自分が生まれた意味なんて、考えるだけ無駄。
生まれたいから生まれたわけではなく、ただ、生まれる過程を踏んだから、ここに存在するだけ。
そんな風に思っていた時があった。
けれど、ある日突然知ってしまった、自分の生まれた意味。
それを知った時、生まれなければよかったのにと心から思えた。
「っ……」
シンタローは目覚めると同時に側頭部を手のひらで押すように抑えた。
ズキリと頭の奥で、痛みが起こる。それも一度だけではなく、断続的に痛む。
「うぅ…」
呻きつつ、顔を顰めるシンタローの寝覚めは、最悪のものだった。
「酒くさ」
けだるげに半身を起こし、息を吐けば、酒の匂いが濃密に残っているのが分かる。
ちらりと視線を部屋の真ん中に向ければ、小さなテーブルの上に溢れんばかりに酒のビンが転がっていた。
昨日、いや、今日になっていたかもしれないが、両手では足りない数の酒瓶は、全て自分が開けたものだった。
のろりとベットの上から這い出すと、シャワーを浴びるために移動する。
一歩一歩歩くたびに、頭の奥がキリキリと痛み、苛立ちを産むが、それは自業自得であるから我慢するしかない。
完全に二日酔いだ。
重苦しさを感じる身体を動かしつつ、無意識に胃を撫でる。丈夫な胃だと自負しているが、その調子もどうも悪いようであった。
吐き気はないが、一歩ずつ歩くたびに気持ち悪さがこみ上げてくる。無理やり吐けば、少しはすっきりするだろうか、とぐらぐらする頭でぼんやりと考えながら、部屋を横切っていく。
窓に下がっているカーテンは閉められたままだった。けれど、そこから入り込む陽光は、かなり明るかった。
たぶん、時刻は午後を回っているのだろう。
部屋を横切る時に、その光が一筋目をさし、そのまぶしさに視界を細めた。
総帥としての仕事があれば、完全に遅刻である。が、今日は休みで、全ての業務は休止だった。
だからこそ、こんなにもゆっくりとしていられるのである。
バスルームにようやく辿りつくと、シャワーのコックをひねり、肌が痛いほど熱い湯を浴びる。5分をほど、そうしていれば少しは頭が機能していく。
ざっとバスタオルで水気をふき取り、下だけ身につけ部屋に戻ると、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し口に含んだ。
冷たい清涼水が喉を通過する。
その時ようやく自分が喉が渇いていたことを知り、500mlのペットボトルをあっというまに空にした。
「2時か」
棚の上に置かれたデジタル時計を見ると、時刻は2時10分をさしている。
いつ眠ったかわからないから、寝すぎたという感覚はないものの、昼過ぎに起きるなんてことは、もう随分と久しくなく、なんとなく奇妙な感じはする。
「どうしようかな」
再びベットの上に戻ったシンタローは、髪がぬれているにもかかわらず、背中から倒れるように、身体を落とした。
(何もすることがないな)
本日の予定は、一件のみ。それも夕方、一族で集まり夕食を一緒にとるというものだけだ。
だが、それまで時間はたっぷりとあった。
日ごろ怠っているトレーニングをするのもいいかもしれない。けれど、ズキズキと痛む頭を抱えて、そんなことはしたくはなかった。
「今日は…………」
天井をぼんやりと見上げたまま、シンタローは、苦い笑みを作る。
「俺の誕生日か」
何の感慨もなく吐かれた言葉は、むなしく大気に霧散する。
今日は自分の誕生日である。
だからこそ、いつも休みなしで働くガンマ団総帥のシンタローに休みが与えられていたのであった。
特別休暇というやつである。
けれどシンタローは、総帥になってからは、誕生日の日には、いつも昼過ぎまで眠り、夕飯を一族でとるだけで終えていた。
昼過ぎまで寝るのは、いつもは忙しくて睡眠不足だから、という言い訳をしているが、気づいている奴もいるのだろう。
自分が、今日という日を嫌って、眠むることで時間を潰していることを。
昔は、そんなことはなかった。
誕生日を祝うという年でもなくなっても、それでもなんとなく、嬉しさを覚えていた。けれど、そうではなくなったのは、パプワ島から帰ってきてからだった。
自分の出生の秘密が全て明らかになった後、シンタローは自身の誕生日を祝うことはできなくなっていた。
今まで24年間、自分は本来ならば祝ってもらえるはずのものを押し込めて、誕生日祝ってもらっていたのである―――――自分の誕生日だと信じて。
いや、確かに、誕生したのは、その時だろう。
けれど、自分は本当の『シンタロー』ではない。マジックの息子でも、ルーザーの息子でもなかった。
そして、真実はどうであれ、マジックの息子の『シンタロー』として祝ってもらうものは、自分ではなかったのだ。
別に罪悪感があるわけではない。
それは、シンタロー自身が望んだことでもなく、知っていて行ったことでもなかったのだから。
ただ、24年間信じていたものが崩されるということは、思った以上に堪えていた。
誕生日おめでとう――――生まれてきててれて、ありがとう。
その言葉を自分がもらえるのかどうか、考えれば考えるほどわからなかった。
もし、自分がいなければ、何かが違っていて、もっといい方向にいっていたのかもしれない、と考えてしまうから。
自分が生まれたことを喜べないのだから、誕生日を祝うことなんてできるはずがなかった。
トントントン。
突然、ドアをノックする音に、シンタローは跳ねるように、上半身を起こした。
「誰だ?」
機嫌の悪そうな低い声で誰何の声をあげる。
「俺だ」
その声に、シンタローは驚いたように目を見晴らした。
ドアの外にいるのは、自分が24年間全てを奪っていた奴だった。
「どうぞ」
その短い応えに、ドアが静かに開かれる。
そこにいたのは、やはり『シンタロー』だった。
従兄弟の……いや、パプワ島に戻ってからは、もう兄に変わったのだが、グンマあたりには、キンちゃんとかキンタローと呼ばれているその男は、部屋に入ってきた。
酒臭さが不快なのか、顔を一瞬顰めてみせたが、すぐに元の表情に戻る。
彼は、表情が乏しい。
それもこれも、経験が足りないからだ。24年間の空白がそうさせる。
「どうしたんだ?」
酒瓶が転がっているテーブルの前のソファーの方に座るように促すが、キンタローは首を振って断った。
「いや、いい」
「そうか。で、何の用事だ?」
シンタローの方は、二日酔いで体がだるいので、酒瓶が転がっているソファーの上に腰をおろす。
足を組むと、長身のキンタローを見上げた。
彼が、ここに来るのは珍しかった。しかも、一人だというのは、初めてではないだろうか。
いつもは、グンマか高松が一緒なのである。
彼が自分のところに来る用事が思いつかず、彼の言葉を待っていると、キンタローはおもむろに口を開くと一言、言葉を発した。
「誕生日おめでとう」
「へっ?」
シンタローはそれを耳にしたん間抜けな表情をさらした。
自分が今、聞いた言葉が信じられないものだったから。
驚いて、背もたれに預けた背中を起こし、中途半端に立ち上がるような姿勢となったまま、呆然とキンタローを見上げる。
彼は、先ほどから表情をまったく変えずに、シンタローを見下ろしていた。
「な、んで?」
ぽつりと出た言葉に、キンタローは片眉を持ち上げ、怪訝な表情をわずかに見せる。
「おかしいことなのか? 今日はお前の誕生日だろう。だから『おめでとう』を言いに来たんだ」
「あ、ああ。それは、どうも………」
当然のように告げるキンタローの言葉に、呼吸をするのも忘れて、それを聞いていたシンタローは、けれど、あえぐように息を吸い込むと、ぼそぼそと礼を告げる。
「でも、なんで今?」
誕生日が今日なのはお互い当然のことで、だから、夕飯の時、一族全員で食事を取るときに、もちろん彼も皆から祝ってもらえるのである。
「………俺は、まだ一度もお前に『おめでとう』といってないことに気づいたからな。グンマに言ったら、言ってこいと言われたから来たんだ」
「そう…だったな」
皆に『おめでとう』という言葉はもらっていても、まだ、互いにそれを言い合ったことはなかった。
キンタローの心中はわからないが、シンタローは、後ろめたくてそんなことは口に出せなかったのである。
誕生日おめでとう。
生まれてきてありがとう。
そんな言葉を言えるはずがなかった。
なのに―――――。
「本当に『おめでとう』と思っているのか?」
「? そう思っているが。まずいのか」
「いや、その………」
はっきりと理由を告げることはできなくて、口ごもるシンタローに、察したようにキンタローは頷いた。
「俺は別に気にしてない。前は、そうではなかったかもしれないが、だが、今はこれでよかったと思っている」
まっすぐに向けられた視線に、シンタローは、受け止めそこねて、視線をそらす。
「俺は、お前がいてくてれよかったと思っているぞ。他の奴らだってそうだろう。だから、『誕生日おめでとう』と言えるんだ」
あっさりと、なんでもないように告げられる言葉が、酷く嬉しいと感じるのはどうしてだろうか。
その言葉を信じてもいいという気持ちにさせてもらえるからかもしれない。
キンタローの言うとおり、自分の誕生を祝ってくれる人がいてくれるということを。
シンタローは視線をあげた。
本来ならば『シンタロー』という名前と存在を与えられるはずだった男を見据える。
全ては自分が生まれたことで、それを奪った。
けれど、彼がいたからこそ、自分はここにいる。
自分の誕生を祝ってもらえるならば、自分もまた祝ってもいいのだろうか。
「―――――俺も言っていいか? お前に、『誕生日おめでとう』と」
躊躇うように告げた言葉に、キンタローは肯定するように頷いた。
「当然だ。俺がいなければ、お前は生まれてこれなかったんだからな。感謝しろ」
言いたいことは言い終えたのか、キンタローはくるりと踵を返し、シンタローに背を向ける。
それを黙ってシンタローは見送る。
先ほどの彼の言葉が、耳に残る。
『感謝しろ』
その言葉に、自分の存在が許された気がした。
「――――ありがとう………生まれてきてくれて」
部屋を出て行くキンタローに向かって、シンタローは小さく唇を動かした。
自分には、言う資格がないと思っていた言葉を口にする。
けれど、最後の言葉は、ドアが閉まる直前になってしまっていた。
自分の言葉は、聞こえなかったかもしれない。
それでも、その隙間から、手をあげたのを見え、シンタローは小さく微笑んだ。
「誕生日おめでとう…」
久しぶりに、自分の誕生日を祝う言葉を吐き、その唇に深い笑みを刻んだ。
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