微睡む
目を開けると、黒髪がシーツに長々と散らばっているのが見えた。少し前まではいちいちはっとさせられたその光景にも、もういい加減慣れていいころだ。
というよりむしろ、慣れなければいけないのだろうな、とハーレムは思う。それは奇妙な余裕と不思議に口惜しいような感慨をハーレムにもたらした。慣れるのは良いことなのだろうが、完全にそうなってしまうまでもう少し、この変にこそばゆいような感覚を味わっていたい気もする。
シンタローはよく眠っていた。昨夜の行為のせいばかりではない。シンタロー同様、戦場に身を置くことを常としているハーレムには、どんな状況であれ深い眠りというものがどういう意味を持つのか、嫌と言うほどわかっていた。
このような無防備なシンタローを見るのは、最近を別にすれば子供のとき以来だ、とハーレムは思う。子供の無邪気さで全てを預けていたかつてのように、シンタローはハーレムに全てをさらけ出して平然としているように見えた。──当のハーレムが柄にもなく不安を覚えてしまうほどには。それは誇らしいのと同時に、ひどくあやういことのようにも思えた。少なくともハーレムには、こうして睦み合っている次の瞬間にも、状況によってはシンタローを害するかもしれない可能性を否定しない。
……もっとも、覚悟しているからといって、傷つかないわけではないが。
だから許されるときには、少しでも長くこうして温もりを分け合っていようとハーレムは思う。このささやかな時間がこの先も定期的に続くだろうなどと考えるほどには、ハーレムはおめでたくも盲目でもなかった。自分たちはいつかまた必ず齟齬を来たす。それは以前のように簡単に修復できるものかもしれないし、もしかしたら今度こそ決定的な亀裂になるのかもしれない。だがそうして取り返しのつかないことになっても、かつて温もりを分け合ったというこの記憶があるのなら、自分とシンタローはきっとそれぞれに生きていけるのだろう。──たとえ互いの姿が傍になくとも。
そんなことをつらつらと考えているうち、不意にシンタローがぱちりと目を開いた。突然のことに息を詰めたハーレムを他所に、シンタローは夢とも現ともつかぬ目でハーレムを見つめると、なにごとかをつぶやいてその身体を抱き寄せた。額に唇を寄せ、髪を撫でると、そのまま再び眠りにつく。なにをされているのか理解できないままのハーレムを残して。
……シンタローは、誰かハーレムではない別の者の名を呼んでいたようだった。
普段なら、そんな勘違いをされて黙っているハーレムではない。だが、シンタローが呼んだのは、もはやいずことも知れぬ楽園に住む、かけがえのない友人の名だった。
寝惚けるにもほどがある、と胸の中で独り言ち、ハーレムは苦く笑う。楽園の少年はシンタローを置いて旅立ってしまったのだが、ハーレムにはどうしても、それは自分たち青の一族がシンタローを縛りつけた結果だとしか思えなかった。
──楽園を知った者が、この世界で生きていけるのか。誰にも理解されず、傷つき、穢され、歪められてしまうだけなのではないか。
シンタローを守らなければならない、とハーレムは思う。ただし本人には気づかれぬように、密やかに巧妙に──シンタローを残していってくれた楽園の少年のためにも、そしてなにより、この世界に止まってくれたシンタロー自身のためにも。
シンタローがハーレムの捻くれた愛情を理解することは一生あるまい。そしてその方が双方にとって幸いだとハーレムは思う。なぜならこの価値観は、青の一族特有のおぞましい執着の一部に他ならないのだから。
蜜月は予想以上に短く、破綻は想像以上に早く訪れることだろう。それでもハーレムはそのことを嘆きはしない。もたらされるものの大きさを思えば、自分の支払うべき代価など安いものだ。
すぐ傍にはシンタローの寝息と鼓動がある。それが失われるのは先のこと、少なくとも今ではない。
ならばこの現状を十分に堪能しようとハーレムは思った。未来は未来。今から思い悩むことはない。今はまだ。
そうしてハーレムもまた、シンタローの腕の中で眠りに落ちた。鼓動を子守唄に、子供のように。
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(07.05.16.)
目を開けると、黒髪がシーツに長々と散らばっているのが見えた。少し前まではいちいちはっとさせられたその光景にも、もういい加減慣れていいころだ。
というよりむしろ、慣れなければいけないのだろうな、とハーレムは思う。それは奇妙な余裕と不思議に口惜しいような感慨をハーレムにもたらした。慣れるのは良いことなのだろうが、完全にそうなってしまうまでもう少し、この変にこそばゆいような感覚を味わっていたい気もする。
シンタローはよく眠っていた。昨夜の行為のせいばかりではない。シンタロー同様、戦場に身を置くことを常としているハーレムには、どんな状況であれ深い眠りというものがどういう意味を持つのか、嫌と言うほどわかっていた。
このような無防備なシンタローを見るのは、最近を別にすれば子供のとき以来だ、とハーレムは思う。子供の無邪気さで全てを預けていたかつてのように、シンタローはハーレムに全てをさらけ出して平然としているように見えた。──当のハーレムが柄にもなく不安を覚えてしまうほどには。それは誇らしいのと同時に、ひどくあやういことのようにも思えた。少なくともハーレムには、こうして睦み合っている次の瞬間にも、状況によってはシンタローを害するかもしれない可能性を否定しない。
……もっとも、覚悟しているからといって、傷つかないわけではないが。
だから許されるときには、少しでも長くこうして温もりを分け合っていようとハーレムは思う。このささやかな時間がこの先も定期的に続くだろうなどと考えるほどには、ハーレムはおめでたくも盲目でもなかった。自分たちはいつかまた必ず齟齬を来たす。それは以前のように簡単に修復できるものかもしれないし、もしかしたら今度こそ決定的な亀裂になるのかもしれない。だがそうして取り返しのつかないことになっても、かつて温もりを分け合ったというこの記憶があるのなら、自分とシンタローはきっとそれぞれに生きていけるのだろう。──たとえ互いの姿が傍になくとも。
そんなことをつらつらと考えているうち、不意にシンタローがぱちりと目を開いた。突然のことに息を詰めたハーレムを他所に、シンタローは夢とも現ともつかぬ目でハーレムを見つめると、なにごとかをつぶやいてその身体を抱き寄せた。額に唇を寄せ、髪を撫でると、そのまま再び眠りにつく。なにをされているのか理解できないままのハーレムを残して。
……シンタローは、誰かハーレムではない別の者の名を呼んでいたようだった。
普段なら、そんな勘違いをされて黙っているハーレムではない。だが、シンタローが呼んだのは、もはやいずことも知れぬ楽園に住む、かけがえのない友人の名だった。
寝惚けるにもほどがある、と胸の中で独り言ち、ハーレムは苦く笑う。楽園の少年はシンタローを置いて旅立ってしまったのだが、ハーレムにはどうしても、それは自分たち青の一族がシンタローを縛りつけた結果だとしか思えなかった。
──楽園を知った者が、この世界で生きていけるのか。誰にも理解されず、傷つき、穢され、歪められてしまうだけなのではないか。
シンタローを守らなければならない、とハーレムは思う。ただし本人には気づかれぬように、密やかに巧妙に──シンタローを残していってくれた楽園の少年のためにも、そしてなにより、この世界に止まってくれたシンタロー自身のためにも。
シンタローがハーレムの捻くれた愛情を理解することは一生あるまい。そしてその方が双方にとって幸いだとハーレムは思う。なぜならこの価値観は、青の一族特有のおぞましい執着の一部に他ならないのだから。
蜜月は予想以上に短く、破綻は想像以上に早く訪れることだろう。それでもハーレムはそのことを嘆きはしない。もたらされるものの大きさを思えば、自分の支払うべき代価など安いものだ。
すぐ傍にはシンタローの寝息と鼓動がある。それが失われるのは先のこと、少なくとも今ではない。
ならばこの現状を十分に堪能しようとハーレムは思った。未来は未来。今から思い悩むことはない。今はまだ。
そうしてハーレムもまた、シンタローの腕の中で眠りに落ちた。鼓動を子守唄に、子供のように。
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(07.05.16.)
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