「ちょっと痩せたか?」
呼び出したハーレムと対面して開口一番に言われたので無言で眼魔砲を放つ。だが首を軽く傾げるだけでたやすく避けられ、咥えた煙草の先を焦がしただけだった。
「悪ィな。ちょうど煙草の火がほしかったトコだ」
そう言いながら笑われた時に覚えたムカツキをどう表現していいのやら。とりあえず無視していると突然顎を捕まれて無理やりに上を向かされた。
「おいおい。冗談じゃなく痩せてないか? ちゃんと食ってんだろうな?」
「うるせぇ。放せ」
無礼な手を払いのけ、シンタローはおもむろに立ち上がりながら内心で毒づいた。
――ああ、確かに体重は落ちたとも! 悪かったな!!
たとえ内心でも『痩せた』とは認めたくないらしい。
なれない総帥業の激務のせいということもあるが、本当の原因がこの体だ。十八歳のまま時が止まったジャンの体は元のシンタローの体よりずっと筋肉が薄かった。激務の合間をぬって筋トレをしたところでなかなかもとの体に近付かない。
――くそぉ、なんて筋肉のつきにくい体なんだ!
どうやら個体差のせいで筋肉が落ちたことがよほど悔しいらしい。シンタローは苦虫を噛み潰したような顔でハーレムに突きつける資料のファイルを棚から出そうと無防備に背中を向けた瞬間。
「!!!」
あろうことかハーレムが背中からシンタローを抱きしめて、その上トドメの一言。
「ま、俺的にはこれくらいの方が抱きやすくてちょうどいいがな」
「……が」
「が?」
からかうようなハーレムの声。
「眼魔砲――――!!!」
これも半身を捻って避けられ消滅したのは総帥室のドアだけ。
「出てけ! 二度と俺の前にその面ァ出すな!!」
「おう、そうさせてもらうぜぇ」
にやりと笑い紫煙をくゆらせながら部屋を出るハーレムの後姿を見て、ハッと気づいて慌てて呼び止める。
「オイコラちょっと待てオッサン…!」
だが、時すでに遅し。ハーレムの姿はそこにない。即座に廊下に出て憎らしいその背中に怒鳴る。
「テメェ、その前に借金返していきやがれ―――!!」
廊下の向こうでハーレムが煙草を持ってひらひら手を振る。
――……してやられた……!!
ハーレムはシンタローが横領の物証を掴んだ事を知っていたのだ。――と、言ってももとより小細工を施して隠すような小狡いこともしていなかったのだが――。知っていて話をはぐらかしたのだ。
「くそっ、どこまでセコいオッサンなんだ!」
手にした資料を握りつぶしながら吐き捨てるが、それを受け取るべき相手はすでに見えない。
シンタローはため息を一つついて執務室に戻り内線を手に取った。
とにかく眼魔砲で焦げた壁と無くなってしまった扉を直してもらわないと。秘書達もそこは慣れたもので、これくらいの仕事なら眉一つ動かさず処理してくれる。
二度と姿をあらわすな、と言ったところで一応は一族であるヤツとはすぐに顔をあわせることは必至だ。受話器を置きながらシンタローは強く心に誓う。
――次に会う時までに三キロ増やしてやる……!
シンタローにとって横領された三億より傷つけられたプライドの方がよほど重要らしい。
END。。。。。
『プライド』
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ハレシンと呼ぶにはあまりにもおこがましいのでハレ+シン
この二人はVSな関係もけっこう好きです。
でもハレシンはも――――っと好きですv(某引越しセンターのCM風に)
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それを見たときに、血が沸き立つ気がした。
生まれたばかりの赤子に対して抱く感情ではない。
それは刷り込みと言ってもさ差し触りはなかったのかも、しれない。
ただ純然とした嫌悪が身を包む。
怒りともつかない戦慄きが身体を震わせた。
初めての甥の誕生に感動しているのだと家族は思っていたけれど。
そんな生易しいものなどではない。
人目がなかったなら、くびり殺していたかもしれない。
これが、そんなあたたかさに満ちている訳がない。
………どす黒いまでの、憎悪。
脳裏の華
どかりと座った総帥の椅子。別になんの感慨も湧かないのはその称号を得ていない身で座っているせいか。
一族を巻き込んでの大騒動のあと、結局シンタローはマジックの後を継いだ。もうすでに血など繋がっていない身でそれでもマジックはシンタローに執着する。
いっそ気味の悪いほどのそれを、けれど拒みはしないシンタローの意図も解らない。あるいは、そんなもの自体がないのかもしれないが。
…………一滴の血も、分かってはいない新総帥。
一族を束ねるには足りないはずの秘石の力すら凌駕するなにかを確かに秘めている。それは物理的な力では及ばぬ深淵さ。…………秘石と同じく生まれ持っていなければ培うことなど出来ないカリスマなのか。
解るはずもない結論を欲しがって駄々をこねている子供のような自分の思考にハーレムは唇を歪めた。別になにか確かな答えを求めたつもりなどないと無理矢理納得して椅子から身体を離す。ぎしりと響いた音に、少々無理な体勢を強いていたことはわかったが、今更だ。壊れたところで困るのも弁償するのも自分ではないと素っ気無く視線を逸らせば呆れたような視線。
…………気づかなかった自分に小さく舌打ちした。勿論、相手には解らないように。
すどく射抜く視線を向けてみればつまらなそうな幼い顔。時折思い出したように覗かせる昔と変わらない無防備さ。
このところ見せなかったそれは、やはり新総帥としての激務をこなしていて余裕がなかったからか。あるいは、それを完璧にこなすために行なっていた擬態か。
どちらにしてもくだらない。ガキはガキらしくままごと遊びでもしていればいいものを、なにを自ら望んで重荷を背負おうとするのか。………そして周りもまた、それを何故望むのか。
拒む訳がないとわかっていて言う願いは強制だ。それを自覚もしていない愚かさに辟易とする。
………………もっとも、我が侭さ加減であれば誰よりも特出している自分が言ったところでまったく説得力などないのだろうけれど。
「ったく、ここは俺の部屋なんだが?」
どこか親しみを込められた音。多分、血の繋がりがなくなっても関係などないとようやく思えたのだろう。
いつも息苦しそうに生きていた少年時代とは打って変わった姿。重荷を増やされ更に雁字搦めになった癖に、開花されたその性情。
憐れんで、どうなる訳でもない。
それを自分はよく知っている。悲しんだ所で詮無きこと。自身で決めたことを曲げることの出来ない崇高さはある。もっとも、紙一重でただの馬鹿でもあるけれど。
皮肉げに歪めた顔を向け、ハーレムは赤い制服に身を包んだ甥に声をかけた。
「なにいってやがる。お前がいなけりゃ俺の部屋だったぜ」
どこか小馬鹿にしたなんの意味もない戯言。本気になど誰も考えていない言葉は、けれどシンタローの眉をどこか歪める。
それを見つめ、訝しそうにハーレムは目を細めた。………別に、この程度のことはよくいうたわ言だ。いつもだったら馬鹿なこと言っているなとでも言ってあっさりと流してしまう常套句のような言葉のスキンシップ。
それを躱しきれずに思い悩むなど、らしくもない姿。
そうしてふと思う。…………今日という日が、いつであったかを。
あの島にシンタローが流れ着いた日。運命を呪い続けた少年が、運命を感謝した奇蹟の起こった日。
そしてなによりも激しい喪失を、再び背負わざるを得ないことを知ってしまった日。
本当に不器用な家系だ。愛しむものを愛しいと愛すことも出来ない。ましてそれを壊さずに抱き締める術すら持たない破壊を旨とした強大過ぎる血の力。それを自覚するには情の深過ぎる性情。なんて皮肉なことかと幾度嘲ったかも解らない。
多分、一族の中で自分だけが解っている。否、解ろうとしている。自分達の愚かしさと、血の威力。そしてそれに連鎖される記憶と情。
それらが………なにを意味するかを。
誰もが焦がれる。自分達とは違うその姿。
決して光に染まりはしない黒を模している癖に、それでも輝くような存在感。人の上に立つことを約されていながらも拒む姿すら艶やかだ。………誰もが傾斜する。その足下に膝をついてもいいのだと、思わせる。
無条件降伏を可能にする魂は存在する。
それをよく、理解している。それはなによりも絶大な威力を持って自分達の血を揺り動かせる。血の征服が重ければ重いほど、その執着もまた、重い。
あの島で自由を知ったいまのシンタローにとって、その枷はきっと重荷以上の重圧。
息すら出来なくなるほどの。………当たり前を躱せなくなるほどに……………
それならいっそ全てを捨て去ってしまえばいいのに、それでも縋る腕を無視できない。
どこまでもお人好しな性情を悔やむ奴などいない。それこそを願っているのだから。………だからこそ哀れだと思ったことは、あったけれど。
「なんだ……着任したばっかでもう引退か?」
皮肉を込めて囁けばゆっくりと伏せられた瞼。思いのほか長い睫が微かに揺れる。
息を飲み込んだのか、あるいはなにかを自身に確認したのか。揺れた睫はすぐに開かれ、いつもの勝ち気な輝きを宿らせた瞳を覗かせた。
そうして誇らしげに象られた笑みとともに綴られるのは耳に心地よい旋律。
「だ~れがあんたに譲るようなへまをするかってんだよ。あんたに渡したら一日で破産宣告だぜ」
からかうように弾む声。年上に対してと思わない訳がない。
それでもどこかでそれを許している。なんでかなんて、解るはずがない。
ただ知っている。
初めこの身を占めた感情は確かな憎悪だった。自分の弟の片目を奪った憎い影を彷佛させるその色彩に対しての。
そうして抱かれ続けた像は、けれどゆったりと様変わりする。執着のように示された毒舌や冷たい素振り。傷つけることだけを目的としたちゃちな言葉すら、変化する。
示すものは何一つ変わらないのに。ただ視線が求めることに気づいてしまった。
鬱陶しいと思っていた癖に。消えてしまえばいいと願っていた癖に。
それでも視界にいないその影が物足りなくて、つい足を運ぶ。まるで幼子の恋慕のような幼稚な行為。
そうして注がれた視線の分、知ってしまった生きることに不器用な魂の存在。
手を伸ばすことは簡単だった。おそらく陥落させることも。なにも知らない瞳の中に刻むことはあまりに容易くて………それ故に伸ばせない腕に気づく。
わかったから、決めたこともある。
別に慕われたいなんて思わない。今更、そんな関係になったところで意味もない。
慕われるのも頼られるのも好意を寄せられるのも、全部弟に対してで構わない。
………………それでもたったひとつ譲れない意地。
不敵に笑んだシンタローの、それでも隠した腕の指先は微かな怯えに染まっている。
恐れていないことなど何一つない。きっとその威風堂々たる姿さえ、自身に目隠しするための擬態。
たいして差のない位置まで伸びた肩に軽く掌を添え、不可解そうに顰めかけた眉を覗くように寄せた面が、一瞬影に染まる。
端正な、顔。その顔だけを見たなら確かに自分の慕う叔父と同じ。ただ、それでもその瞳に写る影だけは違う。どこかいつも血を流している淋しそうな子供の影。
それが間近まで寄ったなら……唇に触れた微かなぬくもり。
…………………あまりに予想外の行為に対して無防備になっていたことは確かだ。
ただそれでも一体何故と悩むだけで…嫌悪は湧かなかった。
目を瞬かせることもせず、ただ歪めた眉だけで疑問と謝罪を求めてみれば、呆れたように鼻で笑われる。
本当に、気など合わない親戚はいる。それを心の底から肯定したくなる瞬間はいつだってこの叔父が相手だ。決して自分はこの人の考えも行動の意図も推し量れない。
傷つけることに慣れているかと思えばひどく苦しそうに顔を歪める。おちゃらけているかと思えば誰よりも人に気を配っている。アンバランスで不確かで、いまだ安定という言葉から遠ざかった不思議な人。
その人の声が、響く。
「俺をダシに使った使用料だ。ガキの癖になに生意気に抱え込もうとしてんだか」
………ひどく甘くさえ聞こえる、冷たい音。
突き放しているようで包み込もうと必死な仕草。優しい言葉をかけることで狂わせる血の存在を、きっと誰よりもよく知っている人。
ずっとそれに縛られて、逃げ出したいのだと流し続けた涙は雨にも似ていたのに。それを注いでいた金の髪と変わらぬ色を宿した人が、逆の言葉を捧げてくれる。
ハーレムに突っかかることで、立ち直ろうと思っていた。甘やかそうなどとはしない相手だから、厳しくやり合ってくれると思ったから。
そしてぶつかりあっていまこの身の内を廻るやり場すらない不安や葛藤を消してしまいたかった。それは確かに生意気なまでに人を頼らなかった自分の悪い癖。
さっと頬に刺した朱は羞恥か、あるいは見透かされたことへの照れなのか。
解りはしないが、音がする。
………変わり始めたなにかの、始まりの音。
それを流すように……受け入れるように、シンタローはもう一度瞼を落とす。
……………近付いた気配に、ただ睫は震えるだけだったけれど………………
約束だぞ、と甥っ子が言った。
分かった分かった、と叔父は答えた。
その時は、守るつもりの約束だった。
PROMISE
部屋に戻ってきたとき、シンタローはすでにかなり酔っていた。
それでも強気な俺様振りはいつも通りで。
「おいおい大丈夫かよ?」
ふらついたところを抱きとめたハーレムにぴしっと指を突きつける。
「―――俺に触んじゃねェ、いいな!」
眼球すれすれに突きつけられた人差し指を見ながら、ハーレムは思わず溜息をついたのだった。
そもそもシンタローをここまで酔わせた原因はハーレムにあった。
長期の遠征から戻ってきて、今夜は久し振りに暇が出来たから食事でもしようと電話したのはハーレムの方だったのに、すっかり忘れて特戦部隊を連れて飲みに行ってしまったのだ。
携帯に電話がかかってきてハッと思い出したのだが時すでに遅く、勘定をちゃっかり部下達に押しつけて本部に戻った時には若い恋人の不機嫌ボルテージは最高潮に達していた。
慌てて宥めて遅い食事に連れ出したのだが、その席でシンタローはさすがのハーレムが心配になるほど早いピッチで酒を飲み続けた。
そして話は冒頭に戻る―――という訳なのである。
「マジで言ってんの?」
「あったりまえだろ! いいか、絶対触んなよ」
「っておまえ久し振りに逢ったってのに」
「約束すっぽかしたのはどっちだ、ああ?」
睨みつける眼は完全に据わっていて、あんなに飲ませるんじゃなかったとハーレムは今夜二度目の溜息をついた。
「・・・分かったよ」
「約束だからな!」
「ハイハイ」
ふてくされてごろりとベッドに寝転んだハーレムの上にさらりと黒髪が落ちてきた。
「あん?」
腹の上にどさっと重みがかかって思わず呻く。
眼を開けるとシンタローが真上からハーレムを見下ろしていた。
「重えよ」
「うっせ、おまえよりは軽い」
「大体おまえが触るなっつった―――」
ハーレムの言葉は、突然のキスで途切れていた。
シンタローの舌がゆるりと入ってくる。
いつもより熱いような気がするのはアルコールのせいだろうか。
思わず伸ばした手は、ぴしゃりと叩かれた。
「触らねェって約束だぞ」
くぐもった声は子供っぽく拗ねていて、ハーレムは苦笑して手を引っ込めた。
その間もシンタローのキスは続いている。
普段は最初からハーレムが主導権を握っているため、そのキスはどこかぎごちなかった。
だがその拙さがかえってハーレムの欲望を煽りたてて、ハーレムは早くもさっきの約束を後悔し始めていた。
―――これァ結構キツイ。
酒と煙草の匂いに混じって鼻先をくすぐるシンタロー自身の匂いは仄かに甘い。
シンタローがすっと唇を離した。天井の照明がシンタローの身体で遮られる。
もともとそんなに酒が強い訳ではないシンタローの目許はうっすらと赤く染まり、ふっくらとした唇は拗ねた子供のように濡れていた。
―――てめェその顔は反則だろうが!
抱きしめて押し倒したくなるのをハーレムは必死で堪えた。
そんな叔父の胸中を知ってか知らずか、小憎らしい甥っ子はニッと笑ってハーレムのシャツのボタンを外し始めた。
「おい、シンタロー」
「触るなよ、約束破ったら眼魔砲だからな」
シンタローの舌がそっと肌に触れる。
いつもハーレムにされている事を思い出しながらなぞっているのだろう。
お世辞にも巧みだとは言えない動きだったが、それでもそれがシンタローの唇だと思うだけでハーレムの身体は自分でも驚くほどに反応していた。
腹の奥から熱い塊が込み上げてきて、今すぐシンタローを滅茶苦茶に貫きたくなる。
「おまえが悪いんだからな」
耳許で囁くシンタローの声は熱く、甘い。
「ハイハイすいませんでした」
「おまえに逢えるのだけを楽しみにしてたのに」
言葉が無防備にぽろぽろと零れてくるのは酔っているからだろうか。
―――随分と可愛いことを言ってくれんじゃねえか。
「なのに忘れるたァどういうことだ。ボケんのはまだ早いだろオッサン」
「だーから謝ってるだろ。・・・触んのも我慢してるしよ」
「俺は待ってたんだぞ」
「分かったって」
「おまえの帰りを、ずっと待ってた」
シンタローの指がハーレムの髪を弄んでいる。
そういえば小さい頃からこの長い金髪を触るのが好きだった、とハーレムは思い出した。
今でもハーレムの髪を指に巻きつけて眠りに就くのがシンタローの癖だ。
(きっと自分じゃ知らないんだろうけどな)
小さな子供みたいにハーレムにしがみついて眠ることも。
そのせいでいつもハーレムが翌朝は筋肉痛になっていることも。
―――そして、自分が今どんなに淫らな顔をしているかということも。
「浮気されたくなかったらさ」
その首筋に触りたい。
抱きしめてキスをして、切ない声をあげさせたい。
「もっとちゃんと俺にかまえよ、ハーレム。―――」
その瞬間、ハーレムの中の何かが音を立ててブチ切れた。
がばっと跳ね起きたハーレムに一瞬シンタローがきょとんとする。
その隙を衝いてハーレムは一気にシンタローを押し倒していた。
「あっオイ何すんだてめェ!」
「うるせェ、坊主」
ハーレムがニヤリと笑い、シンタローは大きく目を見開いた。
「大人をナメんなよコラ」
「なっ・・・」
「人のこと散々挑発しといて今更だっつの」
「触らねェって約束したろーが!」
「約束?・・・あー、したかもなァ」
呼吸すら奪うような荒々しいキスが、抵抗をあっさり封じ込める。
「けどよ、シンタロー」
感じるところを知り尽くした舌に蹂躙され、唇を離したときには漆黒の瞳は涙に洗われたようにしっとりと潤んでいた。
「―――約束なんてのは、破るためにするもんだろ?」
(・・・勝手なこと言うなアアァ!!)
シンタローの心の叫びは、不敵な笑いの前に儚く玉砕したのだった。
翌朝ハーレムを待ち受けていたもの。
それはいつもの筋肉痛と、三人の部下から無情にも突っ返されてきた勘定書の束、そして怒りの大魔神と化した可愛い甥っ子からの眼魔砲だった。
今回のハーレムの教訓。
―――約束は厳守するべし。特に、俺様な恋人が身近にいる場合には。
分かった分かった、と叔父は答えた。
その時は、守るつもりの約束だった。
PROMISE
部屋に戻ってきたとき、シンタローはすでにかなり酔っていた。
それでも強気な俺様振りはいつも通りで。
「おいおい大丈夫かよ?」
ふらついたところを抱きとめたハーレムにぴしっと指を突きつける。
「―――俺に触んじゃねェ、いいな!」
眼球すれすれに突きつけられた人差し指を見ながら、ハーレムは思わず溜息をついたのだった。
そもそもシンタローをここまで酔わせた原因はハーレムにあった。
長期の遠征から戻ってきて、今夜は久し振りに暇が出来たから食事でもしようと電話したのはハーレムの方だったのに、すっかり忘れて特戦部隊を連れて飲みに行ってしまったのだ。
携帯に電話がかかってきてハッと思い出したのだが時すでに遅く、勘定をちゃっかり部下達に押しつけて本部に戻った時には若い恋人の不機嫌ボルテージは最高潮に達していた。
慌てて宥めて遅い食事に連れ出したのだが、その席でシンタローはさすがのハーレムが心配になるほど早いピッチで酒を飲み続けた。
そして話は冒頭に戻る―――という訳なのである。
「マジで言ってんの?」
「あったりまえだろ! いいか、絶対触んなよ」
「っておまえ久し振りに逢ったってのに」
「約束すっぽかしたのはどっちだ、ああ?」
睨みつける眼は完全に据わっていて、あんなに飲ませるんじゃなかったとハーレムは今夜二度目の溜息をついた。
「・・・分かったよ」
「約束だからな!」
「ハイハイ」
ふてくされてごろりとベッドに寝転んだハーレムの上にさらりと黒髪が落ちてきた。
「あん?」
腹の上にどさっと重みがかかって思わず呻く。
眼を開けるとシンタローが真上からハーレムを見下ろしていた。
「重えよ」
「うっせ、おまえよりは軽い」
「大体おまえが触るなっつった―――」
ハーレムの言葉は、突然のキスで途切れていた。
シンタローの舌がゆるりと入ってくる。
いつもより熱いような気がするのはアルコールのせいだろうか。
思わず伸ばした手は、ぴしゃりと叩かれた。
「触らねェって約束だぞ」
くぐもった声は子供っぽく拗ねていて、ハーレムは苦笑して手を引っ込めた。
その間もシンタローのキスは続いている。
普段は最初からハーレムが主導権を握っているため、そのキスはどこかぎごちなかった。
だがその拙さがかえってハーレムの欲望を煽りたてて、ハーレムは早くもさっきの約束を後悔し始めていた。
―――これァ結構キツイ。
酒と煙草の匂いに混じって鼻先をくすぐるシンタロー自身の匂いは仄かに甘い。
シンタローがすっと唇を離した。天井の照明がシンタローの身体で遮られる。
もともとそんなに酒が強い訳ではないシンタローの目許はうっすらと赤く染まり、ふっくらとした唇は拗ねた子供のように濡れていた。
―――てめェその顔は反則だろうが!
抱きしめて押し倒したくなるのをハーレムは必死で堪えた。
そんな叔父の胸中を知ってか知らずか、小憎らしい甥っ子はニッと笑ってハーレムのシャツのボタンを外し始めた。
「おい、シンタロー」
「触るなよ、約束破ったら眼魔砲だからな」
シンタローの舌がそっと肌に触れる。
いつもハーレムにされている事を思い出しながらなぞっているのだろう。
お世辞にも巧みだとは言えない動きだったが、それでもそれがシンタローの唇だと思うだけでハーレムの身体は自分でも驚くほどに反応していた。
腹の奥から熱い塊が込み上げてきて、今すぐシンタローを滅茶苦茶に貫きたくなる。
「おまえが悪いんだからな」
耳許で囁くシンタローの声は熱く、甘い。
「ハイハイすいませんでした」
「おまえに逢えるのだけを楽しみにしてたのに」
言葉が無防備にぽろぽろと零れてくるのは酔っているからだろうか。
―――随分と可愛いことを言ってくれんじゃねえか。
「なのに忘れるたァどういうことだ。ボケんのはまだ早いだろオッサン」
「だーから謝ってるだろ。・・・触んのも我慢してるしよ」
「俺は待ってたんだぞ」
「分かったって」
「おまえの帰りを、ずっと待ってた」
シンタローの指がハーレムの髪を弄んでいる。
そういえば小さい頃からこの長い金髪を触るのが好きだった、とハーレムは思い出した。
今でもハーレムの髪を指に巻きつけて眠りに就くのがシンタローの癖だ。
(きっと自分じゃ知らないんだろうけどな)
小さな子供みたいにハーレムにしがみついて眠ることも。
そのせいでいつもハーレムが翌朝は筋肉痛になっていることも。
―――そして、自分が今どんなに淫らな顔をしているかということも。
「浮気されたくなかったらさ」
その首筋に触りたい。
抱きしめてキスをして、切ない声をあげさせたい。
「もっとちゃんと俺にかまえよ、ハーレム。―――」
その瞬間、ハーレムの中の何かが音を立ててブチ切れた。
がばっと跳ね起きたハーレムに一瞬シンタローがきょとんとする。
その隙を衝いてハーレムは一気にシンタローを押し倒していた。
「あっオイ何すんだてめェ!」
「うるせェ、坊主」
ハーレムがニヤリと笑い、シンタローは大きく目を見開いた。
「大人をナメんなよコラ」
「なっ・・・」
「人のこと散々挑発しといて今更だっつの」
「触らねェって約束したろーが!」
「約束?・・・あー、したかもなァ」
呼吸すら奪うような荒々しいキスが、抵抗をあっさり封じ込める。
「けどよ、シンタロー」
感じるところを知り尽くした舌に蹂躙され、唇を離したときには漆黒の瞳は涙に洗われたようにしっとりと潤んでいた。
「―――約束なんてのは、破るためにするもんだろ?」
(・・・勝手なこと言うなアアァ!!)
シンタローの心の叫びは、不敵な笑いの前に儚く玉砕したのだった。
翌朝ハーレムを待ち受けていたもの。
それはいつもの筋肉痛と、三人の部下から無情にも突っ返されてきた勘定書の束、そして怒りの大魔神と化した可愛い甥っ子からの眼魔砲だった。
今回のハーレムの教訓。
―――約束は厳守するべし。特に、俺様な恋人が身近にいる場合には。
「……何してんだ、おっさん」
ようやく仕事を終わらせ、シンタローが自室に戻ったのは午前一時を過ぎた頃だった。
グンマ&キンタローが製作した必要以上に厳重なセキュリティ・チェックをクリアして
その重厚な扉が開いた途端、広いリビングに備え付けられたソファに座り、
なんの許可もなく勝手に酒盛りをしている人物が目に入った。
その獅子の鬣のような髪を見るまでも無くこんな深夜にこの部屋にいるような
非常識な人間は二人しかおらず(二人もいれば充分だが)、
その内一人は自分が現れれば即座に跳びついてくるはずである。
さすがに自室で眼魔砲をぶっ放すわけにもいかないので、そっちの方でなくて僥倖だった、
と思うべきだろうか。こっちはこっちで相手にするのは、肉体的にも精神的にも疲れるのだが。
(……っつーかどっちも来ないのが一番だよな……)
重い溜息を吐きながら、電灯を付けないまま月明かりで移動し、
総帥服を脱いで皺にならないようハンガーに掛け形を整えつつ、
酒を飲むばかりで一切返事をしない叔父にちらりと視線をやった。
どうやらもう相当に飲んでいるらしい。空いた酒瓶が乱立していた。
再び溜息を吐きながら部屋着兼就寝服に着替え、叔父に歩み寄ると
転がっているカラの酒瓶を一つ手に取る。それはシンタロー秘蔵の日本酒だった。
(……こりゃ酒蔵の酒全滅か?)
もともとこのうわばみどころかザルな叔父と飲む予定だったが、勝手に飲まれ、
しかも自分の飲む分が無いのは腹が立つ。それが疲れてる時であれば尚更だ。
「オイ!おっさん、きーてんのかよ!」
座っている叔父の正面にまわりこみ肩へと手を伸ばす。
と、逆に腕を掴まれ、いきなり引っ張られて抱き込まれた。肩に叔父の息を感じる。
「おっさん。……どうか、したのか」
「……………」
シンタローはもう一度溜息を吐くと、叔父の好きにさせてやるべく全身の力を抜いた。
全く、呆れるほど自分はこの叔父に甘い。自分がこの叔父にされることを
どの程度まで許容してしまっているか理解した上でやっているのだろうか?
天然なら救いようが無い程タチが悪い。
そして後者である可能性のほうが高いのだ、この叔父は。
ぎゅぅぅ、と抱き締めるというよりはまるでしがみ付いてくる様に力を込め、
肩に顔を埋めてじっとしたままでいる叔父の頭を撫でる。
月の光を反射しきらきらと光る髪は見た目に反して柔らかく、撫で心地が良い。
……叔父は時折、こういう風に唐突に甘えてくる。
何があったのかは聞いても答えてくれないので知らない。
ただ、やたらとスキンシップをとりたがるのだ。
ずるい、と、シンタローは思う。
何も教えては呉れない癖に、何も答えては呉れない癖に、慰めだけは要求する。
ずるい。本当に……ずるい。
慰めることだけしかさせてくれない。共用することを許してくれない。
何がそんなに叔父を追い詰めているのか、想像どころか妄想すらも出来ないが、
そんなに自分には知られたくない事なのだろうか。だったら何故、自分の所へ来るのだろう。
(……卑怯だ、アンタ)
叔父はシンタローが問い詰めることも拒否することも無いと知っているだろう。
だからいつまでも何も知らないままだ。
(それでも。アンタの事を知りたいと思う俺の、気持ちは――いらない、のか……?)
決して言葉にはしない問いを心の内に封じ込め、遣る瀬無い想いを抱えたまま、
シンタローは切なげに細めた眸を叔父の肩越しに見える月へと向けた。
ようやく仕事を終わらせ、シンタローが自室に戻ったのは午前一時を過ぎた頃だった。
グンマ&キンタローが製作した必要以上に厳重なセキュリティ・チェックをクリアして
その重厚な扉が開いた途端、広いリビングに備え付けられたソファに座り、
なんの許可もなく勝手に酒盛りをしている人物が目に入った。
その獅子の鬣のような髪を見るまでも無くこんな深夜にこの部屋にいるような
非常識な人間は二人しかおらず(二人もいれば充分だが)、
その内一人は自分が現れれば即座に跳びついてくるはずである。
さすがに自室で眼魔砲をぶっ放すわけにもいかないので、そっちの方でなくて僥倖だった、
と思うべきだろうか。こっちはこっちで相手にするのは、肉体的にも精神的にも疲れるのだが。
(……っつーかどっちも来ないのが一番だよな……)
重い溜息を吐きながら、電灯を付けないまま月明かりで移動し、
総帥服を脱いで皺にならないようハンガーに掛け形を整えつつ、
酒を飲むばかりで一切返事をしない叔父にちらりと視線をやった。
どうやらもう相当に飲んでいるらしい。空いた酒瓶が乱立していた。
再び溜息を吐きながら部屋着兼就寝服に着替え、叔父に歩み寄ると
転がっているカラの酒瓶を一つ手に取る。それはシンタロー秘蔵の日本酒だった。
(……こりゃ酒蔵の酒全滅か?)
もともとこのうわばみどころかザルな叔父と飲む予定だったが、勝手に飲まれ、
しかも自分の飲む分が無いのは腹が立つ。それが疲れてる時であれば尚更だ。
「オイ!おっさん、きーてんのかよ!」
座っている叔父の正面にまわりこみ肩へと手を伸ばす。
と、逆に腕を掴まれ、いきなり引っ張られて抱き込まれた。肩に叔父の息を感じる。
「おっさん。……どうか、したのか」
「……………」
シンタローはもう一度溜息を吐くと、叔父の好きにさせてやるべく全身の力を抜いた。
全く、呆れるほど自分はこの叔父に甘い。自分がこの叔父にされることを
どの程度まで許容してしまっているか理解した上でやっているのだろうか?
天然なら救いようが無い程タチが悪い。
そして後者である可能性のほうが高いのだ、この叔父は。
ぎゅぅぅ、と抱き締めるというよりはまるでしがみ付いてくる様に力を込め、
肩に顔を埋めてじっとしたままでいる叔父の頭を撫でる。
月の光を反射しきらきらと光る髪は見た目に反して柔らかく、撫で心地が良い。
……叔父は時折、こういう風に唐突に甘えてくる。
何があったのかは聞いても答えてくれないので知らない。
ただ、やたらとスキンシップをとりたがるのだ。
ずるい、と、シンタローは思う。
何も教えては呉れない癖に、何も答えては呉れない癖に、慰めだけは要求する。
ずるい。本当に……ずるい。
慰めることだけしかさせてくれない。共用することを許してくれない。
何がそんなに叔父を追い詰めているのか、想像どころか妄想すらも出来ないが、
そんなに自分には知られたくない事なのだろうか。だったら何故、自分の所へ来るのだろう。
(……卑怯だ、アンタ)
叔父はシンタローが問い詰めることも拒否することも無いと知っているだろう。
だからいつまでも何も知らないままだ。
(それでも。アンタの事を知りたいと思う俺の、気持ちは――いらない、のか……?)
決して言葉にはしない問いを心の内に封じ込め、遣る瀬無い想いを抱えたまま、
シンタローは切なげに細めた眸を叔父の肩越しに見える月へと向けた。
あいつとの、この距離感が心地良かった。親兄弟より近くはなく、他人より離れてもいない。
それならば麗しのサービス叔父様も、全くそうは見えないが一応双子なんだから俺にとって同じ立場の存在だったはずだ。けれど『叔父様』と呼んではいても、世界中を飛び回っていたあいつとは違って常に傍に居たから、兄のような存在だった。グンマもそうだ。傍に居すぎて、手の掛かる弟のような感覚で接していた。
――あいつは、一所にじっとしている事が出来ない人間だった。
殆ど『家』、つまりガンマ団の本部には滅多に帰ってこなかった。俺の世話や遊び相手になってくれた親父の部下の方がよっぽど身近だったと思う。
なのに。
ごくたまに―まぁ、大抵は金をせびりにだったけれど―帰ってくると、何の違和感も無くすんなりと俺達と同じ枠の中に納まった。他人がどれだけ努力してもけして入れない枠だ。家族―そう、つまりは『家族』なんだろう。血の繋がりというのは偉大だ。
父親のように頼れる相手ではなく、兄のように導いてくれる相手ではなく、弟達のように護る相手でもなく、友人や部下のように信頼できる相手でもない。
実際に言い争いどころか肉弾戦すっ飛ばしてガンマ砲の応酬をしあったことも間々ある。ちなみに俺は本気で殺すつもりだったし、相手もそれは同様だろう。顔にはニヤニヤと下らない笑いを貼り付けてこそいたが、その眼は限りなく真剣だった。それでも俺はあいつに殺されると思った事は無いし、あいつも俺を殺せない。不本意ながら逆もまた然り、だ。
父親のように頼れる相手ではなく、兄のように導いてくれる相手ではなく、弟達のように護る相手でもなく、友人や部下のように信頼できる相手でもない。
――隣に、並び立つ相手だ。
結局のところ、同類なんだろう。俺とあいつは。
だから。……こんなにも、惹かれるのだろうか。
それならば麗しのサービス叔父様も、全くそうは見えないが一応双子なんだから俺にとって同じ立場の存在だったはずだ。けれど『叔父様』と呼んではいても、世界中を飛び回っていたあいつとは違って常に傍に居たから、兄のような存在だった。グンマもそうだ。傍に居すぎて、手の掛かる弟のような感覚で接していた。
――あいつは、一所にじっとしている事が出来ない人間だった。
殆ど『家』、つまりガンマ団の本部には滅多に帰ってこなかった。俺の世話や遊び相手になってくれた親父の部下の方がよっぽど身近だったと思う。
なのに。
ごくたまに―まぁ、大抵は金をせびりにだったけれど―帰ってくると、何の違和感も無くすんなりと俺達と同じ枠の中に納まった。他人がどれだけ努力してもけして入れない枠だ。家族―そう、つまりは『家族』なんだろう。血の繋がりというのは偉大だ。
父親のように頼れる相手ではなく、兄のように導いてくれる相手ではなく、弟達のように護る相手でもなく、友人や部下のように信頼できる相手でもない。
実際に言い争いどころか肉弾戦すっ飛ばしてガンマ砲の応酬をしあったことも間々ある。ちなみに俺は本気で殺すつもりだったし、相手もそれは同様だろう。顔にはニヤニヤと下らない笑いを貼り付けてこそいたが、その眼は限りなく真剣だった。それでも俺はあいつに殺されると思った事は無いし、あいつも俺を殺せない。不本意ながら逆もまた然り、だ。
父親のように頼れる相手ではなく、兄のように導いてくれる相手ではなく、弟達のように護る相手でもなく、友人や部下のように信頼できる相手でもない。
――隣に、並び立つ相手だ。
結局のところ、同類なんだろう。俺とあいつは。
だから。……こんなにも、惹かれるのだろうか。