「シンちゃん!大好き!!」
「うわ、こら、抱きつくな!!」
紅い液体を撒き散らしながら、親父が俺に抱きついてきた。
「酷い、昔は抱っこしてパパ~って私を誘惑していたのに!!」
「子供のお願いに、何変な期待を抱いてんだ!!」
ぷくっと、頬を膨らませた親父はそれでも俺を抱きしめた腕はそのまま。
解放する気は無いようだ。
「ほら、シンちゃん。そんなに照れないで、パパを見てよ」
「あ?んだよ・・・・」
親父のほうに嫌々ながらも視線をやると、嬉しそうに笑うその顔が視界に入ってくる。
これが、イヤなんだよ。
「ふふふ・・・・、愛してるよ」
耳元の甘い囁きが、俺を地獄に突き落とす。
その言葉は、一体誰に向けてのものなんだろうな?
なあ、あんたは知っていたか?
俺がずっと前から、気づいていたことを。
本当は、知らないままのほうが幸せだったと分かっていた。
だけど、あんたの望どおりに俺は育ってしまったんだ。
それが原因で、俺はいつもあんたを見ていた。
いつも遠くを見るその青い瞳を、俺がどれだけ見ていたのか。
あんたは、気づいたか?
俺と視線を合わせていることがあっても、その瞳は常に俺の後ろを見ていた。
『俺自身』を一切い見ようとしなかった。
あんたがどれだけ俺に『愛してる』と囁いた?
どれだけ俺に抱きついた?
あんたの望どおりに俺は育ってしまった。
それなのに、俺を通して違う誰かを見るあんたを、俺はどれだけ見ていたか。
気づかなかっただろう?
だから、俺は気がついていたんだ。
『俺』を通して、『あいつ』を見ていたんだろう?
『俺(レプリカ)』と同じ顔の『あいつ(オリジナル)』を。
その、愛のささやきも。
温かい抱擁も。
全て『あいつ(オリジナル)』に向けて言った言葉だってこと、俺はずっと前から気づいていたよ。
あんたに心奪われていた俺が、どれほど出会いが遅かったことを悔やんだのか、あんたは知らないだろう。
嘆いても、悔やんでも、この運命は変えることができない。
だから、もう諦めたよ。
今の現状のままでいいと、そう思うように勤めたことも、もう慣れたよ。
だけど、時々思うことがある。
もしもの、話。
俺があんたと出会うのが、あいつよりも早かったら。
そしたら、あんたは俺だけを見て、俺を『俺』と認め、『俺』と認識してくれたのかって。
笑えるだろう?
らしくもねえことばかり、考えて。
決して叶うことのないことだって、重々承知の上でそんな空想ばかりに時間を費やしているんだ。
空想だけが、俺の唯一つの心の拠り所になっていく、こんな日々を過ごす弱い俺の心は、まるで梅雨のようにジメジメして気持ちが悪い。
だから、早く決定打が欲しかった。
『偽りの俺』と『本当の俺』を、あんたが選ぶのか。
拭うことのできない思考は、心に湿気のようなものをいつまでも纏わり着かせてくるから。
だから、腐る前に『答え』が欲しかった。
その瞳と心が、俺だけを映してくれることを願いながら。
「どうした、シンタロー?」
キンタローが俺の顔をのぞきこみながら、そんなことを聞いてきた。
何を指しているのか分からない俺は、首を傾げて「何が?」と聞き返した。
「顔色が悪い」
そう一言言うと、上体を起こし「健康管理は仕事のうちだ」と厳しい言葉を残して去っていった。
総帥専用の椅子に深く座り込んでいた俺は、キンタローの言葉によってさえぎられてしまった思考の波を呼び覚ますべく、ゆっくりと目を閉じた。
健康管理はしっかりできてるさ。
心配するな。
毎日栄養たっぷりな食事を作っているのは、一体どこの誰だと思っている?
俺の心の波をかき乱す、親父だ。
毎日見ているだろう?
馬鹿な鼻歌歌いながら、フリフリピンクのエプロンの裾を翻して作るご飯を。
身体面での問題は、皆無だ。
問題は、精神的なもの。
心は毎日悲鳴を上げ、苦しいと俺に訴えてくる。
キンタローでも、親父でも気づくことの無い俺の心の『叫び声』。
誰も聞いてくれないその声に、俺は日々耳を塞ぐしかなかった。
その悲鳴の音量を何とか下げようと、空想に逃げ込む末期症状の俺を、誰も助けてはくれない。
自分の問題なのだから、自分で解決するしか方法が無いことは知っている。
だが、方法が無い。
いつの間にか暗い思考の渦に飲み込まれていく。
“この姿ではなければ、親父は俺を抱かなかった”
そう思うと、心が大きな悲鳴を上げ苦しかった。
そんなことはないと、何度も言い聞かせていた。
モルヒネとして、空想を心に与え絶えてきた。
だから、そろそろ答えが必要だと、何度考えても最後はそこに行き着く。
ああ、お願いだ。
もう、これだけ苦しんできたんだ。
ご褒美をねだっても、罪にはならないだろう?
“お願いです。この姿が変わっても、見捨てないで下さい”
「シンちゃん、顔色悪いよ」
自宅に戻ると、グンマからも同じことを言われてしまった。
それに大きな溜息をつきながら、「なんとも無い」と応えてみたが、簡単に引き下がる相手でもなくあいつは元気が出る飲み物を作るといって、俺を無理やりリビングのソファーに座らせると、よく分からない鼻歌を歌いながらキッチンに消えていった。
「ったく、ここにはお節介野郎しかいないのか?」
呟いた言葉は、グンマには聞こえていないだろう。
キンタローもグンマも、俺のことを気にかけすぎだ。
まったく。
イヤじゃないけどな。
「はい、お待たせ!!グンマ特性元気の出る出る出まくりココアだよ!!」
部屋中に広がってきた独特な香りのお陰で、テーブルに出される前にグンマがキッチンで作っていたものが何なのかはすでに予想済みだが、出された液体が本当にココアなのか怪しい。
「あ、疑ってるね?大丈夫、高松が作った『1日動けませんココア』は今日は持ってきていないから」
ああ、本当に変なココア作ったんだな、あの変態ドクター。
一体誰を、動けなくしたいんだ。
そんなことを頭の隅で考えながら、俺の横のソファーに座り一緒に持ってきた自分用のマグカップを両手で持つと、グンマはニコニコしながらその中身を飲み始めた。
一緒に作って変なものを入れているのなら、もう少し作るのに時間がかかっていただろう。
香りも、大丈夫。
よし。
恐る恐る、コップに口をつけ一口飲んでみた。
「お、案外普通だな」
「あ、酷い。それ、僕が作るもの全てが変だって言っているようなものだよ!」
頬を膨らませながら怒るその姿に、笑いながらコップを傾けた。
俺が好む甘味より、かなり甘いがこれはこれで疲れた心に温もりを与えてくれる。
だけどな、グンマ。
親父と血の繋がったお前が横にいるだけで、また心が悲鳴を上げ始めるんだよ。
繋がりがあるお前が、羨ましいって。
「ふふふ、どう?美味しかった?」
「ああ、サンキュー」
口についてしまったココアを、右手の甲で拭いながら礼を言うとグンマは花が飛び散るほどの笑みで「また作るから、早くよくなってね」なんて言いやがって、ああ、本当ありがたいよ。
シンクにコップを持っていこうと立ち上がると、グンマからソファーで休めと命令された。
「まだ顔色悪いよ。お片付けは僕がしておくから」
こいつも、大人になったもんだ。
人にここまで気を使えるなんて。
「ああ、悪いな」
「何言ってんだよ、僕達家族じゃん」
俺のコップを持ってキッチンに向かったグンマに、心の中でお礼を言った。
お陰で、少し心の痛みが和らいだように感じたから。
水音が耳奥に響く。
白い洗面台には、紅い花が今まさにその命を水によって、消されようとしていた。
目の前に広がるその絶望の海に、俺はただ傍観するしかなかった。
何故、もっと早く気がつかなかったのだろう。
一月前から体に起きた変調を、俺は何故軽く見ていたのか?
グンマが俺にココアを出したあの日の翌朝、目が覚めた俺は風邪を引いたときのような体のだるさに顔をしかめながら、とうとう心の病が表に出てきたのかと思った。
病は気からとはよく言ったものだと、感心しながらその時は軽く考えていた。
手が白くなるまで、握り締めた拳は小さく震えていた。
そんな己の体を見ながら、脳裏に浮かんでくるものは親父に対しての謝罪だった。
どんなに謝ったとしても、もう許してくれない。
昔のように、悪戯した後「ごめん」と一言ですんでいたことが、今はできなくなってしまった。
だって、そうだろう?
俺は、その資格を失ってしまったのだから。
ずっと流れる水を見ていたが、そろそろ動かないといけない時間だと己に言い聞かせ、重たく感じる体を動かした。
そして、まず最初にしたことは、鏡に映っているだろう自分を見るのではなく、ポケットに入れていた携帯電話を取り出すことだった。
『・・・・・なんだい?』
長い呼び出し音の後、やっと出た相手の声はどこか冷たく感じた。
「あの、・・・・ごめん」
『何を謝っているのか、全く分からないね。私も忙しいんだよ。それだけの用事で電話をかけてきたのなら―』
「あ、あの・・・・」
『―書面で報告しなさい』
無情にも相手はそれだけを言うと、通話を一方的に終わらせた。
機械的な音が鳴り響くことに、熱くなる目頭を片手で覆いながら、予想通りの態度にやっと『答え』が出た事実に、もう悩む必要がないことに安堵ともいえる感情が生まれ始めていた。
やっと、終わった。
もう、苦しむ必要が無い。
だから、全てに終止符を打とう。
目を覆っていた手を下ろすと、もう片手に握り締めていた携帯のボタンを操作した。
短い呼び出し音の後、「どうした?」と少し不機嫌そうな声が聞こえた。
「ああ、悪い」
『そんなことはいい。今、どこにいる?もうすぐ仕事の時刻だ』
キンタローの事務的な声に、笑みを漏らしながら「もう、辞める」と呟く。
「総帥職は、そうだな。直系のグンマにでもさせようか。お前がいれば、安心だもんな。で、俺は辞職扱い。まあ、やっと自由に暮らせるってもんだよな」
先ほどの相手とは対照的に、俺の口からはまるで台本を読んでるかのように、言葉がすらすらと出てきた。
『お、おい!』
「お前さ、俺に黙っていることあるだろう?4日前に採血した結果でてんだろ?もう、俺自身永くないって知ってんだろ?」
問えば、キンタローは黙ってしまった。
その沈黙は、認めているというということだ。
「悪いな」
そう一言残し、俺は通話を切るためボタンを押した。
「・・・・・・お前は、知らないほうが幸せなのかもしれない」
知ってしまえば、目の前に広がるのはただ絶望の海だけだ。
「うわ、こら、抱きつくな!!」
紅い液体を撒き散らしながら、親父が俺に抱きついてきた。
「酷い、昔は抱っこしてパパ~って私を誘惑していたのに!!」
「子供のお願いに、何変な期待を抱いてんだ!!」
ぷくっと、頬を膨らませた親父はそれでも俺を抱きしめた腕はそのまま。
解放する気は無いようだ。
「ほら、シンちゃん。そんなに照れないで、パパを見てよ」
「あ?んだよ・・・・」
親父のほうに嫌々ながらも視線をやると、嬉しそうに笑うその顔が視界に入ってくる。
これが、イヤなんだよ。
「ふふふ・・・・、愛してるよ」
耳元の甘い囁きが、俺を地獄に突き落とす。
その言葉は、一体誰に向けてのものなんだろうな?
なあ、あんたは知っていたか?
俺がずっと前から、気づいていたことを。
本当は、知らないままのほうが幸せだったと分かっていた。
だけど、あんたの望どおりに俺は育ってしまったんだ。
それが原因で、俺はいつもあんたを見ていた。
いつも遠くを見るその青い瞳を、俺がどれだけ見ていたのか。
あんたは、気づいたか?
俺と視線を合わせていることがあっても、その瞳は常に俺の後ろを見ていた。
『俺自身』を一切い見ようとしなかった。
あんたがどれだけ俺に『愛してる』と囁いた?
どれだけ俺に抱きついた?
あんたの望どおりに俺は育ってしまった。
それなのに、俺を通して違う誰かを見るあんたを、俺はどれだけ見ていたか。
気づかなかっただろう?
だから、俺は気がついていたんだ。
『俺』を通して、『あいつ』を見ていたんだろう?
『俺(レプリカ)』と同じ顔の『あいつ(オリジナル)』を。
その、愛のささやきも。
温かい抱擁も。
全て『あいつ(オリジナル)』に向けて言った言葉だってこと、俺はずっと前から気づいていたよ。
あんたに心奪われていた俺が、どれほど出会いが遅かったことを悔やんだのか、あんたは知らないだろう。
嘆いても、悔やんでも、この運命は変えることができない。
だから、もう諦めたよ。
今の現状のままでいいと、そう思うように勤めたことも、もう慣れたよ。
だけど、時々思うことがある。
もしもの、話。
俺があんたと出会うのが、あいつよりも早かったら。
そしたら、あんたは俺だけを見て、俺を『俺』と認め、『俺』と認識してくれたのかって。
笑えるだろう?
らしくもねえことばかり、考えて。
決して叶うことのないことだって、重々承知の上でそんな空想ばかりに時間を費やしているんだ。
空想だけが、俺の唯一つの心の拠り所になっていく、こんな日々を過ごす弱い俺の心は、まるで梅雨のようにジメジメして気持ちが悪い。
だから、早く決定打が欲しかった。
『偽りの俺』と『本当の俺』を、あんたが選ぶのか。
拭うことのできない思考は、心に湿気のようなものをいつまでも纏わり着かせてくるから。
だから、腐る前に『答え』が欲しかった。
その瞳と心が、俺だけを映してくれることを願いながら。
「どうした、シンタロー?」
キンタローが俺の顔をのぞきこみながら、そんなことを聞いてきた。
何を指しているのか分からない俺は、首を傾げて「何が?」と聞き返した。
「顔色が悪い」
そう一言言うと、上体を起こし「健康管理は仕事のうちだ」と厳しい言葉を残して去っていった。
総帥専用の椅子に深く座り込んでいた俺は、キンタローの言葉によってさえぎられてしまった思考の波を呼び覚ますべく、ゆっくりと目を閉じた。
健康管理はしっかりできてるさ。
心配するな。
毎日栄養たっぷりな食事を作っているのは、一体どこの誰だと思っている?
俺の心の波をかき乱す、親父だ。
毎日見ているだろう?
馬鹿な鼻歌歌いながら、フリフリピンクのエプロンの裾を翻して作るご飯を。
身体面での問題は、皆無だ。
問題は、精神的なもの。
心は毎日悲鳴を上げ、苦しいと俺に訴えてくる。
キンタローでも、親父でも気づくことの無い俺の心の『叫び声』。
誰も聞いてくれないその声に、俺は日々耳を塞ぐしかなかった。
その悲鳴の音量を何とか下げようと、空想に逃げ込む末期症状の俺を、誰も助けてはくれない。
自分の問題なのだから、自分で解決するしか方法が無いことは知っている。
だが、方法が無い。
いつの間にか暗い思考の渦に飲み込まれていく。
“この姿ではなければ、親父は俺を抱かなかった”
そう思うと、心が大きな悲鳴を上げ苦しかった。
そんなことはないと、何度も言い聞かせていた。
モルヒネとして、空想を心に与え絶えてきた。
だから、そろそろ答えが必要だと、何度考えても最後はそこに行き着く。
ああ、お願いだ。
もう、これだけ苦しんできたんだ。
ご褒美をねだっても、罪にはならないだろう?
“お願いです。この姿が変わっても、見捨てないで下さい”
「シンちゃん、顔色悪いよ」
自宅に戻ると、グンマからも同じことを言われてしまった。
それに大きな溜息をつきながら、「なんとも無い」と応えてみたが、簡単に引き下がる相手でもなくあいつは元気が出る飲み物を作るといって、俺を無理やりリビングのソファーに座らせると、よく分からない鼻歌を歌いながらキッチンに消えていった。
「ったく、ここにはお節介野郎しかいないのか?」
呟いた言葉は、グンマには聞こえていないだろう。
キンタローもグンマも、俺のことを気にかけすぎだ。
まったく。
イヤじゃないけどな。
「はい、お待たせ!!グンマ特性元気の出る出る出まくりココアだよ!!」
部屋中に広がってきた独特な香りのお陰で、テーブルに出される前にグンマがキッチンで作っていたものが何なのかはすでに予想済みだが、出された液体が本当にココアなのか怪しい。
「あ、疑ってるね?大丈夫、高松が作った『1日動けませんココア』は今日は持ってきていないから」
ああ、本当に変なココア作ったんだな、あの変態ドクター。
一体誰を、動けなくしたいんだ。
そんなことを頭の隅で考えながら、俺の横のソファーに座り一緒に持ってきた自分用のマグカップを両手で持つと、グンマはニコニコしながらその中身を飲み始めた。
一緒に作って変なものを入れているのなら、もう少し作るのに時間がかかっていただろう。
香りも、大丈夫。
よし。
恐る恐る、コップに口をつけ一口飲んでみた。
「お、案外普通だな」
「あ、酷い。それ、僕が作るもの全てが変だって言っているようなものだよ!」
頬を膨らませながら怒るその姿に、笑いながらコップを傾けた。
俺が好む甘味より、かなり甘いがこれはこれで疲れた心に温もりを与えてくれる。
だけどな、グンマ。
親父と血の繋がったお前が横にいるだけで、また心が悲鳴を上げ始めるんだよ。
繋がりがあるお前が、羨ましいって。
「ふふふ、どう?美味しかった?」
「ああ、サンキュー」
口についてしまったココアを、右手の甲で拭いながら礼を言うとグンマは花が飛び散るほどの笑みで「また作るから、早くよくなってね」なんて言いやがって、ああ、本当ありがたいよ。
シンクにコップを持っていこうと立ち上がると、グンマからソファーで休めと命令された。
「まだ顔色悪いよ。お片付けは僕がしておくから」
こいつも、大人になったもんだ。
人にここまで気を使えるなんて。
「ああ、悪いな」
「何言ってんだよ、僕達家族じゃん」
俺のコップを持ってキッチンに向かったグンマに、心の中でお礼を言った。
お陰で、少し心の痛みが和らいだように感じたから。
水音が耳奥に響く。
白い洗面台には、紅い花が今まさにその命を水によって、消されようとしていた。
目の前に広がるその絶望の海に、俺はただ傍観するしかなかった。
何故、もっと早く気がつかなかったのだろう。
一月前から体に起きた変調を、俺は何故軽く見ていたのか?
グンマが俺にココアを出したあの日の翌朝、目が覚めた俺は風邪を引いたときのような体のだるさに顔をしかめながら、とうとう心の病が表に出てきたのかと思った。
病は気からとはよく言ったものだと、感心しながらその時は軽く考えていた。
手が白くなるまで、握り締めた拳は小さく震えていた。
そんな己の体を見ながら、脳裏に浮かんでくるものは親父に対しての謝罪だった。
どんなに謝ったとしても、もう許してくれない。
昔のように、悪戯した後「ごめん」と一言ですんでいたことが、今はできなくなってしまった。
だって、そうだろう?
俺は、その資格を失ってしまったのだから。
ずっと流れる水を見ていたが、そろそろ動かないといけない時間だと己に言い聞かせ、重たく感じる体を動かした。
そして、まず最初にしたことは、鏡に映っているだろう自分を見るのではなく、ポケットに入れていた携帯電話を取り出すことだった。
『・・・・・なんだい?』
長い呼び出し音の後、やっと出た相手の声はどこか冷たく感じた。
「あの、・・・・ごめん」
『何を謝っているのか、全く分からないね。私も忙しいんだよ。それだけの用事で電話をかけてきたのなら―』
「あ、あの・・・・」
『―書面で報告しなさい』
無情にも相手はそれだけを言うと、通話を一方的に終わらせた。
機械的な音が鳴り響くことに、熱くなる目頭を片手で覆いながら、予想通りの態度にやっと『答え』が出た事実に、もう悩む必要がないことに安堵ともいえる感情が生まれ始めていた。
やっと、終わった。
もう、苦しむ必要が無い。
だから、全てに終止符を打とう。
目を覆っていた手を下ろすと、もう片手に握り締めていた携帯のボタンを操作した。
短い呼び出し音の後、「どうした?」と少し不機嫌そうな声が聞こえた。
「ああ、悪い」
『そんなことはいい。今、どこにいる?もうすぐ仕事の時刻だ』
キンタローの事務的な声に、笑みを漏らしながら「もう、辞める」と呟く。
「総帥職は、そうだな。直系のグンマにでもさせようか。お前がいれば、安心だもんな。で、俺は辞職扱い。まあ、やっと自由に暮らせるってもんだよな」
先ほどの相手とは対照的に、俺の口からはまるで台本を読んでるかのように、言葉がすらすらと出てきた。
『お、おい!』
「お前さ、俺に黙っていることあるだろう?4日前に採血した結果でてんだろ?もう、俺自身永くないって知ってんだろ?」
問えば、キンタローは黙ってしまった。
その沈黙は、認めているというということだ。
「悪いな」
そう一言残し、俺は通話を切るためボタンを押した。
「・・・・・・お前は、知らないほうが幸せなのかもしれない」
知ってしまえば、目の前に広がるのはただ絶望の海だけだ。
PR
あいつは、いつもシンちゃんシンちゃんと、大声を上げ鼻血を大量にたらしながら俺に抱きついてくるくせ、絶対先に進もうとはしない。
本人にしては、ただのスキンシップのつもりなのかもしれない。
だが、年頃の俺にとってはあの逞しい腕に引き寄せられ、熱い胸板に包まれるあの感触に性的欲求を感じてしまうわけで、毎回親父が抱きついたときに股間が熱くなるのをなんとかごまかし、そのあと一人トイレで抜いていた。
「シンちゃ~ん」
「ぐお!よるな、触るな、近づくな!!」
「嫌だよ~」
どれだけ俺が嫌がっても、必ず抱きついてくるクソ親父は、俺が抱きしめられながらあそこが硬くなり始めているなんて、微塵にも思っていないんだろう。
「いい大人が父親に抱きしめられているなんて、恥ずかしいだろ!!」
「何を言っているんだい?お前は、まだまだ子供だよ」
まだ子供だから、なんて思われてしまっている現実が、悔しくて、悲しくて、そして腹立たしかった。
だから、俺はある計画を立てた。
そりゃ、ガンマ団NO.1的な、学者もびっくり計画!
「と、いうことなので、『親父ホイホイ作戦』するからお前ら手伝え」
俺の恋愛(?)相談を、真剣に涎を垂らしながら聞いてくれていたミヤギたちに、今回の計画を持ちかけた。
「・・・丁重に、お断りさせていただきます」
ミヤギ、トットリ、コージは土下座をして断ってきた。
「シンタローはん・・・・わ・・・・」
ガウン、ガウン、ガウン、グシャ・・・・・
「ヒッ!!」
近くで無視が泣く音が聞こえたが、手短にあったトカレフを打ち込んで黙らした。
「ああ、嫌だな。夏は虫を無視するのもウザってえのに。やっぱ蚊取り線香(トカレフ)は必需品だな」
目の前に紅い水溜りが大きくなりかけていた。
そろそろ、雨でも降るんだろうか。
・・・・・雨
・・・水
シャワー・・・裸
「あああああ!!何考えてんだ!!」
雨だけで、裸の親父がシャワーを浴びているシーンが・・・・
「いいかも・・・・ポッ」
「シンタロー、顔あかいっぺ」
「あれは、恋わずらいじゃな」
「僕、早く逃げたい」
「いいな、親父のあの熱い胸板に、俺のか細い体が包み込まれて・・・・」
ああ、その光景が想像できる。
「・・・・か細いだっちゃ?」
「そして、二人は己の体からあふれ出る体液をこすり合わせて・・・・」
ああ、体液だなんて生々しかった・・・・でも、それって・・・・フフ。
「なんじゃ、唾液か?」
「う●こかも、しれんっぺ」
「そして、上り詰めるお互いの楽園に」
飛び散る波のように、お互いの汗も飛び散るんだろうな。
「パラオの人もはた迷惑だっちゃ」
続く
結局、コージたちは必要な助言もせず、邪魔ばかりしてきて役に立ちそうも無かったので、近くの空き地に埋めた俺は、一人団内をとぼとぼ歩いていた。
俺の立てた計画は最高なのだが、どうしても俺ぐらいの秀才ではないとこの計画が分からないらしい。
トットリなんて、説明していた途中であまりの難しさに理解で傷、顔を真っ青にして倒れてしまったぐらいだ。
ああ、誰かこの計画に賛成してくれるやついねえかな。
そんなことを考えていると、前方の角から高松とグンマが何かを話しながら、こちらのほうに向かって歩いてきているのが目に入った。
俺のことには気がついていないみたいだが、こいつらもしかして使えるかも。
なーんて、天才な俺様は考えたわけよ。
グンマは以前、俺のことそういう意味で好きだって告白してきたからな。
モテる男はつらいな。
まあ、あいつのそんな気持ちを受け止めたくても、俺には最愛の親父がいるし・・・・
だから、まあ、この計画に参加してもらううってつけの『生贄』だな。
「おい、グンマ!」
「あ、シンちゃん!」
声をかけると俺に気がついたグンマは、高松に向けていた顔をこちらに向けると、まるで大型犬が喜んではちきれんばかりに尻尾を振るかのように、満面の笑みで手を大きく振りだした。
そりゃ、もうぶんぶん音が鳴るぐらいに。
「シンちゃん!何か用?もしかして、僕と付き合ってくれるの?」
振っていた手はそのままで、スキップしながらそんなことを叫ぶグンマ。
まあ、これも計画通りだ!!
廊下にいる他の団員の、生暖かい視線を受けながら俺も満面の笑みでグンマの質問に頷いて答えた。
「ああ、抱かせてやる!!」
その後、グンマは顔を真っ赤にして見事なまでに鼻血を大噴射し、そのまま出血多量で医務室に担ぎ込まれた。
「ああ、グンマ様。どうして・・・・」
集中治療室に、運ばれたグンマの状態はかなり危険なものだった。
鼻血を噴射したことにより、血液不足による意識不明の重体。
「ああ、グンマ様が、どうして・・・・・・」
機械が奏でる心拍数の音は、今にも途切れんばかりの弱い音だった。
白いベッドの上で、人工呼吸器、点滴を付けたその姿は痛々しいものだった。
俺はそんな状態になるほどの攻撃を、こいつにしたということなのだろうか?
罪悪感が俺の胸を締め付ける。
「グンマ様、どうして・・・・」
そのベッドの傍には、真っ青な顔の高松がカメラを片手にグンマの手を握っていた。
・・・鼻詮付で。
パシャ!
これで、何度目のシャッター音だろう。
高松は「危篤状態の寝顔なんてめったに拝めない!」といった理由で、もう一時間ほど同じ台詞をこぼしながらシャッター音を病室に鳴り響かせていた。
「どうして、グンマ様が・・・・」
何度も繰り返す高松のその言葉に、段々イライラし始めた俺は腰に手を当てながら応えてった。
すると、折角教えてやったのに大きな溜息を吐かれ「あんた、バカですか?」なんて暴言を浴びせられた。
「な・・・っ!」
怒りに拳を作りかけた左手に、血痕が僅かについている高松の右手が重なった。
因みに左手にカメラ。
「グンマ様は、貴方を自分のものにしようと本気なんですよ?そんな純粋なグンマ様の心を、軽々しくもて遊ばないで下さい」
純粋な奴が、鼻血噴くか?
「だって・・・・」
言い訳をしようとすれば、また溜息を吐く声が聞こえちょっとムカっとした。
高松を睨みつけてみたが、案の定あまり効果が無かった。
「そんなに男に抱かれたいのなら、私が抱いて差し上げますよ」
「は?」
一瞬、何を言われているのか理解ができなかった。
コチ、コチ、コチ・・・・
時計の秒針の時を刻む音が、やけに大きく感じる。
ところで、グンマの心音の音は聞こえないな~。
「もう一度言いましょうか?」
「っ!」
その声に、俺の脳はやっと動き始めた。
高松に抱かれる??
俺が?
ありえない!
ありえなさ過ぎる!!
想像なんてしなくても、俺の末路が予想できる。
いかがわしい変態プレイのオンパレードで、耐え切れず精神崩壊する可哀想な俺。
―(シンタローの妄想)―
「もっと・・・もっ・・・お願いです・・・ここに、しろいの・・・いっぱい・・・・・ほし・・・」
「なら、私のモノを立たせなさい」
「は、はい、ご主人様ぁ・・・」
「ふふ・・・好き物ですね」
「ゴメンナサイ、欲しいんです、これ・・・ふゃぁ、おっきくなったぁ・・・」
「っぎゃああぁぁぁぁっ!! いやだぁぁぁぁっ!!」
な、なんで俺がネコ耳メイドの格好をして、高松のモノを奉仕しちゃってんだよ!
っくそ、ダメだ!
もし、そんなことになったら、俺の野望が水の泡・・・・。
「さ、しましょうか?」
あれ?
からかいでもなく本気ポイ。
もしかして、高松を怒らしちゃったのか?
「い、いや・・・いい」
首を小さく横に振る。
「っち・・・・。まあ、本当に抱かなくてもあの人ぐらい、簡単に騙せますよ?」
その言葉はまさに、泥舟の助け舟が俺の目の前に来た瞬間だった。
「本当?」
「ええ」
気味の悪い笑みを浮かべながら、高松を俺の首の後ろに手を回したかと思うと、ぐいっと強い力で引っ張られた。
「うわっ!!」
一瞬ピリッとした感触と、生暖かいモノが首に触れる感触に、自然と体中に鳥肌が立ってしまった。
「ちょ、何するんだよ!」
高松にかぶさるように倒れた上体を起こし睨みつけるが、あいつはすました顔で「キスマーク付けただけです」とぬかしやがった。
「てめ、何勝手なこと・・・・」
「それがあれば、抱かれたと言っても信用してもらえますよ」
一瞬高松が天使に見えた。
一瞬だぞ!
ほんの刹那だ!
「なるほど! サンキュー! じゃ、さっそく行くか!」
膳は急げとばかりに、俺は心拍数の機械音が途絶えた病室を出た。
その後聞いた話だが、グンマは少しの間心配停止状態にまで陥ったと、高松が溜息を吐きながら言っていたが、まあ俺のせいではないのでそれもすぐに忘れることとなった。
スキップをするように親父の執務室に向かい、そして何も言わずにドアを開けると・・・・・美味しそうに餡蜜を食べている親父と目が合った。
そして、俺は腰に両手を当て仁王立ちのポーズで胸を張った。
目を大きく開けたままの親父。
この様子からすると多分親父は、このキスマークに気がついただろう!
そして、段々と興奮し始めて・・・・・。
へへ、ちょろいぜ。
「親父、俺、高松とね・・・・・・」
親父の持っていたスプーンから、黒豆が落ちる音が聞こえた。
あれ、何でだろう。
真っ暗。
俺、どうしてたんだっけ?
えっと、確か高松のキスマークを親父に見せに行ったら、そうそう親父びっくりしちゃっててそんで、黒豆落として・・・・・・ああ、そうだ!
秘石眼が光って・・・・・・って、俺、今どうなってんだ?
「ひゃああぁぁぁぁっ!」
強制的ともいえる強い快感に、今まで閉じていた瞼を開け状況を確認しようと、ぼやける視界に何とか焦点をあわせた。
「・・・・ほう、狭いな」
目の前にいたのは、俺の股間を見つめる親父・・・・。
「ふぁ・・・ひゃふ・・・ああ、んぁっ!」
一体何しているのかと、声を出そうとしたがうまく声が出ない。
何故だ?
ってか、何で変な声ばっかでんだよ!
「抱かれたというわりには、キスマークは一つだけか。それに、ここも・・・未使用のようだね」
「ひゅあぁっ!」
何故だかわかった。
親父の指が俺の中に、ぐにゅぅって入って、そんで中で何かを触ってる。
そこをかりっとされる度に、眩暈を伴う快感が体中を駆け巡る。
「感度は、良好か・・・・。天性の淫乱かぁ」
小さな声で「まいったな」なんて言いやがって、わざとらしい溜息もちょっと腹が立ってくる。
殴りたいが、腰が抜けてしまっているみたいで全く力が入らない。
それよりも、体がこの快感をもっと味わいたいと貧欲に求め始めている。
ああ、なんたる不覚―――。
蒲団で丸まりながらミヤギはわが身を罵った。情けなさでいっぱいになっているところに他の伊達衆が見舞いにやってきたが、連中ときたら見舞いにきたのか見物にきたのかわかりはしない。
コージは一升瓶を持参して玉子酒を作ろうとしてくれたが玉子がなくて結局燗にした酒を自分で飲んでいるのだから世話はない。アラシヤマも一緒になってコップ酒を飲みながらミヤギの枕元に立ち、熱でうんうん唸っているミヤギを見下ろしている。
「それにしても意外ですなぁ、ミヤギはん」
「………何が……?」
「あんさんがひく風邪は夏風邪だけやとばっかり思ってたんですえ」
「………?」
頭がボーっとするせいか、何を言われているのかさっぱりわからず不思議そうにアラシヤマのイジワルそうな顔を見上げていると、入り口から下駄が飛んできてアラシヤマの側頭部に直撃した。
「ミヤギくんをバカにするな――!」
下駄の直撃を受けシューシューと煙を上げるアラシヤマを見て、すっかり出来上がっているコージがゲラゲラ笑う。
「おう、トットリ。遅かったのぉ。まぁ一杯やれや」
「コージ、見舞いに来て酒盛りするんじゃないっちゃ! ミヤギくんの具合が悪くなる!」
差し出されたコップ酒をくいーっと一気に呷ってからつき返すと側頭部から煙をあげ、幽鬼のようにアラシヤマが起き上がってさっそく嫌味をいう。
「忍者はん、えろ遅おしたなぁ。あんさんはてっきり枕元で愁嘆場やとばっかり思てましたわ」
「シンタローに呼ばれてたんだっちゃ」
横目でアラシヤマを睨みながらいうトットリをミヤギは朦朧とした意識で見上げた。
「…シンタローに……?」
「うん。ミヤギくんの任務を引き継ぐようにって」
「オラの任務……」
「もともとぼく向きの仕事だっちゃし。ミヤギくんは安心して養生するっちゃ」
「…うん。悪いべな」
力なく笑うミヤギを安心させるかのようにトットリは満面に笑みを浮かべた。そうしてさっさと立ち上がるとコージとアラシヤマを追い出しにかかった。
「さーさー、二人とももう行くっちゃよ。ぼちぼち次の作戦の準備をせんと!」
「う~ん、そうじゃがめんどくさいのぉ」
「またすぐコージはんはそんな事を…。ちょっとは下のもんの苦労も考えたげなはれ」
アラシヤマに小姑臭い説教をされながらコージは立ち上がると来た時と同じような賑やかさでミヤギの部屋を出て行った。そのあとをアラシヤマが続く。
「じゃあミヤギくん。お大事に」
「…おう。トットリ、あと頼むべ……」
「任せるっちゃよ!」
トットリは胸を叩いて見せて部屋を後にした。
さっきまで賑やかだった部屋が急に静まりかえる。静かな部屋に空調の音と自分の咳だけが虚しく響く。
――シンタローに呼ばれてたんだっちゃ。ミヤギくんの任務を引き継ぐようにって
トットリの言葉がいつまでも耳の中で響く。
ミヤギが遂行するはずだった任務は敵地での潜入捜査。本来なら一番の適任者であるトットリにまわされるはずの仕事だったのだが、ミヤギがどうしても自分がいくといってきかなかったのだ。初めは渋い顔をしていたシンタローだったが結局ミヤギの熱意に負け、任すことにした。
――それなのにこの体たらく……
ミヤギは自分が情けなくて仕方がなかった。
シンタローに認めてほしくてどんな任務も厭わなかった。誰よりもシンタローに追いつきたくてがむしゃらに走り続けた。確かに無理をしたかもしれないが、その結果がコレ―――。
きっとシンタローは今ごろあきれているだろう。きっと役に立たないヤツ、と思っているに違いない。体調管理も出来ない無能な男だと。
情けなさと熱からくるだるさで体も気持ちも動かない。ミヤギはベッドにうずくまっているうちに、いつのまにか眠ってしまっていた。
目をあけると窓の外はもうすっかり暗くなっていたが灯りをつけたまま眠ってしまったらしく、部屋は煌々と明るかった。
ぼんやりと天井を見上げる。
なにか夢を見ていたような気がするが、どんな夢だったか思い出すことは出来ない。何かひどく遠いものを追いかけていたような気がするのだが――。
取りとめもなくそんなことを考えていると突然ノックもなしに部屋のドアが開いた。
「なんだ、起きていたのか」
そう言いながら部屋に入ってきたのはシンタローだった。シンタローはナプキンをかけたお盆を手にずかずかと遠慮なく入っていくと手近なテーブルにそれを置いてベッドのそばにある椅子にドカッと腰をかけた。
「調子はどうだ?」
「え? ああ、大分いいべ」
「ホントか?」
シンタローは疑わしそうにミヤギを見るとナイトテーブルに置かれていた体温計を突き出した。
「オラ、熱測れ。それと台所借りるぞ」
そういうとシンタローはミヤギの返事を待たずに持ってきたお盆を持ってさっさと台所に行ってしまった。台所に消えていくシンタローを唖然として見送りながらミヤギは渡された体温計をのそのそと腋の下にはさんだ。
――シンタローはいったい何しに来たんだべか……?
不思議に思っていると程なくして台所からいい匂いがしてきた。そう言えば朝からろくなものを食べていなかったことに気付き、急に腹が減ってくる。少しするとシンタローがお盆を手に戻ってきた。
「熱測ったか? 見せてみろ」
ミヤギから体温計を受け取ると目を凝らしてそれを見る。
「37.5℃か。まだ高いな。とりあえずメシ食え。どうせ何にも食ってねーんだろ。風邪の時は食って寝る! それが一番早く治るからな」
そう言うとシンタローは土鍋から雑炊を盛った椀をミヤギに差し出した。卵と鶏肉と浅葱ネギだけのシンプルな雑炊をまじまじと見つめて呟く。
「…コレ…今作ってたのか…」
「仕上げだけな。卵は食べる直前に入れないと固まっちまうからな。ホレ」
笑いながら差し出されたレンゲを受け取って雑炊を少し掬いそのまま口に運んだ。
「アチッ」
「あたりまえだ阿呆。冷ましてから食え」
「…………」
「どうだ? うまいか?」
口の中に入れると薄いがしっかりとした出汁のうまみと浅葱ネギの匂いが口いっぱいに広がる。
「………うめぇ」
「あたりまえだバーカ。不味いなんて行ったら承知しねーぞ」
そんな口を叩きながら、勢いよく食べるミヤギを見てシンタローはとても嬉しそうだった。
一人用の土鍋一杯に作ってきた雑炊はまたたく間になくなってミヤギの腹の中におさまった。程よく食欲が満たされたミヤギがお茶を飲んでいるうちに洗い物をしに台所に行っていたシンタローが、デザートのリンゴを手に戻ってきた。椅子に座ると彼は自分の分をひとつつまんで口に咥えながらミヤギに皿を渡した。
ミヤギは受け取った皿を膝に置いたまま手をつけようとはしなかった。うさぎの形に切られたリンゴをじっと見つめたまま、肩を落としている。
「……んだよ。食わねーのか? それともメシ食って気分悪くなったか?」
心配そうにシンタローが言うがミヤギはただ力なく首を振った。
「具合悪いんだったら横になったほうがいいぞ」
「………シンタローは……」
蒲団の端をぎゅっと握りミヤギには不似合いな低い声を絞り出す。
「シンタローはオラのこと情けねーヤツだとか思わないべか?」
「…は?」
「頼りにならねーヤツだと、思わないべか?」
こぼれ出る言葉が止められなかった。またシンタローも止めようとはしなかった。
「がむしゃらに任務こなして後先考えずに突っ走って、オメが止めるのもきかねーで無理やり請け負った仕事を前にこのザマだべ…。オメにどんな風に思われても仕方ねーけど……」
「…ま、確かに馬鹿だとは思うわな」
シンタローに言われてミヤギは弾かれたように顔をあげた。どうか自分を見放さないでほしい、そう懇願するつもりでシンタローを見た。シンタローは呆れきっているか怒っているか、どちらかだろうと思っていたのだが、予想に反してシンタローは笑っていた。
「けどよ、これでお前、自分のペースがわかっただろ?」
「…ペース…?」
「お前、最近しゃかりきになっていたじゃねーか。無理して、根つめて、自分を追い詰めてる感じでよ。見ててあぶなっかしーなとは思ってたけど、お前、言っても聞かなねーし。今回のこともある程度予想はついてたよ」
「…シンタロー…」
「どこまでが限界かわかったらこれからは馬鹿はやらねーだろ?」
にやりと笑うシンタローを見てミヤギは腹の底に重いものを感じた。そんなミヤギの様子に気付きもせずにシンタローはミヤギの皿からリンゴをつまんでいる。ミヤギはリンゴには手をつけず、ただ俯く。気がつけば皿を持った手が震えていた。
「オラは……」
腹にどんどんイヤなものがたまっていく。それはまるでミヤギの奥深い所で渦巻いて、そして爆発するように噴出した。
「オラはシンタローに近付きてぇ!」
士官学校でも、旧ガンマ団でも、そして今も。敵うことのない背中を追い続けた。だがもうそんな事はいやだ。気付かれもしないなんて冗談じゃない。
「必ず追いついて、絶対に追い越してやるべ!!」
目に涙をためながら、それでもまっすぐに自分を見据えてくるミヤギにシンタローはびっくりして目を丸くしたが、すぐに余裕の笑みで立ち上がった。そして睨むように見上げてくるミヤギにゆっくりと拳を突き出す。
「だったらこんな所で休んでんじゃねーよ。俺は容赦なく置いていくぞ」
にやりと笑うシンタローの拳を見て、ミヤギは自分も同じように拳を握ってシンタローに突きつけた。
「こんなモン、すぐに治してやるべ。首洗って待ってれ」
「待っててもらえるなんて甘いこと考えてんじゃねーぞ」
お互いに拳をぶつけるとシンタローは颯爽と踵を返してミヤギの部屋を出て行った。
ミヤギはそのドアが閉まってもしばらくじっとそのドアを見ていた。
腹の底にたまっていたものは気がつけば今はない。ぼんやりした頭にかかっていた靄のような気持ちも吹っ飛んでしまっている。
まっすぐに前を向く背中はきっと振り向くことはない。だが必ず追いついてみせる。
いつの日か肩を並べる日が必ず来るから。
そう確信している。
ミヤギは今初めて気付いたように手に持った皿に二つだけ残ったリンゴを見た。
「フツーいい年した男が、それもガンマ団の総帥がリンゴをウサギに切るべか?」
噴出しながら口に放りこんだリンゴは甘酸っぱかった―――。
END。。。。。
『熱』
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いや……あのはい……。すみません……。なんだかえらい中途半端で……。
ミヤギくんはずーっとシンタローさんの背中を追っかけ続けるんだと思います。
アラシヤマがストーカーならミヤギくんは熱烈な追っかけ?
コージは「よきに計らえ」ってな感じのお大尽でトットリは神出鬼没。(そのまんまやがな…)
でも顔だけのお人は本当に風邪はひかなさそうですねぇ(笑)
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南国の楽園・パプワ島ー――。
常夏のこの島では、時おり降るスコールと雨期、それと一部の例外を除けば常に快晴。天気が崩れることはめったにない。
シンタローは夕飯の食材を求めて籠を片手にパプワハウスを出た。だが、目的の森にたどり着くまでに突然のスコール。傘を用意していなかったシンタローは慌てて近くの木の下に逃げこんだ。
「くっそー、今日は降らねーと思ってたのによ。油断したぜ」
濡れて額に貼り付く前髪をかき上げながらシンタローは空を見上げた。雨はなかなかやむ気配を見せない。こんな突然の雨の日は絶対に『一部の例外』が雨を降らしているに違いない、と苦々しく呟く。
「ったく。またトットリのヤツがゲタ占いの術を使ってやがるな」
「それは濡れ衣だっちゃ」
誰もいないと思い込んでいたのに背後から声をかけられ、シンタローは文字通り飛び上がった。
「なにしてんだよ、こんなトコで!」
「なにって、雨宿りだっちゃ」
見ればトットリもずぶ濡れだ。そんなことにも気付けないほど取り乱していたのかと思うと格好悪くて泣けてくる。
「よく降るっちゃね~」
「…オメーが降らしてんだろーが」
「だから、濡れ衣だっちゃ。ぼくはそんなに簡単に術を使ったりしないっちゃ」
丸顔の頬を膨らませて抗議する。
「カエルさん達だってどうしても必要な時以外は頼んでこないっちゃよ」
そう言われてみればトットリがアルバイトをする時は長い間雨が降らない時に限られている。シンタローが思っているほどこの忍者は考えなしではないらしい。
「……悪かったな」
いろいろな意味をこめてシンタローが謝ると、どこまでわかっているのかトットリが無邪気に笑う。
「別に気にしてないっちゃよ」
屈託のない笑顔につられてシンタローも笑った。
「シンタローはどこに行く予定だっちゃ?」
「あ? 南の森に食材の調達だ」
「子供を養うのも大変っちゃね~」
「そうでもねーよ。なんだかんだで俺も楽しんでるからな。オメーは?」
「ぼくは海に魚釣りだっちゃ」
「そっちも苦労するな」
「共同生活は士官学校の寮で慣れてるっちゃ」
「士官学校、ね…」
「どうしたっちゃ?」
トットリが首を傾げる。
「士官学校を出てればガンマ団じゃエリート扱いだ。一般の兵隊に比べれば出世も早い。それがこんな島でキャンプ生活か…」
「それはシンタローのせいだっちゃ。シンタローが秘石を持ってガンマ団を脱走したりしなければぼくもミヤギくんもこんな苦労はなかったっちゃ」
シンタローとしてはそれをいわれると言葉もない。悪かったな、と吐き捨てるとムッと押し黙って目をそむけた。
「けど――」
トットリが笑う。
「ぼくはこの島に来てよかったと思ってるっちゃよ」
「なんでだよ。カエルがいるからか?」
「違うっちゃ。だってこの島ではシンタローが笑うから」
歳に似合わない童顔にいっぱいの笑顔。面食らうシンタローにトットリがさらに笑う。
トットリはシンタローの笑顔が好きだった。コタローが幽閉されてからは、決して見ることができなくなった笑顔。アラシヤマは、そんな甘いことでどうする、とイヤな顔をしていたが、それでもトットリは彼の笑顔が好きだった。それがこの島では見ることができる。
「ぼくはシンタローの笑ってる顔が好きだっちゃ」
「………アホか……」
「余裕ないっちゃねー」
照れてそれだけしかいえないシンタローをトットリがからかうとシンタローはさらにそっぽを向いてしまった。その表情はわからないが耳まで赤くなっているのを見て、トットリは嬉しさを隠し切れず愉快そうに笑った。
突然の雨はやはり突然にやんだ。もう少しこうしていたかったのでやんでしまったのは本当は残念だが、雲の切れ間から覗く太陽を見てトットリは釣竿と魚篭を拾い上げた。
「じゃあ行くっちゃ。次に会った時は敵同士だっちゃよ」
「ぬかせ。返り討ちにしてやるぜ」
シンタローは彼らしさを取り戻し、挑戦的に笑いながら拳を突き出した。トットリもそれを受けて同じように拳を突き出し、魚篭を担いで歩き出し、肩越しに笑いかけた。
「大漁だったらおスソワケしたげるっちゃよ」
「期待しねーで待っててやるよ」
憎まれ口を叩きながら籠を抱えて、シンタローは南の森へ駆けていった。
さぁ、余計なことを言ってしまった。シンタローはきっと釣果を楽しみにしているに違いない。
トットリは魚篭を担ぎなおす。
せいぜいがんばってシンタローを喜ばせてやろう。それでもし、シンタローが笑ってくれるなら、きっと自分も嬉しいから。
「いっちょガンバるかねー」
一人ごちてトットリは太陽の輝く海に駆け出した。
END。。。。。
『雨宿り』
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憧れの(笑)トットリ×シンタローです。時間軸は南国で。
トットリはガンマ団仕官学校時代にシンタローさんにホレちゃってるということで…。
童顔で男前な忍者トットリ。伊達衆では彼が一番男前だと思います(…え?(・・;)
朝からぼんやりしていたマジック様は、
昼過ぎには使い物にならないほどになられた。
だから、
気分転換をしてください、と言った。
言ったけど、だからってこれはないだろう。
The star for you.
昼過ぎに本部を出たのに、今はもうすっかりと日が落ちている。
しかもあたり一面には草原が広がり、
少し時期はずれの蛍が淡い光を放ちながら飛んでいる。
そんな幻想的な雰囲気に、
チョコレートロマンスは嬉しそうに駆け回っている。
いい歳をして…、と思わないでもないが、そうさせるだけのものがここにはある。
地上だけでなく見上げた空には、
同じように、けれどそれ以上に強い光を星たちが放っている。
そんな中、夜空を横切るように存在する光の帯が見える。
日本語で、天の川と言うのだと思い出したら、
次いで、今日が七夕と呼ばれる日と言うことも思い出した。
年に一度だけ、引き離された愛する人に会える日らしい。
そんなことまで思い出したら、
何故、こんな所にマジック様が来たのか解った気がした。
思い浮かぶのは、マジック様にとって唯一の存在。
今はいない、シンタロー様。
「マジック様、どうしてこのような場所に私たちはいるんですか」
訊くまでもなく答えなど解っているのに、
ふつふつとやるせない怒りが湧き上がり訊いた。
書類はこうしている間にも増え続ける。
緊急の問題がいつ起こるか解らないのに、本部を遠く離れた場所にいる。
それもこれも、マジック様のせい。
…いや、そんなことでじゃなくて、感情の問題なのだ。
時折、解らなくなる。
マジック様への感情がなんなのか。
尊敬をとうに超えていることは認める。
けれど、行き着いた先にある感情が解らない。
解ることが、怖いのかもしれない。
溜息を吐き出しながらそっとマジック様を伺ってみれば、
私の言葉など聞いてなかったようで、ぼんやりとしたまま空へと手を伸ばしている。
しかも、僅かに笑みすらのせて。
「…何ですか。
手なんか伸ばしても、星なんて手に入りませんよ」
言ってから、何をバカなことを言ってしまったのか、と後悔したが、
マジック様は、きょとんとした顔で私を見て、
伸ばした手を、やはりきょとんとした目で見つめる。
ゆっくり伸ばした手は下ろされたが、それは胸元で軽く握られた。
大切なものをそっと抱いているかのように。
「…確かにね。
夜空に輝く星は手に入らないね。
でも、私は星を貰ったよ」
穏やかな声でマジック様が言う。
星とは、シンタロー様のことだろうか。
そんなことを思ったが、貰った、という表現がひっかかる。
そんな考えが解ったのか、マジック様は小さく笑い、また夜空へと手を伸ばす。
「子どもの頃に、父から貰ったんだよ。
クリスマスに星が欲しいと言えば、キレイなクリスタルの星を貰った。
夜空に輝く星が欲しかったんだけど、それ以上に素敵なモノだった。
あの時の嬉しさを覚えているのに、私はどうして間違ったのかな?」
伸ばした手を完全に下ろし、寂しそうに笑った。
「シンちゃんもね、子どもの頃に星が欲しいと言ったんだ。
私とは違って、クリスマスじゃなくて誕生日にだけど」
「あなたが貰った星をあげたんですか?」
言いながら、否定される気がした。
クリスタルの星というものに、覚えがある。
マジック様の執務机に、ずっと昔からあるクリスタルの星。
ペーパーウェイトと使われているけれど、あまりにもキレイな星。
あれが、そうなのではないだろうか。
そう思っていると、やはりマジック様は否定の言葉を口にした。
「いいや。
できたばかりのプラネタリウウムを買った」
何でもないことのように、さらりと答えられる。
その上、
本当は新しいのを造りたかったんだけど、間に合いそうになかったから、と
今と変らず、金銭感覚の狂った言葉をくれた。
「さぞ、お喜びになったでしょう」
嫌味を込めて言ったら、小さく首を振られる。
「喜んでくれたよ。
でも、何かが違ったんだよ」
何が違うと言うのだろう。
本物の星なんて手に入らない。
手に入ったところで、それは空で輝いている星ではなく、
ただの石ころでしかない隕石だろう。
それならば、マジック様が貰ったというクリスタルの星も、
シンタロー様にあげたというプラネタリウムも同じではないのだろうか。
解らない、と目で問えば、視線を空に向けたままに答えられる。
「だからね、ここを買ったんだ。
誕生日からちょっと遅れてしまったけど、今日と同じ七夕に一緒にここに来たよ」
何がどう、だから、に続くのかは解らなかった。
けれどその理由を訊けるはずもなく、ただマジック様を見つめれば、
マジック様はゆっくりと星が瞬く空ではなく、蛍が飛び交う地上へと視線を移した。
「地上も空も、キラキラと輝いてキレイだと思わないかい。
ここは、今も昔も変らないね。
目を輝かせてね、シンタローもチョコレートロマンスみたいに走り回ってた」
そう言うマジック様の視線は、チョコレートロマンスに向けられている。
蛍を追い掛け回し、手に捕まえ立ち止まり、そっとその中を覗き見る。
それから広がる満面の笑み。
きっと、幼かったシンタロー様も、
同じように蛍を追い、捕まえ、満面の笑みを見せたのだろう。
「お喜びになったでしょう」
だから、同じ言葉を言った。
嫌味を込めたものではなく、本心から。
「…そうだね、喜んでくれたよ。
プラネタリウムの時以上に。
だから、毎年この日にここにふたりで来たよ」
長くは続かなかったけど、とやはり寂しそうに続けられる。
「いつからかな、シンタローが一緒に来なくなったの。
士官学校に上がる頃までは文句を言いながらも一緒に来てくれてたのに、
上がってからは一緒に来たことがない。
できることならずっと隠していたかった総帥の私を知って、許せなくなったのかな」
「…マジック様」
否定しなければ、と思うのに、その言葉はひとつも出てきてはくれない。
それが絶対の答えではないだろうけれど、
答えの要因となったことは否定できないと思うから。
「そんな顔をしなくていいよ。
おかげで、何が違うか解ったから」
痛ましいのに柔らかな笑みで、マジック様が笑う。
「何…だったんですか?」
「実に下らないことで――とても大事なこと」
「何ですか?」
「傍に、ってことだよ。
本物とか本物じゃないとかは、やっぱり関係ないんだよね。
その証拠に、シンちゃん喜んでくれたし。
違うって言うのは、私の我侭というか弱さかな」
そう言って、視線を空へと戻される。
「傍に、ないんだ。
私が貰ったクリスタルの星は、父が亡くなった今でも私の手にある。
キレイな思い出と共に。
けれど、シンタローはどうだろう。
あの子の手元には、何も残ってないよ」
寂しそうに笑って、
それでも大切なモノを見る目で星を見る。
そんな姿は、見ていて辛い。
「でも、思い出が残っているでしょう」
否定の言葉を告げれば、否定の言葉で返される。
「でも思い出は、目に見えないよ。
シンタローが思い出として大切にしてくれていたとしても、私には見えない。
それは、傍にあるとは言わない。
私が貰った星のように、あの子にも星をあげたかった」
後悔が嫌と言うほど伝わる。
けれど、こんなことは後悔なんかじゃない。
後悔とは、手を尽くしてそれでもどうにもならなかった時にするものだから。
だから今、後悔なんかしてはいけない。
「あげればいいじゃないですか。
マジック様の貰った星をあげればいい」
そうすれば、シンタロー様はきっと受け取る。
マジック様からの贈り物は、絶対に受け取らないだろう。
けれど、それがマジック様以外
――それも自分の祖父から伝わってきたモノだと知ったら、
受け取らずにはいられないだろう。
人の好意は無駄にできない人だから。
文句を言いながらでも、決して蔑ろにはしない。
唯一それをされる相手が、マジック様だ。
そのことを知らないのは、当のマジック様だけ。
だから、マジック様は気づかない。
シンタロー様の気持ちも。
憎んでいるだけなら、逃げたりなんかしないのに。
このふたりは、いつも相手をちゃんと見ていない。
見ているのに、本質を理解していない。
「ティラミス?」
解らないという顔で、マジック様が見てくる。
その目を逸らさずに言った。
「シンタロー様に、あなたの星をあげればいい。
喜ばれますよ。
あなたは、もう必要ないでしょう?」
マジック様が欲しいモノは、星じゃない。
手に入った星も大切だけれど、それ以上に大切なモノがある。
その人に大切な星が渡り、
それを手にし、大切にしてくれる相手を見ることで満たされる。
だから、もう必要ないでしょう。
そう目で静かに訴えれば、マジック様は瞠目した後に笑った。
久しぶりに見る子どもみたいな笑みで。
「そうだね。
シンタローに私の星を貰ってもらおうか。
そうしてそれは、あの子の手に残る。
昔みたいに喜んでくれないかもしれないけど、
その代わりに、違う、なんてもう思わないよね」
そしてまた、手を空へと伸ばされる。
まっすぐ星に向かって伸ばされたその手は、ゆっくりと下ろされ胸元で強く握られた。
先ほどのようにそっとなんかではなく、想いを込めるように強く。
そんなマジック様の姿を見て、安心する。
けれどその反面、胸がズキリと痛む。
その痛みに、行き着いた先の感情を自覚する。
知ったところで、どうしようもない感情。
だから、何も望まない。
ただ今、傍にいられることだけで幸せだと思った。
傍にあるということは、何よりも大切なこと。
勝手なエゴでしかないけれど、それでももう十分に幸せなんです。