就任式が終って、その後の引継ぎに関係した仕事もどうにか無事に完了し、彼はようやく自分が総帥になったのだと思えるようになった。
そうは言ってもすぐに実感できるものではなく、身に纏った紅い軍服がやけに重く両肩にのしかかり、その責任と重圧に押しつぶされないよう、彼は意識して背筋を伸ばす。
いつか、この服が馴染むときがくるのだろう。その時は今はまだ恐怖の対象でしかないこの団が変わっているはずだ。
変えてみせる。自分と家族と仲間の手で。
あの島での出来事で決心し、子供達にそう誓った。これからが本番だ。
団の根本的な改革は、内外に大きな波紋を呼んだが、彼自身の働きとそれを支える家族の助けによってどうにか落ち着きはじめた。
家族の関係も少しずつではあるが再生されつつある。
父親も従兄弟も叔父も、お互いに歩み寄り、新しくやりなおそうとしていた。
彼が一番気がかりな父と弟の関係は、残念ながら弟が眠り続けているので、これ以上どうしようもなかったが、あの時弟を抱きしめた父親に期待しても良いと彼は思っていた。
早く目覚めて欲しい。
それが家族共通の願いだった。
総帥服を着たまま、彼は弟の元を訪れる。
眠っているのだから見えないのは重々承知だが、弟に総帥となった自分の姿を見せておきたかった。
もう怖がらなくて良いと教えてやりたかった。
額にかかる金髪を払ってやりながら、幼い寝顔を眺めていると、いつのまにか父親が背後に立っていた。
「いつの間に来たんだよ」
「ついさっきかな」
父も頻繁に訪問していると、従兄弟や秘書から聞いていたが、忙しい彼が弟の部屋を訪れるのは深夜になることが多く、ここで父と顔を合わせる事は今までは無かった。
「声かけりゃ良いのに」
「もう夜だしね」
軽く微笑う父親の顔は酷く優しげで、彼が子供の頃に向けられていた表情と良く似ていた。
懐かしく安心するその顔を久しく見ていなかった気がして、改めて色々なことがあったのだと思い出し、彼は目を伏せた。
「どうしたの?」
「何でもねぇ」
心配そうに気遣う声も温かで、弟にもこの声が聞こえていれば良いと思わずにはいられない。
「なぁ今度こそ、大丈夫だよな」
何が、とは明言せずに問う彼に、父親は深い愛情を含ませて「もちろん」ときっぱり答えた。
連れ立って弟の部屋を後にして、彼は父親に腕を引かれてリビングに向かった。
文句を言いながらも彼にしては大人しく付いて来たのは、先ほどの答えが嬉しかったせいだろう。
彼をソファーに座らせると、父親はちょっと待ってと言い残し、どこかへ行き、戻って来た時にはワインの瓶を手にしていた。
「あんだよ」
「一緒に飲もうと思ってね」
幼い頃から父は自分の前で酒を飲む事は無かったし、成人してから父と一緒に飲んだ事も無かった。アルコールには強い家系であるから飲める性質だろうとは思ってはいたが、父からの酒宴の誘いは意外な気がした。
「アンタと?」
「そう」
不審げな彼の様子に気が付いたのか、父親は笑いながらワインのラベルを見せた。
「これはね、私の生まれ年のワインなんだ。何か特別な事があった時に開けようと思って、今まで大事に取っておいたんだけど」
「…今開けて良いのか?」
「もちろん。私の愛する息子が、私の跡を継いでくれた。こんな喜ばしいことは無いだろう?」
何も言えなくなってしまった彼に父親はワイングラスを持たせる。コルクを抜く音がして、紅い液体が注がれた。
「乾杯」
「…乾杯」
グラスの触れる小さな音が、静かな空間に響いた。
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