ある日の穏やかな昼下がり、一見平和そうな家の中は、それほど平和というわけではなかった。
「シンタロー、おやつ!」
「わう!」
台所に立って何やら作業をしている長身の男性に向かって、子どもと犬が何やら抗議していた。
「お前ら、さっき十分おやつを食っただろ?それに今は夕飯前だから、ダーメ!」
「育ちざかりの子どもにむかって何をいう?僕はおやつが食べたいゾ!!」
「ダメなもんは、ダメ!!夕飯ができるまでもうちょっとだけかかるから、それまで外で遊んでこいよ?」
「・・・シンタローはケチだナ!チャッピー」
「わうっ!わうッ!!」
不機嫌な様子の子どもと犬が、戸口に向かおうとすると、ドアが勝手に開いた。
「ただいまっス。って、何?パプワ、チャッピー、お前ら出かけるとこだったの?」
「何だ、リキッドか。僕らはシンタローが、おやつをくれないから家出だ」
「わうッツ!!」
「おいおい、物騒じゃねーな?シンタローさん、コイツらにおやつぐらいあげても・・・」
その時、リキッドの顔から数センチぐらいの距離のドアに何かが鈍い音を立てて刺さった。よく見ると、包丁であった。
「・・・テメェ、俺のやり方に何か文句でもあんのか?」
そう言いながら包丁をドアから引き抜いたシンタローが、かなり怖かったのか、
「いえ、めっそうもないっす!」
油汗を流しながら、無理やり笑顔をつくろったリキッドであったが、話題を変えた方が得策だと思ったようである。背に負ったかごを下ろしながら、
「あ、そうそう、さっき森でテヅカ君に会いましたけど、どうやら、アラシヤマがひどい風邪をひいたらしいですよ」
「あっそう」
リキッドを振り返りもせず、シンタローは野菜を刻んでいた。
「あのー、ちょこっとでも心配じゃないんですか?」
「何で?」
と、シンタローは振り返らずにそう言った。
(“何で?”かぁ・・・。普段あんなにお姑さんにつきまとってるのに、ちょっとだけ気の毒な気もするよなぁ・・・。でも、俺もウマ子が風邪ひいた(って状況ありえないけど)って聞いて、お見舞いに行くかというと悩むか。ま、俺には関係ないし!)
「―――そんなに心配だったら、テメーが見舞いにでも何でも行けば?」
すっかりそのことを頭から追いやって、採ってきた果物や野菜をより分けていたリキッドは、思いがけずシンタローから声をかけられて非常に驚いた。
「ええッ?何でっすかぁ!?だって俺、全然関係ありませんし、アラシヤマの所に行くなんて嫌ですよ!長い付き合いのアンタが行きゃーいいんじゃないスか!?」
「テメー、しばくぞ?ヤンキー・・・」
(こっ、怖っ・・・!!)
シンタローの様子にリキッドがすっかり固まっていると、リキッドの作業を手伝っていた子どもが、
「シンタロー、夕飯を食べたら、アラシヤマを見舞いに行け」
と言った。
「何でだよ、パプワ?」
ものすごく不本意そうにシンタローは顔をしかめたが、
「死んでたら厄介だしナ。様子を見てこい」
と、彼はあっさりと言った。
「・・・オメーらは、一緒に行かねーのかよ?」
「僕とチャッピーは、タンノ君やイトウ君と約束している。家政夫は、家の用事が山ほどある」
「あの、おぼっちゃま・・・、ちょっとぐらいお手伝いしてくれないんですか??」
「甘えたことをぬかすな。いいな、シンタロー?」
「わう」
じっと自分を見ている、どうあっても意思を曲げない様子の子どもに溜息をつき、
「―――行きゃいいんダロ?」
仏頂面で、シンタローはそう言った。
(・・・?どれほど眠ってたんやろか)
アラシヤマがぼんやりと目を開けると、それに伴って徐々に他の知覚も戻ってきたように感じたが、どうも完全な状態ではないようであった。
なんとはなしに熱に浮かされたような心もとない感覚がしたが、遠ざかりつつあるひとつの気配だけは、はっきりと感じ取ることができた。
「シンタローはんッツ!」
アラシヤマが布団の上に体を起こして叫ぶと、人影は一瞬立ち止まり、戻ってきた。
「・・・オマエ、寝てたんじゃねーのかヨ?」
「いや、もう目が覚めましたわ。あんさんが来てくれてはるのに、おちおち寝てられまへん!何のおかまいもできまへんが、ゆ、ゆっくり・・・」
何事か言いかけたまま、アラシヤマがバタリ、と布団に倒れてしまったので、シンタローは目を丸くした。
「アラシヤマ?」
と覗き込むと、
「あ、シンタローはんが2人いはる・・・。盆と正月がいっぺんにきたみたいで、嬉しおすぅ~vvv」
シンタローを見上げて、嬉しそうにへらへらと笑ったので、思わずシンタローはアラシヤマを殴った。
「風邪ひきの病人に対してひどいんちゃいます・・・」
「―――オマエ、それ本当に風邪か?」
「心配してくれはりますの?そうどすな、いや、もともとたいしたことはなかったんやけど、テヅカ君が心配してくれまして、“すごく早く治る薬”をくれはったんどすv」
「へー・・・」
「で、飲んでみたんどすけど、やっぱり急によくなるもんでもおまへんし、風邪は油断できまへんナ!あんさんも気をつけておくんなはれ・・・」
どう見ても具合の悪そうなアラシヤマを見て、
(もしかして、タケウチ君が薬を調合したのか?コイツでこのぐらいだったら、普通の人間はきっと死んでるよナ・・・。気をつけよう)
そう結論づけたシンタローが、立ち上がろうとすると、伸びてきた手に手首をつかまれた。
(熱ッ!)
バランスを崩し、ひざをつくと、
「す、すみまへんッツ!つい・・・」
アラシヤマは焦った様子であったが、手は離さなかった。
「わて、今これ以上ないくらい幸せな状況やいう気がするんどすが・・・」
「馬鹿か?オマエ」
手首をつかまれたまま、呆れたようにシンタローがそう言うと、アラシヤマはシンタローの手を引き寄せて頬に当てた。
「普段、あんさんの方がぬくいのに、今日はひやこうて気持ちようおます~」
しばらく、シンタローはアラシヤマの望むままにさせておいたが、不意に、
「帰る」
と言って手を振り解いた。
しかし、腕を強く引かれ、アラシヤマの上に倒れこむ形となった。
「おまっ」
「帰らんといて」
シンタローを抱え込むと、アラシヤマは彼の束ねられた髪をほどき、大切そうに撫でた。
(―――何か、重うおますけど。何でどっしゃろ?確か、テヅカ君にもらった薬を飲んで寝てたはずどすが。どうやら風邪の方は全快したみたいやナ・・・)
特に心当たりが無かったアラシヤマが身を起こすと、
「しししし、シンタローはんがッツ!!何でここにー!?これってわての夢!?!?」
彼の傍らに、想い人が丸くなって眠っていた。
「うるせぇ」
そう不機嫌に言うと、シンタローは起き上がった。
「わっ、わて、何もしてへんはずどす!だって、あんさん服きてはりますし、何より、わて全然覚えてまへんもん!!だからっ、わては多分無罪どすえー!!」
と、冷や汗を背中に伝わせながら必死で弁解するアラシヤマをシンタローはジロリと見ながら、
「へェー・・・。昨日のことは全く覚えてない、と」
髪をまとめ、紐で結わえた。
「すみまへんッツ!わて、そんなにええ思いをしたんどすか!?じゃあ、今から続きをッツ・・・!!」
「死ね。眼魔砲ッツ!!」
ドウッ、と爆音が響き、アラシヤマは吹き飛ばされた。
PAPUWAハウスに戻ったシンタローであったが、子どもと犬は何処かに遊びに行ったのか不在であり、家政夫が1人、家の中に居た。
「シンタローさん、お帰りなさい」
「ああ、ただいま。って、オマエ洗濯は?」
「あ、ハイ、これからすぐにやります」
リキッドは洗濯をしながら、洗濯物を干しているシンタローの後姿を目で追っていたが、
(やっぱり、教えてあげた方がいいのか?もし知ってたとしたらわざわざ他人に指摘されたくはねーよな・・・。でも、パプワ達に気づかれたらどーすんだろ?この人、そういう説明は不器用そうだし・・・)
シンタローのうなじに付いている薄赤い痕を見て、リキッドはそっと溜め息をついた。
「悪い虫、か、馬の蹴り、か、どっちかなぁ・・・。ま、俺には関係ねーけど」
思わず手を止め、空を見上げると、
「干し終わったゾ!早く次のを寄越せ!!」
という言葉とセットで、空のたらいが飛んできた。
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