12月に入ってすぐの晩、夜中にシンタローは目を覚ました。
「…なんだか冷え込むな」
ボリボリと頭を掻きながらベッドから抜け出す。
昨夜は珍しく仕事が早く終わり、最近寝不足が続いているので早めに床についたのだ。
しかし夜中に眠るクセが染み付いているのか眠れない。
ウトウトと浅い眠りを繰り返しては目を覚ます。全然眠れた気がしない内に夜中になってしまった。
そしてだいぶ体が冷えている事に気がついた。
そういえば今夜は寒いとかなんとか天気予報で言ってたような気がする。
忌々しく思いながらクローゼットに向かう。
確か電気毛布があった筈だ。真冬でも滅多に使わないが急に冷え込んだ時などは重宝する。
「どこにしまったけな。あー、面倒くせぇ」
せっかく早めに眠れると思ったのに。半端に寝ていたので頭はボーっとしてるが妙に目が冴えている。目は冴えてるが体は重苦しくダルい。
灯りが眩しく感じられて、小さな間接照明をひとつだけ点けてクローゼットをゴソゴソと引っ掻きまわすが暗くてよくわからない。
しかし電灯を点けて明るくしてしまうとそのまま完全に覚醒してしまってますます眠れなくなりそうなので点けられないのだ。
あー、そういえばちょっと前にマジックが『寒い』とかなんとか言って、勝手に電気毛布使って勝手に仕舞ってったんだよな。
全くあの親父は勝手な事ばっかりしやがって。
ブツブツと文句を言いながら探していると、“ゴトン”と小さな音がした。
何かが転がり落ちたらしい。見ると青いリボンがかかった小さな白っぽい箱が落ちていた。
リボンはひしゃげて箱も潰れている。持ち上げてみると大きさの割りに重い感触がする。
「なんだこりゃ。俺のか?」
自分の部屋のクロ-ゼットから出てきたのだから、まあ自分の物なのだろうが。
全く記憶にない、とシンタローは首を捻る。
中を開けて確かめてみたかったがそれよりも電気毛布を探すのが先だな と思い直し、ひとまずその謎の物体はソファ横の小さなテーブルの上に置き、またクローゼットの探索に向かった。
程なくして電気毛布が見つかりシンタローはベッドに向かった。
ようやく体も温まり、なんとか眠れそうだった。
『結局また睡眠不足かよ』と思いながら眠りに落ちる瞬間に、さっきの潰れかけの小箱を思い出したが結局はそのまま眠ってしまった。
今度は目は覚まさなかった。
翌日はまた激務で、部屋に戻ったのはちょっと夜更かしの人間でもとっくに眠りについてるような真夜中だった。
今夜も少し冷え込む。
シャワーを浴びて、体を温めてから寝ようとウィスキーをお湯で割り、それをチビチビと舐めながらソファーに腰掛けてふとテーブルを見ると昨夜の小箱が目に付いた。
「あー、すっかり忘れてたな。なんだこりゃ」
手に取ってよく見ると、ひしゃげたリボンは色褪せて、薄暗い中で見た時は白だと思っていた箱は薄いクリーム色の包装紙に包まれていた。
どうやらかなり古い物らしい。
開けてみると中には青い半透明のガラスで出来たペーパーウェイトが入っていた。
丸くて平べったくてツルリとした、シンタローの掌よりも一回り程小さいそれ。
ペーパーウェイトを持ち上げると、その下にはカードが入っていた。
そこには『HAPPY BIRTHDAY お父さん』と幼い文字。
その文字に見覚えがある。
俺の字だな、とシンタローは思った。
そういえば買ったような記憶がある。しかし渡した記憶はない。
渡してないよな、ここにあるんだから。
添えられた日付を見ると、10歳の頃だ。
なんで渡してないのか全く思い出せない。
正確に言うと、なんだか嫌な気分になりそうで思い出したくない。
こういう気分の時は記憶の扉を開けない方がいい。
どこから出てきたのかよくわからないが、隠してあったのは明白だ。
渡さないで隠してあったんだから渡したくない理由があったんだろう。
幼い俺、承知した。渡さないでおいてやる。と疲れとアルコールで眠くなった頭でシンタローは考えた。
じゃあもう寝るか、どうやら今日は眠れそうだなと思いながらベッドに向かい、ふとテーブルに戻ってもう一度青いそれをしげしげと見つめる。
そのペーパーウェイトの青は、マジックの瞳の色に似ているような気がしたので。
それは半透明のトロリとした青で、光にかざすと綺麗だ。
しばらくの間角度を変え、手で感触を確かめて、光に透かしたり影を作ったりしている内に本格的に眠くなってきたので、青いガラスのペーパーウェイトを持ったままベッドへと向かう。
このガラスの青に良く似た色の瞳を持つ、煩くて鬱陶しいあいつは今営業活動だかなんだかで家にいない。
静かでいいと思う。
ガラスの感触を確かめて、スタンドの電気にもう一度照らし、しばらくそのガラスの色を見つめて、そうしてシンタローはそれを掌に握り締めて眠りに付いた。
今日は最初から電気毛布でベッドが暖かい。
掌だけがヒンヤリと冷たかった。
++++++++++++++++++++++++++++++
翌日、青いペーパーウェイトを執務室に持ち込んでシンタローは書類書きの雑務をこなしていた。
書類が散らばらなくて丁度いいなと思ったのだ。
「シンちゃん、いる~?」
ノンビリと間延びした声がかかる。
「おう。今忙しいからおやつならキンタローと食ってろ」
「違うよー。企画書持って来たんだよー。メール出しても、シンちゃん全然返事くれないから」
そういえばメールのチェックもしてないな、とシンタローは思った。
とにかく忙しかったのだ。
「ああ、悪ィ。あとで見ておくから置いといてくれ」
「じゃあ机の上に置いておくねー」
淡い金色の髪を揺らして、従兄弟のグンマが分厚いファイルを持って近づいてくる。
「あれー?“お父様の石”だー。懐かしいね~v」
グンマの嬉しそうな声に、シンタローは思わず顔を上げる。
「…親父の石…?」
「うん。僕はあの頃は“伯父様の石”って呼んでたけど。だってシンちゃんが『お父さんの目の色だから“お父さんの石”だ』って教えてくれたんじゃない。
僕、お父様の目の色なんてよくわからなかったけど、シンちゃんがそう言ったから観察してみたんだ。
そうしたら本当にお父様の目の色だったから感心したんだよ~」
そうだったか…?
なんでだか思い出せない。
いやむしろ思い出したくない、とシンタローの中では妙な警戒音が鳴っている。
「誕生日にあげるんだって言ってたのに、急に『やめた。捨てた』って言ってたよね。
うーんと…確か10歳くらいの時。
あの年のお父様の誕生日に、シンちゃんが『何もプレゼントは用意してないから!』ってバースデーパーティーに来なかったから、お父様はすごく落ち込んでて大変だったのを覚えてるよー」
そう話しながらグンマはシンタローの傍に寄って来て青いペーパーウェイトを覗き込む。
金の髪がフワリと揺れる様を見て、シンタローは軽い既視感に襲われる。
「でもここにあるって事はやっぱり捨ててなかったんだね?どうしてお父様に渡さなかったの?あんなに嬉しそうに見せてくれてたのに」
石に向けていた瞳をこちらに向けてグンマが訪ねる。
「あー、なんだかハッキリとは覚えてねえんだよな。こないだ探し物してたら出てきたんだよ」
言いながら、覗き込むように見つめてくるグンマの瞳を見返して、何かをボンヤリと思い出しかけた時、
「用事は済んだのか?お喋りしてるヒマなどないぞ」
突然声が降って来た。
どうやらキンタローが迎えに来たようだ。
「あ、キンちゃん。まだ来たばっかりだよー。少しくらい喋ってたっていいじゃない」
「今日は実験のある日だから暇がない。すぐに戻ってくるように言っただろう」
「そんなに怒んなくてもいいでしょー」
二人の従兄弟のやり取りを見ながら、シンタローは思う。
常に思っているのだが、あまりにもいつもの感情なので意識した事はない。
しかし今日はヤケにひっかかる。
二人の金色の髪。
青い瞳。
いや、この二人に限らず、一族は自分を除いて皆金髪碧眼なのだ。
ただ少しずつ色味が違う。
グンマは淡い色調だがキンタローはどちらかというと鮮やかな色合いだ。
ペーパーウェイトに目を移せば、確かにあの二人の瞳の色とは全然違うな、とシンタローは思う。
これはマジックの目の色だ。
プレゼント、ちゃんと渡せば良かったのに。
子どもが買うには結構値の張りそうな物だし、俺がんばったんじゃないか?
やればあいつも喜んだだろうに、なんでやらなかったんだろう。
なんで覚えてないんだろうな。
仕事の手を休め、実験の手順に話題が移ってしまってる従兄弟達を目の端に映しながら、シンタローは青いガラスの滑らかな表面を指でなぞる。
夕べ握り締めて眠った時懐かしい感覚があった。
冷たくて青い色。
そうだ、あの頃はペーパーウェイトなんて知らなくて、宝石だと思っていたんだ。
親父の執務室にずっと飾ってあった青い石、あんなのよりもずっと親父の目の色で綺麗で、きっとすごく価値があるんだと思ったんだっけ。
子どもの俺が買うにはちょっと高くて、手伝いをして小遣いをもらったり欲しい物を我慢して一生懸命金を貯めたんだっけ。
買ってからも嬉しくて何度もグンマに見せて自慢したっけ。
そうだそうだ、だんだん思い出してきたぞ。
夜は握り締めて寝て、朝になると柔らかい布で磨いて綺麗にしてまた箱にしまっておいて。
そうだ、確か包装紙は親父の髪の色に似てるのを選んだんだっけ。すっかり色褪せちまってたけど。
とうとう話題がお菓子に移ってしまった従兄弟どもから書類だけ受け取って追い出して、『しばらくデスクワークに没頭するからもう来るな』と宣言して扉にロックをかけ、暗証番号をちょっと変更してシンタローは再び雑務に戻った。
どうせ暗証番号なんて、あいつら二人にかかればすぐに解読されてしまうのだが。
単調な書類作業は思考の整理に丁度いい。
仕事をこなしながら、あの「石」の記憶を辿ってみる。
(確か親父に『誕生日プレゼントは奮発した』とか言ってあったんだよな。
でもあげなかったのか、俺。
そんで、あの親父がその事を蒸し返したり「欲しい」「くれ」と言わないのも不思議だ。
多分一度も言われてない。なんでだ?)
思考と思い出が交差してグルグルとしてきた。
なんだか疲れてしまって思考を中断しようとした途端、おもむろに思い出した。
ああ、そうだ。
俺はあの青い色が大好きで、毎日毎日見つめてるうちに
自分の瞳が青くない事を思い知らされて、自分の髪が金色じゃない事がイヤになって
一緒に見つめてたグンマの瞳の色だって青いのに…と思ったら哀しくなって
そうして捨ててしまったんだ。
捨てたけど、でもやっぱりあの青が好きで、結局拾ってきて。
また一緒に寝てみたけど、もう嬉しい気分にもヒンヤリとした感触が楽しくもなくなってしまって。
だから包み直して自分が見えないどこかに仕舞ってしまったんだ。
何度も場所を変えて、自分が見つけられないように「思い出すな思い出すな」って必死に自分に言い聞かせてた。
哀しい気分になるのがイヤで忘れる事にしていたんだ。
「人間ってのは簡単に忘れたりできるもんなんだな」
子どもだから出来たのだろうけど。
実際は嫌な事ほど忘れられない。忘れたい事なんて山ほどあるのにな、と思う。
グンマに言われても思い出せない程、青い色を見ても回想につながらない程、子どもの俺は辛かったんだろうか?
そこはやっぱり思い出せないままだが。
そうしてシンタローは宝石のように思っていたその「石」をまた抱き締めて眠ってみた。
思い出してしまったら、昨夜のような気分にはならなかった。
しかしそれから、毎晩握り締めて眠ってみた。
あの時の気持ちを思い出せるかと思ったので。
++++++++++++++++++++++++++++++
そうして12月も11日程過ぎたある晩、さあ、寝るかーとベッドに入ろうと思ったら、賑やかな足音が聞こえてきた。
この足音は…。
「シンちゃん、ただいまー!!寂しかったかい?!パパは寂しかったよー!!」
「夜中に煩せぇよ。今日は早く寝るんだから出て行け!あとな、ひとつ言っておくが、別に寂しくなかったから。じゃあな、おやすみ!」
「シンちゃ~ん」
約二週間ぶりに騒々しくマジックが帰ってきて。
平和な日々もこれまでか…とシンタローはウンザリする。
「いや本当はね、明日の夜帰ってくるハズだったんだよー。でも明日は私の誕生日でしょ?
主役がいないとサマにならないし、無理して早く帰ってきたんだよv 『おかえりなさい』くらい言ってよ」
「あー、『オ・カ・エ・リ』。はい言ったぞ。じゃあな、おやすみ」
鬱陶しくゴネるマジックを追い出そうと背中を押していると
「あれ?私の目の色の石だね。」
とマジックが驚いたように呟く。
ベッドサイドに置いたあの青いガラスのペーパーウェイトが目についたらしい。
「…なんで知ってんだ…?」
思わず聞き返してから、シンタローは“しまった”と思った。
無視してマジックを追い出して、ペーパーウェイトを仕舞ってしまえば良かったのに。
説明なんかしたくない。
特にこいつには。
なんで俺がこれを買って、なんで俺が渡さなかったのか。
そう思ってたのに。
しかし、ふざけたようなマジックの表情がまじめな父親のそれになったので、むげに追い出すのをやめて改めて聞いてみた。
「これ、単なるペーパーウェイトだぜ?なんで「石」とか「目」とか知って…いや、言うんだ?」
「グンちゃんに聞いてたから」
マジックがあっさり答える。
「子どもの頃 シンちゃんが寝てからね、布団蹴飛ばしてないかとか、寝顔が見たくてとかで部屋に様子を見に行くとね、シンちゃんがあれを握り締めて寝てたんだよ」
「………」
「ずっと何なんだろうって思ってたけど、ある時お前が『誕生日にすっごくいい物あげるね!』って瞳を輝かせて言ってたから。
『綺麗なんだよ。あそこに飾ってある青い石より綺麗だよ』って言うから、あれがそうかなって思ったんだよ。
でもお前は当日になったら、怒ったような顔をして『プレゼントはないから!』って言ってどこかに行っちゃって。
そうしたらグンちゃんがね、『シンちゃんは本当は伯父様の目の色の石を用意してたのに、どうしたんだろう』って教えてくれたんだよ」
ソファーに腰掛けて懐かしむようにマジックが話す。
シンタローは所在なげな気分で青いガラスを手に包み込んでその掌をジッと見つめていた。
「なんでくれなかったのかな、と思って。
でも“捨てた”って言ってたけど、ある晩やっぱり握り締めて寝てるのを見かけてね、もしかしたらいつかくれるかもしれないってずっと待ってたよ」
「ふーん」
興味なさ気にシンタローは呟く。
ふと時計を見てみると、0時を過ぎていた。
もう今日は12/12、こいつの誕生日だ。
「じゃあやるよ。これ。誕生日プレゼント。丸裸で悪いけどまあいいよな」
マジックの掌に押し付けるように渡した。
マジックは少し驚いたような顔を一瞬してから
「ありがとう」
と微笑んで、そして少し間を置いてから
「なんであの時くれなかったのかな?」
と訪ねてきた。
「忘れた」
とシンタローが答えると、マジックは
「そう」
とだけ言って、その青いガラスを見つめていた。
その顔が、なんだかとても嬉しそうに見えたのがシンタローには少し意外だった。
「そんなの本当はいらねーだろ?あんたもっといいペーパーウェイト持ってるじゃねえか。だから…捨てちまってもいいぜ、それ」
自分では捨てられそうもないので、シンタローはそう言ってみた。
子どもの自分からならともかく、大人の自分からもらってもそう嬉しいものではないだろう。
たくさん必要な物でもないしな。
シンタローはそう思ったのだが
「嬉しいよ。ずっともらえるのを待ってた。なんで急に捨てようとしたのかは…わからないけど、でも捨てないで取っておいてくれてたのが嬉しかったよ」
「ふーん…」
「私の瞳の色に合わせてくれたのが嬉しかったよ。ああ、本当に良く似た色だね。綺麗だよ」
そう言われて改めて見つめてみると、本当に似た色をしている。
マジックが手に持ったガラスの小さなペーパーウェイトの青が、スタンドの光を反射して彼の顔にかかる。
その青い光が同じ色の瞳に反射してるのを見ると綺麗だな、とシンタローは思う。
綺麗だけど、切ない。
大人になって、自分が何故一族の髪と瞳の色を持っていないかの理由は解ってしまったけど、それでもやはり切ない。
切ないと思いながら、でも綺麗だと思って見惚れてしまう。
マジックはしばらくペーパーウェイトを見つめ、愛おしそうに掌に包み込み、そうして軽くキスをしてから
「これはもう私の物だから、お前が預かってて」
と言うと、シンタローの掌を開き、そこにペーパーウェイトを置くと今度はシンタローの手ごと包み込み握り締めた。
「…?」
「これは私の物で、私の瞳だよ。お前の傍に、私の代わりに置いておいて。嫌わないで、ね?」
と囁く。
「あんたにあげたんだから、いらねーんなら捨てろって」
「捨てちゃダメだよ。捨てさせないよ。私の物だからね。いらなくないよ。凄く嬉しいよ。嬉しくて大切な物だからお前に託すんだよ」
マジックは言葉を続ける。
「だってシンタロー、お前はこの石が好きなんだろう?」
別に好きじゃない、とシンタローが言おうとすると
「好きじゃないって言いたそうだね。でも少なくとも子どもの頃のお前は好きだっただろう?好きだから握り締めて、眠ってても離さないくらいギュッと握ってたんじゃないの?」
と問う。
そういえば買ったばかりの頃、握って寝たりして眠ってるうちになくしたらどうしようと思ったが、なくすどころか手から離れていた事もなかった。
あれは我ながら感動したっけ…とシンタローは思い出す。
ここしばらくもそうだ。
目を覚ました時、一度も手から離れてはいなかった。
深く考えた事はなかったが、自分はあの青いガラスのペーパーウェイトが好きなんだろうか。
マジックの瞳と同じ色の。
「私はね、お前の黒い髪と黒い瞳が大好きだよ」
と真っ直ぐな瞳でマジックが言う。
「多分お前が思ってる以上に、私はお前の髪や瞳の色が好きだよ」
いつもみたいにふざけた顔で言えばいいのに。
そうしたらふざけんな!って怒ってウヤムヤにしちまえるのに。
真面目な顔でそんな風に言われて、シンタローはなんと言っていいのかわからなくなり、ただその瞳を見返していた。
(青くて綺麗だな)
そんな事を考えながら。
「だから誕生日プレゼントには黒いペーパーウェイトをちょうだい。そうだね、黒曜石か黒玉のがいいな。そうしたらそれを握り締めて毎日眠るよv」
「はぁ?!」
唐突なマジックのおねだりに思わず聞き返す。
「だからー、ペーパーウェイトならこれをやるって言ってるだろ?」
「それは無期限でシンちゃんに預けたんだから使えないよ。それにそれはシンちゃんの10歳の時のプレゼントでしょ?私が言ってるのは“今”のシンちゃんから欲しいプレゼントだよ」
楽しそうにマジックが言う。
「その青い色はシンちゃんの欲しかった物でしょう?私は黒いのが欲しいよ」
「つまりこれは欲しくなかった、いらなかったって事かよ?」
「違うよ。私はすごく欲しかったんだよ。でもそれはシンちゃんから奪っちゃいけない物だね。だから気持ちだけもらったんだよ」
「気持ち?」
「『パパ大好きv』って気持ち」
シンタローは思わず眼魔砲を撃ちそうになって、マジックが言ってるのが10歳時の自分の気持ちの事だと理解して聞き流す事にした。
確かにあの頃の自分は、この父親が大好きだったかもしれない。
あくまでも『かもしれない』だが!
「まあいいや。とにかく黒いペーパーウェイトが欲しいって事だろ?ガラスでも金属でもいいんだろ?」
「まあそれでもいいけど。でも出来れば黒曜石か黒玉かブラックトパーズか…」
どんどん高価な請求になってきやがるな。シンタローは早々に切り上げる事にした。
「とにかく、だ!この青いのはあんたの物で俺が預かっておくという事だな。そしてあんたは黒いのが欲しいんだな。わかった。じゃあもう話はオシマイ!おやすみ。じゃな!」
マジックを追い出しにかかる。
「えー、冷たいよシンちゃん。せっかく久しぶりにお話してるのに~」
「うるせぇな。明日ってか、今日は仕事なんだよ。俺は疲れてんだから早く寝たいの!仕事が終わったらどうせ誕生パーティーやらされんだろ?その時話せばいいだろ」
「えー…」
「っていうか、あんた疲れてないのかよ?帰ってきたばっかで着替えもしねーで。寝ろよ。もう若くないんだからよ」
「シンちゃんの顔見たら疲れなんて吹っ飛んじゃうよ」
悪びれもせずに言う。
「誕生日に一番最初にシンちゃんの顔を見て声を聞きたかったんだよ」
「はあ…。じゃあもういいだろ。喋ったし」
「そうだね」
まだ何か言いたそうな顔で、それでもマジックは渋々と立ち上がる。
そして部屋を出て行く時に振り向いて
「『誕生日おめでとう』って言ってもらってないね」
と言う。
シンタローは思わずまじまじと相手の顔を見つめてしまった。
「…はぁ?!」
どこの乙女だよ、こいつは?!
「もう0時を過ぎたんだから私の誕生日だよ。おめでとうって言ってよ」
「どうせ朝になったらグンマやキンタローや、すれ違う団員達がみんな言ってくれるぜ?俺も夕食の時にでも言ってやるよ」
「今言ってほしいな。シンちゃんに一番最初に言ってほしいんだよ」
「…ああ…」
別に言ってやってもいいんだが、なんだか二人きりの時に言うのが恥ずかしいような気がしてシンタローはその言葉を避けていたのだ。
どうせ誕生日パーティーやるんだし。
黒いペーパーウェイトを買ってきて、それを渡す時に言ってやればいいかと思っていたのだ。
でも言わないとこのまま部屋に居座られそうだし。
「…………」
しばらく躊躇して、俯いたままぶっきらぼうに
「親父、誕生日おめでとう」
と小さい声で呟いた。
反応がないのでもしかしたら聞こえなかったかもしれない、もう一回言わなきゃなんないのか?と顔を上げれば、嬉しそうな表情のマジックの顔がそこにあった。
「ありがとう、シンタロー」
こいつ、俺が顔を上げるのを待っていやがったな、とちょっとムカつきながら、でもマジックがあまりに嬉しそうな顔をしてるのでまあいいかと思い直した。
やっとマジックが出て行って、静かになった部屋でシンタローは青いガラスを見つめる。
さっきまでずっと握り締めて温くなっていたのがまたヒンヤリと冷たくなっている。
ずっと触れていれば温まるのに、離すとすぐに冷たくなる所なんかマジックにそっくりだな、とシンタローは思った。
青くて冷たくて。
その晩も、また握り締めて眠った。
『だってシンタロー、お前はこの石が好きなんだろう?』
『その青い色はシンちゃんの欲しかった物でしょう?』
マジックの言葉が何度も繰り返される。
そうなのかな…。そうだったのかもな。
トロトロと眠りながらシンタローは考える。
『私はね、お前の黒い髪と黒い瞳が大好きだよ』
その言葉を反芻すると、なんだかひどく嬉しかった。
手の中には青いガラスのヒンヤリとした感触。
明日は(もう今日だが)ペーパーウェイトを買いにいかねーとな。
黒くて手の中に納まるくらいの。
ジンワリと手の中のガラスが温まっていく頃、シンタローは眠りに落ちた。
何か昔の夢を見たような気がするが、覚えてはいない。
シンタローが朝目を覚ました時、やっぱりその青いペーパーウェイトはシンタローの掌に収まったままだった。
PR