大人は、怖い。
子供はもっと、怖い。
犬は、怖い。
猫は、ちょっとだけ、好き。
犬はわんわん、大きな声で吠えて追いかけてくるけど、猫は、知らん顔をする。
お前なんか知らないって、見ない振りで行ってしまう。
だから、ちょっと、好き。
朝は、嫌い。
夜はもっと、嫌い。
雷は、怖い。
雨は、ちょっとだけ、好き。
雷はごろごろ、大きな音で鳴って追いかけてくるけど、雨は、隠してくれる。
ここにいる自分のこと、見つからないように隠してくれる。
だから、ちょっと、好き。
でも、一番怖いのは。
一番、大嫌いなのは。
なづけ
手を繋いで歩いていたのに、お母さんは、急に立ち止まってぼくの手を放した。
「ここで、待っていてね」
ここ?
ここにいれば、いいの?
どこだか分からない。おうちの近くじゃない。
電車に乗って、飛行機に乗って、外国に来た。
お母さんが、ここは外国よって、言った。
外国って、なんだか分からないけど。
でもいままでいたところと、全然違う。
大きな、うち。ビルって、言うんだって。そればかり。
歩いてる人も、大きい。
みんな金色の髪。
黒い人もいるけど、金色。ばっかり。
「おかあはん、わて、ここにおったらええの?」
「そう。ここにいて、動いたらあかんよ」
頷いて。
石の階段。骨みたいな色。焦げてない。
お母さんは、走って、行っちゃった。
行っちゃった。
ぼくは、待ってる。
待ってる。待っててって、言われたから。
歩いてきた通りと違って、ここは人がいない。よかった。
時々、ハトが来て。ぽっぽーって。外国でも、ぽっぽーって。
ハト。焦げてない。
「はとー。はと、ぽっぽー」
呼んでも、来ない。
焦げてない。
ぼくが呼ぶと来てくれるのは、お母さんと、ちょうちょ。
お母さんは、すぐ泣くけど。怒らないけど。
ちょうちょが来ると、泣くけど。
呼ぶと来てくれる、お母さん。
お母さんは、好き。
好き。
好き。
鳩は飛んでいっちゃって、お母さんは、まだ。
まだ帰ってこない。
待っててって言われたから、ぼくは待ってるけど。
待ってるんだけど。
「おかあはん…まだやろか」
空が赤くなって、ここは外国だから、おうちの近くと違う色。
いままでは、もっと赤い。
もっともっと、赤い。
階段は冷たくて、あんまり赤くない空が紫になって、青くなって。
黒くなって。
冷たくて。
夜は、おうちの近くと、一緒だった。
夜は嫌いだから、階段の隅っこに行って、小さくなって。
小さくなると、誰もぼくを見付けられない。
お母さんが言ったから、見つからない。
だけど小さくなっている所為で、お母さんからも見付けてもらえなかったら困る。
困る。
夜は嫌いだけど、困る。
お母さんが戻ってきたら、ぼくは手を振ろう。
寝ないで、ちゃんと待ってる。
帰ってくるの、待ってる。
ちょうちょが来ないように静かにして。
お母さんが泣かないように。
泣かないように。
ずっと、待って。
寝ないで待って。
朝は嫌いだけど階段の真ん中に行って、お母さんを待って。
自転車の音。
外国だけど、同じ音。ハト。
ハトも同じ。
足音も、同じ。みんな同じ。少し違うけど、同じ。同じだと思う。
違うかも知れないけど、同じ。
怖い。
ここも、怖い。
猫が来てくれたら怖くないのに、来ない。
違うかも知れないから来ないのかな。
違かったら、猫も、怖いかな。犬みたいに、追いかけてくるかな。
おなか、空いた。
階段の真ん中で、嫌いな朝で、お母さんはまだ戻ってこなくて。
おなかが、空いた。
足音がして、階段の上を見たら、金色の髪の人が降りてきた。
急いで端っこに行って、小さくなる。
見えなくなる。
聞こえなくなるまで小さくなって、それから、顔を上げて。
大丈夫、見えてなかった。ぼくは、見えてない。
おなかが鳴った。
お母さんはまだ戻ってこなくて。
でも動いちゃいけなくて。
金色と、白と、灰色、黒。色んな髪の人が階段を昇って、降りて。
ぼくは見えてないから大丈夫だけど、もしその時お母さんが来たら大変。
大変だから、急いで戻る。
待ってる。
おなかが、何回も、鳴る。
また夜が来て、ぼくは階段の隅っこに行って、お母さんを待って。
朝になって。
真ん中に。
階段の真ん中に行かなきゃって思うのに、行けなくて。
寒くて。
寒くて。
寒くて。
おなか、もう、鳴ってない。
待ってるけど。
待ってなきゃ、いけないけど。
「寝て、しもうても…ええやろ、か」
ちょうちょ。
飛んでる。
なづけ
赤。
あか。
夕焼けじゃない。
ちょうちょでも、ない。
でも赤い、赤い色。暖かい。
「パパ、起きたよ」
「起きたね」
大人と、子供。
赤い服。金の髪。
黒い髪。
怖い。
怖い。
こわい。
「シンちゃん、自分の部屋に戻っててね」
「なんで?」
「なんでも。ほら早く」
子供。
石を投げてくる。棒で叩く。触ると危ないから。危ないから。
ぼくは危ないから。
ぼくが、危ないから。
「怖いの?」
赤い服の、金の髪の。
蒼い目の。
「怖いのかい?」
笑ってる。
黒い髪の子供は、違う大人に連れて行かれた。やっぱり金の髪。
それから、同じドアから、黒と、金の髪の二人の大人が入ってきた。
怖い。
どうして、ぼくは、どうして、ここに?
階段で待ってるのに。
お母さんを、待ってるのに。
待ってなきゃ、いけないのに。
ちょうちょが沢山飛んできて、お母さんが泣くからだめなのに。
怖くて。
「こりゃすげえ。しかも結構綺麗じゃねぇか」
「危険です。素手で触らないで下さい」
ぼくの周りにちょうちょがいっぱい飛んできて、いっぱいでぼくを取り囲んで。
犬みたいに追いかけない。猫みたいに知らん顔しない。
ちょうちょは、いつも、ぼくの傍にいて。
お母さんより、傍にいて。
「間違いなくマーカーの管轄だな」
「そうだろうと思ったから、わざわざお前たちを呼び戻したんだよ」
「どこで拾ったって?」
「ピカデリーサーカスからチャイナタウンに向かう路地で倒れていたそうだ」
「捨て子か」
「だろうね。この通り、炎の蝶を撒き散らしていたのを見た者が知らせてきた」
特戦にいる隊員と、似たような力を持っているんじゃないかと。
赤い服の人が、笑ってぼくを見る。
「だがこれほどとはねぇ。いい拾いものをしたよ」
「ふん。しっかしよく兄貴がこんな危ねぇもんあいつに近付けたな」
「可愛い子じゃないか。しかも利用価値がある」
「価値、ねぇ」
金の髪の二人はぼくを見て笑う。
でも、黒い髪の人は、笑わない。怖い。
「で、どうしろって?」
「お前は優秀な部下を一時期手放すことを了承すればいいだけさ」
「マーカーに押しつける気か」
「使い物にならなければ切り捨てて構わない。だが、みすみす逃すには惜しいだろう」
手が、伸びてくる。ちょうちょがいるのに。
きっと叩かれる。気持ち悪いって。
危ないやつだって。
「怖くないよ。彼の言うことを聞いて、私のために働くと誓うなら」
気持ち悪いって。
「ここでは、お前のような者こそ必要なんだ」
あっちに行けって。
いなくなれって。
頭に。
ふわん、って。
顔を上げたら、赤い服の人が、笑ってぼくの頭を撫でてた。
黒い髪の人がちょうちょを握りつぶしてたけど、でも、焦げなかった。
人も、ハトも、焦がしちゃう、ちょうちょ。
ぼく。
なのに。
「きみが必要とされる場所は限られる。ここは数少ないきみの居場所だよ」
「い、ば…しょ?」
「一人でいたいかい?また冷たい路地に戻って、寂しく死んでいきたい?」
「…や」
「私の期待を裏切らなければ、なにもかもを与えてやろう。どうする?」
「わて、おかあはん、待ってなあかんの。ここにおったら会える?」
「それは無理だ。だが母親よりもっと強い絆を得ることは出来る」
「きずな、て…なに?」
「一人じゃない、ということさ」
一人じゃ、ない。
お母さんは、戻って来ない。
分かってた。
本当は分かってた。
あの階段で手を放されたとき、本当はもう、分かってた。
ぼくは、ぼくの所為で置いていかれた。
ぼくが悪いから、だから、仕方ない。でも。
「わて…ひとりは、いやや。おいてかれるんは、いやや」
「立ち止まっていれば置いて行かれる。ほら、欲しければ彼から学べ」
ちょうちょを、全部消してしまった黒い髪の人。
怖い目でぼくを見てるけど、でも、怖くはない。
本当には、怖くない。
だって。
ぼくの嫌いな、本当は大嫌いなちょうちょを消してくれたから。
ぼくの嫌いな、本当は大嫌いなぼくを、真っ直ぐに見て、くれてるから。
一人じゃないって。
ひとりじゃ、ない、って。
「パパ、あの子、どこ行くの?うちの子にならないの?」
「あの子はいずれシンちゃんのために働くようになるんだ。だから勉強しないとね」
「じゃあぼくも一緒に勉強する。グンマじゃ泣いてばかりでつまんないよ」
「いつかね。あの子がシンちゃんの力になれるなら、ちゃんと呼び戻してあげる」
「…いまは?」
「いまはダメ」
「ぼくが頼んでるのに?」
「パパが言ってるのに、聞けないの?」
「…ちゃんと、帰ってくる?」
「いつかね」
「…分かった」
子供は、嫌い。
怖い。
でも。
師匠と呼べ、と言った黒い髪の人と同じ。
この子は全然、怖くない。
怖いと思ったのは、最初だけ。
だってぼくを見てくれるから。じっと、じーっと、見てくれるから。
ぼくから見るのは、本当はちょっと、怖いけど。
でも会えなくなるから、見ておかなきゃ。
覚えて、おかなきゃ。
「名前」
「…え、あ、」
「名前、なんて言うの?」
「な、まえ?」
「自分の名前、知らないの?」
「そう言えば聞いてなかったね」
名前。お母さんに、呼ばれてた。
呼ばれてた、名前。
「――――ん」
「なに?聞こえなかったよ」
「あら……ん」
「あら?あらって言うの?」
「あらし、まへ…」
「パパ、この子声小さくて聞こえないよ」
「あらしって言ってたね」
ない。
名前なんて、ない。
あっちへ行けとは言われても、おいでと呼んでくれたのはお母さんだけ。
だけどお母さんも、いつだって小さな声で呼んできただけ。
“おいで”とか、“急いで”とか。
だから、名前なんて、ない。
「あーっ分かった!」
同じくらいの背丈の子が、大きい声で叫ぶ。
怖い。
「アラシヤマだよ!パパと日本に行ったとき遊びに行ったでしょ」
「ああ、なるほど。どこかで聞いたことのある方言だと思っていたけど」
そうだね、京都だよね。
勝手に納得して、二人で笑って。
ぼくは怖くて、なにも言えなくて。
言えないうちに手を引かれて、歩き出す。
“師匠”は足が速くて、転びそうになるのにどんどん歩いて。
歩いて。
「…なにを泣いている」
怒られても、歩いて。泣かないようにして、歩いて。
「お前…本当の名はなんという」
「…う、ぐ、っ、ひっ」
「泣かずに答えろ」
「あら、し、ま、すっ」
「聞こえん」
「あっしま、ひぐっ」
「聞こえないと言っているだろう」
引っ張られた腕が、もっと、ぐいってされて。
両手で、引っ張られて。
持ち上げられて。
「ほら、言ってみろ」
「あらっ、アラシヤマ、どす、うっく」
「それはシンタロー様の勘違いだろう。本当の名だ」
「そやから、ほんまの、名前どす」
「本当にアラシヤマなのか」
「っ、へえ」
「…そうか。だがお前、自分の名前を伏せようとしていなかったか?」
伏せる、がどういうことか分からないけど、本当の名前なんてないのと同じ。
だからいらなかった。
いらないから、黙ってた。ないって、言った。
同じだったらまた繰り返す。きっと、繰り返して、ぼくはまたひとりで。
捨てられて。
「まあ、お前はお前でしかないということだろう」
「わては…わて、だけ?」
「自分も、名前も、捨て去りたかったんだろう?だが捨てられなかった」
抱えられて見る師匠の目。
怖くはない、目。
「捨てられないなら抱えて歩け。どこまでも自分を貫け」
そうすれば、見えるものがあるから。
「見える…もの?」
なにが、見えるの?
「なにが見えるのかを決めるのもお前自身だ。…ほら、行くぞ」
「へえ」
誰かが、触ってる。
師匠が、抱えてる。
嫌われ続けたぼくを、触ってる。触ってる。触ってる。
「わて、いま、いろんなもんが見えてますえ」
「抱えられている分際でえらそうなことを」
「へえ。けど見えてます。いろんなもん、見えますえ」
「そうか。…よかったな」
「へえ!」
自分の目で、見えるもの。
見付けなきゃ。
自分の居場所、作らなきゃ。
ぼくの、ために。
ぼくが生きる、ために。
強く、ならなきゃ。
END
なづけ
名付け、だったり
許嫁、だったり
…アラッシーへの対シンちゃんすり込み成功
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