作・斯波
まっしろな
心を染めて
花いちりん
梅雨の晴れ間
「あ、紫陽花。―――」
しゃがみこんだ背中で艶やかな黒髪が揺れている。
数日降り続いた雨が止んで、束の間の晴れ間が広がった午後のことだった。
「こんな南国にも咲くんだなあ・・・」
嬉しそうな声に心がどきんと跳ねる。
「紫陽花が好きなんすか?」
訊いてみると珍しく屈託無い笑顔を見せてその人は頷いた。
「子供ん時からすげェ好きだったんだよ」
「へえ・・・」
「みんな梅雨って嫌がるだろ? けど俺は好きなんだよなあ」
「珍しいっすね」
「だって雨の日のほうが、紫陽花って綺麗じゃん? 何だか悩ましげな感じがしてさ」
―――まるで、あなたみたいだ。
今朝方まで降っていた雨の滴をまだその縁に煌めかせている青い花びらに、そっと触れた。
三日前の夜中、ふっと眼が覚めた。反射的に隣に寝ている筈のあの人を捜した。
親友のちみっ子と一緒に眠りに就いた筈のその人はシーツの上に独り座って、開いたままの窓の向こうをぼんやり眺めていた。
声を掛けようとしてやめた。
昼間はまるで向日葵のように笑っていたその人の瞳には、水滴のような涙がいっぱいたまっていたのだ。
咄嗟に背を向けて目を瞑った。
あの人が見てるのは雨なんかじゃない。
俺なんかの知らない遠い世界なんだ。
あの人が本来育まれるべき土壌はここじゃない。
翌朝眼を覚まして気づいた。
リキッドは、本物の恋に落ちていたのだ。
「紫陽花ってさ」
楽しそうに話す声にはっと我に返る。
「土壌によって花の色が違うだろ?」
「ああ・・・聞いたことありますよ。酸性とアルカリ性で違うらしいっすね」
「そ。俺もどっちがどっちだったか忘れちゃったんだけど。そこが気に入ったんだ」
「へえ・・・意外」
―――土壌で色を変えるなんて潔くない。
てっきり、この男ならそんなふうに怒るのかと思っていた。
だが長い黒髪を払って呟いた声は、まるで独り言のように小さかった。
「俺もそんなふうにしなやかに生きてみてェなあって、・・・なんか、そう思ってさ」
今朝までの雨が嘘のように晴れ上がった空を見上げた瞳の行先を、同じように追ってみる。
(なんて遠い眼をするんだろう)
二人がそこに見出すものはきっと、まだ同じではないのだろうけれど。
青いインクを滲ませたような優しい色の紫陽花を揺らすと、はらはらと滴が振り零れる。
「・・・ほんとだ」
「あん?」
「綺麗っすね、凄く」
「だろ? おまえも好きか、紫陽花」
苦しい胸の裡も知らず嬉しそうに微笑む想い人に、リキッドもにこりと笑い返した。
「ええ、大好きです。―――」
(あなたが見ているものが今の俺には見えなくても)
俺はこの恋を諦めない。
花でさえ土壌によって色を変える。
(それならきっといつか)
「晴れましたね」
「うん。あ、今の間に洗濯」
「ああ、やっちまいましょうか」
「何言ってんのヤンキー、テメーがやんだよ」
「あ・・・やっぱりそうっすよね」
(雨が止んだらそこには青い空が広がってる)
―――きっといつか、俺の想いであなたの心をも変えてみせますよ、シンタローさん。
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心の中では強気なリッちゃん。
去年はマカアラで紫陽花の土壌ネタだったので、今年はリキシンで。
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