居間に戻ってくると、意外にも彼は未だそこにいた。
テーブルを離れて窓際、外を向いて、こちらに背を向けている。
声は聞こえたはずだし、足音も消していない。
自分が居ることは分かっているはずだが、反応はなかった。
しかたなくキンタローは再度彼の名を呼んだ。
「シンタロー…?」
「…俺はコタローの兄だ」
ちらとも振り返らないまま、唐突にシンタローが口を開いた。
はっきりとした強い声音は、けれど感情を抑えているように低く平坦だ。
「遺憾だがクソ親父の息子だ。血が繋がってなくたって関係ねぇ。…そう思ってる」
「そうだな」
キンタローから見ても疑いもない事実に、彼は何気なく相槌を打った。
それに対しても取り立てて反応はなかったが、背を向けて立つ従兄弟の握り混んだ拳に力が籠もったのがわかった。
拙いことを、言っただろうか。
内心でひやりとしたけれど、頑なに振り向かない背中が拒絶されているようで、これ以上彼に近づくことも出来ない。
「サービス叔父さんや…一応、馬鹿ハーレムの…甥で。グンマやお前の従兄弟で。血が繋がってなくたって、俺は青の一族で…、俺は…」
低い低い、押し潰した声が響く。
深く俯く顔に長い黒髪が落ち掛かり、シンタローは視界を覆うその色を見詰めた。
自分の家族はコタローだけだと、グンマに向かってそう憎まれ口を叩いたこともある。
まだ血の繋がりがあると信じていた頃。
でも、本当は
「俺は…その全員、家族だと思ってる」
呟いて、強く堅く拳を握り締める。
振り返れば、紛れもなく一族特有の鮮やかな色を持つ従兄弟の姿。
その驚いたような、どこか呆然とした顔が胸を刺す。
自分にとっては自明のことでも彼にとってはそうではなかったのだと、今更、思い知らされて。
「思ってんのは、…俺だけかよ…っ」
苦しげに悔しげに、振り絞るように声を吐き出す。
遣り場のないやり切れない感情に耐えかねたように、顔を背けた。
その横顔を、キンタローは目を見張ったまま、ひたすらに見詰めていた。
「シンタロー…」
――キンちゃんは僕らが家族じゃ嫌?
グンマの問い掛けに、キンタローは困惑しながらも否と返した。
「嫌、とかじゃない。ただ何といえばいいのか」
続く言葉が見つからず口を噤みかけ、それではいけないと思い直す。
それでは、彼を怒らせた時と何も変わらない。
自分の中にあって上手く表現出来ないこの思いを、きちんと伝えなければならないのだ。
もどかしさに苛立ちながらも、何とか言葉にしようとする努力を、彼は始めた。
「…俺は24年間、マジック伯父貴を父だと思っていた。シンタローがそう思っていたと同じように、俺もそう思っていた。だけど、あの島で俺の本当の父がルーザーだとわかって、マジックは伯父になった」
「うん」
「コタローは、弟から従弟になった。関係そのものが変わったんだ」
「うん、それから?」
覚束ない言葉を、それでも相槌を打ちながら静かに聞いているグンマに、安堵したようにキンタローは言葉を続けた。
「関係が違うということは、繋がり方も違うということだろう」
「…キンちゃん?」
そこで初めて、グンマが訝しげな声を上げた。
キンタローが生真面目に首を傾げる。
「どう違うのか、俺には正直よくわからないが、それでも従兄弟より兄弟の方が繋がりが、何というか…近いのだろう?なるべく俺より、お前やシンタローと一緒にいる方がコタローにとって望ましいんじゃないかと思ったんだが」
「――……そういうの、気にすることなんかないよ」
キンタローの説明を聞き終えたグンマが、眉を顰めて怒っているような顔になった。
或いは哀しいようにも嬉しいようにも見える複雑な表情で、彼にしては珍しいほど強く言い募る。
「どう違うのかわからないって言ったよね。違いなんかないよ。だって従兄弟でも兄弟でもキンちゃんはキンちゃんじゃない。キンちゃん、コタローちゃんのために真剣に考えてくれたんでしょ。そのことはね、それで充分だよ。でも…」
グンマは深い溜息をついた。
「どう言ったら良いのかなぁ、…従兄弟だってやっぱり家族なんだよ。少なくとも僕らにとっては」
一向に納得していない不満げな表情のキンタローに、グンマは苦笑した。
卑下でもなく自虐でもなく、知識としてそう思い込んでいる彼だから、幾ら頑迷に否定しようとも、そこには負い目や影のような暗いものはない。
…だからこそ少し融通の利かないだけの行き違いは微笑ましくもあり、同時に厄介でもあるのだけれど。
「ねぇ、キンちゃん、シンちゃんはもう誰とも血が繋がってないんだよ」
「それは…」
「それだけでもう、『一般的』な『家族』の定義からは外れてる。…でもシンちゃんは僕らの家族だよ。お父様の息子で、コタローちゃんのお兄ちゃんで、僕らの従兄弟だ。そうでしょ?」
おおよその返ってくるだろう答えを先回りをして、確認するように訊ねる。
「…そう、だが」
会話の意図が掴めずに不思議そうに頷いたキンタローに、グンマは切り込んだ。
「それって何でか、わかる?」
「何故って…、……」
答えようと口を開きかけて、キンタローの動きが止まってしまう。
得たりとグンマは笑った。
「今、返答に困ったでしょ、すごく当たり前のこと聞かれたから。…だからだよ」
「グンマ?」
よくわからないと言いたげに、キンタローが戸惑った声を上げた。
幼子に教え諭すようにグンマは根気よく言葉を重ねた。
「――僕らもシンちゃんも、お互いにお互いが『家族』だって、当たり前にそう思ってるからだよ。理屈なんか要らないくらい」
理解出来ているのかいないのか、それでもキンタローは一言も聴き洩らさんとして食い入るように耳を傾けている。
「それと同じくらい、僕らはキンちゃんのことも、当たり前に『家族』だって思ってる。同じ家族なんだから、近いとか遠いとか、そんなの関係ないよ。コタローちゃんのことも、キンちゃんが遠慮することなんかないんだ。みんなで取り合いになるくらい、めいっぱい愛してあげれば良いんだから」
「…だが、さっきの辞典では…」
口籠もる彼は、もはや完全に混乱してしまっている様子で、グンマも少し気の毒になる。
一族で散々ごたごたした挙げ句の、やっと落ち着いたそれぞれの立場に対して、キンタローは非常にナーバスだ。
なかなか定まらなかった自分の存在の不安定さもあるのだろう。やっと安定したバランスを崩さないよう、己が得た場所以上の分を越えないように、ともすると自分たちにすら遠慮がちになる。
コタローのことも、シンタローやグンマを差し置いてはいけないという脅迫観念にかられてしまったのだろう。
「…しょーがないなぁ、もう」
辞典のように科学のように定義によって割り切れるものばかりではないのだと。
キンタローも頭ではわかっているが、それをどこで見分けてどう判断すれば良いのか、そこまでの基盤が出来ていない。
まだ多くのことを一般的な常識に照らし合わせて学んでいる真っ最中の彼に、いきなりそれを越えたところのものを理解せよと言っても酷だろう。
どうしたものかと考えて、グンマはふと名案を思いついたように、にっこりと笑った。
「じゃぁねぇ、キンちゃん。どうしてもそこが引っ掛かるならね、――こう考えてみれば良いんだよ」
「シンタロー、お前にとって俺は『家族』か?」
唐突にキンタローが問い掛けを口にした。
まるで確認するようなそれを聞いた途端に、シンタローの眦が屹と吊り上がった。
「テメェは…!」
一気に激昂しかかったシンタローを宥めるように、キンタローは素早く掌を翳した。
また叩き出されては敵わない。
「怒るな。…何故、さっき怒ったのかは何となくわかった」
真っ直ぐ相手の瞳を見詰め、心からの謝罪を口にする。
「悪かった」
きっぱりとした誠実な態度に、謝られたシンタローの方がたじろいだ。
それまでの怒りも忘れるほど慌てて、居心地悪そうに視線を逸らす。
「だったら、いちいち当たり前のこと、訊いてんじゃねぇよ!」
ぶっきらぼうなそれがさっきの問の答えだと気付いて、キンタローは口端を緩めた。
「当たり前か。グンマもそう言っていた」
茶化すなど思いも寄らない生真面目な従兄弟の受け答えに、シンタローが仕方なさそうにため息をついた。
いちいち怒るのも照れるのも、馬鹿らしくなったらしい。
ふて腐れたように問い掛ける。
「お前自身はどうなんだよ?」
「そういう捉え方で良いなら、俺もお前と同意見だ」
その答えでは今ひとつ不満だったらしく、シンタローが試すように片眉を上げた。
「つまり?」
重ねて訊かれて、キンタローは頭の中で今の曖昧な答えを明確に言語化した形に作り直す。
「――お前は俺の『家族』だ。コタローも『家族』だ。伯父貴達もグンマも、お前の『家族』で、同時に俺の『家族』だ」
あっさりと当初の馬鹿な意見を翻した従兄弟の顔を、シンタローは不審げに睨み付けた。
本やテレビを鵜呑みにするほど、変に素直なところのある従兄弟は、しかし一度こうと思い込んだらとにかく頑固なのだ。
「本当にそう思ってんだろうな」
「ああ」
しつこいほどの確認にも気負いなく頷く彼の、常に強い意志を湛える青い瞳を、シンタローが覗き込む。
そこに今も少しも揺るがない本気の色を認めて、偽りを赦さない黒い瞳がやっと和らいだ。
「…なら、みんなで集まってメシ食ってお茶したって、何もおかしくねーよな?」
納得したように目を細め、ようやく笑顔になったかと思えば、一転して彼は悪戯っぽく問うた。
「ああ、おかしくない」
「俺が作るメシやおやつにも文句はねぇだろーな」
「勿論だ」
キンタローが間髪入れずに答える。
…本当のところ、あんまり甘ったるいお菓子は勘弁して欲しいのだけれど。
そんな心の声を見抜いたように、彼は盛大に笑った。
「ちゃんとお前が食えそうなもんも作ってやるよ。俺もどうせならそんなに甘ったるくない方が良いしナ。けど、グンマとコタローは甘いモンの方が良いだろうし」
親父は…まぁどっちでもイイや、と付け加えて、あれはどうだろう、これならどうだ、と生き生きと考え始めるシンタローの姿を、キンタローは見詰めた。
どうやら完全に機嫌は治ったらしい。
嬉しそうに楽しそうに笑っている従兄弟の笑顔は好きだ。
こっちまで嬉しくなってくるし、何というかほっとする。
詰めていた息を大きく吐いて肩の力を抜いて、キンタローは初めて緊張していたらしい自分を自覚して驚いた。
些細なことで従兄弟が怒るのなんてしょっちゅうなのに、いまさら何をそんなに恐れることがあるのだろう。
彼が怒るのは別に怖くはない。
そう、ただ怒るのなら、怖くはないのだ。
従兄弟がよく怒るのは、彼がそれだけ真っ直ぐで真剣だからだ。怒り方まで真っ直ぐで、いっそ小気味が良いとすら思う。
けれど今回は、いつもと少し違った。
彼の言葉、態度、表情を思い返す。
怒らせもしたが、それだけではなかった。
傷付けたと思う。それも他ならぬ自分が。
どうしてだか、それが言い難いほど苦痛だったのだ。
傷ついた彼を見た瞬間、自分も確かに痛いと感じた。
不思議だと思う。
確かに彼と共にあった頃は、彼の感じる痛みはそのまま自分の痛みだった。
けれど今はもう別々の人間になって、何一つ感覚を共有してはいないというのに。
彼が痛んでいると思うと、痛いと思う。
あの頃とは全く違う、もっとずっと耐え難い痛みだった。
何故、と問い掛ける心にふと先程の応えが甦る。
答えを求める部分に、それはすっぽりと収まった。
「…ああ、そうか」
それは多分
「『家族』だから、…か」
彼が『家族』だから。
彼が笑っていると嬉しいのも
彼が傷つくと痛いのも
それならば
「――悪くは、ないな」
――こう置き換えてご覧よ。
『家族』って言うのはね、『大切な人』ってコト。
後書き。
喧嘩とも言えない、一方的ブチ切れ…。
何だろう、今回も題名に偽りアリ。
毎度、微妙に則してなくてスンマセン。
でも他に思い浮かばなかったんス…。
なんつーか普通に仲良い家族ネタです(またか)。
そして仲良し従兄弟ネタ。
更に、がっちり良いトコ取りグンちゃん(趣味)。
時間軸で言えば間違いなく南国後初期の頃。
家族以上になるのはまだ先の話ってことで。
4年間の時間軸の場所によって、彼らの関係も変わりますので。
…年表こさえた方がいいんだろうか…。