11.お~~いおいおいおい 53*28
泣いてる。
ひっじょ~に鬱陶しく、あいつが泣いてる。
泣いてる振りで同情を引こうとするのなんかいつものことだけど、今日は一応、本当に泣いてる。
人のベッドの枕元で、突っ伏してわんわんと。
染みになるから涙も鼻水も付けるなよと、出来る限り冷たい声で言ってやったらボルテージが一層上がり、ついに“おーいおいおい”とむせび泣き始めた。
お前は幾つだ。
更に言ってやろうと思ったけど、言い返されるのは目に見えてるので放っておくことにした。だって朝だし。支度をして、仕事に行かなきゃならないし。
あーうるさい。
泣いてる親父の脇をすり抜けて洗面所で身支度を整え、ウォークインクローゼットで着替える。狭くはないがなんだって総帥が、自分の部屋にいながら遠慮してこんなところで着替えにゃならんのか。
狭くないけど。
片付いていて、快適だけど。
悔しいかなこの部屋が快適に過ごせるのはあいつのお陰でもある。使用人はいるものの、引退以来“シンタローの部屋は父親以外入室禁止”と訳の分からない取り決めをいつの間にかされていた所為で、室内も衣類もクリーニングはすべてマジックが行っていて、長期不在以外は本気で全部やつが片付けている。
世話になってるのは事実だ。
いないと困るのも事実。
言ってやらないけど。つか、言う義理ないけど。好きでやってるんだし。
「…まだ泣いてる」
遂に“おーいおいおい”が、“……っう、くっ…ひっく”になってる。
ガキか。
食堂に行きたい。
朝飯は人間生活の基本です。しかもこれから仕事なんです。総帥職って結構ハードなんです、だから飯、食わせてください。
無視して行っちゃえばいいんだけど、追い縋って絡んでくれば殴るなり眼魔砲喰らわせるなりで心おきなく捨てていけるんだけど。
背中、丸めちゃってさ。
いつの間にか手にしたハンカチで、そっと目元押さえちゃったりなんかしてさ。
同情引こうとしてるんだろ。コラ、魂胆見え見えだぞチクショウ。
でも。
なんか…いつもと違って、本気でへこんでるっぽい。
三割程度はマジ泣きしてるっぽい。
騙されてばかりだからそう簡単に信用してやんないけど、でも今日はなんか変だ。
いつもならこう、もっとこっちにアピールしてくる泣き方っていうのか?ベソベソグズグズ嫌味を甘えた声に載せて並べ立てるくせに今日は振り向きもしない。
すっかり子供みたいに座り込んで、ベッドに半身預けて“ずずっ”と鼻を啜ってる。
なんだ。
なんなんだよ。
なんだってんだよ、なに勝手に落ち込んでるんだよ、俺なんかしたかよ、俺が悪いのかよ!
…悪いのか?
いや、悪くない。だってなにもしてないから。
なにもしてないってのは嘘だけど、いつもと同じことをしただけで傷付けることなんか言ってない。してない。
して、ない。
と、思う。……んだけど。
「おい」
ぐすっ、と。
「おい、いつまで泣いてんだよ」
ぐすす。
「同情引こうったってそうはいかないからな。大体親父が悪いんだろ」
ずず。
「鼻は啜るな。かめ」
あんたが言ったんだろ。鼻水にはばい菌が入ってるからね。啜っちゃダメだよ。
ガキの頃によく言われた。抱き上げられて、熱っぽい体をそっと撫でて、額に触れて。
マジックは、一族の連中はキッチリハッキリ欧米人で、だから平熱も三十七度を超えてる状態が普通だ。でも俺は大抵三十六度台で、ガキの頃は低体温を心配されたものだった。
具合が悪そうなのに熱がないって。
あるっつの。俺はそれが普通だったんだっつの。
お前らとは違うんだよ。俺だけ違うんだよ。違ったんだよなにもかも。
ちょっとのことで思い知る、コンプレックスだけじゃない痛みとか寂しさ。
抱き締めてくれるから余計に辛くなる。そういうことだってあるんだよ。
言わないけど。
いまも、絶対、言わないけど。
仕方ないから近付いて、背後に立って腕を組む。
「いつまでそうやってるつもりだ」
「…さあ」
「わざとらしいんだよ。構って欲しいならそう言え」
「…そうだね」
拗ねて可愛い年じゃない。あーくそムカツク。
「なんだよ」
「いいよ、行って。パパもすぐ行くから」
ちっ。
腕を解いて、肩を掴んで振り向かせる。案の定赤い鼻と赤い目が、罪悪感に苛まれろ!って感じでムカつき二割り増し。声なんかかけるんじゃなかった。
行っていいって言うんだから行く。
行ってやるチクショウ!
「シンちゃん」
「…なんだよ」
「行っていいよって、パパ言ったよ」
「わ、わかってる」
分かってるけど。
足が動かねぇんだよ、どういう訳か!
「ぐあぁぁぁぁぁっ!」
ホンット、ムカツク!!
「痛い」
「殴ったんだ、痛いに決まってんだろ」
「痛いよ」
「うるせぇ」
回り込んでベッドに座り足を組む。余裕綽々の態度は崩さない。
こいつ如きに、揺らされない。
「で?」
「で、って?」
「いつまでグスグス泣いてんだよ」
「べつに」
「別にってツラじゃねぇよ。俺が殴って泣きだしたんだろ。謝れってか」
「…べつに」
「あのなぁ、」
「シンちゃん、パパのことなんかなんとも思ってないじゃない。どうでもいいんでしょ、行ってよ」
ぐあーっ、首の辺りが痒くなる!
「どうでもっ、よくないとかっ、そういうことはなっ、」
ないなんて、面と向かって言えるほど俺は恥知らずじゃねぇんだバカ!
いいんだ、パパなんか、と俯くから腹が立ってもう一発殴ってやる。
「…痛い。…けど、いいよ。いまのは」
「は?」
「いまのは…いいんだ」
なにが?
殴られていいなんて、お前はあれか、アルファベットの十九番目か。
ほぼ毎日、顔を合わせればなにかしらで揉めるから、三日に一度は殴ってる。一応父親だし、遠慮もしてやってるからそれくらいで勘弁してやってるんだけど、今日はしつこいからまだ朝だってのにもう二度殴ってやった。
しかし。
いまのはいいってことは、さっきのはよくないってことか?
いまは痛いけどよくて、さっきのは痛くなくてもダメだったってこと?は?なんだそれ。
「…あのな、俺は忙しいんだ。付き合ってやろうという姿勢を見せているうちに、ハッキリとっとと言いやがれ」
「べつに…だから行っていいって」
「うがーっ!あと三秒のうちに言わないと更に殴る」
「グーならいいよ」
「は?」
ぐー?
「グーならいいよ。パパ、我慢する」
「あ?はい?ぐー?」
ぐーってなに?
拳を握って眺めてみる。突き出して、“これ?”って目で聞く。
頷いたから、ぐーが“グー”なのは分かった。分かったけど。
「グーって殴られりゃいてえだろ」
「うん。でもいつもだし、我慢する」
「話がまったく見えねぇぞ」
自慢じゃないが俺は強くて格好良いい。カッコイイはこの際おいておくとして、強いんだから当然破壊力もある。拳を握れば結構なデカさだし、これで殴られたら相当痛いと思う。っていうか、痛い。絶対。
それが“グーなら構わない”って、そりゃもうやっぱりアルファベットの十九番目に他ならないってことだけど…別に、これまでその、そういうさ、そういう、変な癖、っつーか、せ、性癖っての?そんなの、見たことも、要求されたこともないっつか。
なんだって朝っぱらからこんなこと考えにゃならんのだ。
「なにか、その、てめぇは痛い方がいいのか」
首を振る。
だよなぁ。指先ちょっと切れたくらいでピーピー騒ぐタイプだもんな。俺の前でだけなんだろうけど。
「痛いのは嫌なのに、なんで殴られるのはいいんだよ」
「だから、グーならいいんだ。それなら我慢出来る」
「殴るんだからグーだろ」
「違うよ。…違うじゃない。違ったじゃない、今日は」
「あア?」
今日は、ってことは、二度目がいまでグーだったから、一発目か。
今日の一発目は…ああ、目が覚めた瞬間のことだ。
俺は目覚ましが鳴る少し前に意識が浮上することが多くて、多分今日もうつらうつらの状態になっていたと思う。で、もう朝だなー、目覚まし鳴るなーと思って…それで…
唇の端が、なんだか妙に、温かくて。
…あ、なんかものすごくヤなこと思い出させられた。
「てめぇがあんなことすっから悪いんだろ」
思い出した。思い出してしまった。うあー、やな感じ。ホンットやだ。あーやだ。
目が覚めて、その瞬間親父にキスされてるなんて、そんな最低最悪の目覚めがあっていいものか。いままでだって何度かあったけど、その度叱りとばしてやったのに懲りずに夜這ってくるこいつの神経ってどうなってるんだっての。今日のは夜じゃないけど。朝だけど!
「それはね、まあ、不本意ながらダメって言われてることをしたパパにも責任の一旦はあると思うよ。でもそれはシンちゃんが可愛いからいけないんであって、だからそれについては喧嘩両成敗ってことだと思うんだけど」
「なにをちゃっかり自分エコロジー語ってやがる」
足で、床に座ってる親父の脇辺りをグリグリしてやる。
「エコは環境に対する配慮だよ。使い方がおかしいよ」
「うるせえ、インチキ外人に英語の講釈されてたまるか」
話が進まないったらない。
「いいか、人の目覚めを最悪にものにした報いで殴られたんだ。文句を言われる筋合いはねぇ」
「だから、それ自体はいつものことだし、我慢するよ」
「我慢の前にやめるってことを覚えろ」
「うん、それはじゃあまた別の機会に検討する」
………。よし、こっちも我慢だ。とにかく話が進まないから、いまは聞かなかったことにしておいてやる。
「それで?なんでいつもと同じようにバカをやって、いつもと同じように殴られてそこまでウザく落ち込んでるんだよ」
「だって…だって、シンちゃんが…パーで…」
「死にたいのか。よーし手を貸してやるからいますぐ死ね」
「シ、んちゃ、首、絞まっちゃう」
「絞めてるんだ」
涙目で見るから、一度強くギュッとやってから手を放す。
「パーで総帥が勤まるなら、今日付けでグンマに譲ってやる」
「それグンちゃんの前で言ったらダメだよ」
「自分で言ったんだろうが」
「違うよ、パパが言ったのは“パー”だよ」
パー。掌を広げて、パー。
「そっちか。ったく、グーだのパーだの。俺はな、時間がないって言ってるんだ。今度こそ分かるように、手短に言え。さもなきゃ三発目が飛ぶぞ」
「シンちゃんがパパのこと、パーで叩いたんじゃないか」
「息子に、平気でバンバン殴られるという行為自体が本来有り得ないとは思わないのか」
「だから!グーならいいよ。グーは親しみがあるからね。でもパーは違うでしょ。パーは拒絶されてる感がいっぱいでしょ!」
………は?
「パーで、パンッて叩かれると、なんだかすごく汚いものを振り払うみたいな感じじゃない。今日のシンちゃん、そんな風にパパのこと叩いたんだよ。怖い目で睨んで、パパのことパンッて!」
………あー……
「パパは殴られても痛くても、それもシンちゃんとならスキンシップだと思って我慢出来るけど、でもあれはひどいよ…パパのこと、嫌いになっちゃったのかって…冷たい目で見られてパパは…パパは…」
うえっく、ひっく、と。
また泣きだした。
俺は、気が長い方ではない。短い訳じゃないけど、長くはない。
でもトップに立つと言うことは、色々な面で忍耐強くないとやっていけないし、なにより癖のある部下が多すぎるからその辺は器のデカさを発揮出来ないと勤まらない。
でも。
身内にまで完璧に適用出来るほど、まだまだ人間は出来てない。
と言うよりこいつにだけは、一生かかっても適用出来ない自信がある。
俺の貴重な朝の時間よ、無駄死にさせて、ゴメンな。
「言いたいことはそれだけか。それが理由のすべてなんだな」
「パパは、シンちゃんだけが生きる糧なんだ」
「あっそう」
俺の糧は、取り敢えず今朝の分に関しては完璧に取り損なった。
「シンタロー。壁の穴の件だが、金は団から出してやる」
「…すいません」
「だが自分で塞げ」
「…はい?」
「叔父貴と二人で、反省を籠め丁寧に塗り固めろ」
「えー」
「分かったな」
目が。目が本気だ。
怒らせると厄介だし、ここは黙って頷いておく。獅子舞の所為で出来た巨額の損失補填のため、俺の給料は地味に団の財政に返還していて、だからこういう事態には公費で落としてもらうことが出来て有り難いけど…有り難いんだけど…。
踵を鳴らしてキンタローが去っていくと、物陰に隠れていたグンマが走り寄ってきた。
「分かってないね、キンちゃんは」
「なにが」
「だって、お父様とシンちゃんが揃って大人しく大工仕事なんて出来るはずないよ。穴が大きくなるだけじゃない」
「…なんっか、自分でもそうだと思ってたけどお前に言われると気が遠くなるほど腹が立つ」
「甘いもの取った方がいいよ」
しれっと言って、逃げ出した。ああくそ、一瞬反応が送れた所為で殴ることが出来なかった。さすがはマジックの息子、バカだけど侮れない。
朝から飲まず食わずで付き合わされたくだらなすぎる一件と、誰も慰めてくれない状況になんだかものすごく悲しくなってきた。
「もしかしなくても俺、本当はすっごく可哀想な子なんじゃないか?」
口に出したら本気で寂しくなってきた。
もういい。今日は執務室に籠もっていじけてやる。貯金下ろして肉食ってやる。
「あ、なんか目の前が霞んできた」
俺も、声を上げて泣いてやろうか。
END
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