少々個人的な買い物がしたくて、仕事の合間を見て時間を作り、シンタローとキンタローが揃ってデパートを訪れた時のことであった。用事があったのはシンタローで、キンタローはそれにくっついてきた形になる。
シンタローが目的のものを探している間、キンタローはその近くをウロウロしていたのだが、ようやく買い物が済んだと思ったときに金髪の従兄弟の姿が見えなくなっていた。
キンタローの容姿はとにかく目立つ。
シンタローもそうだが、ここまでの長身はなかなかいるものではないし、金髪碧眼は世界に多くいるというのに青の一族が持つ輝きは独特なものがあるのだ。キンタローの端整な顔立ちと彼が持つ雰囲気はその場にいる者の目を奪うのには十分で、黄色い声が混じった特有のざわめきを追っていけば直ぐに見つかるだろう。
だから、キンタローとはぐれた今でもシンタローに焦りはなく、フロアに並べられているものを見ながら、長身で金髪の男の姿を探して少し一人で歩いた。
それから、差ほど時間はかからずに探していた従兄弟の姿を見つけることは出来たのだが、この時のシンタローの顔には喜びと安堵の表情は見られず、見てはいけないものを見てしまった時のような引きつりを見せた。
先程までシンタローにくっついて歩いていたキンタローは、フロアに置かれているもの一つ一つがその眼に珍しく映ったようで、興味津々の呈で眼に映る様々なものを眺めながら歩いていたのだろう。
周りに意識を奪われ過ぎてシンタローからはぐれてしまったようなのだが───最終的に何故そこに辿り着いたのかキンタローが今現在いる場所は、この時期に特設されるのであろう、チョコレートや手作りお菓子用の材料、ラッピンググッズなどが置かれた、いわゆるバレンタインコーナーであった。
可愛らしいピンク色のコーナーはバレンタインの贈り物を選ぶ女の子達で華やいでいるのだが、その中にとても違和感を感じる大きな男が一人混ざっている。
整った外見がその違和感をより一層際立たせていた。
『アイツ…何してんだよッ?!』
その台詞は口から勢い良く飛び出したりはしなかったが、シンタローは心の中で盛大に叫び声を上げる。
キンタロー本人は気付いていないようだが、今現在このバレンタインコーナーにいる女の子達の視線釘付け、大注目を浴びていると断言出来る程目立っているのだ。
ただし、目立つと言っても悪目立ちをしていると言うことなのだが───シンタロー自慢の従兄弟なのに、痛い視線集中の現状には目を逸らしたくなる。
おそらく、お菓子売場でもない場所に何故こんなにも多くのチョコレート類が置いてあるのだろうかと、ここに特設されたコーナーを目にしたキンタローは興味を覚えて、更に食品売場でもないのにお菓子作りの材料も置いてあるのは何なのだろうかと考えながら足を踏み入れていったように思えた。
シンタローの視力では、バレンタインコーナーから少し離れた位置にいるにも関わらず、疑問符が浮かんでいるキンタローの表情までよく見えるのだ。バレンタイン自体は知識として知っているはずなのに、これがそれだということにはまだ思い当たっていないようである。
シンタロー個人の用事はとっくに済んでいるので、キンタローにさっさと声をかけて帰りたいのだが、恐いもの知らずのガンマ団総帥もその地帯に足を踏み入れるのは本気で躊躇われた。
しかし、どうしようかと逡巡していると、キンタローはどんどん奥の方へ足を進めていってしまう。
そこでふと思いついて、シンタローはキンタローの携帯電話にかけてみたのだが、お約束のようにこういうときに限って相手は気付かない。
『バカッそれ以上奧に行くなよッキンタローッ』
シンタローはそんな叫び声を心の中であげた。
だが、その一分後に居たたまれないという気持ちを存分に味わう羽目になる。
どれだけ電話をならそうとも気付いてもらえず、結局シンタローはバレンタインコーナーにて女の子に紛れながらキンタローと肩を並べることになってしまった。
キンタローに集まっていた視線をシンタローが半分ほど頂くことになる。シンタローにとっては非常に有り難くない話であった。別の形出ならば大歓迎なのだが。
「……………」
「シンタロー…ここは何なんだ?」
キンタローは、無言のまま近寄り肩を叩くことで存在を知らせてきたシンタローには構わず、今現在の興味からくる質問を投げかける。対するシンタローは額に手を当てて深い溜息をついた。
「あー…バレンタイン…は分かンだろ?」
早くこの場から立ち去りたいと心底思いながらキンタローの質問に答えた。
シンタローの一言でキンタローは納得いったように「あぁ、これが…」と呟き頷く。
これで直ぐにこの場から離れてくれるのかとシンタローは期待したのだが、そんな気配は一向に見られず、この場での興味はまだ削がれないようで、キンタローは目の前に置いてあったラッピンググッズを手にとって眺めてみたり、色んな種類のチョコレートをその青い眼に映していた。
シンタローはキンタローに帰りを促すタイミングを失ってしまい、何だか楽しそうな雰囲気を醸し出している従兄弟の後ろについて、少し投げやりな気持ちで一緒にフロアを歩いた。
人一倍周囲の視線が気になるのはシンタローの性格で、大して気にならないのが青の一族の性格である。
キンタローは周囲の状況など全く意に介さず、自分の興味が赴く方向へ忠実に移動していく。
この場にそぐわない二人組になっていることを重々承知のシンタローは、羞恥心から若干俯いているのだが、長身が故にその方がこの場にいる女の子達に己の表情がよく見えるということには気付いていないようであった。
一刻も早くこの場から立ち去りたいと思っていたシンタローだが、そこで今回がキンタローにとって初めてのバレンタインであることに気付く。
士官学生時代、男に囲まれた青春を送ったシンタローも、バレンタインに明るい思い出はなかったと言っても過言ではない。もちろん、身近にない行事だからこそ抱く憧れや夢のようなものはあった。その当時は縁がないなりにも、どこかの女の子へ抱く期待がそれなりにあったような気もするが、それらは全て仲間内での談笑に終わっていた。実際のところ、二月十四日はバレンタインというよりも、大好きな叔父の誕生日といった意識の方が強いのだ。勿論、今現在でも───。
『俺も普通の学校行ってたら、やっぱワクワクソワソワしてたのかな』
そんなことを思いながらキンタローの後ろ姿を見つめていたシンタローは、甘いものがあまり得意ではないキンタローでも、やはりバレンタインというものには興味が湧くものなのかと少し考えた。
甘いものが大好きなもう一人の従兄弟のグンマなら、この時期無条件にワクワクするのは判るのだが、この男の場合はどうなのだろうか。
キンタローならば「お菓子メーカーの戦略だろう」と一刀両断しそうな気もするのだが、何を想像しているのか今現在は楽しそうにフロアを見て回っている。
『コイツは…やっぱ普通の学校に行ってたら、たくさんもらってきたんだろうな…』
キンタローならば律儀な性格故に、義理も含めてもらったお菓子は全て自分で食べなくてはと思うだろうし、そう考えはしても甘いものが苦手だから全然食べ進めることが出来ずに困り果てている姿がありありと浮かんで、シンタローはふっと笑みを洩らした。
『興味あンならあげても良いけど…どーかな?やっぱ処理に困るかな?』
目の前をウロウロしているキンタローが何を考えているのか判らなかったが、興味があるのならチョコレートをあげてみようかとシンタローは思う。勿論、食べるのに困らないように、小さなものを少しだけ。
「シンタロー」
「ん?」
不意に名前を呼ばれて、シンタローは意識を現実に戻す。
すると、今まで周囲のものに向けられていたキンタローの青い眼が、シンタローをじっと見つめていた。
「バレンタインは女の人が好きな人に贈り物をする、で合っているか?」
「あぁ…まぁそーだな」
キンタローの質問に、シンタローは先程よりも暢気な様子で答えた。キンタローにとって初めてのバレンタインと考えていたら、周りの状況よりもこの従兄弟の方が気になりだしたのだ。さすがにここで女の子に混ざって材料を買う気にはなれないが、後で何か探してみるかという思考にまでは直ぐに至った。
シンタローが少し楽しげな想像をしていると、先程向けられた青い眼がまだ己を見つめたままなことに気付く。
キンタローの青い眼にシンタローが視線を合わせると、従兄弟はふわりと微笑を浮かべた。
目の前で見ていたシンタローは、突然のことにドキリとする。
余り表情が変わらないキンタローが浮かべる微笑はシンタローに絶大な効果を発揮するのだ。
周囲のざわめきも大きくなったような気がするのは、多分気のせいではない。
シンタロー以外の者が見ても、その微笑には目を奪われるのだろう。
「どーした?キンタロー」
その微笑につられてシンタローの声色も優しく響いたのだが、この金髪の従兄弟は何を思ったのかいきなりシンタローの手を掴んで握り締めた。
「……キ…キン…ッ」
突然何をするんだと慌てたシンタローが抗議をあげるよりも早く、キンタローが口を開いた。
「ということは、シンタロー…俺はお前から貰えるということになるのか?」
この従兄弟の中では先程の会話がまだ続いていたようで、普段はクールな印象を与える青い双眸が期待に輝く。
嬉しそうに弾んだキンタローの声は差ほど大きなものではなかったのだが、不本意ながら周囲の意識を我がものにしていた二人組であるだけに、その台詞はこの辺り一帯にいた者全ての耳に響いた。
今まで賑わっていたバレンタインコーナーがあり得ないほどの静けさに包まれる。
シンタローもキンタローもこれまでの人生で、女の子から、否ありとあらゆる人達からこんなにも視線をもらったことはないんじゃなかろうかというほどの大注目を浴びた。
痛いほどに、無数の視線が突き刺さる。
次の瞬間、種々のざわめきが起こったのだが、そんな中ガンマ団ナンバーワンとしてその名を馳せた男は、公衆の面前でとんでもないことを暴露してくれた従兄弟の腕を勢い良く掴むと光速の如くこの場から走り去った。
ということは、の内訳を詳しく説明してみやがれと腹の底から叫びそうになったシンタローだが、実際問題それどころではなかったのである。
『あぁ…もう二度とあのデパートには行けねぇーな…』
キンタローが運転をする帰りの車の中で、助手席に押し込まれたシンタローはこの男に何か言ってやりたかったのだが、効果的な言葉が全く見つからなかった。車窓から流れる景色を投げやりな気持ちで眺めている。
一方のキンタローは、ハンドルを握る手がとても軽い。この従兄弟にしては珍しく少しスピードが出ているのだが、これは先程気付いた“事実”に浮かれているからであろう。
多大な期待が籠もった視線を、車が信号で止まる度に嫌と言うほど感じているシンタローは、気付かないふりをして一切横を向かないでいた。頼むからそんな目で俺を見ないでくれと、怒っているはずなのにどんどん気を削がれていく。
『ホントに…何でコイツはこーなんだよ…』
バレンタインに贈り物をすること自体は、シンタローも構わない。手作りが良いと言うのならば、料理好きの性格だから喜んで作る。先程まではそんなことも考えていた。
だが、しかし───。
『クッソー…“ということは”って何だよッ!!』
恐らく二度と会わないであろう女性の皆さんには、あの場で忘れられない記憶をプレゼントしてしまったような気がする。出来れば直ぐさま記憶を消去して頂きたいのだが…。
本部に戻りシンタローが車から降りると、キンタローは尻尾を振った犬のように近寄ってきた。
「シンタロー」
「…ンだよ」
努めて素っ気なく返事をしてみたのだがキンタローは気にした様子もなく、一冊の本をシンタローに渡した。
「………何だコレ?」
「先程のデパートで店員にもらったんだ」
可愛らしい女の子三人が表紙を飾っている本にはワインレッドの色をした文字で“特別号/バレンタイン特集”と書かれていた。全体的に淡いピンク色で構成されているこの本は、誰がどう見ても完全に女性誌である。
シンタローは渡された本の意味を直ぐに理解出来ず、疑問に満ちた視線をキンタローに向けた。
「参考にどうぞと言われたんだ」
強い力で雑誌を握り締めながら今の台詞で打ちひしがれたシンタローは、見事にその場で崩れ落ちていった。
END...?
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* n o v e l *
PAPUWA~IFシリーズ①彼がキス魔だったら・キンタロー&シンタローver~
「シンタロー」
不意に呼びかけられて、シンタローはグラスを持ったまま彼の方へ視線を向けた。
二人きりの部屋にはアルコールの匂いが漂っていて。
明日の仕事に支障が出てはマズイ、そろそろお開きかな、と思っていたシンタローは、きっとキンタローもそう言うのだろうと思っていた。
だが彼の口から出てきた言葉は
「お前にキスがしたい。これから実行に移そうと思うのだが、構わないか?」
――というものだった。
「…………はァッ!?」
全く予想していなかった言葉に、危うくグラスを落としそうになる。
赤いワインがシンタローの動揺そのままに揺れた。
「何言って……あ、さてはオメー、酔ってンな?」
「酔ってはいない」
「酔っ払いはみんなそう言うンだよ」
「……そうなのか。では、酔っているのかもしれない」
普段と何ら変わった様子は無く、生真面目にこくりと頷くキンタローを見てシンタローは呆れた顔をした。
妙な酔い方をするヤツだ、と思わず苦笑が浮かんだが――キンタローが向かい合っていたソファから立ち上がり、こちらの隣へ移動してくるとシンタローの笑いは引っ込んだ。
ギシリ、とスプリングが軋む音がして、二人目の体重に柔らかなソファが僅かに沈む。
キンタローは真面目な顔を崩さないまま、シンタローへ身体を寄せてきた。
――まさかマジなのか。
冗談、と思いつつもシンタローの口元が引きつる。
「オイ……?キンタロー?」
恐る恐る呼びかけると、キンタローは「何だ?」といつも通りに返してきた。
いつも通り……だが、近くに寄ってよくよく見ると、その青い両の目がトロンとしているような気がする。
焦点が合っているようで合っていない。
白い肌もほんのりと色づいていた。
「……酔ってやがる」
思わずシンタローが呻くように呟くと、キンタローは他人事のように「ほう……」と興味深そうに相槌を打った。
「そうか。これが泥酔というものか」
「泥酔までは行ってねーと思うが――って、オイ!?」
予備動作なしにいきなり右腕を掴まれて、シンタローはギョッとした。隙の無い滑らかな動きはとても酔っているとは思えない。
とは言え、まだ身の危険を感じるほどでは無かった。
相手はキンタローで、ココは自分の部屋(テリトリー)である。それ以前に男同士なのだから、そうそう妙な事になるはずがない。
しかし腕は振り払うべきかどうか、と一瞬迷ったシンタローの顎がキンタローのもう片方の手でくいっと持ち上げられ――そのまま、あっさり唇を奪われた。
「――ッ?」
「…………。ふむ。お前の唇は意外と柔らかいな、シンタロー」
「なッ!?」
ほんの1、2秒の短い接触。
すぐに唇を離したキンタローだったが、その柔らかさを確かめようとするように再び顔を寄せ、シンタローの唇を歯で優しく噛んだ。
くすぐったさの中に、時折チリ、と痛みが混じる。
「ばッ……」
反射的に悪態をつこうとして、シンタローの口が薄く開いた。
するとその隙を逃さずにするりとキンタローの舌が咥内に侵入する。
丁寧に、中をくまなく探るように舌が動く。
上顎をくすぐるように舐められて、シンタローの身体がビクリと跳ねた。
その拍子に脚がガラス製の低いテーブルに当たってゴトッと音を立てる。
我に返って視線をそちらへ向けると、テーブルの上で空になったボトルが転がっていた。
「……~~~ッ」
シンタローはグラスを持っていない方の手でキンタローの額をガッと掴み、強引に自分から引き剥がした。
離れた唇の間で銀糸が伝い、不幸な事にそれをバッチリ見てしまったシンタローは顔を真っ赤にしながらも必死にゴシゴシと手の甲で口を擦る。
突然引き剥がされたキンタローは、キョトンとした表情を浮かべてシンタローを見つめている。
「どうした、シンタロー。何か問題でも」
「……問題、だらけだ馬鹿ヤロー!!何やってンだよテメーは!?」
「キスをした」
「あっさり答えるなッ」
「……キスをしては、いけなかったのか?」
キンタローは不思議そうに首を傾げる。
酔っている為かその仕草はひどく幼く見えて、シンタローは「うっ……」と言葉に詰まった。
もちろんダメだ、と答えたいところだが、そう真っ直ぐに見つめられると何とも居心地が悪く、咄嗟に声が出なかった。
「キスは親愛の証だろう。そう習った。俺はお前が好きなのだから、キスをするには問題が無いはずなのだが……シンタロー、お前は俺が嫌いなのか?」
「……ンな事はねーけど。ああ、つーかキスは親愛の証って誰に習ったんだッ?」
間違いではない、ないが、どーも使い方を間違っているような気がする。
訊ねたシンタローに、キンタローは真顔で答えた。
「ハーレム叔父貴だ。気に入った女がいるのなら酒を飲ませて酔ったところを一気に畳み込め、と言われた」
――あンの獅子舞ッ!!!――
いつかコロス!と誓いを立てながら、シンタローは「今すぐ忘れろ!」とキンタローに説いて聞かせた。
「何故だ?」
「その教えは色々間違って……というか問題が多すぎっからだ!つかキンタロー、オメーも女にやれって言われたンだから俺を実験台にすンのはヤメロよな」
「実験台のつもりなどでは無く、本気だったのだが……シンタローが嫌だと言うのなら、次からはちゃんと了解を取ってからにしよう」
「よし。何か余計な言葉も聞こえたような気がするが、今はあえてつっこまん。分かってくれたならそれでいいぜ」
やれやれ、と嘆息して、まだ持ったままだったグラスを思い出し、ヤケになったように中身を一気に呷る。
上下に動くシンタローの白い喉をキンタローがじーっと見つめていたが、気付くと厄介な事になりそうなのでこれまたあえてスルーした。
グラスをトン、とテーブルに置くと、その手にキンタローの手が重ねられた。
「……っ?」
もしやまたか!?と一瞬警戒したシンタローであったが。
キンタローの目を見て、力を抜いた。
これは、母親に頭を撫でてもらいたがっている時の子どもの目だ。
……主人に甘える子犬の目、とも言えない事もないが。
「ハーレム叔父貴の教えには幾つか問題点があるようだが……キスが親愛の情を伝える肉体的な行為の一つであるという事に違いは無いのだろう?」
「……まーな。流石にそこまでは否定しねーけど」
そこを否定するとコイツはまた違った方向へと走っていきそうだ。
まだまだお子様なキンタローに、シンタローは少しばかり余裕が戻ってきて「仕方ねーなァ~」というように苦笑した。
キンタローは何故笑われたのか分からないのだろう、「ム、何だ?」とまた不思議そうに首を傾げたが……まぁいい、と気を取り直して言葉を続けた。
「お前は俺の事が嫌いではないのだな?」
「そりゃまァ。嫌いだったら一緒に酒飲んだりしねーし」
「では……」
「……」
キンタローが何を望んでいるのかはもう分かっている。
シンタローは躊躇ったものの……自分が子どもの頃、父マジックにされたキスを思い出し、フゥ、と溜息をついた。
シンタロー自身も、幼いコタローの頬に愛情を込めてキスした事がある(というか数え切れない程した)。
つまりはそういう事だ。
「キンタロー」
名前を呼び。
はっとしたようにこちらを見るキンタローに少しだけイタズラっぽい表情を向け。
シンタローはキンタローの頬に、ちゅっと軽い音を立てて口付けた。
顔を離すと、ニッと笑いかける。
親愛を込めて、くしゃくしゃとキンタローの髪をかき混ぜてやる。
「今日はもう寝な、酔っ払い」
「シンタロー……」
「明日の朝、気が向けばまたおはようのキスしてやっから」
半分は冗談の言葉だったが、それを聞いたキンタローが真面目な顔で「分かった、楽しみにしている」と答えたので、シンタローはまた笑った。
もう笑うしかないだろう、こんなに図体のデカイお子様に懐かれてしまったのでは。
サービスにもう一度、今度は額にキスをしてやって「おやすみ」と囁いてやると、キンタローもシンタローの頬にキスをして「おやすみシンタロー」と返した。
それから間もなく、ソファの上で寝てしまったキンタローに毛布をかけてやり、シンタローは一人グラスを片付けた。
「ッたく、ほんっと仕方ねーヤツ。……キスが習慣になったりしねーだろうな」
そうなったら恐ろしい、と一人ごちたが――あながち杞憂とも思えない。
とりあえず、キンタローに酒を飲ませる時は気をつけよう、と思った夜なのであった。
PAPUWA~IFシリーズ①彼がキス魔だったら・キンタロー&シンタローver~
「シンタロー」
不意に呼びかけられて、シンタローはグラスを持ったまま彼の方へ視線を向けた。
二人きりの部屋にはアルコールの匂いが漂っていて。
明日の仕事に支障が出てはマズイ、そろそろお開きかな、と思っていたシンタローは、きっとキンタローもそう言うのだろうと思っていた。
だが彼の口から出てきた言葉は
「お前にキスがしたい。これから実行に移そうと思うのだが、構わないか?」
――というものだった。
「…………はァッ!?」
全く予想していなかった言葉に、危うくグラスを落としそうになる。
赤いワインがシンタローの動揺そのままに揺れた。
「何言って……あ、さてはオメー、酔ってンな?」
「酔ってはいない」
「酔っ払いはみんなそう言うンだよ」
「……そうなのか。では、酔っているのかもしれない」
普段と何ら変わった様子は無く、生真面目にこくりと頷くキンタローを見てシンタローは呆れた顔をした。
妙な酔い方をするヤツだ、と思わず苦笑が浮かんだが――キンタローが向かい合っていたソファから立ち上がり、こちらの隣へ移動してくるとシンタローの笑いは引っ込んだ。
ギシリ、とスプリングが軋む音がして、二人目の体重に柔らかなソファが僅かに沈む。
キンタローは真面目な顔を崩さないまま、シンタローへ身体を寄せてきた。
――まさかマジなのか。
冗談、と思いつつもシンタローの口元が引きつる。
「オイ……?キンタロー?」
恐る恐る呼びかけると、キンタローは「何だ?」といつも通りに返してきた。
いつも通り……だが、近くに寄ってよくよく見ると、その青い両の目がトロンとしているような気がする。
焦点が合っているようで合っていない。
白い肌もほんのりと色づいていた。
「……酔ってやがる」
思わずシンタローが呻くように呟くと、キンタローは他人事のように「ほう……」と興味深そうに相槌を打った。
「そうか。これが泥酔というものか」
「泥酔までは行ってねーと思うが――って、オイ!?」
予備動作なしにいきなり右腕を掴まれて、シンタローはギョッとした。隙の無い滑らかな動きはとても酔っているとは思えない。
とは言え、まだ身の危険を感じるほどでは無かった。
相手はキンタローで、ココは自分の部屋(テリトリー)である。それ以前に男同士なのだから、そうそう妙な事になるはずがない。
しかし腕は振り払うべきかどうか、と一瞬迷ったシンタローの顎がキンタローのもう片方の手でくいっと持ち上げられ――そのまま、あっさり唇を奪われた。
「――ッ?」
「…………。ふむ。お前の唇は意外と柔らかいな、シンタロー」
「なッ!?」
ほんの1、2秒の短い接触。
すぐに唇を離したキンタローだったが、その柔らかさを確かめようとするように再び顔を寄せ、シンタローの唇を歯で優しく噛んだ。
くすぐったさの中に、時折チリ、と痛みが混じる。
「ばッ……」
反射的に悪態をつこうとして、シンタローの口が薄く開いた。
するとその隙を逃さずにするりとキンタローの舌が咥内に侵入する。
丁寧に、中をくまなく探るように舌が動く。
上顎をくすぐるように舐められて、シンタローの身体がビクリと跳ねた。
その拍子に脚がガラス製の低いテーブルに当たってゴトッと音を立てる。
我に返って視線をそちらへ向けると、テーブルの上で空になったボトルが転がっていた。
「……~~~ッ」
シンタローはグラスを持っていない方の手でキンタローの額をガッと掴み、強引に自分から引き剥がした。
離れた唇の間で銀糸が伝い、不幸な事にそれをバッチリ見てしまったシンタローは顔を真っ赤にしながらも必死にゴシゴシと手の甲で口を擦る。
突然引き剥がされたキンタローは、キョトンとした表情を浮かべてシンタローを見つめている。
「どうした、シンタロー。何か問題でも」
「……問題、だらけだ馬鹿ヤロー!!何やってンだよテメーは!?」
「キスをした」
「あっさり答えるなッ」
「……キスをしては、いけなかったのか?」
キンタローは不思議そうに首を傾げる。
酔っている為かその仕草はひどく幼く見えて、シンタローは「うっ……」と言葉に詰まった。
もちろんダメだ、と答えたいところだが、そう真っ直ぐに見つめられると何とも居心地が悪く、咄嗟に声が出なかった。
「キスは親愛の証だろう。そう習った。俺はお前が好きなのだから、キスをするには問題が無いはずなのだが……シンタロー、お前は俺が嫌いなのか?」
「……ンな事はねーけど。ああ、つーかキスは親愛の証って誰に習ったんだッ?」
間違いではない、ないが、どーも使い方を間違っているような気がする。
訊ねたシンタローに、キンタローは真顔で答えた。
「ハーレム叔父貴だ。気に入った女がいるのなら酒を飲ませて酔ったところを一気に畳み込め、と言われた」
――あンの獅子舞ッ!!!――
いつかコロス!と誓いを立てながら、シンタローは「今すぐ忘れろ!」とキンタローに説いて聞かせた。
「何故だ?」
「その教えは色々間違って……というか問題が多すぎっからだ!つかキンタロー、オメーも女にやれって言われたンだから俺を実験台にすンのはヤメロよな」
「実験台のつもりなどでは無く、本気だったのだが……シンタローが嫌だと言うのなら、次からはちゃんと了解を取ってからにしよう」
「よし。何か余計な言葉も聞こえたような気がするが、今はあえてつっこまん。分かってくれたならそれでいいぜ」
やれやれ、と嘆息して、まだ持ったままだったグラスを思い出し、ヤケになったように中身を一気に呷る。
上下に動くシンタローの白い喉をキンタローがじーっと見つめていたが、気付くと厄介な事になりそうなのでこれまたあえてスルーした。
グラスをトン、とテーブルに置くと、その手にキンタローの手が重ねられた。
「……っ?」
もしやまたか!?と一瞬警戒したシンタローであったが。
キンタローの目を見て、力を抜いた。
これは、母親に頭を撫でてもらいたがっている時の子どもの目だ。
……主人に甘える子犬の目、とも言えない事もないが。
「ハーレム叔父貴の教えには幾つか問題点があるようだが……キスが親愛の情を伝える肉体的な行為の一つであるという事に違いは無いのだろう?」
「……まーな。流石にそこまでは否定しねーけど」
そこを否定するとコイツはまた違った方向へと走っていきそうだ。
まだまだお子様なキンタローに、シンタローは少しばかり余裕が戻ってきて「仕方ねーなァ~」というように苦笑した。
キンタローは何故笑われたのか分からないのだろう、「ム、何だ?」とまた不思議そうに首を傾げたが……まぁいい、と気を取り直して言葉を続けた。
「お前は俺の事が嫌いではないのだな?」
「そりゃまァ。嫌いだったら一緒に酒飲んだりしねーし」
「では……」
「……」
キンタローが何を望んでいるのかはもう分かっている。
シンタローは躊躇ったものの……自分が子どもの頃、父マジックにされたキスを思い出し、フゥ、と溜息をついた。
シンタロー自身も、幼いコタローの頬に愛情を込めてキスした事がある(というか数え切れない程した)。
つまりはそういう事だ。
「キンタロー」
名前を呼び。
はっとしたようにこちらを見るキンタローに少しだけイタズラっぽい表情を向け。
シンタローはキンタローの頬に、ちゅっと軽い音を立てて口付けた。
顔を離すと、ニッと笑いかける。
親愛を込めて、くしゃくしゃとキンタローの髪をかき混ぜてやる。
「今日はもう寝な、酔っ払い」
「シンタロー……」
「明日の朝、気が向けばまたおはようのキスしてやっから」
半分は冗談の言葉だったが、それを聞いたキンタローが真面目な顔で「分かった、楽しみにしている」と答えたので、シンタローはまた笑った。
もう笑うしかないだろう、こんなに図体のデカイお子様に懐かれてしまったのでは。
サービスにもう一度、今度は額にキスをしてやって「おやすみ」と囁いてやると、キンタローもシンタローの頬にキスをして「おやすみシンタロー」と返した。
それから間もなく、ソファの上で寝てしまったキンタローに毛布をかけてやり、シンタローは一人グラスを片付けた。
「ッたく、ほんっと仕方ねーヤツ。……キスが習慣になったりしねーだろうな」
そうなったら恐ろしい、と一人ごちたが――あながち杞憂とも思えない。
とりあえず、キンタローに酒を飲ませる時は気をつけよう、と思った夜なのであった。
■SSS.80「ゲームはいつでもいい」 キンタロー×シンタロー「……チェス?」
部屋に入るなりシンタローは目聡くテーブルの上のボードと駒に気づいた。
古びたボードの上にはやりかけのゲームが広がっている。
ボードの傍らには好ゲームを収めたチェスの棋譜を伏せたままにしてあった。
「この本の再現してんのか」
棋譜を取り上げるとシンタローは「へ~」と言いながらぱらぱらとめくり始めた。
分かりやすいんだかそうじゃないんだか、分かんねえなと言いながらシンタローは手元の駒を指で突く。
「おまえはチェスは……」
「やったことねえよ」
「そうか」
「なんでだかうちにはなかったんだよなあ。他のゲームは何でもあったけど」
本をばさりと置くとシンタローはしげしげと駒を取り上げた。
クイーンの王冠は宝石の丸い部分が少し欠けている。硬い駒を爪で叩きながらシンタローは「壊れそうもねえのになあ」と呟いた。
「なあ、これどうしたんだよ」
「……父さんの部屋にあった」
「ふうん」
そっか、と言いながらシンタローはクイーンを慎重にボードの上に置いた。
「俺はチェスのルール分かんねえからなあ」
勝負できないな、とシンタローは言いながらソファに腰掛けた。
「出来るんなら今すぐにでもやるんだけどな。麻雀もカードもおまえに負け越してるし」
「俺だって別にチェスは出来ないぞ。まだ誰とも対戦したことがない」
本で覚えているところだ、と答えると従兄弟はでもなあと仰いだ。
「おまえ、すぐ覚えんだろ。勝負強えし、ギャンブル得意じゃねえか」
「……そうか?」
単におまえが賭け事に弱いだけじゃないのか、という言葉は飲み込んだ。
そんなことを言ったが最後、従兄弟の負けん気に火が点いてこれからありとあらゆるゲームをしなければ行けなくなる。
さり気なく俺はチェスの本をテーブルの端に寄せる。
それから駒もケースにきちんと仕舞う。ボードも畳むとシンタローは「片付けちまうのか」と眉を上げた。
「別にやっててもいいんだぜ」
俺はその間、テレビでも見てるしとシンタローはあっさりと言い放った。
「いや……チェスはまた時間の空いたときにやるさ」
せっかく一緒にいるのにバラバラの時間を過ごしていたってちっともおもしろくない。
首を振るとシンタローは「じゃあ」と口を開いた。
「とりあえず茶でも飲むか。久しぶりにお前の淹れるコーヒーが飲みたい」
笑いかけてくるシンタローに俺は、
「少し待っていろ。めずらしい豆が手に入ったんだ」
従兄弟の額に軽いキスを落とすとキッチンへと向かった。
部屋に入るなりシンタローは目聡くテーブルの上のボードと駒に気づいた。
古びたボードの上にはやりかけのゲームが広がっている。
ボードの傍らには好ゲームを収めたチェスの棋譜を伏せたままにしてあった。
「この本の再現してんのか」
棋譜を取り上げるとシンタローは「へ~」と言いながらぱらぱらとめくり始めた。
分かりやすいんだかそうじゃないんだか、分かんねえなと言いながらシンタローは手元の駒を指で突く。
「おまえはチェスは……」
「やったことねえよ」
「そうか」
「なんでだかうちにはなかったんだよなあ。他のゲームは何でもあったけど」
本をばさりと置くとシンタローはしげしげと駒を取り上げた。
クイーンの王冠は宝石の丸い部分が少し欠けている。硬い駒を爪で叩きながらシンタローは「壊れそうもねえのになあ」と呟いた。
「なあ、これどうしたんだよ」
「……父さんの部屋にあった」
「ふうん」
そっか、と言いながらシンタローはクイーンを慎重にボードの上に置いた。
「俺はチェスのルール分かんねえからなあ」
勝負できないな、とシンタローは言いながらソファに腰掛けた。
「出来るんなら今すぐにでもやるんだけどな。麻雀もカードもおまえに負け越してるし」
「俺だって別にチェスは出来ないぞ。まだ誰とも対戦したことがない」
本で覚えているところだ、と答えると従兄弟はでもなあと仰いだ。
「おまえ、すぐ覚えんだろ。勝負強えし、ギャンブル得意じゃねえか」
「……そうか?」
単におまえが賭け事に弱いだけじゃないのか、という言葉は飲み込んだ。
そんなことを言ったが最後、従兄弟の負けん気に火が点いてこれからありとあらゆるゲームをしなければ行けなくなる。
さり気なく俺はチェスの本をテーブルの端に寄せる。
それから駒もケースにきちんと仕舞う。ボードも畳むとシンタローは「片付けちまうのか」と眉を上げた。
「別にやっててもいいんだぜ」
俺はその間、テレビでも見てるしとシンタローはあっさりと言い放った。
「いや……チェスはまた時間の空いたときにやるさ」
せっかく一緒にいるのにバラバラの時間を過ごしていたってちっともおもしろくない。
首を振るとシンタローは「じゃあ」と口を開いた。
「とりあえず茶でも飲むか。久しぶりにお前の淹れるコーヒーが飲みたい」
笑いかけてくるシンタローに俺は、
「少し待っていろ。めずらしい豆が手に入ったんだ」
従兄弟の額に軽いキスを落とすとキッチンへと向かった。
■SSS.78「おはよう」 キンタロー→シンタロー「何時に寝たんだ?今日も時間いつもどおりだろ」
その言葉の後にさあっとカーテンが空いて、日の光が部屋に差し込んだ。
わざわざ起こしにきてくれたのか、と抜け切らない眠気の中にも俺は嬉しさを感じる。
愛しい従兄弟の顔を見ようと目を明けるときらきらとした朝の光が眩しくて目に痛かった。
眩しさに顰めながら上体を起こすと、俺は瞼を擦った。
それから窓を開けた後、ベッドに近寄ったシンタローの質問に答える。
「……5時頃だ」
俺の答えにシンタローは眉を寄せた。2時間しか寝てねえのかよ、と従兄弟は呟く。
「5時ならそのまま徹夜の方が……」
言いかけてシンタローは俺がここ何日かろくに睡眠をとっていないことに気づいたらしい。
おまえな、と眉を顰めながらシンタローが俺を咎める。
「そんなんじゃぶっ倒れるぞ」
「移動中に仮眠を取るから平気だ」
俺の答えにシンタローはチッと舌打ちした。体壊しても知らねえぞ、とぶつぶつと呟いている。
それには心配ない、と答える前にシンタローがはっとしたような表情を浮かべた。
「どうした?」
「寝る時間少ねえのになんでわざわざ部屋に戻ってきてるんだよ」
「部屋に?」
シンタローの問いに疑問を覚えていると従兄弟は「だから」と声を上げた。
「研究室にはスリープカプセルがあるだろ。部屋に戻らなくてもそれで寝ればいいじゃねえか。
研究室の戸締りとか火の元に時間取られねえし」
ここへ戻ってくる分、睡眠時間が減ってるだろとシンタローは言った。
「たしかにそうだが……」
「だが?」
なんでだよ、とシンタローは首を傾げた。
確かに従兄弟の言うとおりだ。スリープカプセルなら短時間の睡眠でも体が疲れないような設計になっているし、目覚まし機能を設定しておけば起こしてもくれる。けれども。
(閉じ込められる気がするんだ。あれは……)
人一人が横になるだけの狭い空間。寝返りを打つこともできない。目を明けると透明な壁が外とを隔絶する。
時間が車では自動的にロックされるスリープカプセルは俺に圧迫感しか与えない。
閉じ込められてどこにも出れない、そんな思いが湧き上がって24年間のトラウマが刺激される。
(あれは嫌いだ……)
便利だろうがなんだろうが嫌いなものは嫌いでしかない。
スリープカプセルで仮眠を取っていたときのことを思い出して胸がじくじくとと痛む。
「キンタロー?」
どうかしたか、とシンタローが俺を覗き込む。
屈みこんだシンタローは長い髪が前へとさらさらと揺れていた。
「いや……なんでもない」
首を振るとシンタローは怪訝さの抜け切らぬ表情のままならいいけどなと答えた。
「ベッドのほうが体に負担がかからないだろう」
それを考えていただけだ、と俺は口にした。シンタローは「ああ、言われてみりゃそうだな」と頷く。
従兄弟の顔からは俺の態度を訝しむ色が消えてくれて俺はほっとする。
よかった。スリープカプセルを厭う理由を告げるわけには行かない。そんなことを口にしたらこの従兄弟は苦しむだろうから。
軽く伸びをして、ベッドから降りると、シンタローは「朝メシ食うよな?」と尋ねてきた。
足りない睡眠時間のおかげで食欲はそんなにない。しかし、食べなければ体の疲労は溜まる一方だ。
もちろん、と頷くと従兄弟は「じゃあ、作ってるからシャワー浴びて来いよ」とバスルームを指した。
「けっこう寝癖ついてるぜ」
言いながら従兄弟は俺の前髪を摘み上げた。髪がわずかに引っ張られる。
ふるふると首を振るとシンタローが忍び笑いをしながら指を離した。
「おまえの朝はコーヒーとトーストだろ。……卵はスクランブルエッグでいいか?」
向かい合ったままシンタローは俺に朝食について尋ねる。こくりと頷くとシンタローはよし!と言いながら俺の肩を叩く。
それを合図にバスルームへと動き出すと俺の先を歩いていたシンタローが「ああ、キンタロー」と振り返った。
「なんだ?」
まだなにか、と振り返ったシンタローに近づくと従兄弟がにやりと笑う。
「朝の挨拶がまだだったよな」
おはよう、と言いながらシンタローは俺の頬に顔を近づけた。やわらかな感触が頬の一部にもたらされる。
それがなんなのか思う間もなく頬から軽い音が鳴ると、それからすぐにやわらかな感触は消えた。
「――!」
キスされた?と思い至って俺はかっと目を見開いた。眩しさはあったがそんなことを気にする余裕はない。
口唇が触れられた場所に思わず手を当ててしまうと従兄弟は笑い出した。
「目、覚めただろ」
言われたとおり、眠気は吹っ飛んだ。眠気だけではなくスリープカプセルのことで抱いたもやもやとした気持ちも。
だが……。
「……朝から人を揶揄うな」
ため息を吐くとシンタローは笑いながら部屋を出て行った。
頬に残る感触を払おうと俺はふるふると首を振る。けれどじんわりとした温もりは消えてくれずに、更なる熱を浮かび上がらせていく。
(期待……してはいけないんだろうな)
従兄弟が俺に恋愛感情を持っているとは思えない。家族としての愛しかないはずだ。同じ気持ちなわけがない。
俺の片想いでしかないんだ。これは単なる悪戯だ、落ち着けと俺は自分を言い聞かせる。
けれど、頬から広がっていく熱は体の隅々まで気持ちを高ぶらせていって仕方がない。
ぎこちなくバスルームのノブを握りこむとひやりとした感触がした。
けれどその冷たさは指の熱で徐々に温もってしまって、俺から熱を奪い取ってはくれなかった。
「まったく……人の気も知らないでこんなことを」
立ち尽くしたまま、俺はため息を吐いた。
恋する相手からのキスは嬉しい。挨拶に過ぎない軽いものだけれども嬉しいには変わりない。こんな挨拶したことないのだから。
けれど、今のは想いが成就したわけでもなく単なる悪戯だ。嬉しいけれど、同時に厄介な気持ちも浮かんでくる。
俺の気持ちなど知らないシンタローの悪戯なんだけれども。
「朝から煽らないでくれ……」
心臓がバクバクといったまま収まらない。水でも浴びよう、とのろのろと俺はバスルームの扉を開けた。
頭の中に眠気などもうどこにもない。
その言葉の後にさあっとカーテンが空いて、日の光が部屋に差し込んだ。
わざわざ起こしにきてくれたのか、と抜け切らない眠気の中にも俺は嬉しさを感じる。
愛しい従兄弟の顔を見ようと目を明けるときらきらとした朝の光が眩しくて目に痛かった。
眩しさに顰めながら上体を起こすと、俺は瞼を擦った。
それから窓を開けた後、ベッドに近寄ったシンタローの質問に答える。
「……5時頃だ」
俺の答えにシンタローは眉を寄せた。2時間しか寝てねえのかよ、と従兄弟は呟く。
「5時ならそのまま徹夜の方が……」
言いかけてシンタローは俺がここ何日かろくに睡眠をとっていないことに気づいたらしい。
おまえな、と眉を顰めながらシンタローが俺を咎める。
「そんなんじゃぶっ倒れるぞ」
「移動中に仮眠を取るから平気だ」
俺の答えにシンタローはチッと舌打ちした。体壊しても知らねえぞ、とぶつぶつと呟いている。
それには心配ない、と答える前にシンタローがはっとしたような表情を浮かべた。
「どうした?」
「寝る時間少ねえのになんでわざわざ部屋に戻ってきてるんだよ」
「部屋に?」
シンタローの問いに疑問を覚えていると従兄弟は「だから」と声を上げた。
「研究室にはスリープカプセルがあるだろ。部屋に戻らなくてもそれで寝ればいいじゃねえか。
研究室の戸締りとか火の元に時間取られねえし」
ここへ戻ってくる分、睡眠時間が減ってるだろとシンタローは言った。
「たしかにそうだが……」
「だが?」
なんでだよ、とシンタローは首を傾げた。
確かに従兄弟の言うとおりだ。スリープカプセルなら短時間の睡眠でも体が疲れないような設計になっているし、目覚まし機能を設定しておけば起こしてもくれる。けれども。
(閉じ込められる気がするんだ。あれは……)
人一人が横になるだけの狭い空間。寝返りを打つこともできない。目を明けると透明な壁が外とを隔絶する。
時間が車では自動的にロックされるスリープカプセルは俺に圧迫感しか与えない。
閉じ込められてどこにも出れない、そんな思いが湧き上がって24年間のトラウマが刺激される。
(あれは嫌いだ……)
便利だろうがなんだろうが嫌いなものは嫌いでしかない。
スリープカプセルで仮眠を取っていたときのことを思い出して胸がじくじくとと痛む。
「キンタロー?」
どうかしたか、とシンタローが俺を覗き込む。
屈みこんだシンタローは長い髪が前へとさらさらと揺れていた。
「いや……なんでもない」
首を振るとシンタローは怪訝さの抜け切らぬ表情のままならいいけどなと答えた。
「ベッドのほうが体に負担がかからないだろう」
それを考えていただけだ、と俺は口にした。シンタローは「ああ、言われてみりゃそうだな」と頷く。
従兄弟の顔からは俺の態度を訝しむ色が消えてくれて俺はほっとする。
よかった。スリープカプセルを厭う理由を告げるわけには行かない。そんなことを口にしたらこの従兄弟は苦しむだろうから。
軽く伸びをして、ベッドから降りると、シンタローは「朝メシ食うよな?」と尋ねてきた。
足りない睡眠時間のおかげで食欲はそんなにない。しかし、食べなければ体の疲労は溜まる一方だ。
もちろん、と頷くと従兄弟は「じゃあ、作ってるからシャワー浴びて来いよ」とバスルームを指した。
「けっこう寝癖ついてるぜ」
言いながら従兄弟は俺の前髪を摘み上げた。髪がわずかに引っ張られる。
ふるふると首を振るとシンタローが忍び笑いをしながら指を離した。
「おまえの朝はコーヒーとトーストだろ。……卵はスクランブルエッグでいいか?」
向かい合ったままシンタローは俺に朝食について尋ねる。こくりと頷くとシンタローはよし!と言いながら俺の肩を叩く。
それを合図にバスルームへと動き出すと俺の先を歩いていたシンタローが「ああ、キンタロー」と振り返った。
「なんだ?」
まだなにか、と振り返ったシンタローに近づくと従兄弟がにやりと笑う。
「朝の挨拶がまだだったよな」
おはよう、と言いながらシンタローは俺の頬に顔を近づけた。やわらかな感触が頬の一部にもたらされる。
それがなんなのか思う間もなく頬から軽い音が鳴ると、それからすぐにやわらかな感触は消えた。
「――!」
キスされた?と思い至って俺はかっと目を見開いた。眩しさはあったがそんなことを気にする余裕はない。
口唇が触れられた場所に思わず手を当ててしまうと従兄弟は笑い出した。
「目、覚めただろ」
言われたとおり、眠気は吹っ飛んだ。眠気だけではなくスリープカプセルのことで抱いたもやもやとした気持ちも。
だが……。
「……朝から人を揶揄うな」
ため息を吐くとシンタローは笑いながら部屋を出て行った。
頬に残る感触を払おうと俺はふるふると首を振る。けれどじんわりとした温もりは消えてくれずに、更なる熱を浮かび上がらせていく。
(期待……してはいけないんだろうな)
従兄弟が俺に恋愛感情を持っているとは思えない。家族としての愛しかないはずだ。同じ気持ちなわけがない。
俺の片想いでしかないんだ。これは単なる悪戯だ、落ち着けと俺は自分を言い聞かせる。
けれど、頬から広がっていく熱は体の隅々まで気持ちを高ぶらせていって仕方がない。
ぎこちなくバスルームのノブを握りこむとひやりとした感触がした。
けれどその冷たさは指の熱で徐々に温もってしまって、俺から熱を奪い取ってはくれなかった。
「まったく……人の気も知らないでこんなことを」
立ち尽くしたまま、俺はため息を吐いた。
恋する相手からのキスは嬉しい。挨拶に過ぎない軽いものだけれども嬉しいには変わりない。こんな挨拶したことないのだから。
けれど、今のは想いが成就したわけでもなく単なる悪戯だ。嬉しいけれど、同時に厄介な気持ちも浮かんでくる。
俺の気持ちなど知らないシンタローの悪戯なんだけれども。
「朝から煽らないでくれ……」
心臓がバクバクといったまま収まらない。水でも浴びよう、とのろのろと俺はバスルームの扉を開けた。
頭の中に眠気などもうどこにもない。
SSS.68「前言撤回」 キンタロー×シンタローああ、なんでこうなってんだっけ、と俺は考えた。いつのまにか2人の間が縮まっている。
ゆっくりと顎の輪郭をなぞる指の感触に気をやりつつ、思い出してみたが「夕飯何する?」と聞いた後に二言三言会話しただけで取り立てて思い当たる節はない。
顎をなぞっていた指が耳の後ろへと這わされて、髪が引っ張られる。痛くはないけれど少しだけ引き攣れた感触に俺は目を閉じた。
青い目がゆっくり近づく。キスされる。
(なんでコイツそんな気になったんだ……?)
分かんねえ、と歯列に感じたくすぐったさに伏せていた目を明けると端の方でちらりとしたひかりがあった。
キスを受け止めながらひかりの先に目を凝らす。
その行動を助けるわけではないだろうけれど、キンタローは俺の口腔から撤退した。
口唇に与えられたものとは違う、触れるか触れないか分からないほど軽いキスを目元にされて、俺はため息を吐いた。
ひかりの正体は鏡だ。
亡き叔父、ルーザーの部屋には大きな姿見がある。なぜだかキンタローはそれを気に入っていた。
「……メシどうするか聞きに来ただけだぜ」
「ああ、そうだったな。で、どうする?」
キンタローは帯びれずにそう返してきた。たまには俺が作ってもいい、と話すキンタローに俺は内心、「そうじゃなくてなんで急にキスしてきたんだよ」と再び思う。
唐突過ぎてワケが分からない。煽るようなこともなにも言っていない。
(……コイツってホント分かんねえよ)
2人きりの密室だからいいものの出入りの激しい総帥室だったらと考えるとぞっとする。
そんな無防備なことをするわけないが、それでも衝動的にされるキスは心臓に悪い。
この部屋だってグンマや父がいつ訪ねてくるかわかったもんじゃない。
(バレたらどうすんだ。バレたら)
ああ、ちくしょうと髪をかきながら、それでも惚れた弱みで咎めることはせずに俺は壁に寄りかかった。
ひやっとした感触が背に伝わる。俺の部屋ともキンタローの部屋とも違う温度だ。
この部屋は何故だか他のどこよりも温度が低い。
背に伝わった感触から俺は随分前のことを思い出した。
帰ってきたばかりの頃、この壁に押し付けられて殺してやるといわれたことを……。
「なあ、そういえばさ」
なんとなく思いついたことを俺は聞いてみることにした。
「おまえってこの部屋で俺のこと殺すって言ってたよな」
痛いくらい壁に押し付けやがって、と笑いながら言うとキンタローはわずかに目を見張った。
それから数年前のことを思い出してああと頷いた。
「お前を……引き裂いて殺してやりたかった」
「で、今はどうなんだよ」
意地の悪い質問だなと思いながら俺は尋ねてみた。どう答えてくるのか興味がある。
歯の浮くような科白は勘弁してもらいたいけど。
「今……?」
「ああ」
なんて答えるつもりだよ、と俺はキンタローをじっと見た。
「そうだな。殺したいとは思わないが、お前の服を引き裂いてやりたいときはある」
「……」
前言撤回。歯の浮くような科白の方がマシだ。■SSS.70「心臓に悪い」 キンタロー×シンタロー総帥を継いだシンタローが激務の毎日を送るようになったのは当然だったが、引退したとはいえ、父であるマジックももそれなりに忙しい日を送っていた。
マジックが多忙である理由はおよそシンタローの理解の範囲を超えたファンクラブのための活動であったが、たいていは日帰りのもので今日のようにわざわざ泊りがけて他国へと行くのはめずらしかった。
いつもなら分担して行う夕食の準備も残った家族は食器を出すだとか洗い物をするくらいしか期待が出来ないので、シンタローは早くから台所に立った。残った家族、グンマは家事を高松に任せきりの生活をしていたし、キンタローは料理どころかに日常の雑事すべてがやることなすこと初めての男だ。はっきり言って期待以前の問題である。ところが。
(コイツも家事にハマるタイプだったのかよ)
シンタローの横では今、キンタローが真剣な面持ちで小鯵を開きにしている。
手伝ってやる、と尊大に言われたときシンタローはこいつの面倒も見なきゃいけねえなんてかったりぃなあと思った。
グンマと手分けして食器を出してくれれば、後は大人しく席に着いて待っていてほしいとも思った。
包丁を持つのも初めてだ、と感想を持つだろう男にいちいちレクチャーしてまで手伝ってもらうのは気が進まない。
だが、シンタローの意に反してキンタローは料理でも器用なところを見せた。
おまえがいつもやっているやつだろう、とみじん切りも教えることなくできたし、飾り切りだって手馴れたように作って見せた。
見れば分かる、と得意そうに胸を張る従兄弟のおかげで父親と分担しているときと同じスピードで調理が進むのはよかったけれども。
でも。
(なんつーか話しかけても答えてくれねえしなあ)
今ちょっと取り込んでいるんだ、と研究室に訪ねてみたときと同じ口調でキンタローはすっぱりとシンタローの口にしたくだらない話を一蹴した。集中しているキンタローにそれ以上何を言うことも出来ず、シンタローはコンソメジュレに取り掛かった。
粗熱をとって冷蔵庫にボウルを入れてからふとキンタローを見るとやはり彼は口を引き結んで魚に包丁を入れていた。
バットの上に並べられた小鯵は丁寧に小骨も取り除かれている。
今捌いているもので終わりか、と空になったトレイをシンタローは確認した。やっぱり手際がいい。
まあ、これなら明日も手伝わせて平気だな、とシンタローは思った。
従兄弟に対して過保護な高松を夕食に招待してやるのもいいかもしれない。
そう考えつつ、キンタローを見やると彼は手を動かしつつも前髪が目にかかっているのをうざったそうに目を細めていた。
(払ってやるかな)
一瞬そう考えたが、刃物を持っているときは危ない。それにここまで丁寧に仕事が出来ているのだから放っておいても平気だろう。
長い髪ならシンタローのように後ろでくくることも出来たが、生憎とキンタローは髪が短い。
ああいうのくすぐったいんだよな。痒いような、なんつーか、とシンタローはキンタローの前髪を見ながら思った。
金色の髪が動くたびにさらさらと鼻先にかかる。伏せ気味の目は時折少し開いて青い色を髪の隙間から見せていた。
引き結んでいる口は怒っているときと違って口角が上がっていない。
じっと観察しているとキンタローが手の甲で汗を拭った。
額があらわになるとともに目元がばっちりと見えた。
細めていない目の青い玉が視界に入ってきてシンタローは見惚れた。
(やっぱきれいだよな、コイツの目)
父親もグンマも他の親族も自分とは違う青い目を持っている。
皆、微妙に違った色合いの青だがシンタローは従兄弟のものが一番きれいだと感じた。
子どもの頃とは違って自分の黒い目が嫌だとか青い目になりたいなどとは思わずに、単純に見惚れてしまった。
(親父より薄いかな……)
亡くなったルーザー叔父さんと同じ色なんだよな、とシンタローはぼんやりと思った。
そのまま見つめていると片方だけ見えていた青い目がキンタローが振り返って両方確認できるようになった。
「できたぞ」
どうするんだ揚げるのか、マリネにするのか?とキンタローはシンタローに尋ねた。
「あ?え?ああ……なんか言ったか?」
シンタローははっとした。青い目が怪訝そうに揺れる。
「だからこれだ、魚はどうするんだ」
手を引かれてシンタローは飛び退いた。キンタローの右手は包丁を握ったままだ。
刃物を持つ手に驚いたわけではない。いきなり手を握られたことが原因だったのだけれども。
「し、心臓に悪いんだよ!お前!」
キンタローの手を乱暴に振り払うとシンタローは包丁を指差した
ゆっくりと顎の輪郭をなぞる指の感触に気をやりつつ、思い出してみたが「夕飯何する?」と聞いた後に二言三言会話しただけで取り立てて思い当たる節はない。
顎をなぞっていた指が耳の後ろへと這わされて、髪が引っ張られる。痛くはないけれど少しだけ引き攣れた感触に俺は目を閉じた。
青い目がゆっくり近づく。キスされる。
(なんでコイツそんな気になったんだ……?)
分かんねえ、と歯列に感じたくすぐったさに伏せていた目を明けると端の方でちらりとしたひかりがあった。
キスを受け止めながらひかりの先に目を凝らす。
その行動を助けるわけではないだろうけれど、キンタローは俺の口腔から撤退した。
口唇に与えられたものとは違う、触れるか触れないか分からないほど軽いキスを目元にされて、俺はため息を吐いた。
ひかりの正体は鏡だ。
亡き叔父、ルーザーの部屋には大きな姿見がある。なぜだかキンタローはそれを気に入っていた。
「……メシどうするか聞きに来ただけだぜ」
「ああ、そうだったな。で、どうする?」
キンタローは帯びれずにそう返してきた。たまには俺が作ってもいい、と話すキンタローに俺は内心、「そうじゃなくてなんで急にキスしてきたんだよ」と再び思う。
唐突過ぎてワケが分からない。煽るようなこともなにも言っていない。
(……コイツってホント分かんねえよ)
2人きりの密室だからいいものの出入りの激しい総帥室だったらと考えるとぞっとする。
そんな無防備なことをするわけないが、それでも衝動的にされるキスは心臓に悪い。
この部屋だってグンマや父がいつ訪ねてくるかわかったもんじゃない。
(バレたらどうすんだ。バレたら)
ああ、ちくしょうと髪をかきながら、それでも惚れた弱みで咎めることはせずに俺は壁に寄りかかった。
ひやっとした感触が背に伝わる。俺の部屋ともキンタローの部屋とも違う温度だ。
この部屋は何故だか他のどこよりも温度が低い。
背に伝わった感触から俺は随分前のことを思い出した。
帰ってきたばかりの頃、この壁に押し付けられて殺してやるといわれたことを……。
「なあ、そういえばさ」
なんとなく思いついたことを俺は聞いてみることにした。
「おまえってこの部屋で俺のこと殺すって言ってたよな」
痛いくらい壁に押し付けやがって、と笑いながら言うとキンタローはわずかに目を見張った。
それから数年前のことを思い出してああと頷いた。
「お前を……引き裂いて殺してやりたかった」
「で、今はどうなんだよ」
意地の悪い質問だなと思いながら俺は尋ねてみた。どう答えてくるのか興味がある。
歯の浮くような科白は勘弁してもらいたいけど。
「今……?」
「ああ」
なんて答えるつもりだよ、と俺はキンタローをじっと見た。
「そうだな。殺したいとは思わないが、お前の服を引き裂いてやりたいときはある」
「……」
前言撤回。歯の浮くような科白の方がマシだ。■SSS.70「心臓に悪い」 キンタロー×シンタロー総帥を継いだシンタローが激務の毎日を送るようになったのは当然だったが、引退したとはいえ、父であるマジックももそれなりに忙しい日を送っていた。
マジックが多忙である理由はおよそシンタローの理解の範囲を超えたファンクラブのための活動であったが、たいていは日帰りのもので今日のようにわざわざ泊りがけて他国へと行くのはめずらしかった。
いつもなら分担して行う夕食の準備も残った家族は食器を出すだとか洗い物をするくらいしか期待が出来ないので、シンタローは早くから台所に立った。残った家族、グンマは家事を高松に任せきりの生活をしていたし、キンタローは料理どころかに日常の雑事すべてがやることなすこと初めての男だ。はっきり言って期待以前の問題である。ところが。
(コイツも家事にハマるタイプだったのかよ)
シンタローの横では今、キンタローが真剣な面持ちで小鯵を開きにしている。
手伝ってやる、と尊大に言われたときシンタローはこいつの面倒も見なきゃいけねえなんてかったりぃなあと思った。
グンマと手分けして食器を出してくれれば、後は大人しく席に着いて待っていてほしいとも思った。
包丁を持つのも初めてだ、と感想を持つだろう男にいちいちレクチャーしてまで手伝ってもらうのは気が進まない。
だが、シンタローの意に反してキンタローは料理でも器用なところを見せた。
おまえがいつもやっているやつだろう、とみじん切りも教えることなくできたし、飾り切りだって手馴れたように作って見せた。
見れば分かる、と得意そうに胸を張る従兄弟のおかげで父親と分担しているときと同じスピードで調理が進むのはよかったけれども。
でも。
(なんつーか話しかけても答えてくれねえしなあ)
今ちょっと取り込んでいるんだ、と研究室に訪ねてみたときと同じ口調でキンタローはすっぱりとシンタローの口にしたくだらない話を一蹴した。集中しているキンタローにそれ以上何を言うことも出来ず、シンタローはコンソメジュレに取り掛かった。
粗熱をとって冷蔵庫にボウルを入れてからふとキンタローを見るとやはり彼は口を引き結んで魚に包丁を入れていた。
バットの上に並べられた小鯵は丁寧に小骨も取り除かれている。
今捌いているもので終わりか、と空になったトレイをシンタローは確認した。やっぱり手際がいい。
まあ、これなら明日も手伝わせて平気だな、とシンタローは思った。
従兄弟に対して過保護な高松を夕食に招待してやるのもいいかもしれない。
そう考えつつ、キンタローを見やると彼は手を動かしつつも前髪が目にかかっているのをうざったそうに目を細めていた。
(払ってやるかな)
一瞬そう考えたが、刃物を持っているときは危ない。それにここまで丁寧に仕事が出来ているのだから放っておいても平気だろう。
長い髪ならシンタローのように後ろでくくることも出来たが、生憎とキンタローは髪が短い。
ああいうのくすぐったいんだよな。痒いような、なんつーか、とシンタローはキンタローの前髪を見ながら思った。
金色の髪が動くたびにさらさらと鼻先にかかる。伏せ気味の目は時折少し開いて青い色を髪の隙間から見せていた。
引き結んでいる口は怒っているときと違って口角が上がっていない。
じっと観察しているとキンタローが手の甲で汗を拭った。
額があらわになるとともに目元がばっちりと見えた。
細めていない目の青い玉が視界に入ってきてシンタローは見惚れた。
(やっぱきれいだよな、コイツの目)
父親もグンマも他の親族も自分とは違う青い目を持っている。
皆、微妙に違った色合いの青だがシンタローは従兄弟のものが一番きれいだと感じた。
子どもの頃とは違って自分の黒い目が嫌だとか青い目になりたいなどとは思わずに、単純に見惚れてしまった。
(親父より薄いかな……)
亡くなったルーザー叔父さんと同じ色なんだよな、とシンタローはぼんやりと思った。
そのまま見つめていると片方だけ見えていた青い目がキンタローが振り返って両方確認できるようになった。
「できたぞ」
どうするんだ揚げるのか、マリネにするのか?とキンタローはシンタローに尋ねた。
「あ?え?ああ……なんか言ったか?」
シンタローははっとした。青い目が怪訝そうに揺れる。
「だからこれだ、魚はどうするんだ」
手を引かれてシンタローは飛び退いた。キンタローの右手は包丁を握ったままだ。
刃物を持つ手に驚いたわけではない。いきなり手を握られたことが原因だったのだけれども。
「し、心臓に悪いんだよ!お前!」
キンタローの手を乱暴に振り払うとシンタローは包丁を指差した