言うまでもなく、遠征から帰還した直後のガンマ団総帥は、形容詞が“ 酷い ”では済まないくらい忙しい。
本部のみならず、各支部からも、ありとあらゆる媒体で届いた資料に、目と言わず耳と言わず見て聞いてサインして指示を出して、と毎度のことながら総帥自身もうんざりするほど執務に拘束される。周囲の者が、急ぎの用事があっても声を掛けることを本気で躊躇ってしまうこともあるほどだ。ガンマ団本部に戻って一週間半くらいが山場で、その後ようやく少し落ち着いてきて通常の状態に戻る、らしい。
「らしい」というのは、ガンマ団総帥の『通常の状態』が、他の者から見れば激務であることには変わりないということで、落ち着いてきたといっても差ほど変わりがあるようには見られないということである。
シンタローとしては、遠征から帰還後、一週間くらいで溜まった資料の山を片付けたいところなのだが、如何せんその資料の数ときたら一般団員の想像を絶するものがある。本人としては、一週間を数日オーバーしてしまうことが許せないらしく、目標は高くと考えているようなのだが、周囲の者からしてみれば一週間半でそれらを片付けてしまえること自体、不思議で仕方ない。
己が選んだ道であるのだから、その信念を貫き通すためにシンタローは突き進む。体を動かすことを好むために、書類に対して多少文句が出てしまうのは人の心理として仕方ないものだろう。だが、その中に「やめたい」などという途中で放棄するような言葉は絶対にない。他人に任せるわけではなく己の手で一つ一つやり終えるのだ。
だがしかし。いくらシンタローが頑丈と言えども、遠征で溜まる疲労は普段のものとは比べものにならない。更にいつものこととはいえ、書類の山に終わりは見えない。
従って、機嫌がよろしくない。
いや、よろしくないなんでものではない───はっきり言ってもの凄く悪い。
体を動かすことを好むシンタローを執務に拘束するということは、野生の獣を鎖で繋いで檻に入れることと等しい。それがどんなことであるかは、誰もが容易に想像できる。
ただでさえ鋭い目元が、鋭利な刃物のような眼光を湛え、溜まった疲労を隠そうとするためか、彼を取り巻くオーラが何故かいつもの三割増になる。逆効果この上なく、あまりの威圧感と恐怖で一般団員どころか上級職員ですら、総帥を正面から見ることが出来ない。それどころか少しも近くに寄れない。近寄れないというよりは、近寄りたくないというのが本音である。
このガンマ団総帥が、憂さ晴らしでそこら中の団員に手当たり次第突っかかったり、八つ当たりをすることはけっしてないのだが、解っていてもとにかく恐いものは恐いのだ。この状態のシンタローに下手な刺激を与えると、いつもの倍以上、酷い報復を受けるのは周知の事実で、以前、マジックやアラシヤマがその身を以て立証した。尤も、それくらいの扱いで諦めるような彼等ではないので、命懸けのちょっかいを毎回かけているのは言うまでもない。
本日は、遠征から帰還して七日目。
丁度一週間がたった今現在、疲労もピークに達して、後数日が更なる山場となるときである。
日付が変わって三〇分程経った今でも、シンタローは一人で総帥室に残りいつものように書類に目を通してはサインを走らせていた。電子媒体の書類であれば自室の端末から呼び出して処理したりもするのだが、あいにく山積みされているのは紙媒体の書類だ。これらの山を部屋に移動させるのは、手間以外の何でもない。
日にちからしても、いつもだったら機嫌の悪さがピークに達する頃であるのだが、本日のシンタローは非常に機嫌が良い。その端正な顔からは、濃い疲労が窺えるものの、動作はいたって軽やかだ。
そんなガンマ団総帥の様子に、一体何があったのだろうかと誰もが首を傾げるのだが、これには『理由』がある。
その『理由』を思い出しては、明日の朝が楽しみだ、と微笑を浮かべるシンタローだ。
『それ』を思うと、こんな深夜遅くまで一人仕事をしていることも苦痛ではない。
秘書が分類しておいた書類の一山にようやく区切りがつき、後もう少し仕事を進めておこうと思った頃、シンタローは空腹をおぼえた。丁度良いから小休憩を入れようと総帥室に隣接された休憩室に移動する。
さすがのシンタローもこの時間まで仕事をしていて、一切休憩も入れずに、この後も書類と格闘をして勝つ自信はない。本当は休憩を入れる余裕など何処にもないのだが、いくら頑丈なガンマ団総帥といえども生身の人間である。全くの休憩無しで働き続けることは生物学的に考えるまでもなく無理な話だ。集中力は切れ、書類をさばくスピードが落ちるので非常に効率が悪い。
『どこまでやったら部屋に戻るかなぁー…』
シンタローの机の上に山積みされた書類の数々を思い出して、どのくらい山を崩せば本日の業務は終了として部屋に戻れるだろうかと、熱いコーヒーを飲みながら考える。
そのまま視線を窓の外に移すと、真っ黒なヴェールを被った空には、大きな満月が浮かんでいた。その月明かりに負けじと、星たちも輝きを放っていて、夜空は雲一つなく晴れ渡っている。窓越しでも綺麗だと思うほどのものであるから、これを見ながら夜の散歩を楽しめたらどんなに最高であろうか。そんなことを思いながら、シンタローはコーヒーを片手に窓の外を眺めた。
そんな暗闇の中、外に設置されたライトと月明かりに照らされた何かが動くのがシンタローの目に留まった。恐らく人であろうと思われるそのものの髪が輝くような光を反射したのを見て、それが青の一族がもつ金髪だと気づく。ということは、青の一族の誰かがこの夜闇の中を歩いていたということになる。こんな夜中に誰が…と思ったシンタローだが、その『誰か』が建物の中に消えてから一〇分後にこの休憩室の扉が音を立てて開き、恐らく先程外で見かけた人物であろう───キンタローが中に入ってきた。
全く予想をしていなかった人物に、シンタローは黒曜石のような瞳を見開いた。
「キンタロー…お前、こんな時間に何やってんだ?」
キンタローはその青い眼にシンタローの姿を認めて、予想していたと言わんばかりの表情を浮かべた。その表情が若干険しくなったのは、シンタローの気のせいではない。
「お前こそこんな時間にここで何をしているんだ、シンタロー。外からこの部屋の明かりが見えたから、自室へ戻る前に寄ったんだが…」
そう言うキンタローの眼が鋭い光を放っている。
キンタローの台詞にギクリとしたシンタローは、眼を泳がせながらその碧眼から視線を逸らす。
「えー…あー…何してんだろうな…」
シンタローの口からは、歯切れの悪い台詞しか出てこない。
キンタローはそんな様子のシンタローを剣呑な目つきで見つめながら近寄っていく。シンタローは近づいてくるキンタローと目を合わせないように、不自然なほど上体をそらした。その体勢は長くは持たないだろうと思えるほど無理なそらし方である。
「何のマネだ」
「ん?見て判んねぇ?体操」
その誤魔化し方にも無理がある。
ガンマ団総帥が遠征後に忙殺の日々を送るのは恒例のことであり、それはキンタローも承知である。だからこの質問にも「仕事をしていました」と素直に答えればいいのだが、今日に限ってシンタローはその様に答えられない。
それには訳があるのだ。
昨日のことである。
総帥室でシンタローが書類に目を通していると、キンタローが困惑した表情でシンタローの元にやってきた。珍しい様子のキンタローに、シンタローがどうしたのかと尋ねれば、今ガンマ団と共同開発しているプロジェクトで知り合った某A国の女性研究員の一人に「明日の夜は空いていないか?」と誘われたのだがどうしたらいいだろうかということであった。
一体、何に悩む必要があるのだろうかとシンタローは疑問に思う。
続けられる台詞に黙って耳を傾けていると、珍しくキンタローがその台詞の裏に含まれた意味を捉えていることが判り、これは慣れない『お誘い』に困惑しているのかと結論付けた。
そこでシンタローは『人生経験の一つや二つ…いやもっと積んだ方がいいよな』と事の行方を面白く思い「仕事は俺一人で大丈夫だから行ってこい」と爽やかな笑顔で応えたのだ。
本日の夕方も、どことなく渋っている様子のキンタローに、
「今回は進みが良いから今日中に片付けるつもりの書類は、俺一人でやっても日付が変わる前に目処がつくだろうよ。だから遠慮しねぇで遊んでこい」
と、昨晩よりも極上の笑みを浮かべて、シンタローは送り出した。
その様な意味が含まれた女性のお誘いとあれば、当然、朝帰りをしてくるものだと思い込んでいたシンタローは、この時間にガンマ団でキンタローと顔を合わせることなど微塵も考えていなかった。
だから、この時間まで堂々と仕事をしていたのだ。
今とっている休憩の後も、書類との戦闘を再開させるつもりであった。
キンタローの質問に答える気配のないシンタローに、この補佐官は更に一歩近寄ると、とても紳士が発するとは思えない、非常に物騒な響きを持った低い声で一言唸る。
「───…仕事か…」
一般団員が聞いたら、任務を放り出して即座に逃げ出しそうな、非常に恐ろしい唸り声である。とても他の者には聞かせられたものではない。
シンタローは、そんなキンタローに慣れているので、逃げようとは思わなかったが、嘘がばれて少し気まずい。
「お前が早く終わるようなことを言っていたから、俺は出掛けていったんだぞ。いいか、この俺がいなくてもお前は日付が変わる前に…」
「あー…悪かったって。二度言わんでいーから…」
「本当に悪かったと思っているのか?」
「まぁ、半分くらいは…」
「シンタロー…」
「だって、キンタロー、お前そうでも言わねぇと、遊びに行かねぇだろ?」
シンタローは開き直って、悪びれもせずにそう言った。キンタローの眉間による皺が増えたのは判ったが、嘘がばれてしまったら細かいことを気にしないのがシンタローである。
「この忙しい中、遊びに行く必要がどこにあるというんだ。大体から、仕事と遊びだったら、どちらを優先すべきか、考えるまでもなく決まっているだろう」
先程の唸り声と同じくらい低い声で、キンタローは意見する。
「まぁ、そう堅いこと言うなって。お前がそんなだから、俺が嘘つく羽目になるんじゃねぇか…」
「俺が悪いというのか?」
「そうじゃねぇよ。遊びも勉強の一つだっての」
「…言っている意味がよく判らない。遊びは遊びだ」
断言するキンタローの台詞にシンタローは苦笑をする。
「お前、スゲェ頭良いのにそれに比例するくらい頭堅いよな…───まぁ、いいや。で、どーだった?俺はてっきり朝帰りコースだと思ってたんだけど…」
「何がいいんだ。全然よくないぞ、シンタロー」
「いいから、いいから。小言は後で聞くって」
後でも全く聞く様子のないシンタローに、キンタローは溜息を洩らした。この様な態度のシンタローは珍しくないのだが、何だか釈然としないものがある。だが、何を言っても無駄なのは判りきっているので、シンタローの質問を先に答えるかと、キンタローは本日夕方、ガンマ団本部を出てからの出来事を振り返った。
そんな様子のキンタローを、シンタローは楽しげな笑みを浮かべながら興味津々の呈で眺めている。
「今日誘ってくれた女性って、お前、結構プライベートでも付き合いがあるヒトだよな」
シンタローはキンタローとの何気ない会話から得た情報を思い出した。
いつも仕事を終えると真っ直ぐ本部に帰ってきてしまうキンタローが、珍しく一緒に食事へ行ったり、仕事以外の会話をしたりというような間柄の人物が、本日のお相手である。一体、何があってそんなに親しくなったのか。普段、キンタローの行動を一番間近で見ているシンタローとしては非常に気になるところだ。
よって、今の台詞も何気ない一言だったのだが、キンタローからは予想しない返答が戻ってきた。
「いや、別に個人的な付き合いなどない」
「へ?だって、お前、プロジェクトの関係で顔合わせると、よく一緒に飯食いに行ったりしてんじゃねぇか」
「彼女が誘ってくれる店はお前が好きそうなものが多かったからな。遠征に行く合間、外で食事をする時間が出来たら一緒に行こうと思って教えてもらっただけだ」
「…………………………」
この返答を聞いて、シンタローは口を閉じた。
何だか色々と突っ込みを入れたいところがたくさんあったような気がしたのだが、半瞬考えて強引に「気のせい」ということにする。こんなところで躓いたら、先に待っているであろう楽しいお話が聞けなくなる。
『キンタローからこの手の「不思議な台詞」が出てくるのは日常茶飯事だよな。今更気にしてどーするよ、俺』
今聞いた台詞をあっさり記憶の外に放り出すと、気を取り直して話を続ける。
「でも、あんだけ頻繁だとさ、ほら、何か気が合うとかそういうのがあんだろ?」
「───…あぁ、彼女と話をするのは楽しい」
この返答に、シンタローは心の中でガッツポーズをとる。
『これだよ!俺が聞きたかったのは!!』
先程の返答にはどうしようかと思ったシンタローだが、この台詞には、やはり何かあると考え、話の先を促す。
「やっぱ、話って研究とかの話がメイン?」
「いや…研究に関連するものは機密事項が多いから今現在関わっているプロジェクトの話を外ですることはない。それに関連しない話ならすることもあるが、研究以外の話が多いと思う」
キンタローの返答にシンタローの心内はますます楽しくなってくる。やはり、仕事から離れてする会話の内容は研究以外の話だよな、などとしみじみと頷く。
が、しかし。
「彼女が話す内容は多岐に渡っていて、普段の研究に全然関係しないものまである。些細なことだが非常に役立つと思うものが多いんだ」
「うん、うん」
「だから、それらを俺なりにアレンジを加えて応用をすると、お前の仕事が少しでも楽になるのではないかと思って色々と話を聞かせてもらっている」
「…………………………」
さすがのシンタローも二度目となると、本人の目の前で盛大に頭を抱えた。
順調にきていた話が、何故か目の前で直角に曲がった。
あまりの曲がりっぷりに、シンタローは眩暈がして体勢を崩し、ズルズルとその場に蹲る。
キンタローは、シンタローが突然具合を悪くしたのかと思いその横にしゃがみ、支えるように体に腕を回す。
「大丈夫か、シンタロー。だから根を詰めて仕事をするなと…」
「そうじゃねぇー…」
今度はシンタローから獰猛な唸り声が上がる。その声は、どんな猛獣でも尻尾を巻いて逃げ出しそうなほど、非常に恐ろしい響きであった。
キンタローのこれは、鈍いとかそういった問題の範疇なのであろうか───。
シンタローは、キンタローが今日会ってきた女性に会ったことは一度もない。
だが、キンタローから話を聞く限りでは、その女性がキンタローに対して特別な感情を寄せていることは判った。
だから、一度も会ったことがない自分ですら相手の感情が判るのに、何故この補佐官は全く気づかないのか、シンタローは不思議でしょうがない。
あらためて言うまでもなく、青の一族の容姿は華やかである。世の中に、金髪碧眼は珍しいものではないが、青の一族が持つ輝きは他にない。
当然、それはキンタローも例外でない。
並はずれた長身と、その場にいる者全ての視線を釘付けにするほど均整の取れた体は、鍛え抜かれ強靱さを誇っている。見惚れるほど端整な顔立ちを輝くような金糸の髪が飾り、独特の輝きを放つ青い眼はクールな印象を与える。
一種の造形美がそこにあり、誰が見ても、文句無しの美青年である。更に、頭の回転が速く、振る舞いは紳士的だ。常に上品なスーツで身を包み、内に秘めた獣性を表に出すようなマネはしない。もし仮に出たとしても、恐らく人の目にはそれすら妖しい魅力として映るであろう。どことなくずれていたり、非常に堅物だったりする面もあるのだが、それらを差し引いても魅力的な青年だ。
そんな男が一体何をやっているんだか───。
シンタローは心底脱力した。好みじゃないというのならまだしも、これでは相手の女性が可哀想になってくる。
「はあぁ…そりゃ、こんな時間に帰ってくるよな…」
深い溜息をつくシンタローを青い眼が不思議そうに見た。
「何の話だ?」
「何でもねぇよ…───相手の女性は、怒ったか、深い溜息をつきながら帰っていっただろ…」
シンタローの台詞にキンタローは驚いたような表情を浮かべた。あまり感情が表に出ないキンタローが「驚いた」とわかるくらいであるから、これは非常に驚いているのであろう。
「何故判ったんだ?その両方だったんだが……突然のことで俺には何が何だかよく判らなかった…」
「判んねぇうえに、両方かよ…。ったく、お前、それじゃダメじゃねぇか」
シンタローはしゃがんだまま、己の横に座り込んだ青年へ非難の眼を向けた。キンタローには、シンタローの台詞と視線の意味が全く判らない。
「シンタロー、何が言いたいのか俺にはサッパリ判らない」
「判れよ。その女性は、お前に『特別な感情』を抱いていたんだと思うぞ」
キンタローはシンタローの台詞を聞いて僅かに目を見開く。
「何故そんなことが判る」
「俺には、その状況で何で判らないのかが判んねぇよ…。だーから、遊んで人生経験積んどけって言ってんだよ」
「それは、遊ぶと判るようになるものなのか?」
「───…何か話が極端だな…。一概にそうだとは言えねぇけど…」
微塵も現状を理解していないようなキンタローに、シンタローはどのように話をするべきか考える。
心情を察することも人によって、得手、不得手があるわけだから、そういった『場』に繰り出すようになっても、判るようになるとは限らない。
ただ、キンタローの場合はそれ以前の問題であるように思うのだ。
ついでに個人的理由を挙げれば、己の半身でもあるキンタローが『ただ単に鈍い男』というのでは、シンタロー自身が納得がいかない。
『んー…相手のことを考えらんねぇで、自分が一番にきちまうってのは……まぁ、子供にはよくある話だよな。これもそれと同じって考えていいもんなのかなぁ…何か納得いかねぇんだけど…』
シンタローは自分を見つめている青い眼の持ち主を見つめ返しながら、先程の会話を思い返す。何故か彼の中心には自分がいるような発言が多かった。『まさか…相手の女性に俺のことばっかり話したりしてねぇよな…』と一瞬不安が過ぎるが、それは口には出さずに飲み込む。
別固体に別れた頃より、遙かに落ち着いた状態にあるキンタローなのだが、それでも『キンタロー』として生を歩みだしてまだ二年である。知識はともかく、こういった相手の心情を察したりというようなものは、いくら本を読んでも身に付かない。こればっかりは様々な人間と対峙して学んでいかなければならないのだ。
『あー…でも、後見人が高松だろ…それじゃ、無理もねぇか。あのマッドドクターじゃ、そういった機会の芽が出る前に抜き取っちまう…』
今回の件は、シンタロー自身も深くは考えず、何処に行っても目立つ存在なのに浮いた話が一つもないキンタローの面白い話が聞けるかもしれないと思って軽い気持ちで送り出しのだ。思わぬ所に躓くポイントがあったわけで、仕方がないと言えば仕方がない。いきなりキンタローを一人放り出して人生経験を積んでこい、ということに無理がある。
『あーあ…俺が自由に遊べなくなったから、身近な奴のネタで楽しもうと思ったのになぁー…』
随分勝手な言い分を心の内にしまい、キンタローの頭をコツンと軽く叩いて、シンタローは苦笑しながら言った。
「ま、今回の件は仕方ねぇな。これから少しずつ…そーだな、俺が行けるようなら一緒に行って色々教えてやるよ」
総帥となった今、シンタローが自由にそのような『場』へいけるかどうかは別として、キンタローと共に社交の場へ繰り出す機会は多々あるのだ。今まではそういった観点からキンタローの行動を見てはいなかったが、これからは勉強のためにももう少し考えて傍にいようとシンタローは考えた。
本当は、プライベートの場で従兄弟としてそういったことを教えてあげたいのだが、悲しいことに今のシンタローにはそのような時間をとる余裕がない。
キンタローはシンタローの台詞に、表情を僅かに緩めると嬉しそうに頷いた。
「お前が一緒だと楽しそうだ」
裏表のないキンタローの台詞に、シンタローは若干赤くなりつつ、照れ隠しに今まで向けていた視線を逸らした。
「───…しっかし、お前、本当に俺のことが好きだよなぁ。ったく、まぁこの俺様が魅力的なのは判るけどよ…」
シンタローは話を切り上げるべく、ふざけた台詞を言いながら立ち上がる。
雑談で随分と話し込んでしまったが、せっかくこの時間までここにいるのだから、もう少し書類を片付けてしまいたい。
キンタローもシンタローにつられて立ち上がりながら、今の台詞に少し驚いた表情で尋ねた。
「周りにもよく言われるんだが…お前本人にも判るくらい俺はお前のことが好きなのか?」
この台詞に、シンタローは持っていたカップを派手に落としそうになる。慌てて体勢を整え難を逃れた。
今、キンタローは何て言ったんだと耳に入ってきた言葉を頭の中で反芻させる。
「そんな台詞をよく言われてんじゃねぇよ…俺が言ったのは冗談だ、冗談。真に受けんなよ」
「───…冗談…」
「…何だよ、その突っ込みにくい表情はっ」
「いや、周囲にそう言われるのは確かだし、お前のことが好きなのは確かなんだが…」
「言葉の意味をちゃんと捉えとかねぇと、それは誤解を受ける台詞だぞ…」
右を見ても左を見ても男しかいない環境である。更に言えば、団員は前総帥であるマジックが全国各地から選りすぐり集めた『ちょっと変わった美少年』がここで鍛えられ発展したものだ。ただでさえ外から見れば妖しい雰囲気満載なのだから、ここまではっきり言われると、聞き手には好意の種類が変わって捉えられてしまう。ガンマ団新総帥とその補佐官のゴシップ記事など、世界中のメディアが我一番にと食らいついて放さない。
「あーあ、ったく。まぁ、いーや…後々のためにも、女の人に引かれない程度に気をつけろよ」
「何故、そこに女性が関係するんだ?」
「だーから、お前そんだけいい男なんだから、勿体ないって言ってんの」
「何がだ、シンタロー」
「あーっもうっ何で解んねぇかな。だーかーら、女が選び放題の今の状態、しっかり楽しんでおけっての。いい女掴まえる為にも、普段の言動から誤解を招くようなマネはすんなって言ってんだよ。解ったか?」
シンタローの台詞に、キンタローはどうも納得がいかない。
「俺は女が欲しいなんて思っていないぞ」
「もてる男に限ってそう言うんだよな…勿体ねぇ…」
「───…お前に言われたくない」
「何の話だよ。ま、とにかく、従兄弟べったりでつまんない男とか思われねぇようにしとけよ。細かい事情を知らねぇ奴が世の中の殆どなんだから、その見た目とその年齢で、俺のことばっか口にしてたら、一生ダメ男のレッテル貼られんぞ」
軽い話のはずだったのだが、何故こんなに真剣に女遊びを従兄弟に勧めなければならないのか、シンタローは疑問で仕方がない。相手がキンタローだと、どんな軽い話でも真面目な話になってしまうのだろうか。
女遊びの真面目な話など聞いたこともない。
逆の立場でも、そんな話を真面目にされたら非常に困る。
そんなことを考えるシンタローに、キンタローは更なる爆弾を投下した。
「その辺の台詞も一通り言われたことがあるんだが…」
シンタローはこの瞬間、今日中に終わらせようと思っていた残りの業務を全て投げ捨てた。
本部のみならず、各支部からも、ありとあらゆる媒体で届いた資料に、目と言わず耳と言わず見て聞いてサインして指示を出して、と毎度のことながら総帥自身もうんざりするほど執務に拘束される。周囲の者が、急ぎの用事があっても声を掛けることを本気で躊躇ってしまうこともあるほどだ。ガンマ団本部に戻って一週間半くらいが山場で、その後ようやく少し落ち着いてきて通常の状態に戻る、らしい。
「らしい」というのは、ガンマ団総帥の『通常の状態』が、他の者から見れば激務であることには変わりないということで、落ち着いてきたといっても差ほど変わりがあるようには見られないということである。
シンタローとしては、遠征から帰還後、一週間くらいで溜まった資料の山を片付けたいところなのだが、如何せんその資料の数ときたら一般団員の想像を絶するものがある。本人としては、一週間を数日オーバーしてしまうことが許せないらしく、目標は高くと考えているようなのだが、周囲の者からしてみれば一週間半でそれらを片付けてしまえること自体、不思議で仕方ない。
己が選んだ道であるのだから、その信念を貫き通すためにシンタローは突き進む。体を動かすことを好むために、書類に対して多少文句が出てしまうのは人の心理として仕方ないものだろう。だが、その中に「やめたい」などという途中で放棄するような言葉は絶対にない。他人に任せるわけではなく己の手で一つ一つやり終えるのだ。
だがしかし。いくらシンタローが頑丈と言えども、遠征で溜まる疲労は普段のものとは比べものにならない。更にいつものこととはいえ、書類の山に終わりは見えない。
従って、機嫌がよろしくない。
いや、よろしくないなんでものではない───はっきり言ってもの凄く悪い。
体を動かすことを好むシンタローを執務に拘束するということは、野生の獣を鎖で繋いで檻に入れることと等しい。それがどんなことであるかは、誰もが容易に想像できる。
ただでさえ鋭い目元が、鋭利な刃物のような眼光を湛え、溜まった疲労を隠そうとするためか、彼を取り巻くオーラが何故かいつもの三割増になる。逆効果この上なく、あまりの威圧感と恐怖で一般団員どころか上級職員ですら、総帥を正面から見ることが出来ない。それどころか少しも近くに寄れない。近寄れないというよりは、近寄りたくないというのが本音である。
このガンマ団総帥が、憂さ晴らしでそこら中の団員に手当たり次第突っかかったり、八つ当たりをすることはけっしてないのだが、解っていてもとにかく恐いものは恐いのだ。この状態のシンタローに下手な刺激を与えると、いつもの倍以上、酷い報復を受けるのは周知の事実で、以前、マジックやアラシヤマがその身を以て立証した。尤も、それくらいの扱いで諦めるような彼等ではないので、命懸けのちょっかいを毎回かけているのは言うまでもない。
本日は、遠征から帰還して七日目。
丁度一週間がたった今現在、疲労もピークに達して、後数日が更なる山場となるときである。
日付が変わって三〇分程経った今でも、シンタローは一人で総帥室に残りいつものように書類に目を通してはサインを走らせていた。電子媒体の書類であれば自室の端末から呼び出して処理したりもするのだが、あいにく山積みされているのは紙媒体の書類だ。これらの山を部屋に移動させるのは、手間以外の何でもない。
日にちからしても、いつもだったら機嫌の悪さがピークに達する頃であるのだが、本日のシンタローは非常に機嫌が良い。その端正な顔からは、濃い疲労が窺えるものの、動作はいたって軽やかだ。
そんなガンマ団総帥の様子に、一体何があったのだろうかと誰もが首を傾げるのだが、これには『理由』がある。
その『理由』を思い出しては、明日の朝が楽しみだ、と微笑を浮かべるシンタローだ。
『それ』を思うと、こんな深夜遅くまで一人仕事をしていることも苦痛ではない。
秘書が分類しておいた書類の一山にようやく区切りがつき、後もう少し仕事を進めておこうと思った頃、シンタローは空腹をおぼえた。丁度良いから小休憩を入れようと総帥室に隣接された休憩室に移動する。
さすがのシンタローもこの時間まで仕事をしていて、一切休憩も入れずに、この後も書類と格闘をして勝つ自信はない。本当は休憩を入れる余裕など何処にもないのだが、いくら頑丈なガンマ団総帥といえども生身の人間である。全くの休憩無しで働き続けることは生物学的に考えるまでもなく無理な話だ。集中力は切れ、書類をさばくスピードが落ちるので非常に効率が悪い。
『どこまでやったら部屋に戻るかなぁー…』
シンタローの机の上に山積みされた書類の数々を思い出して、どのくらい山を崩せば本日の業務は終了として部屋に戻れるだろうかと、熱いコーヒーを飲みながら考える。
そのまま視線を窓の外に移すと、真っ黒なヴェールを被った空には、大きな満月が浮かんでいた。その月明かりに負けじと、星たちも輝きを放っていて、夜空は雲一つなく晴れ渡っている。窓越しでも綺麗だと思うほどのものであるから、これを見ながら夜の散歩を楽しめたらどんなに最高であろうか。そんなことを思いながら、シンタローはコーヒーを片手に窓の外を眺めた。
そんな暗闇の中、外に設置されたライトと月明かりに照らされた何かが動くのがシンタローの目に留まった。恐らく人であろうと思われるそのものの髪が輝くような光を反射したのを見て、それが青の一族がもつ金髪だと気づく。ということは、青の一族の誰かがこの夜闇の中を歩いていたということになる。こんな夜中に誰が…と思ったシンタローだが、その『誰か』が建物の中に消えてから一〇分後にこの休憩室の扉が音を立てて開き、恐らく先程外で見かけた人物であろう───キンタローが中に入ってきた。
全く予想をしていなかった人物に、シンタローは黒曜石のような瞳を見開いた。
「キンタロー…お前、こんな時間に何やってんだ?」
キンタローはその青い眼にシンタローの姿を認めて、予想していたと言わんばかりの表情を浮かべた。その表情が若干険しくなったのは、シンタローの気のせいではない。
「お前こそこんな時間にここで何をしているんだ、シンタロー。外からこの部屋の明かりが見えたから、自室へ戻る前に寄ったんだが…」
そう言うキンタローの眼が鋭い光を放っている。
キンタローの台詞にギクリとしたシンタローは、眼を泳がせながらその碧眼から視線を逸らす。
「えー…あー…何してんだろうな…」
シンタローの口からは、歯切れの悪い台詞しか出てこない。
キンタローはそんな様子のシンタローを剣呑な目つきで見つめながら近寄っていく。シンタローは近づいてくるキンタローと目を合わせないように、不自然なほど上体をそらした。その体勢は長くは持たないだろうと思えるほど無理なそらし方である。
「何のマネだ」
「ん?見て判んねぇ?体操」
その誤魔化し方にも無理がある。
ガンマ団総帥が遠征後に忙殺の日々を送るのは恒例のことであり、それはキンタローも承知である。だからこの質問にも「仕事をしていました」と素直に答えればいいのだが、今日に限ってシンタローはその様に答えられない。
それには訳があるのだ。
昨日のことである。
総帥室でシンタローが書類に目を通していると、キンタローが困惑した表情でシンタローの元にやってきた。珍しい様子のキンタローに、シンタローがどうしたのかと尋ねれば、今ガンマ団と共同開発しているプロジェクトで知り合った某A国の女性研究員の一人に「明日の夜は空いていないか?」と誘われたのだがどうしたらいいだろうかということであった。
一体、何に悩む必要があるのだろうかとシンタローは疑問に思う。
続けられる台詞に黙って耳を傾けていると、珍しくキンタローがその台詞の裏に含まれた意味を捉えていることが判り、これは慣れない『お誘い』に困惑しているのかと結論付けた。
そこでシンタローは『人生経験の一つや二つ…いやもっと積んだ方がいいよな』と事の行方を面白く思い「仕事は俺一人で大丈夫だから行ってこい」と爽やかな笑顔で応えたのだ。
本日の夕方も、どことなく渋っている様子のキンタローに、
「今回は進みが良いから今日中に片付けるつもりの書類は、俺一人でやっても日付が変わる前に目処がつくだろうよ。だから遠慮しねぇで遊んでこい」
と、昨晩よりも極上の笑みを浮かべて、シンタローは送り出した。
その様な意味が含まれた女性のお誘いとあれば、当然、朝帰りをしてくるものだと思い込んでいたシンタローは、この時間にガンマ団でキンタローと顔を合わせることなど微塵も考えていなかった。
だから、この時間まで堂々と仕事をしていたのだ。
今とっている休憩の後も、書類との戦闘を再開させるつもりであった。
キンタローの質問に答える気配のないシンタローに、この補佐官は更に一歩近寄ると、とても紳士が発するとは思えない、非常に物騒な響きを持った低い声で一言唸る。
「───…仕事か…」
一般団員が聞いたら、任務を放り出して即座に逃げ出しそうな、非常に恐ろしい唸り声である。とても他の者には聞かせられたものではない。
シンタローは、そんなキンタローに慣れているので、逃げようとは思わなかったが、嘘がばれて少し気まずい。
「お前が早く終わるようなことを言っていたから、俺は出掛けていったんだぞ。いいか、この俺がいなくてもお前は日付が変わる前に…」
「あー…悪かったって。二度言わんでいーから…」
「本当に悪かったと思っているのか?」
「まぁ、半分くらいは…」
「シンタロー…」
「だって、キンタロー、お前そうでも言わねぇと、遊びに行かねぇだろ?」
シンタローは開き直って、悪びれもせずにそう言った。キンタローの眉間による皺が増えたのは判ったが、嘘がばれてしまったら細かいことを気にしないのがシンタローである。
「この忙しい中、遊びに行く必要がどこにあるというんだ。大体から、仕事と遊びだったら、どちらを優先すべきか、考えるまでもなく決まっているだろう」
先程の唸り声と同じくらい低い声で、キンタローは意見する。
「まぁ、そう堅いこと言うなって。お前がそんなだから、俺が嘘つく羽目になるんじゃねぇか…」
「俺が悪いというのか?」
「そうじゃねぇよ。遊びも勉強の一つだっての」
「…言っている意味がよく判らない。遊びは遊びだ」
断言するキンタローの台詞にシンタローは苦笑をする。
「お前、スゲェ頭良いのにそれに比例するくらい頭堅いよな…───まぁ、いいや。で、どーだった?俺はてっきり朝帰りコースだと思ってたんだけど…」
「何がいいんだ。全然よくないぞ、シンタロー」
「いいから、いいから。小言は後で聞くって」
後でも全く聞く様子のないシンタローに、キンタローは溜息を洩らした。この様な態度のシンタローは珍しくないのだが、何だか釈然としないものがある。だが、何を言っても無駄なのは判りきっているので、シンタローの質問を先に答えるかと、キンタローは本日夕方、ガンマ団本部を出てからの出来事を振り返った。
そんな様子のキンタローを、シンタローは楽しげな笑みを浮かべながら興味津々の呈で眺めている。
「今日誘ってくれた女性って、お前、結構プライベートでも付き合いがあるヒトだよな」
シンタローはキンタローとの何気ない会話から得た情報を思い出した。
いつも仕事を終えると真っ直ぐ本部に帰ってきてしまうキンタローが、珍しく一緒に食事へ行ったり、仕事以外の会話をしたりというような間柄の人物が、本日のお相手である。一体、何があってそんなに親しくなったのか。普段、キンタローの行動を一番間近で見ているシンタローとしては非常に気になるところだ。
よって、今の台詞も何気ない一言だったのだが、キンタローからは予想しない返答が戻ってきた。
「いや、別に個人的な付き合いなどない」
「へ?だって、お前、プロジェクトの関係で顔合わせると、よく一緒に飯食いに行ったりしてんじゃねぇか」
「彼女が誘ってくれる店はお前が好きそうなものが多かったからな。遠征に行く合間、外で食事をする時間が出来たら一緒に行こうと思って教えてもらっただけだ」
「…………………………」
この返答を聞いて、シンタローは口を閉じた。
何だか色々と突っ込みを入れたいところがたくさんあったような気がしたのだが、半瞬考えて強引に「気のせい」ということにする。こんなところで躓いたら、先に待っているであろう楽しいお話が聞けなくなる。
『キンタローからこの手の「不思議な台詞」が出てくるのは日常茶飯事だよな。今更気にしてどーするよ、俺』
今聞いた台詞をあっさり記憶の外に放り出すと、気を取り直して話を続ける。
「でも、あんだけ頻繁だとさ、ほら、何か気が合うとかそういうのがあんだろ?」
「───…あぁ、彼女と話をするのは楽しい」
この返答に、シンタローは心の中でガッツポーズをとる。
『これだよ!俺が聞きたかったのは!!』
先程の返答にはどうしようかと思ったシンタローだが、この台詞には、やはり何かあると考え、話の先を促す。
「やっぱ、話って研究とかの話がメイン?」
「いや…研究に関連するものは機密事項が多いから今現在関わっているプロジェクトの話を外ですることはない。それに関連しない話ならすることもあるが、研究以外の話が多いと思う」
キンタローの返答にシンタローの心内はますます楽しくなってくる。やはり、仕事から離れてする会話の内容は研究以外の話だよな、などとしみじみと頷く。
が、しかし。
「彼女が話す内容は多岐に渡っていて、普段の研究に全然関係しないものまである。些細なことだが非常に役立つと思うものが多いんだ」
「うん、うん」
「だから、それらを俺なりにアレンジを加えて応用をすると、お前の仕事が少しでも楽になるのではないかと思って色々と話を聞かせてもらっている」
「…………………………」
さすがのシンタローも二度目となると、本人の目の前で盛大に頭を抱えた。
順調にきていた話が、何故か目の前で直角に曲がった。
あまりの曲がりっぷりに、シンタローは眩暈がして体勢を崩し、ズルズルとその場に蹲る。
キンタローは、シンタローが突然具合を悪くしたのかと思いその横にしゃがみ、支えるように体に腕を回す。
「大丈夫か、シンタロー。だから根を詰めて仕事をするなと…」
「そうじゃねぇー…」
今度はシンタローから獰猛な唸り声が上がる。その声は、どんな猛獣でも尻尾を巻いて逃げ出しそうなほど、非常に恐ろしい響きであった。
キンタローのこれは、鈍いとかそういった問題の範疇なのであろうか───。
シンタローは、キンタローが今日会ってきた女性に会ったことは一度もない。
だが、キンタローから話を聞く限りでは、その女性がキンタローに対して特別な感情を寄せていることは判った。
だから、一度も会ったことがない自分ですら相手の感情が判るのに、何故この補佐官は全く気づかないのか、シンタローは不思議でしょうがない。
あらためて言うまでもなく、青の一族の容姿は華やかである。世の中に、金髪碧眼は珍しいものではないが、青の一族が持つ輝きは他にない。
当然、それはキンタローも例外でない。
並はずれた長身と、その場にいる者全ての視線を釘付けにするほど均整の取れた体は、鍛え抜かれ強靱さを誇っている。見惚れるほど端整な顔立ちを輝くような金糸の髪が飾り、独特の輝きを放つ青い眼はクールな印象を与える。
一種の造形美がそこにあり、誰が見ても、文句無しの美青年である。更に、頭の回転が速く、振る舞いは紳士的だ。常に上品なスーツで身を包み、内に秘めた獣性を表に出すようなマネはしない。もし仮に出たとしても、恐らく人の目にはそれすら妖しい魅力として映るであろう。どことなくずれていたり、非常に堅物だったりする面もあるのだが、それらを差し引いても魅力的な青年だ。
そんな男が一体何をやっているんだか───。
シンタローは心底脱力した。好みじゃないというのならまだしも、これでは相手の女性が可哀想になってくる。
「はあぁ…そりゃ、こんな時間に帰ってくるよな…」
深い溜息をつくシンタローを青い眼が不思議そうに見た。
「何の話だ?」
「何でもねぇよ…───相手の女性は、怒ったか、深い溜息をつきながら帰っていっただろ…」
シンタローの台詞にキンタローは驚いたような表情を浮かべた。あまり感情が表に出ないキンタローが「驚いた」とわかるくらいであるから、これは非常に驚いているのであろう。
「何故判ったんだ?その両方だったんだが……突然のことで俺には何が何だかよく判らなかった…」
「判んねぇうえに、両方かよ…。ったく、お前、それじゃダメじゃねぇか」
シンタローはしゃがんだまま、己の横に座り込んだ青年へ非難の眼を向けた。キンタローには、シンタローの台詞と視線の意味が全く判らない。
「シンタロー、何が言いたいのか俺にはサッパリ判らない」
「判れよ。その女性は、お前に『特別な感情』を抱いていたんだと思うぞ」
キンタローはシンタローの台詞を聞いて僅かに目を見開く。
「何故そんなことが判る」
「俺には、その状況で何で判らないのかが判んねぇよ…。だーから、遊んで人生経験積んどけって言ってんだよ」
「それは、遊ぶと判るようになるものなのか?」
「───…何か話が極端だな…。一概にそうだとは言えねぇけど…」
微塵も現状を理解していないようなキンタローに、シンタローはどのように話をするべきか考える。
心情を察することも人によって、得手、不得手があるわけだから、そういった『場』に繰り出すようになっても、判るようになるとは限らない。
ただ、キンタローの場合はそれ以前の問題であるように思うのだ。
ついでに個人的理由を挙げれば、己の半身でもあるキンタローが『ただ単に鈍い男』というのでは、シンタロー自身が納得がいかない。
『んー…相手のことを考えらんねぇで、自分が一番にきちまうってのは……まぁ、子供にはよくある話だよな。これもそれと同じって考えていいもんなのかなぁ…何か納得いかねぇんだけど…』
シンタローは自分を見つめている青い眼の持ち主を見つめ返しながら、先程の会話を思い返す。何故か彼の中心には自分がいるような発言が多かった。『まさか…相手の女性に俺のことばっかり話したりしてねぇよな…』と一瞬不安が過ぎるが、それは口には出さずに飲み込む。
別固体に別れた頃より、遙かに落ち着いた状態にあるキンタローなのだが、それでも『キンタロー』として生を歩みだしてまだ二年である。知識はともかく、こういった相手の心情を察したりというようなものは、いくら本を読んでも身に付かない。こればっかりは様々な人間と対峙して学んでいかなければならないのだ。
『あー…でも、後見人が高松だろ…それじゃ、無理もねぇか。あのマッドドクターじゃ、そういった機会の芽が出る前に抜き取っちまう…』
今回の件は、シンタロー自身も深くは考えず、何処に行っても目立つ存在なのに浮いた話が一つもないキンタローの面白い話が聞けるかもしれないと思って軽い気持ちで送り出しのだ。思わぬ所に躓くポイントがあったわけで、仕方がないと言えば仕方がない。いきなりキンタローを一人放り出して人生経験を積んでこい、ということに無理がある。
『あーあ…俺が自由に遊べなくなったから、身近な奴のネタで楽しもうと思ったのになぁー…』
随分勝手な言い分を心の内にしまい、キンタローの頭をコツンと軽く叩いて、シンタローは苦笑しながら言った。
「ま、今回の件は仕方ねぇな。これから少しずつ…そーだな、俺が行けるようなら一緒に行って色々教えてやるよ」
総帥となった今、シンタローが自由にそのような『場』へいけるかどうかは別として、キンタローと共に社交の場へ繰り出す機会は多々あるのだ。今まではそういった観点からキンタローの行動を見てはいなかったが、これからは勉強のためにももう少し考えて傍にいようとシンタローは考えた。
本当は、プライベートの場で従兄弟としてそういったことを教えてあげたいのだが、悲しいことに今のシンタローにはそのような時間をとる余裕がない。
キンタローはシンタローの台詞に、表情を僅かに緩めると嬉しそうに頷いた。
「お前が一緒だと楽しそうだ」
裏表のないキンタローの台詞に、シンタローは若干赤くなりつつ、照れ隠しに今まで向けていた視線を逸らした。
「───…しっかし、お前、本当に俺のことが好きだよなぁ。ったく、まぁこの俺様が魅力的なのは判るけどよ…」
シンタローは話を切り上げるべく、ふざけた台詞を言いながら立ち上がる。
雑談で随分と話し込んでしまったが、せっかくこの時間までここにいるのだから、もう少し書類を片付けてしまいたい。
キンタローもシンタローにつられて立ち上がりながら、今の台詞に少し驚いた表情で尋ねた。
「周りにもよく言われるんだが…お前本人にも判るくらい俺はお前のことが好きなのか?」
この台詞に、シンタローは持っていたカップを派手に落としそうになる。慌てて体勢を整え難を逃れた。
今、キンタローは何て言ったんだと耳に入ってきた言葉を頭の中で反芻させる。
「そんな台詞をよく言われてんじゃねぇよ…俺が言ったのは冗談だ、冗談。真に受けんなよ」
「───…冗談…」
「…何だよ、その突っ込みにくい表情はっ」
「いや、周囲にそう言われるのは確かだし、お前のことが好きなのは確かなんだが…」
「言葉の意味をちゃんと捉えとかねぇと、それは誤解を受ける台詞だぞ…」
右を見ても左を見ても男しかいない環境である。更に言えば、団員は前総帥であるマジックが全国各地から選りすぐり集めた『ちょっと変わった美少年』がここで鍛えられ発展したものだ。ただでさえ外から見れば妖しい雰囲気満載なのだから、ここまではっきり言われると、聞き手には好意の種類が変わって捉えられてしまう。ガンマ団新総帥とその補佐官のゴシップ記事など、世界中のメディアが我一番にと食らいついて放さない。
「あーあ、ったく。まぁ、いーや…後々のためにも、女の人に引かれない程度に気をつけろよ」
「何故、そこに女性が関係するんだ?」
「だーから、お前そんだけいい男なんだから、勿体ないって言ってんの」
「何がだ、シンタロー」
「あーっもうっ何で解んねぇかな。だーかーら、女が選び放題の今の状態、しっかり楽しんでおけっての。いい女掴まえる為にも、普段の言動から誤解を招くようなマネはすんなって言ってんだよ。解ったか?」
シンタローの台詞に、キンタローはどうも納得がいかない。
「俺は女が欲しいなんて思っていないぞ」
「もてる男に限ってそう言うんだよな…勿体ねぇ…」
「───…お前に言われたくない」
「何の話だよ。ま、とにかく、従兄弟べったりでつまんない男とか思われねぇようにしとけよ。細かい事情を知らねぇ奴が世の中の殆どなんだから、その見た目とその年齢で、俺のことばっか口にしてたら、一生ダメ男のレッテル貼られんぞ」
軽い話のはずだったのだが、何故こんなに真剣に女遊びを従兄弟に勧めなければならないのか、シンタローは疑問で仕方がない。相手がキンタローだと、どんな軽い話でも真面目な話になってしまうのだろうか。
女遊びの真面目な話など聞いたこともない。
逆の立場でも、そんな話を真面目にされたら非常に困る。
そんなことを考えるシンタローに、キンタローは更なる爆弾を投下した。
「その辺の台詞も一通り言われたことがあるんだが…」
シンタローはこの瞬間、今日中に終わらせようと思っていた残りの業務を全て投げ捨てた。
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