くちなしの花
議定書の原稿にシンタローの決をもらおうと、総帥室に向かった。
部屋の前では秘書が事務仕事を片づけていたが、俺に気づくと、キンタロー様、と起立する。見知った相手でもある、いつものように俺はかるく手を挙げてそれを制すと、デスクに歩み寄ってシンタローに用がある旨を短く告げた。
勝手知ったる場所なので案内の必要もない。秘書の先導も断り、何とおりもある下書きの束を持って、総帥室の扉を開いた。
「あっ…は…ぁン!」
扉を閉めた。
なんだ。どうして今、扉を閉めたんだ俺は。何故だ。
理由はあれから既に数秒、経過している今ならもちろん見当がついている。
扉を開けた瞬間、視覚は眼前に立てられている衝立で遮られていたが、ひときわシンタローの声がフロアに響いたからだ。わかっている。だが考える前に身体は行動していたぞ。何故だ。倫理観? 俺に、この俺に?
…興味深い。
ふと秘書の様態が気になって振り向いてみると、ぽかんと口をあけているのが見えた。俺と目があったのに秘書は狼狽えたが、それも少しの間で、また自分の仕事に没頭しはじめる。成る程、と思う。
つまりよくあることなのだと、推察しておこう。
知らないこと、わからないことは面白い。
仕事中でも平時でも臨時でもそれは変わらない。
好奇心猫をも殺すと言うが、猫でもないので平気だろう。
と思って、再び扉を開いた。
一段と毛足の長い絨毯に、踏み入って靴底を沈める。
かすかに甘い芳香と、情交に喘ぐ声が満ちた部屋へ。
背後で秘書があわてて椅子を蹴って立ち上がる気配がしたが、俺は彼に声を出される前にさっさと入室して閉めてしまう。
あの調子だと俺が(否、俺も、か? 否仕事中の情事がよくあることでもニアミスは滅多にないはずだ。あれば耳に入る)諦めて帰ると思っていたのだろうか。
わかっていないな。
制止の声などかけられたらふたりに気づかれてしまうじゃないか。
これが出歯亀というものかと、まるで縁のなかった言葉に妙に感心してしまう。
静かに歩を進めると衝立の向こう、手前にはソファが対に置かれているのが見えた。床には総帥服の赤いズボン、編み上げの黒い靴、ベルト、下着といった着衣が点々と散乱していた。
更に奥、上座ともいえるガンマ印を背負う形で、高価な設えの机がある。
そこに広い、伯父のスーツの背中があった。その腰に絡もうとするシンタローの日焼けしていない素足が、マジックの腰の動きとともに揺れるのが目につく。
人を乗せる用途は考えられていないだろう机が、押しつけられているシンタローとシンタローに乗りかかるマジックという1人+αの加重に耐えられるのだろうかと気になった。壊れたりしたらそれはそれで面白いのだが。
「父さ……あっやぁっ…! そこ、…ぅんッ」
「ここ…? 気持ちイイ? シンちゃん」
「ん…もっと…!」
「ふふ、積極的だね…溜まってたんだ?」
「ふぁっ…は……馬鹿やろ…言うなよ、んなこと…」
残念なことに俺の立ち位置から見えるのは先述のとおりマジックの後ろ姿とシンタローの脚だけだ。せめて横から俯瞰できれば良いのだが、それでは気づかれてしまう。ふん、覗きというのもいろいろと面倒なものだな。
俺は持っていた書類を部屋の角にある花器の脇に置き、あらためて壁に背を預けると、ふと隣から甘い芳香がした。
眺めると小さな白い花々は、枝振りも見事に活けられている。
これは何という花だろう。イランイランやムスクには強い催淫作用があるというがこの花も同類か。否そんなものを職場に置くほど馬鹿ではないか。マジックの言うとおり単に仕事に忙殺されて溜まっていただけかもしれない。花の名前は活けた本人であろう秘書にあとで尋ねてみよう。
それにしても喉が渇く。
かるく咳払いをすると、シンタローの胸にくちづけを落としていたマジックがぴくりと顔をあげ、抜き身の刃のような瞳をこちらに向けた。
ああ気づかれてしまったか。
怒って眼魔砲でも打たれるかと少し緊張して背を浮かせたが、マジックは俺を認めると意外にもにっこり笑ってひとさしゆびを唇に当てた。
あれは知っている。グンマが時々やる、内緒だよ、の仕草だ。
伯父も存外稚気のある男だな。俺も倣って唇で笑むとひとさしゆびを当てた。
「とうさん…?」
俺と紳士協定を結んでいて抜挿がおろそかになったマジックの頬に、シンタローが指先を伸ばして自分のほうを向かせると、ぐいとばかりに引き寄せた。蕩然と、余裕なく行為に夢中でマジックが気をそらした理由にも気づいた風はない。
「うん…シンちゃん、残念だけど、そろそろイこうか…。お仕事まだいっぱい残ってるもんねぇ」
長いキスの後、やさしく囁いて、マジックはシンタローを無茶苦茶に貫き始めた。
嬌声と、息遣いと、肌の打ち合う音と、濡れた音。
マジックは何度も角度を変えては激しく内壁を穿ってシンタローを悦ばせる。
「 ィ…! あ・ああぁッ!!」
シンタローの爪先が引き攣って、絶頂を迎えたのを知る。間を置かずにマジックも呻いて身を震わせた。
ふたりとも、暫く黙って荒い呼吸で抱き合っていたが、マジックがシンタローを起こすとその顎を自分の肩に乗せる。シンタローは余韻に浸っているのか充足した顔で瞳を閉じているのが見えた。
「…足りなかったらまた今夜、…ねv」
「ん…」
甘えるように鼻を鳴らして瞳を開くと、俺と目があった。
そうか、見えるということは見られる可能性もあるのだな。
覗きもなかなか奥が深い。
「なッ…! い……!!」
当て推量だが恐らく、何故、いつからここにという質問だろう。
「なに、ほんの少し前からだ。議定書の原稿を持ってきたぞ」
言うと真っ赤になって相変わらずシンタローを抱いているマジックを引きはがして逃げると、俺の目の前に汗だくで総帥服の前をはだけた身体が現れた。
「別に今更」
「だよねぇ」
「うるせェ! …っあーもー…何してんだよオメーはよッツ」
「出歯亀だ」
「んなこと堂々と言ってんじゃねェ」
「訊くから答えたまでだろう。……だが色々と勉強になった」
「なんのだ」
「それはパパのテクニックさっv」
「黙りやがれ畜生」
後始末をしていたマジックが口を挟んだので、シンタローは悔し紛れに毒づき、俺は素直に首肯する。
「ああそれもある。特にあの最後の腰つきは今後の参考に…」
「するな馬鹿ッ!」
罵倒するシンタローに俺は、やれやれと壁にもたれるのを止め、落ちている総帥服をシンタローに放った。
「さて、総帥の机がベッドじゃないことを思い出せたら服を着るんだな」
言って俺は喉の渇きを癒すため、三人分の水を持って来ようと、いちど総帥室を後にした。
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