花言葉だとか、この花束の意味だとか、そんな事まったく知らなかった。
ただ、幼い頃から父の望むままに、それを贈る事は、ほとんど習慣のようになっていた。
「パパ大好き~」と、なんの躊躇いも照れもなく言えていた頃は勿論。
自分の家庭が、他の家庭とかなりの割合でずれている事に気付いてからも。
反抗期に入り、父の愛情表現がかなりウザイと本気で思うようになってからも。
弟が生まれ、父との間に溝ができてからも。
この日には12本の白薔薇の花束。
勿論、この年の、その日も同じものが用意された。
昼時には必ず、用が無くともシンタローの顔を見に現れる父に渡す。
感動してシンタローに飛びついてくるマジックに眼魔砲を一発。
それで終了。後は祝われる当の本人が用意した豪華ディナーを家族で取って、マジックの誕生日は終わる。
そのはずだった。
朝、総帥室へ花束が届けられた場所に居合わせた、知識とウンチクの塊の従兄弟に、その意味を教えられるまでは。
「………キンタロー」
「何だ」
「今の話、本当だろうな…」
「当然だ。そもそも新婦のブーケ、新郎のブートニアの謂れともいえる…」
「二度説明しなくていい。よ~く分かったぜ」
「そうか。それで…」
「あんのクソ親父~~!騙しやがったな~~!!」
「待てシンタロー、伯父貴は別にお前を騙したわけでは無いと思うが」
「ああん?」
「花束の意味を別の事に置き換えてお前に伝えていたわけではない。お前もその意味を尋ねた訳ではないのだろう?」
「俺が悪いとでも言いたいのかよ?」
「いや、お前の『騙された』という認識がそもそも間違いなのだと…」
「うるせえっ!報告が終わったんならさっさと研究室に戻りやがれ!!」
室内に響き渡る大音量で、キンタローの言葉を遮る。
怒りの形相のシンタローに背を向け、キンタローは心の中で密かに伯父に手を合わせていた。
(伯父貴、申し訳ない…。まさかとは思うが、もしもの時は成仏してくれ)
だが、一応できる限りのフォローはしておくべきかと振り返る。
「シンタロー、『それ』はどうするつもりなんだ?」
「どうするつもりだってぇ?決まってるじゃねえかよ。親父の目の前で眼魔砲で灰にしてやる!」
「……お前の自由だがな。だが、シンタロー」
「何だよ、もったいねえとでも言いたいのかよ」
「そうではなくて、だな。12本の意味ごと灰にするつもりか?」
「それは…」
「まあ、お前の自由だがな」
そう告げて、今度こそキンタローは総帥室を後にした。
静まり返った職務室、シンタローは怒りの余り沸点に達した血圧と動悸を抑えようと、椅子に座りなおす。
少なくとも、キンタローが退室間際に発した言葉で僅かに落ち着きを取り戻してはいるが。
「12本の意味だって?そんなモン…」
毎年、当たり前のようにやってくる誕生日。
幼い頃、シンタローが父にプレゼントは何が欲しいか初めて尋ねた時。
しばし考えて、父は言ったのだ。
『そうだね…シンちゃんがくれるなら何でも嬉しいけど、薔薇の花束がいいな。12本の』
「あの頃は、俺達普通に親子してたじゃねえかよ…」
まだ幼い子供だった自分に、父はとんでもない要求をしたものだと思う。
今となっては、確かに違わないのだが。
「どうすっかなー、コレ」
溜息を一つ零して、シンタローはデスクの上に置かれた花束を見つめた。
キンタローに言った通り、マジックの目の前で灰にする…というのも一瞬本気で考えはしたが。
豪奢な花束を前に、その決意は揺らぐ。
花束以外のプレゼントを欲しがらない父の為に、いつも最上級の薔薇を用意した。
二人の関係が、弟によって微妙になってからも同じだった。
もったいない、と思った。
金銭の事ではなく、これを用意し続けた今までの自分の気持ちまで、灰になるような気がしたからだ。
少なくともマジックに、そう受け止められてしまうかもしれないのは、嫌だった。
「ほんっとにクソ親父だぜ…」
忌々しげに呟いて花束を手に取ると、シンタローは勢いよく立ち上がった。
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ガンマ団本部。
総帥室への通路を歩く男が一人。
かつて冷酷非道の覇王と言われた前総帥、マジック其の人である。
世界規模のファンクラブを持ち、アンケートの「ウザイ」という評価とは裏腹に、団の内部に隠れファンが根強く存在する男。
息子に対する変態的な愛情表現さえなければ、と団内部で囁かれる男。
その彼に、パタパタと走り寄るのは、かつて甥だった実の息子。
「おとーさま~!」
「やあ、グンちゃん。今から実験室かい?」
「うん、キンちゃんがもうすぐ戻ってくるから…。あれ?ティラミス達は?」
いつもマジックに付き従っている二人の秘書の姿が見えない。
キョロキョロと辺りを見回して、グンマはポンと手を打った。
「そっか、今日は二人ともプレゼント受付で忙しいんだっけ?」
「ははは、二人とも朝から大忙しだよ」
「だよね~。今年もまた倉庫一杯になるかな?」
「グンちゃん、くれぐれもシンちゃんには…」
「分かってるってばおとーさま。今年こそシンちゃんには絶対内緒だよね」
人差し指を唇に当てながら、グンマは去年のシンタローの不機嫌顔を思い出していた。
「ホント、シンちゃんてば素直じゃないんだから、おとーさまも大変だよね」
「いやいや、そこがシンちゃんの可愛いところで…おや」
「あ、キンちゃん」
廊下の向こうから二人の元へキンタローが歩いてくる。
一見普段通りだが、二人の姿を見つけた途端、やや早足になる。
「伯父貴…」
「どうしたのかな?」
「伯父貴、俺は…なんとお詫びすればいいのか…」
拳を握り締めて俯く彼に、マジックとグンマは顔を見合わせた。
「どうしちゃったの?」
「何か私に謝らなければならないことでも?」
「実は…」
「おいそこのクソ親父!」
キンタローの懺悔を遮ったのは、花束片手に眦を吊り上げて仁王立ちする現総帥、シンタローだった。
「シンちゃん!その花束はパパへのバースディプレゼントかな?今年はより一層ゴージャスだね!」
シンタローの姿を目にした途端、飛び掛らんばかりの勢いでマジックが尋ねる。
「そのつもりだったんだけどな。キンタローに聞いたぞ、このヤロー」
「聞いたって、ああ、この花束の意味の事か」
それでキンタローが謝ろうとしていたのかと、マジックは納得した。
「何の話?」
展開が掴めず、興味心身のグンマと、伯父の身を案じているキンタローにマジックは行きなさいと手を振った。
「二人とも、これから実験だろう?これは私とシンタローの話だから、もう行きなさい」
「…はぁ~い」
「はい」
渋々といった様子で二人の姿が消えてから、マジックはシンタローに向き直った。
「あ~あ、バレちゃったか」
「このクソ親父、『あ~あ』じゃねえだろうが」
二人っきりになった途端、僅かにシンタローの声から刺々しさが消えた。
「アンタが欲しいっつーから、毎年毎年バカの一つ覚えしてきて…」
「いいじゃないか、私は本当にそれが欲しかったんだよ」
「いいじゃないか、私は本当にそれが欲しかったんだよ」
微笑んでそう言うマジックに、一旦は落ち着いたはずの怒りと口惜しさがまたメラメラと蘇ってくる。
「あのな!俺は…」
危うく本音を言いそうになって、止める。
言ったところで過ぎた年月は返らないし、また父が付け上がるのは目に見えている。
『俺は俺が選んだプレゼントを贈りたかった』なんて、言えるはずもない。
「何々?」
「何でもねえよ!」
「そう?ところで、今年はそれは貰えないのかな?」
シンタローの怒りは意に介さず、マジックは息子が手にしたままの花束を指差した。
「あ!?やっぱ欲しいのかよ?」
「勿論!パパは今日この日を364日前からどれだけ待ってたか!」
「あのな…」
まったくこの男はどこまで本気でものを言っているのだろう。
いや、多分全部本気だ。
ハァ…と、本日2度目の溜息を吐きながら、シンタローは花束を差し出した。
その様子に、マジックはいつになく素直な息子に首をかしげる。
いつかその意味を知った時、彼が激怒するだろうことは予想していたが。
激怒というよりは、呆れている。
それはそうかもしれない。
この花束の意味を最初から彼に教えなかった。
初めて自分がシンタローにこの花束を求めた、幼い頃から。
正直、覚悟はしていたのだ。
目の前で眼魔砲で花束を灰にされるか、自分が眼魔砲をくらうか。
どちらにしても、覚悟はしていた。
それなのに、目の前の彼は素直に自分に花束を差し出してくる。
「オラ、いらねーのかよ?」
僅かな間だが、硬直していたマジックの手に、シンタローは花束を押し付ける。
マジックは、その瞬間のシンタローの瞳に走った笑みに気づく事はなかった。
「あ、ああ。ありがとう」
受け取って、マジックは花束を見つめる。
おかしい。
質の良さが一目で分かる花だけに、リボンすら巻かれていない。
「あ、シ、シンちゃんっ!」
花束を見つめていたマジックの視線が急に宙を泳ぎ、ワナワナと花束を抱える手が震えるのを見て、シンタローは内心してやったりとほくそえんだ。
「なんだよ?」
「ちょ、ちょっとコレ!足りない!!12本じゃ無いじゃないか!?」
「ああ、今年からはこれでいくからな。じゃ、俺は仕事に戻る」
踵を返したシンタローの右手には、ついさっき花束から抜き取った12本目の白薔薇が握られていた。
リボンが結ばれているのは、花束に巻かれていたものを付け直したのだろう。
「シンちゃんっ!ソレ!ソレもちょうだいっ!!」
「やだね」
振り返らずに、シンタローは手に持った白薔薇を振ってみせる。
「1本っ!1本足りないぃ~~~っ!!」
背後で悲鳴を上げるマジックに、「日本の怪談かよ」と呟いて、シンタローは総帥室へと戻ったのだった。
ちなみにマジックは。
シンタローの後を追おうと一歩踏み出したところを、いつの間にか現れていた秘書二人に捕獲され。
ファンから贈られたプレゼントのお礼として送付される
『撮り下ろし☆マジカルマジック・ビデオレター』なる物の撮影に連行されたという。
その夜。
表面上はつつがなく夜の身内だけのパーティーを終え、マジックは寝室に戻った。
何も知らず、無邪気に自分を祝ってくれるグンマと、そして一日中自己嫌悪に陥っていたらしいキンタローの手前、花束の件について、シンタローには何も言えず。
1本減らされたとはいえ、プレゼントとして花束を貰えた事は喜ぶべき事なのだが。
プレゼントとして貰えたものの、自分が欲しかった12本の花束ではないことは…。
何とも言えない気持ちのまま、11本の白薔薇を飾った花瓶を手にマジックは寝室へと入った。
ベッドサイドに花瓶を置こうとして、そこに置いてある物に気付いた。
枕の上に無造作に置かれているのは、リボンが結ばれた1本の白薔薇だった。
シンタローからもらった花束から抜かれた1本だということは、一目瞭然で。
「シンタロー…」
名を呼ぶ声も、白薔薇に手を伸ばす指も震えている。
「最後の1本、12本目もパパにくれるのかい?」
その呟きに、答えは返ってこないけれど。
「いつの間に…。本当にあの子は、素直じゃないというか、何というか…」
そう言いながらも、マジックは自分の頬が笑みの形に緩んでいくのを止められなかった。
最後の1本を取り上げ、その花弁に唇を落とす。
ゆっくりとそれを花瓶に差し込みながら、マジックは恐らく自分の寝室で寝ずにいるだろうシンタローを思い浮かべる。
「さて、どうしようか」
シンタローの寝室へ押しかけて、仰々しく礼の言葉を告げ、いつものように熱烈な求愛でもしてみせようか。
それとも。
今夜はこのまま、シンタローの送ってくれた12本の花束に想いを馳せたまま、眠ろうか。
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