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8.イギリス   52*27


 


 


 


 


 


最近ではスモッグの影響も減ってきたので、“霧の都”という枕詞を持つロンドンも昔ほど移動に困ると言うことはなくなってきたけれど、運が悪ければ伸ばした自分の腕すら見えなくなる濃霧に巻き込まれ足止めを食うこともまだまだある。


重ねて『運が悪かった』と、そう言って宥めたけれど、すっかり機嫌の悪くなってしまった彼の息子はあからさまに尖らせた唇を隠すことなく、ぷいと横を向きなにも見えない窓の外を睨み付けた。


父子を乗せた車はロンドンから二時間半ほどのドライブに出発し、目的地まではあと三十分ほどというところで立ち往生している。


前述の霧の所為だ。


恐らく視界は一メートルもないだろう。水分を多量に含んだ重たげな外気は触れるまでもなく厄介な存在であることが分かる。気が滅入るのも当然だった。


けれどナビシートに深く腰掛け、むっつりと黙り込んでいる彼にとって不機嫌さを連れてくるのはその為だけではない。


 「パパはシンちゃんのためならなんでもしてあげたいと思ってるよ?でも神様じゃないんだから、出来ることと出来ないことがある」


 「出来そうにないことを強引にやるのがアンタだろ」


 「そんな、私が万能だと信じてくれるのは嬉しいけど、シンちゃんももう大人だしいつまでも“パパがなんでもしてくれる”っていう考え方はそろそろ改めた方がいいかな」


 「…分かったから、腹立つだけだから黙ってろ」


 「嫌だよ。せっかく二人きりでいるのに、もっと色々話したい」


 「実のある話ならともかく、嘘ばっか言うんだから話さなくていい」


 「嘘なんて言わないよ。パパは出来ない約束はしないと知ってるだろう?」


 「それとこれとは違うじゃねぇか」


 「なにが?」




しれっと言った父の顔は見るまでもない。相変わらず車窓を睨む彼は苦々しげに呟いた。


 「ここはロンドンか」


 「違うよ。あれ、シンちゃんはまだイギリスの地理が頭に入ってないかな?」


ムカッときた。


きたから殴った。頭を一発。見事な反射神経で僅かに躱されたから、ダメージを与えることが出来ずそれが悔しくて更にムカツク。


 「ロンドンは二時間前に出発したよ。いまは…多分、ルイスに入った辺りじゃないかな」


 「そうだ、ここはロンドンじゃねぇ」


 「分かってるじゃない」


 「俺が言いたいのは“ここ”のことだ!運が悪かっただ?こんなところまで連れて来やがって、挙げ句に霧で身動き取れねえなんてどうすんだっ!護衛もなにも付けてねぇんだぞ、市街だって十分ヤバイのにこんなところで新旧総帥が立ち往生なんて…有り得ねぇ」


 「大丈夫だよ、誰が来たってパパがちょいちょいとやっつけてあげるから」


 「言ったな?敵の姿も見えない状態で飛んでくる爆弾でも片付けるんだな?よーしだったら外に出ろ。車の周りをリスのように機敏に走り回れ。そして被弾場所にいち早く回り込み身をもって俺を守れ」


 「…それじゃパパ、死んじゃうよ…」




彼の言いたいことも分かる。


確かに二人、軽々しい行動を取ることなど許されない立場にある。まして自分は世界中から恐れられ敵を持つ身だという自覚があるから、自重することが当然であり周囲への影響を考えれば屋敷の内にひっそり籠もっているべきなのだろうとも思う。


けれど。


 「だってさー、デートしたかったんだもーん」


 「俺はしたかねぇ」


 「でもパパの運転でまったりしたでしょ?だから眠くなっちゃったんでしょ」


出発して三十分もしないうちに寝てしまった。それは不覚でしかなかったものの、信頼し、安心しきっているからだということは否めない。


認めないし、口にはしないけれど。それでも事実は変えられない。


 「ちょっとドライブって言うから仕方なく付き合ってやったってのに。あーもういいから迎えを呼べ」


 「やだ」


 「あーん?」


 「ヤダよ。いいじゃない、霧の中に二人残されて、もしかしたら取り込まれてこのまま戻れなくなるかも知れないなんて…ロマンティックだ」


 「お前なんかそのまま霧魔に食われちまえ」


 「霧魔!うわぁ懐かしいね」


懐かしくない。


シンタローは苦々しく舌打ちをした。


 「シンちゃんはいまでも霧魔が怖いんだね。大丈夫、パパがやっつけてあげるって約束しただろう」


 「怖かねぇって言っただろ!」


霧魔。


霧の魔物。霧の中に棲み、迷い込んだ人間を取り込む。食われるとも、次元の狭間に引き込まれるとも言われる伝説の怪物。


尤もそういった伝承は、危険から子供を遠ざけるため親が考えた方便である場合が殆どだし、恐らく霧魔に関してもそれが真相であるとは思う。けれどシンタローにとって正体の分からない存在はすべて恐怖の対象であり、見たことがないからこそ得体の知れない恐怖ばかりが増幅され自らの思考に更なる圧迫を加えるのだ。


幼い頃、自邸の庭で遊んでいるうちひとりでは入ることを禁じられた森の中へと踏み行ってしまった彼は、霧と夕暮れの二つに阻まれそこで一晩を過ごす羽目に陥ったことがある。


暗さと心細さが想像力を煽り、翌朝発見されたときは自分自身の作り出した恐怖に飲み込まれた状態でその後数日は高熱を発し彼の“怖いもの”に対するトラウマを決定的なものとした。


 「怖かったり、いやだと思うものはぜーんぶパパが消してあげる」


 「あっそ」


あの時も彼はそう言った。


そう言って抱き締めてくれた。


その言葉に嘘はなかったけれど、だからこそ許し難いこともあった。自分のため、という前提がなにより恐ろしかった。きっと彼には分からないこと。


 「でもさ、もし本当に霧魔がいて、二人とも連れ去られたとしたらどこに行くのかな?」


 「勝手に連れ去られてしまえ」


 「ダメダメ、二人ってところがポイントなんだよ。ねえ、どこだと思う?」


 「うち」


 「ん?」


 「うちに帰る」


 「だから帰れないんだって。浚われちゃったんだから」


 「浚われる訳ねぇだろ。行きたきゃひとりで行けよ、俺は帰る」


 「…一緒にいてくれないの?」


 「アンタは浚われてるんだろ?」


下らない。


こんなところに連れてこられ、得体の知れないものに更にどこかへ浚われることを想像しろと言われても出来るはずがない。したくない。


どこから来たのか分からないという底の知れない恐怖を、彼が知ることはないだろう。だからこそ行く先だけは自分自身で決めたいと、思い詰める弱い自分を理解することはないだろう。それが寂しいなんて。苦しいなんて。きっと分かってもらえない。


 「シンちゃんはパパと一緒にいるの、いや?」


 「黙って部屋の隅にいるならいてやらんこともない」


大体口数が多すぎるのだ。


どうでもいいことをベラベラと、神経逆撫で百%で並べ立てられるから苛々する。こんなキャラクターが彼本来の性格ではないと知っているから余計に腹が立つ。結局自分は軽んじられているのだと、そう言われているような気がするから許せない。


なにもかも知りたいだけ。なにもかも重ねたいだけ。言えないから、縋れないから。


素直になれないから。


 「じゃあ、本当にパパがいなくなっても、いい?」


 「うるせえのがいなくなりゃ清々する」


 「そう」


いつまでも子離れしないバカのくせに。悔し紛れにそう呟いたが、運転席にある気配が少し揺らいで冷ややかな空気が流れてくる。


ドアが開けられたと気付いたとき、彼の体は音もなく霧の中へと吸い込まれていったあとだった。


 「おい、なにやってんだよっ」


ドアはすぐに閉じられたが、それだけで濃厚なミルクのようにねっとりとした霧が流れ込み呼吸を圧迫する。肺の中を満たすそれに声を奪われ、思わず噎せ返るほどだった。


静まりかえり、音も気配も潰えた恐ろしいほどの静寂の中に取り残され、シンタローは知らず拳を握りしめた。身動けばなにか恐ろしいものに気付かれ、異空間に吸い込まれてしまうのではないかと本気で恐ろしくなる。


有り得ない。そんなことになるはずがない。けれど消えない霧が足下を覆い、そこから引き込まれてしまうのではないかという自分の想像にすら飲み込まれそうで車を降りるべきか留まるべきかの判断すら付かなくなってくる。


ガンマ団を率いる立場にありながらなにを恐れているのか。


それもこれもみなあのバカがいけないのだ、惑わせることを言い、そのように動く彼がいけないのだ。不幸はみんな、まず彼が招くことだ。巻き込んで。いつだって巻き込まれて苦しい思いをさせられる。当人はちっとも気付かぬまま。痛みを被らぬまま。


濃霧に囲まれた空間は、既に異界へと引き込まれてしまったようだった。


 


 


聞こえるのは自分の鼓動だけ。


 


そのまま凍り付いたように動けないシンタローは濃密な白の世界をただ見詰めていたが、それが晴れるのは瞬きほどの間でいっそ嘘のようだった。


 


それまで視界を塞いでいた霧は、強い風に流されたのか一瞬で消え去り辺りは緑に囲まれたのどかな田舎道を取り戻している。初めて見る景色ではあったが不快など感じる要因はなく、怯え、竦みきっていた自分をも優しく受け入れているようだった。


そして、脇の木立には彼が。


髪も、肌も、衣服も。


しっとりと水気を吸って幾分色味を増した彼が、微かに微笑んで立っている。幽玄の気配を孕んだままに。


 「…、に、やってんだ、」


言葉が喉に張り付きうまく発することが出来ない。咳払いをして、それから改めて体に力を籠め、勢いよくドアを開けた。


 「なにやってんだよ!」


叫びながら駆け寄ると、彼は悪戯が成功した子供のように無邪気な笑顔で首を傾げる。


 「怖かった?」


 「怖い訳ないだろ!」


 「そう?でもパパ、シンちゃんの泣きそうな顔が久々に見られて嬉しかったよ」


 「誰が泣くか!」


 「うん、本当に泣いて欲しいんじゃないんだ。ただ、パパの所為で困るところは何度見ても可愛くてね。つい虐めたくなるんだよ。ごめんね」


 「バッカじゃねぇのっ」


言って、戻る。運転席に乗り込みエンジンをかけた。


そのままアクセルを踏み込み乱暴なハンドル操作で発進させた車を戻してやるつもりはなかった。そこにいたいなら、離れたいならそうすればいい。霧の中に逃げ込みたいなら、ひとりで勝手に、好きなだけ取り込まれればいい。


死にたいなら。


 


自分こそ、一歩間違えば死んでもおかしくない運転でどうにか自宅までの道を辿る。


泣いていることなど認めたくはないが、霞む視界が嫌でも思い知らせてくる。


好きなのに。


きっと、思いは同じはずなのに。


置いて行かれるのが辛いことを、二人ともに知っているのに。


どうして。


 


 


 


精神的にボロボロになりつつ帰った自宅で出迎えてくれたキンタローは、一緒に出掛けたはずの二人が別々に帰宅したことには驚いた風ではなかったが、暗い顔をした自分には訝しげに眉を寄せ大丈夫かと聞いてきた。


シンタローにこんな顔をさせる相手は一人しかいない。


それは身内であれば誰もが知っていることであり、知られていること自体は諦めるしかないので無言で頷くより仕方ない。


マジックは、既に帰宅しているという。


放って置いても二人の無断外出を許すような組織ではないのだ。当人たちは二人きりのつもりであっても、監視の目はどこまでだって付いてくるのだ。それは当然のことで不思議でも、不快でもなく慣れたこと。


しかもあの空間は確かに二人だけの世界だったから。


交わされた言葉や、すれ違う心の葛藤など誰も知らない。自分たちすら、追い切れない。


それが、悲しい。


 


 


ドライブだと言ったのに、結局疲れ、傷を増やしただけの時間をマジックがどう思っているのかそんなことは知らないけれど、夜になってほとぼりが冷めたと思ったのか、変わらぬ安っぽい笑顔で近付いてきた彼は当たり前のように伸ばした腕にシンタローを巻き込んでしまう。


なにがしたいのか、本当はこの男にも分かっていないのだ。


自分が、どうしたいのか分からないのと同じように。


 「あの町の先にあるオペラハウスに行きたかったんだ」


 


今日はなにも上演されていないのは知ってたけど、シンちゃんに見せたかったんだよ。


二人で見たかったんだよ。煉瓦造りの建物を。緑の中の、あの景色。時間が止まっているようで、とても静かで。あそこにいるシンちゃんを見たかったんだ。それだけなんだよ。


 


耳の中に直接吹き込まれる囁きは、あの時霧の中へと消えていった彼を思い出させて切なくなる。怯えながら回した腕で、抱き締めた背中をきつく抱え込む。


本当はどうしたいのか、分からないから二人とも。


二人とも未だに、傷を付けることで存在を確かめる。それでも傍にいると認め合う。


愚かで、馬鹿げている関係をそれでもやめられずに。


意地を張るにはもう、断ち切れるはずのない絆は完全に繋がりあっていると知ってはいたけれど。


 


口付けられて、また泣きたくなる。


恋しくなる。


触れているのに足りなくて。悲しくて。もっと近くに、感じたくて。


自信が持てないのは彼がすべてを見せてくれないから。


傷付けるのは、愛に応えてくれないから。


互いにもどかしさを抱え、同じ場所に留まっているならそれは霧の中にいるのと同じことで、だったら霧魔に魅入られたのは二人ともに言えること。


求め合い、愛し合っている自覚があるのに結局今日も有耶無耶にするのは何故なのか。


分からないからシンタローは目を閉じた。


白い霧が、すぐに全身を包みなにも見えなくする。考えられなくする。


 


霧は、マジックだ。


吐息に紛れ呟いた言葉は拾われることなく、彼を支配する腕もまた掴み所のないシンタローを霧のようだと思っている。


愛されたい、ただ、それだけを互いに思い詰めて。


 


 


ロンドンが、嘗てのような霧の都ではなくなっているという事実は知っているのに。


二人の心がそれを理解しようとするのは、まだ、もう少し、先のこと。


 


 


 


END


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