紅の液体を注がれたグラスが目の前に、掲げるように見せ付けられた。
その液体の中に、小さな錠剤がぽとんと落ちる。
その衝撃に、たぷんと波打つそれに、目を奪われる。
「何を入れはったんどすか? シンタローはん」
その錠剤は、あっと今に液体に混ざり、消えてしまっていた。
「ん? 【毒】だ」
さらりと告げられたその言葉に、アラシヤマはすっと目を細めた。
冗談にしてはきつすぎるそれ。だが、相手を見れば、それが冗談なのか本当のことなのか分からない。
口元に笑みを浮かべている彼は、けれどその眼は笑ってはいない。
自分の手で入れた、それが、その液体の中でしっかりと溶け込んでいくのを確認していた。
「それをどうするつもりでっか?」
その液体をもしもその場で煽ると言うならば、たとえそれで相手が傷つくとしても、それを阻止するだろう。
だが、相手はそれほど愚かではない。
確実に止める相手がいる前で、死を選ぶことなどありえない。
ならば―――――。
「お前にやる」
もう随分と前から変化のなかった互いの距離が、その言葉で縮まった。
一歩足を進め、さらにもう一歩前に出れば、そのグラスが、自分の手に届く範囲まで来てしまった。
「これをわてにくだはって、どうしろと?」
「んー、飲めよ」
今、考え付きました、とばかりに提案されたその言葉に、なるほど、と頷く。
確かに、【毒】入りということを抜かし、これを渡されたなら、中に入っている液体を飲むしかない。
洋酒は詳しくないが、それでもその紅色の液体は、上物と呼ばれる品であったはずである。
酒が嫌いではないし、味見するのも悪くはない。
ただし、それは確実に【毒】入りだ。
命をかけての味見をする価値があるものかどうか―――考えるわけでもなく答えは出る。
「それで、わてが死んだろどうするんどすか?」
「えっ? 死ぬだろ。だって【毒】入りだし」
当たり前のように言われて答えに、アラシヤマは、憮然とした表情をしてしまった。
「無駄な殺生はあきまへんで、シンタローはん」
「うん。そうだな。でも、俺がお前を要らないといったら? いらないから、これ飲んで死ねっていったらどうする?」
どうするも何も、実際、今の状況がそれではないのか、といいたいが、言ったところで、別に何も変わりはしないから―――どちらにしても、自分は【毒】を飲んで死ぬのだ―――アラシヤマは、シンタローの質問に答えた。
「死にますえ。シンタローはんが、わての存在を消したいというならば、それならそれで従いますわ」
「そっか。じゃあ、はい。これをやる」
笑顔を浮かべて、差し出されたそのグラスを受け取った。
【毒】入りの液体がゆらゆらとその中で揺れる。
飲めば死がおとずれる、魅惑の液体。
アラシヤマの手にそれは存在した。
「もう一度聞きますえ。シンタローはんは、今ここで、わてに死んで欲しいんどすな?」
「ああ、そうだ」
躊躇いもなく答えられたそれに、アラシヤマは嘆きとも安堵ともつかぬ溜息を非一つつき、グラスを顔の前に近づけた。
「それなら―――――」
パリンッ………。
手の中で、グラスが砕け散った。
キラキラと輝きながら、ガラスの破片が散っていく。
同じように、真紅の液体が、自分の体内から零れた同じ色あいのそれと混じりあい、飛散し、床に赤い滲みを点々と作る。
「このっ馬鹿っっっっ!!!」
刹那、空気を震わせ、シンタローの身体が自分の身体に絡みついた。
「っ!」
「行き成り飛び出さんといてくだはれ、シンタローはん。ああ、もう。手に傷をつけてしもうたじゃありまへんか」
慌てて、手にもっていたそれを投げ出し、アラシヤマは、傷ついたシンタローの手の甲に唇を寄せた。
チャリンと小さな音を立てて、血をつけたグラスの欠片が、床に落ちた。
「てめぇが悪いんだろっ。何、ガラスで首掻っ切ようとしてんだよっ!」
飲めと差し出したワイングラス。
なのに、相手はそれを手の中でくだき、手ごろな大きさのガラスの破片をつかむと、自分の頚動脈をめがけて、切りかかった。
それに気付いて自分が止めていなければ、今頃は、辺り一体血の海である。
自分の手の甲を少しばかりかすっただけで事なきを得たのは重畳だった。
「そないなこと言わはっても、死ねっていうたのはシンタローはんでっせ」
血が止まったのを見計らい、アラシヤマが唇を離せば、シンタローは、むぅと唇を曲げたまま、こちらを見ていた。
「本気で死ねっていったわけじゃない!」
「それならそうと先に言いなはれ。わては確認しましたえ、わてに死んで欲しいかどうかと」
「うっ………あれは、成り行きだ」
「まったく、こういう後先考えずに行動する癖は、まだなおっとりまへんのやな」
あからさまに呆れたような溜息一つついてみれば、一気に顔を赤らめて相手が、機嫌を損ねた顔をして、怒鳴りだした。
「冗談の通じないお前が悪いっ!」
「責任転換どすか?」
「煩ぇ。こういう時は黙って飲んで、『僕は死にませーん』って言うぐらいユーモアを見につけろ」
「そのネタ古すぎますわ、シンタローはん。知っとる人ほとんどいないと違いまっか?」
「うっ…煩い、いいんだよ。とにかく、俺のやったワインを素直に飲まないお前が、悪い」
てめぇだって傷ついてるじゃねぇか。
握りつぶした時に、ガラスの破片で手のひらの中は、かなり傷ついている。
シンタローがその手を伸ばすのを察すると、アラシヤマは、さっと手をひいた。その行動に、機嫌を損ねてみせるが、先ほどの自分の行動と同じことはさせられなかった。
「これは、今から治療しに行きますわ。汚した床は後で掃除にきますよって、そのままにしておいてくだはれ」
ガラスの欠片が残っているかもしれない手を舐めてもらうわけにはいかない。
その手を抱えるようにして、ドアへと向かう。だが、その足をぴたりと止めた。
(………泣いてますやろうな)
あちらが勝手にしかけたことで、こちらが思惑を無視してしまったから、結果こんなことになったことを、彼が後悔していないわけがない。
どちらが悪いかと言えば、無茶な行動をとった自分にも非はあるけれど、冗談に思えない状況を作ったあちらが事の発端で、元凶である。
そうは思っているのだが。
(なんで、わては怒れないんでっしゃろ)
いらぬケガさえしたというのに、怒りはちっともわいては来ずに、逆に愉悦さえ感じてしまうのだから、困ってしまう。
もちろんその理由もちゃんと分かっている。
アラシヤマは、ドアの前で立ち止まり、けれど振り返らずに、その場で声を発した。
「シンタローはん。わては、全然気にしてまへんから、後で、飲みそこねたワインを飲ましておくれやす――――毒入りでもええですから」
たぶん泣きたいぐらい傷ついてて、でも、それを見せないために必死でそれを押し隠そうとしている彼の努力を無駄にしないためにも、顔を見ずにそう言えば、しばらく間を置いて、言葉が返ってきた。
「ちゃんと用意する。―――――アラシヤマ、悪かったな」
その言葉を聴いてから、ドアを開いてパタンとしめる。
その顔には、笑みが灯っていた。
こっちこそすみまへん。
本当の本当に悪いのは、実は自分の方なんです。
シンタローの自分に対する思いを知りたくて、【毒】入りだと嘯くワインを飲んだところで、相手のそれを知ることなどできないことはわかっていたから、わざとグラスを砕いて、もっと確実に自分の命がとれるような行動をしてみせた。
本気でやってたら、彼の止める暇など与えなかっただろう。
彼の手を傷つけてしまったことは誤算だが、後は思惑通りだった。
さきほどからジンジンと痛む傷に、アラシヤマは、満足げに笑った。
「ま、この程度の傷で、あん人のわてへの執着を見せてもらえたなら、上々ってとこどすな」
―――――それでも、わてはあんさんのためならいつでも死ねるって知っておりまっか?
その液体の中に、小さな錠剤がぽとんと落ちる。
その衝撃に、たぷんと波打つそれに、目を奪われる。
「何を入れはったんどすか? シンタローはん」
その錠剤は、あっと今に液体に混ざり、消えてしまっていた。
「ん? 【毒】だ」
さらりと告げられたその言葉に、アラシヤマはすっと目を細めた。
冗談にしてはきつすぎるそれ。だが、相手を見れば、それが冗談なのか本当のことなのか分からない。
口元に笑みを浮かべている彼は、けれどその眼は笑ってはいない。
自分の手で入れた、それが、その液体の中でしっかりと溶け込んでいくのを確認していた。
「それをどうするつもりでっか?」
その液体をもしもその場で煽ると言うならば、たとえそれで相手が傷つくとしても、それを阻止するだろう。
だが、相手はそれほど愚かではない。
確実に止める相手がいる前で、死を選ぶことなどありえない。
ならば―――――。
「お前にやる」
もう随分と前から変化のなかった互いの距離が、その言葉で縮まった。
一歩足を進め、さらにもう一歩前に出れば、そのグラスが、自分の手に届く範囲まで来てしまった。
「これをわてにくだはって、どうしろと?」
「んー、飲めよ」
今、考え付きました、とばかりに提案されたその言葉に、なるほど、と頷く。
確かに、【毒】入りということを抜かし、これを渡されたなら、中に入っている液体を飲むしかない。
洋酒は詳しくないが、それでもその紅色の液体は、上物と呼ばれる品であったはずである。
酒が嫌いではないし、味見するのも悪くはない。
ただし、それは確実に【毒】入りだ。
命をかけての味見をする価値があるものかどうか―――考えるわけでもなく答えは出る。
「それで、わてが死んだろどうするんどすか?」
「えっ? 死ぬだろ。だって【毒】入りだし」
当たり前のように言われて答えに、アラシヤマは、憮然とした表情をしてしまった。
「無駄な殺生はあきまへんで、シンタローはん」
「うん。そうだな。でも、俺がお前を要らないといったら? いらないから、これ飲んで死ねっていったらどうする?」
どうするも何も、実際、今の状況がそれではないのか、といいたいが、言ったところで、別に何も変わりはしないから―――どちらにしても、自分は【毒】を飲んで死ぬのだ―――アラシヤマは、シンタローの質問に答えた。
「死にますえ。シンタローはんが、わての存在を消したいというならば、それならそれで従いますわ」
「そっか。じゃあ、はい。これをやる」
笑顔を浮かべて、差し出されたそのグラスを受け取った。
【毒】入りの液体がゆらゆらとその中で揺れる。
飲めば死がおとずれる、魅惑の液体。
アラシヤマの手にそれは存在した。
「もう一度聞きますえ。シンタローはんは、今ここで、わてに死んで欲しいんどすな?」
「ああ、そうだ」
躊躇いもなく答えられたそれに、アラシヤマは嘆きとも安堵ともつかぬ溜息を非一つつき、グラスを顔の前に近づけた。
「それなら―――――」
パリンッ………。
手の中で、グラスが砕け散った。
キラキラと輝きながら、ガラスの破片が散っていく。
同じように、真紅の液体が、自分の体内から零れた同じ色あいのそれと混じりあい、飛散し、床に赤い滲みを点々と作る。
「このっ馬鹿っっっっ!!!」
刹那、空気を震わせ、シンタローの身体が自分の身体に絡みついた。
「っ!」
「行き成り飛び出さんといてくだはれ、シンタローはん。ああ、もう。手に傷をつけてしもうたじゃありまへんか」
慌てて、手にもっていたそれを投げ出し、アラシヤマは、傷ついたシンタローの手の甲に唇を寄せた。
チャリンと小さな音を立てて、血をつけたグラスの欠片が、床に落ちた。
「てめぇが悪いんだろっ。何、ガラスで首掻っ切ようとしてんだよっ!」
飲めと差し出したワイングラス。
なのに、相手はそれを手の中でくだき、手ごろな大きさのガラスの破片をつかむと、自分の頚動脈をめがけて、切りかかった。
それに気付いて自分が止めていなければ、今頃は、辺り一体血の海である。
自分の手の甲を少しばかりかすっただけで事なきを得たのは重畳だった。
「そないなこと言わはっても、死ねっていうたのはシンタローはんでっせ」
血が止まったのを見計らい、アラシヤマが唇を離せば、シンタローは、むぅと唇を曲げたまま、こちらを見ていた。
「本気で死ねっていったわけじゃない!」
「それならそうと先に言いなはれ。わては確認しましたえ、わてに死んで欲しいかどうかと」
「うっ………あれは、成り行きだ」
「まったく、こういう後先考えずに行動する癖は、まだなおっとりまへんのやな」
あからさまに呆れたような溜息一つついてみれば、一気に顔を赤らめて相手が、機嫌を損ねた顔をして、怒鳴りだした。
「冗談の通じないお前が悪いっ!」
「責任転換どすか?」
「煩ぇ。こういう時は黙って飲んで、『僕は死にませーん』って言うぐらいユーモアを見につけろ」
「そのネタ古すぎますわ、シンタローはん。知っとる人ほとんどいないと違いまっか?」
「うっ…煩い、いいんだよ。とにかく、俺のやったワインを素直に飲まないお前が、悪い」
てめぇだって傷ついてるじゃねぇか。
握りつぶした時に、ガラスの破片で手のひらの中は、かなり傷ついている。
シンタローがその手を伸ばすのを察すると、アラシヤマは、さっと手をひいた。その行動に、機嫌を損ねてみせるが、先ほどの自分の行動と同じことはさせられなかった。
「これは、今から治療しに行きますわ。汚した床は後で掃除にきますよって、そのままにしておいてくだはれ」
ガラスの欠片が残っているかもしれない手を舐めてもらうわけにはいかない。
その手を抱えるようにして、ドアへと向かう。だが、その足をぴたりと止めた。
(………泣いてますやろうな)
あちらが勝手にしかけたことで、こちらが思惑を無視してしまったから、結果こんなことになったことを、彼が後悔していないわけがない。
どちらが悪いかと言えば、無茶な行動をとった自分にも非はあるけれど、冗談に思えない状況を作ったあちらが事の発端で、元凶である。
そうは思っているのだが。
(なんで、わては怒れないんでっしゃろ)
いらぬケガさえしたというのに、怒りはちっともわいては来ずに、逆に愉悦さえ感じてしまうのだから、困ってしまう。
もちろんその理由もちゃんと分かっている。
アラシヤマは、ドアの前で立ち止まり、けれど振り返らずに、その場で声を発した。
「シンタローはん。わては、全然気にしてまへんから、後で、飲みそこねたワインを飲ましておくれやす――――毒入りでもええですから」
たぶん泣きたいぐらい傷ついてて、でも、それを見せないために必死でそれを押し隠そうとしている彼の努力を無駄にしないためにも、顔を見ずにそう言えば、しばらく間を置いて、言葉が返ってきた。
「ちゃんと用意する。―――――アラシヤマ、悪かったな」
その言葉を聴いてから、ドアを開いてパタンとしめる。
その顔には、笑みが灯っていた。
こっちこそすみまへん。
本当の本当に悪いのは、実は自分の方なんです。
シンタローの自分に対する思いを知りたくて、【毒】入りだと嘯くワインを飲んだところで、相手のそれを知ることなどできないことはわかっていたから、わざとグラスを砕いて、もっと確実に自分の命がとれるような行動をしてみせた。
本気でやってたら、彼の止める暇など与えなかっただろう。
彼の手を傷つけてしまったことは誤算だが、後は思惑通りだった。
さきほどからジンジンと痛む傷に、アラシヤマは、満足げに笑った。
「ま、この程度の傷で、あん人のわてへの執着を見せてもらえたなら、上々ってとこどすな」
―――――それでも、わてはあんさんのためならいつでも死ねるって知っておりまっか?
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