キミとボクのキョリとアノコ
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現在、既に肉体的に関係のある内縁の夫婦みたいなでも戸籍上は父親。
の、幼少時の童貞を頂いてしまったのに淫行条例は該当するのかどうかという
ウロボロス的ミステリーが発生しています。
閑話休題。
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こん。こん、こん。かん。
想像したより響かない、何度、指の骨で叩いても、何の変哲もなく堅くまろい音がした。
通り、抜けねェな。
当たり前か。
そう思ってから、否、そうだよそれが当たり前なんだよとの思いをより深める。
鏡とは、映し出すためのものだ。
通り抜けさせて、どこかにやるためのものではない。
…ってかもう、どっかに来ちまってんだけどよ。なんだコレ。
いくら小突いても別段変化がないのに諦めて、キッチンへ戻った。
3日も経てばある程度慣れる。
あの島でもそうだったが、自分は往生際は悪いがけっこう環境適応能力が高いほうなのかもしれない。
オズの魔法使いのドロシーも不思議の国のアリスも、迷い込んだ世界から元いた世界に戻る方法を探して奔走してたけど、それって状況次第だよな。
俺の場合は、年下の恋人は可愛いは恋人の弟たちはカワイイは、ここはどこの天国ですかってくらい幸せだ。
元の世界に戻れなくて、このままここに永住するのもいいナー。
シンタローは半ば本気でそう考えつつ、鍋の具合を見る。
「ただいま。シンタロー」
声をかけられ振り向くと、制服姿のマジックがいて、思わず笑みが零れた。
「おかえり」
シンタローを見るとほっとした顔で、マジックも笑い返して抱きついてくる。
昨日も同じようにして抱きついてきた。
「晩ご飯は?」
「ああ、カレーにしようかと思って。これで形なくなるまで煮込んじまえばバレねーだろー。今日こそアイツに玉葱食わせてやる!」
アイツというのはハーレムを指している。
けっきょく、胡乱ながらも魔法の鏡という事実を夜伽話に語って取り敢えずの信用というか信頼というか恋は盲目というか、を得たシンタローは、マジックが学校に行っている間、暇を持て余して双子の世話を筆頭に、なにやら慣れたもので家政夫まがいのことに勤しんでいた。これも悦に入るほど楽しい。
抱きついたマジックの胸が息を切らして上下している。
シンタローが出現してからずっと、マジックは授業が終わると息せき切って帰ってきた。
家に帰ったらシンタロー、いなくなっているんじゃないかと思って。
マジックはそれが怖いと言って、急ぐ。
傍に、一緒にいられないと、夢だったんじゃないかと思っちゃうんだ。
不自然な、それでいて幸せな邂逅の終わりは、いつ不自然にやってくるのか。
シンタローにも似たような想いはあり、甘やかすのをやめられない。そしてそんな風にシンタローに情熱を傾けてくれる所が可愛く思えてしまうのだから重症だ。
「ハーレムとサービスは?」
「昼寝。つかさっきやっと眠ったって感じだけどナ。ルーザーは…クラブだっけ? 遅くなりそうだな」
「うん。正選手に選ばれたって言っていたからきっと遅くなると思う 」
一気に言い募って息が足りなくなったのか、マジックは大きく深呼吸をした。
「なんか飲むか? 喉乾いただろ。座って待ってろヨ」
言うと、マジックはシンタローをじっと見つめた後、その服に顔を埋めた。
「……ベッドが、いい」
「 っ」
「ベッドがいい」
どきんと胸に衝撃が走ったところに擦り寄るようにしてもう一度繰り返されれば、シンタローに否と言える筈もなかった。もう相当に、甘くできている。
シンタローは火を止めるとマジックの髪をゆっくり撫ぜて名前を呼んだ。
「…途中で脱水症状なんて洒落ンなんねーからな。なんか飲んでから来いヨ」
頬を染めてこくんと頷くマジックにキスをすると、シンタローは先にキッチンを出てマジックの私室に足を向けた。
キミとボクのキョリとアノコ
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数時間経過。
あやうく晩ご飯にカレーが間に合わなくなるところでした。
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先に頬をふくらませたのはハーレムのほう。
「カレー からぁ~ぃっ」
「からぁい」
続けてサービスも舌を出してシンタローの髪をつんと引っ張る。
料理の途中から髪を高い位置で結い上げていたシンタローが、そんなサービスに苦笑して席を立つ。
「んじゃ蜂蜜でもいれるか? あ、林檎。すりおろしてもいいし。甘くなるぞー」
「やーっ」
「いやーぁ」
冷蔵庫を物色しながら双子に問いかけると、異口同音にブーイングされた。
ふたりとも、シンタローにかまって欲しくて大仰に嘘をつく。
「なんだよ。ふたりとも辛いのヤなんだろ?」
「からいの たべれるもん ハーレムと ちがうもん」
「ボクだって ちがうもん オトナだもん へぇきだよっ!」
「こらっ。どっちなんだおまえ達はー」
双子の興味がシンタローからお互いに移って睨みあった所を、とっくみあいになる前にマジックが諫めると、ふたつの小さい首がぴょこりと竦んだ。
「まったく…ケンカばかりする癖にワガママ言う時だけは息が合う」
「いいよ、マジック」
「甘やかしちゃ駄目だよ。ただシンタローに構ってほしいだけなんだから」
「子供なんてオトナぶりたいもんだろー」
シンタローがたしなめるとマジックは表情をなくして大きく溜息を吐いた。
そんなマジックの目の前にレモン水が置かれる。シンタローだ。
「別にオマエのこと言ってるんじゃないぜ?」
「シンタローだって。そんな風にしていると25になんかちっとも見えないよ」
年下の恋人のコンプレックスを見透かして訂正すると、そんな不貞腐れた反撃にあった。それさえも可愛くてシンタローは笑うしかない。
「…シンタローから見れば僕なんて、よっぽど子供に見えるんだろうね」
「や、どっちかってーと経験者は語る、かな。ガキの頃から今に至るまでさんっざん子供扱いされてっからさ、俺。気持ちはよくわかるんだよなー」
俺をガキ扱いしてんのは未来のオマエなんだけどな、とは言わないでおく。
「誰、に?」
緊張をまとった声でマジックが問うてくる。
緊張の意味もコンプレックスの元もぜんぶわかってしまうことがこんなにも愛おしく思えるなんて考えたこともなかった。
「俺の、親父」
今のマジックに未来のマジックの詳細を語ることはしていない。
意地悪ではなくこれ以上面倒な説明をしたくないのと、喋ってしまえば、それとそっくり同じレールを歩む努力をしてしまうのだろうか、と考えるとそれは厭なことだったからだ。
だからこのマジックは、シンタローの父親というのが自分を指しているのだとは知らないでいる。
俺の恣意なんかじゃなく、知らないままで、将来また俺に惚れるんだったらそれも結構ロマンだなあ、とシンタローは内心のんきに含み笑いをしていた。
「……ただいま帰りました」
そこに冷たい声で、ルーザーが帰宅を告げる。
おかえりと皆から言われるのに返事をせず、ルーザーはさっさとキッチンへ向かう。四兄弟の中でひとりルーザーだけがシンタローを信用していなかった。
判断力のある当然の反応だと思っているシンタローは別段気にすることもなく、ルーザーの後を追う。
カレーを食べながらマジックが様子を窺っていると、結構です、構わないでください、と一方的に厳しい声と普通の声とが入れ違いに聞こえてくる。
ルーザーもシンタローも、どちらも大切だ。仲良くしてくれればいいのに。
見に行って仲裁に入ったが良いものかとマジックが考えあぐねていると、先にシンタローがカレーを手に戻ってきた。
ルーザーは腹に据えかねた様子でシンタローを追ってくる。
「やめてください。 僕は貴方が嫌いだ」
「ルーザー!」
暴言にマジックが制止の声をあげるが、それを振り切ってルーザーはシンタローを傷をつけたいがための言葉を続ける。
「とてもじゃないが信用ならない」
「ルーザー、やめなさい」
「 これにだって、毒でも盛ってあるんじゃないですか? 一度じゃ効かなくても、毎日微量に投与すれば…」
「ルー!」
強く愛称で呼び止めて、マジックは恐る恐るシンタローを見た。
目を丸くしたシンタローは、一度ぐっと堪えるようにしてから穏やかに皿を置く。
ルーザーと、向かいあった。
「あーもーカワイっ」
「 っっっ!!」
怒るのか悲しむのかと、シンタローの次の行動に身構えていたルーザーだったが、突然ぎゅっと抱きしめられて声にならない悲鳴をあげた。
かしゃん。
何か落ちたような音がしてそちらを見ると、マジックがショックを受けた顔をして手を空に固まっている。しまったと思ったがもう遅い。
「あ、悪ィ」
そしてシンタローが腕をほどく前にルーザーのほうから逃げ出す。
「ッ……気に食わないっ!」
全身鳥肌を立てて、屈辱に震えて怒るルーザーと、無言で出て行くマジック。
どちらが大切かなんて比べるまでもなく、シンタローはマジックを追った。
キミとボクのキョリとアノコ
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大変です大変です。
なんかこのまま流連してるとシンちゃんは四兄弟みんな喰(後略)。
(冗談で済めばいいんですが)
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(あいつにああいう顔をさせるのは、誰でもない俺だからだ)
シンタローは長い廊下を走っていく小さな背中を追いながら、その思いを噛みしめる。
(泣く、んだろうなー)
その顔を見たいような見たくないような逡巡と一緒に、マジックの腕を捉えた。
「おい」
振り向いた顔は早、涙目だ。
うわー(可愛い)と思(ってしま)ったシンタローは、取りあえずマジックの私室に行こうと背中を押す。
扉を閉めると、感に堪えられずマジックはシンタローの懐に飛び込んできた。
「シンタロー…!」
小さな声で呼び、強く取りすがってくる。
「何だよ。…言えよ」
促してもいやいやと首を左右に振って金髪を乱すだけだ。
「ルーザーのは悪かったよ。もうしない。から、えーと、口きいて?」
基本的に謝ることなど皆無に近いから、なんだか口元が不如意だ。
「シンタローは…」
「ン?」
「シンタローは、ルーザーのこと…、ルーザーに嫌いって言われてもそれでも可愛いの? 僕が。僕が、言っても…」
胸元がじわりと熱く、濡れて滲んだ。
「いやだ。シンタローのこと、きらいだなんて…言えないよ…っ」
胸の中で震えている少年を抱き上げて、 抱き上げることなど、否そもそも抱き上げたいという望みを抱いたことが至極当然のことながら、今まで一度もなかったので シンタローはマジックを手近な椅子まで運んで座らせた。
この部屋には二人がけで座れるものがない。
「マジック」
正面にしゃがみこんで名前を呼んで、金の髪を指に絡める。
マジックの名前を呼ぶ度にシンタローの胸裡は妙にざわつく。
ただ名前を呼ぶだけなのに。
「わかってるよ。俺があいつと…否、誰と仲良くしてもケンカしても。ダメなんだろ? 俺のやること全部がおまえを不安にさせるんだ」
(…コイツの不安は、どうすれば取り除ける?)
「シンタロー、お願い。僕のことを好きって言って。ぼくだけを、すきって」
シンタローは目の前にある少年の手を握った。マジックの視線が落ちてそれに向いたのを見て、シンタローも触れあう手と手を見つめる。
マジックがまばたきをする度に、ほとほとと涙の粒が落ちてくる。
「こっち来て、眼ェあけて。おまえにはじめて逢った時。手の甲の、先の手首ンとこらへん。神経ビリッてなった。息苦しくて心臓うるさくても自分で何ヤッてんのかは判ってたヨ。悪ぃけど俺大人だし。そんなの、言い訳にもならねェって、判ってたのにな 」
シンタローがちょっと屈んで顔を近づけるとマジックも意を介して上を向き瞳を閉じる。潤んだ瞳からつと一筋、涙が伝う。
「愛してる。…そればっかりだよ、俺は」
触れたばかりの唇で告げると、マジックは目を丸くした。
「…ありがとう」
ゆっくりと口元をほころばせると、マジックはシンタローの言葉にくすぐったそうにして額と額をくっつける。
「シンタロー、僕だって心から愛してる。本当のほんとうに愛してるんだ」
「はは、知ってる」
軽く笑ってシンタローは立ち上がると大きく伸びをした。
仰け反り蹌踉けて数歩、後退る。
さてと腰に手をあて、シンタローはマジックを振り見やった。
「まだ食事の途中だったろ? 戻っ…」
うすぐらく視界が左右から遮られる。
「シンタロー!?」
マジックの驚いた声があがる。シンタローはまだ状況が理解できない。
ただ、手が後ろから。 後ろから。何故。
大きな手。
「親父ッ……?」
背後を振り向くこともできず、首筋を肩を掴まれ思い切り引かれる感覚。
「いや! シンタロー!! いやだッ!」
覚えているのは、マジックの悲痛な表情と自分を呼ぶ声。
掴みとどめようと伸べられた小さい掌。
それが最後だった。
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紅茶のいい香りに目を覚ませばマジックの腕の中で おそらくここは。
シンタローがぼんやりと視線を転じれば、いつのことかマジックに投げ捨てられたニューズウィークが折りたたまれてテーブルの上にある。
「おかえり、シンちゃん」
微笑まれて、嫌そうに顔を歪めると自然、涙が零れた。
戻って、きた。
「 あんっっっっっなに可愛かったのに………!!」
「はっはっは。シンちゃん心底残念がってるでしょう。本気で泣いたね?」
「うるせー! チクショー離せ返せもったいねー!!」
「その反応、パパはちょっと複雑で、でもとても嬉しい」
言ってマジックはシンタローのどんな抵抗も許さずに、抱きしめた。
怒鳴って押し返そうとしたが、マジックの突然の沈黙をシンタローはいぶかる。
「おい…親父?」
「そう。そして、ああ、やっと。やっと逢えた…。私を、昔の私を知るシンタロー」
少し黙っていたと思ったら早口で捲し立てて、シンタローの顔をのぞき込んでくる。その表情は、今にも泣きそうで。
誰かと重なる。
誰かと?
「…ほんとうに、逢いたかったんだよ」
「…俺だって、」
「ずっと気にかけていたんだ。いつから、一体いつからシンちゃんは、昔の私を知ることになるのだろうって。知らなくたってシンちゃんはシンちゃんだし、愛に変わりはないけれど、でも。…それでも、逢いたかったんだ…」
マジックはもう一度、シンタローを強く抱きすくめて言葉を続けた。
「だんだん、薄れていくんだ。忘れていくんだ。あの時のシンタローのことを。一日一日と。少しずつ。…声の、色が薄れ、顔を忘れ、そして今日、一瞬。出会ったことさえ忘れそうになって、突然怖くなったよ」
淡々と。
マジックの、他の誰でもないマジックの肩越しに続けられる独白を、シンタローは黙って受け止める。
「このままだと何もかも無かったことになるんじゃないかって。恐慌したよ。それで、それから、だから今日だと思ったんだ。忘れないためには、自分で自分の所に、あそこにシンタローを送り出さなきゃいけないんだって。考えたらとても嬉しくなって、だから」
「あの乱痴気騒ぎ、か? 話の順はなんとなく判ったが…ほんっと、馬鹿だナ」
「馬鹿でいいんだ。シンタローを忘れずにいられた。だから、いい」
耳元で聞こえる存外な声音に、シンタローは吹き出した。
「ガキみてェ」
どけよ、と身体を離して頬をぬぐって、なんて言おうか考えて。
ただいま、を思いつくと同時に、最後に見た幼い泣き顔が頭をかすめた。
「あー…今頃泣いてンのかなー」
「勿論だよ。泣きながらシンちゃんが作ってくれたカレーを最後まで食べて、それから泣きに泣いて。誰に慰められても失意は紛れなかった」
「そ・か…」
それを聞いてしまっては、ただいまとは言えない。
「失ったままだった。 今日までは、ね」
マジックはシンタローに向けてウィンクする。
いつもの伝だ。
それを見て、あっちには心から伝えようとした愛してるも思い出したけれど。
こっちに言うのはなんだか業腹で、言えずじまいで。
「紅茶でも飲もうか」
その言葉に頷くだけにして、シンタローは戻ってきた日常を受け入れた。
END
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