――これは罪か?――
だとしたら、誰が定めた罪なのか。
眼下では彼の息子が規則的な寝息をたてている。よほど疲れているのだろう。彼が側にいることすら気がつかないでいる。
母を亡くし、弟と引き離されてから息子は士官学校での訓練に明け暮れていた。それからというもの、すっかり生傷が絶えなくなってしまった。痣をつくって帰ってくるなど日常茶飯事。だが、日に日にたくましくなっていく。早く強くなって弟を助け出したいという想いと、父の顔を見たくないという感情と。それが原動力だった。
そして疲れ果て、深い眠りに落ちる。
罪のない寝顔。
どんなに大きくなっても寝顔だけは変わらない。ほほえましい気持ちで目を細める。
誰よりも愛しい子。
亡き妻と同じ黒い髪に黒い瞳。成長してさほどでもなくなったが、幼い頃の面差しは妻によく似ていた。だから、こんなに愛しいのか。
美しいその人を思い出す。
政略のために娶らされた妻だった。
だが彼は人質として差し出された女を心から愛していた。
黒絹のようにつややかな髪。
時おり髪をかき上げるしぐさが、ひどく稚かった。
白磁のようにきめの細やかな肌。
そのほほ笑みは儚げで、今にも消えてしまうかとさえ思えた。
そして、ほかに例えようもなく美しかった黒い瞳。
迷いなく、真摯に見あげてくる柔らかなまなざしを何よりも愛していた。
シンタローが生まれた時、彼女はシンタローが秘石眼を持って生まれなかったことを非常に気に病んでいた。周囲も時には無言で、また時には聞こえよがしに彼女を責めた。そしてついには彼女が不義を犯したのではないかというものまで現れだした。
それを聞いたマジックはことさら人前でシンタローを可愛がるようになった。誰がなんと言おうとシンタローは彼の息子であり、愛する妻の息子なのだ。口さがない連中にそれを示すために、誰よりも息子を愛した。
正直なところ秘石眼を持たずに生まれた息子に、落胆をおぼえなかったわけではない。だが妻によく似た息子を彼は溺愛した。今にして思えば息子が秘石眼を持ち、金髪で生まれてきたとしたら、ここまで愛することができただろうか。
梳るようにシンタローの髪を撫でる。
洗いざらしのまま眠ったのだろう。髪がずいぶんと濡れている。
(まったく、風邪をひいても知らないぞ)
反抗期まっさかりの息子は、父親の言うことなど聞きもしない。苦笑しながら、そっとシンタローの頬を掌で包む。
冷たい掌にシンタローのぬくもりが伝わる。
ゆっくりとなだらかな頬のラインをなぞる。
頤を撫で、親指でそっと唇に触れてみる。
かすかな寝息が感じられた。
いとおしい。
どうしてこんなにいとおしいのか。
シンタローがこんなにも妻に似ているから。
だから愛しくてたまらない。
黒絹のようにつややかな髪。
時おり髪をかき上げるしぐさが、ひどく稚かった。
違う
白磁のようにきめの細やかな肌。
そのほほ笑みは儚げで、今にも消えてしまうかとさえ思えた。
違う
そして、ほかに例えようもなく美しかった黒い瞳。
迷いなく、真摯に見あげてくる柔らかなまなざしを何よりも愛していた。
――違う
彼女とシンタローは似ていない。
髪をかき上げるしぐさも、その笑顔も、まなざしも違う。
ならばなぜ、こんなにシンタローが愛しいのか。
今でも妻を愛している。その気持ちに偽りはない。
シンタローがいとおしい
妻に似ているから
違う
妻が残した息子だから
違う
妻のように、愛している
違う
妻のように、ではない。妻以上に。
息子だから、ではない。人として。
誰よりも。シンタローを。
あいしている。
シンタローが目を覚まさないよう、そっとベッドの端に腰かける。両手をつくとわずかにベッドがきしんだ。
そのままゆっくりと覆い被さるように近付いていく。
――これは罪か?――
だとしたら、誰が定めた罪なのか。
見も知らぬ誰かが定めた罪など知らぬ。これが罪だなどと認めない。
もう、互いの息がかかるほど近い。
ただ、彼を愛したいだけ。
それを罪とは呼ばせない。だがそれを――
ほんのわずか、唇の先が触れるだけのくちづけ。
そしてそっと体を離した。
「おやすみ、シンタロー」
静かに囁いたとき、シンタローがかすかに声を漏らし寝返りをうった。まるでマジックを拒むように背を向けて。
その様に思わず苦笑してしまう。
こんな風につれなくされて、それでもなお彼が愛しい。
もう一度口の中で、おやすみ、と呟いて、安らかな眠りを妨げないように静かに部屋を出た。
窓の外にはわずかに欠けた月が晧々と輝き、長い影をおとす。
シンタローを愛している。
ただそれだけ。
それを罪とは呼ばせない。
だがそれを誰かが『罪』と弾劾するのなら
自分を罪に陥れるがいい。
愛している。
――これは罪か?――
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