全身を、見えない熱の重りでがんじがらめにされているような倦怠感。ぼんやりと、思考の回転すら重みを帯びている気がする。体温を計ってみれば普段より二度上を示すデジタルの数字に、後悔の念が込み上げる。
「くそッ…」
小さく呟いて体を起こしてみれば、ずしりと自分の体重以上の重みが体を押し潰そうとする。
くらくらする頭をスッキリさせようと左右に振ってみれば逆効果で、脈打つ痛みまでもが現れ始めた。
昨日から確かに体調はおかしかったが、気のせいだと思うことにして普段どおりのスケジュールをこなしたこともいけなかったらしい。異常を感じた時点で休息をとっておけば、きっとここまで酷くはならなかっただろう。
16.休日
確かに俺は、電話口の向こうの「大丈夫だってー」なんてグンマの間延びした声に、自分の体調のことは誰にも告げるなと言った筈なのに、何で目の前のコイツはいかにも看病しにきたような顔で笑ってやがるんだ。
「…あぁ、わてのことは気にせんでよろしおすえ」
機嫌よさげにそう告げて、アラシヤマは俺の額の上に置かれていて、そしてたった今俺が急に起き上がったことでずり落ちたタオルを掴み、サイドテーブルに置かれた盥の中へそれを入れた。
「シンタローはん、何か食べられますやろか? 一応お粥用意したんどすけど」
──冗談じゃねぇ、そう怒鳴りつけてやろうとしてまず息を大きく吸い込んだところですでに何か違和感は感じはしたが、声を出そうとし咳き込んだところでその正体に気が付く。声が出ないのだ。
慌ててアラシヤマが俺の背を擦り、それを振り払ってはまた重い咳が吐き出された。
「……もしかして、声出ぇへんのどすか」
そこまでだとは思ってもいなかったのだろう。アラシヤマも多少間の抜けた声を漏らす。
大体その後に続く言葉は聞かなくても判っているのだ。「せやったら助けも呼べへんどすな」だとか「可愛らしい声が聞けなくて残念どすけど」だとか、そういった方向に持っていかれる前に一発ぶちのめしてやろうと眼魔砲の構えをすれば、アラシヤマはそれを然程気にしない様子で
「体力低下しとるんやさかい、無駄な力使わんほうがよろしおす」
と、背を向けテーブルの上に置いてあった小さな両手鍋の中身を深めの皿に盛り始めた。それは薄く湯気を立て、蓮華ととも盆に乗せられに差し出された。何のつもりだと目線で訴えてみれば再度それが突き出され、仕方なく受け取る。掛け布団の上から膝に乗せ眺めると、艶やかな緩い白飯の上に梅干と三つ葉が食べて欲しそうにこちらを見ている。美味そうだ、とは思うがアラシヤマの料理なんか下手に口にはできない。小奇麗さが余計に怪しく思えて、アラシヤマを睨みつけてやった。
──てめぇの用意した食いもんなんか食えるか。
通じるだろうと思い目線だけで言うと、アラシヤマはなぜかだらしない笑顔で皿と蓮華を手にし、一口分掬ってふうふうと息で冷まし始めた。俺が怪訝な顔をしてみせても、アラシヤマは嬉しそうにそれを俺の目の前まで運んで見せた。
「わてに食べさせて欲しいなんて…よろしおすえ、ひとくちひとくちあーんさせたりますッ」
アラシヤマの顔から突き出された蓮華に焦点を移し、そして再び困ったようにアラシヤマを見てやってもにこにこと微笑まれ、仕方なく、仕様がなく、それを口の中へ運ばせてやった。
「そーどす、きちんと食べて薬飲んで、仰山眠ればすぐによぉなります」
意外と美味かったそれを租借しながらアラシヤマを眺めれば、また一口分の粥を吐息で冷ましているところで、俺の視線に気がついて嬉しそうに蓮華を差し出す。
「はいシンタローはん、あーん」
アラシヤマの行動と粥が重くて、胃がきりきりと痛む。
蓮華を押し返し、必要以上に重々しい表情で首を左右に振ると、そこでやっと伝わったらしくアラシヤマは蓮華を置き、盆を俺の膝から下ろした。
「ほんまは空腹時にはあかんのやろうけど…まァちぃとは食べれたし、ええか」
そう言ってまたあらかじめ用意してあったらしい、ラベルの貼られていないビンを開け、蓋へころころと錠剤を出し始めるアラシヤマに、俺はあからさまに嫌そうな顔をしてみせる。どう見ても市販のものには見えないそれは、いかにも怪しくて飲む気にはなれず、また首を左右に振った。
「…く、口移しで飲みたいんやったらそれでもわては…ああ、けど口移しで飲むと苦なるて言いますし」
どもりながらおかしなことを言い出すアラシヤマを、じっと睨みつけてやってもやはりなにも通じないらしく、大きく溜息を吐いた。俺の事をなんでも理解している顔をして、何も分かっちゃいねぇんだ。
「それとも、薬嫌いなんどすか?」
また的外れな問いを掛けられ、面倒になり軽く頷いてみせる。やっとアラシヤマは納得したらしく、取り出した薬をビンへ収め蓋を閉めた。
「せやったら、せめてゆっくり眠っとくれやす。」
左手が、俺の膝の上の掛け布の上を滑るように撫ぜた。それをぱしりと叩き、身体を横たえてみるも視線とやさしく布団を掛けてくる手が気になって睡眠どころではなく…どころではないはずなのに、頭がどうも熱でぼんやりする。
唐突に、まったく不本意に訪れた休日の日が傾いたころに、ぼんやりと瞼を擦る。いつの間にか眠ってしまっていたらしい。眠る前までのあの全身の気だるさが多少消えているようで、ゆっくりと体を起こしてみれば、それはあっけなく果たされた。
まるで眠る前までのことが夢のように。
だが、夢でないことは、脇の椅子からベッドにもたれ掛かるようにして眠りに落ちているアラシヤマが証明していた。そういえば昨日任務から帰還したはずで、下手をすれば寝ずにやってきたのかもしれない。
これでストーカーじゃなけりゃ、いい奴なんだろうな。と、前提からありえないことをぼんやり思いながら、アラシヤマを小突いて起こす。んあ、と間の抜けた声を上げて俺に視線を向けると、慌てて飛び起きる。
「…わ、わてまで寝てもうたわ。あはは」
笑い混じりに誤魔化して、広げたままだった小鍋なんかを片付け始める奴の動きは、どこかぎこちない。
「具合、どないどす?」
背を向けたまま尋ねてくる声に何とも答えずに、視線を落とす。もしかしたら、俺凄く嫌なやつ? 普通に友人として見舞いに来たコイツを疑いに疑って? けれどそれは日頃の行いが悪いアラシヤマ自身のせいで、疑われてもしょうがないわけで…
ぐるぐる回る思考を、いつのまにか戻ってきたアラシヤマが、額に手を当て遮った。それを手で勢いよく掃えば、ほんのりと笑顔を見せる。動物やら植物やら無機物やらの友達たちと、俺にしか見せない表情だ。
「大分元気出てきたみたいどすなァ。」
良かった、と溜息を一つ零されては、自分の行動にはっきりとした後悔が生まれるのが分かった。
「…… 、…。」
ぼそりと、言葉を吐く。
片付けを終えたらしいアラシヤマには何も聞こえなかったらしく、平然と荷物をまとめた風呂敷をサイドテーブルへと置いた。
「せやったら、わてはそろそろ」
そう告げて、俺の顔を覗き込む。そしてそのまま、唇を重ねてきた。
「看病のお礼…もらっていきますえ」
嬉しそうにハートを撒き散らしつつ、ぎしぎしとやはりぎこちないながらも慌てたように素早い動きで、アラシヤマが扉をくぐる。俺はといえば、アラシヤマよりもぎこちない動きで、唇をぬぐうのが精一杯だった。遠ざかって行くスキップのステップが微かに聞こえる。
あまりにも唐突で、眼魔砲さえしそこねた。
──ああやっぱり、声に出して礼言わなくてよかった。
後日、俺の風邪がうつったとはしゃぎながらぶっ倒れた奴を見て、改めてそう思うことになるなんて、分かりたくもなかった。
「くそッ…」
小さく呟いて体を起こしてみれば、ずしりと自分の体重以上の重みが体を押し潰そうとする。
くらくらする頭をスッキリさせようと左右に振ってみれば逆効果で、脈打つ痛みまでもが現れ始めた。
昨日から確かに体調はおかしかったが、気のせいだと思うことにして普段どおりのスケジュールをこなしたこともいけなかったらしい。異常を感じた時点で休息をとっておけば、きっとここまで酷くはならなかっただろう。
16.休日
確かに俺は、電話口の向こうの「大丈夫だってー」なんてグンマの間延びした声に、自分の体調のことは誰にも告げるなと言った筈なのに、何で目の前のコイツはいかにも看病しにきたような顔で笑ってやがるんだ。
「…あぁ、わてのことは気にせんでよろしおすえ」
機嫌よさげにそう告げて、アラシヤマは俺の額の上に置かれていて、そしてたった今俺が急に起き上がったことでずり落ちたタオルを掴み、サイドテーブルに置かれた盥の中へそれを入れた。
「シンタローはん、何か食べられますやろか? 一応お粥用意したんどすけど」
──冗談じゃねぇ、そう怒鳴りつけてやろうとしてまず息を大きく吸い込んだところですでに何か違和感は感じはしたが、声を出そうとし咳き込んだところでその正体に気が付く。声が出ないのだ。
慌ててアラシヤマが俺の背を擦り、それを振り払ってはまた重い咳が吐き出された。
「……もしかして、声出ぇへんのどすか」
そこまでだとは思ってもいなかったのだろう。アラシヤマも多少間の抜けた声を漏らす。
大体その後に続く言葉は聞かなくても判っているのだ。「せやったら助けも呼べへんどすな」だとか「可愛らしい声が聞けなくて残念どすけど」だとか、そういった方向に持っていかれる前に一発ぶちのめしてやろうと眼魔砲の構えをすれば、アラシヤマはそれを然程気にしない様子で
「体力低下しとるんやさかい、無駄な力使わんほうがよろしおす」
と、背を向けテーブルの上に置いてあった小さな両手鍋の中身を深めの皿に盛り始めた。それは薄く湯気を立て、蓮華ととも盆に乗せられに差し出された。何のつもりだと目線で訴えてみれば再度それが突き出され、仕方なく受け取る。掛け布団の上から膝に乗せ眺めると、艶やかな緩い白飯の上に梅干と三つ葉が食べて欲しそうにこちらを見ている。美味そうだ、とは思うがアラシヤマの料理なんか下手に口にはできない。小奇麗さが余計に怪しく思えて、アラシヤマを睨みつけてやった。
──てめぇの用意した食いもんなんか食えるか。
通じるだろうと思い目線だけで言うと、アラシヤマはなぜかだらしない笑顔で皿と蓮華を手にし、一口分掬ってふうふうと息で冷まし始めた。俺が怪訝な顔をしてみせても、アラシヤマは嬉しそうにそれを俺の目の前まで運んで見せた。
「わてに食べさせて欲しいなんて…よろしおすえ、ひとくちひとくちあーんさせたりますッ」
アラシヤマの顔から突き出された蓮華に焦点を移し、そして再び困ったようにアラシヤマを見てやってもにこにこと微笑まれ、仕方なく、仕様がなく、それを口の中へ運ばせてやった。
「そーどす、きちんと食べて薬飲んで、仰山眠ればすぐによぉなります」
意外と美味かったそれを租借しながらアラシヤマを眺めれば、また一口分の粥を吐息で冷ましているところで、俺の視線に気がついて嬉しそうに蓮華を差し出す。
「はいシンタローはん、あーん」
アラシヤマの行動と粥が重くて、胃がきりきりと痛む。
蓮華を押し返し、必要以上に重々しい表情で首を左右に振ると、そこでやっと伝わったらしくアラシヤマは蓮華を置き、盆を俺の膝から下ろした。
「ほんまは空腹時にはあかんのやろうけど…まァちぃとは食べれたし、ええか」
そう言ってまたあらかじめ用意してあったらしい、ラベルの貼られていないビンを開け、蓋へころころと錠剤を出し始めるアラシヤマに、俺はあからさまに嫌そうな顔をしてみせる。どう見ても市販のものには見えないそれは、いかにも怪しくて飲む気にはなれず、また首を左右に振った。
「…く、口移しで飲みたいんやったらそれでもわては…ああ、けど口移しで飲むと苦なるて言いますし」
どもりながらおかしなことを言い出すアラシヤマを、じっと睨みつけてやってもやはりなにも通じないらしく、大きく溜息を吐いた。俺の事をなんでも理解している顔をして、何も分かっちゃいねぇんだ。
「それとも、薬嫌いなんどすか?」
また的外れな問いを掛けられ、面倒になり軽く頷いてみせる。やっとアラシヤマは納得したらしく、取り出した薬をビンへ収め蓋を閉めた。
「せやったら、せめてゆっくり眠っとくれやす。」
左手が、俺の膝の上の掛け布の上を滑るように撫ぜた。それをぱしりと叩き、身体を横たえてみるも視線とやさしく布団を掛けてくる手が気になって睡眠どころではなく…どころではないはずなのに、頭がどうも熱でぼんやりする。
唐突に、まったく不本意に訪れた休日の日が傾いたころに、ぼんやりと瞼を擦る。いつの間にか眠ってしまっていたらしい。眠る前までのあの全身の気だるさが多少消えているようで、ゆっくりと体を起こしてみれば、それはあっけなく果たされた。
まるで眠る前までのことが夢のように。
だが、夢でないことは、脇の椅子からベッドにもたれ掛かるようにして眠りに落ちているアラシヤマが証明していた。そういえば昨日任務から帰還したはずで、下手をすれば寝ずにやってきたのかもしれない。
これでストーカーじゃなけりゃ、いい奴なんだろうな。と、前提からありえないことをぼんやり思いながら、アラシヤマを小突いて起こす。んあ、と間の抜けた声を上げて俺に視線を向けると、慌てて飛び起きる。
「…わ、わてまで寝てもうたわ。あはは」
笑い混じりに誤魔化して、広げたままだった小鍋なんかを片付け始める奴の動きは、どこかぎこちない。
「具合、どないどす?」
背を向けたまま尋ねてくる声に何とも答えずに、視線を落とす。もしかしたら、俺凄く嫌なやつ? 普通に友人として見舞いに来たコイツを疑いに疑って? けれどそれは日頃の行いが悪いアラシヤマ自身のせいで、疑われてもしょうがないわけで…
ぐるぐる回る思考を、いつのまにか戻ってきたアラシヤマが、額に手を当て遮った。それを手で勢いよく掃えば、ほんのりと笑顔を見せる。動物やら植物やら無機物やらの友達たちと、俺にしか見せない表情だ。
「大分元気出てきたみたいどすなァ。」
良かった、と溜息を一つ零されては、自分の行動にはっきりとした後悔が生まれるのが分かった。
「…… 、…。」
ぼそりと、言葉を吐く。
片付けを終えたらしいアラシヤマには何も聞こえなかったらしく、平然と荷物をまとめた風呂敷をサイドテーブルへと置いた。
「せやったら、わてはそろそろ」
そう告げて、俺の顔を覗き込む。そしてそのまま、唇を重ねてきた。
「看病のお礼…もらっていきますえ」
嬉しそうにハートを撒き散らしつつ、ぎしぎしとやはりぎこちないながらも慌てたように素早い動きで、アラシヤマが扉をくぐる。俺はといえば、アラシヤマよりもぎこちない動きで、唇をぬぐうのが精一杯だった。遠ざかって行くスキップのステップが微かに聞こえる。
あまりにも唐突で、眼魔砲さえしそこねた。
──ああやっぱり、声に出して礼言わなくてよかった。
後日、俺の風邪がうつったとはしゃぎながらぶっ倒れた奴を見て、改めてそう思うことになるなんて、分かりたくもなかった。
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