「Dブロックへ行ったぞ!」
「先回りしろ !! 」
ガンマ団塔内に、サイレンが響いた。
シンタローが秘石を奪って逃走したからだった。
マジックはまるで動揺を見せなかった。部下らに平然と、秘石の奪還を命じたのだ。手段を、選ぶなと言い下して。
シンタローは走っていた。 リュックの中には一族の象徴とも言うべき青い石が入っている。シンタローの父であるマジックが部屋に飾っている宝だ。宝石というには大きすぎるが、他ならぬマジックが大切にしているものだから、ある程度の値打ちはあるのだと思う。シンタローは、だからそれを手にした。いずれ自分の物になっただろう石を、今、奪ったのだ。
マジックへの、反抗の為に。
大切な物を奪われる悲しみを、わかってほしかったから。わかってほしくて、そうして、弟を返して欲しくて。
今のシンタローには、もうそれしか方法がなかったのだ。
「シンタロー」
うまく追っ手を巻いたと思っていたシンタローの目の前に、立ちはだかる影があった。
「ちぃッ」
シンタローは腕に忍ばせたナイフを影に向かって投げた。だがそれは甲高い嫌な音を立てて弾かれてしまう。
「何!?」
敵もナイフを持っていた。しかしナイフでもって実力者シンタローの刃を弾くことは並大抵のことではない。
「あ!お前…アラシヤマ !! 」
現れた人影は、既に十年来の付き合いのある男、アラシヤマだった。
士官学校の準備コースからずっと一緒で、嫌なことに、実力面において無視することができない男だった。
「てめェ…」
通路の行く手を遮る形で現れたアラシヤマは、弾いたシンタローのナイフを拾い上げて、世間話でもするかのような軽めの口調で話しかけた。
「シンタローはん。これはまた、思い切ったことをしはりましたな」
「うるせぇ!そこをどけ。相手が誰だろうと容赦しないぜ!!」
この逃亡はシンタローにとって生まれて初めての賭けなのだ。何としてでもマジックの手から逃れなければならないのだ。
シンタローはゆっくり、新しいナイフを構えた。
裁かれざる者2
アオザワシンたろー
シンタローが生まれたのは、日本という東洋に浮かぶ島国だった。ガンマ団総帥マジックの長男として、日本人の母との間に生まれた子である。
嫡子誕生の報告はすぐさま父親であるマジックの元に届けられた。しかし、彼はシンタローの誕生を心から喜べなかった。
何故なら、マジックにとって秘石眼を受け継ぐ--まして実の--子供は『危険分子』だったからだ。
青の一族は、愛すべき者を愛せない一族だった。
そういう呪われた血筋を持っていた。
ところが、シンタローはそこに終止符を打った。驚くべきことに、シンタローは一族固有の印を、何も持っていなかったのである。
マジックの弟のサービスが、兄に呼び出されて彼の元を訪れたのは、シンタローが生まれてから一ヶ月以上もたった頃だった。
「可愛いだろう?」
マジックの側近の腕の中に、眠った小さな赤ん坊がいる。
それがシンタローだ。これでサービスは、まだ二十歳にもならないというのに『おじさん』になってしまったわけだ。
「……髪が、黒いなんて珍しいな…」
側近の腕のなかですやすやと眠っている赤ん坊の薄い髪は、母方の血を色濃く引いたのか、黒い色をしていた。今まで一族の遺伝子は他のどの遺伝子に対しても優性だったのだから、これは相当珍しいことだった。
だからサービスは初め、マジックが生まれた息子をなかなか見せてくれなかったのは、その髪のせいだと思った。
しかし、理由は他にあった。
「シンタローというのだ。驚いたか?髪だけではない。この子は…両目とも普通の目なんだよ…」
「両目とも!?」
サービスが驚くのも無理はない。それを知った時、マジックでさえ我が眼を疑ったほどなのだから。
「秘石眼を持たないなんて…そんなことがあるのか…」
驚愕の内側から、小さな感動さえ生まれる。
数々の悲劇を生み出す秘石眼を、幸運にも持たなかったという。
そう、幸運には違いない。
たとえ一族から異端な容姿でも、秘石眼など無いほうがよい。
サービスは自分の右眼があった所を思いやった。自分で抉ったその傷は、季節の変わり目ごとに痛む。
「……シンタローか、可愛いですね」
「ああ、本当にこの子は可愛いだろう。本当に…可愛いんだ」
マジックは、弟に背を向けて…はっきりとそう言った。
まるで下らない話題のように、抑揚のない口調で、我が子を、可愛いと。
「兄さん……!?」
可愛いと。……それが、父親としての言葉ではないのだということに、サービスは気がついた。
マジックの声は、シンタローを蔑んでさえいるではないか?
「兄さん…」
背を向けてしまった総帥、マジックとの間に重苦しい沈黙が訪れた。
サービスの頭に混乱が生じる。
もしシンタローが他の一族の子らと同じように秘石眼を持って生まれてきたのなら、マジックは総帥だったから、総帥なのだから、シンタローを愛せないのもわかる。
二つの秘石眼を持ち、それを制御できる最強の男なのだから…もしその座を危うくする者がいるとすれば、同族の者に他ならない。
それも、最強の血を引いた子供なら、危険性も高い。
……だからシンタローが普通の眼をして生まれてきたのは、確かに幸運だったのだ。父親から敵対視されることは絶対に無い。
この子は一族の中で初めて、本当に父親に愛される子供になれるかもしれない。サービスはそう思ったのに、マジックの声には、シンタローに対する愛情は微塵も感じられなかった。
「兄さん……」
「サービス。お前が監督してこの子を日本支部へ連れて行け。教育施設はあっちの方が整っているからな」
「…えっ?」
「本部には子供のいる場所などないよ」
マジックの言葉を合図として、側近がシンタローをサービスに渡した。あどけない寝顔を見て、サービスは問い詰めずにはいられない。
「どうして…」
マジックは笑った。
要するに、いらないのだ。
可愛い子など、いらないのだ。
それは矛盾した感情だった。
一族の男として、子供を成し、けれどその子を最も恐れる。
青の一族は愛せない子供しかつくれなかった。子供を愛することができない一族だった。
けれど。
「何故だ!」
サービスは叫んだ。
今ようやく、ただ一人の例外が生まれたというのに、マジックは、その子を愛さないというのだ。
「何も危険はないのに」
「早く連れて行け」
マジックの眼は、既に仕事の書類に移っていた。サービスはやりきれなさをどうすることもできないまま、その場を後にした。
マジックの決定は、絶対だった。たとえどれ程にサービスが訴えようと、意思は翻されまい。常なら、迷いなく断を下し一族と団を率いるマジックに尊敬の念さえ持っていたが、今はその力関係が恨めしくさえあった。
自分の運命を何も知らないシンタローは、まだ眠っている……。
マジックが日本支部を訪れたとき、その養育係りはしつこく食い下がった。
二年前、サービスからシンタローを育てるように命令された係りたちの中の一人だった。
滅多に日本を訪れないマジックに向かって、彼だけが果敢にも、シンタローに会って欲しいと直訴したのである。
身のほどをわきまえずに意見する、その養育係りを処分するのは簡単なことだったが、珍しくマジックは気まぐれを起こした。
命を失うかもしれない行動を取らせる原因となっているのは、まだ幼い彼の息子だからだ。意図的に人を動かせる年齢ではない。
では何が、この男に命懸けの行動を取らせたのか。
そこにほんの少し、興味を覚えたからである。
ガンマ団の中枢である本部と違って、日本とイギリス支部は、ジュニア研修期間を持っていた。年齢の低いうちにガンマ団に入ったものは、ここで訓練を受け、本部や戦場へ散って行く。比較的平均年齢の低い日本支部ではあったが、それでもシンタローが最年少だろう。
「あそこです、総帥」
イギリス支部の方ならば、シンタロー以外にも総帥一族の子弟がいる。けれど容姿ゆえ、シンタローは一人日本支部へやられたのだ。
養育係りにしてみれば、不本意な任務であっても時が経てば愛着もわく。それは同時に、幼いシンタローを突き放したマジックへの不審に繋がっていった。
年月が一兵士に、シンタローに父親の愛情を与えてやりたい、と思わせたのである。
マジックが案内されたのは基地内にある公園だ。
シンタローは養育係りたちと毎日公園を散歩することになっていた。
今日もそれは変わらない。
芝生の上に、まるでピクニックでもしているような呑気な一団がいる。彼らがシンタローのためのグループだ。
マジックを案内した男が仲間の元に走りより、中央にいた小さな子供を抱き抱えた。そしてその子をマジックの所に連れてきて、抱えた子のあどけない瞳を見つめ
「ジュニア、ほら、お父様ですよ」
とマジックの方を向かせたのである。
子供の存在など忘れかけていたマジックにとって、それは衝撃的な言葉だった。
係の腕の中にいる子供の髪と眼は黒い。
どこも自分と似てはいなかったが、それは確かに彼の子供だった。
マジックの血を引く、マジックに危険をもたらすかもしれなかった子供。けれど何の力も持たずに生まれてきてしまった子供。
シンタローとマジックの眼が、合った。
シンタローが誕生してから、初めてのことだった。
「ほう…。大きくなったものだ」
なまじっか、時間が経っていたからこそ冷静に子供を見つめられたのかもしれない。マジックにとって、子供はそんなに嫌な印象はなかった。それどころか、素直で綺麗な眼が愛らしい。
危険なものなど微塵も感じなかった。
むしろ、これほどに無力であるのに、苛立たしさも感じないなんて、ほとんど初めてのことである。 無力であることが、愛しくなるなんて。
マジックは己の心に沸いた感情にわずかばかり戸惑った。
「ぱ……ぱ…?」
シンタローが、マジックを見つめて尋ねた。
声は、高くて、おとなしかった。子供特有の耳障りな感じはしない。それもマジックは気にいった。
「そうだよ」
答えてやると、シンタローはぱっと笑顔になった。急に世界が明るくなった。
明るくなった……そう感じて、マジックの戸惑いは大きくなった。
何なのだ、この感じは。緊迫した事態でもないのに、心臓が脈打つ。
あどけない子供は、父親を初めて見ることが出来て嬉しいのか、手を伸ばした。
マジックの顔に、笑みが灯った。
マジックとシンタローの反応を予測していた係の男が、彼に子供を明け渡す。
マジックは、初めて自分の子を抱いた。
柔らかくて、手足なんかは小さくて、マジックの腕の中にすとんと治まってしまう子供だった。
「シンタロー……か」
「ぱぁぱ」
「そう…お前の父親だ」
マジックにとって子供が最も危険な存在であったように、シンタローにとっても最も危険な存在でしかなかったはずの『父親』マジック。
けれど。
ただ一組、一族の運命から逃れた親子。
「お前の…パパだよ……」
それは、マジックから息子への、そして自分自身への言い聞かせの言葉だった。
長い溝を埋めるための儀式だった。
「そうだ…私は、お前の父親なのだ…」
シンタローが嬉しそうにマジックの顔に手を寄せる。小さなてのひらで、確かめるように頬をなぞる。そして安心したような笑みを浮かべた。
「総帥、これからジュニアのお食事の時間ですが、御一緒にいかがでしょう」
頃合を見計らって声を掛けた係りの男に罪はない。
「ごー…はん。たべる。たつや、ごはん」
タツヤ、というのが係官の名前だ。シンタローが養育係りの名前を覚えているのは当然のことだし、空腹になれば、食事をねだることも当然のことだった。
けれども、それは今のマジックには許しがたいことでしかなかった。
私の息子が、何故他人の手から食べ物を得るのだ、と。 そしてまた、このマジックが抱いてやっているというのに、と。
その腕の中にありながら他の者に意識をやることは、たった今から罪になったのだ。
「シンタロー」
もともと、係官同様、幼いシンタローにも罪はなかったけれど、そんなことは総帥マジックの前では通用しなかった。
「ぱぱ?」
マジックは己の中に生まれたシンタローに対する所有欲に対して、素直に行動することが許される人間だった。
「そう。パパだけを見ていなさい。お前へのお仕置はまた後だ」
「?」
マジックはことさらきつくシンタローを抱くと、タツヤという若い兵士を見やった。彼は今や、マジックの知らないシンタローを知っている人間だ。それも、てなずけている人間だった。
「……食事は私のところへ運ばせろ。それから、シンタローの部屋は処分しておけ。この子は連れて行く」
「総…!」
若い兵士の驚愕を、側にいた兵士が無理やり押さえた。
総帥が望むことなら、すべて適えられなければならないのだ。もしこのとき、タツヤという若者が一言でも異を唱えようものなら、その命は既に失われていただろう。
もっともこの後、シンタローに関することは全て口外を禁じられ、前線に送られたことを思えば、どちらが彼に取って幸福だったのか。
「シンタローは、パパと行くよね?」
問いの意味などわかるはずもなかったが、マジックの笑顔を返すように、シンタローは喜んでみせた。
「いい子だ」
笑顔も声も、全部マジックのものだった。否、そうでなければならないのだと、マジックは思った。
通り過ぎた過去さえも、手に入れる権利が、自分にはあるのだ。
子供は、夜と言わず泣いた。
いつも物語を聞かせてくれていた若者の名を呼んだ。 知らない部屋を彷徨った。
擦れ違う誰も、優しく声を掛けてくれなかった。
シンタローは本部へ移されてから、二日も放って置かれた。
子供には残酷過ぎる時間だった。
恐慌状態に陥るのも、愛情に飢えるのも早かった。
小さな頭を必死に働かせて、シンタローは考えた。震えながら考えた。
誰が、助けてくれるのかを。
それはマジックが張った小さな策略。シンタローに見抜ける筈もなかった。
「覚えておくんだよシンタロー。お前はパパがいなくちゃ生きていけないんだからね」
空っぽになったシンタローの心に、暖かい掌と安心を与えて、マジックはそう囁いた。ようやく手に入れた安堵の中で、シンタローは本当にそうだと思った。
マジックが、『すべて』----なのだと。
そう、信じこまされた……。
裁かれざる者3
アオザワシンたろー
兵士らの間に、マジックのシンタローへの愛情が噂となって流れるのにそう時間はかからなかった。
兵士らにはシンタローの変化などわかるはずもない。むしろマジックの行動の方が、驚嘆をもって語られたのだ。
また、決して不用意にシンタローに触れてはならぬという暗黙の了解が出来るまでにも、時間は掛からなかった。
シンタローは『マジックが愛する者』。
それ以外の、何者でもあってはならない者。
マジックはシンタローを人目に晒すことを極端に嫌い、また、シンタローに必要と判断された極少数の者にさえ会話を禁じていたのから、そのルールの厳しさも計れようというものだ。
誰もが、シンタローに触れないようにした。
誰もが、シンタローと眼を合わせないようにしてきた。 そうして、何年も過ぎた。
「なんだ、このガキは」
ガンマ団本部、廊下の出会い頭に思わず蹴飛ばしてしまった子供に、不審の声を上げた男がいた。男の案内を言い遣っていた士官が真っ青になって、子供を抱き起こした。
「だ…大丈夫でございますか」
「…うん」
士官が、自分より子供の様子見を優先させたことに腹を立て、男がねめつける。
「コレはなんだ。ここには幼少教育機関はなかったはずだぞ」
「こ…こちらは、シンタロー様です…」
男--ハーレムに圧倒されて、士官の声はかぼそかった。
「シンタロー?なんだ、ソレは。ええ?シンタロー?待てよ、その名前は確か…」
肩まで伸びた黄金の髪の端を引っ張り、ハーレムが記憶を探った。
「思い出した、兄貴の子供だ!…ええ、コイツが !? 」
自分で言った台詞に驚いて、ハーレムは甥に当たる子供を見た。
背丈なんかハーレムの半分しかなくて、おまけに黒髪で、黒い眼で、どこかの民家の子供のようなあどけない顔をしていた。
「お前、マジックの息子か?」
シンタローは、初めて見るマジックと同じ髪の背の高い男を見上げて、呆然としていた。シンタローの記憶の中に、こんなふうにシンタローにぶつかっても堂々としている人間はいない。こんなにエラソーなのは他にいない。
「耳がないのか、お前には」
いらついて、ハーレムが叱責する。そこへ
「私のシンタローにそんな口を聞くな」
現れたのは当然、マジックだった。
「兄貴。へぇ、子煩悩だっていう兵士どものウワサは本当だっていうのかな」
「パパ!」
マジックが、手を差し延べている。だからシンタローは大好きなマジックの所へ走っていって飛びついた。
マジックの腕はいつも暖かくて力強い。他の誰も優しくしてくれないけど、マジックは特別なのだ。
このとき既に、シンタローに日本支部にいた頃の記憶は無かった。
あるのはマジックに対する絶対的な愛情。
シンタローにとって、マジックは絶対で、特別だった。唯一で、全てだった。それ以外のことは、考えられなかった。
「何か報告があったのだろう?」
シンタローを腕に抱いたまま、マジックが問う。
「ああ。今部屋にいく所だったんだ。ここでちょっとそいつを蹴っちまってな。なにしろあまりにチビで」
ハーレムがそいつ、と言ったのはもちろんシンタローだ。
だがマジックは気を悪くした様子もなく、シンタローに具合を尋ねた。
「どこか痛くしたかい?」
「ううん。大丈夫」
「そうか、じゃあ、今悪い奴をこらしめるから、ちょっと眼をつぶっておいで」
「?うん」
シンタローが眼を閉じたことを確認して、マジックが振り返ったのは、ハーレムをマジックの所へ案内していた士官だった。
「わ…わたくしは何も… !! 」
「うるさい。貴様が無能だからこうなったのだ」
士官には反論の時間は与えられなかった。
一瞬のうちに終わった制裁を当然のことのように受け止めたハーレムは、子煩悩でもやることは変わらねぇなと呟いた。
ハーレムは、シンタローが見た父親以外の初めての 「一族」だった。
マジックという名の父親は、誰よりも偉くて、たくさんの部下を持っている。ちょっと命令しただけで、皆が言う事を聞く。
そんな立派な父親は、シンタローの誇りだった。そんな立派なマジックが、誰よりも眼をかけているのは自分なのだ、そう実感する度に、シンタローは幸せな気持ちになった。マジックに愛されているということは、何よりも素敵なことだったのだ。
「サービスの奴が軍籍を抜けるって聞いたぜ?それを許したのか」
ハーレムは、シンタローが大好きなパパに対して、他の兵士のような話し方はしなかった。不思議なことだったけれど、それでもマジックの方が偉く見えたので許すことにした。パパより偉い人間なんて認めたくなかったからだ。
「何故俺の所に寄越してくれなかったんだよ。サービスのポストぐらいいくつだって作るのに」
見事な金の髪をかきあげて、ハーレムが言うのは文句だった。
「奴には奴の考えもある。放っておけ」
「しかし…」
食い下がろうとして、彼はふと視界のすみにちょこんと座っているシンタローを見つけた。マジックが下がらせようとしなかったのだ。
「なぁ坊主。お前からもお願いしろよ。サービスが遠くにいったらヤだろう?」
いきなり話題を振られたが、生憎この時まだシンタローはサービスを知らなかった。
「サービスを知らない?俺の弟で、お前の叔父にあたる。物凄いベッピンだぞ。しかも独身」
「…べっぴん?」
「そう!一番綺麗で可愛いってコトだ」
ハーレムは、自分の双子の弟をそんなふうに表現した。 その言葉にシンタローが疑問をもった。変だなあと、思った。
だって、一番綺麗で可愛いのは『シンタロー』なのだから。
シンタローの疑問を察して、マジックはハーレムを遮り、シンタローを抱き上げた。
そして
「シンちゃんの方が可愛いよv」
キスをひとつ。
機嫌を良くしたのはシンタロー。
呆然としたのはそれを見たハーレム。
キス。
キスだって?
一族最強の権力信奉者が、こんな子供に愛情を示す行動を取った。
「……子煩悩っていうのは…本当に、本当なのか…」
今の今まで、信じていなかったハーレムである。
「でもサービスおじさんも綺麗なんでしょ?」
シンタローの問い掛けに、マジックはゆっくりと首を振った。
「お前の方が、何百倍の可愛くて綺麗だよ。パパの言うことが信じられない?」
「ううん。パパの言う事はいつでも正しいんだよね」
「そうだヨ。シンタローはいい子だね」
やりとりに、まったく口を挟めないハーレムである。
さっきまで確かにマジックは彼の知る総帥だったのだが、突然別人になってしまったかのようだ。
これでは、まるきり『普通』ではないか。
「……お…驚いたな。兄貴にそういうところがあったとは…」
誰にも---自分の弟たちにさえキスひとつくれなかった兄が、何のためらいもなく唇を寄せた。
たかが二、三年会わなかった間に、一体マジックに何があったのだろうと考えても無理はない。ハーレムの知っていたマジックは、愛情など誰にも注がないような、そんな男だったのだから。
原因は--たぶん、シンタロー。
「ふーん。そいつ普通だもんな。もしそいつが一族の印を持ってたら、こうはいかなかったんじゃないか?いかな俺でも、兄貴そっくりのガキと兄貴がにこやかに並んでるトコなんて正視できないぞ…」
ハーレムの呟きに、たいした意味は無い。
けれど、シンタローにとっては重くのしかかってくる言葉だった。
「ハーレム。用が済んだなら行け。私たちはこれから昼食なのだ」
「ハイハイ。すっかり所帯じみちまって…。好きにするさ」
ハーレムが去ったあとも、シンタローの心に言葉は残った。
「シンちゃん?」
「パパ。僕、パパに似てないの?」
それは素朴な疑問だ。
けれど、シンタローの一生に関わる問題だった。
ハーレムは言ったのだ。シンタローのことを『普通』だと。似ていないのだと。
「そんなことないよ!シンちゃんはパパに似てとってもハンサムで、とっても可愛くって、とっても素敵だよ」
マジックは力強くそう答えてやる。マジックにそう言われると、シンタローもそうなんだと思える。 今までは、そうだった。
けれど。
シンタローはやがて、従兄弟のグンマと、グンマを連れてきたサービスと出会う。
そのとき、シンタローは知るのだった。
『似ていない』のではない。
自分だけが、----『違う』のだと。
次はシンちゃん苦悩の目覚め。
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「先回りしろ !! 」
ガンマ団塔内に、サイレンが響いた。
シンタローが秘石を奪って逃走したからだった。
マジックはまるで動揺を見せなかった。部下らに平然と、秘石の奪還を命じたのだ。手段を、選ぶなと言い下して。
シンタローは走っていた。 リュックの中には一族の象徴とも言うべき青い石が入っている。シンタローの父であるマジックが部屋に飾っている宝だ。宝石というには大きすぎるが、他ならぬマジックが大切にしているものだから、ある程度の値打ちはあるのだと思う。シンタローは、だからそれを手にした。いずれ自分の物になっただろう石を、今、奪ったのだ。
マジックへの、反抗の為に。
大切な物を奪われる悲しみを、わかってほしかったから。わかってほしくて、そうして、弟を返して欲しくて。
今のシンタローには、もうそれしか方法がなかったのだ。
「シンタロー」
うまく追っ手を巻いたと思っていたシンタローの目の前に、立ちはだかる影があった。
「ちぃッ」
シンタローは腕に忍ばせたナイフを影に向かって投げた。だがそれは甲高い嫌な音を立てて弾かれてしまう。
「何!?」
敵もナイフを持っていた。しかしナイフでもって実力者シンタローの刃を弾くことは並大抵のことではない。
「あ!お前…アラシヤマ !! 」
現れた人影は、既に十年来の付き合いのある男、アラシヤマだった。
士官学校の準備コースからずっと一緒で、嫌なことに、実力面において無視することができない男だった。
「てめェ…」
通路の行く手を遮る形で現れたアラシヤマは、弾いたシンタローのナイフを拾い上げて、世間話でもするかのような軽めの口調で話しかけた。
「シンタローはん。これはまた、思い切ったことをしはりましたな」
「うるせぇ!そこをどけ。相手が誰だろうと容赦しないぜ!!」
この逃亡はシンタローにとって生まれて初めての賭けなのだ。何としてでもマジックの手から逃れなければならないのだ。
シンタローはゆっくり、新しいナイフを構えた。
裁かれざる者2
アオザワシンたろー
シンタローが生まれたのは、日本という東洋に浮かぶ島国だった。ガンマ団総帥マジックの長男として、日本人の母との間に生まれた子である。
嫡子誕生の報告はすぐさま父親であるマジックの元に届けられた。しかし、彼はシンタローの誕生を心から喜べなかった。
何故なら、マジックにとって秘石眼を受け継ぐ--まして実の--子供は『危険分子』だったからだ。
青の一族は、愛すべき者を愛せない一族だった。
そういう呪われた血筋を持っていた。
ところが、シンタローはそこに終止符を打った。驚くべきことに、シンタローは一族固有の印を、何も持っていなかったのである。
マジックの弟のサービスが、兄に呼び出されて彼の元を訪れたのは、シンタローが生まれてから一ヶ月以上もたった頃だった。
「可愛いだろう?」
マジックの側近の腕の中に、眠った小さな赤ん坊がいる。
それがシンタローだ。これでサービスは、まだ二十歳にもならないというのに『おじさん』になってしまったわけだ。
「……髪が、黒いなんて珍しいな…」
側近の腕のなかですやすやと眠っている赤ん坊の薄い髪は、母方の血を色濃く引いたのか、黒い色をしていた。今まで一族の遺伝子は他のどの遺伝子に対しても優性だったのだから、これは相当珍しいことだった。
だからサービスは初め、マジックが生まれた息子をなかなか見せてくれなかったのは、その髪のせいだと思った。
しかし、理由は他にあった。
「シンタローというのだ。驚いたか?髪だけではない。この子は…両目とも普通の目なんだよ…」
「両目とも!?」
サービスが驚くのも無理はない。それを知った時、マジックでさえ我が眼を疑ったほどなのだから。
「秘石眼を持たないなんて…そんなことがあるのか…」
驚愕の内側から、小さな感動さえ生まれる。
数々の悲劇を生み出す秘石眼を、幸運にも持たなかったという。
そう、幸運には違いない。
たとえ一族から異端な容姿でも、秘石眼など無いほうがよい。
サービスは自分の右眼があった所を思いやった。自分で抉ったその傷は、季節の変わり目ごとに痛む。
「……シンタローか、可愛いですね」
「ああ、本当にこの子は可愛いだろう。本当に…可愛いんだ」
マジックは、弟に背を向けて…はっきりとそう言った。
まるで下らない話題のように、抑揚のない口調で、我が子を、可愛いと。
「兄さん……!?」
可愛いと。……それが、父親としての言葉ではないのだということに、サービスは気がついた。
マジックの声は、シンタローを蔑んでさえいるではないか?
「兄さん…」
背を向けてしまった総帥、マジックとの間に重苦しい沈黙が訪れた。
サービスの頭に混乱が生じる。
もしシンタローが他の一族の子らと同じように秘石眼を持って生まれてきたのなら、マジックは総帥だったから、総帥なのだから、シンタローを愛せないのもわかる。
二つの秘石眼を持ち、それを制御できる最強の男なのだから…もしその座を危うくする者がいるとすれば、同族の者に他ならない。
それも、最強の血を引いた子供なら、危険性も高い。
……だからシンタローが普通の眼をして生まれてきたのは、確かに幸運だったのだ。父親から敵対視されることは絶対に無い。
この子は一族の中で初めて、本当に父親に愛される子供になれるかもしれない。サービスはそう思ったのに、マジックの声には、シンタローに対する愛情は微塵も感じられなかった。
「兄さん……」
「サービス。お前が監督してこの子を日本支部へ連れて行け。教育施設はあっちの方が整っているからな」
「…えっ?」
「本部には子供のいる場所などないよ」
マジックの言葉を合図として、側近がシンタローをサービスに渡した。あどけない寝顔を見て、サービスは問い詰めずにはいられない。
「どうして…」
マジックは笑った。
要するに、いらないのだ。
可愛い子など、いらないのだ。
それは矛盾した感情だった。
一族の男として、子供を成し、けれどその子を最も恐れる。
青の一族は愛せない子供しかつくれなかった。子供を愛することができない一族だった。
けれど。
「何故だ!」
サービスは叫んだ。
今ようやく、ただ一人の例外が生まれたというのに、マジックは、その子を愛さないというのだ。
「何も危険はないのに」
「早く連れて行け」
マジックの眼は、既に仕事の書類に移っていた。サービスはやりきれなさをどうすることもできないまま、その場を後にした。
マジックの決定は、絶対だった。たとえどれ程にサービスが訴えようと、意思は翻されまい。常なら、迷いなく断を下し一族と団を率いるマジックに尊敬の念さえ持っていたが、今はその力関係が恨めしくさえあった。
自分の運命を何も知らないシンタローは、まだ眠っている……。
マジックが日本支部を訪れたとき、その養育係りはしつこく食い下がった。
二年前、サービスからシンタローを育てるように命令された係りたちの中の一人だった。
滅多に日本を訪れないマジックに向かって、彼だけが果敢にも、シンタローに会って欲しいと直訴したのである。
身のほどをわきまえずに意見する、その養育係りを処分するのは簡単なことだったが、珍しくマジックは気まぐれを起こした。
命を失うかもしれない行動を取らせる原因となっているのは、まだ幼い彼の息子だからだ。意図的に人を動かせる年齢ではない。
では何が、この男に命懸けの行動を取らせたのか。
そこにほんの少し、興味を覚えたからである。
ガンマ団の中枢である本部と違って、日本とイギリス支部は、ジュニア研修期間を持っていた。年齢の低いうちにガンマ団に入ったものは、ここで訓練を受け、本部や戦場へ散って行く。比較的平均年齢の低い日本支部ではあったが、それでもシンタローが最年少だろう。
「あそこです、総帥」
イギリス支部の方ならば、シンタロー以外にも総帥一族の子弟がいる。けれど容姿ゆえ、シンタローは一人日本支部へやられたのだ。
養育係りにしてみれば、不本意な任務であっても時が経てば愛着もわく。それは同時に、幼いシンタローを突き放したマジックへの不審に繋がっていった。
年月が一兵士に、シンタローに父親の愛情を与えてやりたい、と思わせたのである。
マジックが案内されたのは基地内にある公園だ。
シンタローは養育係りたちと毎日公園を散歩することになっていた。
今日もそれは変わらない。
芝生の上に、まるでピクニックでもしているような呑気な一団がいる。彼らがシンタローのためのグループだ。
マジックを案内した男が仲間の元に走りより、中央にいた小さな子供を抱き抱えた。そしてその子をマジックの所に連れてきて、抱えた子のあどけない瞳を見つめ
「ジュニア、ほら、お父様ですよ」
とマジックの方を向かせたのである。
子供の存在など忘れかけていたマジックにとって、それは衝撃的な言葉だった。
係の腕の中にいる子供の髪と眼は黒い。
どこも自分と似てはいなかったが、それは確かに彼の子供だった。
マジックの血を引く、マジックに危険をもたらすかもしれなかった子供。けれど何の力も持たずに生まれてきてしまった子供。
シンタローとマジックの眼が、合った。
シンタローが誕生してから、初めてのことだった。
「ほう…。大きくなったものだ」
なまじっか、時間が経っていたからこそ冷静に子供を見つめられたのかもしれない。マジックにとって、子供はそんなに嫌な印象はなかった。それどころか、素直で綺麗な眼が愛らしい。
危険なものなど微塵も感じなかった。
むしろ、これほどに無力であるのに、苛立たしさも感じないなんて、ほとんど初めてのことである。 無力であることが、愛しくなるなんて。
マジックは己の心に沸いた感情にわずかばかり戸惑った。
「ぱ……ぱ…?」
シンタローが、マジックを見つめて尋ねた。
声は、高くて、おとなしかった。子供特有の耳障りな感じはしない。それもマジックは気にいった。
「そうだよ」
答えてやると、シンタローはぱっと笑顔になった。急に世界が明るくなった。
明るくなった……そう感じて、マジックの戸惑いは大きくなった。
何なのだ、この感じは。緊迫した事態でもないのに、心臓が脈打つ。
あどけない子供は、父親を初めて見ることが出来て嬉しいのか、手を伸ばした。
マジックの顔に、笑みが灯った。
マジックとシンタローの反応を予測していた係の男が、彼に子供を明け渡す。
マジックは、初めて自分の子を抱いた。
柔らかくて、手足なんかは小さくて、マジックの腕の中にすとんと治まってしまう子供だった。
「シンタロー……か」
「ぱぁぱ」
「そう…お前の父親だ」
マジックにとって子供が最も危険な存在であったように、シンタローにとっても最も危険な存在でしかなかったはずの『父親』マジック。
けれど。
ただ一組、一族の運命から逃れた親子。
「お前の…パパだよ……」
それは、マジックから息子への、そして自分自身への言い聞かせの言葉だった。
長い溝を埋めるための儀式だった。
「そうだ…私は、お前の父親なのだ…」
シンタローが嬉しそうにマジックの顔に手を寄せる。小さなてのひらで、確かめるように頬をなぞる。そして安心したような笑みを浮かべた。
「総帥、これからジュニアのお食事の時間ですが、御一緒にいかがでしょう」
頃合を見計らって声を掛けた係りの男に罪はない。
「ごー…はん。たべる。たつや、ごはん」
タツヤ、というのが係官の名前だ。シンタローが養育係りの名前を覚えているのは当然のことだし、空腹になれば、食事をねだることも当然のことだった。
けれども、それは今のマジックには許しがたいことでしかなかった。
私の息子が、何故他人の手から食べ物を得るのだ、と。 そしてまた、このマジックが抱いてやっているというのに、と。
その腕の中にありながら他の者に意識をやることは、たった今から罪になったのだ。
「シンタロー」
もともと、係官同様、幼いシンタローにも罪はなかったけれど、そんなことは総帥マジックの前では通用しなかった。
「ぱぱ?」
マジックは己の中に生まれたシンタローに対する所有欲に対して、素直に行動することが許される人間だった。
「そう。パパだけを見ていなさい。お前へのお仕置はまた後だ」
「?」
マジックはことさらきつくシンタローを抱くと、タツヤという若い兵士を見やった。彼は今や、マジックの知らないシンタローを知っている人間だ。それも、てなずけている人間だった。
「……食事は私のところへ運ばせろ。それから、シンタローの部屋は処分しておけ。この子は連れて行く」
「総…!」
若い兵士の驚愕を、側にいた兵士が無理やり押さえた。
総帥が望むことなら、すべて適えられなければならないのだ。もしこのとき、タツヤという若者が一言でも異を唱えようものなら、その命は既に失われていただろう。
もっともこの後、シンタローに関することは全て口外を禁じられ、前線に送られたことを思えば、どちらが彼に取って幸福だったのか。
「シンタローは、パパと行くよね?」
問いの意味などわかるはずもなかったが、マジックの笑顔を返すように、シンタローは喜んでみせた。
「いい子だ」
笑顔も声も、全部マジックのものだった。否、そうでなければならないのだと、マジックは思った。
通り過ぎた過去さえも、手に入れる権利が、自分にはあるのだ。
子供は、夜と言わず泣いた。
いつも物語を聞かせてくれていた若者の名を呼んだ。 知らない部屋を彷徨った。
擦れ違う誰も、優しく声を掛けてくれなかった。
シンタローは本部へ移されてから、二日も放って置かれた。
子供には残酷過ぎる時間だった。
恐慌状態に陥るのも、愛情に飢えるのも早かった。
小さな頭を必死に働かせて、シンタローは考えた。震えながら考えた。
誰が、助けてくれるのかを。
それはマジックが張った小さな策略。シンタローに見抜ける筈もなかった。
「覚えておくんだよシンタロー。お前はパパがいなくちゃ生きていけないんだからね」
空っぽになったシンタローの心に、暖かい掌と安心を与えて、マジックはそう囁いた。ようやく手に入れた安堵の中で、シンタローは本当にそうだと思った。
マジックが、『すべて』----なのだと。
そう、信じこまされた……。
裁かれざる者3
アオザワシンたろー
兵士らの間に、マジックのシンタローへの愛情が噂となって流れるのにそう時間はかからなかった。
兵士らにはシンタローの変化などわかるはずもない。むしろマジックの行動の方が、驚嘆をもって語られたのだ。
また、決して不用意にシンタローに触れてはならぬという暗黙の了解が出来るまでにも、時間は掛からなかった。
シンタローは『マジックが愛する者』。
それ以外の、何者でもあってはならない者。
マジックはシンタローを人目に晒すことを極端に嫌い、また、シンタローに必要と判断された極少数の者にさえ会話を禁じていたのから、そのルールの厳しさも計れようというものだ。
誰もが、シンタローに触れないようにした。
誰もが、シンタローと眼を合わせないようにしてきた。 そうして、何年も過ぎた。
「なんだ、このガキは」
ガンマ団本部、廊下の出会い頭に思わず蹴飛ばしてしまった子供に、不審の声を上げた男がいた。男の案内を言い遣っていた士官が真っ青になって、子供を抱き起こした。
「だ…大丈夫でございますか」
「…うん」
士官が、自分より子供の様子見を優先させたことに腹を立て、男がねめつける。
「コレはなんだ。ここには幼少教育機関はなかったはずだぞ」
「こ…こちらは、シンタロー様です…」
男--ハーレムに圧倒されて、士官の声はかぼそかった。
「シンタロー?なんだ、ソレは。ええ?シンタロー?待てよ、その名前は確か…」
肩まで伸びた黄金の髪の端を引っ張り、ハーレムが記憶を探った。
「思い出した、兄貴の子供だ!…ええ、コイツが !? 」
自分で言った台詞に驚いて、ハーレムは甥に当たる子供を見た。
背丈なんかハーレムの半分しかなくて、おまけに黒髪で、黒い眼で、どこかの民家の子供のようなあどけない顔をしていた。
「お前、マジックの息子か?」
シンタローは、初めて見るマジックと同じ髪の背の高い男を見上げて、呆然としていた。シンタローの記憶の中に、こんなふうにシンタローにぶつかっても堂々としている人間はいない。こんなにエラソーなのは他にいない。
「耳がないのか、お前には」
いらついて、ハーレムが叱責する。そこへ
「私のシンタローにそんな口を聞くな」
現れたのは当然、マジックだった。
「兄貴。へぇ、子煩悩だっていう兵士どものウワサは本当だっていうのかな」
「パパ!」
マジックが、手を差し延べている。だからシンタローは大好きなマジックの所へ走っていって飛びついた。
マジックの腕はいつも暖かくて力強い。他の誰も優しくしてくれないけど、マジックは特別なのだ。
このとき既に、シンタローに日本支部にいた頃の記憶は無かった。
あるのはマジックに対する絶対的な愛情。
シンタローにとって、マジックは絶対で、特別だった。唯一で、全てだった。それ以外のことは、考えられなかった。
「何か報告があったのだろう?」
シンタローを腕に抱いたまま、マジックが問う。
「ああ。今部屋にいく所だったんだ。ここでちょっとそいつを蹴っちまってな。なにしろあまりにチビで」
ハーレムがそいつ、と言ったのはもちろんシンタローだ。
だがマジックは気を悪くした様子もなく、シンタローに具合を尋ねた。
「どこか痛くしたかい?」
「ううん。大丈夫」
「そうか、じゃあ、今悪い奴をこらしめるから、ちょっと眼をつぶっておいで」
「?うん」
シンタローが眼を閉じたことを確認して、マジックが振り返ったのは、ハーレムをマジックの所へ案内していた士官だった。
「わ…わたくしは何も… !! 」
「うるさい。貴様が無能だからこうなったのだ」
士官には反論の時間は与えられなかった。
一瞬のうちに終わった制裁を当然のことのように受け止めたハーレムは、子煩悩でもやることは変わらねぇなと呟いた。
ハーレムは、シンタローが見た父親以外の初めての 「一族」だった。
マジックという名の父親は、誰よりも偉くて、たくさんの部下を持っている。ちょっと命令しただけで、皆が言う事を聞く。
そんな立派な父親は、シンタローの誇りだった。そんな立派なマジックが、誰よりも眼をかけているのは自分なのだ、そう実感する度に、シンタローは幸せな気持ちになった。マジックに愛されているということは、何よりも素敵なことだったのだ。
「サービスの奴が軍籍を抜けるって聞いたぜ?それを許したのか」
ハーレムは、シンタローが大好きなパパに対して、他の兵士のような話し方はしなかった。不思議なことだったけれど、それでもマジックの方が偉く見えたので許すことにした。パパより偉い人間なんて認めたくなかったからだ。
「何故俺の所に寄越してくれなかったんだよ。サービスのポストぐらいいくつだって作るのに」
見事な金の髪をかきあげて、ハーレムが言うのは文句だった。
「奴には奴の考えもある。放っておけ」
「しかし…」
食い下がろうとして、彼はふと視界のすみにちょこんと座っているシンタローを見つけた。マジックが下がらせようとしなかったのだ。
「なぁ坊主。お前からもお願いしろよ。サービスが遠くにいったらヤだろう?」
いきなり話題を振られたが、生憎この時まだシンタローはサービスを知らなかった。
「サービスを知らない?俺の弟で、お前の叔父にあたる。物凄いベッピンだぞ。しかも独身」
「…べっぴん?」
「そう!一番綺麗で可愛いってコトだ」
ハーレムは、自分の双子の弟をそんなふうに表現した。 その言葉にシンタローが疑問をもった。変だなあと、思った。
だって、一番綺麗で可愛いのは『シンタロー』なのだから。
シンタローの疑問を察して、マジックはハーレムを遮り、シンタローを抱き上げた。
そして
「シンちゃんの方が可愛いよv」
キスをひとつ。
機嫌を良くしたのはシンタロー。
呆然としたのはそれを見たハーレム。
キス。
キスだって?
一族最強の権力信奉者が、こんな子供に愛情を示す行動を取った。
「……子煩悩っていうのは…本当に、本当なのか…」
今の今まで、信じていなかったハーレムである。
「でもサービスおじさんも綺麗なんでしょ?」
シンタローの問い掛けに、マジックはゆっくりと首を振った。
「お前の方が、何百倍の可愛くて綺麗だよ。パパの言うことが信じられない?」
「ううん。パパの言う事はいつでも正しいんだよね」
「そうだヨ。シンタローはいい子だね」
やりとりに、まったく口を挟めないハーレムである。
さっきまで確かにマジックは彼の知る総帥だったのだが、突然別人になってしまったかのようだ。
これでは、まるきり『普通』ではないか。
「……お…驚いたな。兄貴にそういうところがあったとは…」
誰にも---自分の弟たちにさえキスひとつくれなかった兄が、何のためらいもなく唇を寄せた。
たかが二、三年会わなかった間に、一体マジックに何があったのだろうと考えても無理はない。ハーレムの知っていたマジックは、愛情など誰にも注がないような、そんな男だったのだから。
原因は--たぶん、シンタロー。
「ふーん。そいつ普通だもんな。もしそいつが一族の印を持ってたら、こうはいかなかったんじゃないか?いかな俺でも、兄貴そっくりのガキと兄貴がにこやかに並んでるトコなんて正視できないぞ…」
ハーレムの呟きに、たいした意味は無い。
けれど、シンタローにとっては重くのしかかってくる言葉だった。
「ハーレム。用が済んだなら行け。私たちはこれから昼食なのだ」
「ハイハイ。すっかり所帯じみちまって…。好きにするさ」
ハーレムが去ったあとも、シンタローの心に言葉は残った。
「シンちゃん?」
「パパ。僕、パパに似てないの?」
それは素朴な疑問だ。
けれど、シンタローの一生に関わる問題だった。
ハーレムは言ったのだ。シンタローのことを『普通』だと。似ていないのだと。
「そんなことないよ!シンちゃんはパパに似てとってもハンサムで、とっても可愛くって、とっても素敵だよ」
マジックは力強くそう答えてやる。マジックにそう言われると、シンタローもそうなんだと思える。 今までは、そうだった。
けれど。
シンタローはやがて、従兄弟のグンマと、グンマを連れてきたサービスと出会う。
そのとき、シンタローは知るのだった。
『似ていない』のではない。
自分だけが、----『違う』のだと。
次はシンちゃん苦悩の目覚め。
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